集会 後編


 陽介が友人に頼んだというプラグラムもそのほとんどが消化され、残るは俺のお披露目のみとなった。

 舞台上では陽介が次のプログラムの説明を行っているが、ほとんど頭の中に入ってこない。


『それでは黒沢明人君! どうぞ!』


 マイクを通した陽介の声に、俺は意識が現実に引き戻された。

 足がすくみ、上手く歩くことが出来ない。

 陽介が目だけでさっさと来いと促してくるが、恐怖心が優っていた。


 場が少しずつ騒めき始める。その騒めきが俺の恐怖心を増長させ、足を鉛のように重くさせていた。

 もう嫌だ。帰りたい。

 そんな考えが頭の中を支配し、無意識のうちに右手がヘアピンを取ろうとしていた。少数ならともかく、全校生徒に俺の左目を晒すことは出来そうになかった。

 俺の心を諦めが支配し始めたその時。


「黒沢先輩。さっさと行ってきてください」


 紫垣さんに背中を押され、無理やり舞台上に押し出される。

 俺は後ろを振り向き、紫垣さんの方を抗議の意味を込めて睨みつける。

 しかし、紫垣さんは俺に臆することなく、可憐な笑みを浮かべながら手を振ってきた。


「頼るなら赤木会長でしょう。期待していますよ」


 何を期待されているのしないが、趣味全開の後輩を見ていると少し恐怖心が和らいだ。完全に恐怖心がなくなったわけではないが、自分の足で舞台の中央まで歩くことは出来た。


「ほれ」


 陽介に促されて、前を向く。



 そこには全校生徒の姿があった。



 舞台上からの眺めというのは全校生徒を鮮明に見渡せるようである。

 日傘を脇に置いてこちらをジーっと凝視してくる女子生徒、隣の人と話しながらしきりに指を指してくる男子生徒、扉付近に陣取り舞台上を眺めている教師。

 行動はバラバラだが、全員が左目に注目しているのがわかる。


 心臓の鼓動が早くなり、手が震え出す。

 俺は今、好奇の目に晒されている。その奥にあるのは嘲笑か、侮蔑か、嫌悪か。はたまたオッドアイという希少性を利用しようとしているのか。

 わからない。俺には皆が何を考えているのかわからない。


『黒沢君に登場してもらったところで、質問に移りましょうか。お題はあの噂は本当なのか? で、黒沢君を有名に押し上げた噂をここで本人に聞いていきたいと思います』

「はっ!?」


 陽介の突然の宣言に、俺は陽介に視線を向ける。

 陽介は特に気にした風もなく、いつの間に用意したのかわからないメモを取り出して、こちらに視線を向けた。


『それでは一つ目。黒沢君は実は定期テストで手を抜いているらしい。えっ、これって本当なのか?』


 陽介が信じられないといった様子でマイクを向けてくる。


「ちょっ、なんだよこれ」

『まあ、いいからいいから』


 ぐいぐいマイクを押し付けられ、生徒に向けていた意識が陽介の方に向けられる。

 陽介がほれほれ、と意地の悪い笑みでマイクで頬をつついてくる。

 恐らく答えるまでやめてくれないだろうことから、俺は仕方なくこの企画に付き合うことにした。


『本当じゃねえよ! そもそも、成績下げて何のメリットがあるんだよ!』

『目立たない、とか?』


 それ、すげえメリットじゃん。


『えー、ということでこの噂はガセですね。完全にその手があったか、という顔してましたから』


 全校生徒から、クスクスと笑い声が漏れてくる。

 その笑い声でつい質問に答えてしまったことに気が付いた。


『それでは二つ目。黒沢君は体育倉庫とプールの更衣室を間違えたことがあるらしい。で、本当なの?』


 陽介は完全に笑いを堪えながら喋っており、その態度が既に答えを言っているようなものである。


『一年の時だろ』


 俺が素っ気なく答えると、陽介はニコッと笑った。


『はい。これは本当です。体育倉庫から水着姿で出て来たときはマジでビビりました』


 感想は言わなくて良い!

 俺が歯を食いしばって俯いていると、最前列から「可愛い」とか「お茶目」とか、好意的に解釈できるような声が聞こえてきた。


『それでは三つ目。黒沢君はバレンタインのチョコをもらったことがないらしい。さあ、お答えを』

『…………あ、あるからな。…………母親と紫垣さんからだけど』

『えー、義理はカウントしないので、これも本当ですね』


 い、いや、二人からでもチョコを貰ってるのは事実でしょ!

 というか義理をカウントしないとか鬼だ!

 そう言いたかったが、生徒達が目に入り、泣く泣く断念することになった。


 ちなみに生徒達の中から、「同類よ!」とか「親友よ!」とか「仲間よ!」とか、確実に好意を向けられている言葉が聞こえてきたが、敢えて無視させてもらった。

 ここで同類とか親友とか仲間とかを認めてしまえば、俺はきっと後悔する。そんな予感がしたからだ。


『それでは四つ目。黒沢君が部活に入っていないのは、どこかのクラブに所属しているかららしい。このクラブって、部活とは関係ないスポーツクラブってことか? で、どうだ?』

『野球のリトルのバイトなら、去年の夏休みに少しだけやってたな。今は研究所でのバイトしかやってないけど』

『えー、つまり半分本当ですね。ちなみに現在は天見市にある色波博士の研究所でバイトしてます』


 陽介の暴露で、全校生徒がざわめきだした。

 色波博士の元でバイトしてるとか言ったら駄目だろ! 今ので俺に近づいて、色波博士とお近づきになろうとする奴がどれだけ増えるか……。


 俺は陽介を睨むが、陽介はニヤニヤと笑うだけだ。陽介が何を考えているのか、全く分からなくなった。

 陽介の荒療治という言葉から、何かしら俺のためになるものだと思っていたのだが、今のは完全に俺にとって害になる行動だ。


「陽介。お前、いったい何を考えている!」

「俺に突っかかる暇があるなら、全校生徒の声に耳を傾けてみな」


 陽介は変わらず笑みを浮かべている。

 俺は渋々陽介の言葉に従い、全校生徒の方に意識を集中させる。


「ほら、やっぱり」

「ね? 黒沢君って凄い人でしょう?」

「俺は知ってたぜ。あいつは凄え奴なんだ」


 周りから聞こえてくる声は、俺が研究所でバイトしていることを知っていたかのようなものばかりで。

 それどころか、俺に好意的な言葉が次々飛び出してくる。

 これは、いったい……?


「だから言っただろ? 皆、お前に惹かれて、ここにやってきた。俺と色波博士が信頼する奴が、何の力もないわけがないってな」


 いつの間にか俺の横にやってきていた陽介が、目の前の生徒達を見ながら話しかけてくる。


「それに、皆も外見だけでなく、ちゃんと中身も見てくれてるってことが証明されただろ」


 その言葉を聞いた瞬間、心の中に巣くっていた黒い靄が晴れていくような感覚がする。


「俺はずっと、ありもしない妄想に囚われていたのか……」

「そういうことだ」


 陽介は舞台の中央に立ってマイクを持つと、紙に書かれている噂を読み上げる。


『それじゃあ、最後の噂だ。黒沢先輩は赤木会長のことが好きらしい。…………ってこれ、紫垣、お前の仕業だろ!?』


 陽介は今まで見せたことのない表情を、舞台袖にいる紫垣さんに向ける。

 それは説明出来ないほど、恐ろしい表情だった。

 しかし、紫垣さんに怯えた様子はない。


「だって、赤木会長は黒沢先輩のこと好きでしょう? だったら、知りたくありませんか?」


 紫垣さんは片目を閉じて、可愛らしくウインクをしてくる。その様子はとてもあざとく、逆らえる男子はいそうになかった。

 というか、紫垣さんにあの時の会話を聞かれていたってことだよな。うわぁ、恥ず過ぎる。

 紫垣さんの言葉は生徒達には聞こえていないはずだが、紫垣さんを後押しするかのように、生徒達から陽介コールが聞こえてくる。


『おほん。…………明人は、好きなのか?』


 陽介コールに負けたのか、陽介は若干照れたように聞いてくる。

 その質問に合わせて、陽介コールが明人コールに変わる。つまり、俺は質問に答えることを皆から望まれているわけだ。


 陽介から向けられたマイクに、俺は顔が真っ赤になっていくのを感じる。

 これは愛の告白ではない。友達として、答えるのだ。そう、友達として。

 俺は自分にそう言い聞かせ、息を吸い込んだ。


『まあ、……好きだよ』


 俺が答えた瞬間、生徒達から歓声が沸き起こり、紫垣さんは親指を突き立てサムズアップしてくる。陽介は「そ、そうか」と言うと、黙りこくってしまう。

 何でこんな雰囲気になってるんだよ! 陽介には好きな人がいるだろ! 俺には好きな人がいることになってるんだろ!


 左からは全校生徒、右は幕、後ろには紫垣さん、前には陽介。逃げ場のない舞台上で、俺はかつてない辱めを受けている。

 もはや金色の左目とかどうでもよかった。

 その辱めは次第に怒りに変わる。その怒りは陽介に、後輩に、全校生徒に、ぶつけるわけにはいかず、その結果、この全校集会を行うことになった根源――この世界をモノクロにした原因に向けられることとなった。


 斯くして俺は、このやり場のない怒りを発散させるため、このモノクロの世界を作り上げた原因をぶっ潰す決意を固めるのであった。

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