晒して、暴いて、大胆に、そして受け止めて③



 そこは、上も下も明確に存在しない奇妙な空間だった。

 立っている筈なのに、地面は無く。

 相手が見えるのに、光源は無い。



(――――それどころか、空気があるかすら怪しいわね)



 ただ一つ確定しているのは――――“銀時計”の仕業だと言うことだ。

 その証拠に、アメリの胸元で淡く輝きながら、ふわりと浮いている。



「カミラ様……、ここはいったい何処なのでしょう?」



「さあ? 知らないわ」



「のわりに、落ち着き払ってますよね…………。検討ついているんじゃないですか?」



 澄ました顔で思考を巡らすカミラに、アメリはジト目を送る。



「そういう貴女こそ、落ち着いているじゃない。さっきまで取り乱していた癖に」



「そりゃーもう、カミラ様と一緒ですもの。それに、カミラ様が冷静でいるって事は、少なくとも危険性は無いって事でしょう?」



 信頼し、安心しきった目をするアメリに、カミラは胸を熱くしながら微笑んだ。



「…………ありがとう、アメリ。そして――――ごめんなさい」



「何を謝る事があるんですかカミラ様。今回、わたしがこうなってしまったのは、確かにカミラ様の指示があったかもしれませんが。――――わたしの“意志”があったからです」



「でもっ!」



「気に病まないでください、カミラ様。わたしは嬉しいんです、貴女の役に立てた事。――――それに、ちゃんと助けれくれたじゃないですか…………っ!」



「きゃっ!」



「カミラ様~~!」



 キラキラと満面の笑みで抱きつくアメリに、カミラは告げた。

 とても残念なお知らせである。



「――――助かって、無いわよ?」



「はい? 今、何と…………」



 無邪気に首を傾げるアメリを引き剥がして、カミラは、なむー、と合掌する。



「だから――――助かってないわよ、貴女」



「へ? は? え、だって、こうして元の姿に…………カミラ様だって…………? え、あれ? カミラ様も元の姿に!? という事はユリウス様も…………あ、あれぇ!? ユリウス様は何処? というか他のみんなは何処ですか!?」



 今更ながらに、きょろきょろと周囲を見渡し、この異常事態を正確に把握したアメリは。

 みるみるうちに顔を青くし、カミラに詰め寄る。



「も、もしかしてヤバいんですかカミラ様!? はぁっ! 真逆これはわたしが死の間際に見てる妄想!?」



 何やら面白い答えにいたったアメリに、バチンと一発デコピンをかまし。

 カミラは、ため息混じりに言った。



「あ痛ぁっ!」



「落ち着きなさいアメリ。これは現実……よ、一応」



「一応って言った!? 一応って言いまし――――あだっ!?」



 カミラは再度デコピンで、アメリの沈静化を計る。



「落ち着いて状況を把握なさい…………。貴女はいったい何処までの記憶があるの?」



「いつつ…………。えと、なんか化け物に成りつつも、イケメンカミラ様を庇った所までは覚えているんですが…………」



「じゃあその後。完全に化け物になって、ユリシーヌとガルドをボコボコにした事は?」




「…………マジ、ですか? またまた~~。わたしが何か変なのになっても、あの二人をボコボコに出来るわけないじゃないですか」



 またまたご冗談を、と冷や汗をかきながらひきつった笑みを浮かべるアメリに、カミラは真実を告げる。



「冗談であればよかったのだけどね…………。貴女ときたら“時間停止”まで使って暴れるものだから、苦労したわ」



「後で謝りに…………って、“時間停止”? あの糞学園長がわたしの体でやってた事ですか? え? 何でわたしにも出来てるんですか!? ――――もしかして、これが?」



 アメリは目を白黒させて驚いた後、まじまじと“銀時計”を見つめる。



「ええ、貴女の考えている通り“それ”が原因でしょうね」



「でもわたし、使い方なんて…………」



「大方、貴女の無意識に勝手に反応したって所でしょうね」



「そういうものなんですか…………でも、なんでわたし達こんな所にいるんですか? それに助かってないって…………?」



 不安そうに瞳を潤ますアメリに、カミラは近づくと抱きしめる。



「大丈夫よ。多分、何とかなるわ」



「…………そこは、はっきり言ってくださいよぅカミラ様」



「ふふっ、ごめんなさいアメリ」



 カミラが大丈夫と言うなら、大丈夫であろう。

 そう確信したアメリは、胸元で浮く銀時計を手に取り、カミラに渡す。



「どうぞ、カミラ様。――――ここから出るには、きっと必要なんですよね?」



「ええ、ありがとう」



 受け取ったカミラは、銀色の懐中時計の蓋を開けてみると。

 そこには、四つの文字盤とそれぞれの針が、各々の時間を記していた。



「わたしを化け物にしたり、時を止めたり。何なんでしょうねそれ? 魔族の秘宝がどうのこうのって言ってましたけど」



「あくまで推測に過ぎないけれど、貴女を化け物にした機能は後付けね、これは――――ええ、やっぱり。“タイムマシン”だもの」



「タイムマシン? “時間停止”とは何が違うんですか?」



 言葉の意味合いが解らず首を捻るアメリに、カミラは時計を“解析”しながら答えた。



「“時間移動”を――――正確には“時空間移動”を可能にする“機械”よ」



「“機械”!? カミラ様が考案した、あの雷で動く歯車みたいなヤツですか!? マジックアイテムじゃなくて!?」



 魔法という汎用性の高い手段と、“世界樹”のテクノロジー制限により。

 この時代では、前世で言う科学技術はほぼ無い。

 何年か前に、カミラが自領限定で復活させたくらいだ。



(どこから出現したか解らない、“未来”の技術からしてみてもオーパーツなんだけど…………)



 伝えても余計な混乱を招くだけね、とカミラは説明を省いた。



「取り敢えず、時空間を操作出来るモノとして認識していればいいわ」



「はぁ、そういうものですか…………」



 納得がいかない顔で頷いたアメリに、カミラは話を本筋へ戻す。



「私達は暴れる貴女を捕まえる為に、一番厄介な“コレ”を止め様として――――ええ、こうなっているのよ。だから“現実”の貴女はまだ“化け物”で、私は“男”ね」



「ホントにまだ、助かってなかったっ!? っていうかマジでここ何処なんですか!?」



 あわわ、と慌て始めたアメリの、その頭を撫でながら言う。

 あくまで感覚だが、これは、きっと――――。



「――――私の“意識”の中」



「カミラ様の…………“意識”の、中?」



「あの時、私はこの“時計”を掌握したわ。そしてこの“時計”はアメリ、貴女と一体化していた…………」



「理屈は分かりました。でも、これからどうするのですか?」



 カミラは考える。



(今の私には解る…………。これが、これこそが私の“ループ”を実行していたモノ)



 もう“ループ”出来ないと思っていた。

 だって“世界樹”の方のタイムマシン機構は、破壊してしまったからだ。



(これを使ってしまえば、また“ループ”してしまうの?)



 出来るのは、可能となるのはそれだけではない。

 正しく“時間移動”の素質を持つカミラならば、“未来”への移動も可能になるだろう。



(それどころか――――“前世”の時代にさえ)



 考えてしまうと途端に、時計がずしりと重くなる。

 人に、人が持てる力としては重い、重すぎるのである。



 躊躇いは限りなく、しかし、何時までも迷ってはいられない。

 恐らく“外”の時間は、一秒たりとも経過せず“停止”しているだろうが。

 まだ、何も解決していないのだ。



「――――っ」



 銀の懐中時計を握りしめ躊躇するカミラの手を、アメリはそっと両手で包み込んだ。



「大丈夫です、カミラ様」



「アメリ…………」



「わたしには、カミラ様が何を背負っているのか、何を不安に思っていらっしゃるのか解りません。――――ですが、一つだけ解ることがあります」



 真っ直ぐにカミラを見つめ、アメリは続けた。



「信じてください、ご自分を。ユリウス様への“愛”を――――」



 カミラはその言葉に、自分が何を目的として生きているか思い出した。



(そう、そうね…………そうだったわ。私はもう“過去”には戻らない)



「ユリウスの想いを、なかった事にはしない。アメリ、貴女の想いも――――」



「カミラ様…………!」



 力強く言い放ったカミラに、アメリは微笑む。



「何が起こるか解らないけれど、着いてきてくれる?」



「はいカミラ様。例えこの身が果てようとも、何処までもお側にいます」



「ふふっ……。私は果報者ね」



 カミラはそう言うとタイムマシン――――“銀の懐中時計”にタキオン粒子を巡らせ始める。

 その途端、周囲が黒一色の空間から、鮮やかに色づき始め――――。



「――――カミラ様、これは!?」



「…………そう、そう言う事なのね」



 辺り一面に、先ほどの光景が映し出される。

 そしてそれは、時計の針を巻き戻す様に。

 カミラの“記憶”を、超高速で逆再生していた――――。





 最初は、先の戦闘の光景が映し出された。

 そしてそれは数秒も経たずに、少し前の話し合いの光景へ。

 そしてそれも――――。



「カミラ様が全然写ってませんね、これ」



 物珍しそうに映像を見るアメリの問いかけに、カミラは不安を感じながら答えた。



「…………ええ。“私”の記憶だからね」



「おお~…………、流石カミラ様。ユリウス様で一杯――――あ! 今わたし写ってますよ、それも沢山!」



 一日が何秒で巻き戻されているか、正確にはわからなかったが。

 映像はあっという間に、カミラの十六の誕生日を通り越して数年前を写していた。




「いやー、こんなに早いんじゃあ。カミラ様との思い出を語る暇もないですねぇ…………あれ?」




 のほほんと笑うアメリは、その“違和感”に首を傾げた。



「変な所で繰り返しですか?」



 映像では、幼いカミラが何処かの城の謁見の間と思わしき所で、ガルドによく似た人物に惨殺される所だった。

 何度も、何度も――――。



(嗚呼、嗚呼、嗚呼…………確かに“これ”は、確かに“私”の“記憶”――――)



 ある時は、天井から襲いかかり。

 ある時は、地下から。

 ある時は、正面から。



 潰され。

 焼かれ。

 溺れ。

 塵となって。



 おおよそ、人が想像しうる全ての死が、何回も何回も幼いカミラを死に至らしめていた。



「そんな、酷い。なんでこんな…………」



 不幸にもその全てを目撃してしまったアメリは、青い顔をしながらカミラに質問しようとしたが。

 当のカミラは憎々しげに、悲しそうに。

 唇を噛んで真っ青にしながら、映像を睨みつけていた。



(…………質問できる雰囲気じゃ、ありませんね)



 カミラの心中を慮り、アメリは言葉を喉より下に留め、手持ちぶさたに映像へ目を向ける。



(カミラ様は先ほど“私の記憶”と仰りましたけど――――)



 映像を見れば見るほどに、疑問が沸き上がっていく。

 幼いカミラが死んで、巻き戻って両親と平和に暮らし生まれるまで。

 するとまた、幼いカミラが“死”ぬ。



 それが何百と繰り返された後、唐突に。

 ユリシーヌが登場する様になった。



(けど、これも変ですね。ユリウス様はずっとユリシーヌ様のままです…………)



 映し出される映像に、偏りがある。

 アメリ自身が出てこないのは、まだいい。

 問題は――――“笑顔”が無い事だ。



「どうして…………。ユリウス様すら、笑顔が…………」



「――――っ」



 笑顔がない、というのは語弊がある。

 正確には、悲しみ、怒り、同情、憐憫、そして――――、憎悪。





 全て顔が、負の感情で満ちあふれている。



  

 そして、とうとう。

 アメリにとって耐え難い、直視にしたくない光景が現れた。



「――――な、なんでわたしがっ!? こ、こんなの知りませんっ! やってませんよカミラ様っ!?」



 その“光景”に、アメリは悲痛な声で叫んだ。



(貴女には、貴女には見せたくなかった。見られたくなかったわ。アメリ――――)



 映し出されていたアメリは、憎しみの表情でカミラを後ろから剣で刺し殺していた。



 怒りの顔で、カミラを拷問死させていた。



 憐憫の情で毒殺したと思えば、その過程で、裏切りを働いている様な場面も見受けられた。



 殺し、殺され。



 そして――――他人。



 ただすれ違うだけの、認識すらされていない、他人。

 写っていたのは、たまたま視界の端にいたから、と言わんばかりの映像――――カミラの“記憶”。



「何なんですかカミラ様!? この“記憶”は、こんなものが本当にカミラ様の“記憶”なんですか!?」



 カミラはそれに答えず、ただ悲しい顔で頷いた。

 思うような回答が得られず、無性に苛立つアメリの前に、惨劇は続く。



 多くは魔族に。

 しかし、それと同じくらい、見知った知人によりカミラの命が奪われて、逝く。



 セーラに、ゼロスに、ヴァネッサに、リーベイら三人は言わずもがな、その婚約者や、果てはジッド王。

 そして――――両親に。



 名前を知る者、知らぬ者。

 その全てがカミラと何らかの形で敵対し、必ず残酷な結末を迎えていた。



 何もかもが、見知らぬ、悲しい光景の中で。

 アメリは唯一、光とも思える“共通点”に気づいた。



「――――だから、好きになったのですね」



「ええ。…………たった一人、たった一人だけだったのよ」



 カミラの哀しくも嬉しそうな言葉の響きに、アメリはこの“記憶”が真実だと確信した。

 アメリにはその確信を提示するだけの、確固たる理由も、物理的証拠なども、何一つなかったが。

 “魂”と呼ぶべき“何か”が、真実だと確信させていた。



 繰り返されるカミラの、“生”と“死”の“記憶”の中。

 最後の最後。

 今際の際だけはいつも、ユリウスの顔があった。



 例え、途中でカミラと敵対しても。

 ユリシーヌが、ユリウスだけがカミラを“殺害”する事は一度たりともなかった。



(ユリウス様が、カミラ様唯一の拠り所…………)



 或いは、依存先とも言い換えてもいいかもしれない。

 だが、どんなに歪な関係であろうとも、その“先”になれていない、なれなかった事をアメリは悔しく思った。



「カミラ様のその人知を越えた“力”は、全部――――ユリウス様の為なんですね」



「私には、それしか無かったから…………」



 自嘲するように呟いたカミラと、静かに寄り添ったアメリの前に、映像はまだ続く。



 もはや数えることすら出来ぬ繰り返し、――――“ループ”の中。

 時折写る、鏡の中のカミラはその姿をどんどん変えていく。



 美しかった髪の輝きは色褪せ。

 肉体は魅力を落とし。

 化粧の腕も落ちて。



 やがてそこには、誰とも知れぬ“平凡”な女生徒の姿があった。

 すれ違っても記憶に残らない、けれどそこら中に存在していそうな“平凡”な少女。



「これはもしかして…………」



「ええ、始まりの頃の私。まだ何も知らなかった頃の、私…………」



 平凡な少女が、幾度と無くまた“生”と“死”を繰り返し――――。




 ――――映像が一度、プツンと途切れた。




「終わったんですか?」



「いいえ。私の予想が正しければまだ――――」



 カミラがそう言いかける中、再び“記憶”の再生が始まる。

 それは、アメリにとって奇妙なモノだった。

 そして、カミラにとって懐かしいモノだった。



「――――カミラ様のご実家の城下町に似てますね。いえ、これに“似せた”んですね?」



「やはり、ここまで写すのね…………」



 白く大きな鉄塊と壁に潰され、――――圧死。

 同じように逆再生が始まり、見える光景は“異質”。



 灰色の巨棒が立ち並び、昼と変わらぬ夜の明るさ。

 灰色の地面に、よく解らない白文字の文様――――漢字。



「“私”じゃない“私”のいきた“時代”…………ええ、そうね。“平成”の世はこんなモノだったわ…………」



 郷愁漂う言葉に、アメリが疑問を上げる暇なく、映像は切り替わっていき。



(お父さん、お母さん…………嗚呼、私は顔さえも忘れて…………)



 東洋に住まうとされる“黄色人種”の一家の、平和な生活が映し出され――――。




 ――――そして、今度こそ映像は終わった。




「最後のは、いえ。そもそも“何の”記憶なんですか? カミラ様…………」



 静かに伺うアメリの声に、カミラは答えるのを躊躇った。

 ここまで、最後の最後、前世の記憶まで。

 目を伏せて、カミラは思考する。



(誤魔化したくはないわ。けれど言いたくも無い。けど――――)



 耳が痛くなるような無音の無言。

 その中で、カミラはゆっくりと目を開きアメリを見た。

 アメリは、ただ真っ直ぐにカミラを見つめていた。

 そこに、負の感情も。

 そして、正の感情も。

 何一つ見受けられず、ただ言葉を一心に待つ姿があった。



(嗚呼、嗚呼、嗚呼、嗚呼、嗚呼…………)



 憐れみが無かった嬉しさか、嘘だと信じていない哀しさか。

 カミラの心に、暖かな何かが渦巻く。



(私はきっと、こんな風に強くいられない――――)



 それは羨望であった。

 その様な心の持ち主が側にいるという、誇らしさであった。

 同時に、罪悪感が生まれる。



(相応しくないのよ、私には。だって、だって…………)



 カミラには、アメリに返せるモノが何一つない。

 信頼に、好意に、愛に。

 何一つ、何一つ――――。



(――――だから、せめて)



 カミラは深呼吸をして、アメリを見つめ返す。

 自分の過去を話すことがアメリに対する“何か”になる事を祈って。




「私はね、アメリ。――――時を、繰り返していたの」



「繰り返して“いた”ですか?」



「ええ、自動的に私を巻き戻していた機械は、破壊してしまったもの。私は“時間”に流される只人になった――――そう、思っていたわ」



「これの、所為ですか?」



 アメリは、懐中時計を指さす。

 自嘲の笑みを浮かべながら、カミラは頷いた。



「多分、私が壊したのは“これ”の、紛い物だったのね。今なら解る。“これ”こそが、唯一にして無二のイレギュラー。――――“本物のタイムマシン”」



「カミラ様…………」



「こんな、こんなモノがあるから私は――――っ!」



 涙を溢れさせ、瞳を怒りと哀しみ、そして無力感に染め上げたカミラに、アメリは鋭く問いかける。



「これが無ければ、カミラ様は幸せでいられました?」



「――――いいえ、何も知らずに。“壊れたシナリオ”通りに死んでいたでしょうね」



「これが無ければ、ユリウス様が好きになられませんでしたか?」



「それは…………解らないわ」



 ユリウスへの好意に、カミラが即答で断言しなかった事に、アメリは少し悲しく思った。

 そして、それだけ。

 “繰り返し”が重いことを痛感する。



(今まで、カミラ様は“強い”人だと思っていましたが、そうじゃなかったのですね…………)



 それは失望ではない、怒りでもない。

 哀しみでもなければ、憐れみでもない。



 ――――例えるならば、愛。



 気の遠くなる程の繰り返しの果てに、積み上げられた強さ。

 弱さを晒けだす――――優しさ。

 敬い、愛する事に、今までより強く、今のアメリに何の躊躇いもない。

 だから、だからこそ、今のカミラが放っておけない。



「全て、全て私の“力”では無いわ。借り物の力。貴女を最初に助けた事だって、ただ私は――――」



 瞬間、バチンとカミラの頬が鳴った。

 アメリが、平手で打ったのだ。

 それを認識すると、カミラは大粒の涙をこぼし呟く。



「私は、貴女に慕われる資格なんて――――」



 バチン、と再びカミラの頬が鳴る。

 今度は反対側だ。

 怯えたような視線を向けるカミラに、アメリは言った。




「貴女が好きですカミラ様。――――異性へのそれとして、愛しております」



「わ、わた、私は――――」



 思ってもみなかった言葉に、カミラは声を詰まらせる。

 何故、何故、何故。

 幾度と無く疑問を繰り返せど、カミラの中に答えは存在しない、する筈が無い。

 戸惑うカミラを、アメリは柔らかに微笑んで抱きしめた。



「いいんです、無理に言わなくて。答えは解っております。私達はユリウス様より長い時間を過ごした主従。僭越ながら家族とも、親友とも思っております。――――それは、カミラ様も同じでしょう?」



 頷くカミラに、アメリは続ける。



「存じておりますカミラ様。貴女が同性へユリウス様へのと同じ“愛”を向ける事は、決して無いと。何より――――ユリウス様を、愛している事を」



「だから、同じ気持ちを返して欲しい、とは言いません。――――でも、それでも。貴女の側に居させてください。この身が果てる時まで、貴女の力にならせてください」



 静謐な光を瞳に、カミラに縋るでも無く、懇願するでも無く。

 全てを、受け入れると。

 カミラの言葉、決断に従うと柔らかに微笑むアメリの姿に。

 カミラのその罅だらけの心に、柔らかな何かが降り積もり、癒す。



(私は、私は、私は)



 本当に男として産まれてきたらよかった。

 こんな自分の側に、これからも居たいといってくれた人に。

 やはり、カミラは何も報いる事が出来ない。



(こんなにも、こんなにも嬉しいのに――――)



 せめて言葉だけでも、果たせぬとしても約束だけでもと、カミラは必死に言の葉を紡ぎ出す。



「…………ねぇ、アメリ。さっきの私の“記憶”、その最後を見たでしょう」



「はい、カミラ様」



「私はね、違う時代の記憶――――“前世”の“記憶”を持っているのよ」



 アメリが望んでいた“愛”ではないけれど、想いを返そうとしてくれている。

 その事に気づき、言葉の続きを待つ。



「人はね。死んだら誰かに生まれ変わるのよ。だから、もし“来世”があるとしたら、一度は貴女にあげるわ」



「えへへっ。一度だけですかカミラ様?」



 まるで恋人の様に抱き合い、カミラの胸に顔を寄せながらアメリは聞いた。



「既に来世以降も、私はユリウスを愛すると決めたわ――――でももし、私が男に産まれたなら。その時は貴女を探し出して、絶対に幸せにするわ」



「欲張りですね、カミラ様。でも、嬉しい…………あ、でもその時はユリウス様どうするんです? わたし、三角関係は嫌ですよ?」



「ふふっ、その時は。私達の子供として、ユリウスを産んで慈しむわ」



「もうっ! カミラ様ったら、本当に欲張りなんですから」



 二人は心から笑いあった。

 その顔にどちらも涙があったが、それはきっと嬉しさからなのだ。

 悲しさじゃない、嬉しさからだと二人は微笑み。

 そんな、新たな関係に至った主従を祝福するように、懐中時計が再び淡く光り出す。



「――――もう、時間の様ね」



「わたしとしては、もっと居てもよかったですけどね」



「だけど、現実に戻らなくてはね」



「…………はいっ!」



 カミラとアメリは体を離し、けれど手を握りあう。

 そしてカミラは、掌握が完全に終わった“銀の懐中時計”に“タキオン”を込めて――――。



 そして、二人の世界に“色”が戻った。





 時が戻った瞬間、カミラはカラミティスで。

 アメリは化け物のままで、ユリウスもまたユリシーヌだった。



 唯一の違いは、カラミティスの手に“銀の懐中時計”がある事。



「何をしているカラミティス! アメリを止めるのでは――――」



 焦るガルドを余所に、カラミティスは冷静に一言。




「――――『戻れ』」




 今のカミラには、カラミティスにはこの様な事態、解決するのは息を吸うよりも容易い。

 アメリの体はみるみる内に、元の姿に戻る。



「こ、これはっ!? いったい“何”をしたのだカミラっ!?」



 カミラはふわりと笑うと、何も答えずにもう一度。




「『戻れ』そして『戻れ』」



 その刹那、カラミティスがユリシーヌが“本来”の性別に戻る。

 唖然とするガルドと、事態が把握できないユリウスを置いてきぼりに、カミラは続ける。



「ついでよ――――『戻りなさい』」



 そして、東屋に花が開いた。

 そこに戦いがあった事など、焼けて塵となった事など微塵も感じさせないほど元の姿に。

 ――――否、それどころでは無い。



 四季の概念を無視して、全ての花が咲き誇っている。



「まるで、楽園みたいですねカミラ様」



「ちょっとしたサービスって所ね。この光景は園芸部員や庭師達の努力を――――“呼び戻した”モノ。汚した代償にはならないかもしれないけれど、これくらいはしなければね」



「そうですねカミラ様」



 うふふ、えへへと、にこやかに笑いあう主従に、ガルドは必死に疑問を叫ぼうとするが。

 何からつっこんでいいのか分からない。

 然もあらん。



 先程までとは打って変わった、――――穏やかな空気。

 それを壊すように、一人の男が絶望の声を上げる。



「何故だ! 何故だ! 何をした卑しい魔女めええええええええええええええ!」



「カミラ様っ! アイツまだ――――」



「警戒は無用よアメリ」



 カミラはアメリを制すると、四肢をもがれたディジーグリーの場所へ、瞬間的に移動する。



「礼を言うわディジーグリー、盲目なる魔族よ。貴男のお陰で、私はまた一つ知り、強くなったわ――――ありがとう」



「返せ! 返せ! 返せ! 返せえええええええええええええええええええええええええええええええええええ!」



 もはや涙混じりの絶叫が響きわたる。

 その音色は、ただひたすらに――――哀れ。



「残念だけど、相手が悪かったわね。貴男の目論見は全て外れ、引き起こした被害も元に“戻した”わ」



 カミラは怒りを携えて、嘲笑した。

 “戻した”のは東屋や園芸部倉庫だけでは無い、サロンや破壊した傀儡兵でさえも、元通りだ。

 ――――身につけていた衣服等に関しては、タイムパラドックスにより、全く同じモノが増えてしまったが、ご愛敬。



 ともあれ、カミラの言葉に全ての気力を失ったディジーグリーは、呆然と呟く。



「私は、私は…………私はただ…………」



「ご同情申し上げるわ学院長…………」



 今更ながらに到着した騎士達が、ディジーグリーを取り押さえる中、事態の説明をアメリに丸投げし、カミラは思案した。



(このままじゃ駄目。私とユリウスが安心して暮らすには、魔族を放置しておけない)



 全ては魔族という存在を下に見過ぎていた、カミラの落ち度。



(少し…………ゲーム世界だという“ガワ”に、捕らえられていたみたいね)



 彼らもまた、人類種。

 同じく思考誘導されているとはいえ、人間側の“それ”とは違い、魔族は“人類に敵意”を持つように設定されている。

 勇者や聖女といったモノには、特に、だ。 



(嗚呼、煩わしい…………。ユリウスの事だけ考えて生きていたいのに…………)



 魔族への対応を考えあぐねていると、アメリから声がかかる。



「カミラ様ーー! この物騒な光る棒、消してくださーーい! 危なくて運べないそうです!」



「わかったわ、今――――。今、行くわ」



 カミラは“消す”といいかけ取りやめて、ディジーグリーの下へ出向いた。

 一つ、思いついた事があるからだ。



(今回の事で、実力差は判った筈。そして、ガルドの想いもわかったでしょう――――ならば、利用できる。“可能性”という楔を打てるはず)



 慈悲なのか邪悪なのか、判別しにくい目的を持ってカミラはディジーグリーの横に到着する。



「始めに言っておくけど。この雷を消すと、この魔族は死ぬわ」



 真っ赤な嘘である。



「だけどその前に、一つ、人助けをしてもいいかしら?」



「人助け……ですか? 筆頭魔法使い様」



 壮年の騎士の問いに、カミラは柔らかに、しかして悲しそうに頷く。



「この魔族は卑怯にも、学院長を乗っ取っていたばかりか、この体を維持するのに、何処からか浚ってきた赤子を利用しているのです」



「な、なんと卑劣な! ではその赤子を!?」



「ええ、今すぐ助けます。いかに魔族とはいえ見ての通りの深手、助けた後は死んでしまうでしょうが、そこはご了承くださいませ」



「いいえ、筆頭様。魔族などより、我ら同胞の赤子の方が遙かに大事、思うままになさってください」



「ありがとう騎士殿」



 嘘八百を並べながら、カミラはディジーグリーの胸へ手を伸ばした。

 


(私は、殺さない。…………利用価値は生かしてこそよ)



 ガルドや他の者の目を欺く為に、複雑だが特に意味を為さない魔法陣を展開。

 同時に、銀時計にタキオンを込めて策謀開始。



「――――“返り”なさい」



 一秒後の“カミラが雷を遠隔操作で抜いた”分岐未来からディジーグリーを現在に、同時に肉体の固有時間を遡行。

 更に記憶情報――意識を、今の体から赤子へ移行。

 端から見れば、偽装に使った魔法の効果で、赤子を取り出した様に見えるだろう。



「おおっ! おおおおおお! 成功しましたな我らが魔女よ!」



「ま、ざっとこんな所ね」



 実の所、平行世界に数多いる時間移動能力者の中でも、類を見ない程の離れ業、奇跡とでも呼ぶべき手腕だったが。

 知らない故に、誇ることなく立ち上がる。



「さ、騎士殿。この魔族は辛うじて息があるみたいですわ。早急に移送する事をおすすめします」



「は、感謝いたします! 皆の者、今すぐ取りかかるぞ!」



「はっ! 直ちに作業開始します!」



 抜け殻となったディジーグリー(大)の移送風景を見ながら、カミラはディジーグリー(小)に“念話”で話す。

 万が一も考えて、時間の早さを遅くする念の入れようだ。



(感謝するのねディジーグリー。これで体を調べられても何も出てこない、貴男は生きていられて嬉しいでしょう)



(ぐぬぅ! 何をし――――あっ、いえ。何をなされたのですか女王陛下)



(ふふっ、聡い子は好きよディジー坊や)



 本能的に“女王”と呼んだディジーグリーに、カミラは朗らかに嗤う。



(気が変わったわ、貴方達“魔族”の“長”として君臨してあげる。――――今回の生存は、その“証”だとおもいなさい)



(ありがたく存じ上げます。で、ですが陛下…………)



 言い澱んだディジーグリーに、カミラは然もありなんと頷く。



(ええ、解るわ。ガルドの事でしょう)



(…………ご慧眼、忝く)



(これは強制では無いわ。今更ですものね…………だから、選択肢を与えます)



(ガルド様か、女王陛下か、ですな)



(ふふっ、よく考えなさい。軛からの解放か、今まで通りの“平穏”か。――――来る時に、また答えは聞くわ)



 会話が終わった途端、時間の流れが元に戻る。

 尤も、それを感知しえたのは当のカミラだけだったが。



「ふふっ、ふふふ――――」



「…………悪い顔してますよ、カミラ様。今度は何を思いついたんですか? よちよち、可愛い子ですねぇ。親は誰なんでしょう」



 カミラの腕の中のディジー坊やに、そうとも知らずアメリは頬をつっつく。



「あら、解らないのね」



「知っているんですか? カミラ様――――」



「カッカッカッカッカ、カミラ!? その赤子は真逆、いやそんな、現実にありえる筈が、いや余の目に間違いなど――――」



 慌てふためきやってきて、錯乱状態のガルドにカミラは赤子を手渡す。

 流石元魔王、この赤子の正体が解った様だ。



「ふふっ、大切になさってねガルド。――――貴男とセーラの子よ」



「はいっ!? 何時の間にアタシ産んだの!? 真逆アタシは――――聖女!」



 同じく駆け寄ってきたセーラは、がびーんと驚きながら、赤子の抱き方に苦戦するガルドを手助け。

 その様子に苦笑しながら、最後に到着したユリウスは疲れた様に言う。



「いや、お前は元から聖女だろう、何を言ってるんだ…………」



「あらユリウス、体の調子はどう? アメリのついでと言っては何だけど、私達の体も一緒に“戻した”のよっ!」



 胸を張るカミラに、事態を把握したユリウスは何とも言えない顔をした。



「…………もう、お前が何をしたって驚かないぞ馬鹿女」



「いやん、そんなに褒めなくても…………」



「褒めてません、褒めてませんよカミラ様!」



 ったくもう、と苦笑するユリウスに、艶めかしく腕を絡ませるカミラ。

 いつもの光景に密かに喜ぶアメリは、それはそれとして告げ口。



「あ、知ってますかユリウス様! カミラ様ったら、また何か企んでるご様子なんですよぅ!」



「企んでるとは人聞きの悪い、ユリウスへの“愛”! 愛の発露よ、ただの!」



「頼むから、穏便にな、穏便に。…………はぁ、また殿下と陛下に説明に行かなければ…………」



「迷惑をかけるわ、ユリウス――――ちゅっ」



「――――ッ!? カミラが自分からキスを!?」



「頬にキスくらい、何度もしてるじゃないっ!」



 ぷくーっとむくれるカミラに、ユリウスは冗談だと笑い、優しく抱きしめる。



「許してくれよ、俺のカミラ…………」



「んもう、ユリウスたらぁ…………」



「いちゃつくなら、帰ってからにしませんかねぇ……」



 砂糖を吐きそうな顔で嘆くアメリに、カミラはもっと側に来るように手招き。



「そうそう。“これ”を渡しておくわアメリ」



「これは、あの魔族が持っていた秘宝とやらか?」



「ええ、完全に私のモノにしたし。万が一の為に、ね。アメリ、貴女に持っていて欲しいの…………」



 差し出された懐中時計に、アメリの目が一瞬潤んだ。

 カミラの真意が解ったからだ。



「――――はい、カミラ様。わたし、アメリ・アキシアは、カミラ様のもう一つの“鎖”となります」



「ええ。“お願い”するわ、私のアメリ…………」



 確かな言葉など、今の主従には必要なかった。



 未来永劫、確かな信頼と親愛を持って、カミラはアメリを従え。



 アメリもまた、“忠”を尽くす。



 今日、垣間見たカミラも過去も、いずれユリウスに話す時が来るかもしれないが今は――――二人だけの秘密。



 二人の醸し出す雰囲気に、ユリウスが微かな疎外感と可愛らしい嫉妬を覚えていると。

 空気を読まずに、割り込む女が一人。



「なーに恋人放ってストロベリってんのアンタら? やっぱそっち系の趣味でもあんの? それよりコッチ手伝いなさいよ! アタシ、赤ちゃんの世話の仕方なんてしらないんだからね!」



「す、すまぬ。余を助けてくれ皆!」



 セーラは兎も角、ガルドの言葉に目を合わせた三人は、手早く行動を開始する。



「――――残念ね、セーラ」



「もう少し空気読んでくださいよ、それでも聖女ですか?」



 セーラの両腕を、カミラとアメリは溜息と共にガシっと掴む。



「あれ? え? 何で両腕掴むのよアンタら?」



「ガルド、取り敢えず俺で我慢しろ。――――もう少し反省しろ、な? セーラ」



 冷や汗だらだらと、態とらしく首を傾げるセーラを置いて、ユリウスはガルドと赤子の下へ。

 カミラとアメリは殊更に微笑んで。ズルズルと寄宿舎へセーラを引きずり始める。



「そもそも、今回の騒ぎの発端は――――」



「いったい誰だと思っているんですかねぇ…………」



「えっとそれは、……えへへへ? っていうかカミラ、アンタも同罪――――あ、いえ、何でもないです、はい!」



 その後、寄宿舎にて数時間に渡り、セーラの叫びが辺り一面に響きわたったのであった――――。





 全てが表面上、丸く収まった筈の次の日の休日。

 カミラはユリウスの部屋に招待されていた。

 わくわくドキドキ、彼氏のお部屋訪問である。

 だというのに――――。


(意外と質素…………って、引っ越したばかりだし、男に戻ってから日も浅いし、こんなモノよね。それより…………はぁ)



 そりゃあ、溜息だって出るものである。

 カミラとしては、表に出さなかっただけ褒めて欲しい所だ。



(絶対、絶ぇーー対っ! これは色々問いつめられる流れだわっ! 私には分かるっ!)



 正直な話、ガルドがアレやコレ。

 忌まわしき“世界樹”や“新人類”などの事。

 それら全てを話したくない、第一にカミラが“魔王”に至った詳細さえ、禄に話していないのだ。



(話さなきゃいけないわよね…………話すべきよね…………でも、でも…………)



 切っ掛けはガルドとセーラだったとはいえ、元を正せばカミラが起こした“変革”――――“原作改変”が原因だ。

 カミラの心は、軽やかかつ鈍重だ。



「どうしたカミラ? そんなにきょろきょろと目を泳がして。部屋の間取りなんて殆ど同じだろう?」



「へあっ!? あ、ああっ! そうね、うふふっ。うふふふふふ…………」



 入り口の側で固まったままのカミラに、ユリウスは別段、不機嫌な様子もなく手招きする。



(ううっ! しまった。上擦った声をだしてしまったわ…………、怪しんだわよね、怪しまれたわよね)



 カミラは内心の動揺をひた隠しにして、勇気を出して奥へ進む。

 とはいえそこは学生寮、数歩進めば机とベッドだ。



「すまないな、まだ家具は買い揃えてないんだ。取り敢えず机の椅子かベッドにでも座ってくれ」



「ええ、わかったわ」



 椅子とベッドなら、ユリウスの体臭の染み着いている(推定)ベッドだと、躊躇の欠片も無くベッドに座るカミラ。

 いざとなれば、まだ昼だが夜の戦いに持ち込んで誤魔化す所存である。

 ――――補足すると、男性経験は皆無であったが。



「ああ、そうだ。何か飲み物いるか?」



「それは大丈夫よ、欲しくなったら言うわ」



「わかった」



 なら俺もいいか、とベッド脇の備え付け冷蔵庫に手を伸ばしていたユリウスは、手を引っ込めポスンとそのままカミラの隣に座る。



「ユ、ユリウス!?」

(え、ええっ!? まだ私色々と心の準備が――――)



 瞬間湯沸かし器の如く、一瞬で脳内を沸騰させたカミラは、顔を真っ赤にしてカチンコチンになる。

 これはもしかして――――ラブいちゃタイム!?



「ん? どうしたカミラ。そんなに顔を真っ赤にして、熱でもあるのか?」



「ね、熱なんてないわよ。貴男といきなり距離が近くなったから、その、ちょっと、恥ずかしい、だけよ…………」



 少しどもりながら、右へ左へ視線を泳がし縮こまるカミラの姿に、ユリウスは心に芽生えた嗜虐心のまま行動する。

 考えてもみて欲しい。

 普段、気の強い美人が、二人っきりになると頬を染めて恥ずかしがる。

 相手が愛する者だったら尚更――――“愉しい”。



(お前のこういう所は、計算じゃなく“素”だってわかってるんだ。――――少しくらい“お返し”したっていいよな?)



 意外と“ウブ”なカミラが聞いたら、恥ずかしさで逃げ出したくなる様な思考で、ユリウスはカミラの額に手を当てる。



「それは嬉しいが、本当に大丈夫か? この所、色々あったからな。どれ熱を――――」



「はうぅ~~」



 カミラは額に当たる手の感触に悶え、顔が近く長い睫と瞳にうっとりし。

 さりげなく、肩を抱きしめられている事実に身悶えした。

 片思い実質千年以上の耳年増ヘタレは伊達では無い。



「ふむ。熱があるかもしれないな――――それッ」



「ひやっ!? ゆ、ゆりうすぅ!? ここっこっここここ――――っ!?」



「ほれ、暴れるな馬鹿女」



「だって、だって、だって、いいいいい、いきなりぃ…………」



 がばっと抱きすくめられながら、ベッドに倒されて、カミラのメンタルポイントはもう零に近い。

 羞恥が本能を上回り、理性が逃亡を阻止し、板挟みで失神するまで後少し。

 だが、次の一言がカミラを正気に戻した。



「恋人なんだから少しは慣れろ。まぁ、幸いにして今日は何も予定が無い事だし。こうしてノンビリ過ごさないか? ガルドが来てから、そんな時間なかっただろう――――」



「ユリ、ウス…………」



 抱きしめられてるから、身長差があるから、顔を見られなくてよかった、とカミラは思った。



(だって、だって。こんな顔、見せられないわ…………)



 カミラはユリウスに隠し事をしている。

 伝えていない事、言っていない事。

 恋人だからこそ、明かさなければならない事が沢山あるというのに。

 ――――何一つ、大切な事を言っていない。



(ごめんなさい、ごめんなさい)



 唇を一度噛みしめ、声が震えないように一言。



「ありがとう、ユリウス」



「変な奴だ。何に礼を言われてるか解らないな」



 ユリウスは、カミラの心の全てが解らずとも、“秘密”が多くある事も、それを抱え込んでいる事で思い悩んでいる事も解っていた。

 今、辛そうな顔をしている事も――――。



「お前の体温は暖かいな…………」



「…………馬鹿」



 だからこそ、何も聞かなかった。

 問いただせば答えただろう、命令せずとも答えただろう。

 悲しい顔、辛い顔をして、涙を流して答えただろう。

 だからこそ――――、駄目なのだ。



「何でお前は、こんなに良い匂いがするんだろうな」



「貴男こそ、良い匂いがするわ」



 ユリウスはカミラを片手で柔らかく、それでいて強く抱きしめ、もう片方で薄青の長い髪を弄ぶ。

 光の加減で透明にも見えるカミラの髪は、儚く壊れてしまいそうな繊細さで、ユリウスの心を締め付けた。



 日が傾く前の落ち着いた光の中、ベッドの中で二人はただ無言。

 それは恋人同士のゆったりとした空気であり、同時に、ある種の物悲しさを孕んでいた。



(嗚呼、嗚呼、嗚呼…………こんなに近くにいるのに、貴男が遠い、遠いのよ…………)



 全て話してしまえば、楽になるのだろうか。

 何の蟠りも無く、幸せに浸っていられるのであろうか。

 カミラは声の震えも押さえる事が出来ずに、衝動的に問いかける。




「ねぇ、聞かないの?」




「聞かないさ」




 帰ってきた言葉は、簡素で明瞭だった。

 無性に叫びだしたいのを堪え、代わりにユリウスの制服をぎゅっとつかみカミラは更に言葉を求める。



「どうしてよ……。気になっているのでしょう? 命令して聞き出しても当然なのに」



 ユリウスには、そうして欲しいという風に聞こえた。

 そしてそれは正しかった。

 故に、ユリウスの紡ぐべき言の葉は決まっている。



「俺は、お前の心を無理矢理暴きたくない。もし、その事が死に至る道標だったとしても。――――その時は、一緒に死んでやるさ」



 勿論、足掻けるだけ足掻くけどな、とユリウスは続ける。

 そして。



「きっと、それが俺に、お前の恋人として、伴侶として出来る唯一の事だ」



 そこに、カミラは“光”を見た。

 長い間、本当に長い間、望んでいた言葉だった。

 なのに、なのに何故――――。




(嗚呼、嗚呼、嗚呼、嗚呼、嗚呼――――嬉しいのに、嬉しいのに、嬉しいのに何で、何でこんなに)




 こんなに、胸が痛むのだろう。

 こんなに、息苦しいのだろう。



(何故こんなにも私は)




 ユリウスに、――――“羨望”を覚えているのだろう。




(嗚呼、貴男は何時も、何時だってそうだった)




 眩い程の“光”を見せて、カミラを惹きつける。

 幾度と無い繰り返しの中、その“光”を渇望していた。

 もし手に入ったら、大事にしようと思っていた。

 けれど、けれど。



(嗚呼、嗚呼。私は、私は…………)



 ユリウスを。



 ユリウスを。



 ユリウスを、――――汚したい。



 このまま手足を切り取って、動けなくしても、同じ言葉を囁いてくれるだろうか。



 以前やってしまった様に、周囲の人物を、ユリウスの大切な人々を目のまで残酷に殺しても、まだ愛おしく思ってくれるだろうか。



 カミラの巨大すぎる“愛”が、黒く、黒く濁り始める。



(出来ないわ、出来ないわよそんなの――――)



 それだけは駄目だ、二度とやってはいけない過ちだった。

 思うことすら罪だった。



(ユリウス、ユリウス、ユリウス)



 激しすぎる“愛”故に、カミラの心は千千に千切れそうであった。



 愛おしいから、愛しているから“壊したい”。

 愛おしいから、愛しているから“守りたい”。



 カミラは大粒の涙を流しながら、のそりと身を起こし、馬乗りの体制になった。



「どうしたカミ――――」



 そして、ユリウスが疑問の声を上げる前に、勢いよく肩に噛みつく。



「痛ッ! ちょッ!? カミラッ!? お前何して――――」



「ううう、ぐうううぅ~~~っ!」



 まるで獣の様に、唸りながらカミラは噛みつく。

 肩だけではない。

 腕や手、首筋、脚などは言わずもがな、お腹まで噛みつこうとした所で、ユリウスによって取り押さえられる。



「この馬鹿女ッ!? 勝手にとち狂って泣いているんじゃないッ! ――――ああもうッ! だから噛むんじゃない変態オンナ!」



「がるるるるる――――っ!?」



 激情、衝動のままにベルトにまで手を延ばしたカミラを、ユリウスは半ギレになりながらその両手首を、手の痕が付く強さで掴み、攻守逆転。

 ついでの様に上下まで逆転し、そして――――。



 ちゅううううううううう。



「ひいいいいっ!? アアンっ! ユリウス!?」



「――――こういう風に、せめてキスマークにしろ馬鹿カミラ」



 勢いよく頭を下ろしたユリウスに、カミラはすわ頭突きかと身構えた。

 だが、結果はなんだ。

 お返しとばかりに、首筋への熱烈な口付け。



「ききききききききっ! いいいいいいい、今何っ、何して――――きゃうん!?」



「――――ふん、もっとだ」



 確実に痕が残る程のキスに、ゾクソクした快楽すら覚えてしまったカミラは。

 黒と白でわやくちゃになった心など、あっという間にドピンクに染めて、羞恥と向けられた愛情に翻弄されるばかりだ。



「やっ、…………そんな、耳は敏感なの…………」



「んっ、――はぁ、甘いなお前の肌は」



「だめぇ、痕がついたら皆にバレちゃう…………」



「もう、遅い――――」



 端から見れば、夫婦の契りすら交わしていない清らかな男女が。

 そんな高度なプレイをする前にもっと他に、と小一時間叱りたくなる有様。

 二人から漏れ出る熱情は、本能に染まりきって、何とは言わないが、行き着くところまで、とうとう行くのではないか。

 その瞬間――――。




「おハローうううううううう、マイディアブラザー! 今日はお前にビッグニュースを――――びっぐなにゅーすを? …………随分と激しい“まぐわい”をするんだなお前達」



 ノックもせずに乱入したユリウスの兄、エドガーは思わずトランペットを落として真顔になる。

 悪意はなかったとはいえ、肉親の獣の様な情交(未遂)を目の当たりにしてしまったのだ。

 然もあらん。



「――――はぅあッ!? に、兄さんッ!?」



「ゆ、ユリウス!? 服! 服ただして!」



「お前こそ、早くッ!」



 乱れた服を直そうとする二人は、慌てる余りお互いの服を直そうとして難航。

 エドガーは気まずそうに、くるりと後ろを向く。

 割と破天荒な彼だが、紳士なのだ。



「…………あー。何かすまない。三時間ほど後にするな」



「生々しい事を言わないでくれッ!? 少しの間、後ろを向いてるだけでいいッ!」



「はうぅ」



「もう向いてるさ。――――兄はなくとも弟は育つ、という事か……俺も、老いたな」



「アンタ、俺と三つしか変わらないだろうッ!?」



「…………うう、手を動かしてユリウス」



 恥ずかしさと混乱で、エドガーに怒鳴るユリウスに注意しながら、カミラは手早く衣服の乱れを戻す。

 そして、ワンテンポ遅れてユリウスも、制服を整えた。



「――――もう、こっち向いてもいいぞ兄さん」



「そ、それで。何のご用なんです義兄様?」



 恐る恐る振り向いたエドガーに、カミラは興奮冷めやらぬ真っ赤な顔で問う。



「いや、本当にすまない。これからは――――」



「それはいいからッ! 何用なんだ兄さんッ!」



 同じく顔を赤に染めて叫ぶユリウスに、エドガーはニヤニヤしながら、ごほんと一つ咳払い。



「ユリウス、お前さ。親父達に婚約の事、報告してないだろう? そこな新しい義妹殿を連れて、一度戻って来いって」



「――――ご両親への挨拶!」



「しまった…………忘れていた…………」



 ぐぐっと拳を握り、テンションマックスなカミラ。

 そうだった、と項垂れるユリウス。

 つまりは、そういう事になった。





「ねぇ、カミラ様ぁ…………。もうそろそろ寝ましょうよ。次の日の二時になっちゃてますよ、二時にぃ~~!」



「後少しだけ、後少しだけでいいから付き合ってアメリ、後生だから――――あ、やっぱりこっちのドレスの方がいいかしら?」



 カミラは、髪色に合わせた水色のドレスと、お気に入りの赤色のドレスをそれぞれ手に持ち、半ば独り言の様に問いかけた。

 明日――――既に今日であるが、ユリウスの実家に挨拶に行く日である。

 婚約の挨拶に行くのだ、ドレスチョイスは万全を期さないといけない。



「もー。そんなに迷うんだったら、朝起きてからユリウス様に選んでもらえばいいじゃないですかぁ…………」



「それよ! 名案だわ流石アメリ! 今すぐ――――」



「――――朝って言いましたよねこの色ボケ様!」



 アメリとしても、カミラの気持ちは痛いほど解る。

 解るが、既に寝ても差し障りの出る時間だ。

 ぶっちゃけ超眠い。



「うぎゃっ! わかった、わかったから離しなさいなアメリ…………」



 扉へ向かうカミラの首根っこを掴むと、アメリはドスの効いた声で囁いた。

 夜中なので叫ばない、従者としての心遣いである。



「いや、マジで怒りますよカミラ様。わたしの安眠を妨害しようなど、万死に値しますよ?」



「あれっ!? 私への忠誠とか愛とか何処へ行ったの!?」



「残念ながらそれらは、明日の起床時間まで寝てますよ…………」



「寝てるの!? 本体を差し置いて寝てるの!?」



 深夜のテンション疲れと、眠気で動きの鈍いカミラを、アメリは手早くベッドに戻す。

 元より、寝間着なのが幸いである。



「はいはい、わたしの敬意が眠らない内に寝ましょうねカミラ様」



「…………しょうがないわね」



 もっと渋るかと思われたが、案外あっさりと羽毛布団を被ったカミラに、アメリは安堵した。

 これで漸く、眠れるというものである。



「では灯りを――――ぽちっとな。おやすみなさいカミラ様」



「ええ、良い夢を。おやすみなさいアメリ」



 明かりが消えた暗闇の室内でも、馴れたもの。

 アメリは迷うこと、躓く事なく自分のベッドに入り――――。




『こちらシーダ704。繰り返すわ、こちらシーダ704。貴女に伝える事があります』




「カミラ様! ふざけてないで寝てくださいよっ!」



「ち、違うわよアメリっ!? これ私じゃな――――って私!?」



「ほらやっぱり…………って、ええっ!? 何ですコレ!?」



 前触れもなく室内中央に映し出された立体映像に、寝付き始めの主従はそろって飛び起きた。

 いったい何が起こっているのだろうか。



「え、これ私? それにしては――――」



「――――ガルド様が見せたあの映像に似てますね」



 何か違う点を上げるとすれば、アメリの枕元にある“銀の懐中時計”から投影されている事。

 そして。



「…………未来の、私? いえ、でもシーダ704?」



「確かに成長したカミラ様っぽいですが、…………何か太っていません?」



 薄暗い映像と、シーダ704と名乗る女性の格好が黒一色なので判りにくいが、確かに腹部が膨らんでいる。



『あら、この映像では分かり難いかしら? 太ったんじゃなくて――――妊娠、してるのよ』



 幸せそうに、しかし何処か陰のある切なそうな笑顔に、カミラは素直に喜べなかった。

 いったい、何がどうなっているのであろうか。



『これは直接通信だけど“世界分岐”が急速に観測されてる中では、そう長くは続かないわ』



「――――なるほど、手短にいきましょう」



 シーダ704の言葉を、カミラは理解した。

 目の前に写るカミラは、これから先の“辿り着いて”はいけない未来の姿だ。

 細かい理屈はさておき、過去と未来の分岐が著しいパラレルワールドでは、通信が制限される。

 或いは、出来なくなるという事だろう。



『ええそうよ私、概ねその理解で正しいわ』



「え? え? 置いてきぼりですかわたし!?」



『――――なるほど、やはり“それ”が原因なのね』



 話が飲み込めず不満そうなアメリの姿に、シーダ704は懐かし気な視線を向けた。

 正直、その様子には不安しか感じない。

 カミラは苛立ちを隠さずに、必要な事を問う。



「何に納得したか、理解したくないけど。――――何故シーダと名乗っているの? 未来の私は改名でもした?」



『これは私“達”の敗北の証よ。“夏への扉”にたどり着けなかった者が、過去に向けて名乗る名前』



「“夏の扉”? まぁいいわ、故に――――シーダ。意味はカミラダッシュ。704という番号は、前任が703人目だったからね」



『ええ、私相手だと理解が早くていいわ』



 カミラは唇を噛んだ。

 それはつまり、703回もカミラは“何か”しらの失敗で、“幸せ”を掴んでいないという事だ。



「それで、回避すべき“失敗”は?」



 シーダ704はムクれるアメリを一別すると、悲哀を携えた瞳で言った。




『――――私は“ピート”を喪ってしまった』




「“ピート”を?」



「ピートって人、カミラ様の周りにいましたっけ?」



 首を傾げるアメリに、カミラは戦慄した。

 “ピート”とは“夏の扉”に出てくる主人公の愛すべき相棒。

 カミラの関係に重ねると即ち――――アメリ。



「――――何があったの? 私」



『それを答える前に――――私は“何時”“時計”』

を手に入れたのかしら?』



「ディジーグリーがアメリを乗っ取り、襲撃して来た時よ」



 その言葉を効いたシーダ704は、目を見開いて硬直し、何かをぶつぶつ呟く。



『おかしいわ。思ったより早く“ズレ”ている……、いえ、そもそもこちらでは。送り込んだ時間の影響? ――――これは真逆、イケるのかしら?』



「それで、答えを教えてくださらない? 私」



『いえ。恐らくだけど――――そちらの“ピート”は守られたわ。多分だけど“人魔大戦”も起きないでしょうね』



「え、シーダ様何て言いました? 何か凄い不吉なワードがあった気がするんですけど!?」



「いや、本当に何があったのよ私!?」



 カミラとアメリの叫びに、シーダ704は羨ましそうに目を細めた後、それらを無視して続ける。



『そうそうシーダ481が仕込んだ先代魔王型世界樹制御端末はちゃんと起きた? 私の時は魔王になったときの暴走影響で消滅しちゃって、どんな影響を及ぼすか解らなかったんだけど』



「ガルドの事? え、そっちはガルド居ないの? というか、私の仕込みな訳!?」



 さらっと明かされた事実に、カミラとて驚きを隠せない。

 だがシーダ704は涙を浮かべて、更に続けた。



『嗚呼、嗚呼…………。“夏への扉”は近いのね…………ええ、これなら条件は後“一つ”よ』



「一つ? 無理難題じゃないでしょうね私」



『残念ながら、無理難題よ私。――――“愛”が足りないわ、足りなかったのよ私』



 妊娠し、大きくなった腹部を愛おしそうに撫でながらシーダ704は言った。



『心しなさい私。ある意味最大の敵は――――“ユリウス”よっ!』



「意味が解らないわ私っ!?」



『周囲の人々を大事にして、そしてもっとユリウスを愛して、愛されなさい。それが“私達”704人の結論よ――――頑張ってね』



 そう言った直後、映像にザザザっとノイズが走り、映像が乱れ始める。



『ああ、もう時間のようね。では私、貴女が新たな“シーダ”と成らない事を、近くて遠い世界から祈っているわ』



「ちょっと待ってっ!? まだ聞きたいことが――――」



 思わずカミラが手を伸ばした瞬間、映像の中からシーダ704以外の声が聞こえた。



『ママーー! たいせつなおはなし、おわった?』



『こら■■■■■! ちゃんとノックして入りなさいッ!』



『はーい、ごめんなさいパパ、ママ』



『うむ、よろしい。――――さて、そろそろ夕食だぞカミラ』



『はい、アナタ。今行くわ――――ではね、過去の私』



 そしてブツンと映像が消え、後には元の暗闇が。



「えええええええっ! み、見ましたかカミラ様!? 未来のカミラ様は既に一人の子持ちで、更に妊娠!? 二児の親!?」



「ゆ、ユリウス様の声だったわよね、ね、ね、ね!?」



「はい、顔までは見えませんでしたけど、はっきりと! あれはユリウス様の声でしたよっ!」



 平行未来世界の自分の状況に、興奮覚めやらぬ二人。

 だが、それ故に疑問が残る。




「結婚して子供までいるのに、まだ“愛”が足りないってどういう事よおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!?」




 この後、何度も試したが銀時計がシーダ704と繋がる事無く。

 結局カミラとアメリは、朝食の席に降りてこない事を不振に思ったユリウスが部屋にくるまで、寝坊していたのだった。





 ――――車中は、異様な雰囲気に包まれていた。



(何故、こうなっているんだ…………ッ!?)



 ユリウスは頭を抱えそうになった。

 もはや流行を通り越してスタンダートとなった魔道馬車の中、客室に乗るのは三人。

 即ち、カミラとユリウスとアメリ。



(そこまではいい。アメリがメイド姿なのは、カミラのお付きとして来ているから良しとしよう。一緒にこの場にいるのも何ら問題は無い。無いが――――)



 妙に緊迫した雰囲気のなか、ユリウスはごくりと唾を嚥下し、隣に座るカミラをやんわりと引き剥がす。



「どうしたんだカミラ? 積極的なのは嬉しいが、今はそんな場では無いだろう。それに、アメリだって見て…………なんだそれ?」



「やん、いけずぅ…………」



「あ、お気になさらず。これは只の“びでお”なるモノですから!」



 ベリッと引き剥がした直後に再度くっつくカミラに、不穏な事を言って凝視したままのアメリ。



「いやいやいやッ!? 確か聞いたことがあるぞ! その“びでお”とやらは映像を記録する魔道具じゃなかったかッ!?」



「ええ、新型試作品のテストを頼まれまして。で、ですね。せっかくですから。今回のご訪問を記録に残しておこうかと」



「という訳よ。気にしないでいいわ」



「気にしない訳にはいかないだろうがッ! だいたいお前ッ! 今何しようとしてた!?」



 纏わりつくカミラの手をピシピシ叩き落としながら、ユリウスは叫ぶ。

 カミラも負けじと手を伸ばす回数を増やしながら言った。



「私達――――“愛”が足りないとおもうのっ! 具体的には赤ちゃんとか!」



「てめッ!? 事あるごとに散々恥ずかしがって逃げた癖に、今更それかッ!? というかアメリが撮影しているのに出来るわけが無いだろうッ! 時と場合と場所を考えろ馬鹿オンナ――――ッ!」



 そうユリウスが一際大きな声を出すと、カミラは肩を震わせ、しゅんと顔を俯かせる。



「嗚呼、嗚呼、嗚呼、そ、そんな…………私はただ……、馬鹿だけど世界一美しい女神の様な女だなんて…………」



「くぅ~~、おいたわしやカミラ様! ユリウス様残酷ですよっ!」



「何処に突っ込んでいいか解らないし、女神とは一言も言ってないぞ大馬鹿アホ女共ッ!」



 ギャースとなお延びるカミラの腕を払いのけ、ユリウスはげっそりした顔をする。

 いつも通りといえばいつも通りだが、いったい何があったというのか。



(コイツは案外ウブな事は既に解っている、今回だってこっちが本気で迫ればヘタレるだろうが、万が一いや億が一という事も。――――兎も角。前触れも無しにこんな事をし出したという事は、何か禄でも無い事を考えているに違いない!)



 カミラへの熱烈過ぎる信頼を元に、ほぼ正確に答えを導き出したユリウスは密かに産みだして置いた“対カミラ用戦術マニュアル”を実行する――――!



「なぁ、カミラ…………」



「きゃっ、あ……。ユリウス…………」



 ユリウスは殊更に甘い声を出し、カミラのその白く柔らかな頬に手を添え、視線を合わせる。

 カミラは恥ずかしそうに、そして嬉しそうに頬を朱に染め瞼を伏せるが、騙されてはいけない。

 きっと、半分は演技に違いないとユリウスは確信した。



(ええ、ええ。ユリウスならばそう“考える”筈。そしてそれは間違っていない――――)



 カミラの態度の、“半分”は確かに演技だ。

 読まれる事を前提とした、“本気”の演技。

 ――――そして、残りの“半分”は。



「ユリウス様、私思ったのです…………」



 カミラは頬に添えられるユリウスの手を、そっと両手で包み、ある意味真摯に語る。



「何だ、言ってみろ」



「――――もっと、私に“鎖”をつけてみませんか? 婚約、結婚という形だけで無く。ここに、貴男という“男”の“女”だという証を、確かに刻んでみませんか?」



 まるで聖慈母の様に微笑んで、カミラはユリウスの手を自身の腹部に誘導する。

 そして、耳元で囁いた。



「想像してみて、私と貴男の愛おしい結晶で、貴男の側だけに居る私を――――」



 熱い吐息、途端むせかえるような甘美な匂い。

 数ヶ月前だったら、たまらず押し倒していたかもしれない。

 だが――――ユリウスだって、カミラへの理解を深めている。



「…………成る程。それは大変魅力的なお誘いだ、愛しい人よ。だが」



「だが? 今更、私達の間に何か問題はありまして?」



 こんどは胸まで押しつけて、官能を誘うカミラにユリウスは確信する。



「すまない。――――不安にさせていたかカミラ、相変わらず変な所で自信の無い女だな」



「…………嗚呼、バレていましたか愛おしい人」



「バレているとも」



 そこでユリウスはカミラから体を離し、ふわりと安心させるように微笑み――――両手を拳にして美しい顔のこめかみに。



「あ、あれ? ユリウス? 何故こんな事――――」



 焦るカミラに、ユリウスは額に青筋を浮かべ、拳に力を込める。



「バレてるんだよバカミラあああああああああああああああああああああああ!」



「あだだだだだだっ!? ユ、ユリウスちょっとギブギブギブーーーー!」



 ぐりぐりとカミラのこめかみにダメージを与えながらユリウスは続ける。



「何が愛の結晶だぁッ!? お前の事だからなし崩しで襲わせて、アメリにその行為を撮影させて、死ぬまで主導権を握ろうって腹だろうがッ――――!」



「おお~~、流石ユリウス様。わたしも何も知らされてませんが、大方その通りでしょうねぇ」



「気づいていたなら、お前も止めろよッ! 何ボケっと撮影してるんだよッ!」



「いやはや、わたしはカミラ様の味方ですから。そんな不利になるような事なんて、とてもとても――――うぎゃっ!」



 ケラケラと笑うアメリに、ユリウスはデコピンで制裁した後、むっつりと腕を組む。

 なんでこんな女、好きになってしまったんだろうか。

 こういう破天荒な行為さえも、好ましく感じるのは、やはり人として手遅れなのだろうか、と。

 ――――端から見ても、どう考えても手遅れなのだが。



 ともあれ。

 解放されたカミラは、痛みに呻きながら不可解だと漏らす。



「くっ…………。そんな、まだ“童貞”の内なら私の魅力で押し切れる筈なのに…………!」



「童貞だからだ糞馬鹿女! さんざん“お預け”されているんだ。いい加減馴れてもくるッ!」



「残念でもないし、当然ですねぇカミラ様。というか“まだ”なんですねヘタレ」



「貴女はどっちの味方よアメリっ!?」



「勿論、カミラ様に決まっているじゃないですか~~」



「いい相棒を持ったなカミラ…………」



「今優しくしないでよユリウスっ!?」



 ぽんと肩に手を置くユリウスに、カミラは怒鳴る。

 だがユリウスは気にせずに、今度はカミラの左手を取った。



「こんな所でとは思わなかったし、まだ早いとも思っていたが――――受け取れ、拒否権は無いぞ」



「へ? 何を――――」



 きょとんと首を傾げたカミラは、次の瞬間、破顔し涙した。





「ユリウス…………、これ、これって――――」





 何でこんな時にとか、もっと相応しい場所がとか。

 様々な想いが溢れたが、何よりその“左手の薬指”の感触の前に、全て、全てが吹き飛んだ。




「実母がカイス王弟殿下……“父”から、頂いたものだそうだ。お前が持つに相応しい――――」




「ユリウス、ゆりうすうううううう…………」




 まるで幼子の様に滂沱の涙を流すカミラへ、照れくさそうにユリウスは言った。



「俺達の子供とか、そういうのは後々ゆっくり話し合おう。不安かもしれないが今は“それ”で満足して欲しい」



「…………ひっく、えぐえぐ。そ、そんな満足だなんて。私は、私は。今、世界一幸せな女の子だわ」



「おめでとうございます! カミラ様ぁ~~~~!」



 アメリまでもらい泣きし、幸福が満ちあふれる車内の中、ユリウスはカミラを強く抱きしめる。

 これが、この温もりこそが。

 ずっと望んでいた幸せなのだろう、と。

 だが、だが、だが――――これはいったい何事だろうか?



「…………その、何だ? カミラ? お前、光っているが、どうかしたのか?」



「――――はぁっ!? こ、これは真逆! 今すぐ馬車を降りてカミラ様から離れてくださいユリウス様っ!」



「え、え? いきなり何よっ!? ――――って、何か光ってるううううううううううううう!? はわわわわわわわっ!? これ! これヤバい奴だわっ!」



 カミラの様子に慌てふためくアメリと、顔面真っ青のカミラにユリウスは付いていけない。



「ああ、もうダメっ! 嬉しさのあまり魔力が暴発するぅ~~~~!」



「そういう事は早く言え馬鹿、間に合わない――――」



「カミラ様の馬鹿あああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」



 そして、ピンク色でハートの爆発が馬車の中から起こり。

 ユリウスの実家への到着は、数時間遅れたのであった。





 ユリウスの実家、エインズワース領は王都から近くて遠い。

 というのも地図で言えば隣だが、そも今の王国領土=世界全土。

 より詳しくいえば、世界大戦の影響で全ての大陸が合体した、“リ・パンゲア”とでも呼ぶべき代物だからだ。



 故に、自動車並の速度がでる魔道馬車でも、数日はかかる。

 余談だが、カミラの実家、セレンディア領地にはその倍以上の時間を有する。



 ともあれ、エインズワース領の領主屋敷まで、領内に入ってから更に数日がかりでたどり着き。

 今。

 カミラ達は屋敷の応接間にて、ユリウス一家と対面していた。

 なお、残念ながらエドガーは今回不参加である。

 新任教師は忙しいのだ。



(これが、ユリウスの家族ね…………)



 カミラはユリウスと隣同士でソファーに座り、テーブルを挟んだ向こう側の家族を、それとなく観察する。



(事前に調べさせて置いたから、ご両親と妹さんの顔は一致するわ。けれど、後ろのメイド姿の美少女――――いやこれ美少年だわ。え、誰?)



 ここに同席しているなら、家族の信の厚い者だろう。

 しかし、カミラとて貴族令嬢。

 不躾に質問するなど、礼儀に適っていない。



(まぁ、いいわ。それより問題なのは――――)



 ユリウスとそのご家族、特に父であるアーネスト・エインズワースとの間に、重苦しい空気が流れている事だ。

 自己紹介すら、まだだが。

 これには、ご母堂イヴリンと妹御アイリーンも、カミラと同様に固唾を飲んで見守るばかりである。



(ユリウス、ユリウス! も、もうちょっと、何とかならないの?)



(うぐ…………すまないカミラ。俺も父も、色々思うところがありすぎてな――――ごめん任せた)



(これをどうにかしろとっ!? ええい、やってやるわよ!)



 隣り合う手を握り、“念話”で意志疎通をしたカミラは覚悟を決めた。

 もとより、カミラが“ユリウス”という存在を望んだ結果の果てがこれである。

 乙女心はリードを望んでいるが致し方なし。



「――――お初にお目にかかりますわ。私、カミラ・セレンディアと申します」



「こちらがお呼び立てしたのに、挨拶が遅れて申し訳ない。私がこの者の父、アーネスト・エインズワースである」



 アーネストは木訥とした優しげな顔で、返礼した。

 情報によれば彼は、王国暗部――――諜報部門のトップだ。

 欠片もその気配を感じさせない立ち居振る舞いに、カミラが関心していると、次にイヴリンが柔らかく笑う。



「妻の、イヴリンで御座いますわ。この度はお目にかかれて嬉しいわ。これからは家族になるのだもの、仲良くしましょうね」



 イヴリン・エインズワース。

 王国の暗部と何ら関係の無い事は、裏付けが取れてある。

 だが、カイス王弟殿下の遠縁にあたる血統故に、その銀髪はユリウスによく似ていた。



「――――アイリーンですわ」



 そして最後に、妹であるアイリーン・エインズワース。

 齢十三である彼女は、銀髪の縦ロールを揺らし、不満を隠さずカミラを睨んでいた。

 然もあらん、情報によると彼女はブラコンという離しである。



 カミラは若干の前途多難を感じながら、笑顔を崩さす答えた。



「ええ、宜しくお願いいたしますわ」



 にこにこと笑う者が二人、笑顔のまま黙る男と、睨む少女が一人。

 そして――――戸惑いの堅い顔のままの愛する人。

 このままでいい筈がない、何より話しが進まない。

 だからカミラは、臆せず切り込んだ。



「この度は、本当に申し訳ありません。ユリウス――いいえ。“ユリシーヌ”を奪うことになってしまって」



 カミラの行動の結果は、誰にでも胸を張って誇れるものだ。

 しかし――――ユリウスの家族にとっては、どうであろうか。



 悲しんだかもしれない、怒りを覚えたかもしれない。

 だから、それ故にカミラは真っ直ぐに彼らを見た。

 ユリウスを悲しませるなら、容赦はしないと、金の眼ではっきりと示して。



「ふん、気にくわないわ。カミラ様とやら」



「アイリーン!」



「いえ、いいんですのよイヴリン義母様。アイリーン“ちゃん”がそう思われるのも仕方のない事ですから」



 口を尖らせるアイリーンを笑顔でいなし、叱責しようとしたイヴリンを制止して、カミラはアーネストに顔を向けた。



「エインズワース家当主、アーネスト様。――――アーネスト義父様。どうか、私とユリウスの結婚をお許しくださいませんか?」



 実の所、王の許可は勅命で出ていた。

 いくら王の片腕とはいえ、断ることの出来ない案件だ。

 だかこれも礼儀として、そして“認めぬ”のなら“潰す”という気迫と、脅迫しての言葉だった。

 だがアーネストはその意味を読みとった上で、ふっと相貌を崩して笑った。



「――――我らが“魔女”殿といえど、まだまだ青いな」



「アナタまでっ!」



「そう怒るな我が妻よ、――ああいや、申し訳ない。誤解をさせてしまった様だ」



「誤解、と?」



 怒気を孕みながら訝しむカミラに、アーネストは静かに頭を下げた。



「本当に…………感謝している、ありがとう。この子を“ユリウス”を“ユリウス”から解き放ってくれて」



「お父様…………」



 呆然と呟くユリウスに、アーネストは苦笑しながら言った。

 それは、確かな親子の雪解けだった。



「お前はもう“男”なのだ。“お父様”と呼ぶな。せめて“父さん”くらいにしておけ」



「父さん、俺は、俺は…………」



 俯き、震える声を出すユリウスに、アーネストは優しくそして悲しそうに微笑みかけた。



「長い間、すまなかったな。無理矢理“女”として育てて、そして――――」



「いえ、いえ…………いいんです父さん、あれは命令でもあって、でも俺も、望んで選んだのですから」



 涙はそのままに、顔を上げて笑い返したユリウスに、アーネストは柔らかく苦笑した。



「そう言って貰うと、少しは心の痼りが軽くなる気がするよ我が息子よ。――――ずっと、思っていたんだ。本当にお前が、幸せになれるのかと。…………でも、お前は日の当たる場所を掴み取った」



「…………カミラのお陰です。自分の力じゃない」



「それでも、だよ。こんな日が来てくれて、私は嬉しいんだ…………」



 ユリウスは王弟カイスの実子だ、故にアーネスト達とは血の繋がった家族ではない。



(良かったわねユリウス…………、ええ、これも、私の望んだ事だったかもしれない)



 ゲームにおいて、ユリウスとアーネストの関係は上司と部下だった、――――親子ではなく。

 詳しくは語られていなかったが、家族中は良好ではなかった。

 故に――――ユリウスは“愛”を知らなかったのだ。



(でも、そんなモノは、もう無くなったわ)



 カミラの心は、暖かな温もりで満たされた。

 ユリウスを幸せにする為に、生きているのだ。

 感無量というものである。



「涙を拭きなさいユリウス。貴方はもう夫になる“男”なんですからね」



「お母様…………」



「あらいやだ。“母さん”でいいわよ。ほら、使いなさい」



 涙声まじりのアイリーンの差し出すハンカチを受け取り、ユリウスは涙を拭った。



(ああ、俺は“愛”されていたのだな。カミラの言うとおり、“愛”されて育てられていたんだな…………)



 カミラが居なければ、気づけなかった。

 思いつきすらしなかった。



「――――ありがとうカミラ」



「礼を言われる事など、何もしていないわ。貴男はただ、そこにあった“モノ”に気づいただけ――――」



 そこで、カミラは目を見開いた。

 ユリウスに抱きしめられたからだ。



「――――愛しているカミラ・セレンディア」



「私も――――愛しているわユリウス」



 カミラはユリウスの背中に腕を回し、微笑んで返した。



「おお」

「あらあら、まぁまぁ!」

「――――けっ」



 三者三様の反応を聞きながら、二人は軽くキスを交わすと、名残惜し気に体を離す。



「うふふっ、仲が良くて結構だわ」



「うむ、うむ…………小一時間、隣の部屋に行ったほうがいいのか? イブリンよ」



「母さんにそんな事聞くなよ父さんッ! 何で兄さんと同じ反応なんだよッ!」



 エドガーと同じ様な事を言うアーネストに、カミラも苦笑を禁じ得ない。

 だが、放っておくと本当に小一時間、休憩を与えられかねないので話題を変更する。



「どうどう、落ち着いてユリウス。――――それで、義父様。婚約、というか結婚の事なんですが」



「おっと、そうだったな。今日はその話で来て貰ったんだったな」



 穏やかな口調。

 カミラはこのまま何事も起きずに、話が進むと思っていた。

 だが――――。



「その事なんだがな、――――ひとつ“条件”がある」



「条件? 何ですアナタ? そんな事何も――――」



 折角ユリウスと、と諫めようとしたイヴリンを制止、アーネストはカミラを静かに見据える。





「あえて言おう我が義娘よ。――――ユリウスが欲しければ、この私を倒す事が条件だ!


 我らが“勇者”様の、カイス殿下の大切な遺児を、大切な我が子を! 


 いくらユリウスの恋人でも、我らが“魔女”殿でも! 


 愛する“娘”はそう簡単に“嫁”にはやらああああああああああああああああああああああああああああん!」



「俺はもう“男”だ父さんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんん!?」



 つまりは、そういう事になった。





 ユリウスがドタンと立ち上がり、イヴリンは言葉が飲み込めずに呆然と。

 アイリーンは、目を丸くしたあと意地悪く笑い。

 そしてカミラは悠然と微笑んで、一言。



「――――アメリ、例のモノを」



「ほう、読んでいたか魔女よ」



「女の勘、というものですわ」



 カミラは何とも言えない顔のアメリから、差し出された巾着を受け取る。

 その巾着は、カミラの宝物箱へと通じる唯一の出入り口だ。

 これさえあれば、――――負ける筈が無い。



 不敵な笑みを漏らすカミラに、ユリウスがその肩を揺さぶる。



「お、おいッ! お前も何を考えているッ! 何をやらかすつもりだ!?」



「そ、そうよ! ほらアナタも発言を撤回してくださいっ! 何を争う事があるのですかっ!?」



 アーネストもまた、イヴリンに肩を揺らされているが、その瞳はまっすぐカミラを見据えている。



「ふむ…………“尊い”とは思わないかね義娘よ」



「ええ、思いますわ義父様…………」



 実は、一目見た時からそんな気がしていた。

 彼もまた――――“愛”する者だと。

 それ故に、今の光景は尊い。



(なるほど、ユリウスは母親似なのね。家族の繋がりは“血”よりも濃い)



 また、新しいユリウスの一面が見れた。

 その事実にカミラの心は震えた、ついでに涎も少し、刹那の早さでぬぐい取る。



(嗚呼、嗚呼。ユリウスのこの顔だけでご飯は三杯――――じゃなかった。私は生きていけるっ!)



 カミラは巾着を手に取り、その時に構える。

 対するアーネストも、虚空から何かを取り出す準備を見せた。



「見せて貰おうか。ユリウスへの“愛”とやらを」



「ふふっ、私を誰だと思って?」



 両者の火花は激しく散り、焦る周囲の中、うろん気な目をするアメリ。

 彼女だけは、カミラの巾着の中身を知っている。

 故に、この後の展開が見えるのだ。



(礼を言うわシーダ――――、いえ。私達)



 これは、正しく“見極め”だった。

 カミラと言う人物を計る、アーネストの“試し”。



(ふふっ、意地が悪いわね義お父様。脳内当てゲームなんて)



 そう、この“試し”に正しい答えなど存在しない。

 また、“最適解”を導き出すヒントなどない。

 だが、――――ここに例外が存在する。



(あの夜、シーダ704は映像メッセージの他に、私にしか解らないように幾つかの情報を伝えたわ)



 これからの事、未来の可能性。

 その中に、今回の事も記されていた。



(失敗したシーダ678、一部成功したシーダ703、その他いろんな私“達”が様々な方法を取った)



 物理的な近接戦闘で勝利したカミラが居た。

 魔法で蹂躙したカミラがいた。

 権力で屈させ、脅迫で脅し。

 その先に良好な関係に至ったのも、事故によりアーネストを殺してしまったカミラも居た。



(そんな私達が至った答え、それは――――)



 緊迫した空気の中、自然体のままで微笑むカミラに、アーネストが催促する。



「さて、どうしたのかね? 真逆、臆したとでも?」



「ご冗談を。ええ、私達に言葉はいらない。そうでしょう義お父様――――」



 カミラは金色の眼を爛々と輝かせ、目的の“モノ”を掴み取った。

 今はそう、“愛”を示せばいい。

 ユリウスへの“愛”を――――。




「これが――――私の答えよっ!」




「ぬおおおおおッ!? そ、それは、それは何という――――!?」




 アーネストが思わず前のめりになる、他の者は目を丸くし、アメリはコイツ本当にやりやがった的な顔で、痛ましげに顔を伏せた。



「…………カミラ? なあカミラ? その手にあるのは…………何、だ?」



「あら、物忘れが激しくなる歳じゃないわよユリウス。これは――――パンツよ! トランクスでもいいわっ!」



 それは男モノのパンツ、――――トランクスであった。

 青色のトランクス、使用済みなのか、皺が寄っているトランクス。

 どこか見覚えのあるそれに、ユリウスは小首を傾げ、ん? となる。

 嫌な予感しかしない。



「くっそおおおおおお! そう来たか義娘よ! 私も負けんぞおおおおお! 私はこれだああああああああああああああああ!」



「――――そう来たのね、義父様」



 一方、アーネストが掲げたのも――――やはり下着。

 それも女モノの、黒くてスケスケで、やけに過激なランジェリーだ。

 そして、それを見たイヴリンは何かに気づいた様にはっと、頬を紅潮させプルプル震える。



「――――これは中々、やりますわね義お父様」



「いやなんの我が義娘こそ」



 互いに手の中の“物品”にかける情熱は同じ、価値もまた――――同じ。

 つまりは、引き分け。

 その事を視線で通じ合い、二人は新たな“品”を――――。




「何をしているんですかアナタああああああ!? カミラさんまでっ!? わっ、わたっ、私の下着! 無くしたと思っていたのに!?」



「父さんもカミラもッ!? いったい何がしたいんだよッ!? というかそれ、一昨日穿いていたヤツじゃないかッ!」



 母息子は仲良く伴侶に飛びかかり、下着を奪還しよようとするが、そうは問屋が卸さない。

 カミラとアーネストは許さない。

 だってこれは、――――“愛”溢れる宝物なのだから。



「ちぃッ! 糞ッ! ちょこまかと逃げるな馬鹿女!」



「いつもいつも言っているでしょうアナタっ! いい歳して私の下着を収集しないでくださいと!」



「え、何これ。お父様がお母様の下着を…………?」



「アイリーン様! お気を確かに!」



 始めてみるであろう父親の姿に、失神寸前のアイリーンと、それを支えるメイド美少年。

 この乱痴気騒ぎを見て、アメリは猛烈に帰りたくなった。

 然もあらん。



「すまぬなイヴリン。私は――――お前を愛しているのだ」



「そうよユリウス。私もまた――――貴男を愛しているの」



 二人の猛攻をひらりと避け、歯をきらりと光らせのたまう変態新造親子に、イヴリンはがっくり膝を着く。



「母様!?」



「そう、そうなのねユリウス…………貴男、こんな所は私に似ないで欲しかった…………」



 ユリウスは慌ててイヴリンに駆け寄り、手を差し伸べる。

 イヴリンはその手をがっしりと掴むと、ユリウスに熱く、熱く語った。



「ユリウス。貴男は負けちゃ駄目よ。いくら愛する者が度し難い程に変質的に愛してきても、私みたいに諦めては駄目よ…………」



「くッ、母様。苦労、なさっていたんですね」



「そうなのよ、そうなのよ。聞いてくれるユリウス――――」



 はい、聞きますともッ! と新たな親子の絆を結ぶ二人を、カミラとアーネストはうんうんと頷く。

 苦労の元凶達が、何の権利があって感動しているのだろうか。



「…………いい、光景ですね義父様。続けますか?」



「ああ、いい光景だな。私としては続けたい所だが――――」



「ええ、私もそうですわ。まだ“愛”を示すには物足りない。けれど――――」



 カミラとアーネストは拳を付きだして、ゴツンと合わせる。

 そこには確かな、同類として、親子としての“絆”があった。



「これから宜しく、我が義娘よ。言うまでもない事だが、あの子を愛して、幸せにしてやってくれ」



「ええ、勿論ですわ。この魂、全てに誓って」



 二人はニヤリと笑い、拳を離す。



「――――まぁ、カイス殿下の指輪を着けていた時点で、認める以外の選択肢は無かったのだがな」



「あら、そうでしたの? 義父様もお人が悪い」



 さらっと言われた事実に、カミラは腑に落ちていた。 



(なるほど。私達がここに来た時点で最適解は――――)



 シーダ達はきっと、これも読んでいたに違いない。

 アーネストとの勝負は、保険と信頼を得る為のイベントだったのだ、多分。



(まぁ私の事ですし、今後の“ループ”の為の選択肢潰しの可能性も否定出来ませんが)



 ともあれ、障害は無くなった。

 ならば次にすることは、一つ。



「――――アメリ、目録を」



「はい、ここにカミラ様」



 うろんな視線を止めないアメリから、カミラは結納品の目録を受け取ると、そのままアーネストに渡す。



「うむ、確かに受け取った…………ほぉ、流石セレンディア家だな、はっはっは。これだけで我が領地は百年は安泰ではないかッ!」



「百年と言わず、千年、永久に、共に繁栄を築き上げていきましょう」



「ああ、宜しく頼む」



 今度は領地を治める貴族として、二人は堅い握手を交わ――――。



「ちぇすとおおおおおおおおおお!」



「あ痛っ!?」



「あ、アイリーン!? いったい何をするのだ――――!?」



 握手の直前、突撃してきたアイリーンが手刀で遮る。

 そして、ぐぬぬっとアーネストの前に割って入り、カミラへ人差し指を突きつけた。




「お兄さまとの結婚なんて、認めませんわ! この泥棒猫! 絶対、ぜぇっーーたいっ! お姉様をたぶらかした貴女なんて、認めませんわ!」



 一難去って、また一難である。





(嗚呼、嗚呼…………そう。この子もまた)



 顔を真っ赤にして仁王立ちするアイリーンの姿に、カミラは看破した。

 確認のためアーネストに視線を送ると、こくりと頷く。



(アイリーン・エインズワース。“ブラコン”いえこの場合は“シスコン”なのかしら?)



 兎に角。

 カミラは胸を張って、大人の体を見せつけるように、さりげなく腕を組んで軽く胸を揺らしながら、アイリーンに宣言した。

 カミラ様は大人げない。



「――――受けましょう、その挑戦っ! この私、カミラ・セレンディアは逃げも隠れもしないわっ!」



「じょ、上等じゃないっ! 吠え面かかせてやるわ…………くっ、まだ成長するんだから」



「いや、何でそうなるんだ二人ともッ!? 父さんもそうだけど、何でそんなに喧嘩腰なんだよッ!?」 



 バチバチと火花を散らす二人に、頭を抱えるユリウス。

 そして静かに見守るアーネスト。

 一方でイヴリンは既視感を覚えていた。



「真逆、歴史は繰り返すと言うの…………!?」



 そう、あれは泣きながら鼻水出して土下座でアーネストから結婚して欲しいと。

 足に縋りつかれて、愛半分憐憫半分で結婚を承諾した若き日のその次の日。



(この館に連れてこられ、義姉様に勝負を挑まれましたわ。確かその時、義母様は――――)



 イヴリンは対処法を思いだし、ぐっと拳を握る。

 きっと、義母様も同じ様な苦労をしたのだろう。

 今だからこそ解る、エインズワースの血族は家族愛が深く、そしてそれ以上に伴侶からの深い“愛”を受けているのだ。



「カミラさん、アイリーン。二人の気持ちはよく解りました」



「母さん!?」「ほう」



 地味に役に立たない男性陣を放っておいて、イヴリンは提案する。

 これはきっと、エインズワース家がそうと気づかず継承する風習。



「なので、――――晩ご飯を作りましょう、一緒に」



「料理勝負って事ね、負けないわよ泥棒猫!」



「ふふっ、これでも腕に自信があるの。――――せいぜい後悔する事ね」



 不敵なポーズを崩さずに、カミラは内心動揺していた。

 何故なら、シーダ達の未来予想には無かったイベントだからだ。



(この私“達”が予想出来なかった? こんな重要なイベント、対策しておかない理由なんて無いし――――)



 ならばこれは、前カミラ達未踏の領域。

 確実に幸せに近づいている“吉兆”。



(うふふふっ、ユリウスの好みを知り尽くしている私が負ける筈なんてないわ)



 しかし、この不安はなんなのだろうか?

 何かを見落としている様な――――。



「――――という事で、カミラさんにはカレーを作って貰いますわ。アイリーンはデザートで。よろしいかしら?」



「ええ、勿論よ」



「わかったわお母様」



 そして、アメリを含めた女性陣は厨房に向かい。

 メイド美少年を含めた男性陣二人は、頃合いまでこの場で雑談である。





 案内された厨房は、意外と小さかった。

 とは言え、あくまで前世に起因する貴族認識では、というだけで。

 今の時代、貴族の女性教育には料理が必須項目。

 屋敷内に一般庶民家庭と同サイズのキッチンを完備している貴族も多く。

 エインズワース家もまた、例外では無かっただけである。



「それで義母様。材料に何か制限はありますか?」



「この屋敷にあるものは何でも使っていいわ。間に合うのなら買い出しに行ってもいいわよ」



「ま、自慢じゃないけど、町にはちょっと離れてるの! 買いに行って間に合うと思わない方が賢明よ義姉様!」



 こんな事もあろうかと、でアメリの差し出した若奥様風フリフリピンクエプロンを気ながら、同じく準備をするアイリーンを微笑ましい目で見た。

 きっと、根はいい子なのだろう。



「あらあら、ふふっ。ありがとう」



「れ、礼を言われる事じゃないわ! わたしはただ、不戦敗がイヤだっただけだもん」



「そうね、そういう事にしておくわ」



 頬を朱に染めてそっぽを向くアイリーンに微笑みながら、カミラはさて、と思考した。



(これはアイリーンとの勝負もあるけれど、義母様からの“試練”も兼ねている筈)



 なお、深読みのし過ぎである。

 手早くサラダを作り始めるイヴリンと、材料を揃えるのに苦戦しているアイリーンを横目に、カミラは頭の中で算段を着けた。



(ならばここは、魔法を使ってでも全力で勝負に行くわ――――)



 幸いにしてと言うべきか、当然の事ながらユリウスの好みは百%把握している。



「ジャガイモと人参と玉葱は使わせて貰うとして――――アメリ」



「はいカミラ様! 以前散々味見させられた“あの”カレーを作るのですねっ! 大丈夫ですお肉と“ルゥ”は何時でも転送出来ますよっ!」



 実の所、文化の失伝は著しい。

 また“世界樹”の文化コントロールで、存在できなくなった食文化も数多く。

 しかしカミラならば、前世の記憶を持ち、“世界樹”の支配から逃れているカミラだからこそ、用意出来るモノがある。



「やって頂戴アメリ、とろけるタイプのチーズも忘れずにね」



「お任せあれ」



 イヴリンとアイリーンの注目を浴びながら、アメリは分厚い肉――――角煮用豚バラブロックとカレールゥを、セレンディアの実家の倉庫から転送した。



「…………正気? そんな分厚いお肉、火を通すのにどれだけ時間がかかると思っているのよ」



「まぁ見ていなさい。最新の料理魔法というものをお見せするわ」



 訝しげな目をするアイリーンを軽く受け流し、カミラは人参、ジャガ芋の皮を手早く向き、大きくカットして鍋に放り込む。

 同時に、玉葱を飴色に炒めるのも忘れない。



「凄いわカミラさん。魔法を使っているとはいえ、何という手際の良さ…………」



 見る見る内に下拵えを終えたカミラの姿を、イヴリンは戦慄と畏怖をもって誉め称えた。

 職業料理人は魔法を使うのが当たり前、それにより調理時間を短縮したり、極めて細かな味の調整を可能としている。

 だが、――――それにも限度がある。



「くっ! 玉葱を切る手際も並じゃなかったけど、その魔法は何!? 反則よ反則!」



「言ったでしょう、――――最新の料理魔法をお見せする、と」



 それは、正しく料理の、ユリウスへ作るカレーに入れる玉葱を炒めるだけに作り出された魔法だった。



「流石、王国一の魔法使いですよねカミラ様。こがさない、旨味を逃さないのは当たり前。それでいて、一分もかからずに玉葱が飴色になるのですから」



 どこか疲れた様なアメリの発言に、カミラは解せぬ、と思いながら魔法を展開し続ける。



「この魔法わね。玉葱の品質を分析して、焦げない様に細胞の一つ一つまで防護を張り、それでいて高火力の熱で適切な時間で火を通す。――――細かい事は抜きにして、そういう魔法よ」



「恐ろしい事に、これ一から自分で作っているんですよねカミラ様…………」



「そんな! 普通、完成させるのに数年かかる魔法を、ただ玉葱を炒める為だけに創り出したと言うの!?」



「なお作成時間は、多分、数秒ですねぇ…………。カミラ様の魔法の技術については、考えるだけ無駄ですんで、素直に賞賛だけする事をおすすめします」



「…………アメリさんと言ったかしら? ご苦労なさっているのね」



「同情するわ、規格外な主にいつも振り回されているのね…………」



「玉葱が仕上がったわ――――って、何かディスられてる私!? というか貴女は味方でいなさいよアメリ!」



 味方は何処!? 助けてユリウス! と叫びながら、しかしてカミラは手を止めず、今度は豚肉に手を付ける。



「いいわ、見ていなさい――――っ!」



 大人げなく魔王の魔力を体に注ぎ込み、一瞬の包丁捌きで角煮用豚肉バラブロックがちょっと大きめに切り分けられる。

 そしてそのまま、フライパンに投入。

 直後、じゅわぁという音と共に、表面が焼かれる香ばしい匂いが厨房へ漂い始めた。



「うーん。いい匂いですねぇ……。これだけでもご飯がおかわり出来そうです」



「ねぇねぇアメリさん。今のお肉は何処産かしら? とってもいいお肉に見えたけれど」



「お目が高いですね奥方様。あれはセレンディア領地産の最高級黒毛豚――――通称カミラ豚なんですよ」



「まぁ! これがあの噂のカミラ豚!」



 ドヤ顔のアメリと目を輝かせるイヴリンに、カミラは思わず叫んだ。



「ちょっと待ってっ!? 何で私の名前付いてるのよ!? 確かに品種改良して、育成の指導をしたのも私だけども!?」



「え、豚に伯爵令嬢の名前付けているの? どういう神経してるのよ」



「そうよね、それが正しい感覚で義姉さん嬉しいわアイリーン!」



 誰が義姉さんよっ! というアイリーンの叫びはさておき、アメリは澄ました顔で答える。



「いえカミラ様。セレンディア畜産農家協会から、申請書類出てましたよね? 判子押していたじゃありませんか――――ああ、そういえば書類を届ける直前。クラウス叔父様が代わりに許可を出してましたっけ。これでカミラ様の功績がまた一つ後生に残るとか何とか」



「お父様!? 気持ちは嬉しいけれど、年頃の娘にする事じゃありませんわよ!?」



「噂に違わぬ愉快な気風なのね、セレンディア家って」



「アイリーン。残念な事に、愉快さではウチも大差ないわ…………」



 母娘が遠い目をする中、カミラの下準備は完了する。

 当然、玉葱と同じように無駄に高性能なオリジナル魔法を使用した結果の早さである。



「では行きますわこれが――――」



 カミラは下拵えした食材を全て寸胴鍋にぶち込み、カレー調理における最終魔法を発動する。





「必殺――――――――『圧力』調理」




 そう、“圧力”である。

 テクノロジー制限があるこの時代、電気圧力釜は言うに及ばす。

 火力を使う圧力釜でさえ、まともに作られていない。

 なので当然、煮込み料理をするには時間をかけて煮込むしかない。

 だが――――ここに、またも一つの例外がある。



 カミラ・セレンディア。

 彼女の中の人が日本人故に、そしてユリウスへの愛故に。

 歴史上最も高性能な圧力調理が、今ここに顕現した。



 食材一つ一つの分析による、適切な圧力のかけ方を。

 食材一つ一つへ、別個の圧力を。

 電気や火力を使うより効率的な圧力を。

 爆発の危険性すら論外、絶対安全すら可能としている。



「ふふっ。自分で言うのも何だけど、これはとても高度な魔法。そして私自身の高い魔力が加われば――――ほら、出来た」



「ええっ!? まだ煮込み初めてから数分も経ってないのに!?」



 カミラが蓋を開けるのにあわせ、慌てて鍋をのぞき込んだアイリーンが見たものは。



「…………凄い。お肉以外の具材が全て溶けて無くなっている。お肉だって、食べやすい大きさになっているわ!」



「一家に一台、カミラさんが欲しいわね…………」



「カミラ様って、本当に無駄に万能で高性能ですよね」



「だからそれ誉めてるのアメリっ!? そして義母様! 私は調理器具じゃないですわっ!?」



 アメリからカレールゥを受け取りつつ、アメリは唾が飛ばないようにツッコミを入れる。



「くそう。ここまで来たら、もう驚かないわよ…………次はどんなスパイスを使うのか見せて貰おうじゃない!」



 器用にもプリンを作りながら、アイリーンは睨みながら言った。

 なおプリンにも、先達の手で専用の調理魔法が確立されている。

 とはいえ普通は制御に苦労するモノなので、他に意識を割ける余裕のあるアイリーンは優秀である、とカミラはその実力を認めた。



「見なさいアイリーン。これが、技術の粋というモノよ」



 カミラは鍋に、特性カレールゥを投入。

 そしてぐるぐると、鍋をおたまでかき混ぜ始めた。



「ねぇアメリさん。あの“るぅ”? というモノは?」



「あれはですね、通常は何種類の香辛料とか使うじゃないですか」



「ええそうね、それが手間で普段はシェフ任せなんだけど」



「ですがあの“ルゥ”は、カレーに必要な香辛料を全て入れて固形化させた画期的な発明なんですよ! なんと入れで混ぜるだけ! セレンディア領内でも貴重品なんですよぉ! しかもしかも今回は、――――ユリウス様の好みに合わせたカミラ様特性の“ルゥ”」



「…………その力の入れ具合。アーネストにそっくりねぇ」



「あ、やっぱり。さぞや苦労されているんですね奥方様…………!」



「ええ、判りますか! アメリさん!」



「知りたくなかったわ、そんな事実」



 アイリーンはお付きの従者、もといメイド美少年がこの場にいない事を恨みながら、漂うカレーの匂いに喉を鳴らす。

 カミラはそれを横目で見ながら、仕上げに生クリームと醤油とバターを少量ずつ投下。

 それらもすぐに溶け――――。



「よし、完成ね。…………味見してみますかアイリーン?」



「ええ、貴女がどうしてもって言うならねっ!」



「勿論、どうしても、よ」



 くすくす笑いながら、カミラはスプーンにカレーを乗せ、アイリーンの口元に運ぶ。



「はい、あーん」



「自分で食べれるわよ…………あーん――っ!?」



 カミラの差し出すカレーを口にした瞬間、アイリーンは敗北を悟った。

 そして、それ以上に舌が、口内が“幸せ”な事に気づいた。




「美味、しい――――――――はぅあっ!? 嘘嘘! ま、まあまあね! 及第点をあげるわ!」




「光栄ね、アイリーン」



 義妹の恍惚とした表情に、カミラは満足気に笑った。

 後は、予め用意してあるご飯の上に、とろけるシュレッダーチーズを振りかけて、カレールゥと共に食卓へ運ぶだけだ。



(楽しい食事になりそうね)



 カミラの予想は当たっていた――――ただし、半分だけだった。





「――――で、これはどういう事かしら?」



 カミラは青筋を額に浮かべながら、ユリウスとアイリーンに聞いた。

 カレーとサラダが並ぶ食堂、――身内用に作られた一般家庭サイズの室内とテーブル。

 セレンディア家と同じく、アットホームな家風はカミラにとって嬉しい事だった。

 だったが。



「…………まぁ今日くらいは許してくれカミラ」



 ユリウスは、どこか気まずそうに。



「すまない。アイリーンは甘えん坊でな、どうしてもと言って聞かないのだ」



 アーネストは、親馬鹿丸出しで。



「ええ、お気持ちは解ります。解りますよカミラさん、…………これも“血”なんでしょうねぇ」



 イヴリンは諦めた目で、深くため息をついている。

 カミラとしては、諦めるくらいなら言い聞かせて欲しいが、義母のこれまでを思うと何も言えなかった。



(私と同類に愛されて、血を分けた子供は“血”の気風を受け継いで。さぞ、ご苦労されたのでしょうね)



 だがしかし、コイツは駄目だ。

 明らかにカミラへの“当てつけ”であり、その証拠にうっすらと口元が歪んでいる。



「小さい頃はよくこうして、食べさせて貰ってたのよ! 普段は義姉様が独占しているんだし、今日でおお終いって事で、ね?」



「うふふっ、私も。久しぶりの家族の交友を邪魔する気はありませんわ。ええ、普段は“独占”してますし、これからも“独占”するのですから」



 ユリウスの“膝の上”に乗ったアイリーンと、隣に座るカミラとの間で、火花がバチバチと散る。



(嗚呼、嗚呼、嗚呼、嗚呼)



 とても嬉しい光景なのに、愛するユリウスが家族と打ち解けて。

 カミラもまたその一員の様に、“些細な事”で仲良く睨み合う。

 命の危険も、世界の裏側も、そんな事は何一つ関係ない暖かな風景。



 だからこそ、それ故に。

 気づかされる。

 カミラは気づく。

 浅ましい自分に、自分の本当の願い、に。



(嫌、嫌、嫌、嫌よ……。アイリーンは“血”の繋がりがなくともユリウスの家族。そして今は、私の家族の一人。――――でも)



 カミラは柔らかな笑みで、これもまた微笑ましいと、諦めた“フリ”をして、場を壊さぬ様、誰一人として心に立ち入らせるまいと淑女の仮面を被る。



 やがて和やかな空気の中、食事が始まったが。

 理性と感情で、カミラの心には嵐が吹いていた。



(――――“そこ”は私のモノなのに。嗚呼、嗚呼、嗚呼。今すぐ突き飛ばして私が座るの。でも駄目、そんな事をしたらユリウスが悲しむわ)



 些細な事、些細な事だ。

 まだ年端もいかぬ幼い子の他愛ない我が儘だ。

 けれど、けれど――――。



 カミラはカレーを口に運ぶ、何かを話しかけられて何かを言ったが、分厚いガラス板の向こう側の様に、関知し得ぬ出来事だ。



 アイリーンがユリウスに、サラダのミニトマトをアーンしている。

 カミラもまた、負けじと参加するが。

 全てが自動的で、頭に入ってこない。

 ただ、ユリウスの嬉しそうな困り顔が癒しだった。



 アイリーンへの本能的な敵意と、ユリウスへの想いにカミラは分離する。

 食事が終わり、コーヒーと共にデザートが運ばれて談笑は続く。

 ユリウスの小さな頃のエピソードは、喜びと共に脳裏に刻まれ、しかしてそれに浸れない。



(私は浅ましい、何て浅ましいの…………)



 やがてカミラは、案内された客間に一人。

 呆然と立ち尽くす。

 ユリウスと同室であったが、幸か不幸か彼は義父とまだ談笑中だ。

 故に、漸く、カミラは心を晒け出した。



「愛が、愛が足りないわ…………」



 カミラからユリウスへの、ではない。

 ユリウスから、カミラへの、だ。



「もっと、もっと、もっともっともっともっと。ユリウスから愛されなければ」



 そう、それなのだ。

 カミラの、カミラの本当の望みは――――。




「ああ。どうか。私が貴男を愛するように、貴男も私を愛して欲しいのに」




 血を吐く、そして地を這う様に出された言葉は、独りぼっちの室内に小さく響いて、消える。

 人として、間違っていると解っている。

 だがそれでも、カミラは。




「――――愛した分だけ、愛して欲しい」




 愛の対価に、愛を求めてはいけない。

 人類発生以来の教訓だ。




「私だけを見て、私だけを感じて、私だけに囁いて、触れて、私にだけ、私にだけ」




 無償の愛なんて、嘘っぱちだ。

 幸せにしたいのも、愛されたいから。

 愛されたいから、愛するのだ。




「ユリウスの世界に、私だけが居ればいいのに」




 世界には邪魔なものが多すぎる。

 だからといって、排除に動けばユリウスが悲しむ、愛を喪うかもしれない。



(私は、どうすればいいの)



 血が滴ってもカミラは拳を強く握り、仄暗く笑った。

 他の時間軸の、シーダ達ならどうしただろうか。

 


(いえ。“排除”してしまった“先”が私なんでしょうね)



 出発の前の晩のメッセージ。

 きっとあれは、この事を言っていたの。

 哀しみと共に幸せを掴み、けれど埋まらぬ渇望に身を焦がし生きる事を選んだのだろう。



(嫌よ。そんなの…………私は絶対に後悔などしたくない)



 力なく、握りしめた手を弛める。

 途端、魔王としての修復機能が働き、瞬く間に傷が癒された。

 カミラが虚ろな目で、無意識に流れ出た血を魔法で洗浄していると、コンコンとノックの音。



「どうぞ、入ってもいいわ」



 カミラが淑女という猫を被りなおした直後、部屋似入ってきた者は――――。



「カミラ様、入浴の用意が出来たそうですっ!。……って言っても、今からアイリーン様がお入りなさるので、その後なんですけどね」



「ええ、わかったわ。それで? そこの――――」



 アメリの後ろにいるメイド美少年の名前を呼ぼうとして、その名を聞いていない事に気づく。

 少年もそれに気づいたのか、少しオドオドした様に名乗った。



「先ほどは名乗らずに申し訳ありませんカミラ様ボク――いえ、ワタシはリディと言います」



「んでですねカミラ様。耳寄りな情報――もとい、相談があるようなので、聞い貰えませんか?」



 カミラは何かを掴めそうな予感を感じながら、にこやかに頷いた。





 カミラが素直に相談に乗った理由は、二つ。

 一つは、気分転換。

 叫び出したい程の重苦しい渇望だったが、元々あったモノを再認識しただけの事、覆い隠すのは造作もない。

 もう一つはそう――――事が、“相談”だったからだ。



(そういえば、誰かの“相談”を聞くのは何周ぶりかしら?)



 乙女ゲーならず、ゲームならずとも、“相談”とは“情報”だ。

 それも極めて、“個人的な”である。



(情報イズパワー、情報イズジャスティスよ。ループと転生の強みは情報と経験による積み重ね)



 それによる最適解を以て、次の周回を生かす。

 尤も、カミラは今更ループなどする意志など無いが、このメイド美少年はあのアイリーンの従者。

 カミラのとってのアメリ。

 つまりはウィークポイントである。



(鴨が葱をしょって来た、って所ね)



 ここまでの思考にコンマ一秒もかからず至ったカミラは、密かに“防音”の魔法を使うと同時に微笑む。



「では、そこの椅子にでも座りなさいリディ。――アメリ、お茶を用意して」



「そうくると思って用意してますよ、少々お待ちください」



「そ、そんな! ワタシはこのままでっ!」



 恐縮するリディを、カミラは微笑ましく見つめた。

 同時に彼に近づき手を引いて、部屋の窓側にあるテーブルセットに誘導する。



「ボ、ボクは自分で歩けますカミラ様ぁっ!」



「ふふっ、いいからいいから」



 カミラは、照れくさそうに顔を真っ赤にするリディを、それとなく観察した。



(瞳の色に合わせた栗色のセミロングはウイッグね。そしてこれはアレよ、成長しても可愛いままのショタね。メイド服を着せているとはある意味趣味がいいわ)



 無論、人として失格モノの行為だが。

 その事実に、カミラはほくそ笑んだ。



「大変ね、貴男も。その格好はアイリーンの趣味でしょう?」



「うえっ!? な、何故お分かりに!?」



「それは愚問というヤツですよリディさん、カミラ様で無くとも安易にわかります。――――だって、アーネスト様とイヴリン様に、そんな趣味は無いでしょう?」



 テーブルに紅茶の用意をしながら、アメリが答えた。

 そしてその言葉を、カミラが引き継ぐ。



「エドガー義兄様も、そんな趣味は見受けられないわ。ユリウスだって趣味ではなかったし。なら、残るは一人ではなくて?」



「はい、その通りです!」



 言い当てたカミラとアメリに、はわー、とキラキラした目を送るリディ。

 その姿はメイド姿を差し引いても、少女の“それ”だ。

 だが――――。



(成る程、そういう事ね)



 カミラは相談について、幾つかの“あたり”を付けた。



「リディ、貴男。その格好はお嫌? いいえ違うわね。貴男からは女として振る舞う“ぎこちなさ”はあっても、嫌悪感は見られない」



 そして。



(本当に、苦労なさっているのね義母様…………)



 カミラは心の中で嘆息した。

 このリディもまた、“愛深い”者だ。

 同類だからこそ解る、アーネストが許容しているのもその所為だろう。

 エインズワーズの血が、“愛深い”者を呼び寄せるのは本当らしい。



「ええ、お話なさいリディ。貴男の敬愛するご主人様の事でしょう?」



「そこまで解るんですか!?」



「…………そういう事ですか。類は友を呼んでしまったんですね」



 遠い目をして嘆いたアメリは放っておいて、カミラはリディの言葉を待つ。

 視線で促されたリディは、ポツポツと語り始めた。



「その…………。ボ、ワタシは…………」



「落ち着いて話しなさいな、私はきちんと聞いてあげるから」



「はい! ええと、カミラ様のお考えの通り、ワタシは今の姿に不満を持っているわけではないのです」



「――――貴男は、ユリウスと、ユリシーヌと面識があったのかしら?」



「あのお方が“ユリシーヌ”と呼ばれていた頃に数度。このお屋敷に住んでいた頃は、まだワタシはまだ、ご奉公に上がっていなかったので」



 少し、寂しそうに言われた言葉に、カミラは然もあらん、と得心がいった。



「“永遠”だと。“揺るぎない”と思っていたのね」



 リディは唇を一度噛んで、絞り出す様に吐き出した。



「多分、そのつもりは無かったのでしょうが、きっと――――」



「“代わり”だと、思ってしまったのね」



 頷いたリディを前に、カミラは紅茶を啜る。

 そして、カップをコトリと置くと、彼に語るべき言葉を探す。



(小さくともアイリーンは“女”だわ。エドガーは気づかずとも、ユリシーヌが“男”である事を察していたのだわ)



 そして、アイリーンはブラコンだ。

 ユリウスが学院に通い、その喪った“兄弟愛”の行き場を、リディに求めたのであろう。



 ユリシーヌという令嬢が、実は“男”であったなど。

 リディに知らされる筈も無いし、第一、女装であった事実は、魔族による“呪い”であったと、カミラが仕立て上げた。



(だけど、そんな“些細”な事、私“達”の前では理由にならないわ)



 その視線、興味の矛先が移ってしまった事が、一大事だ。



(ユリウスがアイリーンの兄とはいえ、実は異性だった事も関係しているのでしょうね)



 ――――似ている。

 カミラは、リディに哀れみと同情を覚え、そして今の自身と重ねた。



「はっきりしましょう? リディ、貴男はアイリーンに、そして私に。“何”を求めるの?」



 その言葉で、カミラはリディの選択肢を狭める。

 相談の答えという曖昧な事柄から、カミラがアイリーンに対して。

 何かアクションを起こす、という方向性へ言葉巧みに誘導したのだ。



 リディはカミラの思惑通りに考え込み、やがて、ぽつりと漏らした。



「――――望んで、いいのでしょうか」



「勿論よ、リディ。ねぇ、私達には“愛”が足りないと思わない?」



「愛が…………」



「何時いかなる時でも、私達を優先せずにいられない、そんな“愛”が、足りないと思わない?」



「カミラ様…………! ボクは、ボクは!」



 感極まった様に、言葉を熱くし始めるリディと。

 宛然と微笑むカミラの姿に、アメリは不安を覚えた。



(まだ足りないんですかカミラ様!? あれだけ愛されて、普段一緒にいて、まだ足りないのですか!?)



 絶対この後、禄でもない事が起きると確信しながら、さりとてアメリはカミラの忠実なる従者。

 ユリウスへの新たなる試練に、そっと黙祷を捧げる、南無。



 そんなアメリの想いは余所に、カミラはリディの心の奥底を知るため、一手仕掛ける。



「ここには私達だけ。――――リディ、教えて? 貴男の想いを、アイリーンへの“愛”を」



 それ即ち、アイリーンの性癖とほぼ同義。

 情報イズ、ジャスティスである。



「ボクは、ボクはもっと、アイリーン様に見て欲しいです!」



「男の姿? それとも?」



「はい! 今の“女の子”の姿で!」



 あちゃー、とアメリが無言で嘆く。

 若い身空で、性癖を拗らせてしまっている。



「アイリーンは、貴男の事を何と言ってくれるの?」



「“女の子”の姿なんてして恥ずかしくないの、って言って、踏んでくれます!」



 その言葉に、アメリは思わずリディを二度見して、微笑むカミラの姿に期待の目を向けた。

 若き美少年の性癖を正すのなら今しかない、さあカミラ様、言ってやってください、と期待を込めて。

 アメリの視線を感じ取ったカミラは、確かに頷き一言。




「――――成る程、いい趣味ね」




(違いますよカミラ様っ!? そこは年長者として止める所ですよ!? 何、良い仕事したって顔してるんですかあああああああああ!?)



 まともなのは、わたしだけ!? と叫びたい衝動を押さえ、そして飛び込んでくるリディの次の言葉。

 



「はい! はい! はい! ボクはもっと、アイリーン様の着せかえ人形になって、人間椅子とかになって蔑まれたい!」




「アブノーマル極まりないじゃないですかあああああああああああああああああああ!?」



 そしてとうとう、アメリは叫んだ。

 だがカミラとリディは、首を傾げてアメリを見る。



「いきなり大声を出して、はしたないわよアメリ」



「アブノーマルじゃありませんよアメリ様! ボクはその後、逆襲して壁ドンして、アイリーン様がボクの事を“男”だと認識して、ちょっと怯えながら頬を赤らめさせる所までしています!」



「ギャップの倒錯まで網羅している!? カミラ様、リディさんは手遅れ――――」



 と言い掛けてアメリは、はたと気が付く。

 そもカミラという人物の恋愛模様、直視してしまった性癖その他は、アブノーマルと言えなかっただろうか?



(そうだった。好きな人に脅迫している時点で、カミラ様も…………)



 ぐぅ、と黙り込んだアメリに、カミラは上から目線で語る。



「貴女も、愛する人が出来ると解るわ。その人の喜ぶ姿は勿論、怒る姿、悲しむ姿は此方としても悲しいけど、それはそれとして、また一興だと」



「ですよ、アメリ様!」



「歪んでますよお二方!? そこは、悲しみを抱かせない、とか言うべきでは?」



 普通ならまっとうな意見。

 だがここに居るのは、――――“愛深い”変態共だ。



「うふふ、まだまだアメリはお子さまね。リディを見習いなさい」



「ええと、その。アメリ様も恋をすれば解りますよ」



「それは恋というより、支配からの愉悦じゃないですか!?」



「支配?」



「たとえそうでも、愛故に、ですよアメリ様。問題など、何処にあるのでしょうか」



 キラキラとした目で語るリディに、味方がいないと叫ぶアメリ。

 狂乱としてきた場だが、カミラは“支配”という言葉に、目から鱗が落ちていた。



(支配。支配…………、そう、支配)



 何故、こんな簡単な事に気づかなかったのだろうか。

 恋敵や障害を排除するのではない。



(――――そうよ、支配してしまえばいい)



 ユリウスへの“愛”でもって。

 あの忌まわしき“世界樹”も、邪魔な“魔族”も。



(ええ、愛が足りない、足りなかったのだわ)



 心おきなく愛して、愛故に、愛される為に、この世の全てを支配してしまえばいい。



(そうと決まれば――――)



 カミラは少し温くなった紅茶を飲み干すと、スクッと立ち上がる。



「――――アメリ、お風呂の用意をしなさい」



「え、あ、はい。でも今はアイリーン様が入っておられるのでは?」



 頷くリディと、うろん気な視線を向けるアメリに、カミラは胸を張って言った。



「少し、アイリーンと話す用事が出来たわ。理解を深める為、裸のお付き合いと行きましょう」



 ――――敵は、風呂場にあり。


 

 そう言い切ったカミラを、リディのみが拍手でもって称えた。





 エインズワース家は、とことんアットホームな家風らしい。

 案内された浴室に、カミラは酷く既視感を覚えた。



(そういえば、前世そっくりのバスルームも売り出したわね…………買ったのねエインズワース家)



 格式を慮る貴族としては、良くも悪くも気安いが。

 そもそも、日本人が作ったふわっと恋愛乙女ゲーの世界観である、然もあらん。

 カミラはそれ以上深く考えずに、浴室の戸をノックして、返事を待たずに中に入る。



 勿論、中にアイリーンが居るのは、扉の磨り硝子越しに確認済みである。



「――――お邪魔するわよアイリーン」



 中はカミラが想像した通り、貴族にしては質素なものだった。

 ギリギリ二人入れそうな浴槽と、それより少し大きめの洗い場、床は勿論タイルだ。

 縦に長方形の鏡の横にはシャワーが、下は棚でシャンプー等。



 そして、その前には裸のアイリーンの後ろ姿。



「へうあっ!? ちょ、順番は連絡行ってるでしょう!? 何は入って来てるのよ!?」



 頭を洗い始めていたアイリーンは、慌てて手で体を隠しながら振り向く。

 シャンプーハット装備なのが、歳に対し幼い感じだが微笑ましい。



「まぁまぁ、そう言わずに。折角家族になるのだし、裸のお付き合いといきましょう」



 カミラは自慢の肢体をさりげなく誇示しながら、そのままアイリーンの後ろに座る。

 浴室には一人分の椅子しかなかったが、伊達に魔女という敬称を持ってはいない。

 カミラは指先の振り一つで、寄宿舎から椅子を転送していた。



「アンタ、また無詠唱でそんな高度な魔法を…………」



「ユリウスのお嫁さんになるんですもの、これくらい出来て当然ですわ」



「くっ……! いばるな! これ見よがしにその駄肉を揺らさないで!」



「あら失礼、でもこれぐらいがユリウスの好みなのよ。知ってた? ア・イ・リ・ー・ン」



「ひゃうんっ! 耳元でささやかないで、というかそんな生々しい情報聞きたくなかったわっ!」



 後ろから抱きつかれたアイリーンは、自分では到達出来ないかもしれない美と肉感に、ぐぬぬと顔を歪めると同時に。

 蠱惑的な声と、背に当たる肌の質感に戦慄した。

 勿論の事、カミラはその心情を手に取るより容易く察しながら、スポンジへ手を伸ばす。



「髪は洗っている様ね、なら体を洗ってあげますわ」



「自分ででき――――」



「――――ふふっ、そう言わずに」



 カミラは有無を言わさず、アイリーンの体を洗い始めた。



「強引ねアナタ。それでお姉さま――じゃなかった。お兄さまも落としたの?」



「ええ、恋は。愛は先制攻撃して、その後は蹂躙するのが秘訣というモノですから」



「絶対違うわよねそれっ!? というかまともに洗って――ひゃぁっ! む、胸はなんで手であらうのよ!? アンタそっちの気があるっていうの!?」



 ここに来て漸く、アイリーンはカミラが自身の想像以上に厄介な人物だという事に気づいた。

 しかし、時は既に遅し。

 ボディソープでヌルヌルになったカミラの手は、アイリーンの年相応に小さな胸を洗う――“フリ”をして揉みしだく。



「大丈夫よ。お姉さんが後学の為に快楽を教えてあげますわ。知識はあるから安心しなさい」



「安心できないし、お願いだからそっちの気は否定して!?」



 ヌルヌルヌメヌメ、アイリーンは魔力で力を底上げし必死に抵抗するが、如何せん体格の差、魔力の大きさの前にが無駄な抵抗だ。

 そうこうしてる内に、椅子からツルと転げ落ち、アイリーンは床に仰向けに倒れ、カミラはこれ幸いと覆い被さった。



「ね、ねぇ冗談よね? ほんきじゃないわよね?」



「ここらで、本当の姉妹になるのも良いと思うのよ私は。大丈夫、きっと夜が明ける頃にはお姉さまと、体と心が呼びたくなってるから」



 カミラは宛然と微笑むと、淫蕩な手つきでアイリーンの頬を撫でる。

 自らの長い銀髪が頬や首筋に張り付き、ついでの様に泡まみれ。

 どっからどう見ても犯罪臭で、俗な言葉で言えば、レズレイプの現場他ならない。



 アイリーンは、領内の貴族学校に通う中等部の生徒だ。

 そこそこ温室育ちとはいえ、ある程度の常識はある。

 故に、自らがこの後に経験するであろう淫獄を容易に想像してしまい、恐怖した。



「ふえっ……、ふえぇぇぇ…………ひっく、ひっく。ご、ごめんなさい。謝るから、もうお兄さまに近づかないから、ゆるして…………」



 アイリーンはぽろぽろと大粒の涙を流して、力なく顔を背ける。

 その光景に、カミラはピタリと手が止まった。



(……………………しまった。やりすぎたわ)



 カミラとしては、あくまで脅し混じりの、ちょっと過激なスキンシップ。

 本気で抵抗し、拳の一発でも貰ったらそれで止める筈だったのだ。



(あー、ああ。さっきの抵抗は、アレ本気の抵抗だったのね。――――どうしましょう?)



 端的に言って、失敗した。

 カミラは冷や汗をたらりと一筋、どうやって元の路線に戻せばいいのだろうか。



(いくら“支配”すると言っても、それは恐怖や暴力では駄目。だからどうにかして――――)



 焦るカミラは、意味もなくアイリーンの頬に伝う涙を拭う。

 その行為が引き金だったのであろうか、それともmひきつった笑顔が怖かったのであろうか。

 アイリーンはポツリと呟く。



「――――ごめんなさい、リディ」



 その言葉に、カミラは希望を見いだした。

 灰色の頭脳が猛回転し、周囲のタキオンまで取り込んで思考の時間を作る。



(こ、これで取り敢えず、この子とリディが両思いだって事は確定したわね)



 だがしかし、無論勿論の事、問題はそこではない。



(ええと、この場合。後始末はどうすればいいかしら? 仕向けたのはリディに押しつけるとして――――)



 少なくとも、どう考えても精神時間何千才のする事ではない。

 まったくもって、駄目な大人の行為だ。



(唸れ私の記憶! 伊達に経験を積んではいないわ! ええと、ええと、ええと――――そう! 飴と鞭! これで行きましょうっ!)



 カミラは手早く、そしてガバガバに算段を付けると。

 加速した主観時間から復帰する。

 なんとこの間、現実時間ではコンマ一秒にも満たない。

 具体的には涅槃寂静秒、人類が計測できるかもしれない最小単位。

 ――――能力の無駄遣い、ここに極まれり。



「ふふっ、ごめんなさいね、少し、脅かしすぎてしまったわ」



「――――え…………」



 アイリーンの主観時間にして、次の瞬間。

 体を起こされ、柔らかで優しい包容に戸惑いと安堵と、そして安心がその心身に襲いかかる。



「安心して、さっきのは冗談よ。リディに貴女の気持ちを確かめて欲しい、と頼まれたのだけれど。少しやり方が乱暴だったわね」



「リディが……頼み……?」



 呆然と呟くアイリーンを手早く椅子に座らせ、カミラは髪や体を洗い流し始めた。



「貴女とユリウスの距離が近いとは思ったけれど、それで嫉妬して、襲う程、浅ましい女じゃないわ」



 見事なまでのブーメランである。



「あれは……嘘? そんな、え、凄く――――」



 未だ事態が把握できないアイリーンに、カミラは言葉で思考を制限する。



「恋人を不安にさせては駄目よアイリーン」



「なぁっ!? ち、ちがっ! アイツなんて、こ、恋人じゃあ――――」



「あら、嫌いなの?」



「…………嫌い、じゃないけど」



 そんな、アイツも、これってまさか、などと呟くアイリーンの様子に、カミラはほくそ笑む。

 だが、まだ気が抜けない。

 最後の一押しをするために、カミラはアイリーンを誘導して湯船につかる。

 カミラが後ろで、アイリーンを抱っこするような形である。



「アイリーン、貴女がユリウスが好きなのは解るけど、それを出汁にしてリディの嫉妬を煽るモノではないわ」



「わたしは、そんなつもり…………」



「意識してなくてもね、そうしてしまう時もあるわ。だって貴女は私と同じ、恋する女の子ですもの」



 カミラの体温と囁かれる言葉に、アイリーンの幼い精神は、自らの行為を、そうだったのだと書き換える。

 この場面だけ抜け出すといい感じの光景だが、真実は真逆、吐き気を催す邪悪な光景である。



 ――――子供一人騙くら様な“悪”が出来なければ、カミラはこの“場”に辿り着いていない、という世知辛い事実もあるのだが。



「明日からでいいわ、もっとリディに素直になったらどう?」



 私のように拗らせる前には、とく言葉は辛うじて飲み込まれた。

 カミラの真実を知るのは、ユリウスとアメリだけでいい。



 ともあれ、嘘のコツは一欠片の真実を入れる事。

 リディへの想いと、たった一つ、カミラからの心からの言葉に、アイリーンはカミラを“家族”だと認めてしまった。



「…………ありがとう、義姉様」



「礼を言われる事じゃないわ」



 正しくマッチポンプ、だが知らぬは仏である。

 カミラはこれ幸いと、アイリーンの機嫌を取るために、性癖の話題をだした。



「ところで話は変わるけど。アイリーン、貴女、女装趣味があるようね」



「なんでそれ…………って、リディから聞いているのねどうせ、ええそうよ。責めるの? 止めさせる?」



 以前、誰かから注意された経験があるのか、口を尖らせるアイリーンに、カミラは笑いかけた。



「愚問よ、我が妹。私はユリシーヌの真実に気づき、男に戻した我が儘な女――――趣味の一つとして、存在してるわ!」



「――――義姉様!」



 振り向き、花が咲くような笑みを浮かべるアイリーンに、カミラは複雑な思いを感じながら続ける。



「今までで一番、尊敬の念に溢れて…………まぁいいわ。こほん。アイリーン、貴女に先達をして、良い提案があるの」



 正直カミラとしては、お遊びで作った“モノ”だ。

 結婚後にでも、楽しもうかと思って作らせた至高の一品。

 だが、それを“切り札”として切るのも悪くはない。



「提案? 何かステキなことをなさるのね義姉様っ!」



「ええ、貴女と私の趣味を大いに満たし、そしてリディとの“プレイ”も捗る――――」



 カミラとアイリーンは、本当の姉妹が仲良くのが悪戯するような表情をしながら、“それ”について話し合った。





 久々に実家で迎える朝は、ユリウスの心情として何とも言えないものだった。

 然もあらん。

 傍らに厄ネタもとい、恋人で婚約者のカミラがいないからだ。



(アイツは結構嫉妬深い。だから、アイリーンの件もあるし、色々覚悟していたんだが…………)



 しかし、結果として一人寝。

 急遽、アイリーンの部屋で寝る事になったと、アメリから伝言があっただけだ。

 それどころか夕食以来、会話すらしていない。



(不安だ…………、アイリーンは無事だろうか)



 とはいえ、カミラは優しい。

 妹となる人物にそう無体な事はしない、ととまで考えて、寝間着から着替える手がピタリと止まる。

 だって、カミラなのだ。

 しかして、カミラなのだ。

 何をしでかすか解らない、半分天然な面倒くさい女なのだ。

 ――――そんなのを恋人に選んだのは、ユリウス自身だったが。



(ま、まぁ。幾らカミラでも…………何だ、この拭いきれない不安は



 うっかり、安心するべき点が何一つ無いことに気づいたが、もはや手遅れだろうと戦々恐々と着替えを再会する。

 事実、アイリーンが泣き出すハプニングをカミラはやらかしていたが、ユリウスには知る由が無い。



「早く身支度を整えて、食堂に急ごう」



 誰に言うでもなく呟いたユリウスは、着替える手を早めた。



 それから数分後。

 食堂に入ったユリウスが見たものは、少し異様な光景だった。



「おはよう――――?」



「ユリウス様、おはようございます」



「おはようユリウス、よく眠れたか?」



「うふふっ、おはようユリウス。一人寝は寂しかったかしら?」



「寂しいと言うほど、アイツと一緒に寝てませんよ母さん。――――ところで“アレ”は?」



 朝食を前に家族が思い思いに過ごす中、ユリウスが指さした先には、カミラとアイリーンの姿。

 昨日とは違うのは、カミラの膝の上にアイリーンが座っている事だ。



「ええっとその、強く生きてくださいユリウス様。わたしは止められませんでした…………」



「いきなりそんな不吉な事を言わないでくれアメリ!」



「うむ、強く生きろよユリウス」



「きっと、“血”以上に“家”なのね…………強く、強く生きるのよユリウス」



「父さん母さんまでッ!? いったい何を言っているんだッ!?」



 何なのだろうか、この、同情と押し殺した愉楽に満ちた三人の顔は。

 ユリウスはこちらに気づかないカミラとアイリーンの隣に座り、挨拶をする。



「おはよう二人共」



「おはようユリウス」「おはようございますお兄さま」



 本当の姉妹の様に声を揃える二人に、ユリウスは質問する。

 禄でもなさそうなので聞きたくないが、聞かないと始まらない。



「昨日とは違って随分と仲良くなったな。何かあったのか?」



「ふふっ、秘密ですわ。ね、アイリーン」



「はい義姉さま! それは秘密なんですお兄さま」



 ねー、とハモりながら、キャッキャウフフする二人を前に、ユリウスは立ち入れない。

 本当に、何があったのだろうか。

 ともあれ、ギスギスしているよりマシだと結論づけて、朝食を運ばれてくるのを待つ。



(カミラがこんなに仲良くしていると、嬉しいが少し、寂しいな…………)



 こんな事を考えるなんて、俺もコイツに毒されて来たか、とリディの運んできた珈琲を啜っていると、ある事に気付く。



「そういえば、昨日は挨拶していなかったなリディ。久しぶりだな」



「はいお久しぶりでございますユリシーヌさ――いえ、ユリウス様。魔族の呪いが解かれ、元の姿に戻れてよかったです」



「ん? ははッ、まあな」



 うっかり忘れがちになるが、そういう設定だ。

 ともあれ、今はそこに言及する所ではない。

 カミラとの付き合いの経験上、このリディの変化こそが、この後の布石の一部に違いない――――筈である。



「ところで、今日はどうした? お前が男の格好をしているなんて、珍しいじゃないか」



「ああ、これですね。――――僭越ながら、ご一緒に強く生きていきましょう」



「はァ? あ、おいちょっとッ!?」



 またも意味深な言葉を返されて、ユリウスは困惑する。



「くッ! いったい何が起こっている!?」



 アウェーだ。

 実家にいると言うのに、ユリウス自身は何もしていないというのに、限りなくアウェーである。



(いや、待つんだ。リディの表情は同情と――戦友に向けるそれだ。そしてアイツと俺の共通点)



 即ち――――女装。

 今日は何故か、リディは執事の格好をしているが、共通点はそこである。



(待て待て待て待て待てッ! アイリーンの我が儘で一年中女装しているヤツが今日に限って男の格好をしている!?)



 不味い、不味い、不味い。

 何が不味いか今一つぼやけているが、これは非常に不味い事態だ。

 聖剣を受け継ぎし勇者候補として、カミラの伴侶としての第六感が告げている。

 ――――逃げよう。



「ふむ。部屋に忘れ物をしてしまった。取りに戻るから、先に食べていてくれ」



 ユリウスは即決すると、困った様な演技をしながら立ち上が――――れなかった。



「何を忘れたかは知りませんが、今、特段に困ることでも無いでしょうユリウス。一緒に朝食を取りましょう?」



「少し不作法ですわお兄さま。義姉さまの言うとおりですよ」



「ぐ……」



 ユリウスは助けを求める様に、両親へ視線を向けるが。

 帰ってくるのは、母親の諦めなさい、という顔と、ガンバ、と親指を立てる父親の姿。

 はて、父親はこんなにファンキーな人であったであろうか。



(畜生ッ! 絶対何かあるのは確定じゃないかッ!?)



 ここで強引に逃げれば、事態が悪化するだけだと判断したユリウスは、勘違いだったと短く告げ、浮いた腰を降ろす。



「――――カミラ。お前、皆を巻き込んでまで、何を企んでいる」



 その鋭い声の問いに、カミラはあっさりと答えた。



「何って、今日の午後には帰る予定でしょう? だから、その前に思い出作りとして、このお屋敷の皆の前で結婚式の予行練習をしようって話しになったのよ」



「予行演習?」



「ええ、お兄さまはお婿に行くので、結婚式はセレンディアの方でしょう。だから、お屋敷の全員は見に行けないから、その前に……っていう義姉さまの提案ですわッ!」



「…………成る程、わかった」



 今一つ腑に落ちないが、理屈は通る。

 ユリウスは拭いきれない不安に、居心地の悪さを感じながら渋々納得した。



 そして朝食後――――不安は的中する事になるのだった。





 つつがなく準備は終わり、カミラの実家の庭に等しいエインズワース家の庭に“婚約記念”立食パーティが。

 もっとも、主役であるカミラ達とエインズワース親子の他は、屋敷の従僕だけという極めて内向き故に、和気藹々とした空気。

 結婚衣装に着替えたカミラとユリウスは、二人仲良く腕を組み、屋敷の玄関から出てきた所だ。



(はふう。去年まではカミラ様が花嫁なんて想像もしてませんでしたが、なんだか感慨深いですねぇ)



 式を執り行う司祭役として、急造ヴァージンロードの先に立つアメリ。

 彼女は、諸々の事に目を反らしながら感嘆の息をもらした。

 然もあらん。

 当のカミラとユリウスは笑顔であるが、内心では火花が散っている。



「――――ところで、俺の魔女。そろそろ何が目的か話していいんじゃないか?」



「ふふっ、私の王子様。目的だなんて、義両親とアイリーン、そして“ユリシーヌ”を見守っていた屋敷の方々に報告を兼ねた感謝を。ただそれだけですわ」



 天気は晴天で、二人を祝福しているというのに。

 当の二人の笑顔の裏は、嵐にも似た何かだ。

 ユリウスは戦々恐々半分、カミラは愉悦混じりの狂おしい愛の。

 面倒くさい恋人達である。



「残念ながら、お前のその言葉は“半分”信じられないな」



「あら酷い。私の硝子細工の心が傷ついてしまうわ」



「…………硝子細工だと解っているなら、大人しくすればいいんじゃないのか?」



「貴男が好きな私が大人しく? 無理な言葉ですわね」



 顔はにこやかに、しかして深いため息をカミラ以外に悟らせずユリウスは述べた。

 一見ただの“嫌み”に聞こえるが、正しくそれは本心だった。

 魔法的な主従契約、そして恋人、婚約者となったがそれで“安心”も“慢心”もするユリウスではない。

 視線はそれまで以上にカミラへ、心と体は側に。



「悲しいな愛おしい人よ、俺の気持ちが解らないとは」



「貴男が私を好きで愛してくれて、――――心配してくれているのは解るわ」



 あくまで身内だけの催し、正式な作法とかは放りなげて、カミラとユリウスはヴァージンロードまでたどり着き、そのまま進む。

 周囲から、嬉し涙や囃し立てる声が聞こえる中、仲睦まじく二人はゆっくりと。

 ――――それはそれとして、何やら苦悩している男共が多いのは何故なのだろうか?

 然もあらん。



「理解しているんだったら――――」



「愛は理屈じゃないもの」



 絡む逞しい腕に、暖かな温もりに安心感を覚えながら、カミラは周囲に向けて柔らかな表情で微笑んだ。

 そう、特にカミラの“愛”は理屈ではない。

 自分でも解っているのだ。

 カミラにとってユリウスは“生きる目的”そのものであり、深く、重い。



 一方、ユリウスはその一言に頭を抱えたくなった。

 何が原因か解らないが、付き合う前の厄介な感じに戻っている。

 そこに惹かれてしまった故に、歓迎と嬉しさを感じると共に、カミラという人間の心の闇、――――“愛の闇”が晴れていないのが手に取るように理解してしまう。



「ま、いいさ。お前の気の済むまで付き合ってやる」



「それって――――」



 あっさりと覚悟を決めたユリウスに、カミラが疑問の声を出そうとするが、アメリの前に来てしまった。




「えー、オホン。――――皆さん静粛にっ!」




 アメリの言葉に、全員が静まりかえる。

 何も知らない使用人達は、愛の言葉とかキスシーンを堪能する為に。

 カミラの企みを知るエインズワース家の面々は、アイリーンを除いて苦笑と喜びの顔。



「では、誓いのキスの前にお二人から一言あるそうです。どうぞご静聴を――――」



 アメリとのアイコンタクトに、振り返って先ずはユリウスから。




「今まで俺を育ててくれた父さん母さん、そして以前と変わらず接してくれるアイリーン。この場にはいないがエドガー兄さん。――――皆、ありがとう」




「そして、小さな頃から見守ってくれた屋敷の人達。貴方達にも、万の感謝を。――――ありがとう」




 シンプルでありきたりな言葉。

 だがそれ故に全員の胸に染み入った、特に赤子の時代からの使用人は、涙を浮かべている。

 ユリウスは次に、カミラに顔を向けた。




「そしてカミラ、お前には感謝したりない。魔族の呪いにかけられ“女”にされていた。そんな歪な俺を愛し、“男”としての人生を取り戻してくれたお前に、感謝を。――――――愛している」




「ユリウス…………」



 そしてカミラも、その言葉に嬉し涙を浮かべた。

 嬉しさと同時に、ぶち壊したい、もっと愛したい気持ちが溢れ出る。

 ――――そう、カミラはユリウスの“全て”を愛しているのだ。



(嗚呼、嗚呼、嗚呼、嗚呼、嗚呼、嗚呼、嗚呼……………………)



 何故。



 何故、嬉しいのに満足出来ないのだろう。



 何故、こんなにも足下が覚束無いのだろう。



 幸福に侵されているのもあるだろう。

 でも、それだけではない。



 本番はまだ先にしても、確かにこれは女として絶頂だろう。

 だが、カミラの心の大半を占めるのは。

 ――――暗き、炎。



 ユリウスという存在の全てを欲し、独占しようとする、制御できない獣。



 愛も痛みも怒りも哀しみも憎しみも。

 全部全部全部全部――――――――。



 鳴り止まぬ祝福の嵐の中、カミラは胸を張って宣言する。




「今ここに居る全員に誓いましょう。例え世界の全てか敵に回っても、ユリウスを守り、愛する事を――――!」




「よくぞ言った、義娘よ!」



「流石、義姉様!」



「本当に良かった……、良かったわ……ユリウスちゃんが幸せに…………」



 家族からは祝福の言葉。

 他の者からは盛大な歓声と共に、所々で我らがユリシーヌ様が、という声がちらほらと。

 それをうっかり聞いてしまったアメリは、どうにでもなぁれ、と皆に叫ぶ。



「では、誓いのキスをお願いしますっ!」



「キース!」「キース!」「キース!」



 酒を飲んでもいないのに、酔ったようにシュプレヒコールを叫ぶ一同。

 無論の事、エインズワース家の面々も参加している。



 カミラとユリウスは、二人見つめ合い笑いあうと、そっと唇を合わせた。

 以前なら恥ずかしさから逃げ出していたが、今のカミラならば、キスまでは問題ない。

 …………健全な若い男女の間柄としては、特にユリウスにとって清らかすぎるきらいはあるが。



 ともあれ、ゆっくり十秒数えて名残惜しそうに顔を離す二人に、盛大な拍手が送られた。

 この後はもう、楽しく話でもしながら食事――――とユリウスは考えていた。

 だが。





「――――では! これよりサプライズのお色直しをするわっ! 特にユリシーヌに憧れていた人は刮目しなさいっ!」





「カミラお前真逆――――ッ!?」



 ユリウスがカミラの企みに気付くも、時は既に遅し。

 前もって準備していた“アイリーン”が、カミラ直伝の魔法を発動する。



「お兄さま、いえお姉さま受け取って――――!」



「くッ!? お前もグルかッ!?」



 カミラにがっちり腕を掴まれ、ユリウスは阻止出来ない。

 瞬間、足下に魔法陣が出現し、そこからの光に二人の姿が見えなくなる。

 二人以外の全員が眩しさから目をつむり、数秒後その目に見たものは。



「お、お、お、お、お姉様、大変お似合いですううううううううううううううッ!」



「そうよっ! これ“も”あってこそユリウスよ!」



「ちッくしょうッ! 父さん母さんも、何笑ってみているんですかああああああああああ!」



 ――――そう。

 ユリウスは、否。

 ユリシーヌは花嫁姿に変身していた。



 それも只の花嫁衣装ではない。

 スカート部分は何故か股下ギリギリまで短く、そのわりに後ろは普通の長さ。

 デコルテと背中はぱっくり開かれ、胸が無いのに、男であるのに妙な色気を出している。



「ふぁぁぁ…………さすが義姉様…………。お姉さまのメイクもばっちり、男だというのに赤い紅を引いて、髪も長くして…………」



「これが、神々が創りたもうた“至高の美”というヤツよ。――――後で衣装はあげるから、存分に活用しなさい」



「はい義姉様! 一生ついていきますッ!」



「うおおおおおおお! 俺たちのユリシーヌ様が帰ってきたああああああああああああああ!」



「す、凄い……、ユリウス様、ユリシーヌ様の時と同じように妖艶な色気が、いや女装になった事で更に背徳感が増して…………、ユリウス様の魅力がこれ以上ないくらい引き出されている!? カミラ様はただ者じゃないね、ユリウス様はいいお人を捕まえになさっった」



「お前達…………」



 使用人の、物分かりが良いどころか全肯定している様子に、ユリウスは両親に助けを求めるべく視線を向ける。

 だがしかし、だけれども。



「ううっ、真逆、ユリシーヌちゃんの花嫁姿が見えるなんて…………、確かに衣装は趣味に走っているけれど、カミラさんの愛が感じられてとても良いわっ!」



「か、母さん…………ああ、うん。そ、そうですね…………」



 感無量といった母親の雰囲気に、ユリウスは最後の望みと父へ。



「うむ、うむ。成長したなユリウス…………こんなに妖艶だとは、今からでも元の道を目指さないか? きっと大活躍できるぞ?」



「貴男もですか父さんッ!? それ、以前の道すら外れてますよね多分ッ!?」



 味方は、味方は何処だと視線を巡らすも。

 アメリは諦める様に目で言い、ならばリディはと見るとそこには。



「…………お前も大変だな。ああ、うん。似合ってるよ、一応」



「ええ、ユリウス様こそ、良くお似合いです。…………強く、強く生きましょうね」



 そう、実は花嫁女装になったのはユリウスだけは無い。

 こちらは普通の花嫁姿だとはいえ、リディもまた、アイリーンによって変身させられていたのだ。



(喜んでいるのは良いが…………良いのか?)



 ユリウスは考える、一矢、一矢報いるべきだと。

 それは怒り、追い回すのでは駄目だ。

 もっと、もっとカミラにとって効果的な方法。



(冷静になれ、カミラはどういう時に慌てふためいていた?)



 思い出すのは告白の時の騒動。

 そして、性転換騒動の後の、エドガーが乱入する前の事。

 つまりは――――。



 ユリウスはリディと視線を合わすと、共にコクンと頷く。

 やはり、これしか無いだろう。



「ご存分にユリウス様。あの手の人種は、案外脆いものですので」



「お前も健闘を祈る。――お互い、面倒な女の趣味をしている」



 カミラとアイリーンでは“愛”のタイプが違うが、厄介な事には違いない。

 女装男同士、堅い友情を結んだ二人はそれぞれの愛しい女へ向かった。



 使用人達に囲まれ、少し離れた所に移動していたカミラは、大胆不敵な笑みで接近するユリウスの姿に違和感を覚える。



(――――あら? 着替えに逃げるとか、怒って拳骨しにくるとか、そういうのを予想していたのだけれど)



 何があったのだろうか、と考える前に使用人達が道を開け、あれよあれよとユリウスがカミラの前に立つ。



「どうしたのユリ――――んんっ!?」



 何かを言い掛ける前に、ユリウスはカミラの顎をクイっと上げ、唇を落とす。



「ひゅう! あ熱いですねユリウス様! カミラ様!」



「むが! もがもがもがっ!」



 年老いた老メイドが茶化すも、カミラは気にする余裕がない。

 だって――――。



(し、舌が入ってるううううううううううう!?)



 突然の奇襲に、カミラは為すが儘だ。

 歯茎や舌を舐められ、唾を啜られ流し込まれ。

 あまりにも情熱的なキスに、頭脳はオーバーヒート直前である。



「お、おーう……こりゃぁベタボレだねぇ」



「ああ、ユリシーヌ様もご成長なさった…………!」



 数分間続き、淫靡に涎の糸を紡ぎながら顔を離すという光景に、周囲は砂糖を口から吐き出す空気だ。

 一方カミラは、酸欠でクラクラ、羞恥と快楽で腰砕け寸前で、力なくユリウスを睨む。



「と、突然なによユリウス…………」



「決めたよカミラ。これからはもう、お前に遠慮なんてしない。でないと暴走するばっかりだからな」



 続いて、ユリウスはまたもカミラに顔を近づける。

 すわまたキスか、とひゃうと可愛らしい声を上げるも、その唇は耳へ行き、ねっとりと熱い囁き声。





「――――覚悟しておけ、俺の“愛”で溺れさせてやる」




 そして。

 エロいウエディングドレス姿で、それでいて乱暴に己の唇を拭い男の性を魅せるユリウスに、カミラは卒倒した。

 それが追い打ちだった。



 あまりにも自分の恋人が、妖艶で、男らしくて、でも女より女らしい姿で、その魅力に、予想以上の“愛の言葉”に、とうとう脳が焼き切れたからだ。



 その後、スキンシップ過多な上、キス魔に変貌したユリウスの所為でカミラの記憶は飛び飛び。

 漸く、平常心に戻ったのは帰りの馬車だったという。

 然もあらん。





「じゃあディジーグリーの事は任せたわよ、フライ・ディア」



「うむ、頼んだぞ。他の魔族にも伝えておいて欲しい」



 アメリとガルドは今、城下町の路地裏にて密かに魔族フライ・ディアと会っていた。

 目的は、赤子となったディジーグリーを預ける事と。

 そして、魔族への“救済”の事を伝える事である。



「こっちとしては構いませんがね陛下。あの現魔王様はご承知の事なんで? オレはもう、あのお方と敵対するなんて懲り懲りなんですがねぇ……」



 元々、忠義に厚いフライ・ディアは、ディジーグリーの密かな“念話”のサポートもあり、素直に現状を受け入れていた。

 即ち、ガルドが魔族の“救世主”となる事と、――――カミラの君臨。

 その二つともである。



 故に、カミラの逆鱗に触れる事はしたくない。

 だが、ガルドの頼みは聞き届けたいという、板挟みの状態であった。



「大丈夫だ。ディジーグリーをそなた経由で魔族領に戻す事は、カミラも承知している」



「あの馬鹿が怖いのは解るけど、今回の事はあっちも了承済みだから、安心なさいな。図体デカい癖して心配性ねぇアンタ」



 真面目な顔のガルドとケラケラ笑うセーラの姿に、フライ・ディアはぼりぼりと頭をかいた。

 この様子だと、カミラの方の“伝言”の中身は、二人は知らないらしい。

 面倒な事になった、と曖昧な笑みで遠い目。



「――――このフライ・ディア。陛下“達”のご命令、承りました。では、これ以上ここに止まるのは危険だもんで去らさせて貰います」



「うむ、良きに計らえ」



 フライ・ディアは、後は野となれ山となれ、ディジーグリーを抱え退散する。

 彼一人には、この流れは止められない。

 話が大きすぎて、事の善し悪しすら判断が付かないのだ。



 大通りに出て人混みに紛れるまで、彼らを見送ったセーラとガルドは、ほっとため息を付いたり伸びをしたり。

 二人の用件は、まだあるのだ。



「――――それで、次は何処に行くんだったか? セーラ」



「次はアタシの家よ」



 気軽な声のガルドとは裏腹に、セーラの口調は強ばっていた。

 そう、ディジーグリーの受け渡しについては、セーラにとってあくまで“オマケ”でしかない。

 本命は実家訪問、――――自身のルーツを探す事である。



「じゃあ行くわよ、――うん、ここからなら直ぐね」



「確か、パン屋だったか? ふむ、楽しみだな」



 セーラの顔色に気付かず、暢気なガルドの様子に。

 彼女は不機嫌さを隠さず歩き出しながら、問いかける。



「ねぇ、アンタ。“アタシ”の事、何処まで知ってたっけ?」



「いきなりなんだ? そなたは“聖女で”余の恩人で、笑顔の可愛い、優しい女性だ。…………他にあるのか?」



「――――なっ!? ア、アンタ今っ!? か、か、かわ…………うぅ、この馬鹿男! 唐変木!」



「ぬぅ? 何かまずい事を言ったのか? すまないセーラ」



 そういう事は二人っきりの密室で、という言葉を飲み込んで。

 セーラは立ち止まり、一気に真っ赤になった顔を両手で隠して数回深呼吸。



「そう、いう。事じゃなくて…………ねぇアンタ、カミラから聞いていないの? それとも本当に解らない?」



 そもそも、あの女が間違っていたのかしら、と首を傾げるセーラに、ガルドもまた考え込む。

 セーラという存在を、カミラは何をもって問題としたのだろう。



「“聖女”という存在は確かに驚異だ。――――いや、そうではない、か?」



 ガルドは、ぼんやりと問題点に思い至った。

 確かに“聖女”は魔族、魔王にとっての驚異。

 カミラの性格なら、殺すなり、排除するなりしている筈だ。



「セーラそなたは何故、生きている? 何故、今この学院に居られるのだ? カミラならば――――」



 その疑問に、セーラは皮肉気に返した。



「――――あの女ならば、殺している筈だって? まぁそうね、アタシがあのババアでもそうしてるわ」



「ならば何故…………?」



「そんなの簡単よ、カミラは優しいから。アタシを現実に引き戻し、“聖女”の力を“歪める”だけで済ませた」



「“聖女の力”を“歪める”? そんな事――――」



 出来るはずが無い、ただし“カミラ”と“ガルド”ならば。

 その事に気づき、ガルドは慌ててセーラの手を引き、近くの路地裏の奥へ。

 そして、あたりに人が居ないのを確認して、“世界樹”へとアクセスする。



「ちょっと! いったい走り出して何なのよ!?」



「すまない、少し待っててくれ――――」



 ガルドはセーラの文句を聞き流しながら、彼女の情報を閲覧する。



(――――『該当一件、個体名セーラ』)



 しかし、その中身は虫食いと文字化けで読むことすら儘ならない。



(違う、これはカミラがかけたプロテクトか! 余にも見られたくないとは、いったい何が…………!?)



 例えカミラが知られたくない情報であっても、セーラに何かあってからでは遅い。

 ガルドは次に、セーラの額を自らの額に当てて、直接個体情報を読みとる。



(何だこれは…………、“聖女”の情報が壊れている? それに、魔族の情報で一部上書きされて――――、いや、これは真逆)



 カミラがセーラにした行為に、大体の“あたり”を付けると、ガルドは顔を離した。



「えぇ、いや、そんな、確かに誰もいないけど、まだ早いというか、アタシの事――――」



「うむ? おーいセーラ? 熱でもあるのかそなた。顔がまた真っ赤だぞ?」



「――――はっ! くっ、このスケコマシっ!」



「はぐぁっ!?」



 ガツンと一発、セーラの拳がガルドの腹部に。

 然もあらん。



「ぬおお…………、う、うむ。そうか、いきなり顔を近づけて悪かった。すまない…………」



「こ、今度から一言いいなさい! 心の準備ってもんがあるんだから!」



 言い訳せずに素直に謝るガルドに、行為そのものは拒否しない発言をしたセーラ。

 その意味の理解を棚に上げて、ガルドの行動の意図をセーラは聞いた。



「…………そ、それで? 何か解った?」



「ああ、カミラがそなたに何をしたか。何が目的だったかが解った。――――おぼろげ、であるがな」



「そう、ならアタシの家に行く意味を解るわね」



「可能性は低い…………それでも行くのか?」



 言っても無駄だなのでは、と暗に指し示すガルドに、セーラは長く赤い髪を棚引かせて背を向ける。



「…………確かめたいのよ、それでも」



「そうか、なら付き合おう」



 ガルドの言葉に、セーラは少し悲しそうな顔で、声だけは元気に返す。



「ありがと。…………じゃあ、進みましょ」



 セーラの様子に、流石にガルドも気付いたが、何も言わずその後に続いた。

 今のガルドには、彼女をどうしていいか、彼女にどうしたいかが、解らなかった。



 お互いに無言で、ただ歩く。

 やがて数分後、セーラの足は焼け落ちた廃墟の跡で止まった。



「…………ここが、“そう”なのかセーラ?」



 セーラはそれには答えず、静かな口調で要求する。



「ねぇガルド。アンタ、世界を管理する“世界樹”とやらで、色々知れるんでしょ? ここが、何だったのか。アタシと何の繋がりがあるのか。知ることは出来ない?」



「…………わかった。やってみよう。後悔はしないな?」



「…………さぁ、ね」



 ガルドは物悲しげなセーラの態度に、ぐっと拳を握りしめながら“世界樹”に再びアクセス。

 ものの数秒もかからず、その全てを暴く。



(ああ、そうか。だからカミラは…………だからセーラは…………)



 伝えても良いのだろうか? セーラが知るべき事なのだろうか? そう逡巡するガルドに、セーラは青い透き通った瞳でまっすぐに促す。



「それは、アタシが知るべき事よ、だから遠慮なく話して」



「…………わかった」



 そして、ガルドは伝えた。



 この場所は赤の他人の家で、焼け落ちてから十年以上経っている事。



 セーラの実家であるパン屋では無い事。



 そもそも、セーラの実家など“無い”事。



 その両親すら、存在しない事。



 そして――――。



「最後に、…………いや、これは…………」



「話してガルド。予想はついてるから」



 力なく笑うセーラに、ガルドは葛藤した。

 ただ、悲しませる事しか出来ない自分に。

 彼女のか細く頼りない肩を、抱きしめたくなる衝動に。



「余は、余は…………」



「馬鹿ね、アンタがそんな顔するんじゃないの。悲しいのはコッチなんだから…………」



 ふわり、と。

 立ちすくむガルドは、セーラに抱きしめられた。



 その包容は慈愛に満ちていて、正に聖女といった所だった。



(いや、……“役割”だからではない。セーラが優しいんだ。だからきっと、“選ばれた”のだ)



 ガルドはおずおずと、抱きしめ返すと。

 最後の真実を告げる。



「――――セーラ。そなたは元々、“存在しない”人物だ」



「だろうと、思ったわ」



「あくまで推測でしか無いが、この“時代”に合わせて、“世界樹”が創り出した魔法的存在。…………多分、カミラも知っている」



「ああ、だから、あの女はアタシを消さなかったのね。同情や親愛があったかもしれないけど、何より――――シナリオが崩壊してしまうから」



「シナリオ? 何の事だ?」



 ここで、聞き覚えの無い単語にガルドは戸惑った。

 するとセーラは体を離し、真面目な顔で語る。



「『聖女の為に鐘は鳴る』かつて、そういうゲームが在ったのは知ってる?」



「文明崩壊前のゲームか? どんなものなのだ?」



「ゲームといっても高度な紙芝居みたいなモノよ。『セーラ』という赤毛の女の子が、貴族の学校に通い、王子様や貴族の男の子と出会い、世界を脅かす魔王を倒す、そんな恋物語。――――ここは、それとよく似てる」



「セーラになる前のアタシは、そのゲームが大好きだった。それこそ、全てを暗唱出来るほど、人生を捧げて、何十年ものめり込んだ」



「正直、カミラに邪魔され、アンタがこの世界の裏側を喋るまで、ゲームの世界に転生したと思ってた」



「…………どうして、違うと思ったのだ? そなたの目からしたら、ここはゲームの世界だったのだろう? カミラや余の言葉で――――」



 セーラはガルドの言葉を、端的に遮った。




「――――カミラ、あの子がそう言ったからよ」



「カミラが?」



 今一つ要領を得ない表情を浮かべるガルドに、アメリは言葉を重ねた。



「思い返してみれば、あの子の言葉には、真実が散りばめられていたわ」



「そしてそれを、アンタが補強してしまった」



「何より、何よりよ」



 涙声、震える声でセーラは。



「アタシと同じように“前世の記憶”を持つ、それこそ、そんな記憶を持つ意味がないカミラがね、言ったのよ。ここは――――未来の世界だって。ゲームの世界に転生した訳じゃないって」



「ねぇ、理解できる? ゲームではカミラ・セレンディアは名前さえ出てこなかった脇役だった。どのルートを辿っても、死の運命しかなかった。名前だって、設定資料集の片隅に乗ってるだけ」



「カミラはどんな気持ちで、運命に、“シナリオ”に抗い、何度も何度も繰り返して」



「アタシは良いのよ。――――老いて、満足に死んでいった“記憶”が残ってる。今は確かに、死の後の続きだと思ってる…………だから、好き放題してたんだけどね」



 セーラは少しの間だけ俯くと、きっ、と顔を上げてガルドの右手を両手で掴んだ。



「お願いガルド、何でもするわ。――――だから、アタシに魔法じゃない、肉の体を与えてちょうだい! クローンっぽいアンタなら、それが出来る筈よね」



「た、確かにそれは妙手ではあるが、どうしたのだ!?」



 そうすれば、今の“世界樹”を騙し、生存を計っているギリギリの状態から、セーラは脱出出来る。

 この後の生も確実だろうし、異論は無い。

 だが、それがカミラと何の関係があるのか。



「あの子は、カミラはね。正しく“幸せ”にならなちゃならないわ!」



「ユリウスと恋人で、今も結婚の挨拶に行っているではないか、それの何処が“幸せではない”というのかっ!?」



 未だ、きちんと人間を、男女の仲というモノを理解しないガルドを、セーラは鼻で笑う。



「はんっ! ちゃんちゃらおかしいわ! あの女は凄く強いけど、それは“力”だけよ。“心”はか弱いってもんじゃないわ! …………まぁ、何度もループしてるヤツが、まともな精神してる訳無いけど」



「か弱いなら、尚更ユリウスに任せておけばいいのでは?」



「最終的にはそうね、それが一番だわ。でも、よ? あの子はループの事すら、ユリウスに話していないでしょう。アンタが世界の裏側を話したとき、ユリウスが驚いていたでしょ、あの子、絶対何も話してないわ。断言できる」



 言い切ったセーラは、ヒートアップしてギリギリと手に力を込めた。

 その手に、手を包まれているガルドは強い痛みを覚えたが、言い出すまえにセーラは尚も言い募る。



「それに、今まで魔族を放置してたのも問題だわ。ちょっと考えれば、何らかの対策を立ててもいいのによ?」



「う、うむ。そうだな…………」



「ああいうタイプはね、誰かがケツをひっぱたいて、晒け出してあげないと、何時まで経っても胸にしまい込んで、ドロドロ落ちていくのよ! ――――薄い本で何度も読んだわ!」



「薄い本が何かわからぬが、つまりは、カミラを幸せにする、と?」



「そうよ! じゃなきゃ、おちおち恋もしてらんないじゃないっ!」



 がおーっと吠えるセーラに、ガルドは感銘を覚えた。

 強い女性だと。



 そして、ズキリと胸が痛んだ。

 こんなに思われてみたい、と。

 だから、それ故に。

 自覚しない思いが、胸の奥から飛び出る。



「では約束してくれ。いつか、余を見て――――? 見て? なんだ? 余は何を言おうと……?」



 しかし、自覚しないが故に言葉にならない。

 セーラはその必死そうな様子に、恋の予感を感じた。

 だが、ガルドの精神はまだ幼く、優先すべきはカミラという面倒くさい哀れな女である。



「ええ、約束してあげる。その変わり、しっかり協力しなさいよ。――――さしあたって、カミラの過去と本音を引き出して、ユリウスに暴露する事かしら」



「おお! 感謝する! ……する? まあいい。大船に乗ったつもりでいるがよい! 幸いにして、そなたの体の事なら、そう遠くない内になんとかなるであろう。余の使った装置がまだ生きている筈だからな!」



 数ヶ月先の修学旅行の行き先が、魔王城跡地の方面だった筈だ。

 その時に抜け出して取りにいける筈だ。

 ガルドはそう算段をつけながら、満足そうに頷き、セーラと堅い握手を交わした。

 ――――セーラの柔らかな手に、ドギマギしながら、であったが。



「待ってなさいカミラ・セレンディア! アンタをユリウスルートに攻略してあげる! えいえいおー!」



「えい、えい、おーー!」



 王都の片隅で、二人の元気な声が響きわたった。



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