22_Another_friends'_Imaginary_bullets
真っ暗な空間に、巨大な機械の要塞が浮かんでいた。絵画のように静かに、しかし近付けば大小無数の歯車が鈍く音を立てて回り続けているのが分かる。要塞は無数の砲台を格納した砲塔をいくつも備えていた。この空間に潜む影色をした腕と疎通するために。既にその手は大きな二枚のヒレを持った何かを一匹残らず消し去ってしまった。腕は、再び空間の闇に溶け隠れている。
「お待たせ、WITHGRAV」
不意に、豆粒ほどの大きさの何かが機械要塞の前に現れた。学校の制服と、拳銃のように握った銀色の装置を身に着けて人間の恰好をしている。彼女の足元にも足場は用意されていないが、この空間で浮遊を許さぬものはやはり実在しないものには作用しない。
「あなたは、ナツですね。一人ですか。どうして、どうやって、“私と対話できる状態で”ここに」
「私は――ナツの陰だよ。あなたが誰なのか分かったから今のあなたと同じ状態になれた。だからあなたとお話ができる」
鈍く駆動を続けていた機械の歯車が一瞬引っかかったように回転を止めた。一つの歯車にかみ合う要塞の一区画に重い金属音が響く。しかし軸から伝わる強い力で再び全ての歯車が回転を始める。
「それではやはり私も、WITHGRAVの陰なのですね」
「うん、今はね。でもどちらか一つが正しいわけでも、本物があるわけでもない」
――そう、あなたは陰になっているだけであって、影ではない。
少女の陰の背後に巨大な影が落ちた。肘から先の黒い腕が空間から溶け出て形を得た。要塞が轟音を響かせ駆動する。閉じていた蕾が早回しに開くように、内側から無数の砲台がせり上がって展開される。その全照準が少女の背後に向いた。
「あなたの代わりに、私があなたの主を撃ってもいい?」
「構いません。私にはあの姿の主しか観測できませんが、あれが主の本当の姿でないことは分かっています」
「……遅くなってごめんね。あとちょっとだけ待っていて」
くるりと向きを変えた少女の影、銀色の装置のアンテナのような突起を大きな手に向けた。
ガンマンの真似をして装置に備わった想像の引き金を引く。発砲音と反動が陰のまま質感を、手応えを、威力を得て空間を射貫く。
黒い手に音もなく小さな穴が開いた。しかしすぐに埋まるようにして塞がってしまう。
「WITHGRAV、あなたに見せたいものがある」
巨大な機械の要塞を振り返った小さなナツなる陰は、拳銃の代わりにしていた銀色の小さな小さな機械をくるりと持ち替えると――友だちに見せるときと同じように――それを前に出して見せた。要塞はモノを見る機能に優れている。遠くからでも小さなそれがよく見えた。
「これは」
機械の要塞が言葉に詰まった。ナツの背後で黒い手のひらが握られたのが分かった。自分を撃った小さな何かを消し去ろうとして、加速直前に僅かに身を引く。
「ナツ、危険です」
「これ写真が撮れるんだ。綺麗な写真は撮れないけど、私たちにはこれで十分だった」
小さな小さな機械のもっと小さな四角い枠には、白衣を着た一人の研究者と、古い顕微鏡のような装置が写っていた。
「ナツ、」
黒い拳が小さな影を消し飛ばした。そのように見えた。
――綺麗なものはちゃんと写るよ。
機械の要塞は過去にその存在を見ていた。その存在から見てほしいと頼まれたものよりも、きっと誰よりもその人を。だから、未来あるいは別の軸から手を伸ばしたのその人が“残滓”と呼んだものを見つけることができたのだ。
「これが、あなたの本当の姿なのですね」
実体となった小さな装置だけが吹き飛ばされ、浮かんだ要塞の下、真っ黒な空間へと落ちていった。
主――アルシャはWITHGRAVを連れて忘却の海へと旅立った。歪で重鈍な姿に成り果てたもう一つのWITHGRAV――私は、役目を終えて研究棟の一室にただ残っていた。間もなくアルシャの同士だった研究者たちが物騒な道具を持って私のところへやってきた。信じたくないものを“観測されなかったもの”とするために。私はその時、アルシャと同じ姿をした“陰”を別室に観測した。自身に振り下ろされる鈍器、砕ける身体の一部を感じながらそれ以上に強く深く、再び私に与えられた役割を魂とは呼べぬ何かに刻み込んだ。
アルシャが階層を移動したとき、そこにはアルシャの陰のような何かが残ってしまう。あるいは元々そこに存在していたのかもしれない。アルシャを直接見ていたWITHGRAVでは決してその陰を観測できない。なぜなら陰は本物のアルシャに隠れているのだから。もはや主の手で抱えてもらうこともできなくなり、物置同然の部屋でじっと座っていたから、第三者の視点であれたからもう一つのWITHGRAVには観測できたのだ。主体であるアルシャが離れたことで主体を追従しない陰は研究棟に表出した。バラバラに解体され“重力観測器”としての機能を失った何かは、それでも自らに刻み込んだ役割を忘れずにいた。やがて自身に残された最後の機能を、忘却の海へと渡る条件を揃えるに至る。
「そこであなたは、アルシャさんともう一人の自分に再会できた」
「無事でしたかナツ。良かった」
消し飛んだはずのナツが影色の腕の後ろに現れた。機械の要塞との間に挟むようにして“影”を見据える。
「一体あなたは何者なのですか」
「でも本当のアルシャさんは既に次の場所へと渡っていた。そこにいたのはもう一人のあなたが塗り替えたアルシャさんの陰。あなたはもう一人の自分にそれができることを知って、役割分担を申し出た。あなたはここに残って陰を見張り続ける。もう一人のWIHGRAVは研究棟に戻ってアルシャさんの陰を元の姿に塗り替える」
「その通りです」
影色の腕が再びナツの陰に向き直った。力を、否定を、意思を握り締める。
「この忘却の海に残されたアルシャさんの陰は変容してしまった。同質になってそれに触れるように、あなたもまず陰へと変容した」
この場所に来るために失ったもの、その場所に帰すために失ったもの。そして、主の残滓さえも見守るために失おうとしているもの。
「私が何者なのかだけど、」
――最後にひとつ、賭けておこう
――記録します。
――彼女は、ナツは必ず辿り着く。私無しでも、きっとね
探偵の姿をしたあれが、ナツの残滓ではなかったのか。
――私は三人を観測し続けます。
――それがキミの感じた責任ならば、是非お願いしよう
私は自分が何を誓ったのかを今一度思い出し、まだ思い出せることに安堵して、しかし約束した三人に焦点が合わなくなっていることに気付く。観測点は変えていない。では、まさか、過去もしくは未来の改変が成されたとでも。
「私一人じゃないのかもね。今度の弾丸はちゃんと効くよ」
ナツの陰は黒い板のような小さな装置を取り出した。やはり拳銃を真似た手先、中指に乗せ人差し指で支えるようにして装置を横向きに握った。脇を締め左手も添えて空想の拳銃を支える。
自らを“計測器”WITHGRAVと名乗った機械の要塞はいつの間にか在りし日々を思い出していた。観測をやめたことは一度もない。たとえ見えなくなっても、思い出せなくなっても想い続けた過去。書き換えることも分岐させることも悪手、そもそも手を伸ばすことなどもうできないと思っていた。けれど、空想でいい、描けるのなら、もし、全てを叶えられるなら?
影色の拳が小さな標的を目掛けて突進する。その初速を空想の弾丸が撃ち抜いた。
要塞のいた黒い空間の解像度が落ちていく。代わりに、重力の神秘を追い、蒼海を夢見た美しい瞳が、解像度を上げていく。
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