女学院 前編

 放課後になり、俺は陽介に頑張れよと一言告げて一足先に白銀女学院へ向かった。

 白銀女学院までは徒歩二十分。


 普段は七時間授業ということで、まだ授業中のようだった。生徒の姿が誰一人見当たらない。

 内心でしまったと後悔しながらも、正門の正面の壁に背を預け、校舎を見上げる。


 さすがはお嬢様学校なだけあって、西洋風の校舎が並んでいる。その中央には一際大きな建物があり、頂上付近には時計盤が取り付けられておりビッグベンを思い起こす。

 正直、白銀女学院と書かれたプレートがなければ学校だとわからないだろう。

 女学院の周りは高い塀で囲まれており、外部からの侵入は不可能のように思える。もちろん不法侵入をするつもりなど毛頭ないが、セキュリティーは万全のようだ。


「しかし、九月だというのに暑いな」


 カッターシャツの第二ボタンまで外し、内部に風が入るようにパタパタと引っ張る。

 夏本番に比べて幾分か日差しは和らいだが、それにしてもまだまだ猛暑は続くようである。

 しばらく待っていると、ゴーンゴーンと教会の鐘が鳴っているところが連想されるようなチャイムが鳴り響いた。


 その後もしばしの間待っていると、少しずつ帰宅する生徒が出てくる。白銀女学院の制服は夏だというのにロングスカートで長袖である。

 生徒達は何ともない風に優雅に歩いているが、内心ではとても暑いと愚痴ってるに違いない。

 そんな失礼なことを考えながら、白鳥さんが出てくるのを待つ。


 しかし、待てど待てども白鳥さんが出てくる気配がない。一瞬、見落としたのかとも思ったが、白髪の少女を見間違うはずがないと、出てくる生徒一人一人に集中する。


「貴方、何か用があるのかしら?」


 唐突に声をかけられ、俺はビクッとなってしまう。

 声をかけてきたのは長身で長い髪をポニーテールにしている勝気な女の子だ。制服から白銀女学院の生徒なのだとわかる。

 もっと柔らかなお嬢様っぽい人ばかりだと思っていたので、少し面食らってしまった。


「もしかしてストーカーかしら?」


 長身の少女は俺を睨みつけながら、背にしょっていた竹刀を取り出す。

 もしかして剣道部なのだろうか?

 などと呑気に部活を想像している場合じゃない。早く弁明しなければ。


「ストーカーじゃない。俺は人を待っているだけだ」


 俺の言葉に納得してくれたのか、長身の少女は竹刀を降ろした。


「そう。で、誰かしら? 呼んであげるわよ?」

「本当か? 助かる。白鳥さんっていうんだけーー」


 俺が言い終わる直前、頬を何かがかすめた。

 眼球だけを動かして、横を見ると、そこには竹刀があった。竹刀を視界に入れた瞬間、冷や汗がブワッと吹き出してくる。


「貴方。あの変態にでも雇われたのでしょう? 白状しないと次は顔面にぶち当てるわよ」

「は、はぁ!? 俺はただ、白鳥さんに来いって言われたから来ただけで何のことだか意味が分からないんだが……」


 長身の少女は俺の言い分を聞くつもりがないらしく、今度は横薙ぎに竹刀を振るってきた。

 しゃがみ込むことで辛うじて躱すが、後ろは壁で逃げ場がない。


「ちょっと待ってって! なんでいきなり攻撃してくんだよ! 白鳥さんを呼んでもらえればわかるから!」

「貴方みたいな金で雇われた変態に彩羽様を合わせられるわけがないでしょう!」

「なら、左目が金色の客が来たと伝えてくれ! それでわかるはずだから!」


 そこまで叫んで、ようやく長身の少女が動きを止めた。

 長身の少女はしばらく考え込んだ様子だったが、やがて竹刀をしまった。


「分かったわ。少しだけ待ってなさい。伝えてきてあげる」


 長身の少女は踵を返すと、校内へ入っていった。俺は長身の少女の後ろを見ながら、ホッと息を吐いた。

 何はともあれ、これでようやく話を進めることが出来る。

 そんなに時間が経たないうちに、長身の少女が戻って来た。


「確認して来たわ。本当に呼ばれていたのね。不本意ながら、私が案内するわ」


 長身の少女は渋々といった様子で校内へと入っていく。

 その後をおっかなびっくりついていく。


 ここは女学院であり、男子禁制の場である。緊張するなと言う方が無理というものだ。

 校舎の前につくと、長身の少女が歩みを止めて振り返る。そして誰かに合図でもするかのように右手を挙げる。

 首を傾げていると、すぐそばの生徒達が一斉に悲鳴を上げだした。


「キャー! 校内に男の人が!」

「誰か! 誰か来て!」

「不審者がいますわ!」


 長身の少女に校内に入っても良いと言われたのに、いきなり何の仕打ちだこれは!


「お、おい。誤解を解いてくれよ」


 長身の少女に助けを求める。


「あら? 私は案内するとは言ったけど、助けるとは言ってないわよ。まあ、校内に男性がいたらこうなるのも当たり前よね」


 しかし、とてもいい笑顔で拒否された。

 ああ、さっき右手を挙げたのはこのためか。

 つまるところ、俺はどうやら目の前の少女に嵌められたらしい。

 現実逃避をしている俺のもとに、警備員と思しき警棒を持った大人が駆けてくる。


「彩羽様に会おうとしたこと、後悔なさい」


 長身の少女はそう言い残すと、騒ぎに巻き込まれないように俺から離れていった。

 女学院で一人取り残される俺。その俺を捕らえようと次第に近づいてくる警備員。


 その現実を理解した瞬間、俺は無意識のうちに逃げ出した。

 何一つ悪いことはしていなかったが、このままでは犯罪者にされてしまう。そんな予感がしたのだ。


 長身の少女を追い越して校舎内に入る。

 校門を出れば一本道なので隠れる場所がない。それに校門より校舎の方が近かったのもある。

 申し訳ないと思いながらも、土足で廊下を疾走する。そんな俺の姿を見て、校舎内に残っていた生徒が悲鳴を上げる。


 その悲鳴を聞きつけてか、前方から教師達がやってくる。振り返ると警備員の姿もあり、咄嗟に階段を駆け上がる。

 毎日の山登りで体力はあるとはいえ、階段ダッシュは厳しいものがある。3階まで上がるとどこか隠れられそうな部屋はないかとあたりを見渡す。


 階段から一番近い部屋の扉を開けようとするが、びくともしない。

 この部屋はほとんど使われていないのか、鍵がかけられているらしかった。

 階段の方から、たくさんの足音が聞こえてくる。確実にさっきより多い人数の足音に、順番に部屋の扉を開こうとする。

 どこも鍵がかかっており、もう駄目だと思った瞬間――扉が開き、中に入れた。どうやら一部屋だけ、鍵がかかっていなかったらしい。


 転がり込むように室内に入り、扉と鍵を閉める。

 扉越しに部屋の外の音を聞いていると、俺を追いかけてきたであろう人達が扉を通り過ぎていく。

 足音が途絶え、やり過ごしたことを確認するとその場にへたり込んだ。


「黒沢さん。何をしているのですか?」


 唐突に声をかけられ、咄嗟に部屋を出ようとするが鍵がかかっていった。

 しまった、さっき自分で鍵を閉めたんだった!

 顔を青ざめさせながら振り向くと、そこには呆れ顔の白鳥さんがいた。


「なんだ。白鳥さんか」


 部屋の中にいたのが白鳥さん一人だと分かり、緊張を解いた。


「あの、確かに白銀女学院に来てくださいとは言いましたが、校舎内に入れなんて言ってませんよ?」

「知らねえよ。長身の人に案内するからついて来てくれと言われたんだよ。けど、途中で裏切られて……」

「裏切られた、ですか?」

「ああ。長身の人が右手を挙げたと思ったら周りの生徒が騒ぎ立てて、警備員と教師に追いかけまわされて大変だったんだ」


 俺の説明に心当たりがあったのか、白鳥さんは顔をしかめた。


「またあの子ですか。申し訳ありません。きちんと言い聞かせておきますので」

「あの子?」

「ええ。私のことを慕ってくれているのは良いんですけど、私に近づく男性を敵視していまして。根は良い方だと思うんですけど……」


 白鳥さんもだいぶ苦労を重ねているらしい。

 苦笑しながらあたりを見渡す。


 特に広い部屋とはいえず、四人部屋くらいの大きさだ。その中央に長机が二つ合わせて置かれており、その上には白鳥さんのものと思しき鞄、その周りには四つの椅子が置かれている。ただ、一つだけ椅子が豪華なのが気になるが。

 さらに端っこの方には木製の戸棚が置かれており、ガラス越しに食器類が仕舞われているが見える。引き出しや戸を開ける気はないが、中には何が入っているのか少し気になった。

 さらにその棚の横には何故か小さな冷蔵庫が置かれている。灰色に見えるので正確なところはわからないが、恐らく水色系統の色だと推測される。


 正直、何の部屋なのかさっぱりだった。

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