11_今一度夢幻の碧空にて
誰かに起こされている気がする。何かではなく誰か、音じゃなくて人間の声。
「――――」
完全に目が覚めていないから聞き取れないみたい。今ならそっと適当なことを吹き込めば、二度寝する私の夢の中に手を伸ばせるかもよ。
「……ぃ……」
おーい起きろとか、そんなことを言って。
「起きないのかな、これ」
起きるってば。あ、聞き取れた。
「……ぅ」
「む、起き「うわっ」
誰、顔が目の前に。驚いた私は身体を捻って横に転がり、うつ伏せになったら両手を付いて立ち上がろうとして、よろめく。どこだっけここ、何してたっけ私、……誰だっけキミ。
「おはよー」
「お……はよう」
不思議な民族衣裳を着た少年、私より一回り年下かな。サッパリ短めの髪型に切れ長の目でなかなかカッコイイ顔をしている。それと彼の肩に……フクロウが乗っている。驚いて臨戦体勢を取った私はどういうわけか寝ていた? 変な声を上げて俊敏に身構えた私に比べて随分と落ち着いた態度の少年は――
(……?)
ふと視線を水平に投げてみたが、疎らにいくつか浮かぶ何かを掠めた私のそれはどこまでも進んでいってしまった。薄青い空が一面に広がっている。ずっとずっと遠くまで。慌てて振り返ってみるけれど、もう半分の180度も無表情な景色。
「そう……だった」
やっと思い出した。ここは空の上だ。空には物と島が浮かんでいて、そこそこ大きくて見事に平坦な浮島に私は立っている。この踏み応えはコンクリートなのかな。見覚えのあるそのフクロウは私と――
「ハルカ? ハルカはどこ?」
「もう一人のねーちゃんのこと? あっち」
少年が指差した先でハルカが仰向けに寝ていた。そう、私たちは空へと落下したのだ。それにハルカは……。慌てて駆け寄る。
「あのまま……か」
まだら模様。駅で拾った空き缶には色褪せているものとそうでないものがあったが、ハルカの身体や着ている制服がところどころ色褪せてしまっている。記憶が確かならこの空で見てきたものの中にこんな状態になっているものはなかった。それ全体が色褪せているかいないかのどちらか。やり方があっているのか分からないけれどハルカの手首にそっと触れて、口元に耳を近づけて、念のため体温も確かめて……
「そっちのねーちゃんも同じくらい起こしたんだけど、起きなかったよ」
私の様子を見ていたミステリアスな少年もこちらへやってきた。……あれ、というか、
「ごめん挨拶が遅れたね、えっと、キミは……?」
この少年、ちゃんと動くことができて色褪せていない。“概念少年”ではないのだ。それに、私たちを助けてくれたフクロウを連れている。
「名乗ればいい? 俺はオゥル」
髪の毛が綺麗な真鍮みたいな色だし彼は外国人なのかもしれない。話す言葉は私と同じ。
「オゥルくんね。私はナツ」
「こいつはナレィ」
肩に乗せたフクロウの頭をなでる。くしゃりとフクロウは目を細めたように見えるけれど、間違いない、宇宙空間の銀河模様をしたフクロウは――なんというか普通のフクロウではない。
『ホーゥ』
「鳴いた……」
「そりゃ鳴くよ。フクロウみたいに。ナツねーちゃんって呼ぶね」
「あ、うん、いいよ」
顔を傾けたり一瞬翼を広げたり、仕草は私の知っているフクロウとよく似ている。脚や爪や嘴は輪郭だけがぼんやりと認識できる。瞳も同じ。……触ってみたい。
「その、ナレィは特別なフクロウなの?」
もしかして“様”を付けた方が? 少しだけ目を丸くしたオゥルくんは神秘的な姿のナレィを見る。一拍置いてナレィもオゥルくんに視線を合わせた。
「そもそもフクロウじゃないのかも。特別なのは間違いないよ、ナレィは重力を自由に操れる」
「……ほぅ? え? ――あー……」
納得しかけて、なにそれと理解が追い付かない。……と思いきや、私たちを助けてくれた時のあれかと思い出す。
「ナレィのおかげで俺は重力使い……だったはず」
「じゅ、重力使い……?」
聞き慣れない言葉が転がり出た。それって魔法使いに匹敵するような何かでは? そう言えばあのママチャリはどこに。
(――だったはず?)
「もしかして、キミも思い出せないの?」
「うん。自分とナレィの名前は覚えてた。ナレィがいれば重力操作ができることも覚えてたんだけど、それだけ。ここがどこなのか、俺たちがどうしてここにいるのか――」
少年の視線が宙を泳ぐ。どこまでも広がる手応えの無い虚空を。
「そっか……。実は私たちも同じでさ。この子、ハルカって名前なんだけど、この子も」
「ホントに? 一体どうなって……」
分からない。だからこそ抜け出さねば。少なくともここが“元居た場所”ではないと、漠然とそう感じることは確かなのだ。……と言い切ったけど、はたして本当にそうなのだろうか。
「あ、それからさ、ここで重力操作をやると変なやつが出て来て追いかけてくるんだ。あいつらのこと何か知らない?」
「変なやつ?」
しかも複数?
「こんな感じで長い体に大きな手があって――」
レモンを掴んで伸ばしたような形に、左右に大きな二つの――二枚のヒレ。オゥルくんが両手で空中に描く輪郭を見て思い出した、透明クジラだ。透明クジラがオゥルくんを追いかける……? ハルカと私はどこまで見たんだっけ、ハルカは何と言っていたっけ?
「透明クジラっていう名前なのか。そいつから逃げてたら突然ナレィと引き離されてさ、ナレィはすぐに戻ってきてくれたんだけど、今度はナレィが一人で――」
「オゥルくん、それ詳しく聞かせて」
紙とペンは……しまった鞄が無い、でもとりあえず。――ハルカ、ちょっと待っててね。
折角なのでオゥルくんの“開始地点”から聞くことにした。いや、折角なのでどころではないはず、これが全体像が見えないパズルなら、彼は今私たちが持っていない一点を集中的に埋めるような重要なピース。直感がそう告げた。彼が見てきたもの、重力フクロウ(?)ナレィを携えているからこそ見えた光景。
「――ふむふむ、……へぇ……」
「……でね、」
私と、私たちが見たものをそこに合わせて、登場人物、発生事象と因果関係とをそれっぽく配置していく。
「ケータイ? なにそれ」
「あれ? トランシーバーは知ってるのに?」
最後にオゥルくんと私たちが同じ場所にいたタイミングの前後を整理する。私から見た断絶の発生と透明クジラの出現、ハルカの落下、私の追落下、ナレィの救出。
「――ということ?」
「じゃないかな。すこーしだけやってみるとか、できない?」
「いいけど、透明クジラがやってきたらどうするのさ。一人くらいなら運べるけど、いや、俺が逃げればナツねーちゃんたちが襲われることはないか」
「……やめとこう。すると――」
オゥルくんと話して知り得たことを並べてみよう。彼の“滞在時間”は私よりも短いようだ。恐らくハルカと同じくらい。この手応えの無い空でオゥルくんは目を覚まして、相棒のナレィを見て最低限のこと――彼らの名前がオゥルとナレィであり、ナレィが重力を操れること――を思い出した。何もない瓦礫の島にいたオゥルくんはさっそく空に浮かび(?)、点々と浮かぶ色々なものや大小の島々を探索し始めたが、間もなく巨大な何かが自分たちめがけて向かってくるのに気付いた。そこからは空を飛んで(??)逃げてみたり、
「飛んでないよ、落ちているだけ」
……落ちて逃げてみたり、試しに透明クジラを蹴ろうとしてみたり物を飛ばしてぶつけてみたり(???)、物陰に身を隠して様子を観察したりと、対透明クジラの行動で精一杯だったようだ。私たちが見た透明クジラは初めて現れた二匹目の個体だったようで、別方向から迫る新手にオゥルくんがいよいよ危機を感じた瞬間に、オゥルくんとナレィを引き剥がすような“見えない強力な力”が働いたという。ナレィはすぐにオゥルくんのもとに戻ったが、彼を近くの島に降ろした後で急に飛び去った。飛び先は落下する私たちだ。
「ナレィが勝手に飛んで行ったからびっくりしたよ」
「おかげで助かったよ……本当に」
彼らの文化文明・時代背景には少々不思議な距離感があるけれど、そもそもあらゆる常識が空の底に落ちてしまったような場所だ、今は気にしないでおこう。透明クジラがナレィの重力操作に反応しているとオゥルくんが気付いたのは、ナレィが私たちを助けに行った時だったという。ナレィと一緒に浮島に降りてじっと物陰に隠れていた時、透明クジラは目標を見失ったような様子で彷徨い始めたらしい。しかしそれは単にオゥルくんたちが視界から消えたからなのかもしれなかった。けれどナレィがオゥルくんから離れた時には透明クジラが明確に標的を変えたのだ。
(……じゃあ、あの時ナレィを追いかけて上から透明クジラが落ちて来てたってことか)
ナレィが私たちを拾い上げた後で彼らは上手に透明クジラから隠れてくれたらしい。
「あとはハルカねーちゃんだね」
そう――あとはハルカ。
「ナツねーちゃんは何か思いつかないの?」
「うーん……」
「捕まえた靄ってのは、取り出せない?」
首を左右に振る。ハルカから抜け落ちたような妙な靄。私が落下する途中にできるだけ触れるようにして、ちゃんと捕まえられていたのだと……信じているけど……。まだら模様のハルカは眠るように目を閉じたまま。もし、可能性があるとすれば――
「オゥルくん」
「ん?」
「……でもなー」
「なにさ?」
相手は王子様じゃないとダメではないか。心肺停止じゃないから人工呼吸も心臓マッサージも違う、だからつまり、
「ちょっと向こうを向いてもらってていいかな?」
「ん? 分かった」
オゥルくんが一度立ち上がって後ろを向いて座り直す。肩に乗ったナレィもそのまま向こうの空を向く。
(ハルカ怒らない……よね。可能性があるなら……何でもやらないと)
靄を少しは吸い込んだかもしれないが吐き出せるわけでもない。つまり――
「まだかー」
「もう少し待って。振り向かないで」
「はーい……」
覚悟を決めよう。つまり、白雪姫。
『ホーゥ』
唇に感触はあった。時間にして2秒以下、体感ではそれ以上、何故か妙に緊張して心拍数が上がったせいで、ハルカの顔にそっと指先を触れたはずの指先の感覚も含めてその一切は残らない。
(ダメか……)
「まだー?」
「あ、いいよ振り向いて」
「何を試したの?」
「えーっと、私たちの故郷に伝わる秘伝の蘇生法みたいなもの」
「何それ」
多分少年にはまだ早い。
「分からないけど、それでもダメだったのか」
「ダメだった……」
「やっぱりこれのせいなのかな」
オゥルくんが色褪せたようになったハルカの左肩を指差す。学校制服一着の同じ生地、右肩は鮮やかな白なのに。ハルカのまだら模様は進行こそしていないようだが、これがきっと何かを妨げている。彼女が何らかの状態に陥っていることを示している。きっといくら声をかけても身体を揺すってもそれでは不十分なのだ。――他に私は何を試せるのだろう。
ふと、ハルカと訪れたブラウン管テレビの塔を思い出す。“誰かによって”と付け加えたのは私かもしれないけれど、積み上げられたテレビたちを見てハルカは何かの文脈を探ろうとしていた。記憶さえも頼りにならない世界に私たちが持ち込めたものはあまりにも少ない。幸い自己定義とやらは揺らいでいないようだが、足場を固めるように、世界の輪郭、見えない矢印を明らかにしていくように――
「……そうだ、蝶」
「チョウ?」
「ねえオゥルくん、ナレィが私たちを引っ張り上げた時に、ハルカと一緒に蝶がいなかった? ナレィと同じような模様の」
「ナレィと同じ? じゃあ……ハルカねーちゃんも重力使いなのか?」
「それは……多分違うと思う」
――私とハルカの間に、物理法則っていうのかな、その辺りの認識に……差は無いよね?
――無いと思う。思った通りに落ちていったよ
――すると何故この駅…駅のような場所が浮かんでいるのか、
――全く分からない
「ナレィはナツねーちゃんたちを助けてから俺のところに戻って来たんだ。それから俺がこの島に降りてきた。ナレィ、ハルカねーちゃんの近くに蝶がいたの?」
『ホゥ』
ナレィはオゥルくん方を見て一鳴き答えた。
「……YES? NO?」
「多分、YESって言っている」
ナレィがオゥルくんの肩を離れて、ハルカの身体の上をひらりと飛んで私たちの反対側に降りる。
『ホゥホーゥ』
「……なんて?」
「見てろってさ。多分ね。……あ、待ったナレィ」
翼を広げたナレィはぴたりと静止した。オゥルくんの方を見て次の指示を待っている。
「多分ナレィは重力操作をしようとしてる。使えば透明クジラが来るかもしれない」
「そっか、忘れてた」
……でも。
「オゥルくんとナレィは、一人なら運べるんだよね」
「うん? 運べるよ」
「一人を運んだまま透明クジラから逃げ切れる自信は?」
「相手が一匹なら逃げ切れると思うけど……」
それならば。断絶のことはさっきオゥルくんにざっと確認した。彼も直近の数回を体験していた。もし今このまま、ハルカが目を覚まさないまま断絶が起きたら? ハルカをオゥルくんに運んでもらえば大丈夫だろう。私がハルカと離れたくないことは単なるワガママでいい。ではハルカの目を覚まそうとするナレィに透明クジラが現れて向かってきたら? 取れる行動、取るべき行動は同じか。天秤に私情が乗っているのだとしても、ハルカが目を覚ます可能性があるのなら。
『ホゥ』
「え?」
「今度はなんて?」
「ナレィ、ナツねーちゃんに何か言いたいみたいだ」
「私に?」
確かにナレィはじっと私の方を見ている。と思いきや、ぴょこっと跳ねてまたハルカの方に向き直った。
「何も言わないや。どうしよう、ナレィに力を使わせていいかな」
「うん、いいよ」
私が「いい」と言う理由を説明しなかったから、オゥルくんが少し考えたようだ。
「……分かった。じゃあナレィ、続けて」
『ホーゥ』
宇宙空間のような色を持ったフクロウが両翼を大きく広げた。美しい銀河模様が左右に広がり、その体が神秘的に淡く光る。翼の先をハルカに向けた。
「おぉ……」
ハルカの身体を淡い光が包んだ。しかしハルカの身体は宙に浮かぶわけではなく、コンクリートのような地面に仰向けに寝たまま。
「あ、蝶が!」
もう一度あの蝶が、やっぱりハルカの中から現れたように、姿を見せた。ナレィと同じ模様、ふわりと蝶が羽ばたき、蝶はハルカの身体の上から、梟は地面から、お互いを見た。何かの疎通を?
「……む?」
「なんだ?」
ゆっくりと、蝶から宇宙模様が……抜け落ちていく? 鱗粉のようにきらきらと輝きながら宙を漂って、ナレィの身体に吸い込まれていく。蝶はまだ薄く青い光を纏っているけれど、青い線模様が入った黒い羽になった。
「どういうこと?」
「分からない……ただ、ナレィと同じ存在には……、んー……」
『ホゥ』
ナレィが私の方を向いた。薄く輪郭の浮かぶ二つの瞳は身体と同じ宇宙銀河の模様。
「わ」
私の身体も淡い光に包まれた。落ちている途中で助けられた時の、あの感覚とは違う、重力は変わらない、でも何か――
「……靄?」
「靄? どこに……私から?」
痛くも痒くもない、感覚はまるで無いまま私の身体から何か靄のようなものが出ている。昇華するドライアイスみたいに。靄はナレィの扱う光に包まれてはいるが、ハルカから抜け落ちたあの靄と同じ色。もし私があれを拾えていたのなら、もしそれが今こうして取り出せているのなら、
「ナレィ、ハルカにそれを!」
ふわふわと私の目の前に漂う靄は“わたあめ”くらいの大きさに凝縮されていく。靄はまだまだ私の身体から出ていく。落下しながらこんなに集められていたんだ。
「ナツねーちゃん? あ、」
オゥルくんが声を出したのと同時にハルカの蝶がこちらへゆっくりと飛んでくるのが見えた。
「蝶さん、私、今は動かない方がいいと思うんだ、そのままだとぶつかるような、」
私に、何かが溶け入った。
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