16_idea_first_wave -- 偏愛可読性の孤独重力圏 --

――『愛しています』 / 計測器『WITHGRAV』に残る自身から見た創造主の記憶と、彼女が最後に発したヒトの言葉の記録。



 強く引き寄せられる感覚。両ハンドルを離さなかったナツを起点に三人と一羽はどうにか体勢を戻したが、前後左右どこを見ても舞台暗幕のような視界が上へ駆けて行く。距離感は数メートル先、それならここは細いチューブの状の空間なのか。空駆ける自転車でも重力操るフクロウでも抗えない以上ただ流れの先を祈るのみ。枝を離れて溝渠に落ちた一枚の葉のように。


「見て、また穴が開いてる!」


「透明クジラが……」


 視界のずっと先にぼんやり小さな丸い光が見える。ナツは穴と言ったけれど距離感が掴めない、金魚すくいの網くらいの大きさに見える。私たちより先に落ちた透明クジラはまさに金魚くらいの大きさになって、一頭、二頭とその円に吸い込まれて――


「消えた?」


『ホゥ……』


 私には“くるっと回って円の外に出た”ように見えた。声に元気のないナレィも怯えているのかもしれない。


「何にせよこのまま行くと私たちも危ないよ。オゥルくん荷台じゃなくてハルカに掴まって。いいよねハルカ」


「もちろん! オゥルくん、みんなが離れないように内側に力を使える?」


「やってみる!」


 チューブを抜けた先で何かに吸い込まれる、その瞬間に備えてお互いを繋ぐ手に力を入れる。ナツは思いっきり自転車に、私はナツにオゥルくんは私にしがみつく。ナレィの作る重力球も私たちを包み込んだ。しかし取っ手のない金魚すくいの網はどんどん大きくなる。掬われるならまだいい、透明クジラたちはどうなって私たちはどうなるのか。そして遂に、


「離さないで! 絶対!」


 ナツが叫んだ。歯を食いしばる。放り投げられるような感覚、目は……閉じない。


 真っ暗な視界が――開けた。

 やっと理解できた。金魚すくいの網が透明クジラを溶かしたわけではない。明るい輪に見えていたのは私たちが落ちてきた細いチューブの終端だ。目下に広大な球空間が広がる。その縁の辺りを緩やかに回る数匹の透明クジラ、そして、


「何……あれ……」


「機械……?」


 そう呼ぶことを私が躊躇ったのは何故か。真上から見下ろした空間の中心部には巨大な何かが浮遊鎮座している。大きなものはそれだけで一体何メートルあるのだろう、大小様々な形状の歯車が露出し、パラボラアンテナやレンズを思わせる機構や用途不明の機構が無数に積み重なっている。――そう、まるででたらめに部品を集めて押し固めたかのように、中心の何かが手当たり次第に部品を吸い寄せて取り込んだかのように。秩序のない造形、機能実現からかけ離れた姿。その塊は紛れもなく“異様な”存在感でそこに存在している。


「動いてる……。ナレィ、肩に乗って」


 塊を構成する露出した部品の殆どは真鍮のような色味で鈍く光っていた。大きな歯車は遠目に見ても回転を捉えられたが、塊全体を囲う三つの特大金属輪がゆっくりと回転していることが雄弁に伝えてきた。塊は――生きている。いつの間にか、おそらくこの広大な空間に出た瞬間から、私たちの落下は減速していた。


「もしかして、あれが計測器なんじゃ……。そうだ、メール。ハルカ!」


 落としていなくてよかった。ナツのケータイをスカートのポケットから取り出して確認す……ナツに返した。


「分かった、もう怖がってる場合じゃないからね」


 透明クジラが頭突きで空に穴を開けた直後に私たちは電子音を聞いた。そう、計測器『WITHGRAV』の二度目の警告を受信していたはずなのだ。液晶画面の表示が肯定したらしいその内容は。


「読むよ」


『ひきかえしてください あるじのりょういきにふみいれたならばておくれです はいかいするむれの こうどうもよそくできませんが あれではあるじにてだしができません あなたたちはぶんだんされます じゅうりょくつかいからはなれてください かれがあるじの さいだいのかんしんになります』


「へぇ……俺から離れろだってさ」


「分断って……」


 恐らくここはもう“主”なる存在の領域なのだろう。では真下に見えているのは、やはり計測器ではなくその主なのだろうか。徘徊する群れとは透明クジラたちのこと? “分断”なる言葉を聞いて身構えるが、中心に存在する巨大な機械が何か仕掛けてくる様子はない。私たちを引き寄せる強力な引力も働かなくなっている。


「ねえ、クジラたち気絶してない?」


 気絶? ナツに言われて中心から離れて泳ぐ透明クジラたちに目を向ける。


「ホントだ……どうしたのかな」


 中心を警戒注視しながら距離を取って泳いでいるのかと思ったら、確かに透明クジラたちは意識が無いようだ。身体を動かしておらず空間自体が生む力によって無抵抗に流されているように見える。と思いきや、


「起き……待った、あれも動いた!」


 透明クジラの一匹が“飛び起きた”。同時に、巨大な機械が低く重い駆動音を立て始めたことに気付く。他の透明クジラたちも目を覚まして、一斉に空間の中心に向き直っている。機械の表面に見えている無数の歯車が速度を上げた。砲塔のような形状が内部から持ち上がるように、生えるように次々と現れていく。その姿を見てやっと“要塞”の二文字が私の頭に浮かんだ。だがこれも……


「何? 大砲!?」


「こっちには向いていない、クジラたちを撃つのか?」


 私たちは巨大な機械の真上に、透明クジラたちは機械を囲うように水平全方位にほぼ均等にいる。無数の砲塔は放射状に展開された。


『ォォォォ』


 一頭が鳴いた。解き放たれた弾丸のように急加速し巨大な機械へと一直線に向かっていく。


「……え?」


 他に例えようがない、“腕”が現れた。機械要塞と透明クジラの間の空間に突然、肘から先だけ、黒い半透明な、透明クジラよりずっと大きな腕が。

 連続砲撃の轟音が響いた。

 無数の砲弾が“黒い腕に”直撃した。一瞬形の崩れた腕はすぐに元通りになり、突進する透明クジラを手のひらで掴んでしまった。


「しまっ……ナレィ!」

『ホゥ!』


「わ、ちょっと待った、」


「俺から離れて!」


「待ってオゥルくん!!」


 私たちに影が差していた。真上から黒い腕がもう一つ迫っていたのだ。私たちの声は間に合わずオゥルくんは既に上へ向かって自転車を離れた。重力球を纏った少年とフクロウに黒い腕が襲いかかる。


「ハルカ行くよ!」


 即答だ。自分にそんな力はないと分かっていても私もそうする。見上げた先で黒い手が握られた。硬いボールを掴んだように拮抗した瞬間、黒い腕の方だけを砲弾が斜め下から打ち抜いた。形を崩した腕はしかしすぐに修復される。ナツが自転車の前輪を持ち上げるように力を込めるが、車体が向きを変える前に私は真横から迫る三本目の腕を捉えた。


「ナツ!」


「困ったな、私にも重力操作ができたらいいのに」


 開いた巨大な手のひらがあっという間に私たちの視界を塞いだ。どれだけ強力な力が働くのか、きっと押し潰される。何故機械は腕の方を撃ったのだろう。――そうか、あの機械は。


「ごめんハルカ」


「ナツが謝ることじゃない」


「ありがと。今度は放さない。せめてそれだけ」


 操縦桿から手を自由にしたナツはサドルの上で器用に身体を反転させた。“創造主の力加減”は全く分からないけれど、ナツの抱擁は思った通り随分と優しく温かくて、心強かった。

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