12_名探偵ツナセ・ラタワ
「……あれ?」
目を開けて顔を上げる。いつの間にか私は体育座りをしていた。どこだろうここ。
「ん……?」
私が座っているのはよく見ると大きなブラウン管テレビの上だ。ちゃんと画面を横にして正しい向きに置いてあって、そうそう、厚みのある古いテレビには上にも物を置けるスペースが……いやちょっと待った、そんなはずはない。こんなに大きなテレビがあるはずがない。
立ち上がって辺りを見渡す。テレビがずらりと一直線に並んでいて、ふむふむ……デコボコのあるテレビは空間にピッタリ敷き詰められないから、テレビの間には透明な板で橋が架けてあるのか。途中から下へ続く階段のような配置になっている。
「んん?」
それから、そう、ファッションショーでモデルさんが歩く細い道――ランウェイだっけ、それみたいに、並んだ巨大なテレビの道だけが空間に浮かび上がっていて、それ以外のものが見えない。……存在しない? 私の後ろと左右には真っ暗な暗闇が無言で広がっている。ぼんやりとした照明が『前にだけ進め』と言うかのように、この妙なレイアウトの中でランウェイだけを照らし続けている。
「なるほど……そういう夢ね」
頬をつまんでみると確かに何も感じない。やっぱりここは夢の中だ。……はて、私はこういう時は思いっきり手のひらで叩くことにしていたような。まあいいか。
「分かった、進むよ」
私の恰好は何とも飾り気のない学校制服のままだ。折角のランウェイなのだから、着たことも見たこともないような素敵な衣装を用意してくれたっていいのに。しかしまあ夢の中で得られる“素”は、多分私が現実で見聞きしたものからしか抽出されないのだろう。深層意識が組み上げる模型も、ある程度強固なイメージを固めたことがなければ現実のそれと中々類似しない。全て私の持論だけどきっとそれなりに的を射ている。さあ、ラン――
(おっと……)
空間に浮遊固定されたテレビの階段を少し降りるとまた直線が続いているようだが、そこに誰かが立っている。私が一歩進んだ瞬間に影だけが現れたように見えた。まさか倒して進めと言うんじゃないよね。……テレビや透明の板から足を踏み外して落ちたらどうなるんだろう。ベッドから落ちて目が覚めるだけか。
透明板の強度を確かめつつパタパタと何台かのテレビを降りていくと、人影が古風なチェスターコートと上品な帽子を身に着けた紳士――というか探偵だ、私の思い描く探偵そのもののような恰好をしているのが見えてきた。テレビ階段を降りきって同じ高さに立つ。表情には影が差して絶妙に読み取れない。これも思った通りだ。迷うことなく近付いてあと数メートル。
「こんにちは」
この探偵の格好をした誰かが自分の敵ではないと、私は知っているような気がした。斜め上の暗闇をじっと見つめていた探偵は私を認識して顔をこちらに向ける。パイプは咥えていない。
「どうも」
低く渋い声で探偵が答えた。目の前にいるのにその表情がはっきり読み取れないのは、なるほど私が理想の探偵に理想の顔を当て嵌めたことがないからかな。
「あなたは、探偵さん?」
「いかにも」
「お名前は?」
さて、何と答えるかな?
「ツナセ・ラタワという名だ」
「す、素敵な名前だね」
私の名前を逆さまにした文字列じゃないか。区切り位置を一文字ずらしただけだ。その意味を成さない奇妙な音の組み合わせを誰もが一度は声に出したことがあるはず。そして絶対に忘れない。
「私についてきてくれるか、探偵見習いの少女よ。何、そう長い仕事ではないさ」
「もちろん」
「良い返事だ」
探偵ツナセは彼の後ろに続く道を振り返った。それに合わせて、闇に途切れるように不可視となっていたテレビの道が伸びていく。テレビ、透明な板、テレビ、透明な板。一直線に並んだ電球が次々と灯るようにテレビが空間に現れていく様子は中々面白い。ゆっくりと探偵が歩き始めたので彼の後ろをついて歩く。
何枚かの透明板と何台かのテレビを越えた辺りで素直に聞いてみることにした。
「でも何でテレビなの?」
私は別にテレビが大好きな人間ではない。それも中身の番組ではなく、媒体としてのテレビそのものが夢に現れるなんて。
「何故だか、思い出せないか」
「え? うーん……」
思い出せない。それに彼から問い返されるとは思っていなかった。まあ夢の中なんてそんなものだろう。前後関係なんてでたらめで、理路整然と会話ができるだけ上出来なのではと思う。
「では先へ進もう。椅子に座って考えるのは手掛かりのひとつでも見つけてからが良い」
同意見だ。流石私の理想の探偵。
石畳ではなくテレビを踏んでいるのに、前を歩く探偵の上品な靴音が響く。真っ黒で距離感の掴めない空間、音が反響するならどこかに壁があるはずだけど、今は細かいことはいい。重要なのはきっと今日のこの夢が素敵な夢であるかどうか。目が覚めればほとんど覚えていないのだとしても、
「む」
「何か現れるようだな」
前方の空間に何かのイメージが映った。最初は暗く朧げに、しかし私が歩みを進める度にそれに合わせてイメージが明るく、鮮明になっていく。『幻灯機』という言葉を私はどこで知ったのだろう。
「何に見える?」
いつの間にかイメージは複数現れていた。何かの機械――翼のような機械を担いだ人間と……飛行機かな、これは。でも翼の形や数が随分とバラエティに富んでいて、下手をすればエンジンもプロペラも無いような昔の――
「あー……」
あれだ、飛行機を作ろうとした昔の人間たちの、力作たち。気付けばいくつものイメージが古い羊皮紙のようなベージュの背景に並べられていた。写真のようにぴたりと動かないのでそれを掴んだ人間が走ってジャンプしたり果敢に崖から飛んだりする姿は見られないが、多分時間の流れに沿って並べてある。奥へ行くほど後の時代のもの。でたらめな想像力で生み出されるフォルムは計算され尽くした流線型よりもずっと元気よく飛びそうだ。いや、きっと飛べると計算外の何かに祈るような、そんな思想なのだろうか。――しかし私はどこでこれを見たんだろう。テレビ番組と図鑑の両方だったような気もするし……
「探偵見習いの少女よ」
探偵が振り返った。相変わらず目元の辺りはよく見えない。
「一つ目の考察だ。この力作たちと、君の足元のそれらは同じ文脈の上にあるかね?」
私の足元を指し、渡ってきた一本道を点々と示す。
「あれと、このテレビ?」
同じ……文脈?
(痛っ)
考え始める前に微かな痛みを感じた。胸の奥に……いや頭に? あれ、夢の中でもこの類の痛みなら感じるんだっけ。探偵はじっと佇んだまま私の回答を待っている。きっと彼はいくらでも待つだろうし、私が何か答えなければ全てはぴたりと停止したまま進行しない。多分それが夢のフィルムを回すことに他ならないからだ。
文脈、か。幸い飛行機の方は昔キリのいいところまで考えていたはず。確か……正解を、答えを求めたのではなく、空を飛ぶという目標へ向かって“線”を越えようとする矢印たち。方法は一つではなく、線を越えた形がいくつあってもよくて、……その過程で生まれた、空を飛べなかった試作品たちを“失敗作”と考えるのかどうか、過去の私は悩んだはずだ。図鑑では、テレビ番組では、それらを何と表していたっけ。私の結論はどうだっけ。
「うーむ」
彼ではなく、いわゆる探偵の真似をして腕を組んで首を傾げる。単純には思い出せない。やっぱりここが夢の中だからか。……それでは、力作たちに対して、このテレビは?
「失敗作ではないし、試作品でもないよね」
しゃがんで、黒いプラスチックに手を触れる。そもそもこれは精密機械とやらで、複数の部品それぞれが試作と失敗を経たと考えるのは何か違う気がする。探偵から求められていることではない。すると……前後関係とか? ――なるほど分かってきた。
「文脈は同じじゃない。上に映っている作品たちは飛行機になる前のもので、飛行機になれなかったもの。このテレビたちはテレビとして成立して、世に出ている。……という回答でいいかな?」
探偵の表情を窺う。探偵は当然私より背が高く、私が少し見上げる形になる。相変わらず表情は認識できないけれども。
「51点というところかな」
多分探偵は少し笑った。50点にしないのは彼が私から生まれた存在だからだ。採点の癖が私とそっくりじゃないか。
「着眼点は良い。だが私が考えていたのは、テレビの側がより明確に栄光と凋落を味わったのではないかという、その一点だ」
「栄光と……凋落?」
「例えば、ごく小さな電池があるとしよう。この電池は電球を3分間だけ灯せる」
探偵はそう言うと、私の後ろ辺りを指差した。振り返ると暗闇のスクリーンにデフォルメされた乾電池と、線で繋がれた電球のイラストが大きく映る。ぺかぺかと光る様子が放射状の単線で可愛く示されて、下には『3分間』の文字。
「しかしこの電池が開発されて僅か数ヶ月後のことだ。熱心な研究者が電球を4分間灯せる電池を生み出した。もちろん生産コストは同じだ」
全く同じ形の電池と銅線と電球のセットが隣に現れた。ただし添えられた文字は『4分間』。
「すると、3分間だけしか使えない電池はどうなると思う?」
「……使われなくなる」
「その通り。もっと冷酷な言い方を敢えてするならば、不要になる。あるいは――忘れ去られる」
「でもそれは必要なことなんじゃない? あれこれ試して、失敗もして、もっと良いものができて……」
「立派に糧になった、と。実のところ多くの者がその考え方だった」
探偵は両手をコートのポケットに入れて視線を落とした。彼はどこか含みのある言い方をしたが、私は少し違和感を覚えた。彼の言うことが私とは少し違う感性から生じたもののように思えたから。
「“世に出た”と君は言ったね。確かにこれらはある瞬間に“最新鋭”になったもので、次の瞬間には“時代遅れ”になったものだ。記録すべき過去の偉大な発明品として博物館に残ったものがごく一部存在するが、部品単位で見るならば皆無と言えよう。一度は持て囃されて、しかしやがては捨てられる。ああなんとも――と、そのような思想を私は仮定して組み立てた」
「……え?」
仮定? 後半から台詞が棒読みで感情がこもっていないような気はしたけれど、でも何故……推理のため?
「そうだ。追いかけているものが人物であるならば、その過去あるいは未来の行動を推察するために。君はこれを見れば何か思い出すのではないか?」
口に出していないのに私の思考が読まれたのは夢の中ならでは。探偵が指差すと電球も電池も消えて、今度は歩いて渡ってきたテレビたちが音も立てずに動き始めた。暗闇から何台か追加されたようにも見えたが、土台から徐々に細く、上に上に積み重なって、まるで塔のように……。ブラウン管テレビの塔。確か――私はこれを誰かと見ていた。
「……誰とだっけ」
振り返るが、探偵は答えない。彼もまた振り返って背中をこちらに向けた。チェスターコートの背中がどこが寂しげに映る。
「探偵見習いの少女よ。既に気付いているかもしれないが、残念ながら私は万能ではない。決して君のせいではなく、ある種の枷があるからだ。さあ先へ進もう」
枷とは私の想像の限界のことだろうか。探偵がそのまま歩き出したので、誰とそれを見たのか思い出せないまま特異に積み重なったテレビの塔を見送る。飛行機になろうとしたイメージたちもいつの間にか暗闇に溶けて消えていた。また、並んだテレビと透明な板でできた道だけが残る。
「私が仮定した思想を汲み取ったのは、否、汲み取れる可能性があったのは、まさしく君とテレビの塔を眺めていた人物だ」
「その人を私が思い出せないのは何故?」
やや歩調を早めて黙々と歩き出した探偵。彼がそうさせているとはどうにも思えない。巨大なブラウン管テレビの上を横断して、短い透明な板を渡って、また別のテレビの上に差し掛かる。
「君がその人を思い出せないのは、今この場が“間”として存在しているからだ。両者を持ち寄るには少しばかり不安定で何かを持ち帰るには僅かばかり頼りない」
「あいだ?」
「あるいは、隙間、狭間」
どうして彼は“夢”と言わないのだろう。この仄めかすような、言ってしまえば回りくどい類の言葉の距離感を私は上手に扱えたっけ。
「この場を成立させたのは外部だ。そして私は一人でここに来たのではない」
振り向かないまま言葉を並べて歩き続ける探偵。その肩に何か小さなものが付いている。よく見ると蝶の形をしていて、真っ黒な羽に入った青い模様がぼんやりと青く光っている。
「二人目って、誰?」
あなたは私から生まれたはず、ここは私の夢の中であるはず。
「手の込んだ筋書きも意味深な手掛かりも用意できなかったが仕方がない。答え合わせの時間だ」
探偵が立ち止まった。彼の向こう、暗闇の空間にどこまでも続いているように見えたテレビの道が少し先で途切れる。
ゆっくりと振り返る探偵。止まっていた蝶はふわりと羽を動かして彼の肩を離れて、真っ直ぐに私を指差した探偵の指先に乗った。指差したんじゃなくて蝶の止まる場所を作ったのかな。
「先ほど“枷”と言ったね。ここが間であるが故に、私が一人ではないが故に、今この場においては、ほんの少しだけその枷を超えられるかもしれない」
枷って、私の想像力のことなんじゃ? 一体どのように、でたらめな夢の中の仕組みを上手く使うとか?
「そう、階層のことを言うならば仕組みや枠組みの方だ。これより私は君の思う探偵ではなくなる。今から私が喋ることを君が持ち帰れないと知っていて、それでも抱えられる全てを叩きこもうと、そう考えている」
「……受け取ればいいんだね? 持ち帰れないと知らされていても」
「お願いしよう。それでは、心して聴いてほしい」
彼が私を指差す右手は、そうか、ピストルを真似た右手だ。
「私がテレビの塔を見て仮定した思想は、確かにその人物が汲み取ったものだ。ただし無意識下で、他でもないあの海から。追憶は物語を生み出す。物語は本来ならば意思を持たないものにさえ命を吹き込む。画角は偽りを組み込み得るが、焦点を合わせる球面鏡は未だ主観の所有物だ。あの海を支える法則は全て多重現実のそれから切り出されたものだが、球面に描いた三角形のように土台となるはずの三軸が歪められている。これは私の希望的観測の結果であり絵空事だと前置きしよう。海に人工物を持ち込んだ存在はたったの一つに集約される。そして海の時間を止めたのはこれとは別の、やはり一つの存在なのだと思う」
探偵は一度深呼吸をした。ここまで彼は息継ぎなしに喋ったように聞こえたがそもそも呼吸は不要なんじゃ。さて、肝心の内容だけど、
「10%も分かった気がしない……」
「承知の上だ。直感や本能の側が道を切り開き謎を解き明かすこともある」
探偵の輪郭が暗闇に溶けるように曖昧になり始めた。そうか――時間切れ、私の目が覚めようとしている?
「75点」
絵具のついた筆を筆洗に浸けたみたいに、しかし探偵は薄れていく身体でもう片方の腕を水平やや下に持ち上げて、私に指先を向けた。二丁……拳銃?
「また会おう。探偵見習いの少女よ」
発砲音の代わりに、青く光る蝶が彼の指先から私をめがけて飛び立った。ゆっくりと、探偵の姿は完全に崩れて、次に蝶は人の形へと姿を変えた。視界が、青い光に覆われる。
「ナツも身構えないじゃない」
私を包む青い人影はそう言ったように聞こえた。
これだけ緩やかに撃たれたらそうなるさ、ハルカ。私の方がもっと突然で急展開だったし、意味深な演技が出来ていた……と思うんだけどな。それに、敵じゃないって最初から分かっ――
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