翌日

 翌日。

 今日は土曜日であるが、学校がある。午前中だけなのだが、早起きをしなくてはならない。

 そのため、俺はいつもと同じ夢を見て、いつもと同じ時間に起き、いつもと同じ支度をする。


 しかし、今日はいつもと違うところが一つだけある。

 いつもは洗面所で寝癖と勝てない戦闘を繰り広げるのだが、今日は鏡に映る自分とにらめっこをしているのだ。


 鏡の中の自分はヘアピンをつけており、今まで隠されていた金色の左目が露わになっている。

 この左目は義眼であり、全色盲と呼ばれる病気を治療するために、義眼の移植手術を受けたためにこうなった。色波博士曰く、光量の調整のために虹彩に相当する部分に金メッキが貼られているらしい。何故金メッキなのかは、義眼が酸化しないようにとか、色が格好良かったからなど、諸説あるが詳しいことはわかってない。


 俺は鏡に映った自分の顔を色々な角度から見ながら、おかしくないかを確認する。

 友人だけの集まりや人が少ない通り道などで左目を晒したことはある。

 だが、学校で左目を人前に晒すのは、四月の生徒証明書用の写真撮影の時の写真家の前以来である。その時は撮影の時だけ女子からヘアピンを借りて髪をとめていたので、本当の意味で学校で義眼を晒すのは、高校の入学式以来二年半ぶりだ。


「物凄く注目されるんだろうなぁ……」


 登校中の様子を想像して、思わずため息をついてしまう。

 今までは俺に好奇の視線を向けてくる人達には絶対に左目を見せないようにしていたので、注目されるのは必至だった。

 俺は最後に、右目を閉じて左目だけで鏡を覗き込む。これは左右同時に目を開いていると、どうしてもカラーとモノクロの景色が混ざり合ってしまうので、カラーだけの景色を見るときには右目は閉じるようにしているのだ。


「え?」


 俺は思わず、戸惑いの声を漏らしてしまう。何故なら、左目しか開いていないも関わらず、モノクロの景色が飛び込んできたからである。

 俺は左目を閉じて、もう一度左目を開ける。しかし、見え方は変わらず、モノクロの世界しか見えなかった。


「おかしいだろ……。まさか、義眼が壊れた……?」


 俺は呆然としながらリビングへ向かう。

 リビングに母親の姿はなく、机の上には朝食だけが置いてあった。

 朝食を済ませ、何故こんなことになっているのかを考える。

 しかし、何も思い浮かばず、時間だけが過ぎていった。


 登校中も頭を働かせるが、良い考えは浮かんでこない。解決策どころか、原因すらわからなかった。

 校門をくぐり、廊下を歩き、教室に入る。

 教室は何時にも増してうるさく、思わず顔を顰めてしまう。


「明人。おはよ……う?」


 いつも通りに挨拶をしようとした陽介の勢いがなくなっていく。次いで、驚きの表情に変わった。


「いったいどうしたんだ!?」


 陽介の大声で、クラス中が静かになり、皆の視線が集まる。


「お、おい。あれ、黒沢か?」

「金色の左目……久しぶりに見た」


 ヒソヒソ話が広がっていき、ざわめきに変わる。非常に居心地が悪くヘアピンを取りたい衝動に駆られるが、なんとか踏ん張る。


「お、おはよう。陽介」


 俺の口元は引きつっていただろうが、何とか陽介に挨拶を返す。

 自分の席に座り、体だけ反転させ陽介と向かい合う。

 すると、陽介が顔を近づけ、声を潜めて話しかけてくる。


「本当にどうしたんだよ? 何か悪いものでも食べたのか?」

「そんなんじゃねえよ。ただ、もうすぐ受験だし、少しは見られることに慣れておかなきゃと思っただけだ」


 この言葉は半分本当だ。

 今までずっと思ってきたことだが、これだけでは行動に移せなかっただろう。

 俺が行動できたのは、色波博士の言葉のおかげだ。


「それが全てじゃなさそうだが、まあいいだろう。それより明人。今朝のニュース見たか?」

「いや、見てない。それがどうかしたのか?」


 俺が正直に答えると、陽介は大きくため息をついた。


「これだけ大きな事態になってるんだから、少しはニュース見ろよ」

「本当に何があったんだよ……」


 陽介の言葉に、段々と不安になってくる。

 大きな事態というと、もしかして地震か?


「地震と思ってるところ悪いが、その予想は外れだ」

「おわっ!」


 陽介に声をかけられ、ビクッとなってしまう。

 いや、本当、考え事している時に話しかけないでくれるかな。

 しかし、地震ではないのか。ならいったい、何が起こったというのだろう。


「とりあえず、これを見てくれ」


 陽介はタブレットを取り出すと、画面をこちらに向けてきた。どうやら、今朝のニュースが既にネット上にアップされているらしい。

 陽介が再生ボタンを押し、動画が始まる。


『昨日、全国の眼科に大量の患者が押し寄せ、パニックになった事件がありました。押し寄せた患者の大半が視界がモノクロに見えると訴えましたが、眼科医は異常なしと判断していることから病気でないことが予想されていますが、新種の病気の可能性は捨てきれず、今はまだ正確な判断が出来ていない状態です。現段階では視界がモノクロになる以外に症状は見られず、命の危険性はないと判断されていますが、この症状は世界中に広まっており、世界の各研究所で原因を分析中とのことです』


 画面が止まり、動画が終わる。


「どう思う?」


 陽介がタブレットをしまいながら聞いてくる。

 どう思う、か。


「正直、俺達に出来ることはないと思う。そもそも、一介の高校生にどうにかしろってのは荷が重すぎるだろう」

「ああ、そっちじゃない。問題は前半のパニック事件の方だ。実は、明人が来るまでこの教室内も相当パニックに陥ってたんだ」


 そりゃあ、今まで見えていた色が、途端に見えなくなればパニックにもなるだろう。しかしだ。


「それを俺に言われても……」


 俺には陽介のような人望も伝手もなければ、皆を落ち着かせられるような力の持ち主でもない。

 正直、俺にどうにか出来ると思わないのだが。


「謙遜するなよ。さっき、見事にパニックを鎮めて見せただろ」

「いや、あれはただ、俺の左目が気になっただけだろう。そんなことをしたって、時間稼ぎにしかならない」


 今は物珍しさでこっちに意識が向いているが、すぐにまた症状の方に意識が向くだろう。

 否応なく視界にモノクロの景色が飛び込んでくるのだから。


「それで良いんだよ。時間を稼げば、きっと誰かが原因を突き止めてくれるさ。それまでこの学校を守るのが、生徒会長である俺の役目さ」

「何急に使命感に駆られてるんだよ。生徒会長って、推薦されて嫌々やってただけじゃないか」

「まあな。だけど、俺の友人達がパニックになっている様子は見てられない。これは生徒会長としてではなく、赤木陽介としての我が侭だ」

「あーもう! わかったよ! 友達を助けるのが、陽介だもんな!」


 俺は髪の毛をかきむしりながら、やけくそ気味に叫ぶ。


「サユキュー。それでこそ、俺の親友だ」


 陽介はそんな調子の良いことを言いながら、ニカッと笑うのであった。



 俺は陽介に連れられ、生徒会室に入る。

 とは言っても、ただの使われていない空き教室に長机を置いて、生徒会メンバー全員分の椅子が置かれているだけだが。

 そんな生徒会室で、陽介は会長の席に、俺は副会長の席に座っていた。


「こんな時間に教室から抜け出して大丈夫なのか?」

「いけるだろ。どうせ、今日は授業にならないだろうし」


 俺は恐る恐る陽介に尋ねるが、返ってきたのは無責任な答えだった。


「はあ! おまっ! ふざけんなよ!」


 俺は机を叩き、立ち上がる。


「今は受験で大事な時期なんだぞ! 出席日数とかどうするんだよ!」

「この状況で受験のことを考えられる明人って凄えなって思う」

「うぐっ!」


 俺は陽介から視線を逸らし、椅子に座り直す。

 確かに今は出席日数とかよりも、このパニック状態を何とかするのが先か。


 俺達の所属する三年二組は、陽介の慌てても意味がないという言葉によって、一応落ち着きを取り戻したが、他のクラスはまだまだ騒がしい。

 早急に落ち着かせるとまでは行かなくても、陽介の話を聞ける状態にはしないと駄目だった。

 ちなみに教師陣は職員会議の名の下、職員室に引きこもっている。


「つーか、この状況で良くこれだけの人数が登校してきたな」

「まあ、朝からニュースを見る奴が少なかったってことだろう。もしくは一人になりたくなかったからか」

「まあ、教室の状態を見るに、普通に考えて後者だな。近年はどこも共働きで、両親が家にいることは少ないし」

「この状況じゃ、会社も休みの可能性が高いがな」


 話の脱線に気が付いたのか、陽介が咳払いを入れる。


「それでパニック対策なんだが、どうするのが良いと思う?」

「そりゃあ、注目を陽介に向けさせるしかないだろう。この学校で、全校生徒を落ち着かせられる影響力を持つのは陽介だけなんだから」


 実際、陽介の交友関係は多岐にわたり、各クラスに最低一人は陽介の友人がいる。

 大人からの意見は聞く耳を持たなくても、友人からなら話を聞いてもらうことは出来るだろう。


「明人でも可能だと思うけど、俺は生徒会長だからな。その役目、引き受けよう」


 陽介はドヤ顔でポーズをとりながら、格好良く言い放つ。


「なら、話は終わりだな」


 俺は陽介のポーズやドヤ顔をスルーして席を立つ。


「待て。どうやって、俺に注目を向けさせる気なんだ?」

「任せる。そういうのは、陽介の得意技だろ?」


 俺はそう言うと、生徒会室を出て行く。いくら授業のない可能性が高くても、心理的に教室に戻らないのは躊躇われたからだ。

 そんな俺の後ろ姿を、陽介が笑みを浮かべながら見ていた。

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