貴方に捧げる私の全て④



「えーと、何故わたしが実況席に座ってるんでしょうかゼロス殿下? というか、昨日に引き続き王族が実況とか、何しているんですか!?」


 エキシビジョン開始直前、アメリの声がコロシアムに木霊した。

 疑問を感じていた観客全員が頷く。


「昨日の実況が見事でな……、他の生徒が担当する筈だったんだが、辞退して勉強させてもらいたい、と」


「それで良いんですか!? 活躍の場ですよ貴族の跡取り様? ――って後ろにいたぁ! …………え、何? 貴女の声に惚れました、付き合ってください? いえ。カミラ様を倒してから言ってください」


 ノータイムでバッサリあっさり、男子生徒をフるアメリの姿に観客席から笑いの声が。


「…………いくら何でも、あの女傑に挑めというのはあんまりではないかアメリ嬢? こう、手心というものをだな」


「いえ、声を褒めて下さったのはいいですし、もしかするとわたしの方が、実況に向いているかもしれませんが。……お仕事を放棄される方はちょっと……」


「ああ、うん…………ドンマイ元実況者よ。せめてそこでアメリ嬢の声を聞き惚れているとよいぞ」


「追い出さない殿下お優しい……、ではなくてですね。何故昨日のジッド王に引き続き殿下が?」


「いや何、俺も一度やってみたくてな……、それに我が友が何やら面白い事をしでかすというではないか……せめて声援をだな」


「ヤジを飛ばしたい……の間違いでは?」


「はっはっはー」


「せめて否定して下さいよゼロス殿下!?」


 観客達は、友人思いの殿下だとか、フレンドリーな王族ってイイネ、とか思い思いにぬかす。

 ――それでいいのか王国民よ。


「ゼロス……お前ってヤツは……、いや、悪のりが好きな奴だって知ってたが……」


「ふふっ、愛されてますねユリウス様」


「誰の所為だ、この性悪魔女め!」


「最早逃げられませんよユリウス様……今逃げたら、女として恥ですので、貴男を殺して私も死にます」


「逃げないッ! 逃げないからその珍妙な剣をしまえッ! マジな目をするなッ!」


 登場ゲートの前で待機中のカミラとユリウス。

 彼らがマイペースに、イチャついて……イチャツいて? いる間にも試合前の実況は進む。


「では、エキシビジョンマッチ開始前に。対戦者の解説をお願いします殿下」


「ああ、任された。――まずは我らが王国一の魔法使い、カミラ・セレンディア。その実力は解説無用、ハンデを背負ってなお無双していた昨日の戦いは、皆にも良く目に焼き付いている筈だ」


「ええ、そのお陰で予選出場者が軒並み辞退しましたからね――この玉無しどもめっ! 昨日の皆の様にせめて一撃と、かかってこんかあああああああい!」


「どうどう、どうどう。おさえろアメリ嬢。彼らは勝敗の可能性と、敗北時のリスクをきちんと計算できる戦士、臆病者ではないさ」


「そうですかぁ?」


「考えてもみろ、このトーナメントに参加するだけでも多少なりとも金がかかる、その上、武具が壊れても修理費は自分持ちだ。――予選を戦い抜いて、その先は?」


「成る程、どう足掻いても武具を粉々にされた上、勝利など小石ほどの可能性も見いだせない、カミラ様という壁があるのですね。…………申し訳ありません、彼らは賢明な戦士でした」


「うむ、そういう事だ。……お前も大変だな、カミラ嬢の側にいて」


「いえいえ、そんな好きでお側にいるのですから」


「だから、アイツへのその好感度の高さは何なのだ……」


 疑問を代弁し、ヘイトコントロールを行う二人に、カミラは感心した。

 これならば、出場辞退した者に批判が集まりすぎる、という最悪の事態は無くなった。


「アメリ嬢は、本当に得難い人間だぞ。大切にしろよカミラ」


「言われなくとも、アメリは最高の友人であり、最良の部下ですわ」


 などと言っている間に次の紹介だ。


「そのカミラ様と組むのは、謎の銀髪の男装――――いえ、失礼しました。ユリシーヌ様と同じ銀髪で同じ聖剣を持つ、極めて謎の人物、ユリウス様ですっ!」


「ああ、極めて謎の人物ユリウス……いったい誰なんだ。昨日カミラ嬢と激戦を繰り広げたユリシーヌ嬢と同じ顔をしているが、彼女の男装に見えるが、いったい誰なんだ謎の男ユリウス!」


 つまりは、そういう設定だと暗に……いや公に言う。

 無粋なツッコみ不要。

 ノリのいい観客らも、誰シーヌなんだ……わからねぇ……等の声が上がる。

 いったい何ユリシーヌなんだ……、わからねぇぜ!


「――――ゼロスゥううううううううううう!」


「ぷぷっ、くすくすくす……」


「笑うなカミラッ! その衛兵さんも笑うんじゃないッ!」


 そんな微笑ましい遣り取りの中、アメリとゼロスは爆弾をもう一つ落とす。


「んで、聞きましたか殿下。今回のエキシビジョン。その戦いの行方に、ある女性の人生がかかっているようですよ?」


「うむうむ……くくくっ、聞いているぞ。何でも結婚の許可を得る為の戦いとか……くくくっ」


「ええ、性別を越えた愛……いえ違いました。ぷぷっ、ええ、謎のユリウス様は男ですものね……愛を賭けた決闘と言う訳です……ぷぷぷっ、関係ありませんがユリシーヌ様、ガンバってくださいご愁傷様です」


「ああ、戦いに関係ないが、何かに巻き込まれたユリシーヌ嬢よ、頑張るのだぞ……くくくっ」


 密やかに広まっていた噂を肯定するアナウンスに、観客のテンションが上がる。

(見かけだけは)麗しい美少女同士の禁断の愛だ! 応援する他ねぇぜ、とく訳である。

 ――頭沸いてるんじゃないか、大丈夫か王国民!


「ご・愁・傷・様、ユリシーヌ……あらいやだわ。愛しいユリウス様」


「――帰る」


 無表情で踵を返したユリウスの腰に、カミラはしがみついて縋る。


「嘘嘘ごめんなさいユリウス様! 後生だからっ! この状況で帰られたら本当に恥だから、私生きていけないから帰らないで下さいいいいいいいいいいいい!」


「ええいッ、解ったからくっつくなッ! 尻を頬ずりするなこの馬鹿女ッ!」


「くくっ、大変なんですねユリシーヌ様、いいえ、ユリウス殿……くくっ」


「頼むから笑ってくれるな衛兵殿よ……」


 ユリウスにコロシアムの全てから同情が集まっている中、紹介は対戦相手に進む。


「そしてカミラ様&ユリシー……げふんげふんユリウス様ペアに対するのは、もう皆様もお気づきでしょう…………クラウス様、セシリー様のセレンディア当主夫妻でありますっ! ――ところで殿下。わたし叔父様方の実力知らないのですが、勝負になるんですか?」


「ああ、昔王城に居た者や、夫妻の同世代者以外は、余り知らないかもしれないな。……近年ではカミラ嬢の活躍が幅広く、そして大き過ぎて、影にかくれてしまっているからな……」


「と、いいますと?」


「クラウス伯爵は、剣聖としても有名だった勇者カイス殿下の従者にして愛弟子でな。在籍期間こそ短かったが、親衛隊隊長まで勤めたかなりの実力者だ。……その実力故、兵達の中では、あのグラダス将軍でさえも軍務復帰を望んでいるという強者なのだよ」


「成る程、知りませんでした。そんな実力者だったとは……」


「俺達とは世代が違うからな、知らなくても仕方あるまい」


「ではセシリー様は?」


「うむ。彼女もまた、その世代では有名な魔法使いでな……、クラウスとのラブコメ……じゃなかったラブロマンスは、今だ王城では話の種だ」


「…………もしやカミラ様のは、血ですか?」


「明言は避けよう……、彼女は魔力の大きさこそ普通だが、いざ戦闘となると、あの手この手で相手を蹂躙する様はまさしく魔女だと、評判であった……父も言っていた。カミラ嬢の戦いはセシリー様の生き写しだと……」


 カミラがモブたる所以は、ある意味そこであった。

 原作のユリウスルートのアフター設定を書いた公式同人では。

 娘を殺されたセレンディア夫妻が、復讐心に飲まれた挙げ句、原作セーラとユリウスに敵対する事が匂わされていた。

 しかし、匂わされているだけで名前は出てこない。

 実力者であろうとも、モブの娘はモブなのである。


 閑話休題。

 王子の言葉に、アメリは頭を抱える。

 鳶が鷹を産んだのかと、失礼ながら思っていたが、鷹の子が鷹だっただけである。

 ただしその鷹は、オリハルコンの爪を持った鷹であったが。


「やはり、血じゃないですか!」


「はっはっはっ。この戦い、どうなるかはカミラ嬢がどう動くかだな……」


「ユリウス様は聖剣を持っていますが、そこは?」


「うむ、いくら強い剣を持ち、学院最強であろうと、クラウスの方が実力は上だからな」


「成る程、そこでご両親を足して2でかけ算した様な、カミラ様の動きが重要になってくるのですね?」


「ああ、カミラ嬢がご両親に対して、真っ向から戦えるかが鍵だな」


「でもカミラ様ですものねぇ」


「カミラ嬢だものなぁ……」


 実況の声に、噂はかねがねな観客も頷く。

 あのカミラ・セレンディアが両親とはいえ、手加減するのかと。


「さて、そろそろ会場の方にも、王城魔法師団の方々が、カミラ様の魔法にも耐えられそうな超強力な結界を張り終えた様ですので、選手入場ですっ!」


「夜を徹しての作業、苦労であった。――では両者、指定の位置に付いてくれ」


 カミラとユリウス。

 そしてセレンディア夫妻が、舞台の上で相対する。


「それでは――――試合開始っ!」


 魔法の花火が今、戦いの開始を告げた――――!




 戦いは静かに始まった。

 コロシアム中が見守る中、男性陣はほぼ同時に抜剣。

 詠唱無しで好き放題に、強力な魔法を撃てる女性陣は、相手の動向を油断なく伺う。



「行くぞ若造――! カミラちゃんを誑かした悪いヤツめっ!」



「それは誤解です(カミラの)お父上!」



「お前に義父上と呼ばれる筋合いはなああああああああい!」



「だから誤解だって言ってるだろおおおおおおおおおおおおおお!」



 激しくぶつかり合う両者。

 だがそこに緊迫感は無く、観客も喜劇を見る目線。


「いやー、燃え上がっていますね二人とも」


「……そうか? いや、ある意味そうだが……」


 鍔迫り合いからの、空いた手足の奇襲。

 離れればすぐさま突きや突進、近づけば空気さえ切り裂く剣線の撃ち合い読み合い。

 なまじハイレベルで、泥臭くもある剣闘なので、どこを実況していいのやら。


「しかし、ユリウス様。以外と健闘してるじゃないですか。殿下絶賛のクラウス叔父様と互角の戦いとは」


「ふむ、そう見えるか……俺にはユリウスが劣勢に見えるが?」


「どういう事です?」


「クラウスはどちらかというと、剣技で圧倒するスタイルだ。――しかし、ユリウスはどうだ?」


「ああっ! ユリシーげふんげふん。ユリウス様は魔法と併用する戦い方でしたねっ! あれ、でもユリウス様、魔法使ってませんよ?」


「正確には、使っていないのではなく、使わせて貰えない……だな。見ろ、あの戦いの何処で魔法を使う機会がある?」


「ああ、本当だっ! 魔法を使おうとした矢先に、クラウス様の剣がああああああっ! これは非常に厳しいっ!」


「ここは寧ろ、その状態で持っているユリウスを誉める場面だな。そう今だ――――。解ったか? ユリウスは敢えて魔法を使おうとして、クラウスの攻撃タイミングを限定しているのだ」


「魔法を使わせれば不利になる、だから誘いを覚悟で攻撃を。ユリウス様からしてみれば、タイミングが解っているなら防ぐ事は可能」


「ああ、派手さはないが、玄人好みの戦いだな」


「では自称玄人の皆さーん! 今の戦い解りますかーーーー? 満足してますかーーーー?」


 アメリの呼びかけに一部の観客が、うおおおおおおおおお、と同意の叫びを上げる。

 そうで無いものは、おー、と戦いに感嘆の声。


「……で、お二人の戦いはいいとして、あっちはどうします?」


「どうって、俺達にはどうしようもないだろう……」


 疲れたような声のアメリとゼロス。

 そう、カミラとセシリーは今、別次元の戦いをしていた――――!



「フレーっ! フレーっ! ユ・リ・ウ・ス!」



「フレーっ! フレーっ! ク・ラ・ウ・ス!」



「「頑張れーー!」」



「「お前達もまともに戦えーー!」」



 そう、カミラとセシリーは今、魔法でボンボンを作り、応援合戦だ。

 双方とも分身した上、飛んだり跳ねたり、果ては魔法を使い豪華な応援“弾”幕を打ち上げ。

 アクロバティックなチア合戦を繰り広げている。


「ええぇ~。それで良いんですかカミラ様、セシリー叔母様……」


「子が子なら、親も親と言うべきだな……。いや、結構見応えがあるからいい……のか?」


「いや、これエキシビジョン! 血沸き肉踊る戦いですよっ! 応援合戦でいいのですか?」


「いやいや、そうでもないぞ。――ほらそこ、結界に当たった魔法を見てみろ」


 アメリは場外に出た魔弾の一つに注目する。

 その魔弾は、観客を保護する結界に当たり、あらぬ方向へ飛んでいった。


「あれ? あの結界で魔法を打ち消す効果があるんですよね? なんで弾かれただけで終わってるんです!?」


「ああやって、ふざけているように見えてな、多分、高度な魔法戦だぞあれ……」


「……確かに、クラウス叔父さんにさり気なく向かった魔弾が、セシリー叔母様によって打ち消されている!?」


「付け加えるなら、前で戦う二人も後ろの二人の魔弾合戦により、行動範囲の制限を受けている、と言う事だな」


「カミラ様は叔母様を牽制しつつ、叔父様の回避範囲を狭め、叔母様はカミラ様の攻撃を捌きつつ、ユリウス様の行動範囲を徐々に場外へ向かわせている……?」


「ああ、逆もしかりだ。――ただ」


「ただ、何です?」


「このままだと千日手だ。そして前衛勝負は技で勝るクラウスの勝ち筋すら見える」


「あれ? ユリウス様、負けちゃうんですか!? 経験の差は、それほど大きいという事だ。だがそれを覆す事が出来るのは――――」


「カミラ様……ですか」


「ああ、カミラ嬢が動いたとき、この勝負の行方は決まる――――!」


 観戦する全ての者がわくわくと注目する中、最初に揺さぶりをかけたのは、クラウスだった。

 鍔迫り合いの最中に、憤怒の顔でユリウスに問いかける。



「小僧……一つ聞きたい」



「何ですクラウス様……」



 ギリギリ、ギリギリ、鍔迫り合いの中でクラウスは真剣な顔。

 その気迫に、ユリウスも引き吊り込まれる。



「何故、カミラに手をださああああああああああん!」



「――ッ!? 出すと人生終わるからだろうが糞親馬鹿男――――ッ!」



 一瞬ユリウスが体勢を崩したのを見逃さず、クラウスは猛攻をかける。

 キンキンキン、カンカンカンと右へ左へ。

 ユリウスを以てしても防ぐのすらギリギリ、素早い剣戟の音が鳴り響く。



「アメリから聞いておるぞおおおお! 最近では満更でも無いそうじゃないか! 昨日だって仲睦まじく、カミラの身体を抱きおってからにいいいいいいいいいっ!」



「人聞きの悪いことを言わないで頂きたいッ! あれは足首を痛めたから、抱き上げただけだ――ッ!」



「でもカミラちゃんの躰は柔らかかっただろうううううううう! 大きくなったからって、最近ではだダッコすらさせてくれないのにいいいいいいいいいい!」



「当たり前だ馬鹿ッ! アイツの歳と考えろッ! いい加減子離れしろよ馬鹿親あああああああああああッ! でも柔らかかったですううううう――――はうあッ!?」



 勢いに飲まれ、思わず本音がポロリ。

 しかし、それを見逃すクラウスではない。



「はっはーーっ! 赦さんぞ、赦さんぞ若造おおおおおおおおおおおおお!」



「ちくしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」



 最早観客の誰も追いつけない速度で剣を振るうクラウス。

 流石のユリウスも、一撃二撃と取りこぼし徐々に後退させられていく。

 速度が速度故、一撃が軽い事だけが救いだ。



「も、もう~~。パパ様とユリウス様ったら~~」



「牽制してるのは解るけど、本気だしてくれカミラあああああああああ!」



「助けんでいいぞカミラあああああああああああ!」



「…………カミラちゃんいいの? お婿さんが大ピンチよ?」



「もうちょっと、焦った顔を眺めていたいので。このままで」



「どちくしょおおおおおおおおおおおおッ! この糞女あああああああああああッ!」



 本音混じりの軽口で誤魔化したものの、カミラは焦っていた。

 朝にアメリには、ああ言ったものの。

 装備している魔銃剣は、普通の人なら魔弾を出す程度で済むが。

 実の所カミラの膨大すぎる魔力では、某ビームライフルもかくやな、魔砲というべき代物になってしまう。

 


(――くっ。やっぱり撃てない!)



 理由は更に二つ。

 クラウスとユリウスの距離が近すぎて、魔銃の自動照準では対応できない事。

 そして――。



「どうしたのカミラちゃん? ほらほら、いくらで撃ってきなさい、その銃は飾りじゃないでしょう?」



「――――ちぃっ!」



「まぁ舌打ちなんて……カミラちゃんをそんな子に育てた覚えは…………、うん? そういえば何回か心あたりが?」



「――――パパ様の見知らぬ女が近寄って来たとき、いっつも舌打ちしてましてよママ様ああああああああああ!」



 カミラは銃で狙うことを諦め、クラウスに向かって突撃を開始した。



(たとえこの様な場でも、大切な親を撃てるわけないでしょう――――!)



 甘いというなら、遠慮なく笑えばいい。

 しかし、どんな時でも暖かく受け入れて貰った両親なのだ。


(記憶が戻って泣いてしまった時も、記憶を打ち明けた時も! 記憶を使って復興反映させた時も! あの人達は笑って抱きしめてくれた! 受け入れてくれた! そんな人達を――)



「――私は、傷つけられない」



「――なッ! カミラッ!?」



「ぬおおおおおおおお! 邪魔立てするでない我が愛する娘よ、どけぇっ! そいつを殺せん――――!」



「殺すのは駄目ですよアナタ――――!



 一瞬の内に距離を詰めると、カミラは瞬きをする間も無くユリウスを連れて離脱。

 クラウスから、大きく距離を取った。


「ああっとおおおおおおおお! カミラ様ここで動いたあああああああああ! 今度は何をするつもりだあああああああああっ!」


「仕切直しか、それともお得意の魔法をぶっぱなすのか、見物だな」


 外野の事など無視して、カミラはひとまず結界を張る。

 とっさの事で随分手抜きしてしまったが、少しは時間を稼いでくれるだろう。


「――――助かったカミラ。あのままでは悔しいが押し切られていた」


「いいえユリウス様。私がいけないのですわ……」


 しょぼくれた顔をするカミラの頭を、ユリウスは乱暴に撫でる。


「解っている。戦いながらお前の事は気にかけていた――、ご両親と戦いたくないのだろう?」


「――――っ!? ユリウス様、気づいて……」


「冷たそうに見えてお前は存外、情に厚すぎる女だ。あれだけ攻撃を躊躇っていたら、嫌でも解る」


「ごめんなさいユリウス様……私は……私は、あの人達にどんな魔法でも向けられない……」


「全く、予想してなかった訳じゃないんだろう? なら最初から言ってくれ」


「うう、ごめんなさい。かくなる上は――貴男と一緒に自爆して!」


「おいッ! おいッ、何でそうなるこの馬鹿!?」


 魔力を高め圧縮し始めるカミラに、ユリウスは慌てる。

 ――こんな面も、心地良く感じるなんて嘘だ。


「貴男も傷つけたくないわ……でも、一緒なら。怖くないって、そう思うの……」


「何か晴れやかな顔で言うんじゃない馬鹿女――ッ!」


 どんどんと圧縮されている魔力にユリウスは焦った挙げ句、たった一つの冴えたやり方を思いつく。

 絶対後で後悔するが、悠長に考えている暇など無い。


「ええい、ままよッ――――」




――――――――ちゅっ。




 瞬間、会場中の時が止まる。

 観客も目を疑い、クラウスが口を大きく開けあんぐりし、セシリーがまぁ、と一言。

 次の瞬間、カミラの魔力が爆発では無く、只の光。

 ピンク色の、巨大なハート型の光が広がって、きらきらと消えていった。

 ――――即ち、歓喜。


「いったい何やってるんだカミラ&ユリウスペアあああああああああああああああ!」


「うむ、あれは見事なチューだったな。額にチュー…………いや本当に、何やってんだアイツら……?」


 騒ぎ立て口笛を吹き、アンコール! アンコール! と騒ぐ外野を余所に。

 顔を真っ赤にして口をパクパクさせるカミラの、その華奢な肩をぐいっと掴み顔を合わせる。


「……お前多分、きっと、恐らく、大きな目で見れば或いは、俺の、勝利の女神だ」


「あうう……、そこ、は。あの……、そ、の……言い切って、あう……くださいましぃ……」


 しどろもどろのカミラに、ユリウスは力強く言った。


「――俺に、任せろ」


「お前はご両親に攻撃しないでいい」


「今は何も考えずに、ただ俺の指示通り動け」


「そうすれば――――勝てる」


 ユリウスはカミラを強く抱きしめ、その耳に作戦を囁く。

 抱きついた事で、躰の柔らかさ、思ったよりか弱い肉体にドキドキしながら、必死に冷静な思考を保つ。


「――――で」


「ひゃ! み、耳が……」


「動くなッ、じっとして聞け」


「は、はいぃ……」


「――――するからお前は――――」


 カミラはユリウスのがっしりした腕と、逞しい胸板にトキメキながら、囁かれる言葉を脳裏に焼き付ける。

 甘い言葉ではないのが非常に残念だが、カミラ的に超オッケー、我が世の春だ。


「――――だ、解ったな」


「はい! 全て言う通りにしますわ旦那様っ!」


「――まだ旦那じゃない馬鹿女ッ!」


 カミラとユリウスは、反撃の為に動き出した。




「いやー、これ本当に武闘大会ですかねぇ……」


「一応、男女ペアは想定の内だったが、これは……まさか戦闘中にいちゃつくとか、予想外にも程があるぞ……?」


 クラウスとセシリーが、カミラの張った結界に苦戦している中、カミラとユリウスは抱き合ったままだ。


「ぬおおおおおおおおおおおっ! 何時までそうしている気だああああああああ! ぶっ殺してやるこの野郎! カミラちゃんはお嫁に行かさんぞおおおおお!」


「アナタ、気をつけて下さいね。婿殿の目、何か策がある感じですわ!」


「わかっとるっ! 結界の破壊を急ぐぞっ!」


 クラウスが物理的に負荷をかけ、セシリーが魔法的アプローチで、結界の突破を計る。

 薄皮を剥ぐように少しずつ結界が弱まっていく事を、カミラは知覚していたが、そこに不安はなかった。


(嗚呼、嗚呼。ユリウスの言うとおりだったわ。私は大切なあの人達と戦えない事に捕らわれて、そこで止まっていた。……まだまだ視野が狭いわね)


 自分に足りないモノを補ってくれるユリウス。

 その愛おしく、頼もしい肉体をぎゅっと抱きしめ返して、カミラは言われたとおり勝利への下準備。

 両親は気づいているだろうか、この抱擁すら勝利への布石である事を。


「ユリウス……貴男に、力を――」


「受け取るさカミラ。お前と俺に、――勝利を」


 カミラは打ち合わせ通りに、そっと目を閉じた。

 別に唇にする訳では無いが、目を開けていたら今度こそ嬉しさで失神してしまう。


 ――ちゅっ。


 額の柔らかな感覚で、カミラの胸に暖かな光が溢れる。

 その光を制御せずに、身体能力増加の魔法としてユリウスに流す。


「どうぞ、ご存分に――」


「――ああ。お前の望み、果たしてみせる」


 ユリウスと言えば涼しい顔をして、カミラの髪の匂いやら躰のやわっこさに、本能と理性で奥脳していたが。


「うおおおおおおおおおおお! カミラ様&ユリウス様ペア見せつけるううううううううう! これは相手の挑発を誘う作戦かああああああああああ!」


「だろうな、アイツらあんな事する仲では、無かった筈だが……さては何か進展あったな? 後で聞き出してやる」


「ですね……しかし、それだけじゃないですね……さっきから何やらユリウス様が指示を出している様です。この後に一波乱起きそうですね!」


「…………何故そんな事が解る?」


「あれ? 見えませんでしたか? 抱きしめている間に、ユリウス様が作戦っぽいこと囁いていたじゃないですか?」


「……真逆、心が読めるとは言わないよなアメリ嬢?」


「それこそ真逆ですよ。読心術です、唇の動きを読むヤツを、カミラ様に仕込まれまして……上流貴族には必須って聞いたんですが、違うんですか?」


「お前、カミラに騙されてるぞ……? 普通、どの貴族でもそんな技術は必要ないんだが」


「ぎゃーすっ! マジですか!? これ覚えるの苦労したのに、カミラ様の馬鹿あああああああああああ!」


 実況席の叫びは兎も角、カミラとユリウスは体を放し、しかして繋いだ手は放さない。



「行くぞッ!」



「はいっ!」



 共に駆け出すと同時に、カミラは結界を解除。

 簡単な事だ。

 傷つけたくなければ、傷つけなければいい。

 魔法を撃つのが怖いのなら、正確に制御できるユリウスに任せればいい。そうすれば万が一も無くなる。



「ようやくイチャイチャを終えたカミラ様&ユリウス様っ! 今度は仲良く二人して突撃いいいいいいいいい! その繋いだ手には何の意味があるんだああああああああ!」



「これから――――見せてあげますわっ!」



「――――ッ! はあああああああああああッ! 行ってこいカミラアアアアアアアアッ!」



「その手を放さんかああああああ――――どぉあっ!小賢しい真似を! 勝負を捨て――――カミラあああああああ!?」



「――――アナタ!? カミラちゃん!?」



 実況する間すらない一瞬の出来事。

 セレンディア夫妻及び、観客は驚愕した。


 最初の一撃は、ユリウスによる投擲。

 そう、こともあろうか“聖剣”の投擲である。

 だがそこは歴戦の猛者クラウス、難なく遠くへ弾き飛ばす。

 ――――だが、問題はその後。



「うおおおおおおおお! 放せっ! このまま一緒に場外負けするつもりか!?」



「まさしくそれですわ! パパ様――――!」



 剣を弾いた事による一瞬の隙を付き、カミラがクラウスに抱きつく。

 事態を飲み込めないクラウスに、更に致命的な隙が産まれ。

 次の瞬間、クラウスはカミラ事場外へ投げ飛ばされた――――!



「これか! これを狙っていたのかあああああああああああああああああああああ!」


「そうか、先ほど抱きついていたのは、挑発の為だけではなく、ユリウスに支援魔法をかけているのを悟らせない為なのだな」


「支援魔法がバレると、セシリー様が直ぐ解除しそうですものね……」


「いやしかし、いくら支援魔法で筋力増強しているとはいえ、人間二人を投げ飛ばすとは……」


「けど、カミラ様まで投げちゃって良かったんですか? ほら、二人とも場外負けになってますけど」


 アメリが指し示した先には、審判によって敗北を言い渡されている親子。


「たしかにカミラ嬢の戦力は魅力的で、実際に有効だろうが、この場合はこれでいい」


「と、言いますと?」


「――エキシビジョンという形だが、彼らの戦いの理由は何だ?」


「ああ、結婚の許可でしたっけ」


「……せめて、交際の許可と言ってやれ。まぁ兎も角だ。それならば、ここはなるべくユリウスの実力を見せる時、カミラ嬢の力で強引に解決しても意味がないからな」


「カミラ様、ご両親大好きっ娘ですからねぇ……ではカミラ様の蹂躙は、本戦に期待ですね!」


「蹂躙で済めばいいがな……」


 観客が実況の言葉に、しみじみと頷いている間にも勝負は続く。


 セシリーが奇抜な展開にあっけに取られている間に、カミラから渡された魔銃剣を抜刀。



「使い方は聞いている――――いけぇッ!」



 狙いは曖昧でいい、銃についている自動補正がセシリーをしっかりと捕らえ、魔弾を発射。

 弾幕といかずとも、魔力を使い果たす勢いで連射しながら疾走。



「舐められたものね……、いくら婿どのでも、慣れない武器をいきなり使うものではありませんわっ!」



 元々、セレンディアで作られた新兵器だ、その威力、効果は把握済みだとセシリーは軽々回避。

 同時に、土の壁や氷の坂などを作りだして進路妨害。

 それは観客が思わず拍手するほど鮮やかな手際だったが、カミラによって強化されたユリウスの前には無意味。

 魔弾で打ち壊し、楽々と飛び越えて最短距離でユリウスの間合いに入る。



「これで、終わりだ――――!」



 懐に入ったユリウスは、上段より一線。 



「それは一度みたのよっ!」



 対するセシリーは、騎馬戦でカミラがした様に金属製の籠手をとっさに作り出し防御。

 剣が衝突の衝撃で跳ね上がる前に、錬金魔法で魔銃剣の剣身を、籠手と一体化させる。



「――――これで、勝ちね」



 ユリウスの背後から聞こえる声。

 突きつけられる魔法の杖

 だが、どうして? セシリーはユリウスの目の前にいるのに。


(――やはり、分身)


 観客が目を疑う中、ユリウスはニヤリと笑う。

 こうなる事は、全て予想済みだった。

 そう、今の一撃が分身によって防がれ、背後に回られる事を。

 そして――――――。



「――――ああ、“俺達”の勝ちだ。」



「そん、な…………」



 ダン、ダン、ダンと魔弾が発射される音が三発。

 直後、ぐらりと傾くセシリー。

 彼女が見たものは、刃の部分から取り外された魔銃剣、否――――魔銃。

 錬金魔法も見越していたユリウスは、剣を振り下ろした直後に刃との物理接続を解除。

 そしてマントに隠して銃口をセシリーに向けていたのだった。



「安心してくれ、術式は御息女謹製の“麻痺弾”だ」



 背後にて、セシリーが倒れた音を聞き届けると。

 ユリウスはゆっくりと立ち上がり、魔銃を高々と掲げて勝利を示した。




 実力者相手に見事勝利を納めたカミラとユリウス、――特にユリウスは生暖かな視線と盛大な拍手が送られる。

 歓声を背に控え室に戻った二人は、休憩する間もなくセレンディア夫妻の襲撃にあっていた。


「………………非常に」


「はい」


 渋い顔のクラウスに、神妙に頷くのユリウス。


「ひっ、じょーーーーーーーにっ!」


「アナタ、長い」


「何ですのパパ様?」


 妻の指摘も娘の疑問も何のその、苦虫を潰しまくった表情でクラウスは続ける。


「ひじょおおおおおおおおおおおおおおおおにっ! 不本意だが、不本意だが、不・本・意! では!あるがっ! ユリウス殿よ……お前を認めよう」


「ええ、貴男にならカミラちゃんを任せられるわ」


「あ、有り難うございます……?」


 そういえば、とユリウスは思い出した。

 最初は哀れみと周囲の空気に流されて、偽装恋人を請け負ったのだ。

 ユリウスにカミラを嫁になどする気は毛頭ない。

 ない……が――――。


(――――何で、そんな姿を思いついてしまった俺!?)


 カミラの嫁入り姿か、と。

 うっかり脳裏に描いてしまったのは、ウエディングドレスを来たカミラ。


(何故幸せそうに微笑んでいるッ! 何で俺の隣にいる姿をッ! 駄目だ駄目だッ! こんな悪女と一緒にいたら苦労は目に見えているぞッ!)


 そもそも、問題はそこでは無い。

 酔っぱらっている者が、自分は酔っぱらっていないという程には、カミラという“毒”が回っている事に気づいていないのが問題なのだ。

 

(どうなっているんだ、俺の頭……)


 更に言えば、カミラも計算外でユリウスも自覚していなかったが。

 長い女装人生の影響で、乙女回路がしっかりと根付いていたのだ。

 それ故の妄想、幸せな家族生活への渇望。

 本人が自覚している以上に、ユリウスは人の温もりに飢えている。


 ともあれ、そんな心中に気付くことなく、クラウスは、ポン、ポン、ガシィ! とユリウスの肩を掴む。


「――痛ッ! ちょっとッ! (カミラの)お父さん、痛いですってッ!」


 ギリギリと肩にに食い込むクラウスの手、ユリウスは正気に戻ってこれた事は感謝したが、痛いモノは痛い。


「……くれぐれも、うっ、ううっ! くれぐれも……娘を、娘を頼みますぞ婿殿おおおおおおおお!」


「早いッ! まだ早いです伯爵ッ!」


 男泣きして、もはや婿入り確定ムードにユリウスは焦る。


(ヤバイヤバイッ! 糞女めッ! 今ここで流されたら、絶対人生終わるッ! 絶対人生終わる気がするぞッ!)


 ――結婚は人生の墓場とよく言ったものである。


(何がヤバイのかは、あの自信家な女を支配出来るんじゃないかとか、そもそも結婚自体が何故か嫌じゃない気がするのが、超ヤバイッ! 王国の影となると誓った以前の俺を、思い出すのだッ! 頑張れ俺ッ!)


 カミラ以外は誰も気付いていない、気付くことすら出来ない事だが。

 ユリウスへと巡らした計画は、カミラが百年以上試行錯誤して作り上げた緻密なモノだ。

 たった一人の男を手に入れる為に、魔王を殺し簒奪までした女の執念、抗える方が奇跡だ。


(何か、夫妻が立ち去る前に、ちゃんと断りの言葉を言うんだ俺ッ!)


 カミラが愉悦に浸りきった顔で、その様子を愉しんでいる事にも気付かず。

 ユリウスは無駄な抵抗を口にした。


「待って下さい……(カミラの)お父様はお気づきでしょうが、私は王国の影として、そして政変を未然に防ぐため“女”として育てられました。ですので――――」


「――――婿殿」 


 悲しそうな演技と共に出された言葉に、クラウスは優しく笑った。


(やったッ! 通じたぞおおおおおおおおおおおッ!)


 が、駄目。

 肩を掴む手により力を込めて、クラウスは上機嫌で力強く言う。


「――――大丈夫だ。心配なされるな婿殿、セレンディア家の全てを以てして、婿に迎えてやるからな、最早逃げられないと思え!」


(解ってて言っているこの糞馬鹿親ああああああああああああああああああッ!)


 実際に叫ばなかっただけ、ユリウスの理性を誉める所だ。

 そして追い打ちをかける様に、セシリーが一言。


「カミラちゃんと仲良くね。……そうそう、孫ができても許します。というか早く見たいわ。ねぇアナタ?」


 そしてクラウスまでが、肯定する様な事を言う。


「セシリー、確かに孫は欲しいが…………、わかっているだろうな――カミラに手を出したら殺す」


 仲睦まじく、腕を組んで去ろうとする二人に、ユリウスは必死で言葉を探すも――――。


「――――ちょ、ま」


「では仲良くな」


「ごきげんよう」


 形になる前に、二人は去って行った。

 後に残るは、幸せそうにぐへへ笑うカミラと、女装生活と共に独身生活も終わろうとしている哀れな男が一人。


「うへ、えへへへへへへ……けっこん、けっこん。ユリウス様とケッコーン」


 笑うな歌うなその歌詞は何だ。



「これは偽装だった筈だろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」



 外堀が埋められる所か、本丸が炎上している有様にユリウスは膝を付いた。

 まだ別の所(ゼロス王子)に城(逃げ場)があるから、と自分すら騙せない嘘を、必死に信じようとしているが残念。

 その逃げ込もうとしている所は、敵(カミラ)の友軍である。

 とっとと物理的に逃亡するしか、逃れる方法は無いぞユリウス!


(ああ、ユリウス。ちょっと想像していたのと違うけれど、そうして悩み苦しむ貴男も素敵……。もっと、もっと私の事だけ考えてユリウス――)


 これ以上ユリウスを染め上げてどうするのか、小一時間問いつめたい様な思考のカミラは、見るだけでは満足出来ないと、行動を開始する。

 両親がいた分、次の出場までの時間が減ってしまったから、過激に濃密に。

 そんな無駄な決意を秘めて、カミラはユリウスにすり寄る。


「うふふっ、……ふひっ、ふへへへ」


「……気持ちの悪い声で、笑うんじゃないこの魔女め」


 床だと言うのに、とうとう座り込んでしまったユリウスの隣に、カミラは座る。


「あらごめんなさい――、ああ、そういえば忘れていました」


 わざとらしく、手をぽんと叩いたカミラに、ユリウスは不機嫌に言う。

 やめろ、今くっつくな、しなだれかかるんじゃない。

 そんな言葉を飲み込んで。


「……何だ、言ってみろ」


 カミラはユリウスの胸を、服の上から撫で回しながら、耳元で囁く。

 押しつけられる豊満で柔らかな感触に、ユリウスは硬直した。


「何故、助けてくれたのです?」


「う……、そ、それは――」


 顔真っ赤にして言いよどんだ後、そっぽを向いて続ける。

 ――ご覧頂けているだろうか、これが童貞男の悲しき、せめてもの抵抗である。


「――、只の、只の気紛れだそんなの。あれで負ければ殿下と結婚話が蒸し返すだろう? それでは、ゼロとネッサがあまりにも可愛そうだったからだ」


「だから決して……、決してお前の為では無い……」


 力なく出された言い訳に、カミラは素直じゃない所も可愛いと微笑んだ。


「ええ、ええ……それでも、私は嬉しいですわ。貴男が私の事を考えて行動してくれた。それだけで世界一の幸せ者ですわ」


「だからお前の為じゃないッ! というかいい加減離れろ暑苦し――――ッ!? カミラぁッ!?」


 ユリウスの声が裏返った。

 カミラがユリウスの手を取り、自らの母性の塊。

 生で大きい柔肌に、服の隙間から直に導いたのだ。



「ななななな、ななななななあああああああッ! こッ、この手を放せぇッ!」



「なら、力付くでふりほどいて下さい……」



 カミラは情欲で濡れた目で、ユリウスに誘いをかける。

 ――果たして。

 超気になっている美少女の、生のアレを直に触らされて、指から伝わるの感触を、指を蠢かしたくなる本能を押さえる童貞が、この世にいるだろうか?

 いや、いない。

 そしてここにも、抵抗できなかった無念の男が一人。



「あ、ん……ふふっ。いいんですのよ……」



 カミラはユリウスの耳朶を舐めた。



「――ふひゃぁッ!」



「もっと強くしても……、お気持ちの儘に。その情欲の赴く儘に、思いっきり貪っても」



 なおこの甘言に乗ると、人生の墓場が待っている模様。

 故に、ユリウスは必死に言葉をひり出す。

 ――悲しいかな、揉みしだいて幸福に犯されながらであったが。



「……お前が、言ったんだろう。…………気持ちがないと、駄目、だと……」



「あらあら、一本取られてしまったわね」



 でもそれは、抱きたいと暗に言っている、とカミラはクスリと嗤い、でも指摘しなかった。

 自分で気づいて欲しいのだ。

 今、――この場から逃げ出さない意味を。



(だから、気付くまで貴男を誘惑してあげる。……本能に負けて、押し倒されたら。ええ、その時は二度と逃がしてあげませんわ)



 カミラはとうとう胸を肌蹴ると、ユリウスの視線が釘付けになった隙を付き、もう片方の手も取って、その指を舌をくねらせながら、舐め始めた。



「……んちゅ。ちゅ……ちゅ…………ん、はぁ」



「~~~~~~~~~~~~ッ!?」



「指、傷ついてますわユリウス様。これは“治療”です」



 “治療”だから、何をしてもいい。

 カミラは暗にそう言った。

 それは、指先に走る初めての快楽に絶句したユリウスの脳髄を、確かに犯し始める。



「もっとよく見て、触って確かめて下さい…………、私の胸、傷ついてないかしら?」



「――――傷、なん、て……ついて、いな……い……」



「では……こちらは、どうかしら?」



 カミラは胸に添えていた手を、お腹を伝いお尻へ。

 ゆっくりと時間をかけて、太股へ行った後、内股からその上で誘導し始める。

 ユリウスは俎板の上の鯉の如く、口をぱくぱくさせてされるが儘だ。

 ――抵抗する気など、欠片しか残っていない。

 欠片でも残っていると賞賛すべきかもしれないが。



「……ん、はぁ……ちゅ。これは、独り言ですが……」



 その独り言と言う名の、蠱惑的な誘惑を。

 ユリウスはもどかしい快楽に、頭を痺れさせながら聞いた。



(どうにか、なってしまいそうだ――――ッ!)



「私に、堕ちてくれていいんですよ」



「堕ちてくれたのなら。地位や名誉――そして、快楽」



「――――あぁッ!」



 カミラはユリウスの指を甘噛みした。

 そしてたっぷり涎を舌で塗り、見せつけるように、糸を引きながら唇を放す。



「ああ、ああ……」



「――――、あむ。……ふふっ、ユリウス様も欲しいですか?」



 カミラはその糸を引いた涎を、自らの指で器用にからめ取ってペロリと嚥下した。

 そして濡れた指先で、喉から下を、女性の曲線を強調する様になぞり、下腹の辺りで止める。




「堕ちてくれたのなら、私の体も、貴男の――思うが儘」




 その淫靡すぎる光景に、ユリウスはごくりと大きく喉を鳴らす他ない。



(き、危険だ……こいつの言葉は、きっと全てが本当で本気なんだ。けど惑わされては駄目だ。与えるモノ全てが俺の気を引く為の、そしてその反応を見て悦ぶ為の“餌”なんだ……)



「ねぇ……、決して、損はさせません」



「体の、精神の、魂魄の芯から快楽でとろけさせてあげますわ……」



 そう言うとカミラは、ゆっくりと体を倒し、ユリウスの上に多い被さった。

 そして、再び耳元で囁く。



「ねぇ、嘘でも、この場だけの嘘でもいいのです」



「ただ一言」



「ただ一言本気で」



「魂の底から、私の全てが欲しいと」



「そう言ってみませんか?」



「私を組み伏せ、本能のままに腰を打ち付けて」



「極上の快楽を、得てみませんか?」



「う……ぁ…………ッ!」



 ユリウスは助けを願った。

 目の前の巨大な誘惑から逃れられる何かを。



(駄目だ駄目だ駄目だッ!)



 たった一度、嘘と前置きしても。

 ――本気で言ってしまえば、未来永劫それに捕らわれてしまう。



(この女を本気で――愛してしまう)



 カミラは卑怯にも、それを狙っているのだ。

 ユリウスは何か言い返そうとして、しかし。

 一つ一つ外される服の釦を、ただ恨めしげに睨むこともできない。



 言葉を探して。

 カミラの涎で塗れた指で慰撫される胸板の感触に、脳が痺れてしまう。



 だめだ、だめだ、触っては嗅いでは、近づいては。

 蜘蛛の糸に捕らわれる錯覚を覚えたとき、ユリウスは、はたと気が付いた。

 その言葉の意味を吟味する事も出来ずに、迂闊にも声にだしてしまう



「……お前。処女なのに、何で自信満々なんだ? もしや――――――あがッ!?」



 瞬間、ガンと後頭部に強い衝撃が走った。

 頭を掴まれて、床に打ち付けられたのだ。



「――――――――ユリウス様?」



 意識がクラクラする中、ユリウスは非常に鋭い殺気に体を強ばらせる。

 そして殺気元を恐る恐る探ると、これ異常なく美しく微笑んだカミラの顔がそこに。



「それ以上侮辱したら、今すぐここで、問答無用で純血の証を身を以て証明しましょう」



「そして孕むまで交わった後、その姿のまま結婚届けを出しに行きます」



 その澄んだ目は、本気に満ち溢れていた。

 やっと正気に戻ったと同時に、様々な恐怖で体がふるえだしたユリウスは、沈痛な声で謝罪する。


「本当に、本当に済まなかった…………女装ばかりしている糞童貞故の無遠慮な言葉だった、どうか許して欲しい」


 その声は苦渋も大いに含まれ、ついでにコンプレックスが少し漏れ出した。

 その事に目ざとくきづいたカミラは、にんまりと笑って、鼻血をドバっと出す。

 ――嫌な予感しかしない。



「…………カミラ? 今のどこに鼻血を出す所が?」




「――今すぐ童貞卒業させてあげますわ糞童貞ユリウスきゅ~~ん!」




 次の瞬間、カミラはユリウスの服を力付くで破き始めた。


「ほわあああああああああああああッ!? 誰か男の人呼んでくれ、犯されるううううううううううううううう!」


「叫んでも無駄よ、貴男は今私に犯されるの! パパにしてあげるわ!」


「マジで誰か助けてくれええええええええ!」


 ユリウスの声が届いたのか、カミラの日頃の行いが悪かったのか。

 次の瞬間、バンと勢いよく扉が開かれた――――!


「なんか凄い声……したん……です、けど……。あー、お邪魔、ですか?」



「後ろに下がるな扉を閉めるなアメリ嬢ッ! 頼むからこの女を止めてくれえええええええええええええ!」



 結論だけ言おう。

 今日は、ユリウスの純潔もカミラの純潔も守られた。




「――ふっ、あの変な仮面のコンビ。順当に勝ち残っているわね」


「ああ、もし彼らと当たるとしたら決勝か、油断するんじゃないぞカミラ」


 ユリウスとカミラは今、出場者用の観客席で今大会随一のダークホースの戦いを見ていた。


 タッグトーナメントも終盤。

 順調に勝ち進んだ二人は、後は決勝を残すのみ。

 現在見ているのは準決勝で、それが終われば出番である。


 何食わぬ顔をしている二人だが。

 カミラはアメリに三十分以上、本気で説教され凹み中。

 ユリウスは一言、玉無し糞童貞と冷たすぎる目で蔑まれ致命傷を負った。


 故に二人は、先ほどの痴態には何も触れず。

 決戦相手候補の分析をしていた。


「しかし、ハナーコ&ゴンーベーだったか。随分変な名前だな。響きからして極東の島国という噂があるが、カミラはどう思う?」


「…………十中八九、偽名でしょうね。そういう名前にして攪乱を狙っている、と見るべきだわ」 


「“攪乱”? 何のために……」


 ユリウスの疑問に、カミラは口を噤んだ。

 それは、あまりにも不確定だったからだ。


(原作では、聖女であるセーラを狙って魔族がトーナメントに紛れ込み、決戦で本性を現す。これがセーラが聖女である、と世に知らしめるイベントであり。好感度が高いキャラのルートに入る切っ掛けでもあるわ)


 しかしゲームの詳しい知識など、ユリウスの事以外は遠い記憶の彼方だ。

 正直、原作にいたからと断言されると、信じてしまいそうなくらい“あやふや”である。


「…………私から言えるのは一つだけ」


「何だ?」


「“聖剣”を手放さないで、必要になるかもしれない」


「聖剣がッ!? どういう事だカミラ!? お前は何を知っているんだ……」


 ユリウスの鋭い視線に、カミラは困ったように微笑んだ。

 本当に解らないのだ。


 原作では、魔王の指示により引き起こされるイベント。

 しかし、その前魔王はカミラによって殺され。

 肝心のセーラも、幽閉されている。


 カミラとて全知全能ではない。

 セーラが魔族と繋がりを持ってしまった事を、知る由がないので“解らない”と言う他無いのだ。


「私にだって、解らないことはあるわ。それより――――」


 彼らの戦い方を分析し対策を、と続けようとした所。

 二人っきりの観戦室に、アメリが入ってきた。


「お二人とも、ちょっと。…………ふんふん、何もやましい事はしてませんね?」


 入るなり、カミラとユリウスの匂いを嗅ぎ始めたアメリに、二人は気まずい顔をする。


「アメリ……。その、さっきは全面的に私が悪かったから、やめて頂戴、うう……」


「今度から直ぐに逃げるから、ええ、頼むからそんな、面倒くさ過ぎるカップルを見る目をしないでくれ……」


「ええ~、本当ですか~」


「今度からキチンと、時と場合と場所を考えるわ」


 胸を張るカミラに、二人の呆れた視線が突き刺さる。


「そこはせめて、襲わないっていえよバカオンナッ!?」


「相手の気持ちも考えてあげてください、カミラ様……」


「大丈夫よ、最終的に合意だったって心の底から言わせる自信があるわ」


「駄目じゃねぇかあああああああああああああ!」


「…………ご愁傷様ですユリウス様。式には出席するので、頑張って下さいて」


「まだ、まだ俺はこんな女の事、好きじゃないから……」


「声、震えてますよユリウス様」


 思わず失意体前屈を披露したユリウスに、アメリはぽんぽんと肩を叩く。


「くそう……、きっとまだ、普通の青春を遅れる筈だから……」


「ええ、ええ、現実逃避も程々にしてくださいね童貞女装男さん」


「……………………お前まで言うのかよ」


 力尽き、とうとうその場に寝そべり始めたユリウスに、アメリは同情の念を送り。

 カミラはふへへ、とニヤケるばかりだ。


「無駄な努力だと思いますが、強く、強く生きてください…………って、ああっ!? 起きて下さいユリウス様! カミラ様も変な顔してないで、聞いて下さい! 緊急事態なんですっ!」


 我に返って急に騒ぎ出したアメリに、カミラもユリウスも、流石に我に返った。


「――緊急事態って何? 私達に出来る事は?」


「ええっと、今の所はまだお力を借りる場面では無いのですが…………その、セーラが懲罰房から居なくなったっていう報告が……」


「セーラ嬢の脱走か……、でもそれを俺達に報告のは何故だ? ただの脱走だったら後でもいい筈だ」


 服の埃を落としながら立ち上がり、ユリウスは冷静に言った。

 カミラも、それに同意する。


「そうね、であるならば――――“魔族”」


「関わっていると思うか?」


「でなければ此方に話が回ってきませんし、何よりセーラは『聖女』です。先日の魔族の様に侵入し、トーナメントの為に手薄になった懲罰房の警備を掻い潜ったのでしょう。――違うかしら? アメリ」


「はぁ……、いつもそう真面目でいてくれると、わたしとしても助かるのですが……。ええ、はい。調査した者が言うには、その可能性が一番高いと。――それから」


 アメリは疲れた顔を引き戻し、続いて戸惑いながら数枚の紙をカミラ達に差し出した。


「これは、その……、懲罰房のセーラの部屋から見つかった品で、カミラ様なら、何か、その、多分……ここから、手がかりを見つけられるのではないか、と……」


「何ですの? 妙に歯切れが悪いですわね。どれどれ――――!?」


「どうしたカミラ、何が書いてあるん――――ッ!? はあああああああああああああああああああああ!?」


 カミラが絶句し。

 観戦室に、ユリウスの叫びが木霊した。


「これは…………“愛”だわ……」


「なッ! 何なんだッこれはッ!? こここここここ、こんなッ! 男と男が、はだッ! 裸でッ!? こういう事は男女でするものでは無いのかッ!? そもそもこれは一体何なんだあああああああああああああッ!?」


「ええ、本当に。一枚の紙の中に、様々なポーズで絵画が描かれており、更には未知の言語でメモの様なモノが残されております……これは、何なのでしょう? わたし的には、禄でもない感じしかしないのですが…………」


「あの女……、この状況でナマモノのBL同人描くとか、どんな精神してるのよ……」



 そう、アメリの持ってきた紙は――――BL漫画の原稿であった。



「落ち着きなさいユリウス……、これは只の紙よ」


 ただし、腐った愛と澱んだ情念の詰まった紙であったが。

 ぱっと見ただけでも解る細かな描写等から、BLは趣味ではないカミラでも、思わず引き込まれる執念すら感じられる。


「そのご様子、カミラ様は解るんですね……あまり聞きたくありませんが、これは?」


「BL漫画よ。今、貴方達にも解るようにしてあげるわ」


 カミラは翻訳魔法を即興で組み立てると、二人にかける。

 これで恒久的に日本語を読める様になった筈だ。


「うわっ、本当に読める様になってる…………うわー、うわぁーー……」


「な、何なんだカミラ……、BL漫画とは……いやいい、言わなくて……聞くのが怖い……何なんだセーラ怖い……、女は、お前も俺とゼロスをこんな目で見ていたのか……?」


 一枚一枚見ては、恐怖に股間を押さえるユリウス。

 然もあらん。

 このナマモノBLは、女装したユリウス、もといユリシーヌがゼロス王子を“掘る”という内容だ。

 なおユリウスとは反対に、アメリは興味津々に読んでいる。


「落ち着いてユリウス様。この様な事を妄想するのは、女性の中でも特異な趣味をした者だけよ」


 というか、女性社会にいた筈のユリウスが男色の存在を知らないなど、ジッド王の過保護っぷりが伺える。


「は~。はは~~…………ユリウス様の童貞が、ゼロス殿下でご卒業されていますねぇ……ぐっちゃぐっちゃのどろっどろですねぇ……、はぁ~~」


「そんな怖い事、しみじみ言わないでくれぇッ!」


「はいはい、大丈夫ですわユリウス様。何を間違おうが、私がこの漫画の様な事は許しませんから」


「うう、カミラぁ…………」


「よしよし、よしよし、怖くありませんわ~~」


 思わずカミラに縋るユリウスに、カミラは母性をきゅんきゅんさせて抱きしめる。

 思わぬ役得だが、ユリウスの精神を傷つけた落とし前は付けなくてはならない。


(しかし、腐女子だったのねセーラ。長い付き合いだけど初めて知ったわ……。あの三人衆を侍らせていた所を見ると、ノマカプもイケるみたいですけれど……)


 形はどうであれ、きっとセーラの思いは本物。

 そしてきっとこれは彼女にとって大切な思いの結晶だ。

 それに、漫画という概念が無くなった今の時代であるならば、これで一儲けできるし、布教して同士も作れる。

 そんな大切な原稿を残していった意味は――――。


(宣戦布告だわ、きっと。あの子も私が前世でオタクだった事を知っているわ。……だから、私達にしか解らない“共通言語”で、闘志を示したのだわ)


 ならば、ならばもしや――――?

 カミラは、はっ、と顔を上げ舞台を見る。

 そこには、戦いに勝利し、誇らしげに腕を上げる謎の仮面戦士、ハナコの姿が。


「――――真逆」


「どうしたんですカミラ様。怖い顔して?」


「カミラ、何に気付いた?」


 問いかけに答えず、カミラは思考した。


(ハナコの背の高さは…………ええ、多分セーラと同じくらいだわ。でも、だとすると隣は? 共犯者だとしても、それは誰? 仮に魔族だとして、ディジーグリーは、ディン学園長としてさっきからコロシアムの席に居るわ……)


 カミラが言葉を選んで、疑念を伝えようとした矢先に、係員が決勝戦へのスタンバイを伝えにくる。



「――行きましょうユリウス、アメリ。全ての答えは決勝戦の舞台にあるわ」



 カミラの真剣な表情に、二人は頷く。

 そしてアメリは実況席へ、ユリウスとカミラは舞台へと歩き出した。




 ユリウスの問う様な視線を余所に。

 カミラは静かに舞台に立った。


 観客の大きな歓声の中、笑みもなくただ静かに相手を見つめるカミラ。

 仮面を被った正体不明の二人も、カミラの敵意を感じ取って、油断なく武器を構えている。



「それではタッグトーナメント! 決勝戦開始いいいいいいいいいいいいいいっ!」



 アメリのシャウトと花火がドンと上がり、開戦が告げられる。



「その正体――見せて貰うわ」



 直後、カミラは魔銃剣を二丁ともクイックドロウ。

 魔弾、否、もはやSFに出てくるビーム砲の様にとなったそれを放ち。

 光の大奔流で、仮面のペアを否応無く焼き殺す。



「開幕早々ぶちかましたあああああああああああ! これはカミラ様の勝利が決まってしまったかあああああああああああああ!?」



「……いきなりかカミラ嬢」



「ちょッ! カミラ!? いきなりやりすぎ――――ッ!?」



 沸き上がる観客と実況。

 それらの事など眼中に無いカミラは、驚くユリウスに冷たく告げる。



「――――まだよ」



「何? あれだけの魔力で放たれて攻撃に、耐えられる者なんて……」



 光が消え、変わりに立ちこめる煙の向こうに、ユリウスは人影を探す。

 そこには、仮面の二人が倒れていると誰もが予想していた――――しかし。



「あ~~あ、真逆。いっきなりそーくるなんてね、中々やる、と言ってでも欲しい?」



「おうおうおう、吃驚したぜぇ。嬢ちゃんの守りが無かったら消し飛んでいたとこだぜ!」



「――――バカなッ!? お前達はッ!?」



「これが答えよ、ユリウス」



 カミラは魔銃剣のシリンダーを倒し、弾薬を装填する。

 ――そっちがその気なら、徹底的に潰してやるわ。



「おおおおおっっとおおおおおおおっ!? 流石決勝戦まで上り詰めた猛者あああああああああ! 今のを耐えて…………、耐えて…………って、セーラ!? セーラじゃないっすか!? 何でそんな所にっ! っていうか逃げて逃げてッ! 隣に魔族っ! 魔族があああああああああああああ!?」



「いかんっ!? 魔法使い達! 結界の密度を上げて閉じこめよっ! 衛兵は観客の避難誘導を始めろっ! 我が民達よ、落ち着いてこの会場から逃げるのだっ!」



 阿鼻叫喚とは、この事だろうか。

 カミラは銃口をちらつかせながら、観客の避難が終わるのを待つ。

 幸いかどうかは解らないが、目の前の二人にカミラ達以外に敵意を向ける様子はなく、こちらは悠然と構えていた。



(――嗚呼、嗚呼。これはシナリオの修正力だと言うの? それとも、貴方が態と仕組んだ事なのセーラ)



「カミラ、お前はこれを予見していたのか!? あの魔族は俺達がこないだ倒した奴じゃないかッ!?」



「残念だけれど、私が想像していたのはセーラの事だけよ。魔族については、可能性を少しだけ」



「……お前、少なくともセーラの存在は確信して、あの攻撃したのかよ」



 声だけ呆れながら、顔は険しく魔族とセーラに。

 ユリウスは聖剣を構え、いつでも駆け出せる状態だ。


 

「大丈夫よセーラなら。私の攻撃はセーラの命を取らない。そういう世界の仕組みなのだから」



「お前の言う事は、偶に訳が分からないが。確証があるなら言ってくれ、心臓に悪い……」



 今の時刻は夕暮れ前、日が沈むのにはまだ早いが。

 目に見えて太陽が急速に沈んでいく。

 魔族がその力を万全に発揮している為、この辺り一体に“夜”が来ているのだ。

 そして周囲の変化はそれだけではない。


 大気中に含まれる微細な魔力が全て、セーラの下へ集まっている。

 カミラが何も対応しないので、ユリウスも放置しているのだが、セーラは長い呪文を唱えている最中だ。



(――さっきから体が動かない、味な真似してくれるわね)



 カミラは“何もしていない”のではない、何も“出来ない”のだ。

 この呪文は、魔王を封じる為に世界の理が許した特殊な魔法。

 そしてそれは、まるで世界を塗り替えるような――――。



「――――――――、世界に遍く光りあれ。正しき愛の力にて、世界の歪みを。今ここに閉じこめん事を――――!」



 その刹那、舞台が淡い光のドームに包まれた。

 体の自由が戻ったカミラは、唇を強く噛む。



「完全閉鎖結界――――“聖愛の祈りの間”」



「知っているのかカミラッ!?」



「ええ、よーーく知っているはずよそこの女は」



 カミラは内心で大きなため息を吐きながら説明した。

 出来るならば、もっと後に話そうと考えていたが……。



「“聖愛の祈りの間”――それは、対“魔王”用に、始祖の衣装を身につけた聖女だけが使える“最終結界奥義”」



「対魔王用の結界ッ!? 何故セーラがそんなものを俺達に使う!?」



「あら、誤解しないでねユリウス。アナタは巻き込まれただーけ、アタシ達が用があるのはそこの糞モブ女!」



「訳が分からないッ!? どういう事なんだカミラ!?」



「可哀想にユリウス……、こんな邪悪な女に纏わりつかれた上、何も教えて貰ってないな・ん・て! クスクスクス」



 セーラがニヤついた顔をユリウスに向けた。

 カミラは舌打ちして、問いかける。



「セーラ、貴女の目的は何? 何故魔族と組んでここにいるのかしら?」



 本当は問わなくても解っている、けれどカミラは言わずにはいられなかった。

 そして――――ユリウスに真実が開かされる。




「愚問だわ――――“魔王”カミラ。聖女は魔王を倒すために居るものよ」




「…………魔王……カミラ? 何を馬鹿な事を……なあカミ……ラ……?」



 一瞬、ぽかんと呆気にとられたユリウスは、カミラに笑みを向けるが、直ぐに表情が強ばる。

 カミラが何も反論せずに、見たことがないほど冷たい顔をしていたからだ。



「ああ、聖剣使いの坊主。コイツの言っている事は正しいぜ。魔族であるオレが保証すらぁ……この方、いや、この女こそが“新しい”魔王陛下さ」



「う、嘘だろうカミラ……?」



 ユリウスは構えていた聖剣をだらりと力なく下ろし、カミラに疑いの目を送る。

 カミラは、その視線に泣き出したい気持ちを押さえ付け、高慢に言い放った。




「――――嗚呼、とうとうバレてしまったわね。……ふふっ。そう、この私。カミラこそが先の勇者が封印し魔王を殺し、その存在を奪った者」




「――――新しき“魔王” 聖女も魔族も、皆ひれ伏しなさい! お呼びじゃないのよ!」




 言い切ったカミラに、セーラが唾を地面に吐き捨てる。



「気にくわないわねっ! モブの癖に出しゃばってんじゃないわよっ! 行きなさい下僕二号!」



「下僕じゃねぇよこのアマっ!」



 反論しながらも、魔族フライ・ディアは突進。

 狙いはカミラ――ではない、呆然としているユリウスだ。



「――避けなさいユリウスっ!」



「遅い! しばらく転がってな兄ちゃん!」



 慌てて聖剣を構えるも、一手遅し。

 ユリウスは聖剣を弾き飛ばされた上、腹部に強烈な拳をくらい、転倒。

 更に魔法で束縛までされてしまった。



「あははっ! 見ててユリウス! アタシが今からコイツを殺して、世界を平和にしてみせるわ!」



「――――ぐはッ! や……、やめ……」



 制止しようとしたユリウスだったが、先の一撃の影響で声がでない。

 慌ててカミラが向かおうとするも、フライ・ディアが立ちふさがった。



「命が惜しければ、退きなさい――――!」



「はっ! 知ってんだぜ! アンタはこの中じゃあ“魔王”の魔力も、魔族への絶対服従権も使えないってなああああああああ!」



「――ちぃっ! 落ちなさいっ!」



 フライ・ディアの突進を回避し、カミラは魔銃剣による射撃。

 出し惜しみせず全弾六発、二丁で十二発。



「ふんっ! そんなものかよ魔王サマっ! ならさあああああああ! 泣いて謝って死ぬまで嬲ってやるからよおおおおおおおお!」



 魔王の魔力が封じられたカミラは、ただの凡人の魔力しかない。

 そも、魔銃剣は対人を想定して作り出したものだ。

 魔族相手では力不足という事を実感して、カミラは焦った。



(この儘では不味い――――、セーラ自体は“素”の私でも勝てる! けど魔族と二人がかりとあっては――――!)



 次の弾薬を込める暇も、呪文を詠唱する隙すら見つけられず、カミラは接近戦に突入する。

 利き手ではない左の魔銃剣を捨て、右のを両手持ち。

 その上で残った魔力を総動員しても、フライ・ディアの鉤爪を受け流すのが精一杯だ。



「俺達魔族はアンタを恨んでいる。そしてこの頭のオカシイ“聖女”サマもだァ!」



「――くぅっ! ――はぁっ! ――ちぃっ!」



「答えろよォ! 何故魔王サマを殺した! 魔族は! 魔王サマは! 人類の敵だ! でもさァ!」



「くううううううううううううううっ!」



「魔王はお前に手ェ出してねェだろうがよおおおおおおおおおおおお!」



 激昂したフライ・ディアは、怒りの儘に腕を振るう。

 カミラのあちこちに傷が増え、少しずつ“死”へと近づいた。



「何ァ故ェ! 魔王を殺したあああああああ! 何ァ故ェえええええええ、魔王に成った! そもそもォ! 何故お前が魔王を奪う事が出来たんだァ! 答えろよおおおおおおおおおおおおお!」



 フライ・ディアは泣いていた。

 泣きながら戦っていた。


(カミラ……カミラ……カミラ……!)



 激痛が収まらぬ中、ユリウスは拘束魔法を解く為に解析を始めている。

 だが、激しく揺れ動くユリウスの精神状態では、遅々として進まなかった。



(前から解ってた、何かを隠していると。――気付けた筈だッ! アイツの魔力は不自然だって、俺は、俺は――――)



 ここから立ち上がって、それから、どうすればいい。

 魔族の味方をする? それは否だ。

 何故ならユリウスの父カイスは、魔王との戦いの傷が元で死んだのだ。

 恨む理由はあってこそ、味方をする理由はない。


 ではカミラの味方をするのか?

 魔王を殺し、セーラと魔族に恨まれ、人類の敵だったカミラに?



(だけど、だけど、だけど――――)



 ユリウスは焦燥した。


 初めて素の自分を愛していると言ってくれた女が。


 その全身全霊で、愛していると伝えてくれた女が。



(俺の手が届かない所で死ぬなんて――――ッ!)



 その刹那、ミシリと拘束魔法が悲鳴を上げた。



 ユリウスが苦悩していた一方。

 カミラはフライ・ディアの慟哭を一身に浴びながら、何も答えられずにいた。



「なァあああああああああっ! 答えろよォおおおおおおおおおおおおお!」



「言うべき事など……、何も、無いわっ!」



 答えられず筈が無い。

 カミラが先の魔王を殺したのは、ユリウスの全て。

 体も心も手に入れる為だ。

 だが、今ここでユリウスの名を口にし、責任の所在とするほど、愚かしい想いではない――――!



(誰かを犠牲にしてでも今の場所を願ったのは、ほかでもない私なのだからっ!)



「答えるものですかあああああああ――――あぐぁっっ!?」



 カミラが動きを一瞬止め、吠えた瞬間に“それ”は起こった。

 パン、と乾いた音が一回。

 腹部にカッと熱いモノを感じた直後、ドサっとカミラが倒れる。



「うぐァ! ――ああっ~~~~~!」



 続いて三回の音。



(あれは――――銃!)



 カミラの持っている魔銃剣ではない。

 カミラが復活させた本物の、旧時代の物理兵器。



(そんな! あれは家の金庫に厳重にしまってある筈――)



 肩、足、右腕に、着弾の衝撃でのたうち回るカミラに、カツカツと足音を立ててセーラが近づく。



「あははっ、やっぱり現代兵器は便利なモノね。でも駄目じゃない。人間に憑依した魔族なら、あんな金庫簡単に破れたって言ってたわ」



「…………こ、の……泥棒……が……」



「盗人猛々しいのはどっちよ、アタシのシナリオをぶち壊しにしやがって。――そうそう、聞きたい事があったの? 冥土の土産い教えてくれない?」



「……………………っ!」



 勝ち誇ったセーラの顔に、カミラは最早軽口を叩く余裕もない。



「何をどうしたか解んないけどさ、何でアンタは聖女を、奪わなかったの?」



「…………か、はっ…………!」



「ああ、そんな状態じゃもう何も言えないか? ご愁傷さま。地獄でユリウスがアタシのモノを指を加えて眺めてな、世界の全部をアタシが救う姿をね――――フライ」



「……こいつにゃ、まだ聞きたい事があったが。まぁいいや。あの世で魔王サマに詫びてきな」



 フライ・ディアが大きく鋭い鉤爪を振りかぶり――――。



「――――やらせるかよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」



 カミラに当たる直前、ギリギリで拘束から抜け出したユリウスが、その身を投げ出してかばった。



(ユリウス――――!?)




 ――――死を目前に、カミラの世界はモノクロに染まっていた。



 振り下ろされる鉤爪も。



 飛び込んでくるユリウスも。



 ニヤニヤ笑うセーラも、全てが色褪せ。



 そして、――時が止まったかの様に。



 ゆっくりと、ゆっくりと見えた。



(嗚呼、嗚呼、嗚呼、嗚呼、嗚呼。あああああああああああああああああああああああああああああああああああ!)



 許して成るものか、断じて許して成るものか!



(死なせない! 絶対にユリウスだけはしなせない!)



 何の為に今まで繰り返して、死の運命の先を掴み取ったのだ!



 断じて、断じて、ユリウスの死を見る為ではない!



 許せるものか、許して成るものか!



 白黒の世界の中で、カミラの指がぴくりと動く。

 それが過去に“何”を意味していたかも考えずに、ただひたすらに体に力を入れる。



「動いてえええええええええええええええええええええええええええええええええええ」



 その深過ぎる激情に答える様に、体に力が溢れる。



「ユリ……ウス……!」 



 カミラは少しずつ、少しずつ動き。

 自分に被さるユリウスを、更にに庇うように抱きしめた。




「――――ごめんなさいユリウス」



 そして時間は白黒から、鮮やかな色彩へと戻る。



「――――馬鹿な、嬢ちゃん!?」



「何が起こってるの!?」



(何だ……、痛みがこない……?)



 痛みがこない事を不審におもったユリウスが目を開けると。

 目の前には誰もおらず、しかし、後ろで誰かが倒れる音。



「…………カミラ? え、は? ……カミラ?」



 そこには、肩から斜めに大きく切り裂かれ、血溜まりの中に倒れたカミラの姿があった。



「カミラあああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


 ユリウスの悲鳴が、結界内に響き渡った。





「馬鹿な……どうして、俺を、庇って…………」


 

 血溜まりに倒れ伏すカミラに、ユリウスは呆然と呟いた。



(確かに俺はカミラを庇った筈だッ! なのに、なのに何でッ!?)



「カミラ……おい、嘘だろカミラ。カミラ……カミラぁ……目を開けてくれカミラ――――」



 ひたすらに名前を呼びながら、流れ出た血を集め。

 けれどそれは無駄で、衝動的に抱き抱え、その傷の深さに、心臓が壊されている事実に直面してしまう。



「――ッぁ。ああああああああああああああああああああああああああ! カミラッ! カミラぁ!」



 その慟哭に、フライ・ディアが冷たく言い放つ。



「無駄だ聖剣使いの兄ちゃん。そいつはもう――――死んでいる」



「――――――――ぁ。くッ……、あ、あ、あ、あぁ………………」



 急激に冷たくなっていくカミラの体を、ユリウスはただひたすらに抱きしめる。



「何でこんな所で死んでいるんだよ…………、俺を幸せにするって、心を堕とすって、言ってたじゃないかぁ…………お願いだ、目を覚ましてくれ……」



「……その嬢ちゃんも。誰かに泣いてもらえるだけ幸せってもんさ。オレ達は、魔王サマの死に目にすらあえなかったからな」



「だからといってッ! だからといってッ! 何も殺す事はなかっただろうッ!?」



「いいや、俺達の無念を、死んだ魔王サマの、散っていった仲間の怨念を晴らすたぁ、コイツが死ぬしかなかったのさ」



 フライ・ディアの言い分は道理だった。

 けれども、ユリウスには到底納得出来るものではなかった。



「――――許さない。絶対に許さないッ!」



 ユリウスは静かに、そして大切そうにカミラを地面下ろし。

 憎しみに澱んだ瞳で、フライ・ディアとセーラを睨んだ。



「もう勝負はついてんだ。命が惜しければこれ以上の抵抗は止めな」



「――本気で言っているのか?」



 ユリウスは、側に落ちていたカミラの魔銃剣を拾い、ゆらりと立ち上がった。



(この命、たとえ尽きようともせめてコイツだけは――――ッ!)



 フライ・ディアはユリウスの様子に、軽くため息をつくと魔力をセーラに向けて流した。



「言ってみただけだ……、オレがアンタでも、そうするだろうからさ。――――だが、その前にこのイカレ女を、お前は殺せるかな?」



「何を――――ッ!?」



 ユリウスが問いかける前に、カミラが血溜まりに沈んでから黙り込んでいたセーラが、フライ・ディアを庇うように前にでた。

 しかし、何か様子が変である。


「あくまで魔族に着くかセーラ! お前とカミラの間に問題があった事は知っている! だが何故お前はカミラを殺す必要があったんだッ!?」



 ユリウスは、相手が人間であるセーラであるにも関わらず。

 容赦なく銃口を向けた。

 同時に、カミラを撃った魔銃の様な何かを警戒する。

 


「…………」



「どうした……? 何故黙ったままだ。何故それを撃ってこない?」



 怒気に溢れた声で問いながら、ユリウスは違和感を感じていた。

 先ほどからセーラの顔は真っ青で、銃を持つ手は震えている。

 そして、何かを言おうと口を開いては、悔しそうに唇を噛んでいた。



「う……ぁ……、あ…………、た、す…………けて……」



「――――ッ!?」



「あ~あ、専門じゃねぇし、この辺が限界かよ」



 面倒臭そうに言うフライ・ディアに、ユリウスは怒鳴った。



「お前ッ! セーラに何をしたッ!?」



「何をした……というか利用した。だな」



「利用だと……?」



「誰がやったか判らねぇがな、その忌々しい始祖の装束には、着たものを魔族にする“仕掛け”がされてたのさ。オレはそれをちぃと弄くって、欲望を肥大化させ、今みたいな時の壁になる様にしたって訳さ」



 愉しそうに笑うフライ・ディアにユリウスは激昂する。



「――――お前は人間を何だと思っているんだッ!」



「敵さ――憎むべきな」



「この外道があああああああああああああ!」



 とうとうユリウスは衝動のままに、一直線に走り出した。



「――くッ、邪魔をするなセーラッ!」



「はははッ! 殺してみろよ聖剣使い! そいつも可哀想だなぁ! 無理矢理憎しみを増幅させて、同族殺しの片棒担がされた挙げ句、殺されちまうんだものなぁ!」



「チィッ――――!」



 フライ・ディアを狙おうとすると割って入り、直接斬りに行くと、抱きつくように纏わり付く。



(殺せるものかッ! 殺せるものかよ――――ッ!)



 セーラを殺す事は、きっとカミラは望まないだろう。

 殺して、その上で仇を取った所で、カミラは悲しむ筈だ。

 だが、だが、だが――――。



「邪魔だああああああ――――がッ!?」



「迷い過ぎだ馬鹿が。――――だからお前は未熟なんだぜ」



 覚悟を決めて、セーラに剣を振り下ろした瞬間。

 割って入ったフライ・ディアに、ユリウスはカミラの側へ弾き飛ばされた――――!



「悪いな、こんな変態女でも。まだ使い道はあるんだ……、せめて惚れた女の側で殺してやるよ」



 今までの疲労に加え、落下の衝撃で動けないユリウスは。

 一歩一歩、確かに近づくフライ・ディアを前に。

 ただカミラへと、手を伸ばす事しか出来なかった。





 知っているだろうか。

 死というのは誰にでも平等に訪れ、その瞬間は安らかだ。

 ――カミラと言えどそれは例外ではない。



(ああ、また“こう”なってしまったのね……)



 いったい何度目の“死”だろうか。



(でも、いいわ。……“今度”は悲しい顔で見送られる訳じゃなくて、初めて、ユリウスを守って逝けるのだから)



 いい人生だった、とは言わない。

 けれど、後悔はしてはいない。



(でも、これが本当に、本当に。私の終わりなのね……)



 予定とは違った死に方をしてしまったけれど。

 まだまだ、したい事は沢山あったけれど。



(やっと……、私にも終わりが……)



 カミラはこの安寧に、身を任せようとした。

 静かに、深く。

 全ての熱情を忘れ、意識を闇へと落ちようとした。



 しかし――――。



(…………………………あら?)



 その“時”は、何時まで立っても訪れなかった。

 その事実を認識した途端、カミラの意識が安寧から浮上する。



(――――これは“違う”前の“それ”と違うわ)



 絶望と諦観に満ちた覚醒では無い。

 もっと別の、そう、例えるなら“現状”を維持している様な何か――――!



(真逆、まだ死んではいない!? 魔力はもう尽きて、心臓を無理矢理動かす事など出来ない筈!)



 カミラは闇の中で、必死に自分の状況の把握に努めた。



(そもそも仮に、心臓が動いていたとして血は、血液は? あの魔族の一撃は、肉所か骨まで砕き裂き、深く広く私を傷つけていた。それならば、出血多量で血が足りず意識不明の状態として説明できる?)



 だが、カミラはその結論を自ら否定した。



(駄目だわ、仮にユリウスが何か処置したとしても、彼に治療の魔法は使えない。聖剣にそんな機能は無いし、物理的手段でこんな事が出来るとは思えない)



 そもそも、カミラの傷は間違いなく致命傷だ。

 仮に治癒魔法が使える者が居たとしても、首を横に振る度合いだ。

 それに――――。



(私を殺したと判断して、セーラとあの魔族は結界を解いて、ユリウスを見逃すかしら。聖剣を持った、勇者と成り得るかもしれない人物を、そのままにする?)



 あり得ない。

 そう結論づけると同時に、カミラに再びユリウスへの深い、深すぎる熱情が炎の嵐となって――――情動を呼び起こす。



(嗚呼、嗚呼、嗚呼、嗚呼、嗚呼っ! ユリウス、ユリウス、ユリウス、ユリウスユリウスユリウスユリウスユリウスユリウスユリウスユリウスユリウスユリウスユリウスユリウスユリウスユリウスユリウスユリウス――――――――!)



(死んでなんて、いられない――――!)



 このまま、終われるものか。

 何一つ手に入れる事が出来ずに、大切な者一人護れずに、死んでいけるものか。



(その為だったら、地獄にすら堕ちてみせるわ――――!)



 決意の瞬間、カミラは“懐かしい”光が、心の臓に集まっているのに気付いた。

 この光こそが、カミラの体を死の淵に留めているのに違いあるまい。



(――――、そう。そうなのね……、結局、私は棄て切れてなかったのね。最後の最後には、この力にまた、頼る事になるなんてね)



 皮肉気に、しかしてある種の絶望に心を染めながら。

 カミラはその光を、周囲から強引に吸引し始める。



(来なさい、タキオン――――)



 心臓を、体を“停止”させているだけのタキオン粒子では足りない。

 もっと、もっと――――!



(この先は踏み込んだ事は無かったけど、今の私なら――――出来るっ!)



 心臓を、体を“戻す”だけのタキオンを。

 もっと沢山。



(今度こそ本当に“終わらなくなる”かもしれない、けどっ、今っ! ユリウスの為ならばこの身が異形に成り果てても構わないわっ――――!)



 常人には、魔法が使える才ある人間、魔族にすら見えない光がカミラを包み――――。



 やがて、カミラの指先がぴくりと動いた。





 意識を肉体に復帰させる事に成功したカミラは、ユリウスの窮地に安堵と焦りを覚えた。



(良かった! まだユリウスは無事、無事だけどこれは不味い――――)



 聴覚は辛うじて復活したが、その他の感覚。

 ましてや肉体の損傷など、まだ“戻って”はいない。



「もはや、これまでなのか…………。俺はきっと、お前を護りたかったんだろうな……」



(ユリウス!? 何を言ってるの!? まだ諦めては駄目よっ!)



 カミラは必死になって、触覚を取り戻す。

 途端、激痛が全身を蝕むがそれどころではない。



「聖剣使いの兄ちゃんよ、お前とはもっと違うやり方で殺し合いたかったぜ。……何か、言い残す事は無いか」



「――――せめて、コイツと同じ墓に入れてくれ」



「…………わかった。後で掘り返してでも、やっておくわ」



(だから諦めないでって、あれ、もしかして私ユリウスに抱きしめられてる? というかこれって!?)



 一緒の墓に入りたい。

 即ち、恋人、否、それ以上の夫婦の関係。

 つまり――――。



(ふおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!)



 聴覚触覚に続いて、視覚嗅覚味覚と全五感を取り戻す。



(夫・婦! 夫・婦! 私とユリウスは最早夫婦うううううううううううううううううううう!)



 周囲のシリアスな空気など何のその。

 自分が、絶望混じりの決意を抱いた事など即座に忘却の彼方へ押しやり、カミラはタキオン凝縮し始める。



(これをこうして――――こうよっ!)



 そして、カミラの傷口が、流れ出た血液が光を帯びて“戻ってくる”



「――――はぁ!? 何が起こっているんだっ!」



「真逆――――カミラッ!?」



 汚れた顔を喜色に染めるユリウスの目の前で、カミラがゆっくりと立ち上がり。

 まるで“時を巻き戻す”様に、体を再生させていく。



「――――何なんだお前えええええええええええ!」



 直感的に事態の不利を悟ったフライ・ディアが、その鉤爪を振り下ろすも、時は既に遅し。

 視認、知覚すら出来ない速度で懐に入ったカミラのグーパンによって、結界の壁まで吹き飛ばされる。





「――――――私っ! 完・全・復・活!」




 洗脳され動けないままのセーラは、死よりも恐ろしい惨劇を予想して、またも顔を青くした。





「カミラッ!? おおおおおおおお、お前ぇッ! どうして、いやどうやってッ!?」



「ふふっ……、人生案外気合いで何とかなるものね」



「気合いでなんとかなる傷じゃなかっただろッ!」



「伊達に、魔王を殺して奪っていない、という訳よ。自分で言うのも何ですけど――――私は、強い」



「無茶苦茶だよ。ううっ……お前ぇ…………」



 ユリウスはカミラの復活を泣きながら喜んだ。

 一方、慌てふためいているのはセーラとフライ・ディアだ。

 特にフライ・ディアは、先の一撃でもう半死半生である。



「そこの魔族には色々聞きたい事があるから、まだ殺さないでいてあげる。――だからセーラ様、お覚悟はよろしくて?」



 ふふふっ、と機嫌良く嗤い。カミラは威圧する様にゆっくり歩く。

 安心して腰が抜けたユリウスは、その背中に大声をだした。

 言わないといけない事がある。



「カミラ――――、セーラは洗脳されている。手加減してやってくれ」



「そこはせめて喜びの言葉とかを送る場面じゃないんですかユリウス様!?」



「そんなの後でやってやるから、目の前の事優先だッ!」



「ぐぬぬ……わかりましたわ旦那様! この後、結婚式の相談もありますしね。楽しみにしてますわっ!」



「――――誰がお前の旦那だッ!?」



 命が危機が去った後は、人生の危機。

 ユリウスもまた顔を青くする。



「先ほど、一緒のお墓に入りたいと言って頂けましたわっ! ――――即ちそれは、最早、私達は夫婦っ!」



「ちくしょおおおおおおおおおおおッ! 言質取られてたあああああああああああああああああっ!」



 助けられてしまったのは嬉しいし、カミラが方法は解らないが復活したのも嬉しい。

 しかし、それとこれとは話が別である。

 ユリウスは、己の童貞を切り売りしてでも、結婚を、交際を先延ばしさせる事を堅く決意。

 ――――本末転倒だぞ糞童貞。


 そんな馬鹿話をしている間にも、セーラの下へカミラがたどり着く。



「あ…………あ、あ…………」


「ふふふふふっ、随分と顔色がお悪いですけれど、如何なされましたセーラ様?」


「…………この…………も…………ぶ……」


「成る程、洗脳によりお声を出せないのですね。それに何やら精神もいじられているご様子。――心痛お察し致しますわ」


 愉悦、愉悦、圧倒的愉悦。

 カミラは笑いを堪えながら、心配そうにセーラの体を触る。

 その手つきはぺたぺたもみもみ、果てはスカートをめくる始末。



「手加減しろって言っただろこの馬鹿女ッ! とっととセーラを治すか無力化して、この結界を解けッ! どうせ出来るんだろッ!?」



「……ユリウス様、私の扱い雑になってない? ねぇ貴女はどう思うセーラ?」


 セーラは洗脳の事実に感謝した。

 でなければ、当たり前だと罵倒していたからだ。

 然もあらん。


 いったい何処の貴族令嬢が、魔王を殺したり、致命傷でほぼ死んだ状態から復活するのだ。

 挙げ句、口を開けば色呆けである。

 これで扱いが雑にならないほうが不自然極まりない。

 

 動けない相手に、堂々と下着の色をチェックしている時点で全てがアウト。

 そんなセーラの内心など知る由もなく、カミラはマイペースに顔から上の洗脳状態を解く。


「――――“戻れ”」


「…………? アンタ何言って……っ!? あれ、喋れてる!? 頭の変なの無くなってる!? けど首からした動かないじゃない!? どんなチート使ったのよモブ女!?」


「あら、洗脳された状態の方がよろしかった? なら――」


「ああああああ! 嘘ですマジごめんなさい命とBL原稿だけはああああああああああああ!」


「――よろしい」


 もはやカミラに敵対する気など失せたセーラは、がっくりと項垂れる。

 今なら伝わるかも、とカミラは少しの希望の乗せて言の葉を紡ぐ。


「嗚呼、ごめんなさいね私の――たぶん、最初の友達」


「は? いきなり何を……?」


 訝しむセーラを余所に、カミラは彼女の頬を優しく触り、その瞳をまっすぐ見つめる。

 そしてそれは――セーラでないセーラを見ているように思えた。


「私は、覚えているの。貴女があの東屋で語ってくれた言葉、夢。……屋上で抱きしめてくれた事も全部、全部覚えているわ」


「妄想激しいわね、接点はこの前の食堂と、寄宿舎、んで今回の三回だけじゃない――気味悪い女」


 吐き捨てる様に出された台詞に、カミラは悲しそうに微笑んだ。


「ええ、私の事を打ち明けた時、貴女は“何時も”そう言ったわ……懐かしい」


「“何時も”…………アンタ真逆――――いえ、そうであるならば理屈が通るわ」


 何かに気付いたように、セーラは瞳を揺らがせ、カミラを睨んだ。


「…………嗚呼、そうだった。貴女は何時も理解が早かった。同じ時代の記憶を持っているからかしら?」


「泣きそうな顔で言うんじゃないわよ馬鹿…………今までアンタがバラさなかったっていうなら、別に聞かないけどさ。やっかいな転成チート貰ったもんねまったく。――――で、何回目?」


「さあ、十を越えた所で数えるのを止めましたし、魔王を倒すと決めからは…………最低数百回はかかっている筈ですわ。――生憎とこれが最後の一回かと思っていたんですけれど」


「絶対千回以上でしょこのババァ」


「やっぱり、洗脳したままの方がよろしいでしょうか?」


「…………そういう所が経験豊富なババァなのよアンタ」


 溜息混じりに言われた言葉に、カミラはぴしりと固まった。


「――はぁ、アンタを敵視したアタシが馬鹿みたいじゃない……、アンタは多分、誰よりも無害で、一人の男にしか目がないアホだわ。――――アタシの事はいいから、とっととこの結界無くして、騒動をおわらせなさいな」


「私が無害というなら、それはきっと――貴女の影響ですわ――――ちゅっ」


「――――っ!? 気色悪いっ! とっとと行ってこい糞ババァ!」


 カミラは意趣返しに、セーラの額にキスをして。

 その体の状態を、洗脳の前へと“戻す”。

 ――始祖装束に仕込んだ罠は“戻さず”に。


(やっぱり貴女には、幸せになって欲しいから――)



 ――いつか、貴女が本当に存在した時に。



 口には出さず、けれど祈りを込めて。

 ただ仕込みを成功させる事を、カミラは誓った。



「さて、なら結界を“戻す”前に……」



 カミラはフライ・ディアの下へ歩く。

 だかその歩みは早く、他の者からは、途切れ途切れに瞬間移動した様に見えた。


「――は、魔王サマが殺される訳だ。規格外だよアンタ。本当に人間か?」


「さぁ、私にも。もう解らないわ」


 目の前に現れたカミラに驚くことなく、フライ・ディアは、降参だと言うように両手を上げる。


「難儀なこった……、んでよう。殺すかい?」


 その問いに、カミラは少し考えた。

 今回の事は本当に想定外だらけ、でもそれは本当に駄目なモノだったであろうか。


(肉体的痛みは別にいいわ、慣れてるもの。……ユリウスを狙ったのは許せる事では無いけれど……)


「そう……ね……。黒幕はどうせディジーグリーあたりだろうから、捕まえた所で消されるのがオチだし。――うん、貴方はどうしたいのですの?」


 あっさり投げ出された答えに、フライ・ディアは困惑した。


「…………自分で言うのもなんだが、オレはアンタを殺しかけて、あの聖剣使いも殺そうとしたんだぞ? 馬鹿じゃないかアンタ?」



「馬鹿でいいわ。――だってその方が面白いでしょう?」



 カミラの晴れやかな笑顔に、フライ・ディアは苦笑するしか無かった。


「…………ははっ。どうせ嬢ちゃん、今からこの七面倒な結界壊すんだろ? じゃあそのタイミングで逃げるとするわ。――今度は恩義を忘れねぇよ、新しい魔王サマよ」


「そう、――――なら暫くは王都に近づかない事ね」


 聞くべき事は聞いたと、カミラはフライ・ディアに背を向けた。

 その一見隙だらけに見えて、一部の隙の無い姿にフライ・ディアは敬意を覚えながら脱出に備える。


「……カミラは優しいな」


「ユリウス、アナタ目が腐ってるんじゃない? あれは甘いって言うのよ。ぶっ殺さなくても、せめて首輪くらいはつければいいのに」


「…………今まであまり話したこと無かったが、セーラ嬢は、カミラに負けず劣らず、アレなんだな」


「ちょっと!? あの人生破綻者よりマシよマシ!」


「やっぱり私の扱い雑になってませんかユリウス?」


「あ、おつー。んで残念でもないし、当然」


 先ほどと同じく、瞬間移動もどきで返ってきたカミラに、セーラとユリウスはもう慣れたと動じない。


「どこから説明して貰えばいいか解らないが、そろそろここから出してくれ」


「頼むわカミラ。アタシ、どうやって解除するか解んないし」


「はいはい。――まったく、さっきまで死んでいた人間をこき使うなんて、これはますます責任を取ってもらわなくては」


「――ぐぁっ!」


「南無……」


 心労と疲労で崩れ落ちるユリウスに、そんな糞童貞を出荷される豚を見る顔をするセーラ。

 そんな二人を放っておいて、カミラは再びタキオンを収集、そして圧縮を始める。



「――――――――――“戻れ”!」



 そして舞台は再び世界に復帰し、即座に兵達とアメリが駆けつけてくる。

 カミラはフライ・ディアの離脱を確認すると、そのまま倒れ込むとした。

 流石に、体力気力と共に限界である。


「――――カミラッ!? カミラッ!?」


「げっアンタ…………、ふう。大丈夫よ寝てるだけだわ」


「……人騒がせな」


「顔、緩んでるわよ」


「……………………五月蠅い」


「ご無事ですかカミラ様あああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 ユリウス達の声を聞きながら。

 ユリウスの腕の中で、カミラは幸せな気分で寝息を立て始めた。




 あれから一週間。

 トーナメントから数日は騒がしかった学院内だが、カミラやユリシーヌが何も語らなかった為。

 今では何事も無かったかの様に、日常を取り戻してた。


「しかし、本当に魔族が襲ってきたのかと疑いたくなるような平和さですね……」


「案外平和ボケしてるわよね、ウチの生徒も。すぐそこに黒幕がいるっていうのに」


「…………今のは聞かなかった事にしますから、口を噤んで下さいませんか? セーラ様」


 加害者である事実も何処吹く風、洗脳による心神喪失で、かつ、カミラがまたも取りなしたため、セーラは元の自由さを取り戻していた。


「ユリシーヌは女の格好してる割に、キンタマちっさいわねぇ……」


「キンッ――――!? セーラ様ッ!? しーーッ! しーーッ!」


「あははっ、そんなに慌てなくても誰も居ないわよ……くくっ、くすくすくす」


「ううっ、誰か監視変わって下さいよ……」


 ユリシーヌは廊下の壁に、こつんと頭を当てて嘆いた。

 謹慎させて、また同じ事態が起こることを避けるため、彼女には監視が付くことが決定。

 しかし、それが出来る人物はユリシーヌ、アメリ、カミラの三人であり。

 現在はカミラのボイコットにより、実質ユリシーヌ一人である。


「まぁまぁ。アタシはこれ以上何か企むつもりは無いし、安心しなよって。…………それよりアンタ、アタシに付いてて平気なの? ――避けられているんでしょ? カミラに」


 ゴン、と大きな音が廊下に響いた。


「あら、いい音したわね」


「どどどッ! どどどこでそれをッ!?」


「どこでそれをって、今学院で一番ホットな話題じゃない?」


「ほわたぁああああああああああああああああッ!?」


 ユリシーヌが奇声を発し、失意体前屈を披露。

 あれから一週間。

 一週間だ。



 ――ユリシーヌは今、カミラに避けられていた。



「~~~~ッ!? くそう……、あの馬鹿女。何考えているんだ」


「まー、後ろから見てたから知ってるけどさ。ちなみに最初に断られた言い訳は?」


「先生に呼ばれている、と」


 姿勢はそのままに、ぼそっと答えるユリシーヌ。

 その声には怨念が籠もっている。


「んで次は?」


「アメリに用事があるからと」


「アメリに聞いたら無かったのよね、その用事」


「――――ガハァッ!」


「んでその次が、ヴァネッサ、ゼロス王子、さらに次は?」


「………………蝶々」


「ん?」


「あ、蝶々が……なんて言って、どっか行きやがったんだぞあの女ッ!」


「ユリシーヌ、ここ学校よ。ステイステイ」


「人を犬扱いしないでくださいませんかッ!」


「なら、急にあの馬鹿に避けられたくらいで、動揺してるんじゃないの! まったく童貞はこれだから……」


「童貞って言うなッ! 俺……じゃない、私は自分を大切にしているだけですッ!」


「へー。この所毎日靴下の色違うのに?」


「うぐッ!?」


「あの馬鹿女が目に入っただけで、何回荷物を落としたの?」


「ぐはッ!」


「仕舞いには、アメリの髪を、カミラと同じ匂いがするってクンカクンカしてたわよね――――変態」


「…………童貞でいいです」


 とうとう廊下で不貞寝を始めたユリシーヌを一蹴りし、セーラは宣言した。



「安心しなさい女装童貞残念美少年――――我に秘策あり。あのカミラにぎゃふんと言わせられるわ…………のる?」



「――――その話、乗ったッ!」



 飛び上がらんばかりに立ち上がったユリシーヌは、セーラと堅い握手を交わした。




 一方その頃、カミラはサロンにて優雅なティータイムと洒落込んでいた。

 その姿は美しく、静かで穏やか。

 聞きたい事があったアメリも、思わず見とれる。

 ――外面はいいのだこの女。


(あれから一週間余り……“あれ”以降タキオンは使えない…………やはり“魔王”が戻ったからかしらね)


 幸いにも致命傷を負っていた体は、その傷が戻る事は無く、物理現象として定着しているのではとカミラは推測していた。


(ある意味、不幸中の幸いかしら? 考える時間、確証を得る時間を設けると同時に――――)


「ふふっ――――、愉しいわね。ああ、本当に愉しいわ。待っている時間がこんなに愉しいだなんて、知らなかった」


 カミラは今現在、校内で出回る噂に思いを馳せた。

 無論言うまでもない事だが、ユリシーヌがカミラに避けられているという噂の出所はカミラだ。


「ご機嫌がよろしいのは良いですが…………カミラ様、そろそろ噂を流すように言った真意を知りたいです」


 はいっと挙手をしたアメリに、カミラは鷹揚に頷いた。


「――ふむ、そうね。そろそろいいかしら?」


「では、その真意とはっ! 何なのでしょうカミラ様っ!」


「これはね、アメリ。――――恋の極意よ」


「恋の……極意ですか?」


 あ、これ駄目なパターンだと、聞いたことを後悔し始めたアメリだが、実の所、セーラとユリシーヌの企みに荷担しているだけあって、聞かないわけにはいかない。


 そんなアメリの内情など知らず、カミラは胸を張って言う。



「即ち――――押して駄目なら、引いてみろっ!」


「馬鹿なっ! ――あのカミラ様が引くことを覚えた…………そんな馬鹿なっ!」


「――あら? その言いぐさは酷いんじゃないアメリ?」


「だってだって――、いつも押せ押せで、果ては物理的に押し倒すカミラ様がですよ? そんな……引いてみるだなんて、今度はどんな外道な事をユリシーヌ様にするんですか!? ユリシーヌ様は童貞なんですからっ! 今のまま押したら直ぐに押し倒されてくれるのも時間の問題じゃないですか!?」


「…………貴女、ユリシーヌ様の扱いも雑になってない?」


「気のせいです、気のせい。……んで、何でまたそんな理由で避けているんです? 何かくだらない理由があるんでしょうから、とっとと吐いてください」


「やっぱり雑…………! これは真逆、反抗期!」


「阿呆な事言ってないで、早く理由言って下さい敬愛なる美しきカミラ様」


「気のせいだったわ! ―――じゃなくて理由ね、うん」


 そこでカミラは、真面目な顔をした。

 アメリも義務感十割で、ゴクリと唾を飲み雰囲気を作る。



「今明かしましょう…………私はね、何と。――押し倒すより、押し倒されたい派よっ!」



「やっぱりくだらない理由だったあああああああああああああああああああああああああああああああ!」



 ぎゃーすどちくしょー、とアメリは嘆いた。

 解っていたが、面倒くさ過ぎる主人である。


(実はちょっと、セーラの企みに乗るのは気が引けていたんですが、これはちょっと…………)


 普段、迷惑やら心配させてばかりの主に、お灸を据えなければと、アメリは決意した。

 故に、躊躇無く合図を送る。


「――遠慮は入りません! やってくださいユリシーヌ様!」


 瞬間、バンとサロンの扉が開いて、セーラが飛び込んでくる。


「な、何事よ!?」


 え、何? 本当に何事? とカミラは反射的にテラスへ続く大窓へと向かい――――。


(うん? ユリシーヌってアメリは言ったわ。でもセーラしか入ってこない…………ではユリシーヌ様は?)


 カミラは足を止めて首を傾げ――、その一瞬の隙を見逃さなかった。



 ――――がちゃん。



「…………がちゃん? がちゃん? え、あれ? 何で手錠――――」



「――――話は聞かせて貰った。もう逃げられないぞ、……何か言い訳はあるか馬鹿女?」



「ユ、ユリシーヌ様ああああああああああああ!?」


 カミラは酷く狼狽した。

 ユリシーヌの手首と、カミラの手首が手錠で繋がれていたからだ。

 更に、ユリシーヌの怒気に青ざめたカミラは恐る恐る口を開く。



「あー、えー、その…………ユリシーヌ様の、えっち」



「頬を赤くして言うなこの馬鹿女ああああああああああああああああああああ!」



 直後、カミラの脳天に拳骨が振り下ろされた。

 然もあらん。




「あいたたたた…………」


 カミラは頭上を右手で押さえながら、現状把握を急いだ。

 まず左手は、ユリシーヌと手錠で繋がっている。


「やはり――――愛、ね!」


「どっからその結論だした馬鹿カミラッ!?」


 カミラと違い、でも同じく手を顔に持って行くユリシーヌ。


(あらあら、そんなに眉間をぐりぐりして、何か悩みでも抱えているのかしら?)


 見事な棚上げをしながら、続いてサロンを見渡す。

 ええー、と難しい顔をして立ち尽くすアメリと。 

 呆れた表情のセーラ。

 これは即ち――――。


「――――、そう。……裏切ったのねアメリ」


 先ほどはすわ反抗期だと思ったが、まさか裏切っていたとは非常に残念である。

 他人から見れば、残念でもないし当然の事だが、カミラ様ルールでは完全にアウト。


「これは、お仕置き…………いえ、アメリは悪くないわ、きっと私が悪いのだから……」


「カミラ様…………、わかってくれたんですねっ!」


「…………いや、本当にわかっているか? この馬鹿女」


 感動して喜び近づくアメリに、カミラの言動は明後日の方向へ向かう。


「ええ、良く解ったわ。アメリ……私が不甲斐ない所為で……」


「カミラ様……!」


「もう安心してアメリ…………、貴女をセーラの魔の手から救ってみせる!」


「解っていないじゃないですかカミラ様っ! って!? え、ええ!? なに腕掴んでるんですか? 放して下さい!?」


「ごめんなさいアメリ……、そんなに人肌に飢えていたなんて……、よりにもよってセーラに食べられて、体も心も籠絡されてしまうなんて……ううっ……私は自分が情けないっ!」


「的外れにも程がありますよカミラ様! いやいやいやいやいや!? その手は何ですか!? お尻揉まないでください――――っていうか見てないで助けろや糞童貞女装男! ヘタレーヌ様の女でしょうコイツ!?」


「だれが糞童貞だヘタレだッ!? カミラもいい加減にしろッ! 手錠で俺も繋がっているんだから後にしろ後にッ!」


「後で一人とか、それ本格的にヤバイやつじゃないですかっ!? ――こうなったら逃がしませんよヘタレーヌ様!」




「大丈夫よ、あの女に何をされたか解らないけど、男と女、二人同時は初めてだけど、――――どろどろのぐちゃぐちゃになるまで、可愛がってあ・げ・る」




 その慈愛で澱み過ぎて、澄み切った瞳に二人は戦慄した。


「助けろセーラッ! こいつ目がマジだッ!」


「元はと言えば、あんたの入れ知恵じゃないですかっ!? お腹抱えて笑ってないで助けろマジでっ!」


「ふはははははははっ、ひひひひひひひっ! あははははははっ! ほっ、程々にしとき……くくっ、くすくすくすっ……、しときなさい若作り婆ァ」


 笑いすぎて涙まで出てきたセーラに、カミラは胸を張る。



「大丈夫、私は貴女に教えて貰ったわ――――同性なら浮気はセーフ。さあいらっしゃい、四人で愉しみましょうか?」



 その言葉に、セーラの笑いがピタっと止まる。


「――マジか」


「ええ、マジよマジ」


 セーラとカミラの視線が真っ直ぐに交わり、セーラは少し考えた。

 この中で唯一カミラの事情を把握している故に、言葉の真意を読みとり、その顔が驚愕に満ちる。


「…………もっかい聞くけど、マジ?」


「ええ、だって貴女から誘ってきたじゃない?」


「マジか……、マジかー。……ああ、うん。ごめん二人とも、アタシは助けられないわ」


「良く解らないけど諦めないでよセーラっ!」


「くそッ! 何となく解ったぞッ! カミラがこんなんなのはお前の責任だろう多分ッ!」


「ふふっ、セーラ様を責めないの二人とも。私はただ、教えて貰っただけだから――愛し方というのを」


 見事な責任転嫁である。

 実際のところは、馬鹿に刃物を与えてしまったレベルなので、セーラに責任は…………やっぱり責任問題だ。


 かつての宿敵を自分が育ててしまった事実に気づいたセーラは、アメリをカミラから解放すると。

 ユリシーヌを引き連れたまま、大急ぎで部屋の隅に向かう。


「ヘタレーヌ、ちょっと耳塞ぐわね」


「おいッ!? 何を言う気だ――――むぐっ!? むぐぐぐぐぐッ!?」


 セーラはユリシーヌの耳を両手で塞ぐと、そのまま顔をカミラの胸に押しつけ口も塞ぐ。

 これで聞かれる心配もないし、男の夢に埋もれているのだ、文句もないだろう。


「――きゃん。もうユリシーヌ様ったら、生憎とまだ出せませんが、あとで思う存分、沢山吸わせてあげますから」


「いや、そういうの良いから精神年齢糞ババア。アタシとアンタについて、ちょっと話しなさい」


「あら、アメリに聞かせられない話?」


「もうちょっと、配慮してあげなさいよ。自分の主人がバイで、自分も狙われてるとか悪夢でしょう!?」


「大丈夫よ。私は美しいし、あの子をそっちに目覚めさせればいいから」


「最悪だコイツ…………」


 カミラとしては冗談だったのだが、真に受けたセーラはげっそりと頬をこけさせる。


「あー、もう……。アメリは兎も角、“何回目”でどんな時に“そう”なったのよ?」


「あら、あっさり見捨てるのね。ゲームでは唯一無二の大親友だったのに」


「ここは思い通りにいかない現実だって、突きつけたのはアンタだし、今のあの子はアンタのモノでしょう――それより、はよ、はよ」


 急かすセーラに、カミラは遠い記憶を手繰り寄せながら答えた。


「ええっと…………あれは確か…………まだ初期の頃で、私が貴女の取り巻きしてた頃ね」


「……アンタがアタシの取り巻き!? うっそぉ……、想像付かないわ」


「あの頃の私は、まだ未熟だったわ…………懐かしい……」


「いや、懐かしがってないで続き話せ」


「せっかちね……ま、いいわ。別にそう特殊な話でもないわよ? 貴女にも心当たりあるでしょう? 自分がGLもイケる人間だって」


「確かに美味しく食べられるけど、あくまでそれは二次元の話で……」


「私に完全敗北するまで、自分の事を主人公と言っていた貴女が? それによく考えてもみなさい、その時の私は貴女の下についていたのよ。しかも心酔してた。現実とゲームの認識がごっちゃになっている状態で、貴女、自分を慕う子に遊び半分で手を出さないと思える?」


「……………………………………あー」


 気まずそうな顔をしたセーラは、カタコトで確認を取る。


「……アタシ、オマエ、マルゴトイタダキ?」


「付け加えるなら、○○○○ではなくて、更に○○、そして――――」


「わかった! わかったから、もうやめろください!」


 あがー、とユリシーヌより見事な失意体前屈をし始めたセーラに、カミラが無慈悲な止め。


「私、初めてよ? 二次元的嗜好を、三次元にこうも見事に押しつけたの」


「くううううううううう、いっそ殺せえええええええええええええええええええええええええええええええええええ!」


「自業自得なのだろうが…………哀れな」


 セーラの束縛が無くなっても、実は暫くカミラの胸の中から動けなかったスケベ童貞は、無自覚にも埋まったままセーラを哀れみ。

 そしてその姿を、アメリに哀れまれていた。


「ユリシーヌ様……お可愛そうに……、カミラ様に目を付けられたばっかりに、ご自分の置かれた状況も理解できなくなるなんて…………なんて哀れなのでしょう……」


 静かになったサロンに、カミラは困惑の声を漏らす。


「これは…………いったい?」


 セーラが沈黙し、アメリも何故かユリシーヌを憐れみの目で見ている。

 愛しいユリシーヌと言えば、彼もまたセーラを哀れんでいる――――カミラの胸をクッションにしながら。


「――――はっ!? つまり、私の勝利ねっ!」


 非情に残念ではあるが、正にその通り。

 だがカミラはまだ知らない……、手首の手錠の意味を。

 自らを待ち受ける“災難”を――――!




「うふふふふっ」


(…………嗚呼、嗚呼。楽しい、愉しいわ――――)


 カミラは今、ユリシーヌとアメリを二人同時に抱えながら、寄宿舎へと戻って行った。


「うふふふふっ、ふふっ、ふははははははははははっ!」


 思わず漏れ出る高笑い。

 周囲の生徒は何事かと視線を向けるも、相手がカミラ。

 しかも、人間二人を抱えてあるく異様な光景に、そっと目を反らす。

 ――彼らはただ、二人の冥福を祈るのみだ。

 触らぬ神に祟り無し、名言である。


「嗚呼、嗚呼……、戻ったら何をしようかしら? うふふふっ――――」


 高鳴る鼓動の衝動の儘に――この状況を貪る決意を秘めて。

 カミラはただ一人の、愛おしい人間の事を想う。


(嗚呼、ユリウス様は何を考えて手錠で繋いだのかしら? 何を思って、私と繋がっているのかしら?)


 多分、愛ではないだろう。

 けど、友情以上の何かである筈だ。


(支配欲? それとも情欲? ええ、ええしっかり見極めなくては。――そっちから飛び込んで来たんだもの、逃がさないわ。理性なんてドロドロにとかして、そして――)



「ふふふっ、世界に私と貴男だけ居ればいいのに」



「――――ッ!?」


「…………ぉーぅ」


 情熱と共に漏れた声に、ユリシーヌは戦慄し、アメリは何が何でも逃げる事を決意した。


 校舎から校庭へ、校庭から寄宿舎へ。

 一歩一歩確かに近づく試練の刻に、ユリシーヌはセーラの言葉を思い出した。


「いいユリシーヌ。あの女は、アンタを愛し蹂躙するのを至上の喜びとしている」


「けど、それじゃあ半分。――――あの女の本質は“愛されたい”事」


「それに本人が気が付いているかは、判んないけどね。でも、付け入る隙はそこにある」


「満更でも無いんでしょう、あのババアの事。なら何か面倒事が起こる前に“支配”するのよ、人類の、そしてアンタの為に、アンタという存在の全てで」


(――――本当にこれで、いいんだよな?)


 ユリウスは揺らぐ。


 魔法体育祭の夕方の屋上――――泣かせたくないと思った。


 タッグトーナメントでの魔族との戦い――――守りたいと思った。


 だが、どうすればそれが出来る?


(この“気持ち”の名前を知るのは怖い――でも、今なら“本当”の言葉で言える気がする)


 しかし、この遣り方が正しいのだろうか?


(俺は本当に“籠絡”できるのか、この女を。そもそも――)


 既に籠絡されている、と思い浮かんだ言葉に、ユリウスは唇を噛んだ。


(――ッ! コイツがいくら強かろうが、魔王だろうが、どうだっていいッ! 二度と泣かないように、傷つかないように“籠絡”してやるッ!)


 元はと言えば、そっちが先だったのだから、と揺れる心を理論で固め。

 ユリシーヌは自由な左手を握りしめた。


 ――――アメリと共にカミラに抱えられたままで。


 そして再びセーラの言葉が脳裏に蘇る。


「いーい、よく考えなさい。“籠絡”さてしてしまえば――あのそこそこでっかい乳が思いのままよ」


 こっそりとユリウスはカミラの胸へ視線を向けた。

 白い制服で包まれたそれは、アメリには負けるものの、窮屈そうに制服を押し上げている。

 柔らかさは先ほど迂闊にも堪能してしまった“それ”を凝視する。

 ――――ゴクリ。


「どうやって維持してるか解んないほっそい腰も、デカケツも、思い切り揉みしだいていいのよ!」


 続いてユリウスは、腰から、スカートに隠された臀部を透視するかの如くガン見する。

 ――カミラが浮かれててよかったな糞童貞、気づかれてないぞ。


「聞いたわよ~~、よくアイツから色仕掛けされているんだって? なら太股の触り心地もしってるわね…………想像しなさい“それに”思う存分頬ずりしている自分を!」


(そ、そうだッ! カミラだって何時もやってる事じゃないかッ! カミラに出来て俺に出来ない理由は無いッ! 例え色仕掛けで籠絡できなくとも、意趣返しをしてみせる――――ッ!)


 ユリウスは男の情欲十割で、カミラの裸体を想像した。

 あくまでこれは、カミラを守り、彼女が巻き起こす騒動から皆を守る為なのだ。

 ――――守る、為なのである!


 再び握られる拳は、先ほどより、強く、そして堅い。


(あ、これ駄目なヤツですね。ご健闘をお祈りしますユリシーヌ様――――多分、無駄な足掻きでしょうが)


 同じくカミラに抱えられているアメリは、純で不純な闘志を燃やすユリシーヌに、早々と結婚式の算段を考え始めた。





「――――さあ、これからどうするんだカミラ」


「さて、どうしましょうか?」


 寄宿舎のカミラとアメリの部屋には今、妙な緊迫感が漂っていた。

 一人用のベッドの上で、カミラとユリシーヌは隣り合って腰掛けている。

 なおアメリは、寄宿舎の玄関に着いた途端、逃亡済みだ。


(嗚呼、嗚呼、これよこれっ!)


 何時も通りの余裕な笑みの下で、カミラは身悶えた。

 二人っきりの部屋で女生徒姿のユリウスが、男言葉で挑むようにカミラを見つめている。

 無論、ユリウス的には隠している情欲の色は、カミラに隠し通せる筈もなく。


(そう――――そうっ! これは何時もの“仕返し”なのねっ! なら受けて立ちましょう! 私の理性は薄皮一枚よ!)


 ユリウスの行動の意図まで察したカミラは、即座に今日の下着の色を思い出す。


(ええと…………ええ、大人しめだけど、過激すぎたらユリウス様、固まってしまうかもしれませんし。ああでも、いざその時の前はシャワーに…………うん?)


 その瞬間、カミラの頭脳に電撃が走る。

 そうだ――――その手があった。

 ユリウスが何処まで本気で“仕掛けて”くるか把握出来、かつ、その反応まで愉しめるたった一つの冴えた“手”が。


「…………どうしたカミラ。急ににやにやして黙り込んで」


「ふふっ、ごめんなさいねユリウス様。――少し、これからの予定を考えていたの」


「――――これからの、予定?」


 その不吉な響きにユリウスは、カミラが自身の目的を察した事を悟った。

 だが慌てる事はない。

 この事実は、籠絡作戦の奇襲性が無くなっただけで。

 最初から織り込み済みの事態である。

 ユリウスは悠々と、カミラの罠に飛び込む。


(だが先制はさせて貰う――――ッ!)


「……いいだろう、聞かせてくれ。――ああそうだ、言っておくと。この手錠には希少金属であるミスリル製で出来ている。魔法を“無効化”する金属であるミスリルだ。そして鍵はセーラが持って――」


「――ああ、別にいいですわ鍵なんて」


「ほう余裕だな、お前なら鍵を奪いに行って。鍵と引き替えに何かを要求すると思ったが?」


 無論、嘘である。

 カミラがこの状況を利用しないなんて、予想できない方が愚かだ。

 ――――だが、カミラはその予想すら先ほどの一瞬で看破していた。

 故に、こう答える。


「私――――、反省してますの」


「……何?」


 ユリウスは困惑した。


(馬鹿なッ!? いつもなら肯定しながら押し倒す所なのに、言うに事欠いて“反省”だってッ!? ……いや、騙されない――)


 カミラはユリウスが我に帰る一瞬の隙を尽き、手錠で繋がれた手を、自身の制服の釦に導く。


「何時もごめんなさい、ユリウス様。私からばっかり迫ってしまって――――さあ、お好きに脱がしてくださる?」


「――――は? え?」


「魔法が効かないのなら、私にはどうする事もできないわ……」


 悲しいかな、童貞故に戸惑いを隠せず固まるユリウスの指を、カミラは巧みに導いて制服の釦を外させる。


「おおおおおお、おまッ!? 何ッ!?」


「そして、貴男を傷つける事なんて出来ない……さあ、今まで鬱憤が溜まっていだでしょう?」



「先ずはお好きに、――――脱がせて下さいな」



「~~~~~~~~ッ!?」


 ユリウスは口をぱくぱくさせて、指の先まで真っ赤になった。

 どこまでも不毛な籠絡合戦、初戦をもぎ取ったのはカミラ。

 だがユリウスとて、引くわけにはいかない。


「こ、こ、こ、後悔す、するなよ?」


「ええ、ユリウス様こそ」


 ユリウスはごくりと唾を嚥下し、震える指でカミラの制服に手をかけた――――!




(何でコイツはこうも…………ッ!)


 ユリウスはカミラの制服の釦を、震える指で何度も失敗しながら外し。

 同時に、苦悶していた。


「あらあら、手助けが必要かしら?」


「……五月蠅い、黙って脱がされろ」


「ふふっ、強引なユリウス様もス・テ・キ」


「――――ッ! クソッ」


 夏服の白いワンピースは所謂前開き。

 一番上のだけならまだしも、次も釦を外すとカミラの白い肌が、たわわな果実の上半球がお目見えする。

 ――ごくり。


(こ、こんなのただの肌だッ! 何かを思うことなど――――ッ!)


 なのに何故、こんなに目が引きつけられるのだろう。

 震えの収まらない指先が、力加減を間違えて柔らかな丘に沈む。

 ふにゅん、という感触が電撃となってユリウスの脳を犯した。

 それだけではない。


(う、ううぅ…………、何だってこんな甘い匂い……)


 髪だけでは無い、カミラの全身から発せられる香り。

 赤子の時の記憶を呼び覚ます様な、母の乳。

 それでいて、蝶を引きつける濃厚な華蜜の匂い


 一緒の部屋に居るだけで、探してしまい。

 近づくと、その柔らかな髪に、白い首筋に顔を埋めて嗅ぎたくなる蠱惑的な匂い。


(くらくらする…………正気を保て俺ッ!)


 こんな邪魔な釦など、今すぐ引きちぎってその陶磁器の様に白い肌にむしゃぶりつきたい。


(畜生ッ! 考えるな俺ッ!)


 必死に脳裏から邪念を追い出し、邪念まみれに次の釦をまた一つ外す。


「――ッ、ぁ――――ッ!」


「さあ、いいのですよ。どうぞご覧になって……貴男に見て貰うためだけに、貴男に触って貰うためだけに、成長した“胸”を――」


「ぁ――ぁぁ――――」


 ユリウスは、カラカラに乾いた口内を不快に思う間のなく、ふらふらと、怖々と、ゆっくりと制服を左右に開く。


「ぁ――――――」


 そこに現れたのは、白いレースのブラに包まれた魅惑の果実。

 胸の下の釦はまだだったが、それ故にV字に開かれ卑猥に見えた。


「……そんなに、熱い眼差しをしないでくださいまし。………………恥ず、かしいわ……」


 その羞恥に満ちた言葉に、照れて朱く染まった頬に。

 軽く伏せられた、吸い込まれそうな黄金の瞳。

 ユリウスの理性はガリガリと削られる。


「き…………れ、いだ………………」


 余りに熱烈な視線に耐えかね、カミラはしおらしく顔を伏せ。

 そして透き通る様な水色の髪が揺れる。

 白磁の肌と空色の糸のコントラストに、ユリウスは一層目を奪われた。



「ぁ――――ぁぁ――――カミラッ!」



「あっ、…………やぁ…………っ! あ、……ふぁ…………やァ、ン…………」



 ユリウスは衝動的にカミラを強く抱きしめ、その形の良い、朱く染まった白い耳に噛みつく。

 二度三度、甘く歯で挟みそのこりこりした感触を楽しみ、舌で形をなぞる。

 少し汗をかいていたのか、甘やかな塩味を堪能して――――ふと、我に返った。



「~~~~~~~~~~~~~~ッ!? す、すまないッ!」



「…………ン…………はぁ…………、い、いいえ。いいのですわ。この耳も、貴男のモノなのですから」



「い、いや……悪かった…………。つ、続けよう……」


 最早、何のためにカミラを脱がしているのか判断できずに。

 己の唾液でテラテラと塗れるカミラの耳から、ユリウスは必死に全身の衝動を押さえて。

 歯を食いしばりながら、胸下の、お腹の釦を外す。


「……はぁ、はぁ……ぁ……次で、はぁ……最後、だ……はぁはぁ…………」


「ど、どうぞ…………」


 荒い息を吐きながら、ユリウスは血走った目で最後の下腹辺りの釦を外す。


「……出来た……出来た……」


 ユリウスはカミラの制服を最大限に開き、その細い腰の下、秘所を守るレースの布に手を伸ばした。


「ゆ、ユリウス様ぁ…………ま、まだ早いです、わ? 先にこっちを…………」


(あうあうあうあうあうあうあう、ま、まだ早いですわ早いですわっ! もうちょっと心の準備を――――!?)


 いつになく本能剥き出しのユリウスに、今更ながら羞恥に襲われて、せめて、と胸のブラへその手を誘導する。


「嗚呼、いくら女装していても。貴男はやっぱり男ですわ…………この長い指で。“これ”を外してくださいませんこと?」


「ああ…………」


 こくこく、と頭を上下させ。ユリウスはカミラの胸の谷間を凝視しながら、躊躇無く顔を埋める。

 勿論、腕を後ろに回して背中を撫で回しながらブラのホックを探すのも忘れない。


「嗚呼、嗚呼……もっと、もっと求めてくださいユリウス様」


 感極まったカミラの眉尻から、一粒の水滴が落ちる。

 その事実を、滴を頬で受け止めた事でユリウスは知ったが、意味を考えることなくホックを外し。

 カミラの胸の匂いを思い切り嗅いだ後、一舐めして顔を上げる。


「ほ、ほ、ほ、本当に、いいんだな……」


 ごくりと唾を飲んだのはどちらだったか。

 カミラも思考を羞恥に浸しきったまま、こくんと頷いた。



 ――ぶるん、否、ぷるんであったか。



 ユリウスによって、カミラの母性が暴かれた。

 シルクのブラは完全に脱がされる事なく、下半球の下へ。

 そして――――。



(――――これは、芸術だ)



 ただの脂肪の固まり、そう表現する事すら不敬な“美” 


 食べ頃の大きな白い果実と、桜色の頂き。


 この蠱惑的な禁断の果物を前に、ユリウスは熱に浮かされた患者の様に手を伸ばし――――挫折した。

 同時に、鼻の奥がかっと熱くなりドロっとした液体が流れ出る。


「ユ、ユリウス様!? 鼻血が、早く拭きませんと……」


 カミラは慌ててティッシュを探しあてるも、手錠に繋がれたままでは届かない。

 仕方なしに手で拭おうと、ユリウスの顔に手を伸ばした。


(あ、あ、あ……そんな、馬鹿な……、一つ一つの動作で“揺れて”いる、だと――――ッ!?)


 制服が、ブラが、髪が、禁断の果実をこれでもかと強調する様に形を変え。

 重い肉房は、引力に従い柔らかさを見せつけた。


「駄目だ…………、俺には出来ない……」


 呆然と呟かれた言葉に、カミラの手が止まる。

 ユリウスは鼻血で自らの手が汚れる事を厭わず、片手で憔悴した顔を覆い俯く。


「どうしたのです、ユリウス様?」


 ともすれば怯えたようにも見えるユリウスに、カミラは優しく頭を撫でて問いかけた。

 ユリウスは軽く呻いた後、ぽつりぽつりと話し始める。



「ぁぁ……ぅ……ぁ……薄々、気づいていたんだ」



「お前の……、カミラは“俺の理想”だ」



「その匂い……髪の、曲線、長さ……赤い唇……」



「自慢げな、でもどこか優しげな微笑みも……」



「黄金を凝縮したような瞳だって……ああ……」



「首筋のラインも…………、ああ、ああ……。」



「何もかも……、白い肌も、その乳房も、華奢な腕も、腰も……、まだ見ぬ下半身だって、きっとそうなんだ…………」



「何で…………、何で、お前はそんなに…………ああ、なんて淫猥で、なんて清らかなんだよ…………」



「俺には出来ない……、こんな完璧な芸術を、この世の至宝を汚すなんて、ああ、ああ、ああ、こんなにも汚したいのに、俺には出来ない――――ッ!」



 どこまでも苦しげに、罪悪感と欲望を吐露するユリウス。

 カミラはユリウスの距離をゼロにし、ふわりと包み込みながらその耳元で囁いた。


「そんな事、お気になさらなくてもいいのですよ…………」


「俺は……」



「だって――――ユリウス様が私の躯に、そう思われるのは“当たり前”ですもの」



「カミ、ラ……?」


 その優しく言われた言葉に、言いようのない怖気を感じ、ユリウスは顔を上げた。

 必然、カミラと至近距離で顔を合わせる事となり。

 先ほど褒めた、黄金瞳を覗くこととなる。


(こんなにも綺麗なのに、何で俺は――――)


 感じていた熱情も、頭が痺れる様な甘い匂いもそのままなのに、背筋につららを差し込まれたような。


(――痛いほどに“恐怖”を感じているんだッ!?)


 ユリウスの瞳み激しい怯えを看取ったカミラは、地獄くすら灰にする情炎で言の葉を紡ぐ。



「ええ、ええ。……苦労したのですよ? ユリウス様の本能が最も惹き付けられる姿に成長するのは」



「何を、言って――――ッ!?」



「以前申し上げたでしょう。貴男の“全て”を知っている、と。――――それは何も、出生の秘密だけではありません」



 恐怖のままに逃げようとしたユリウスは、自らが填めた手錠によって、身を捩るだけの抵抗に終わる。

 頬に添えられたカミラの手が指が、燃えるように熱く感じられ、ユリウスは自分が焼死する幻影さえ見た。



「私は調べたのです。無意識、意識的に問わず、貴男が目をやる仕草、髪の長さ、声の抑揚、抗えない匂い、肌の柔らかさ、胸、腰、お尻の大きさ、爪の長さ、腿の太さ、うなじの線。――ええ、上げていけばキリがないほどの“全て”を」



「それら“全て”の“貴男の理想”を叶えるために、そして“私が私のまま”でこの世で一番の好みとなるべく…………」



「メスを入れずに、遺伝子も弄くらずに。あくまで“私が私のまま”“貴男の理想”に成るように、この躰を育て上げたのです……」



「ね、だから、いいんです。…………さあ、私の全てを貪り、堪能してください」



 ――――その時初めて、ユリウスは自分が食虫植物に捕らわれ、半分以上溶かされていた事を知った。




(ああ、そうか。カミラ、お前は――――)


 ユリウスは自身の置かれた状況を悟ると同時に、カミラの歪さをはっきりと認識した。

 ――以前から、感じてはいたのだ。

 言葉には出来ていなかったが、今なら正確に表せる。


(――執着)


 カミラという女が、何故こんなにも執着し、世界を燃やし尽くす様な愛を向けてくるのかは解らない。

 だが……。


(きっとお前は、俺の為だけに生きていて――――)


 その愛は本当で。

 だからこそユリウスは目の前の少女が“哀れ”に思った。

 病的を通り越して、狂気という言葉すら足りない“執着”を、哀しくも、確かに嬉しいとも思ってしまった。


(だから駄目だ。――少なくとも、今の瞬間に流されては駄目だ)


 本能で答えるのではない、心でも揃って答えるのだ。


(思い出せッ! 泣かせたくないんだッ、傷つけたくないんだッ!)


 このまま拒否しても、この場は収まるだろう。

 だがカミラという存在は、また悲しみに涙する筈だ。

 だから――――。


「ま、だだ。まだお前のモノにはならない。俺が、お前を――――ッ!」


 鋼鉄の意志でユリウスは、カミラに密着していた体を離した。


「…………ユリウス様。嗚呼、嗚呼、それでこそ私のユリウス様ですわっ!」


 己の誘惑に踏みとどまったユリウスの姿に、カミラは歓喜した。


(そうですわ。貴男は何時だって最後は踏みとどまった。痛みも、快楽も、どんなモノにも耐えてきましたわ)


 胸の奥から沸き上がる純白の歓喜と、漆黒の衝動にカミラは尽き従った。


「うふふふっ、ふふふふっ。嗚呼、嗚呼嗚呼っ! 嬉しいですわユリウス様。…………私もまだまだですわね、貴男の心の芯まで虜にできないのですもの」


「生憎と俺の心は、国の――いや、俺自身のモノだ」


「ええ、私の心が私のモノであるように、貴男の心は貴男のモノ。――――それでも、貴男の全てが欲しいっ!」


 瞬間、獰猛な笑みを浮かべたカミラが、ユリウスの制服も破り裂いた。



「うおッ!? おまッ!? 何をするんだッ! このッ! 止めろバカ女――――!?」



「私には解りますわッ! お肌の触れ合いがっ! 触れ合いが足りないのですわっ! こうなったらユリウス様も裸にして、無茶苦茶にして貰いますわっ――――!」



「お前が無茶苦茶だ――――――――ッ!?」



 げに恐ろしきは、色ボケした女の怪力か。

 ユリウスの抵抗も虚しく、ビリビリ、ビリリと制服が紙の様に破れていく。



「綺麗ですわっ! お綺麗ですわユリウス様っ! 嗚呼っ、制服を着ていると国一番の淑女ですのにっ! ですのにっ! 何ですかイヤラシイっ! むほっ! 嗚呼、こんなに逞しい、む・な・い・たっ!」



「男の胸なんて撫で回すな変態女っ! ――って俺の手掴んでどうするつもりだッ!? 何無理矢理指を動かして――――ど畜生おおおおおおおおおおおおっ! それが本命かああああああああああっ!」



 同情した事実が恥ずかしくなる様な、欲望一直線の乱痴気に、ユリウスの遠慮とかそういうのがどっかに消え去る。

 然もあらん。



(何かッ! 何か“手”は無いのかッ!? 何か心の奥底がもぞもぞして、ヤバイ極まりないぞおおおおおおおおおおおおおッ!?)



「さあ、もっとッ! もっと獣欲のままに私の服も破り、支配欲とか嗜虐性を呼び覚ますのですユリウス様っ!」



「自分で言うのか大馬鹿オンナ――――――ッ!?」 



 破ったり、破られたり。

 自分の意志でしているのか、無理矢理やらされているのかも解らない。

 ただ一つ。あまりの衝撃に、カミラの発する非常に強い蠱惑的な吸引力が気にならなくなった事が救いだ。

 揺れる胸とか、左右上下に振られる腰とか、狙い通りユリウスの獣欲を呼び覚ましたが――――。



(大丈夫だからッ!? まだ理性は無くしていないぞ俺ッ! それよりどうやってこの場を乗り切れば――――)



 欲望を紙二重くらいで押さえ込んでいるユリウスは、無惨な布切れになった制服の存在に注目した。

 ――――何とか、なるかもしれない。


 深く考える事なくユリウスは、カミラのブラを引きちぎり、先ずはカミラの口に突っ込む。



「これで口は封じさせて貰った――――ッ!」



「もがもがもがっ! もぐもぐもぐっ――――!」

(強引なユリウス様も素敵…………って、え、あれ? そんな高度なプレイを――――!?)



「そして、これをこうして――こうだッ! 手は封じさせて貰ったぞっ! 手抜かったなカミラッ!」



 ユリウスは己が何をしているか正確に把握しないまま、勢いに任せて突き進む。



「俺を惑わす危険物は全て封じ込んでやるッ! これもッ! これもッ! これもッ! ついでにここもだッ! んでこれだッ! ――――どうだ見た…………か?」



 数秒後、ユリウスは硬直した。

 カミラを封じる事は出来た。

 ――――カミラがその気になれば直ぐ解かれるものだったが。



「……………………手抜かったのは、俺か」



 有り体に言って、カミラの姿はより一層卑猥になった。


 口の中に突っ込まれた下着。


 両手は縛られ動かす事が出来ず。


 禁断の白いたわわに実った果実はは、乱暴にきつく巻かれた故に。

 その大きさと柔らかさを強調するように、襤褸布が食い込み。

 しかも甘噛みしたいサクランボしか隠せていない。


 臀部も同じく、ぐにっと食い込み、隠す前より卑猥さが高まる始末。

 下の最後の一線を、破っていなかったのは幸か不幸か。


 おまけに両足首も縛ってしまい、片足のソックスが脱げているのが、なんかもう…………。



「もがもがぐむぅ……」

「ユリウス様のえっち……」



「しまったあああああああああああああッ! 中途半端に隠したほうが過激とか、解るかよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」



 再度鼻血を噴出させながら、ユリウスは叫んだ。

 なお悪いことに、勢い任せでベッドに押し倒して、カミラの両手を上に上げさせ、手首を掴んでいる状態だ。



(ヤバイヤバイヤバイいいいいいいいいいいいいいッ! こんなの見つかったら、コイツの事だから一時間後に結婚式でも不思議じゃないッ!)



 首筋まで真っ赤に染めて、顔だけは真っ青で冷や汗だらだらなユリウスに。

 カミラはぽっと頬を染めて、顔を横に恥ずかしそうに視線をそらす。



(わざとかッ!? わざとやってるだろ絶対いいいいいいいいいッ!?)



 そのしおらしい姿と、散らばって頬にかかる長い青髪に、得も言われぬ衝動がユリウスの理性とガリガリと削った。



(というか何だ結婚式ってッ! その前にどう見てもか弱い女性を襲う卑劣漢じゃないかッ!? そもそも今は裸同然で男の姿まるわかりだしッ!)



 仮に乱入者が来て、それがアメリやセーラでも冷たい視線どころか、軽蔑の眼差しからの罵倒、王に突き出される前に殺されるかもしれない。


 アメリも共犯だという事も忘れ、ユリウスの頭に最悪の想像がぐるぐる回る。



「…………うぅ……これから、どうすればいいんだ」



 形だけ見るならば、何時も強気な女性を拘束して、己の男で蹂躙し支配する、どうしようもない男の夢のシチュエーション。

 迂闊にも、ユリウスはその事に気づいてしまう。

 ――――なお、カミラは襲われるのを今か今かと心待ちにしている模様。


(考えるんだ……、何をすればいい?)


 ユリウスの中に、天使と悪魔の姿が浮かぶ。

 なお、天使がセーラの姿で、悪魔はアメリだった。


「今がチャンスですよっ! ガバって押し倒して全部楽になってカミラ様に溺れちゃいましょう! 後の事は全てカミラ様任せでいいじゃないですか?」


「悪魔の声を効かないでユリウス、相手は“あの”カミラよ? 今屈したら後々大変じゃない。ことある後とに体を要求されたり、快楽を餌に土下座を求めたり、やりたい放題されるわよ!」


「邪魔しないでよこの天使がっ! カミラ様の望みを叶える事こそ、幸せへの道なんですからっ!」


「はんっ! 馬鹿言ってんじゃないわよ。だいたいこの状況で押し倒した所で、こっちが骨抜きにされるのがオチじゃない」


「ならどうしろっていうんですか、この天使がっ!」


「徹底抗戦しかないじゃないの! カミラ第一主義の悪魔めっ!」


 意見が平行線を辿る天使と悪魔の間に、今度は情けない顔のヘタレーヌが現れた。

 脳内会議に自らの残念人格を登場させるあたり、ユリウスも一杯一杯である。


「お前等に任せたら解決しないじゃないかッ!? こんな所にこれ以上居られるかよッ! ――俺は逃げさせてもらう」


「逃げるって何処にですヘタレ」


「第一、自分で手錠を付けたんでしょ。しかも頑丈なヤツ。逃げられる訳ないじゃない」


「う、ぐ…………、な、なら誰かくるまでトイレで籠城でも何でもしてやるよッ!」


「…………トイレ?」


「ふぅん、トイレか……」


 天使と悪魔は顔を見合わせると、ヘタレーヌに告げた。


「「それだ!」」


(それだッ! このままトイレに逃げ込んで“念話”の魔法で助けかアドバイスを二人に求めるしかないッ!?)


 そうと決まれば、ユリウスは恥も外聞も棄ててカミラに告げた。




「…………すまない、ちょっとトイレ」




「――――――もが?」

(はい、お好きに………………………………あれ?

 あ、れ? え、え? 何でトイレ? この状況でトイレえええええええええええええええええええええええええええええええ!?)




 ユリウスの言葉を認識きた途端。

 カミラは展開についていけず、心の中で絶叫した。


 そしてそのままトイレ前まで運ばれ、扉の前に放置。

 ユリウスは器用にも、扉に穴を開けて手錠の鎖を通した上で塞ぐ。

 手錠に魔法は効かなくても、その他は有効、という理論である。


 なお、ユリウスの言葉からここまで僅か三秒の早業だった――――!




(こちらユリウス・エインズワース! アメリ嬢、セーラ嬢、応答してくれッ!)


 トイレに戦略的待避したユリウスは、扉にもたれ掛かりながら、すぐさま共犯者二人に連絡した。

 さっきの脳内会議で出てきた偽物より、余程いい助言を望める筈だ。


 カミラがその気になればこんな木の扉など、先ほどの制服の二の舞だろう。

 違和感を覚えて突入してくる前に、何らかのアイディアを得たい。


 祈るように返答を待つ、それは僅か数秒だったがユリウスには永遠にも等しく感じた。


(どうしましたヘタレーヌさま、不測の事態でも起きましたか?)


(何白々しく言ってんのよアメリ、あの糞オンナ相手に不測の事態が起きないわけないじゃない)


(…………解ってたなら、もう少し助け船を出してくれ)


 脳天気な声に、苛立ちを覚えながらユリウスは主題に入る。


(今俺は、トイレの中にいる。カミラは扉の外で一応縛って転がしてある)


(いやそれ、新手のプレイとか思われてません?)


(よくやった、と言いたい所だけど。何してるのアンタ。とっととハメちゃいなさいよ)


(ぐぬぅ…………、そうもいかないから隙をついて連絡しているんだろうがッ! 長すぎると怪しまれるから、早く何かこれからの案を言ってくれッ!)


(案っていっても…………)


(ハメる以外に何があるのよ?)


 ユリウスは、二人が呆れた顔をしていると直感した。

 事実、声にそれが現れている。


(今この瞬間にカミラと肉体関係を持てば、その先はきっと駄目な方向へ向かう、向かうんだきっと)


(俺の体、本能は半分以上駄目だ、悔しいが疾うの昔に籠絡されている――――このままだとアイツに堕ちるのも時間の問題だ……)


(別に良いんじゃない? アンタが手に入れば大人しくなるでしょ)


(…………そう、ですか)


 セーラの適当な返事に対し、アメリは少し思案した。

 ユリウスの言葉に、カミラへの真摯さを感じたからだ。


(…………ユリシーヌいえ、ユリウス様。わたしは今回の事に、ささやかな意趣返しとカミラ様の幸せを思って参加しました。――――では、ユリウス様は? 何を今思っているのですか?)


(あ、アタシは百パー善意だから)


(セーラの戯言は無視していいので、どうかお答え頂けませんかユリウス様……)


 どこか懇願するような響きに、ユリウスは思うがままを伝え始める。


(…………最初は、最初は俺もそうだった。そしてセーラの言うとおり、こっちから迫って、支配してしまえばアイツが悲しむことはないと、思ったんだ)


(悲しむ? カミラ様がっ!?)


(ああ、アイツはいつも俺の事を楽しそうに追いかけて迫ってきて。――でも、距離が縮まる為にアイツは“泣く”んだッ! 嬉しいと言って泣くんだよアイツはッ!)


(最初はただ戸惑ってた、気味悪いとすら思ったかもしれない。でもアイツは俺の事が好きだと、愛してると言って、諦めていた“男”としての、日の当たる居場所に強引に連れ出した)


(――嫌だったのですか?)


 静かな言葉に、ユリウスは全身全霊で否定した。


(違うッ! 違うんだッ! ――――“嬉し”かったんだよ俺はッ! なのに返せるモノは何もなくて、っただ側にいただけだッ!)


(ふぅん、でもカミラが勝手にやった事じゃない。返さなくてもよくない?)


(…………そうですね。全て、全てがカミラ様が勝手になさった事です。ユリウス様がそれに答える必要はありません。――――でしたら何故、返したいと思ったのですか?)


 その問いに、ユリウスは唇を噛んだ。


(――――――思ってしまったんだ)


(何をです?)


(カミラが照れる顔が可愛いと、笑う顔ももっとみていたいと、そして)


(カミラの泣き顔を見たくないと。そして、護りたいと思ったんだ。――――――でも、護る所か、俺を庇ってアイツは死にかけた…………俺には、俺には何が出来る?)


 苦しみに満ちた声に、セーラは率直に聞く。


(カミラの事、重たいの?)


(ああ、重たい、重たいさ……重たすぎて、今すぐ逃げたいくらいだ……)


 アメリは、優しく逃げ道を示す。


(別にいいのですユリウス様。カミラ様は悲しまれるでしょうが、きっと貴男が思い悩む事のほうが――ずっと悲しまれる。だから…………)


(逃げてもいい、か。まぁアタシもそれには同意見ね。ここでアンタらがくっつけばいいと思うけど、無理してくっつけてもねーー)


 “答えなくていい”“逃げてもいい”

 その言葉に安堵を覚えると同時に、ユリウスは強く、強く奮い立った。



(――――ありがとう。でも、俺は……、それでも“答えたい”と“返したい”と思ったんだ)



(…………アンタ馬鹿ね)


(ユリウス様……)


(認めよう。俺はカミラの事が好きなんだ。籠絡されてしまった…………でも、だからこそ)



(だからこそ、――――俺はムカつくんだ)



 思いがけない言葉に、アメリとセーラの両方がきょとんとする。


(ムカ)


(つく……ですかユリウス様!?)


(だってそうだろうッ!? 不公平じゃないかッ! 俺の事は全て知られているのに、アイツの事で知っているのは俺の事が好きな事と、俺の好みに体を成長させた事、両親が強い事、アメリ嬢やセーラ嬢、殿下達を大事に思ってる事。それ位しかないんだぞッ!?)


(わりと十分でしょ)


(それはつまり――――カミラ様の事がもっと知りたいと?)


(――ああ…………ああッ! そうしたいんだな俺はッ!?)


(自覚無しだったのアンタッ!?)


(で、ですがこれは大きな一歩ですよっ!? ……あれ? ならそうすればいいじゃないですか?)


(…………だから最初に言っただろう。アイツの裸を前に、冷静で居る事は難しいんだ)


(裸…………あー、うん。ドンマイ!)


(攻めすぎですよカミラ様…………)


(どうすればいいか、知恵を貸してくれッ!)


 その切実な言葉に、二人は一瞬黙った。

 そして数秒後、答えを出す。


(…………意見が纏まりましたユリウス様)


(言ってくれ)


(こうなったら荒治療で耐性を付けるしかないわ)


(耐性?)


(裸で一緒に風呂に入りなさい。背中でも洗って直に触れて、少しでも耐性つけて。そんで、心と体が温まればカミラも少しは冷静になるでしょ)


(大事な事は、ユリウス様がカミラ様の事を知りたいと、キチンと示す事ですよっ! ユリウス様の真摯な言葉ならば、カミラ様はきっと聞き届けてくれる筈ですッ! 頑張ってくださいっ!)


 そのアドバイスを、ユリウスはしかと受け止めた。



(わかった…………恩に着る。ありがとう二人とも)



 ユリウスは“念話”を切り、静かに立ち上がって扉を開いた。



 一方扉の前に放置されたカミラは妄想に浸っていた。

 ユリウスが確かな一歩を踏み出す中、想い人を変態認定するかどうか迷っていた。


(ふひひひひひひひぅっ! どうしましょう、どうしましょうっ!? いきなりシモのプレイなんて早すぎないかしらっ!? ああでもユリウス様が望むなら……嗚呼、嗚呼、隅々まで、人間の、女としての尊厳まで、晒してしまうのかしらっ!?)


 鼻息荒く、ユリウスのトイレが長いのも気にせず、思考のループに陥り、体をくねらせている。


(お、女は度胸っ! 愛する男の為ならこのカミラ・セレンディア! 新しい扉すら開いてみせるっ!)


 決して、家名を出してまで宣言する事じゃない。

 そうしている間に、ガチャっとドアノブが回る音がして、トイレの扉が開かれた。



「待たせてすまないなカミラ。――――じゃあ取りあえず風呂にでも入ろうじゃないか。…………背中洗ってやるから感謝しろよ」



「…………も、もが?」

(あれ? トイレプレイじゃない…………? え、あ? お風呂? 背中流してくれる? は? え? はぁ? うえっ? えええええええええええええええええええええええええええええええええええっ!? や、やったああああああああああああああああああああああああああああああああっ!)


 またも想定外すぎるユリウスの言葉に、カミラは羞恥と歓喜で卒倒しかけた。




「一緒に風呂に入るが、勘違いするなよ俺たちの魔女。取りあえずそこには疚しい事など、無い」


 脱衣所にカミラを運んだユリウスは、自らが先に裸になった後、カミラの拘束を外した。

 ――無論、手錠は別だ。


「……ぷはっ。いやんユリウス様の――――っ!?」


 ――――ちゅっ。


「――――取りあえず黙れ」


「ゆ、ゆりうす、さ、ま…………」


 何かを言い掛けるカミラを、額にキスして黙らす。

 カミラとしては、勢いに任せ抱きつこうとした矢先であった為、出鼻を挫かれた所か。

 重いパンチを貰うのと同じ衝撃で、くらっとふらついた。


(れ、冷静になれば、お、俺だってこれくらい出来るんだからなッ!)


 開き直ったユリウスの中には、今までの経験が渦を巻き発揮する。


 ――押し進める遣り方は、カミラが身を持って体言していた。


 ――困ったら、キスをして黙らせろ。~~とある王子の言葉~~


(殿下、ありがとうございますッ! ――お前の言う事は本当だった…………!)


 つまりカミラは、ユリウスを追い詰め過ぎたのだ。

 カミラが翻弄出来たのも、ユリウスが好意に戸惑い、自身の気持ちも把握出来ていなかったから。

 そういう意味でも、ユリウスは今、カミラと同じステージに上がったのだった。


「何時までも裸だと冷える、中に入るぞ」


「きゃうぅ!? は、はぃ…………」


 浴室の中に入ると中の湯船には既に、お湯がわき始めていた。

 中世ファンタジーにあるまじき、全自動機能がカミラの趣味で付いているのだ。


 望外の幸せで、されるがままのカミラを椅子にすわらせ、ボディソープをスポンジに付けて泡立てて。

 ユリウスは鋭い視線で、カミラの背後に陣取った。



「片手が使えないのは、思ったよりやりにくいが――――じゃあ、洗うぞカミラ」



「お、お願いします…………?」



 頬を染めて、きょどきょどするカミラに。

 これが愉悦というものかと、ユリウスは新たな扉に覚醒しながら、食い入る様に真っ白い背中に注目する。



「ああ、これが俺の為に育てたとか言う体か…………すんすん…………ぺろっ」



 ユリウスはスポンジで洗う前に、左右の肩胛骨を人差し指で撫で、さすり、軽く押し。

 そして顔を毛穴が見えそうなくらいに近づけ、ぺろりと舐めた。

 ――――驚くべき事に、今のユリウスには邪念がほぼ零である。



「――――ひゃあああうううんっ! ゆゆゆゆゆゆりっ、ゆりっ ゆりうすさまっあああああああ!?」



「ちゅう~~っ…………はぁ、五月蠅いぞ黙れ。――にしても、不思議だなお前の肉体は……、こんなに柔らかいのに太っている訳ではないし、汗をかいているのにいい匂いだ。その汗だって、何故だか美味しい」



「――――はひゃふぇほえおっぽにゃるごぅわにゃっ!?」



 背中を弄ばれ吸いつかれるだけでも、刺激が強いのに。

 熱の籠もった声で耳元で囁かれ、けれど視線は劣情ではなく、しかして貪る様な冷静な目。

 その瞳に射抜かれて、カミラの自覚のない被虐心が呼び覚まされ、羞恥心と共に確実に言語機能を破壊する。



「さあ、次は右腕だな…………どれ、今度は噛み応えでも見てみるか…………」



 思いのままに背中を弄んだ後、キチンと背中を流したユリウスは次の標的へと向かう。



「~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!?」



 ぼそっと、だがしかし、確かに出された声にカミラは戦慄する。



(し、死ぬっ! こんなの死んでしまうっ! な、何でいきなりゲームで両思い状態のインモラルS男ユリウスになってるの!? こんなの私知らない――――――っ!?)



 知らないも何も、答えに至っている事に気が付かないカミラは、左の二の腕に甘く歯が当たる感触に身を震わせ。

 恐らくこれが、全身続くという事実に“天獄”を見て気を遠くしかけた。




「はぁ……はぁ……はぁ……はぅぅ…………」



「ふむ、こんなモノか……」



 カミラの荒い息と、ユリウスの冷静な声が浴室に響きわたった。


 正味三十分程だったか。

 カミラにとっては永遠の被虐羞恥“天獄”に等しい時間は終わりと告げた。

 大人の階段を上る前に、もっと高度な事をした気がするのは気のせいだろう。

 最後に髪を洗ってらった時は、心地よすぎてうとうとしたのは、バレていないだろうか?

 ――いいえ、ばっちりバレています。


 ともあれ。

 選手交代だと、今度はユリウスが椅子に座り、カミラに背を向ける。



「ほら、とっとと始めてくれ。俺はそろそろ湯船につかりたい」



「あ、はいぃ…………わ、わかりましたわ…………はふぅ…………」



 ユリウスの自分勝手な言葉に反感を覚えるどころか、胸をきゅんきゅんさせたカミラは、ユリウスの背中に手を伸ばし――――そして、その手を止めた。

 見覚えのある、大きな大きな深い傷跡が“無い”。



(嗚呼、嗚呼……そうでしたわね……)



 被虐も羞恥も、幸せすらカミラの中から急速に消え去っていく。

 これは、カミラの無力である証。


 ――――そして、罪の、証。


 ユリウスの背中には、大小様々な傷跡が残っていた。

 一際大きなのはきっと、ユリウスが里子に出された原因。

 赤子の頃の魔族の襲撃で付いたものだろう。

 小さなモノは、王国の影となる訓練で付いたものだろう。



「ユリウス様…………」



 その一つ一つを、カミラはそっと指先でなぞる。

 慈しむ様に、後悔する様に、そっと、そっと、優しく、優しく…………。

 “無い”筈の傷跡まで、優しく。



(ごめんなさい“ユリウス”様……、私は、私は……。嗚呼、嗚呼、嗚呼、ごめんなさいユリウス様…………、私は全部を見ていた…………見る事しか、出来なかった。ごめんなさい、ごめんなさい…………)



 鏡越しに、カミラの瞳が曇ったのをユリウスは見逃さなかった。

 でもその理由を理解する事が出来ずに、だからこそ、気づかないフリをして言う。



「どうしたカミラ? お前なら知っていただろう、俺の背中に傷がある事くらい」



「え、ええ…………、知っていたわ」



 見ていたから、と言う勇気は今のカミラには存在していなかった。

 言ってしまえば、楽になるだろうか。

 鼻で笑い飛ばす? それとも責める? カミラは想像すらしたくなかった。



(嗚呼、嗚呼……。私は、私は…………)



 手を止めてしまったカミラに、ユリウスは静かな目で伝える。



「そこにある傷も、無いところも。全て俺が選んだ決断の果てにあるものだ。――――お前が気に病むものじゃない。俺の人生を勝手に背負い込むな馬鹿女、それは俺のモノだ」



 溜息混じりの言葉が、カミラの心を引き上げる。

 それは地面に雨が染み渡るが如く、ゆっくりとした速度だったが、確かに、癒しとなったのだ。



「さ、続けてくれ」



「――はい、ユリウス様」



 カミラは静かに、背中を洗い始めた。

 いつもなら興奮し、アプローチをかける所であったが。

 不思議とそんな気になれず、ただ一心、ユリウスの事だけを想い、手を動かした。



 背中から腕、腕から前、そして下半身を洗い上げ、先ほど自分がされたように、優しくユリウスの髪を洗う。



「――――ああ、こうしていると。何だか夫婦みたいだな俺たち」



 泡が入らないように目を瞑っているため、ユリウスは見えなかったが。

 その何の意図も無く言った言葉は、カミラの涙腺を揺るがした。



「ええ、本当に…………。仲のいい夫婦みたい」



「ああ、出来ればお前とは。そうありたいと思っている」



 すんなりと口に出た言葉に、ユリウス自身は少し驚き。

 そうなのだな、と納得し、同時にカミラの泣きそうな言葉の響きを感じ取って、手錠に繋がれた手を、そっと握る。



「俺は、お前が何に悲しんでいるのか解らない。――――だから、お前を理解したい」



「――――はい、はいっ!」



 震えた声で嬉しそうに返事をするカミラに、ユリウスは続けた。



「だからさ、話をしよう。――――俺たち二人の話を」



「はいっ! ユリウス様っ!」



 髪の泡を流していないユリウスの状態を気にせず、カミラは抱きついた。

 その時、肩に落ちたのは水滴だったのか、涙の滴だったのか。

 ユリウスには判断できなかったが、取りあえず――――。



「カミラ、俺は逃げないから。――――そろそろ頭を流してくれ」



「へ? あっ!? ごめんなさいっ! 今すぐに――――」



 カミラは慌てて、ユリウスの泡を流し始める。

 なお、ユリウスに抱きついた事により付着したカミラの泡は、キチンとユリウスが洗い流した。




「ああ、二人で入ると意外とと狭いなこれ」


「部屋にあるのは、あくまでオマケですから」


 カミラの中の人で言うところの、独身用アパートに備えつけな狭さの浴槽に、カミラとユリウスは二人で入る。


 最初にユリウスが入り、水位は上限。

 ユリウスに座るようにカミラが入ると、お湯が溢れ出た。


「こうして見ると、お前案外小さいんだな……」


「それは、女の子ですもの」



 ユリウスの今更な感想に、カミラはくすくす笑う。

 湯の温度より低い、カミラの体温を全身に感じながら、ユリウスは柔らかくカミラを抱きしめる。


 二人とも、しばし無言。


 お互いの心音が次第に重なり合い、時折、どこかの水滴がぴちゃんと落ちた。

 体の芯から暖まる心地よい温度に浸りながら、ユリウスはカミラの指に、己の指を絡める。


「…………この際だ。ちゃんと言っておこうと思う」


「何をです」


 穏やかな口調に、カミラも殊更構えることなく耳を傾ける。



「――――ありがとう」



「ユリウス、様…………?」



 思いがけない言葉に、カミラの目が丸くなる。

 ユリウスはカミラを抱く腕の力を、少し強めた。



「ずっと、俺はこの国の影として生きていくのだと思っていた。……だが、光ある世界に居て欲しい、そう直接言って、俺を引きずり上げたのはお前だ。――――本当に、感謝している」



 カミラはユリウスと絡まる指を、優しく包み、少し俯いた。



「もったいないお言葉ですわ、ユリウス様」



「ああ、お前のやり方は強引過ぎて、犯罪すれすれの所もあったし。礼を言うのがもったいがな」



「あら酷い、積極的な女はお嫌い?」



「…………嫌いになれてたら、今この場にいない」



 苦笑混じりに出された言葉は、確かに柔らかな響きがあって。

 カミラはその事実に、訳もなく泣きたくなった。



「嗚呼、嗚呼…………。本当に貴男は……酷い、人……」



「酷いのはどっちだ馬鹿女。…………この際だから言っておくが」



「あら、今度はどんな嬉しいことを言ってくれるのです?」



 感情を隠すように、茶化した口調のカミラと違い、ユリウスは真摯に答えた。



「悔しいけどな、カミラ。――――多分俺は、お前に夢中だ」



「………………は、い?」



「見事だよ。お前の目、顔、体、匂い、暖かさ、それら全てが俺を惹き付けてやまない」



 固まったカミラに構わず、ユリウスは更に続ける。



「――そして何より、俺の事をを好きで居てくれる、お前が側にいないと駄目だ。落ち着かないんだ」




「誇れよ俺の魔女、お前は見事に俺を――――籠絡した」




「あ、嗚呼、嗚呼…………」



 カミラの目頭に水滴が溜まり、小さく嗚咽が漏れる。

 そしてそれに、密着しているユリウスが気づかない筈がない。

 


「――――すまない、お前を泣かせるつもりは無かったんだ。」



「い、いいえ。これは嬉しくて、とても嬉しくて泣いているのですわ」



 そう言ったカミラの顔は、やはり悲しみに満ちていた。

 ユリウスは唇を噛み、カミラを抱きしめる力を強く、強くする。



「前にも、言っただろう? そんな顔で泣くなって…………。お願いだ、どうしたらお前は心の底から笑ってくれる? お前の心も体も、護る事が出来る?」



「いいえ、いいえっ! 私は悲しんでなんて――――」



 叫ぶような大声は、唐突に途切れた。



(あ……、嗚呼。私は……、笑えて、いないのですね……こんなにも、こんなにも幸せなのに…………)



 水面にうっすら浮かぶカミラの顔は、喜ぶどころか、迷子の幼子の様な泣き姿。

 自覚してしまうと、涙が筋となって頬を伝い、ゆっくりと湯船に落ちていく。




「教えてくれカミラ、何がお前を悲しませているんだ? ……お前が重荷を背負っているのは、解るとは言わない。それは今まで歩んできたお前への侮辱だ。――けどさ、俺にも理解させてくれ、お前の全てを。お前が俺の事を理解している様に」




 その想いに、カミラは答える事が出来なかった。

 ユリウスが想いを伝える度に、カミラの心は溺れていく。



(嗚呼、嗚呼……、こんなに幸せでいいの? ユリウスが私の事を…………、なのに私は……嗚呼)



 勇気が出ない、後少し、言葉が出てこない。

 全てをさらけ出し、全てを委ねて。



(ううん、ひと欠片でもいい。私の過去を理解してくれたら…………)



 その“幸せ”は目の前なのに、後一歩が踏み出せない。



(こんな“幸せ”知らなかった…………、体験なんて出来なかったもの、想像すら、した事なかったわ)



 いつかカミラがユリウスに言った“愛と言う名の毒”。

 それは、ユリウスだけでなくカミラをも蝕んでいた。

 今やユリウスの想いは、カミラへ“毒”



(なんて、なんて甘い蜜の様な――――)



「嗚呼、嗚呼……、愛していますわ。ユリウス様」



「――――なら、そんな哀しい顔で、言うんじゃないッ!」



 壊れてしまいそうな程強く抱きしめられ、カミラはこの“幸せな”瞬間が、現実だと強く自覚する。



(駄目、駄目なのよ…………)



 カミラの過去は、決して伝えてはならない。

 他の誰でもない、ユリウスには絶対に自分から話さない。



(怖いの、怖いのよぉ…………全てを話して、今、拒絶されてしまったら……嗚呼、私はどうすればいい?)



 何もかも燃やし尽くす様な愛の裏返しに苦しみながら、それ故、何も考えずにカミラの喉から言葉が紡がれる。



「私ね……、何も考えてなかった」



「カミラ?」



「何も、考えてなかったのよ…………」



「あったのは貴男に好意を、愛を伝える事だけ」



「その先に、好きになって貰えればいい、そう思っていたけれど」



「嗚呼、駄目ねぇ…………貴男が逃げないで側に居てくれて、私を好きだと言ってくれているのに」



「こんなにも嬉しいのに、涙しか出せないの……」





「嗚呼、これが夢であるのなら。二度と覚めないで欲しい…………、もし覚めてしまうのなら、その前に目覚めぬまま死んでしまいたい……」





「この、馬鹿女が」



 今にも消えて無くなりそうな女の姿に、ユリウスは歯噛みした。



(ああ、――――そうか。コイツは、カミラという女は、俺からの好意を望んでいても、それが自分に向けられいる事を信じていない。そして、自分の幸せすら端から計算の外なのか)



 だからユリウスがカミラに憐れみを覚えたのは、きっとこれを感じ取ったからなのだ。



(そんなの――――許せるもんかッ!)



 今この瞬間、ユリウスは決意した。

 自分の全てを賭けてでも、この女を心の底から笑わせてみせると。

 そして、今為すべき事は――――。



「いいかカミラ今から――――お前を“抱く”。そして、これが夢じゃないと、深く刻み込んでやる」



 問答無用でカミラを抱き上げ、ユリウスは湯船から出る。

 そして、二人とも体が濡れたままなのも気にせず、ベッドへと直行した。



(――――――――――オマエヲ、ダク?)



 喜びと悲しみの海に沈んでいたカミラの思考が、ピタッと止まった。

 いったい、愛おしい男は何を言っているのだろうか?



(オ、マエヲダク? オマ、エヲダク? オマエヲダ、ク? うん? あれ? 何で私運ばれてるの?)



 ユリウスに言葉の意味も意図も解らず、目を白黒させる。

 ――オマエヲダーク、何かの必殺技だろうか?



(…………って違う違う違うっ! え、何何何何いいいいいいいい? いったい今の会話でどどどどどどどどどっ! どういう結論を出したらそういう事になるのよっーーーーーーーーーーーー!)



 あっと言う間にベッドまで運ばれ、乱暴におろされたカミラは、慌てて制止をかける。



「ちょっとっ! ちょっと待ってユリウスっ! いったい何でいきなりヤル気をだしているんですわっ!?」



「あ、いつもの感じに戻った――――じゃない。……俺はな、カミラ。お前を悲しませたくないんだ……」



「何キメ顔で言ってるのっ! 明らかにそーゆー雰囲気じゃなかったじゃないっ!? ――――ひゃん」



 押せば倒れるもの、混乱しているカミラは安易に押し倒され、濡れたままで余計に扇情的な白い裸体を晒す。



「何を言う、そういう流れだったぞ…………たぶん」



「あ、多分って言った! 多分て言ったぁっ!」



「気にするな。――――初めてだけど、頑張るから」



「私も初めて――――じゃっ、なあああああああああああいっ! ちょっ! こらっ! やめっ! へんなとこ触らないでっ!?」



 最早、照れだとか遠慮だとか無しに乳房などに手を伸ばすユリウスに、カミラは必死になって抵抗する。



「触んないと楽しめないだろう? さあ、俺の色に染め上げてやる……ッ!」



「童貞が何を生意気言ってるのよっ! っていうか待って、ホント待ってっ! いったん整理させて!?」



「お前だって処女だろう…………はぁ、まぁいいぞ、言って見ろ」



 譲歩したと見せかけて、ちゃっかりカミラの両手首を掴み、頭の上で押さえるユリウスに。

 ――――あれ? これ駄目じゃね?



 と、手遅れの現実から目を必死に反らしつつ、カミラは記憶を手繰り寄せる。



「先ず…………、私はサロンでアメリとお茶をしていたわ」



「どこまで遡るんだバカミラッ!」



「――――とうとう呼び名まで遠慮が無くなったっ!?」



「いいから、進めろ」



「うう、何か思ってたのと違う…………」



 ユリウスと以前にも増して親密? になったのは嬉しいが、どんどん扱いが雑になっている気がする。

 ――――人はそれを、自業自得と言う。



「状況は整理できたか? なら…………」



「わ! わっ! 続けます続けますからまだ待ってっ! え、ええっと…………その、まず、私は貴男が好き、愛してるわ」



「俺もお前が好きだ。――なら、何の問題もないな」



「あ、たしかに――――じゃないっ!?」



「……ちッ」



「ひーん、そんなギラついた目で舌打ちしないでくださいカッコイイっ!」



「ふぅん? 俺の視線で感じた?」



「は、はいぃ…………でもなくてですねっ! あっ! ちょっ! まだ駄目ですって、手ぇっ! 手っ! そんなに強く揉まないで痛いです童貞っ! 話だってまだです童貞っ!」



「童貞童貞連呼するなッ! お前だって処女の癖にッ!」



「えー、えー、そうですともっ! 処女ですものっ! 確かに誘ったのはこっちですけでど、もうちょっと雰囲気整ってからにしてくれません――――かっ!」



 カミラはキスをしようとしたユリウスの顔に、ゴンっと頭突きする。

 間髪入れず、自由な足でユリウスの体を退けようと頑張る。



「あだッ!? ――――うわッ! こらッやめッ! ええいッ! おとなしく抱かれろバカッ!」



「私の処女は安くありませんわっ! ユリウス様にだけに――――」



「――――俺がそのユリウス様だが?」



「……………………あれ?」



 じゃあ、いいのか?

 とカミラの心のストンと、謎の納得が入る。



「あ、ええと。…………ユリウス様はさっき私が好きって言った………………あれ? 好きって言った! 言ったッ!? え、あれぇっ!?」



「いまさら驚くなバカミラッ! 風呂でも言ったし、側にいて護るって言っただろう! お前を知りたいともッ! ――――だからお前の肉体を隅々まで知るついでに、お前に俺に抱かれる“幸せ”を刻み込んでやるッ!」



「きゃっ! 素敵ユリウス様っ! ………………んん?」



 抵抗していたカミラが、思わず止まる。



(という事は真逆、真逆真逆真逆真逆真逆真逆真逆っ!? 両思いになったのっ!? え、嘘っ!?)



 そんな馬鹿な、とカミラは恐る恐る口を開く。



「…………も、もう一度確認していい?」



「ああ、手短にな」



「私は貴男が好き」



「今では凄く嬉しいぞカミラ」



「そして貴男は私が好き……」



「全身全霊で幸せにするから、覚悟しろよ」



 情熱的に言われた言葉に、カミラの顔が、それどころか全身が赤く茹で上がった。



「――――――ぁぅ」



(こ、こ、こ、これは…………私、もうゴールしていいいの?)



 別に、ちょっと。ほんのちょっと混乱しただけで、先ほどの浴室での会話を忘れた訳でも、理解していなかった訳でも無い。

 だだ少し、脳に染み渡るのに時間がかかっただけだ。



(という事はつまり……そういう事なのね)



 放課後のティータイムからさほど時間が過ぎ去ってはおらず、まだ日は高い。

 だがこれは所謂――――。



( 初 夜 ! )



 好きになって貰う事だけ、籠絡する事だけ、ユリウスを日の当たる場所に引き吊り出す事だけ考えていたカミラだったが。

 だから、そうなのだと判断して、驚喜して受け入れた。



(うう…………、何だか凄く恥ずかしいけど……女は度胸っ! 嗚呼、嗚呼っ! 胸が高まりすぎて苦しくなってきたわっ! これが“幸せ”なのっ!?)



 深呼吸を一度、瞳も一度閉じて、ゆっくり開く。

 目の前には、水が滴り中性的な怪しい色気を増した、愛する男が一人。



「…………ごめんなさい。少し、取り乱したわ」



「少しでは無かったが……まぁいい。落ち着いたか?」



「ええ、私に刻んで? 貴男の言う“幸せ”を――――」



 ユリウスの頬に手を添え、真っ直ぐ瞳を合わせるカミラに。

 そっと、ユリウスは顔近づける。



「カミラ……」



「ユリウス……」



 彼我の距離が零になり唇と唇が――――。



「…………あ、あれ?」



「カーーミーーラーーッ!」



 唇と唇が、重ならなかった。



「何故避けるッ!」



「も、もう一回ッ!? い、今のはちょっと恥ずかしかっただけだからッ!?」



 二人の間に微妙な空気が流れ、でも再度顔を近づけて…………。



「カミラ」



「ユリウス」



 ――――そして、重ならなかった。



「だから避けんじゃないッ!」



「あ、あれっ!? あれれっ!?」



 ドキドキバクバク、カミラの心音は際限なく高まっていく。



(すっっっっっっっごく恥ずかしいいいいいいいいいいいいいいいいいっ! な、何でぇっ!?)



 ユリウスの熱い吐息、発情している高い体温。

 情欲まる出しの視線、切れ長の睫。

 ともすればカミラより形のいい唇。

 何故だか、見慣れた、慣れた、その全てが恥ずかしい。



「ああ、ううぅ……ご、ごめんなさいぃ……何だか正面から貴男の事、見れない…………」



「お前……散々あんな事しといてそれか……」



 呆れた様に出された言葉すら、今のカミラには羞恥を煽る興奮剤でしかない。

 恋人握りをしている手錠を填めた手が、この上なく熱い。

 


(不味い…………うぅ、これはとてつもなく不味いいぃ…………)



 心臓がばくばくばくばくばくばく、ユリウスに伝わるくらい早鐘を打ち。

 脳髄をきゅーっときて、かーっときて、くらくら目の前が回り出す。



(絶対っ! 絶対駄目になるぅ! 心の底よりもっと深い、何かを曝け出してしまうような気がするぅっ!)



 愛しい人に抱かれて、人生幸せゴールインどころか。

 その愛に未来永劫、従属し、支配され続けてもいいという躯の叫びが、嫌じゃない感じが特に不味すぎる。

 何が不味すぎるか解らないが、とてつもなく不味い。



「…………じゃ、なくなる……」



「何だ、もっとはっきり――――」



 ため息混じりに聞き返すユリウスに、カミラは衝動のまま叫んだ。




「わ、私が私じゃなくなる気がしてっ! あのっ! そのっ! ――――――――ご、ごめんなさいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!」




 直後、カミラは魔王の力の最大出力で、無理矢理、破壊不能な手錠をぶち壊すと、ユリウスの下から抜け出す。



「えッ!? おまッ!? ――――はあああああああああああああああああああああああッ!?」



「て、撤退いいいいいいいいいいいいいっ!」



 ユリウスが驚き叫ぶ間の刹那に、魔法で制服を修復、そして瞬間的に着装。

 部屋の窓ガラスを打ち破り、外に出た。



 そして部屋に残されたのは、両思いになったのに、両者裸でベッドにいたのに、童貞を捨てられなかった哀れな女装美少年独り。



「あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あのヘタレオンナああああああああああああああああああああああッ!?」



 こうなったらもう、男の意地だ。

 追い回してとっ捕まえて、何が何でもやり直す。

 男の純情を前にヘタレた罪を、その躯で味あわせてやる。

 そう決意したユリウスは、即座にアメリとセーラに“念話”で連絡と取る。


(おい、応答しろアメリ嬢ッ! セーラ嬢ッ! 緊急事態だッ!)

 

(はいはーい、どしたの?)


(今、部屋の窓ガラスが割れた様ですが? 何かあったのですか?)


(何があったってッ! ありまくりだ馬鹿野郎ッ! あのオンナ、最後の最後にヘタレて逃げだしやがったッ! 捕まえるから協力しろッ!)


(――――ぷっ! ぶははははははははっ! やーいやーい! 童貞留年ご愁傷様でーーーーす!)


(五月蠅いッ! こんちくしょうッ!)


(ええ…………、カミラ様ぁ…………ああ、うんはい。カミラ様が何処に行ったか解りますか?)


(解らないから聞いているッ! それから服借りるぞッ! あのオンナ、自分のだけ修復して逃げたからな……)


(アンタ達……ぷっ、くすくすくすっ……どんなプレイしてたのよ…………)


(詳細を聞くのは後にしましょう……カミラ様……貴女とは長い付き合いでしたが、真逆ヘタレだったとは…………っと。カミラ様の居場所ですね、お二人の手錠の輪には、念のために発信器を仕込んでおります。それを辿れば…………あれ?)


(用意が良いわねアンタ…………で、場所はどこよ?)


(えっと、それが……何故かカミラ様の魔力が反応しずらくて……故障しましたかね?)


(アイツ、ミスリルの手錠引きちぎってったからな……、故障もありえるか……、わかった合流しよう。すぐここに来てくれッ!)


(どうせ今裸なんでしょ? こっちも急ぐけど、アンタもとっとと着替えなさいよ)


(言われなくてもッ!)


 “念話”の魔法を切り、ユリウスは着替えるべくカミラのクローゼットを漁り始めた。




 コンコン、とカミラの部屋にノックの音が響いた。

 ユリウスは、カミラの予備の制服を着た状態で開ける。

 出来れば部屋も片づけたかったが、贅沢は言うまい。


「さ、早く入って――――――へ? うぇえええええッ!?」


「よう、俺とヴァネッサも参加させて貰うぜユリシーヌ」


「ごきげんようユリシーヌ、数時間ぶりですね」


「いやー、お待たせしましたユリシーヌ様!」


「助っ人を連れてきたわ、感謝してよ~~!」


 扉を開けた先に待っていたのは、アメリとセーラだけではなく、ゼロス王子とその婚約者のヴァネッサの二人。

 ユリウスは、叫んで隠れたい衝動堪えて、ただ頭を抱えてしゃがむ。


「………………終わった」


 今、王子達がここにいると言う事は、さっきのアレやコレが全て筒抜けになっている可能性がある。

 四人が部屋に入った後、ユリウスは力なく扉を閉めて、その場で倒れ込む。


「ああ、何だ。気持ちは解るがそうしている場合ではあるまい?」


「けけけっ! どーうユリシーヌ様? 敬愛する王子様にこの惨状を見られた御・気・分は?」


「ちょとセーラっ! もう少し手加減をですねぇ…………にしても、どんな激しいプレイをしたんです? ユリウス様?」


「………………あまり、とやかく言いたくありませんが。無理矢理はいけませんよユリシーヌ」


 誰かが発する度に、ユリシーヌの体がビクっと跳ねる。

 言葉が、視線が、剣となってユリシーヌを苛んだ。


 然もあらん。

 先ほど急いで服を探した影響で、クローゼット等が開けっ放し。

 床には、破れた制服や下着が散乱し、ベッドの上は水気で多々湿っている。

 誰がどう見ても、犯罪の現場か特殊なプレイの後だ。


「…………………………………………何故」


「うん? 何か言いましたかユリシーヌ様?」


 ユリシーヌはガバっと起き上がり、セーラの肩を掴んでガクガク揺らす。


「セーラぁッ! 貴女が原因ですかッ!? 確かに来てくれって言いましたがッ! 何故殿下達まで呼んだのですかああああああああああああ!? 答えろッ! 答えなさいいいいいいいいいいいい!?」


「けけっ、げっ、はっ、ちょっ! ゆ、ゆらっ! 揺らしすぎっ! やめっ!」


「お気持ちは解りますが、ええ、わたしもカミラ様の恥を晒すようで躊躇いましたが。ええ、仕方ないのです」


「うむ、現在カミラ嬢は学院内を爆走中でな、苦情が出始めているのだ」


「話を聞きに入ってみると、貴女との仲が拗れそうだって言うじゃない? 大切なお友達ですもの……わたくし達にも、手助けさせてくださいませ」


 苦笑するゼロスに、生暖かい笑みで半笑いのヴァネッサ。

 面白半分に、首を突っ込んでいるのは想像に堅くない。

 ユリウスはセーラから手を離し、苦虫を十回程噛み潰した非常に渋い顔で全員をにらむ。


「――――――――わかりました。この様な私事に殿下を巻き込むのは非常に心苦しい…………非常にッ! 心苦しいですがッ! やるからには徹底的に手を貸して貰いますッ!」


「お、おう…………、何か変わったか? お前」


「ええと、淑女がする顔でなくてよユリシーヌ?」


 事情に詳しくない二人は、数時間前の授業の時とは様変わりした様子に戸惑い。

 事情を知るアメリとセーラは、顔を見合わせて複雑そうに笑う。


「それで、何処まで事情を聞いていますか殿下」


「殆どまだだ。カミラ嬢が学院内を爆走している事と、その原因がお前という事だけだな」


「いったい何があったんです? いくらあのカミラ様でも、無差別に迷惑をかける人では無い筈です……」


「では僭越ながら、わたしが説明を――――」


「――――いいえ、私が話します」


 名乗り出たアメリを止め、ユリシーヌは自ら買って出た。

 これは二人の問題だ。

 ならば一番の当事者である、ユリシーヌ自身が説明するのが筋と言う所だろう。


「ひゃっふー! さっすがユリシーヌ。とんだ羞恥プレイ野郎ねっ! ――――あ痛っ!」


「――天・罰っ! もう……黙らっしゃいセーラ。ではユリシーヌ様お願いします」


 茶化すセーラの脳天を殴って止めたアメリは、ユリシーヌに快く譲った。

 軽く頷いたユリシーヌは、口を開く。


「先ずは殿下…………貴男と王に謝罪しなければならない事がある」


 神妙な顔のユリシーヌに、ゼロスは優しい目で答えた。


「想像は付くが、何だ? 言ってみろ」


「私は今まで、王国の為に、影を担うように育てられました」


「ああ、そうだな」


「でも、それはもう出来なくなりそうです……」


 王子と女装男の視線が交わる。

 その真剣な雰囲気に、他の者は口を挟めない。


「――決めたのだなユリシーヌ」


「はい、我が身を捧げたい人が出来ました。だから――――」


「みなまで言うな。そして謝罪は無用だ。…………あの我らが魔女が根回しに来たときにもう、覚悟は出来ている」


「殿下……………………」


「我が親友ユリシーヌ…………」


 幼い頃から共に育った者の、ある種の決別に。

 熱い友情が――――。



「――――根回しの時に止めてくださいよ殿下! この惨状どうしてくれるんです!?」



「無茶言うな馬鹿! 俺にあの魔女が止める事なんて出来ないだろ!? 我が父だって諦めてるんだぞ半分!」


 

 ――――友情が?



「それでも止めてくださいッ! どうしてくれるんですッ!? もうあの女無しの生活が想像出来ないじゃないですか!?」



「ははーん、成る程成る程、ついに籠絡されたかお前、この惨状はそれが原因だな?」



「ニヤニヤするんじゃねぇッ!? ――――じゃない。ニヤニヤしないでくださいませんかッ!?」



 うがー、と吠えるユリシーヌの姿に、ヴァネッサは戸惑う。


「アメリ様、セーラ様。つまりこれは?」


「両思いに、両思いにはなったのですがねぇ…………」


「ざっくり言うと、あの女。直前でヘタレて逃げ出したのよ! けっけっけ、ザマァないわねっ!」


「…………カミラ様」


 ヴァネッサは思わず眉間を押さえた。

 普段、あれだけ猛アプローチをかけて、王や親まで巻き込んで盛大に外堀を埋めた挙げ句がこの有様。


「事情は解りましたわ…………それで、ユリシーヌ様はどうしたいのです?」


 取っ組み合いを始めそうな王子とユリシーヌに、ヴァネッサはぴしゃりと言い放つ。

 顔を見合わせた二人は我に返り、ごほんと咳払い。

 そして、再び真面目な顔に戻る。


「――――カミラを捕まえるのに、協力して貰えませんか?」


「理由をお聞きしても?」


「ええ」


 嘘偽りは許さないと、微笑みながら鋭い視線を送るヴァネッサに、ユリシーヌは真摯に答えた。



「もしかしたら、今直ぐすべきでは無いのかもしれません…………」



「でも、私は今すぐカミラを捕まえたい、逢いたい」



「きっとカミラは落ち込んでるでしょう、悲しんで涙しているかもしれません」



「私は、――――カミラのそんな顔を見たくない」



「私は、――――カミラの側にいたい」




「カミラ・セレンディアという一人の人間を、――――幸せにしたい」



 確かな熱情と共に語られた言の葉に、ゼロスとヴァネッサは頷いた。

 セーラは愉しそうに眺め、アメリは感動のあまり涙を流している。


「ああ、お前の決意はよく解った。俺も協力は惜しまない」


「ええ、わたくしに出来ることなら、何でも言ってくださいユリシーヌ」


「ゼロ、ネッサ…………」


 堅く握手を交わす三人に、セーラが単刀直入に切り出す。


「ユリシーヌの意志も確認できた事だし、次いこう次。――――でさ、どうやってあの女を捕まえるの?」


「ミスリルを使用した、とっておきの手錠も引き散られてしまいましたからね……」


 その言葉にゼロスとヴァネッサは、ユリシーヌの手からぶら下がる手錠の片割れに気づく。


「…………苦労しているのだなお前」


「まぁ! ……相変わらず規格外ですわねカミラ様は」


「言わないでください、泣けてきます……」


「ええと、そんなお手上げみたいな顔しないで、取りあえず現状の確認をしましょう! ね、ねっ!」


 一瞬沈み込んだ空気を、アメリが必死に回復させる。


「こっちが手錠に仕込んだ魔法によりますと、今もカミラ様は校内と転々と爆走しています…………よく息が続きますね?」


「あの女なら、丸一日走り続けても平気でしょうよ」


「カミラ様なら否定できませんね」


「うむ、それはいいが。このまま外に出られたら、や厄介な事になるぞ、早急に対処しなければ」


「あら、多分外には出ませんわ殿下。カミラ様がその気なら疾うに王都から出ている筈ですもの」


「その気になれば空飛べますからねぇカミラ様……」


「はっはっはっ! 我らが魔女は万能だなっ!」


「ええ、流石カミラ様――――じゃないっ! どうするんですかっ!? カミラ様を捕まえるなんて手段すら思い浮かばないですよっ!?」


「先のトーナメントで見た速度が常に出せるなら、まず誰にも追いつけませんわよね……」


「魔法で止めようにも、件のカミラが国一番の使い手だ」


「魔法体育祭の騎馬戦でも、あれだけハンディキャップがあって、結局止められなかったからな……」


 やっぱ無理なんじゃね? という空気が漂って来たとき、少しの間、沈黙していたセーラがニヤリと笑う。



「――――我に秘策あり、よ!」



「おお! 何かあるのかセーラ嬢!」


「また禄でもない策じゃないでしょうね。わたしは覚えてますからね、今の事態を引き起こした一端は、あんたの策だって事」


「まあまあ、押さえてセーラ様。――――それで、どんな“手”なのです?」


 注目を集めたセーラは、悪い顔をして言った。


「直接止めようって考えがダメなのよ。――――アイツの善意を利用しなさい」


「善意とは、何だ?」


「アイツは決して他の生徒を傷つけないわ。だから全生徒を巻き込んで、追い回すのよ」


「追い回した先はどうするのですセーラ様?」


「取りあえず、東屋かコロシアムに誘導する様にして、そこでアタシとユリシーヌが待ち受ける。ユリシーヌの方に行った場合、話聞かなきゃ自殺するとでも言いえばいいわ。アタシの方に行った場合は、何とか時間を稼いであげる」


「…………確かに、うまく行きそうですねセーラ。カミラ様の善意を利用するのは気が引けますが、この際仕方あありません」


「なら、その後は私次第、という事ですか……」


「ええ、アンタがカミラをどういう風に幸せにしたいか、どんな関係になりたいか知らないけど、全てはアンタ次第よ」


 けけけ、と愉しそうに笑うセーラに一抹の不安をよぎらせながら、各々は頷き目を合わせた。

 ――――ここに、カミラ捕縛作戦が始まった。




「――――はぁっ! はぁっ! はぁっ!」


 いったい、校舎やグラウンドといった敷地内を何周しただろうか。

 途中から魔力を使わずに走ったお陰で、カミラの息は荒い。


「ま、まったくっ! はぁっ! 何を、して、いるんでしょうね私は…………っ!」


 自問自答しながら、カミラは廊下の壁に背を預けずるずると座り込む。

 恥ずかしさと情けなさで、涙がでそうだ。


(これから、どうしましょう…………)


 ユリウスの事を想うと、カミラの心に歓喜と罪悪感の嵐が吹き荒れる。


(あううぅ…………、い、今から戻って、ユリウス様はまだいらっしゃるかしら、怒ってないかしら――――まだ、好きと言ってくれるかしら)


 戻ってその腕の中に飛び込んで、でも、でも、だって。

 そんな事――――恥ずかしい。


(こ、これが、噂に聞く幻の“両思い”……!)


 片思いより一つ上の領域に至ったカミラは、目の前に立ちはだかる壁に戦慄した。

 ――――端から見れば、壁ではなく薄紙一枚であったが。


(ああ、アメリ、アメリっ! 貴女は今何処にいるの?)


 念話の魔法で呼ぶことも思いつけずに、カミラは嘆いた。

 聞いて欲しい事がある、聞きたい事がある。

 どうすれば、ユリウスと真正面から手を取り合えるだろうか。


(今更、恥ずかしい、なんて――――)


 火照る顔を両手で押さえ、しばし沈黙。

 そしてカミラは、のろのろと立ち上がる。


「と、取りあえず、恥ずかしくなるまで、夜までどこかに隠れ――――」


 何の解決にもならない事を、始めようとした瞬間、カミラ以外誰も居なかった廊下に大声が響く。



「――――ああああああああっ! カミラ様はっけーーーーーーん! 確保おおおおおおおおおおお!」



「でかしたぞっ! グヴィーネっ! おおーーいっ! エミール、リーベイこっちだあああああああ! カミラ様はこっちにおられるぞおおおおおおおおお!」



「な、何事っ!?」



 突如現れたウィルソンとグヴィーネ、そして続々と集まってくる攻略対象とその婚約者達に、カミラは戸惑いと驚きを隠せない。



「――――ぜぇ、ぜぇ……、さ、さぁ……」


「こちらに来て貰いませんかカミラ様」


「ちょっと、グヴィーネ様っ!? エリカ様!? ああもうっ! フランチェスカ様までっ!? 私をどうするおつもりなのです!?」


「現在……、カミラ、様には……」

「全生徒に捕縛命令が出されています」

「安心するのだっ! カミラ様のお体はグヴィーネ達女生徒しか触るなとのお達しなのだ!」


「え? ええ? えええええええええええっ!?」


 事態を把握できぬまま、カミラの右腕、左腕、そして後ろから肩をヴァネッサ取り巻き三人衆が、がっちりと掴む。


「さあさあ!」

「ユリシーヌ様がお待ちですわ」

「連れて行った者達には、報償が貰えるのです。さあ行きましょう!」


「ちょ、ちょっとっ!? そんな無理矢理っ! あわわわわっ!?」


 ぐいぐいと背中を押され、腕を引っ張られるカミラの耳に、校内放送が入る。



「ピンポンパンポーーン! あー、テステス。カミラ様及び、全生徒の皆様聞こえていますかーー!」



「あ、アメリっ! 鐘の音も口で言うのっ!?」



「つっこむ所は」

「そこでは」

「ありませんよカミラ様」



「現在、学院内を暴走しているカミラ様が、ご迷惑をお掛けしていると思いますがっ! そのカミラ様を捕まえて最寄りの生徒会役員まで引き渡してくださーーーーいっ! 連れてきた者は、ゼロス王子から褒美が送られる事になってますっ! みんなどうぞ奮ってご参加くださいっ! タッグトーナメントや魔法体育祭の借りを返すチャンスですよ! 現在カミラ様の居場所は――――」



(こ、これは真逆――――――――!?)



 カミラは戦慄し、思い知った。

 これは“先程”の続きだと、ユリウスは何が何でもカミラを自分の“女”にすべく、アメリやゼロス王子まで味方に付け、全生徒を利用して自分の前に連れてこさせるつもりだと。



「おのれ裏切ったわねアメリいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!」



「わっ!」

「きゃっ!」

「か、カミラ様!?」



 カミラは三人を全身から魔力を放出して、尻餅を付く程度に吹き飛ばす。



「ぜぇええええええったいっ! 捕まるもんですかああああああああああああああっ!」



 心の準備とか、整理とか、そういうものをさせる間もなく、ユリウスはカミラを“落とし”に来ている。

 それはとても嬉しい事だったが――――。



「――――――――まだ、恥ずかしいのよっ!」



「…………ぐはっ」

「僕まで巻き添えにっ!?」

「むぅうううううううううううう!」



 慌てて立ちふさがる攻略対象三人組を、衝撃波でひとまとめに薙ぎ倒し、ついでに割れてしまったた窓からエスケープ。



「ああっ! あれ見て! カミラ様よ!」



 逃げ込んだ中庭にも、カミラを見つけて突撃する生徒達を見て、更なる逃亡を開始する。



「後で覚えておきなさいよアメリいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!」



 多勢に無勢はまだしも、流石に生徒達相手に本気を出すわけにも行かず。

 強固な結界で居座れば、ユリウスがやってくるだろう。

 かと言って、学院外に出るのは“負け”だと、何が“負け”か解らないが“負け”だと断じて。

 カミラは圧倒的に不利な鬼ごっこに身を投じた。





「さ、流石にっ! ここまではっ! 盲、点、でしょう…………っ!」



 あれから三十分、よってくる男子生徒をちぎっては投げ、群がる女生徒を結界に閉じこめたり。


 時には大きな土の壁を作り校庭を荒し。


 そしてある時には、校舎の壁を教室ごとぶち抜きダイナミックエントリー。


 コロシアムも、男子生徒の服だけ溶かす酸の雨で阿鼻叫喚に陥らせ。


 そして、そして漸く人気のなくなった東屋で、カミラはぐたっと座り込んだ。


「あー、流石に喉が乾いたわ…………」


「だったら、これ飲みなさい」


「あら、アイスティーじゃない。貴女にしては気が利くわねセーラ…………セーラっ!?」


 横から手渡されたアイスティーをしっかり飲みながら、カミラは飛び退いた。


「けっけっけっ、無様ね若作りババア。でも安心なさい、アタシは敵じゃないわ」


「信じられるものですかっ! ――――だって、貴女はきっと私を恨んでいるでしょう」


 少し哀しそうに俯いたカミラに、セーラはずかずかと近づいてデコピンを一発。


「あだっ!」


「馬鹿な事いってるんじゃないのよ糞ババア。――ったく、この聖女様であるアタシが、一々モブのした事を根に持つ訳ないじゃない。ほら、とっととそこ座る。話あるんだから、逃げると通報するわよ」


「……ああ、ああ。そうでしたね貴女は」


「“前”と比較するなし超絶チート持ちめぇ……」


「チートと言うほど便利なモノではないのですけれど」


 むしろ、呪いに等しかったが。

 兎も角、とカミラは東屋に備え付けられた椅子に座る。

 腰を落ち着けると景色を楽しむ余裕も出てきて、あの日ユリウスに告白した時と、咲き誇る花々が変わっている事に気づいた。


「ここは何時来ても綺麗ですね……」


「流石、ゲームでスチルの定番場所となっただけあるわよねぇ…………じゃなくて、話よ話。聞きたいことがあんのよコッチには」


 どことなく難しそうな顔をしたセーラに、カミラは首を傾げる。

 わざわざ話すような事があっただろうか。


「……その顔、思い当たる節は無いって顔ね。これだから老人は物忘れが激しくて困るのよ」


「あら、喧嘩売っているのかしら? 聖女装備も無しに魔王である私に?」


「ハンッ! このアタシは負ける戦いはしない主義なの、せいぜい勝者の余裕ってヤツで教えなさい――――何故、アンタは“聖女”を奪わなかったの?」


 軽口が一転、予想だにしなかった事を切り込まれてカミラは言葉に詰まる。


「――――は、え? え、えっと…………ユリシーヌ様との事じゃなくて、聞きたいのが…………それ?」


「そっちも後で聞くわよ、でもアタシにとっての優先事項は、こっち」


 何を当たり前な事を、と言わんばかりのセーラの表情に、カミラは嘆息してアイスティーを一口啜る。


「…………ふぅ。まぁ、貴女がそれでいいなら答えますわ。魔――――」


「――――魔王の方が強くて格好いいから、なんて馬鹿な答えは無しね」


「では、ユリシーヌ様が――――」


「――――勇者の家系だから、いつか勇者に覚醒したユリウスに倒される為、っていうのも無しね」


「…………」


「…………」


 セーラとカミラは同時に手を差しだし堅く握手。

 前世ではよくいた、極まった変態ユリウスファンの妄言であった。


「ではどう答えろとっ!」


「真面目に答えればいいのよババア!」


「ぐぬぬ……!」


「ほれほれ、ぐぬぬってないでとっとと吐きなさい。それとも、こっちから言った方がいい? ――――アンタが“奪う”事が出来る条件は相手を“殺す”事だと。アンタはアタシが好きだから殺さなかったって」


 ため息混じりで突きつけられた言葉に、カミラは沈黙した。

 概ね、その通りであったからだ。

 静かに目を閉じ、深呼吸を一つ。

 カミラはまっすぐにセーラを見つめる。

 セーラもまた、カミラをじっと見つめていた。


「――――何時から、気付いてました?」


「はっきりと違和感を感じたのは、閉じこめられた時ね」


「それは何故?」


「普通さ、子供が暴力事件起こして、親に連絡が行かないわけないじゃん」


「ええ、そうですわね」


「あの黒幕学園長が言ってたけどさ、アタシの実家と連絡取れないんだって? 登録してある住所にはずいぶん昔に焼け落ちた家があるだけ。……ゲームではこっそり王の庇護下にあったって設定があったのに、おかしくない?」


「それこそ、王が手を回して書類を改竄した結果では?」


「ふん、それは無いわね。アタシだって馬鹿じゃないわ密かに抜け出して確認に行ったわよ。――実際、その通りだった」


「……つまり、何が言いたいのです」



「今更とぼけないでよ――――アタシは“何”?」



 その問いに、カミラは正直に答えた。



「セーラ、――――貴女は“聖女”です。少し前までは。それ以上でもそれ以下でもありませんわ」



「ああ、成る程、ね。やっぱりアタシは…………」


 哀しそうに笑ったカミラに、セーラも哀しそうに自嘲した。


「ゲームの中の主人公に転生なんて、都合の良い話だと思ったわ…………それで、何でアンタが聖女装備“始祖”シリーズに細工なんてしたのよ?」


「――――運命の鎖から解き放つ為、と言ったら格好付け過ぎかしら」


「聖女を魔族化させる……それが、アンタの出した“最適解”ってワケ?」


「正確には“聖女”から“人”へ近づける為の処置、という所ね。――貴女に黙っていたのは、うん、謝らないわ。……だって私、貴女の事、嫌いだもの」


「ええ、アタシもアンタの事、嫌いだわ。だから――ありがとう」


「別に、貴女の為にやっているのではないわ」


「嘘ね、アンタはきっと優しい馬鹿だから」


「勝手に言ってなさい」


 カミラとセーラは繋いだままの手を、優しく重ね合わせる。

 異なる時代の記憶を持ってしまった同士。

 “人”でなくなってしまった同士。

 主人公だった者とモブだった者の、奇妙な友情がそこにはあった。



(嗚呼、でも。何故だか涙が出そうな程、心地い――――)



「――――んで、ユリウスとは何処まで行った?」



「空気呼んでくださいますかっ!?」



「えー、後で聞くっていったじゃん」


 

 けらけら、けっけっけっと屈託無く笑うセーラに、カミラも自然と笑みを浮かべた。



「まったく、だから貴女は嫌いなのですわ」



「はいはい、嫌い嫌い。でさ、一応宣言しとくと。アタシはハーレム諦めたワケじゃないからっ! 王都でダメなら他の土地で探すわっ! ――――でもその前に、アンタを幸せにしてあげる」



 だから、全部話しなさい、と愉しそうに笑うセーラに。



「貴女に話した所で、どうなるモノでも無いと思いますけれど、まぁこの際です、聞くだけ聞いてくださいまし」



 と、カミラは投げやり気味に話を始めた。






「成る程…………アンタさては馬鹿ね」




「うぐっ…………こ、恋いをする乙女はっ! 全てが愚かなのですからっ!?」


「声震えてるし、裏返ってるはよ若作りババア」


「この体は正真正銘、十六才ですっ! ですっ!」


 目を反らしながら言うカミラ。

 ユリウスとの間にあった事を話した途端、セーラから放たれた言葉に、まともに反論すら出来ない。


「アイツをけしかけたのはアタシだし、アンタらの仲が面白可笑しい事になればいいとも思ったけど…………アンタそれはないわー」


「だ、だって恥ずかしい……って、何そんなあきれ果てた顔してるのよっ! 仕方ないじゃないっ!?」


「いや、アンタの言い分は解るし、境遇も少しは理解してるからさ同情もするけど、それにしてもないわー」


 マジないわー、と冷たい視線に、カミラは縮こまる。


「考えてもみなさいな。これまで色事に疎かった童貞を散々誘惑した挙げ句、土壇場になって逃げ出すとか悪意が無い分、余計に悪いわよ」


「…………ぐぅ」


「ぐうの音出しても、状況は変わらないわよ。アイツは何が何でも今捕まえるつもりよ。これからどうするのよ?」


「うぅっ……、それが解らないから逃げた挙げ句に相談してるんですわっ! ……何かいい方法ありませんか?」


 しょぼくれたカミラに、セーラは盛大なため息を一つ。

 これが本当に、魔王を殺してまで一人の男に執着した女の有様だろうか。


「こっちも乗りかかった船だし。ひとまず状況を整理するわよ」


「はい……」


 カミラは藁にも縋る思いで答える。


「先ず第一に、アンタはアイツが好き。今すぐ結婚してもいいくらいに好き、でいいわね」


「はい、来世まで、地獄の底まで一緒にいる覚悟があります……」


「その覚悟があって、何で逃げるのよっ! この馬鹿ババァ!?」


「だって仕方ないじゃないですかっ! 体が勝手に逃げちゃったんですからっ!」


 ガルル、ガオーとにらみ合う二人。

 一瞬後、最初に目を反らしたのはカミラ。

 そしてセーラは勝ち誇りながら次へ進む。


「勝った! …………じゃないわ、んで次よ次。アイツはアンタの事が好きだってはっきり言ったわ。そして王子に頭下げてまで、アンタを捕まえる協力をして貰ってた」


「…………ユリ、ウス」


「更に言えばよ、自分はカミラの側にいるから、王子に仕えられない、とも言ってたわ」


 その言葉に、俯きがちなカミラの顔がガバっと上がる。

 目の奥に、爛々と炎が燃え上がり始める。

 その様子に、セーラは再び呆れた顔をした。


「…………いやいや、アンタ現金過ぎでしょ」


「いやん、いやん。えへへ、そんな…………」


「ええい気持ち悪いっ! 体をくねらせてデレデレすんな阿呆っ! 何のために話してると思ってんのよっ!」


「ふふっ、ごめんなさい。でも嬉しくて……」


「嬉しくてもアンタの場合は喜ぶな、どーせ、今のままだと抱きついた後に恥ずかしくて逃げ出すのがオチよ、オチ」


「あ、う…………」


 セーラの鋭い指摘にカミラの表情が強ばり、ガクっと白いテーブルに突っ伏す。


「よしよし……ホント、馬鹿ねぇアンタ……」


 その優しい声と、頭をなでる手の暖かさに。

 カミラは不思議と、安堵を感じてしまった。


「へんじがないただのしかばねのようだ」


「懐かしい事ホザいてんじゃないの…………でもまぁ……」


「まぁ、何です?」


「前世通じて、アタシらの様な人種はまともな恋をした事なかったし、説得力無いかもしれないけどさ」


 セーラは、カミラにとって懐かしい声色で続けた。


「恥ずかしいって、逃げちゃうなら。いっその事逃げて逃げて、遠いところまで逃げて、忘れてしまったら? 少なくとも、アタシは責めない」


「…………逃げても、いいの?」


「ええ、これはアンタとアイツの“恋”だもの。アンタの自由にすればいい」


「逃げたら…………どうなるでしょう……」


 カミラの呆然と出された言葉に、セーラは高確率で予想される出来事を列挙する。


「間違いなくアイツは悲しむでしょうね……、それだけじゃない、アメリや他のヤツらもきっとそうね。――アンタの今の両親だって、前世の両親だって草葉の影で悲しみ呆れるわよ」


「悲しむ……」


 心に染み込ませる様に呟くカミラに、セーラは鋭く突きつける。


「そしてきっと、アイツはアンタを探しに旅に出るわ。当てのない旅よ、もしかしたら途中で魔族や盗賊に襲われて死ぬかもしれない」


「ユリウス様が――――死ぬ」


「そうなれば、まだいいかもね。最悪――――アンタに失望して、忘れ去って、思い出にして…………誰かと結婚するかもね。……ああ、そうなったらアタシhがコナかけとこうかしら?」


 嘲笑するように出された想像が、カミラの心に染み渡る。


(嗚呼、嗚呼、嗚呼、嗚呼っ! 失望され、忘れ去られ、ユリウス様が他の女に盗られるっ!?)


 カミラの瞳に、暗い炎が灯り、拳がきつく握られる。


「――――駄目よ」


 ふつふつと沸き上がる憎悪を糧に、カミラはのっそりと、幽鬼の様に体を起こす。



「そんなの――――絶対に、許せない」


 

「許さないって、アンタどうするのよ。恥ずかしくて側にいられないんでしょ?」


 呆れた様なセーラの声、しかしそんなモノに何かを感じる事無く、カミラの思考は激しく回転を始める。


(嗚呼、嗚呼、嗚呼…………。私とした事が手抜かったわ)


 色に惚けていた。

 現状に満足していた。

 ユリウスから向けられる想いが永遠だと感じていた。

 でもそれは――――慢心他ならない。

 カミラは勢いよく立ち上がる。



「ふふふっ、うふふふふふふふふっ、ふはははははっははははははははははははは――――っ!」




「…………しまった、何か地雷踏んだぞこれ」



「いいえ、いいえっ! ありがとうセーラ様っ! うふふふっ! ふふふふふふっ! 嗚呼、そうでした。そうでしたっ! この世に絶対はありませんモノね。ええ、ええ、認めましょう。礼を言いましょうっ! ――――確かに私は、慢心していた」



「え、慢心? アンタいったいどーゆー解釈したらそんなんになるのよっ!」



 どん引きしながら叫ぶセーラに、カミラは悪役全開の悪い笑みを向ける。



「ここ最近の私は、特に今日の私は、私らしくなかったわ…………」



「いやいやいやっ! どう見てもアンタはアンタだったよ!?」



「ユリウス様を落とした先を考えてなかった? 一緒にいるのが恥ずかしい? 嗚呼、嗚呼、嗚呼、とても、とっても可笑しいわ」



「可笑しいのは今のアンタだ糞ババア! ――――畜生っ! 聞こえるみんなっ! 今すぐこの東屋を包囲してユリシーヌを呼んできなさいっ!」



 セーラは回りに潜んでいた生徒向けて叫ぶ。

 生徒達もセーラの声に従い、ユリシーヌを呼びに行った一人を残して、東屋の周りを包囲した。

 続々と生徒が集まりつつ中、カミラは止まらない。



「ええ、そうよ。そうだわ…………私は今まで、あの愛おしい人の側にいる為だけに力を手に入れ、行動してきた。――――迂闊にも、それを忘れていたわ」



「何かヤバイ事言い出したわっ! 誰か早くアメリでもいいから今すぐ連れて来なさいっ!」



「嗚呼、嗚呼、嗚呼――――っ! そうよ、恥ずかしくて側にいられない? それでも“側”に居ればいいのよっ! 側に居させればいいのよっ!」



 周囲がざわめく中、カミラは手首に付けたままの手錠の片割れと鎖を、愛おしそうに眺める。

 これを使用させたセーラには感謝しなければならない。



「うふふっ、ありがとうセーラ。これで私はまた一つ、愛を深められる」



「これ以上まだ深める気なのアンタ――――ああ、もうっ! これだから天然ヤンデレはっ! あ、やっときたアメリ、この女どうにかしなさい!」



「うげっ! あれは相当に駄目な事を思いついた時のカミラ様ですよぉっ! もう手遅れですっ! もう直ぐユリシーヌ様が来ますから、セーラもこっちに待避してくださいっ!」



「わ、わかった! ――じゃあアンタ、そこを動かないでよねっ!」



「ええ、聞こえていましたわ。ユリシーヌ様が来るのでしょう。――――ふふっ、楽しみだわ」



「ひぃっ! そんな顔じゃ百年の恋も覚めればいいのよっ!」



 そう言い捨てて、包囲網に加わったセーラを眺めながら、カミラは駄目押しの策を思いつく。



(そうね…………、誰かに盗られる可能性を知れたのは僥倖だわ。この際だから、最後の外堀も埋めてしまいましょう)



「ふふふっ、ふふふふっ。嗚呼、嗚呼……、ユリシーヌ様はまだかしら」



 カミラは胸を高鳴らせて待つ。

 勢いに任せて行動している気がするが、これはきっと神の一手。

 たった一つの冴えたやり方なのだ。

 不気味な笑いを漏らすカミラに、全生徒が不安を感じる中。



 そして、――――包囲する群衆をかき分けて、ユリシーヌが登場した。



「――――もう、逃げられませんわカミラ様」



「ええ、もう逃げられませんわユリシーヌ様」



 カミラは険しい顔のユリシーヌに相対する。



「では――――」



「――――少し、お待ちになってくださいなユリシーヌ様」



 何かを言い掛けたユリウスの言葉を遮り、カミラは笑う。



「何でしょう、今この場でやる事があるのですか?」



「勿論、この場で無いといけません」



 カミラの様子を伝えられていたユリシーヌは、何を企んでいるのかと、戦々恐々しながら承諾する。

 どうせ、この後は窓のない密室で話をする予定だ。

 ――――だが、それが“ユリシーヌ”としての命取りになった。



「…………この東屋の回りには全生徒がほぼ集まっています、その事をお忘れ無きよう」



「ふふふっ。だからですわ。――今から私は、貴男に愛を捧げ一生側にいると。“全生徒”に誓います」



「自ら逃げ道を無くす、という訳ですか。…………判りました。ご存分に」



 カミラはユリシーヌから視線を外して、生徒達を見渡す。

 そしてを無詠唱で“念話”をゼロス王子に繋ぐ。



(ゼロス殿下、ゼロス殿下。聞こえていまして?)



(……どうした、俺とヴァネッサも今着いた。観念した方がいいぞ)



(ふふっ、観念しましたとも。――つきましては、この場で全生徒がほぼ集まっているこの場で、“ユリウス”に愛を誓いたいと思います。ので、適当な所で口裏合わせを合わせてくださいな)



(…………やれやれ、ユリシーヌも大変だな。それでお前達が上手くいくなら好きにやれ、口裏ぐらい合わせてやる)



(有り難きお言葉、感謝しますわ)



 カミラは“念話”を切るとほくそ笑んだ。

 どうやら王子は、カミラが態と“ユリウス”と呼んだ意味に気付かなかった様だ。

 ――軽い、意趣返しというヤツである。


 王子達が包囲網の最前列に来たことを確認すると、カミラはアメリやセーラに笑いかける。

 そして、全生徒に聞こえるように“拡声”の魔法を使う。



「――――お集まりの皆様、今回はこの様な騒ぎに巻き込んでしまった事、先ずはお詫びいたします」



「誠に、申し訳ありませんでした」



 優雅にお辞儀をするカミラの姿に、生徒達のみならず、アメリ達もざわめく。

 無理もない、カミラがこの様に頭を下げる場面は近しい彼らにとっても初めてなのだ。



 頭をゆっくりと上げたカミラは、堂々と胸を張り語りかける。



「そして皆様、今しばらく。私の話を聞いて頂けないでしょうか」



「――――知って欲しいことがあるのです」



 生徒達は何事かと、互いに顔を見合わせた。

 アメリ等は、何をやらかす気だと目を白黒させて戦々恐々と。

 カミラはそれらを微笑みながら見つめ、数秒後、群衆が静まった頃を見計らって続きを話し始める。



「先日のトーナメントの折りに、このユリシーヌ様は私の婚約者のふりをするために男装をして、共に戦ってくれたのは、皆様の記憶にも新しい事でしょう…………」



「今、あえて言いましょう。私、カミラ・セレンディアは――――」




「ユリシーヌ・エインズワース様という一人の人間を愛しています」




 告げられた言葉に、生徒達のざわめきが大きくなった。

 やっぱり、禁断の、純愛、禁忌、様々な声が聞こえてくる。

 カミラはそれらを遮るように、静かに声を差し込む。



「――――ですが、それだけではありません」



 皆が一瞬にして静まったのを見計らって、カミラは爆弾を投下する。



「私は、知ってしまったのです」




「ユリシーヌ様が、本当は“男”である、と」




「か、カミラ・セレンディア!」



 ゼロス王子の焦った声が響きわたる。

 それが故意であれ、失態であれ、事実を公定していると群衆は受け取った。



「――――カミラ様っ! どういう事ですかっ!」



 慌てて詰め寄るユリシーヌに、カミラは悲しそうな顔を生徒に見える角度でする。



「申し訳ありませんユリシーヌ様…………貴女が聖剣を受け継ぎし者が故に、赤子の頃“魔族の呪い”により“女”にされた事は、王家の秘中の秘である事は承知しております」



「な、それは――――」



 嘘だ、とユリシーヌは言えなかった。

 言ったところで最早手遅れであり、何より、カミラの瞳の奥に、縋るような光を感じたからだ。


 ユリシーヌの手を盗り、再び生徒達に向き合ったカミラは、いけしゃあしゃあと嘘を付く。



「私はこの事実を、トーナメント決勝で対峙した、セーラ様を操っていた“魔族”から直接聞きました」



「その魔族は言いました。――――その呪いをかけたのは自分だと、そして、その魔族を倒した私には“呪い”を解く事が出来る、と」



 カミラの嘘が、生徒達に染み渡る。


 即ち、ユリシーヌは赤子の頃に“呪い”で“女”にされ、それゆえ“女”として育った。


 カミラはその事を、トーナメントまで知らなかった。


 そして今、カミラはその呪いを解く事が出来る。



 生徒達は、真逆という顔つきでカミラとユリシーヌを見つめる。

 逆に事情を知る者は、あんぐり口を開き、はたまた笑いを堪えて、カミラ達を注視した。




「今一度言いましょう。――私、カミラ・セレンディアはユリシーヌ・エインズワースを愛しています」




「たとえ、彼女が――――“男”に戻ったとしてもっ!」




 正々堂々たる言葉に、割れんばかりの歓声が上がる。

 いつの時代にも、他人の恋路は恰好の娯楽である。

 カミラは声援に答えるように手を挙げ、高らかに宣言した。




「今より、ユリシーヌ様を“男”に戻しますっ!」




 ユリシーヌに向き合うと、カミラは毒華が咲くように微笑んだ。


「――言ったでしょう? もう逃げられないって」


 繋いだ手から、カミラの無意識の不安を感じ取ったユリシーヌは、ただ苦笑して受け入れた。


「ああ、その通りだ。――お前には負けたよ。何処までも付き合ってやるさ」


「ありがとうございます。とても嬉しいですわ、なら、文字通り“人生”の最後までつきあって貰います」


「ああ、…………うん? 人生?」


 カミラの言葉に、非常に不安になる何かを発見したユリシーヌだったが、時は既に遅し。

 手をがっしり握られて、逃げる事も、問いただす事も出来ない。




『我は邪悪なる魔を打ち砕く者也――――』



『我は歪められた運命の楔を解き放つ者也――』



 カミラの呪文詠唱が東屋一帯どころか、学院中に響きわたる。

 そして、巨大な魔法陣が足下に広がり、天から光が射し込む。

 なお、呪文はすべてフェイクであり。

 勿論の事、魔法陣等は演出である。



『我は誓う、この存在総てを持って彼の者を救わん事を――――』



『我はは誓う、愛する者に総てを捧げる事を――――』



 カミラの心臓部から、魔力で編まれた鎖が延び、ユリシーヌの心臓部に繋がる。

 そこで初めてユリシーヌは、カミラがこの場を演出する“以外”の魔法使っている事に気付いた。



「またお前は新しい魔法を生み出して…………、でも、いいさ。お前がする事なら何でも俺は受け入れよう」



 仕方がないという言葉とは裏腹に、暖かな顔で笑うユリシーヌに、カミラも優しく笑い、最後の呪文を完成させる。




『森羅万象に我は誓う、この者と生涯を共にせん事を――――』




 瞬間、魔法陣が一際眩く発光して、全生徒の視線を遮る。

 その効果は一瞬。

 だがその一瞬でユリシーヌはユリウスの姿に変貌し。

 そして、心臓と心臓で繋がる鎖が実体化したあと、虚空に溶けた。

 光が止み、群衆が見たものは、トーナメントの時にみせたユリウスとしての姿。



 ――――“男”に戻った、本当のユリシーヌの姿であった。



 生徒達は、魔族の呪いに打ち破った勝利に。

 一人の人生が正された正義に。

 そして、カミラの“純愛”に、惜しみない拍手と賞賛を送った。



 祝福ムードに入った周囲に、ユリウスは空気を読んでカミラを抱きしめる。



「ありがとう、と言うべきなのかな俺は」



「ええ、そうするべきね。なんたって貴男は、男としての立場を取り戻せただけでなく、私の体の“支配権”まで手に入れたのだから」



「成る程、そうだ………………支配、権?」



 うん、あれ? ううん? とユリウスは必死に聞き間違いを目で問いかけるが、カミラは歓喜の笑みを浮かべるばかり。

 なので、率直に聞き返す。



「…………すまない。少々聞き取れなかった。俺は男としての立場の他に、何を手に入れたんだ?」



「ですので、私のこの体への“支配権”ですわ。“絶対命令権”と言った方がいいかしら?」



 ――――支配権

 ――――絶対命令権



 真逆、と考えるまでもなかった。

 カミラの“本当”の目的は“これ”だったのか、とユリウスは叫びだしたいのを必死に耐えて、笑顔を維持する。



「ちなみに聞くが、効果は?」



「ですので、私の肉体をユリウス様の思い通りに出来る“魂”の従属魔法です」



 本当の効果は厳密に言えば違うのだが、概ねこんなモノである。



「馬鹿だろうお前は…………後でいいから絶対解除しろ」



「いいですが、その場合――――死にますわ。私もユリウス様も」



 にこにこと恐ろしい事を言いながら、カミラはユリウスに追い打ちをかける。



「なお、何らかの原因でどちらかが死にますと、もう片方も死にますし。ついでに言えば、来世まで一緒となる様にしておきました」



「お、おま――――ッ!?」




「――――未来永劫、幸せにしてくださいね? 私も、ユリウス様を幸せにしますから」




「~~~~~~~~~~~~~~~~ッ!?」




 突きつけられた事実に、ユリウスは天を仰いだ。



(こ、この女は…………ッ! 自分の逃亡防止の為にここまでするのかッ――――――!?)



 驚きと呆れと、それから嬉しさと。

 ない交ぜになって、何を言えばいいか解らないユリウスは、抱きしめているカミラが不安そうに震えているのに気付いた。



(…………この馬鹿は、ここまでやっておいて、まだ何か不安なのか)



 ユリウスは軽くため息をつくと、カミラを強く抱きしめてゼロス王子達に、生徒達に顔を向ける。

 カミラがここまでしたのだ、自分もそれに“男”として答えるべきなのだ。




「皆の者よッ! 見ての通り、私――いや、俺は今ここに本来の性別を取り戻した。――――カミラの愛の力で、だッ!」



 ユリウスの声に、観衆が更に沸き上がる。

 カミラを安心させるように、しっかり抱きしめると、ユリウスは宣言する。




「カミラが皆に宣言した通り、俺も皆に誓おう! この命果てるその時も、その先もッ!」






「俺は今と変わらず、いいや、それ以上にカミラを愛し、護り、一生涯側にいる事を誓う!」




 


 その瞬間、生徒達の歓声は学院の外を越え、王都中に響きわたったという。

 耳が割れんばかりの祝福に、ユリウスはカミラを見つめる。



「ユリウス様…………私、私…………」



 はっきりと言い切ったユリウスの姿に、カミラはの涙腺はあふれ出した。



「お前はまた、泣くんだな。…………でも今日は嬉しそうだから許してやる」



「私、嬉しそうに泣いているんですね……」



「ああ、そうさ」



 はらはらと、幸せな顔で紛れもなく嬉し涙を流すカミラに、ユリウスは今までで一番、幸福だと感じ、故にその瞳を見つめる。



「今からキスするぞ――――“逃げるな”」



「はい。ユリウス様の望むがままに…………」



 近づくユリウスの顔に、今度こそカミラは顔を背けなかった、抵抗しなかった。



(これはきっと“命令”されたからではないわ……)



 ゆっくりとカミラとユリウスの顔が近づき、群衆が見守る中、やがてその距離が零となる。

 名残惜しそうに顔を放した二人に、アメリ達が駆け寄ってきた。



「愛しているわ、ユリウス」




「愛している、カミラ」



 二人は生徒達にもみくちゃにされながら、幸せを享受したのだった。





 ~第一級歴史資料、アカシア家令嬢アメリの手記から抜粋~



 思い返せば、この日こそカミラ様が“純愛令嬢”と呼ばれた由縁かもしれない。

 だが、きっとユリウス様の本当の苦難は、ここから始まったのだろう――――――。


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