貴方に捧げる私の全て②



 という訳で深夜に急遽、カミラのサロンにて開催された第二回悪役会議。

 ゲストはゼロス王子とヴァネッサ、そしてユリシーヌ。

 スタッフはアメリとヴァネッサの取り巻き三人集と寄りを戻したイケメン三人である。


「――由々しき事態、ですわぁ…………ううぅ」


 言うなり、ガクッとうなだれたカミラに、アメリがよしよしと頭を撫でる。

 麗しい主従の姿である。


「おいたわしやカミラ様、普段やり放題好き放題しているツケが回ってきたんですよ、ケケケ、ザマァ~」


 ――麗しい主従の姿である!


「アメリ! 貴女はいったい誰の味方なのよっ!」


「言うまでもなく、わたしはカミラ様の忠実な僕ですよ……」


「笑い顔で言わないでくれる……ううぅ」


「はいはい、じゃれているのもそれ位にして、いい加減、対策会議を始めましょう。私が進行役をしますがよろしいですね、ゼロス殿下、ヴァネッサ様、ついでにカミラ様」


「よいぞ」

「頼みますわ」

「ついでって言った。ついでって言われた。がーん……」


 半分ほど、否、半分以上使い物にならなくなっているカミラを呆れ半分、心配半分の気持ちで見守りながら、ユリシーヌはアメリに説明を求めた。


「カミラ様の“これ”は、ほっとけば治りますんで、申し訳ないのですが、皆様方、明日の縁談を破談にする方法を考えてはくれないでしょうか……」


 主を雑に扱いながらも恐縮しながら言うアメリに、同情の視線が集まる。


「その為のこの場だ、政治上のバランスを考えたらカミラ嬢が王室の入るのも良い手なのだが……」


「わたくしも、それには同意見ですけれど。絶対に必要な事でもありませんし、それになにより。――一人の女として、他の女性と愛する殿方を分け合うのは気が進みませんわ。……大貴族の娘として、あまり良くない考えである事は承知ですけれど」


「というわけだ。皆の者、これは俺の総意とも受け取って貰っていい」


 きっぱりと言い切ったゼロス王子に、ヴァネッサが熱視線を送る。

 ともすれば、そのままイチャつきかねない熱量に、ユリシーヌは先手を打って進行した。


「そういえばヴァネッサ様、ご実家に今回のことを伺ったとお聞きしましたが、どうでした?」


「ゼロス……。コホン。ええ、事の次第は、わたくしの父の政敵陣営から、ダメ元で出された案のようでしたの」


 ヴァネッサの言葉をリーベイが引き継ぐ。

 この陰が薄いショタは、ゼロス世代の宰相となるべき人物だ。

 これくらいの情報収集のお手の物である。


「今この国の政治勢力は、我らがゼロス第一王子を支持するヴィラロンド派、次点が幼いジーク第二王子を支持するエルロダー派、そして中立のまとめ役セレンディア派の三つが大きな派閥です」


「あれ? さっきヴァネッサ様はエルロダー派からの差し金と言いましたけど、何故ゼロス殿下との縁談話になるんです?」


 首を傾げるアメリに、リーベイは答える。


「ええ、普通ならジーク殿下との縁談となっていたのでしょうが、まだジーク殿下が幼い事と、その言いにくいのですが、カミラ様という存在が劇物過ぎて……」


「あー、カミラ様という地雷を送り込んだ方が、勢力を削る事が出来ると踏んだんですね……」


 一同の気持ちが、あー、となり同情と哀れみの視線がカミラへ向く。

 誤解なきように言うと、カミラは優秀なのだ、新たなる魔王である事は流石に公表していないが、近年、セレンディアの領地発展や経済の飛躍を成し遂げたのも、全てカミラがあってこそだ。

 ――カミラからしてみれば、前世の娯楽や居住性の良さを再現しただけなのだが。


「学業優秀は言うまでもなく、領地経営に非常に秀でていて」

「更に国一番の魔法の使い手であり……」

「美貌だって申し分ないですわ!」


 取り巻き三人が口々に褒めるが、アメリは容赦なく落とす。


「でもまー。いかんせん奇行が目立ちますからねカミラ様。欲望一直線で手段も選ばないし、黒幕っぽく振る舞うから誤解も多いですし」


 アメリの言葉を受けて、ゼロスは思い出したと笑う。


「そう言えば以前、王城のメイドの立ち話を聞いた事があるのだがな、どうやら俺とカミラは犬猿の仲で、ヴァネッサを取り合ってる、などと面白い噂話してたぞ、いやー、あの時は腹抱えて笑ったなあ!」


「そういえばカミラ様、ついこの前まで色恋沙汰ととんと無縁でしたので、女色だという噂もありましたっけ……、まあ、噂ではなかったようですけれど……」


 そこでヴァネッサは、ちらとユリシーヌを見た。

 アメリとしてはうっかり忘れそうになるが、ユリシーヌという女性が実は男であることを、ヴァネッサを始めほぼ全校生徒が知らない。

 誤解もやむなしである。


「――っと、皆さん。話題が逸れていますわ」


 迂闊に弁明をすれば、藪から蛇が出てきかねないので、ユリシーヌは話しを元に戻す。


「所で……素朴な疑問……だけど……、明日の席で……カミラ嬢が、直接断るのは……?」


 おずおずと出されたエミールからの意見を、アメリは残念そうに却下する。


「本来なら、そうするのが一番なのですが……」


 ちらりと、項垂れるカミラを一瞥して続ける。


「カミラ様はご両親をとても愛しているのもあるんですけど、どうやらそれ以上に、謎の引け目を感じているようで」


「成る程、今回この話しを受けたのは、セレンディア公の妻、セシリー様の強い希望があったからと聞いています。――つまり善意故に、ご両親を愛するカミラ様は断りたいけど、どうしていいか解らない、と」


 リーベイの出した答えに、アメリが頷く。

 再び一同の注目がカミラに集まり、この唯我独尊な女に弱みなんてあったのか、と生暖かな視線が送られた。


「はい、ですので。何かこう、セシリー様やクラウス様が納得なさる理由をですね……、ぶっちゃけ下手にカミラ様をこのままにすると、何するかわからないもので」


 実感の籠もった疲れた言葉に、一同は沈黙し考え込んだ。

 この劇物を不発弾にしたまま、なおかつ、ご両親を安心させられる案。

 この場にいる殆どの者が一度は思いつき、ユリシーヌに視線を向けては反らす。

 真逆そんな、ベタな手で……。


 嫌な予感をユリシーヌがビンビンに感じている中。

 その『意見』を誰がだすかで、視線による押しつけあいが為される中。

 わくわくと瞳を輝かせ、遂にヴァネッサが沈黙を破った――!


「皆様ももう、お気づきの事でしょう? ――これしかありませんわ」


「それはとても楽し――、いえ酷な事ではないか?」


「そうして下さると、とても助かるのですが……」


「な、何故私を見るのですか!? 私には解りませんともッ! やりませんともッ!


 逃げ出すように腰を浮かせたユリシーヌに、ヴァネッサがピシャリと言い放った。



「ユリシーヌ、貴女は明日。例の『ユリウス』となって、カミラ様の偽装恋人として、縁談に乱入なさい!」



「――ネッサッ!」


「おお、それは良い案だ。――これは命令だぞユリシーヌ、お前は明日『ユリウス』となって縁談に乱入しろ! ……面白くなってきたじゃないか!」


「――ゼロッ! くッ……貴男まで……絶対やりませんからねッ!」


「ユリシーヌ様の男装姿が見られるのね!」

「僕は前回あまりよく見てなかったので、楽しみですねエリカ」


「エミール、カミラ様考案の録画魔法使えたわよね?

「ああ……、使えるよフラチェスカ……。ユリシーヌ様……ご愁傷、様……」


「――ウィルソン、解ってるわね」

「ああ、我らの総力を結集して支援しようではないかっ!」


「あ、貴方達ッ! 絶対楽しんでいるでしょう。――くっ、こんな所いられませんわ……、って逃げられない!? 誰が魔法を――」



「――今、とても良いお話を聞かせて貰ったわっ!」



 懸命に抵抗しようとするユリシーヌの前に、とうとう最後の刺客が現れた。

 ――そう、復活のカミラである。

 ユリウス大好きストーカー狂人であるカミラが、ヴァネッサの言葉を聞き逃す訳がなかったのだ。


「カミラ様、また貴女は魔法で……ッ!」


「そんな事はどうでもいいのよユリシーヌ様!」


「ち、ちかッ! 顔が近いです手が痛いですカミラ様ッ!」


 カミラはユリシーヌの手をがっしり掴み、きらきらと上目遣いをする。


「お願いです私の一番の友達ユリシーヌ様、お願いですうううう、後生ですからぁ、何とぞ! 何とぞ!」


「か、カミラ様! 私は女なんですから、胸を押しつけても効果はありませんよ、ありませんよ! 殿下、助けて殿下――!」


 カミラに縋りつかれ、助けを求めるユリシーヌを余所に、外野は言いたい放題する。

 だって他人事だもの。


「必死ですねぇカミラ様」


「ふむ、あの女傑も人の子だったと言う事だな。つまりこれからは……」


「殿下、自殺願望がおありで? 流石にわたくしも付き合い切れませんわよ?」


「はっはっはっ、言ってみただけだ。誰が自分で自分の死刑宣告などするものか」


「何呑気に話しているのですかッ! 貴方の忠実なる配下の危機ですよッ! ちょッ! やめッ! 変なところ触らないで頂けますカミラ様――――!」


「げっへっへ、良いではないか、良いではないか――あべしっ!」


 とうとうスカートの中にまで延びた手に、ユリシーヌはペシっとパリィした上、拳骨を脳天に一発。

 当然の報いである。

 なお殿下配下の三人集は、突如として始まった百合百合しい光景に釘付けになり、婚約者達によりお仕置き中である。


「はぐぅ…………、乙女の頭に容赦のない一撃、でもそこが素敵よユリシーヌ様……あいたたた」


「カミラ様、ちょっと我を忘れすぎですよ。冷静になって下さい」


「……あれの何処が“ちょっと”なのですか」


「そうね、ちょっとはしたなかったわね」


「おいヴァネッサ、淑女の世界では、あれが“ちょっと”なのか?」


「おほほほ、殿下はご冗談がお上手なようで」


「だよなぁ」


 ユリシーヌ以下外野のツッコミも何のその、カミラは顔をキリっとさせて、宣言した。


「――アメリ“あれ”をやるわ」


「そ、そんなカミラ様! “あれ”をやるだなんて!?」


「止めないでねアメリ、私は――本気よ」


 ポンコツ主従が繰り広げる茶番、その隙にユリシーヌは逃げようとするが、未だ足の拘束魔法は解けず。

 結果、カミラの必殺を目の当たりにしたのだった――!



「いったい何を――――――――ッ!?」



 それは熟練の戦士ですら見切れない、素早く美しい予備動作だった。



 第一に背筋をピンと延ばしたまま中腰へ、その際にスカートにはいっさいの乱れはない。



 第二にそのまま膝が静かに床に着く、瞬きをする間も無く、――そしてスカートにはいっさいの乱れはない。



 第三に額を防御する様に、両腕をハの字にする。この時の角度はきっちり斜め四十五度だ。――そしてスカートにはいっさいの乱れはない。



 第四に長い水色の髪を靡かせて、勢いよく、しかして激突させずに額を床に着ける。

 そして――――。



「――――お願いしますっ! お願い申しあげますっ! どうかっ! どうかっ! たった一日でいいんですっ! 私の偽装恋人になってくださいユリシーヌ様ああああああああああああああああああああああ!」



 ――DOGEZA

 古来より日本人に伝わりし、最強最悪の必殺奥義。

 この技を衆目の前で使うとき、自分と相手の風評が著しく下がる諸刃の剣。



 もはや書物でさえ伝えられていない伝説の秘技が、今ここに再臨した――――!



「あ、頭を上げて下さいカミラ様ッ!?」


「お願いしますっ! お願いしますっ!」


 元々無いプライドを捨てて頼み込むカミラの姿は、同情と哀れみを周囲に与えていた。

 同時に、ユリシーヌへの視線が厳しくなる。


「お願いしますっ! お願いしますっ! 私の体で寝室の中まで恩返ししますからっ!」


「だから頭を上げて――、何か変なこと言いませんでしたか?」


「いいえ何も。――お願いしますううううううう!」


 恥も外聞など全てを捨てて正面から責めるカミラに、周囲の心は傾いた。

 あろう事か傾いた。

 こいつの場合、ただ欲望の為に土下座しているだけなのだが。

 ――だがッ! それが逆に周囲の心を掴んだのだッ!


「くっ、カミラ様おいたわしや…………、ここまで頼み込んでいらっしゃるのに……、この世界に神はいないのですか?」


「あー、その、何だ? ユリシーヌ……」


「わたくしを失望させないでくださいましね、ユリシーヌ」


 暗に、とっとと頷けよ、と某海賊危機一髪並みの剣の様な視線がユリシーヌに刺さる刺さる。

 そして、ぐっさぐっさ刺された結果。

 とうとう、――ユリシーヌは折れた。

 


「――ぐ、ぐううう。ひ、卑怯ですよカミラ様……くッ、この借りは必ず返して貰いますからねッ!」



「ひゃっほーー! いええええええいっ! 我が世の春が来たわよアメリっ!」


「嬉しいのはわかりますけど、いい加減にしろカミラ様!」


 パシンとハイタッチをして喜びの抱擁し、抱き合ったままくるくる回るポンコツ主従。

 なお、ユリシーヌの拘束は未だ解かれていない。


 ようやく纏まった話に、部屋中に弛緩した空気が流れた。

 見捨てましたね? 戦略的撤退だし、と仲良い王子とユリシーヌを横目に、アメリはふと思いついた事をカミラに質問した。


「ところで、もしユリシーヌ様が首を縦に振らなかった場合、どうしていたんですか?」


「そうねぇ……」


 その時カミラは皆が、自分の言葉を興味深そうに聞いているのを感じ取った。

 故に、最悪の結末を話すことにした。

 ――最悪のサービス精神である。


「たぶん、私は断れなかったのでしょうね……」


 カミラは手始めに、切なそうな声で情感たっぷりに言う。

 なお、本来は両親にも土下座を敢行するつもりだった模様。


「そして、ユリシーヌ様の事を忘れ得ぬままゼロス殿下に嫁いだのかもしれないわ」


 涙を堪えるように目を伏せ、気分は悲劇のヒロインだ。


「カミラ様……絶対嘘ですよねそれ」


 アメリのツッコミは無視して、カミラは続ける。


「たぶん一生恨んで、でも同じくらい愛し続けて、私は精神を壊してくのだわ……」


「え、まだ続けるんですかカミラ様?」


「そしてね、壊れた私はきっと、ユリシーヌ様の周囲の人々を、じわじわ、じわじわと追いつめて不幸にして、でもユリシーヌ様には手を出さないの」


「……もしかして、散々ディスったの気にしてました? 謝りますから怖いこと言わないでくださいよぉ」


 無論、カミラは心の広い女なので、多少罵倒された所で激おこする位だ。

 なあに、町が一つ消し飛ぶだけだろう。


「そうすればきっと、ユリシーヌ様は私の所へ来てくれるわ。嗚呼、その時は憎悪に染まったお顔を拝見できるのでしょうね……そして、私はこう言うの」


「義務感百パーで聞きますが、なんと?」


「殿下とヴァネッサ様を殺して、私を奪い、この国を盗りなさい。って、そしてこうも言うのよ、その次は私のために世界を全て焼き尽くしなさい、って」


 目のハイライトを消しマジ顔で語るカミラに、周囲はドン引きを通り越して、軽い恐慌である。


「ユリシーヌ、ユリシーヌ! さっきはスマンっ! 申し訳ないっ! ――お前だけがこの王国の! 人類全員の最後の希望だ!」


「カミラ様!? 絶対この縁談は破談にしてみせますので、自棄を起こさないでくださいましね!? 絶対ですわよ! 絶対ですわよっ!!」


「「「ゼロス殿下、短い生涯でしたが我ら一同お仕えできて光栄でした……!」」」


「「「ヴァネッサ様、もしもの時はご一緒します!」」」


「おーい、皆さん。もしも、もしもの話ですって、いくらカミラ様でも、カミラ様でも…………いや、カミラ様なら本当にやりかねない?」


「ええーい、皆落ち着きなさいッ! だいたいアメリ様! なんで貴女まで呑まれているんですかッ!? ――そもそもカミラッ! 貴女は力ある者なんですから、面白半分に皆を怖がらせないでくださいッ!」


 がおっと一喝したユリシーヌによって、騒ぎは沈静化した。

 

「で、何処まで本気で言ってましたかカミラ様?」


「あら、そんな事も判らないのアメリ? 全部嘘に決まってるじゃない」


 ふふっ、といつもの様に笑うカミラに、全員の心が一致した。

 彼らは後に語る。

 あれは絶対本気だった、世界を滅ぼす目だったと――。


 彼らの内心も知らずに、カミラは気持ちよく語る。


「ねぇユリシーヌ様、私は『知って』いるんです。周囲の人々を不幸にしても、弱みを握って脅して言いなりにしても、その体を責め立てても。――その心は決して手に入らないって」


 そう、カミラは全て『実践』済みでここに立っているのだ。

 真実味があるのは、然もあらん事だ。


 ともあれ、その漆黒色の精神までも完全復活したカミラは高らかに宣言した。



「――では、偽装恋人計画の打ち合わせを始めましょう!」



 その怖いくらいに宛然と微笑んだ姿は、誰の目にも魔王にしか見えなかったという。



 その日は朝から快晴。

 両親に連れられて、カミラは王城の居住区にある王族専用の庭園に来ていた。

 貴族令嬢として、悪役として扇は必須と、配下の芸術家に城が一つ建てられる素材で作らせたのだ。


 なお、原作でもこの世界にも、現代日本の様に扇を持ち歩く習慣などなく、今の貴族女性の扇ブームはカミラのお陰だ。


(王子との縁談はいいけど、何でゼッド王までいるのよ! この後すぐにユリウスが来るっていうのに!)


(す、すまない。予想してしかるべきだった!)


 目と目で会話する二人、その様子は親たちには好ましい光景として写っている事に気づいていない。


 何でと言われても第一王子の縁談で、更にこの国一要注意の最強の魔法使い、秘匿されているが現魔王が相手。

 残念でもないし、当然である。


 目はニッコリ笑って、扇で隠されたカミラの口はワナワナと。

 そんな娘の様子を無視して、親同士の歓談は続いていた。

 

「ふふっ。本日は誠良いお日柄で、目出度い話に相応しい天気ですわね。――ほら、アナタも拗ねてないで」


「はっはっは、構わないぞセレンディアの奥方、同じ父として、娘を嫁がせる苦しみはよく解りますからな!」


 余談だが、ゼロスには三歳上の姉がいる。

 今は臣下に降嫁して、王城では暮らしていないが。


「寛容なお言葉、忝く思います陛下。ええ、浮いた話一欠片もなく、破天荒な事ばかりをする娘でございますが、どうか何とぞ……」


「おお、解るぞよ。我が娘ジーティリアも、カミラ嬢程ではないが型破りだったからな。実際に結婚するまで心配だったものよ」


 ゼッド王

 彼の人はこの大陸を統べる王でありながら、原作ではちょい役で出てくる、カミラより少しマシなモブであった。

 実際に会った所、全てにおいてゼロスの上位互換、暗君どころか物分かりのいい王であることを、カミラは確認している。


(私が魔王になった事も、そのまま学院に通い貴族令嬢でいる事も許容した陛下だもの、――やるしかないわ!)


(ぐ……、そうだな。やるしかないな。では行くぞ……!)


 魔法を使わず、目と目で意志疎通する二人。

 相性は良くても、恋愛感情はお互いにないのでしょうがないのだ。

 特にカミラは、ユリウスと共にいる為に魔王を簒奪した剛の者だ。

 遅かれ早かれ、似たような事になったであろう。


「――ご歓談中だが申し訳ない。陛下、そしてセレンディアご夫妻。どうか俺の話を聞いてくれないだろうか」


「ほう、言うてみろゼロス」


 学院に入る前は子犬だったのが、今では狼。

 その成長に満足しているジッド王は、快く息子の言葉を促した。


「この縁談。大変光栄なのだが、少し待って、いいや出来れば破談にして欲しい」


「――ほう、カミラ嬢では不服かゼロス」


「王子? 私達の娘に何かご不満でも? ヴァネッサ様の事がお不安でしたら、後で娘によく言い聞かせて――」


 面白そうにジロリと睨むジッド王と、心配と怒りが綯い交ぜになった夫妻に、ゼロスは敢然と立ち向かう。

 え、カミラ様? 手を震わせながらお茶してるよ。


「いや、違うのだ。カミラ嬢に不安があるわけではない。ヴァネッサとも仲がいいのだ、その点は問題ではない」


 カミラの両親に真っ直ぐに語ると、次はジッド王へ。

 カミラは扇で隠しながら深呼吸、静かに目を伏せその時に備える。


「父上よ、陛下よ。俺とて理解しています、この婚姻によって我が国の政治上のバランスはより強固に保たれ、更には王威も強まる」


「ほう……、そこまで理解してるか。では何故だ」


「俺とカミラ嬢はあくまで友人であります。そしてなにより――――、当の本人に強く、強く拒否する理由があります」


 その言葉に、親たちの視線はカミラへ集まった。

 カミラはそっと目を開き、扇をパチンと畳む。


「申し訳ありません陛下、そしてパパ様ママ様、昨日のうちに言えればよかったのですが、生憎と少々時間がかかりまして」


「……時間? カミラちゃん、いったい何を?」


「カミラ? 真逆、真逆……っ! ――貴殿は!?」


「――真逆、ゼロス! どういう事だっ!」


 娘が言い出す『何か』に、そして、近づく『誰か』に気づき、クラウスの顔がジッド王と共に驚愕に染まる。

 そして、カミラが口を開こうとした瞬間、その者は現れた――――!



「――突然の事、申し訳ありません。私はユリウス・アズランド。カミラ様と交際をさせて戴いている者です」



「ユリウス様っ!」


 カミラの顔が喜色に輝く。

 しかし一方で疑問を感じていた。


(アズランド……どうして? それは普段は決して名乗る事のない、ユリウス様の本当の、前王の王弟殿下の家名の筈……!)


 カミラは余り実感していなかったが、ユリウスはカミラに恩義を感じていた。

 王子とヴァネッサの仲、『聖女』セーラの危険性、そして何より、理由はどうであれユリウスという本当の自分を見てくれた事。

 それが彼に、――本当の家名を名乗らせていた。


 ――そしてそのユリウスの誠意は、確かにしっかりとジッド王とクラウスに伝わる。


「“ユリウス”は俺にとってもかけがえのない大事な友人。故に無礼は承知でこの場に呼ばせて貰いました

。どうか、責めるなら俺に」


 懐かしい者を見る様な目をしたジッド王は、しかし厳しく言った。


「そう簡単に自らを罪を認めるような事を言うな、我が子よ、お前は成長したと思ったが、まだまだ未熟の様だな精進せよ」


「――はっ!」


 ジッド王は軽率な言葉を注意しただけで、ユリウスの事には触れなかった。

 これは、事実上の黙認を意味する。

 カミラとユリウスは顔を笑顔を向けあった。


 カミラとユリウスが喜んだ一方で。

 ユリウス=ユリシーヌだと気付いた夫妻は、彼の背景を察しその事については口をつぐんだ。

 ――しかし、謎は残る。


「カミラ。お前に今まで浮いた話、好きな男の話一つしなかったのは理解した。だが、いったい何処で知り合ったのだ?」


「ユリシーヌ様とご一緒している時、ユリウス様と出会い。その、恥ずかしながら一目惚れしたのです。ユリウス様は夢幻の様なお立場、けれどどうしても諦めきれなくて……」


 だいたい嘘は言ってないのが、悪どい所。

 こっそり魔法で聞いていたアメリは、物は言い様ですねぇ……、と呆れたコメントを残したが、そこはそれ。

 精一杯恥ずかしがって、乙女ぶって、大好きアピールだ。


(今回の事はまったく以て想定外でしたが、これでユリウスの立場が認められ、婚約者となってくれたら儲けものでしょうけど、流石にそこまでは望みすぎでしょうね……)


 カミラの邪な考えは兎も角、ユリウスは紳士に訴える。


「……私達の事は認めて頂けないかもしれません。けれど、どうか。どうかッ! せめて、今回の王子との婚約は取りやめて欲しいのですッ!」


「私からもお願いします。……私はユリウスが好き、愛しているのよ。わかって、パパ様ママ様。――そして陛下、殿下の事は嫌いではありません、でも、私の男はこのユリウスだけなのです」


 静かに頭を下げるユリウスと共に、手を繋いでカミラも頭を下げる。

 一見してみると緊迫のシーンなのだが、裏では別の問題が起こっていた。


(ぐ、ぐううぅ! 何というプレッシャー! おいっ! ゼロス、もしやこの茶番はマジかっ!?)


(――ぐっ! 父上、残念ながらカミラ嬢は本気ですぞ! ユリウスの事は兎も角、この縁談を無しに、或いは破談にしなければ、どうなる事やら想像もつきません!)


 そう、ここで少し巻き戻してみよう。


「――そして陛下(王と王子にゴウっと威圧)

 殿下の事は嫌いではありません。(ただの友人だから)

 でも、私の『男』は(口出ししたら殺す)

 このユリウス(男としての姿が欲しいから、いずれはユリシーヌじゃなくすから)

 だけなのです(今回の件でユリウスに何かしたら、承知しないから)」


 はい、もうお分かりですね。

 カミラの側からしてみれば、好きな人が嘘をついてまで、リスクを背負って己の縁談を破談にしようとしてくれるいいシーンが。

 反対側から見れば、アタイの男に手ェ出したら殺す、という暗躍する魔王の脅迫シーンに早変わりである。

 ――だが、ジッド王は王であった。そして勇者であった叔父さん大好きな王であった!


「……よかろうカミラ嬢、そなたの気持ちは受け取った。此度の話は王家の威信にかけて無しにしよう。よいなセレンディア公爵、そして奥方」


「――はっ! 王のご命令とあらばっ!」

「――承知致しました」

「ありがとうございます陛下。――きっとご聡明な陛下の御代と次代の王の御代は安泰でしょう」


 約束破ったら殺す、と言わんばかりに艶やかに微笑むカミラに、魔王の威圧に負ける事無くジッド王は続けた。



「だが、――――ユリウスはやらんぞカミラ嬢!」



「――なっ!?」


「聞こえなかったか? ユリウスはやらんと言ったのだ……!」


 足をプルプルさせながら、キメ顔で言い切ったジッド王に、困惑の声が上がる。


「父上!?」「へ、陛下、何を……?」


 だがカミラは違った。

 ジッド王の真意に気付いたのだ。


「ええ、そうでしょう。そうでしょうね……、私が陛下の立場でも、そう言ったでしょうから」


「ふむ……、流石、ユリウスと共に在る者と褒めてやろう。ならば我らは相容れはしないであろう?」


「いいえ陛下、それは違いますわ。私達は、きっと分かり合う事が出来るのです」


 無駄に火花を散らす二人の前に、他の者は置いてけぼりだ。


「なあユリウス、陛下とカミラ嬢の言葉がさっぱりわからんのだが、お前心当たりあるか?」


「いや、残念ながら……」


「――はっ! もしや陛下は、成る程そういう事か!?」


「え、アナタは解ったの? あの下らなさそうな空気の事」


 置いてけぼりの三人は、クラウスの言葉を待つ。

 ただし、その目はゲンナリしていたが。


「……あれは私がカイス殿下の従者をしていた頃だった。あの頃の陛下はカイス殿下によく懐いていてな」


 誰もがユリウスとカイスに繋がりがあるとは、直接言わないが、つまりそうであるのだ。


「つまり公爵? 父上はもしかしてユリウスを非常に気に入っている可能性があると?」


「ああ、ウチの息子をあんな危険人物にやれないと、言うことですわね」


「父上、俺が危険物と結婚するのは良かったのですか!?」


「王子にはヴァネッサ様がいましたから、きっとそうですよ。――そしてセシリー様!? ご自分の娘を地雷呼ばわりとは……」


「ふふっ、そこまで言ってませんわ私達の新しい息子。だっていくら可愛い我が子でも、カミラですもの」


「成る程……じゃないッ! 息子扱いしないでくれませんかッ! まだ早いッ、じゃなくて……!」


 焦るユリウスに、クラウスが肩をポンと叩き親指を立てる。


「うう、私はカイス殿下の従者をしていたんだ。『何故』かは解らないが、殿下によく『似ている』君がカミラの夫になってくれるなら、こんなに嬉しい事はない……!」


「くそッ! 魔女めッ! 外堀を埋めて来やがったか――!?」


「落ち着けユリウス、あのカミラ嬢の親だぞ? きっと天然だ」


「……殿下もさり気なく口が悪いですね。後でヴァネッサ様に言いつけておきます」


「ず、狡いぞユリウス!?」


 等と四人が脱線していた間に、カミラとジッド王は激烈な熱戦を繰り広げて。

 互いに息を荒げて、健闘を讃え合っていた。


「……はぁ、はぁ。……ふふっ、やるじゃありませんか陛下。よもや私のユリウスコレクションに匹敵するお宝アイテムをお持ちとは……!」


「……ふぅ、……ふぅ、……はぁ。流石我が国一の魔法使い、生まれた時から見守っていた我のユリウスセレクションに匹敵する秘宝をもつとはな……!」


 詳しく内容は語らないが、現代日本では犯罪で一発逮捕、ストーカー法にもプライバシー保護法にも余裕で引っかかるとだけ言っておこう。

 こんな奴らが上にいていいのか、大陸統一国家ジラールランド!

 ――なお、二人のコレクションとセレクションは、後でユリウス直々に破壊されました。


 数刻後に待つお宝破壊の悲劇も知らないで、ジッド王とカミラは肩を組んで意気投合する。


「はっはっはー! よし、もう何も言わない、全てはお前の手で勝ち取るがよい……!」


「ありがたきお言葉、子が産まれたら陛下にも抱かせて上げましょう」


 そんな二人を複雑そうな顔でみる主従。


「くっ、見てられん……。ユリウス、後で陛下とカミラ嬢を……」


「ええ、勿論だゼロス。後でヴァネッサ達にも声をかけときましょう」


 ゼロス王子とユリウスの様子に気付かず、カミラは言った。


「王命が下ったわ! 明日、私たちは奪われた『始祖』の宝物探索を城下町で行うわ、無論男女ペアで、『ユリウス』の特別参加も認められたわ! つまり、皆でデートをしましょう!」


「もう少しオブラートに包めカミラあああああああああ!」


 カミラに対し遠慮が脱げ去ったユリウスの叫びが木霊する。

 ――つまり、そういうことになった。




 次の日、カミラとユリウスは城下町に来ていた。

 聖女装備『始祖』シリーズ探索という建前があるため、ゼロス王子とヴァネッサ、その配下の三組のカップルは別行動である。


「私、夢だったのですわ。ユリウス様と一緒にこうして歩くのは」


「――はんッ。俺は夢にも思わなかったさ、お前とこうして歩くなんてな」


「あら嬉しい、喜んでいらしてくれるのね。それに今日は昨日みたいな、余所行きの言葉使いではないなんて。これは期待しても良いのですか?」


「皮肉だッ! この性悪魔女め。……お前に向けて取り繕う必要性を感じないだけだ、勘違いするな」


「ふふっ、解っていますわ。――それでも、嬉しいのです。――さ、エスコートしてくれますかユリウス様?」


「不本意だがな。……どうぞレディ」


 カミラはユリウスの差し出した腕に、そっと自らの腕を絡ませた。

 そして、賑わう市場通りに足を進める。


「そういえば、ユリウス様は城下町は初めてですか?」


「馬車に乗って移動する時に通るくらいだな。……貴族街の方なら行ったことがあるが」


「ふふっ、それなら今日は私が案内しますわ。一度来たことがありますから」


「へぇ、お前が領地を自分の足で見て回っているのは知っていたが、こんな下町まで来たことがあるのか。……何かよからぬ事の為に来ていたのではなかろうな?」


「ふふっ、私の事が解って頂けているようで嬉しいですわ。――ええ、前に、ちょっとセーラ様の事で確かめに訪れたのです、ここはセーラ様の住んでいた所ですから」


 さらっと不穏なな事を告げるカミラに、ユリウスは端正な顔を歪めた。


「まったくお前は……、彼女の両親には何もしていないだろうな。一応後で確かめに行くからな!」


「ユリウス様がご心配なさる様な事は何も。でもきっと無駄足ですわよ」


「だといいがな……」


 少し厳しめの口調であったが、ユリウスの興味は町の様子にすぐに移り、興味深そうに目を輝かせた。

 それに目聡く気付いたカミラは、視線の先の様々なものを説明する。


「ユリウス様、あれは解りますか。あの噴水の前では旅の吟遊詩人がいつもいて、人々を楽しませているのですよ」


「見ればわかる……、でも初めてみたな。美しい音楽を、楽しい音楽を聞く顔は貴族も民も一緒なのだな……」


「ええ、同じ人間ですもの。……でもわざわざそんな事を言うなんて、貴族が嫌になりました?」


「別に貴族がどうとか、民がどうとかそう言う事じゃない。ただ……」


「ただ?」


「俺は王族を守る闇として育てられた。貴族という人種の事なら何でも知っていると自負している。けど、支える民の事は知らなくて、新鮮で、こう言う光景も良いものだな」


「ええ、本当に」


 ユリウスはきっと、想っているのだとカミラは気付いた。

 ユリウスの本当の母は、下町出身のメイドだったという。

 きっとこの光景に母を重ねているのだろう。


(それはとても自然な事で、当たり前な事で……。嗚呼、でも妬けてしまうわ。ユリウスにはもっと私を見て欲しい。

 ――どんな光り輝く景色であろうと、暗闇に包まれた非業の叫びが上がる中でも。

 私だけを、なんて)


 だからカミラは殊更明るい声をだし、ユリウスの注意を引いた。


「見て下さいユリウス、あそこで奇妙な果実が売ってますわ! ほらっ! あれですわっ!」


「……ふうん、珍しいなアレは遙か東国の果実だと、本で読んだ事がある。挿し絵よりずっと綺麗な橙色なのだな」


 ユリウスの興味が引けたと、にんまりしたカミラは財布を取り出しその露天の店主に話しかける。


「――ご店主、その橙色の丸いの二つくださいな!」


「おっ! その綺麗なおべべはご貴族様かい? ウチの果物に目ぇつけるたぁ、解ってるじゃねぇか」


「確かそれは、みかん、と言うのだったか?」


「良く解ってるじゃねぇかあんちゃん! そうさ! これは極東の町から輸入した、ここじゃ珍しい果物だ。味もピカイチ、お値段もピカイチ! と言いたいが、見たところデートかい? お安くしとくからもっと買っておくれよ」


「ふふっ、いいですわよ――ならこれくらい買うから、こんくらいのお値段でどう?」


「お、おい。そんなにあっても食べきれないぞカミラ?」


「後で皆に配ればいいのですわ――さあ、どうですの?」


 カミラとしては、久しぶりの日本の食べ物。

 お安く手に入れば更によし、と店主の禿親父と値段交渉を始める。


「この木箱一箱もらうから、一個三十円にして」


「馬鹿言っちゃいけねぇよ。綺麗な姉ちゃん。――三箱買うなら考えてもいいがな!」


「じゃあ二箱買うから十円にして」


「下がってるじゃねぇか! これじゃあおまんまの食い上げだぜ貴族様よ!」


「……ちっ、やっぱり気付いたわね。じゃあ一個三十一円!」


「ケチくせぇ事いいなさんな、――一個五十円!」


「高い、――二十九円!」


「やっぱ下がってんじゃねぇか!?」


「ええい、なら二十円よ!」


「もっと下げてんじゃねえぞぉ! 一個百円!」


「そっちこそ、上がってるじゃない!」


 余談だが、原作からして通貨は円である。

 中世風ファンタジーとは、いったい何だったのか……?

 兎に角。

 周囲が注目するほど白熱した値切りバトル。

 ユリウスはそれ見ながら、カミラの印象を少し改めていた。


(今までアメリ嬢が、彼女と共にいるのか解らなかったが、何となく解った気がする)


 ユリウスにとってカミラは、何食わぬ顔で自分の秘密を知っていた上、好きだと公言してせまる、怪しい人物である。


 無論、ふてぶてしい態度に相応しい実力と、顔に見合わぬ誠実さを持っている事は解っていた。

 つまり何が言いたいかというと、――存外に人間味のある人物だという事だ。


「……成る程、殿下との縁談話の時の落ち込みようは演技ではなく、俺が考えているより表裏のない人物だった訳か」


 それはそれで、好きだと言う言葉が真実味を帯び、どうしていいか解らなくなるが。

 ユリウスは今はそれでもいい、と自分の感情が解らない事を受け入れた。


 ――ほんの少し、ほんの少しだけ、自由への希望を持ちながら。


 ユリウスが知らず知らずの内に、心からの笑みを浮かべていると、一際大きい歓声が上がった。

 どうやら、交渉が纏まったようである。


「やったわよユリウスっ! 全部で木箱を十買う代わりに、一個二十円で手に入れたわ!」


「はっはっはー! お嬢ちゃんには負けたよ! まさか今流行で品薄のセレンディアの野菜を、この店まで直接届けてくれるたぁ、男を見せざるおえないな!」


 カミラと青果露天の禿店主は、仲良く肩を組み堅く握手を交わしている。

 詳しい所はユリウスには解らなかったが、ウインウインで終わった様だ。


「ああ、うん。お前が満足ならそれでいいんだ。でもどうするんだ? そんなに持ちきれないぞ」


「あら大丈夫よ」


 カミラは店主から、みかんを二個受け取るとユリウスの側に戻った。


「じゃあね、良い商談だったわ店主!」


「おう! 嬢ちゃんもデート楽しめよ! 残りは届けておくからな!」


「という訳よ」


「……流石というか、なんというか、しっかりしてるのなお前。でもその二つは? 今そんなに食べるなんて空腹なのか?」


 ユリウスの疑問に、カミラは優しく笑って答えた。


「馬鹿ね、一つは貴男の分です。食べた事なかったでしょう? ――それにね、知ってほしかったの。私の心の故郷の味を」


「心の故郷の味? 変なことを言う奴だな。……でも、その気持ちは有り難くいただこう。昼食のデザートにでもするか」


「ええ、そうしましょう」


 先ほどよりもう少しだけ近い距離で、二人は仲良く歩き出した。




 その後も、あれやこれやと見て回ったカミラとユリウスだが、当然のことながら奪われた『始祖』シリーズを発見する事ができず。

 裏道を見て回る事にした。


「成る程、これが裏道というやつか。何というか……」


「思ったより普通、ですか?」


「ああ、小説に出てくるように破落戸やスリ、孤児等がたむろしていると思っていた」


 市場の裏通りは、表と違い閑散としていた。

 時折、話し込むちょっと露出の高い女性の姿等が見えたが、平穏な町そのものだ。


「ふふっ、あながち間違いではありませんが、それは王都の外周部、外壁近くの貧困街の姿ですわね」


「成る程、当たり前だが一口で裏通りといっても、様々というわけだな……」


 少し言いよどんだユリウスの、その瞳が時折泳いでいるのにカミラは気付いた。


(……? ああ、娼婦の方々から目を反らしているのね、そしてそれは、嫌悪ではなく照れ)


「ふふっ、ユリウス様は初心でいらっしゃる」


「――ッ! 解っているなら指摘しないでくれ。大体何なんだ? やけに肌を見せた綺麗な女性や男が多いが」


「お分かりにならない?」


「……少なくとも、俺達が場違いだという事はわかる、そして何だ? 何で道行く者から、頑張れと言われるのは?」


「ふふふっ、くくくっ! ――本当にお分かりにならない?」


(嗚呼、やっぱりユリウスきゅんはこうでなくては! 王子に忠実な堅物で、偏った育て方をされたから女装している割に、性知識に乏しくて、ええ、この真っ白な中性的な美少年を、好きに汚せるなんて、女冥利につきますわ!)


 お前本当にユリウスのファンだったのかと、小一時間問いつめたくなる、邪悪な欲望まみれのカミラ。

 おい、始祖シリーズの探索とかデートは何処へ?

 爛々とした欲望に淀み濁った瞳に恐怖を覚え、ユリウスはカミラの腕を降り解き、一歩下がった。


「この裏道が何なのか解らないが、お前が邪な事を考えてるのは解るぞ魔女ッ! 近づくんじゃないッ!」


「ふふっ、大丈夫ですよ。――最初は、誰でも上手く出来ないものですし、私も初めてですから」


「何の話だッ!」


 怪しげなカミラに気圧され、更に一歩下がる。

 がしかし無情かな、そこは壁であった。


「ふふっ、逃げられませんわよ。ちょっとでいいんです、そこのお店に入ってみませんか?」


 はあはあ、と変質者そのものであるカミラ。

 ユリウスは逃げようとするが、即座に肩を強く捕まれ逃げられない。

 ――知っているか、魔王からは逃げられない。


「くそッ! 放せッ!」


「おいおい、にーちゃん! 可愛い子ちゃんが誘ってんだ、男見せな! がはははは!」


「今が女の見せ時だよ貴族のお嬢ちゃん! 一発ヤっちまえば男なんてアタシら女のもんさね!」


 やいのやいの、がーがーと、通りがかった野次馬の声援を受け、カミラは奮起する。

 そうこの裏通りは所謂、――夜の店の通り。

 談笑している女は娼婦で、行き交う男は客か客引きだ。

 更にカミラが連れて行こうとしている店は――連れ込み宿、男と女が休憩か一泊するアレである。


「大丈夫ですわ。ラブホは初めてですけど、きっと何とかなりますし!」


「ラブホとやらが何か解らんがッ! 絶対危険な所だろッ!」


 ある意味正解である。


「さきっちょだけ、さきっちょだけだから!」


「お前の言う通りにしたら、人生終わるだろ絶対ッ! 何のさきっちょか知らないが、渡すものかよッ!」


 カミラが魔王の力まで動員し、大人げない全力で一歩一歩宿まで引きずる。

 女に力負けするとは情けない、とは言うなかれ。

 ここはカミラに抵抗出来る、ユリウスの実力を褒めるべきだろう。

 そして誰もかも、中性的な美少年が、綺麗だけど悪役顔の少女に美味しく頂かれてしまうと確信し。

 ――その時、野太い声が響きわたった。



「あっら~~ん? 外が五月蠅いと思ったら、素敵な猫ちゃん達がいるじゃな~~い?」



「へ、変態だ(よ)ーーーーッ!」


 瞬間、通りから人が消えた。

 数少ない開いていた店は、バタンとドアを閉じ、ガシャンと鍵を閉める。

 娼婦も客も客引きも即座に逃げ出して、残るは逃げそびれたユリウスとカミラのみ。


「あら~~ん、変態!? どこどこ~、いやーん!」


(あ、あんたの事よ――――!)


 カミラは口をぱくぱくさせながら、内心で絶叫。

 ――それは奇妙な男? だった。

 背は高く、腹は太く、そして金髪ロールの鬘をしていた。


(ざ、雑過ぎる、女装としては、余りにも雑だ……ッ!)


 だがサイズの合っていない鬘は、所々地毛と思しき黒色が見え。

 上半身裸に、謎のロングスカート。

 ついでに言えば、逞しいカイゼル髭である。


(え、え? 何コイツ? こんなのゲームじゃいなかったわ!?)


(くっ、何という存在感ッ! そして――筆だと!? その筆で何をするつもりだッ!)


 正確には『聖女の為に鐘は鳴る』でいなかったキャラクターだ。

 実際にはBLゲーである前作にも……実は居らず。

 どっかの同人作家が男性向け同人誌で出した作者を模したオリキャラ、オッディ三世である。

 解れと言う方が無茶だ。


 なお余談だが、その同人誌の中身はセーラとゼロスのイチャラブ本で。

 彼の人の役所は、喧嘩した二人を仲直りさせるキューピッドの役目であった。

 つまり――。


「ねぇ~~ん。ちみ達(被写体として)いいツラと体してるわね~~ん」


「ひぃっ!」


「お、お前は何者で、何が目的だッ!」


 仲良く抱き合いながら震える二人に、オッディ三世は(自分としては)にこやかに笑い近づく。


(こ、これは色情魔の笑いだわ! ユリウス共々犯される!?)


 目の前のインパクトに、自分が最強である事を忘れ役に立たないカミラ。

 それを見たユリウスは、意を決してカミラを守るように前に出た。

 いや、こんな女は守らなくていいから。


「ユリウスっ! 駄目っ!」


「怖がらなくてもいいわぁ、(被写体として)立っているだけの簡単なお仕事があるのよん。もちのろん、報酬は弾むわぁ!」


「立っているだけ? 嘘を言うなッ! (どんな卑猥な事を)その大きな筆でするつもりだッ!」


「う~~ん? 勿論(絵を描いて)楽しい時間を過ごすつもりよ~~ん! 後悔はさせないわん」


 こちらを値踏みするような、舐め回るような視線を向けられユリウスとカミラは身震いした。(※誤解です)

 これ以上ここに居ては危ないと、素早く視線を合わせると、共に手を取り合った。


「すまないが、――――断らせてもらうッ! いくぞカミラッ!」


「はいっ、ユリウス様っ!」


 脱兎のごとく駆けだした彼らの背に、野太い声がかかる。


「いや~~ん、待ってえ~~ん!」


 ドスドスと、意外と早いスピードの変態に、カミラ達は必死で走った。



 未来に置いて、カミラ夫妻の肖像画は多数残っている。

 生涯に渡り、カミラの保護を受け、多数の王族を描いた画家の名前はオッディ三世と言うのだが。

 それはまた、別の機会に語るとしよう。


 ~~とある歴史作家の手記より。



「……はぁ、はぁ。もうここまで来れば大丈夫でしょう」


「……ハァ、ハァ、ふぅ。大分前から振り切っていた気がするが、良しとしよう」


 実は良い人オッディ三世から、逃げ切ったカミラとユリウス。

 彼らは市場通りの終わりにある、大きな公園の木陰で休んでいた。

 少々行儀悪いが、二人とも大の字で寝転がっている。


「はぁ……、ええ、でも、楽しかったですわね」


「ああ、不本意だがな、……確かに楽しかった」


 二人は自然と笑いあう。

 いつの間にか童心に帰り、逃亡ではなく、ただ無邪気に走っていた事に気付いていたからだ。


「偶には、こんな事も悪くない……でも、もう二度と裏通りには行かないぞ」


「あら、残念ですわ。是非ともご一緒したいお店がありましたのに……」


「お前が連れ込もうとした店、あれはどうせ、いかがわしい店だったのだろう? ――次やったらお前じゃなくてアメリ嬢とそこに入る」


「あら、当てつけですか。残念ですわ、そんな事になったらアメリをこの手でありとあらゆる苦痛を与え、縊り殺すしてしまいます」


 カミラの真に迫った口調に、ユリウスは慌てて弁明する。


「――冗談だ馬鹿、本気にするな」


「ふふっ、こちらも冗談ですわ。貴男がそんな事をするヒトでは無いことをちゃんと知っておりますもの。――でも、傷つきましたわ。次に同じ様な言ったら問答無用で、あの店に連れて行き、私の愛を味あわせてあげます」


「悪かった、謝罪する。ただの当て擦りだった金輪際言わないから、そんな恐ろしそうな事やめてくれ」


「あら、気持ちいい筈ですよ?」


「筈って何だ、筈って……まぁいいや。――なぁ、どうしてご大層な名目まで掲げてデートなんか?」


 ユリウスには見えなかっただろうが、カミラは微笑んで答えた。


「――ああ、いつ聞かれるかと思ってましたが、随分と遅いですわね」


「お前の思い通りの様で少し悔しいけどな、……楽しかったんだ、こんな事初めてで」


「なら、良かったですわ。貴男とデートをしたかったのは本当ですもの」


「……でも、それだけじゃないだろ? 俺も直接見た訳じゃないから間違ってるかもしれないが、お前の今日の格好、『始祖』の残した聖女の装束のレプリカなんじゃないか?」


「ええ、良くお解りになりましたね。……そうですわ。王との取引で、私はこの格好で町を歩く必要があった」


「それも、なるべく目立って……だな」


「流石ユリウス様、と言っておきましょうか。でもそれは理由の三分の一、おまけして四十点という所でしょうか」


「…………何だ性悪魔女、まだ他にも理由があるのか?」


 カミラはユリウスから、ある『言葉』を引き出す為に、回りくどく質問する。


「ねぇユリウス様、今日のデート。どうお思いでしたか?」


「どう、とは?」


 カミラの思惑に気付くことなく、ユリウスは考える。


「さっきも言ったが、楽しかった。この答えでは不満か?」


「不満ではありませんわ。でも、もう少し“奥”の回答が欲しいのです」


「奥? 何故楽しかったのか……、お前が望んでいるのは“初めて”の事だから、という理由ではないな?」


「いいえ。――ねぇユリウス様、その“初めて”は“何故”なんですか?」


 その時になってようやっと、ユリウスはカミラの言葉が『毒』なのでは、と思い始めていた。

 カミラの言う“何故”を突き詰めてはいけない気がしたが、同時に、知らなければいけない気がして――――。



「――――ああ、そうか。今日俺は、ただ一人の男だったんだな」



 カミラは口元を歪めた。

 これだ、これが必要だったのだ。


(なら、残るは一つ)



「ええ、ユリウス様は今日、女ではなく、貴族でもなく、私という女の隣にいた一人の男でしたわ。――他愛の無い質問です。


……昨日までの貴族令嬢であるユリシーヌと、今日の、仮初めでもただの男であったユリウス。

 どちらが、――楽、でしたか?」



 それは言葉通り他愛のない質問。

 けれど、ユリウスの生き方を揺るがす『毒』


(…………そうか、これが)


 自覚した時には既に手遅れ、何故ならばユリウスは自分でその答えに辿り着いてしまったのだから。


(ええ、そうですわ。これは人生を急激に変革するモノではない。けれど、ただ少し、少しだけ罅が入る)



「ねぇ、どうですのユリウス?」



 ユリウスは躊躇した。

 これに答える事こそが彼女の今回の目的、答えなくてもいい、しかし既に『毒』は回っている。

 ならば答えないのも負けたようで嫌だ。

 ――故に、答えてしまう。



「…………ああ、今日の方が楽だった」



「ええ、ありがとう御座いますわ」


 カミラは歓喜した。

 これでユリウスを真に自由にする『楔』が、また一つ打ち込めた。

 効果を発揮するのは、まだまだ先であろうが、これは着実にユリウスの『幸せ』に近づいたという事。



(私は幸せだわ……、たとえ将来私が死んでしまっても、ユリウス様の心には今日の事が刻まれて、残りの一生、私を想って頂ける……。それは、なんて、嗚呼、なんて素敵な事でしょう)



「では、ついでと言っては何ですが、一つお願いしても宜しい?」


「――ちッ。何だ言ってみろ」


「先ほどの言葉、――愛するカミラと一緒にいて楽だった楽しかった、残りの人生を愛するカミラに捧げる、をもう一度仰ってくれないかしら?」


「一度も言ってないぞッ!? そんな言葉ッ!」


 余りに欲深で都合の良すぎる改変に、ユリウスは怒りを通り越して驚き飛び起きる。

 そして、ごろんごろん、とそのまま転がって足下まで来るカミラに二度吃驚。


「そ、そんなっ! あの時言ってくれた言葉は嘘だったんですのね。お願いですッ! 棄てないくださいましっ!」


「縋りつくな放せ馬鹿ッ! 棄てるも何も先ず付き合って無いだろうがッ!」


 思わずカミラを足蹴にして振りはなったユリウスだったが、周囲の視線を集めている事に困惑する。


 なおカミラの思惑は、ちょっとふざけたら足蹴をして貰えるかも? であった。

 今は、私の所為でユリウス様が悪者に、流れ次第でそれはそれで美味しい! である。

 ――この女、実にノリノリで、いっそ滅びればいいのに。


「ひそひそひそ、聞きましたか奥様。可愛そうですわねあの女の子、男の方に暴力を振るわれておりますわよ」


「ひそひそひそ、聞きましたわ奥様。どうやら騙された挙げ句に棄てられようとしているみたですね、可愛そうですわ」


「ち、違うんです皆様――――!?」


 げに恐ろしきは、周囲を味方に付けたカミラ。

 やはりこの女は邪悪だと、ユリウスは認識を改めた。

 しかし今必要なのは、大事になる前この場から逃げ出す事だ――――!


「ええいッ! 舌を噛むなよカミラッ!」


 カミラをお姫様抱っこをして、ユリウスはこの場から逃げ出した。

 この場合、いっその事、カミラを見捨てて逃げるのも一つの手だったが。

 その場合、見捨てたという事実を盾に付け入られる口実を与える事となる。

 流石はユリウス様! アメリがいたらそう称えただろう。


「きゃんっ! 私をまたベッドの上で支配するおつもりねっ!」


「いや、ないから。ないから」


「二度も言われた!?」


「ひそひそひそ、奥様ききました?」


「お前達もそれは、もういいから――――ッ!」


 取り敢えず居た場所より、反対側の茂みに逃げ込んだユリウスは、ぺいっとカミラを投げ捨てる。

 カミラも予想していたのか、動じることなく降り立つ。


「……お前はいったい何がしたいんだ、本当に」


「貴男の全てを、この身で感じたいだけですわ!」


「足蹴にされるのもか!?」


「勿論です!」


「駄目だこの女……、いや本当に、何故アメリ嬢はコイツの本性を知って、長年従っていられるのだ!?」


 もはや頭を抱えてしゃがみ込んだユリウスの姿に、カミラは胸をきゅんきゅん高鳴らせながらぬけぬけと答えた。


「――それが、私の人望、というやつですわね」


「なら、その人望とやらを持つ性悪女よ、罰として昼食買って来てくれ……、俺は疲れた……」


「ふふっ、分かりましたわ」


 ごろんと再び寝転がったユリウスの言葉に、カミラは素直に頷いてその場を離れた。



 近く屋台で買った昼食を手に戻ったカミラが見たものは、静かな寝息を立てているユリウスだった。

 カミラは昼食を魔法で異次元に収納すると、起こさない様にそっと近づき、少しも揺らさずに膝枕をした。

 ――ユリウスが、寝たふりをしている事を知らずに。


「……ねぇ、ユリウス様。起きていらっしゃる?」


「……」


 ユリウスは答えない、当然だ寝たふりをしているのだから。

 彼は、カミラがどんな悪戯をするか確かめて、逆襲しようと考えていた。

 しかし、その考えとは裏腹に、カミラはただ優しくユリウスの頬を撫でるだけ。


「嗚呼、嗚呼……、痛かったでしょうユリウス様、『二度と消えない程深い傷』を、綺麗な顔だったのに……ごめんなさい、ごめんなさい……」


(……カミラは何を言っている?)


「苦しかったですわね、無念だった事でしょう……、もう二度と届く事はないけれど、ごめんなさい、ごめんなさい、そして、ありがとう……」


 頬だけでは無い、首筋や瞼を、まるで『傷』がそこにあるかの様に優しくなぞる。


(二度と届かない? 何のことだ、何故謝る、何故礼を言う?)


「ごめんなさいユリウス様、好きになってしまって、ごめんなさい、今も好きでいて。――――私は、幸せになる権利など、資格なんてないのに……」


(何故だ、何故そんな事を言う……?)


 ユリウスは顔に落ちる、暖かな滴に動けないでいた。

 これは、カミラという『女の子』の隠された真実だ。

 きっとアメリにも見せたことがない、隠したかった真実だ。


(お前の言葉の意味は解らないけど、暫くはそうしていろよ……)


 自分の何もかもを見透かして、好意をまっすぐに。

 拗じ曲がってしまうほど大きい感情を向けるカミラと言う一人の女の子の事を。


(いつか知ってやる、いつか、聞き出してやるからな……)


 だから、泣きやむまでは寝たふりをしてやる、とユリウスは、か細い嗚咽を聞き続けた。




 さて、あれから何知らぬ顔で起きたユリウスは、カミラと共に昼食にありつき。

 今、デザートとしてみかを手にしていた。


「おおー。オレンジよりも剥きやすいのだな」


「でしょう、そのお手軽さも魅力なのですわ――お望みなら私の服も」


「剥かん。絶対に剥かないからな」


「いやん、いけずですわ」


 お前さっきの涙は何処へいったと問いたい程、変わらぬカミラの態度に呆れながら、ユリウスはみかんの皮を剥き終わる。


 そしてぱかっと二つに割ると、一方を丸ごと口に放り込んだ。


「――むぐ、むぐ、むぐ。ふぅ。……美味いッ! 何だろう。……あむ。あむ。ごっこん。このみかんとやらは、酸味が少なく甘みが強く、幾らでも食べられそうだな!」


「ふふっ、お気に召したのなら、帰ってからお裾分け致しますわ」


「対価に怪しげな事を要求しないなら、頂こう」


「……流石の私でも、そんな事しませんわっ!」


 ぷくー、とむくれたカミラを笑いながら、ユリウスは考える。


(さて、俺としてはデートという気分じゃなくなった。このまま帰る――、いや俺達は『始祖』の聖女装束を探しにきたんじゃないか。そろそろ本来の名目に戻っても良い頃ではないか?)


「で、だ。お前はこの後に行きたい場所はあるか?」


 カミラは少し考えるふりをした後、さも思い出したように言った。


「そうだ、折角の機会なのでセーラ様が育った家を見てみませんか?」


「……お前、聞かれなくても最初から行くつもりだっただろ絶対」


「さて、何のことですやら」


 カミラは素知らぬ顔で、みかんの皮を燃やしながら立ち上がる。

 なお、みかんの皮だけを燃やす専用の新作魔法だ。


「お前はまたそんな変な魔法を……」


「便利ですのよ?」


 この世界は割と感覚で魔法を使えるとはいえ、大概の者達が用途に応じて専用の呪文詠唱や魔法陣を使う。

 何故ならば、そうしないと安定しないからだ。

 そして呪文や魔法陣は、専門の学者が長い時間をかけて作り出すもの。

 ――小規模な魔法とは言え、みかんの皮を燃やすという限定的過ぎる効果の魔法。

 便利だからといって、簡単に作れるものではない。

 そもそも、便利でもないのだが。


「……お前がいいならいいが。あ、俺のも頼む」


 ユリウスも、持ち歩いたりその場に棄てるよりかはいいと、皮をカミラへ渡す。


「任されました――ほいっと」


「何故こんな奴に才能を与えたのか……」


「私に才能はありませんわ。――ただ積み上げてきただけです。では行きましょうか」


「ああ、俺としてもセーラという人物が、何処でどの様に育ったか気になるしな」


「……まぁ、無駄足になるのですけれど」


「魔女め、何を知って何を企んでいるのか」


「安心して下さい、貴男へではありませんわ」


「企んでる事は否定してくれッ!」


 ユリウスはカミラの先導で歩き始めた。

 先導といっても、仲良く腕を組みながらであったが。


 ともあれ。

 ユリウスの嘆いた通り、これもカミラの企みの一つ。

 カミラにしてみれば、セーラへに向けた今後の布石の一つであった。





 二人がたどり着いた場所には、荒れ果てた家屋があった。

 今にも倒壊しそうなボロボロの家、当然のように無人。

 何年も人が住んでいないのか、庭も荒れ放題だった。

 周囲も空き地が目立ち、人の暮らしている気配がまるでない。


「……なぁ、ここが本当にセーラ嬢の住んでいた家なのか? ここいら一帯、長いこと誰も住んでいない感じがするが」


「ええ、学院の記録ではそうなっていましたわ。アメリにも、他の者にも調べさせましたけど、ここで間違い在りません」


「嘘を言う必要は……」


「あると思いますか?」


「だよな……」


 ユリウスが考え込んだ瞬間、背後から老人の声が響いた。


「あんれぇ、こないだの姉ちゃんじゃねぇかい! こないな人っ気のないとこ、貴族の姉ちゃんが来るとこじゃねえさ。悪いこと言わんから帰りな」


 カミラが手をひらひらさせて会釈をする横で、ユリウスは質問する。


「すまないご老人、ここに学院に通うセーラが住んでいたと聞いたのだが知らないか?」


「おめぇさんも、姉ちゃんと同じ事知りにきたんだなぁ。姉ちゃんにもいったけどさぁ、そんな人間いないべさぁ。そもそも、そこの家さ十年くらい前に焼け落ちてから、だあれも住んでないさ」


「ご老人、ありがとう御座います」


「ここいらは不吉で幽霊がでるってもっぱらの噂よ、アンタらも早く帰えんなよぉ」


 そう言うと、老人は足早に立ち去った。

 釈然としない事だらけであったが、ユリウスは顔色一つ変えないカミラを見て、彼女の言葉が正しかった事を悟った。


「そうか、無駄足とはこういう事か。……では何故ここに来たんだカミラ?」


 何か理由があるんだろう、と目で問いかけるユリウスに、カミラは静かに答えた。

 同時に、そっと腕を解いて距離をとる。

 ユリウスには感知しえない『何か』を感じ取ったからだ。


「先ず一つ、貴族の通う私達の学院において、裕福な商人でもなく、ただの平民であるセーラ様のご実家がここには無いという事実、それを知って欲しかったのですわ」


「……だがセーラ嬢は『聖女』だ。そのご家族を悪党や政治に利用されない為に、国で保護しているという可能性は?」


「ええ、確かにそれの可能性は否定できませんわ。でも、王国筆頭魔法使いである私、王を除いて一番権力を持つ私が、貴男の秘密を知っている私が、それを知り得ないという事実はどうお考えで?」


「それは……」


 言いよどんだユリウスに、カミラは続ける。


「それに、セーラ様の護衛の任もある貴男に、何も知らされていない事実は? 貴男の立場ならば、居場所までは知らされなくても、ご家族を保護しているという話くらいは、知ってしかるべきでしょう?」


「……お前の結論を聞こうカミラ」


 事の重大さに思い至ったユリウスは、険しい顔をした。


「セーラ嬢は、幼い頃から裏家業の訓練を受けた貴男ですら欺く、どこかの間者である。もしくは魔族の手の者、そして或いは――そもそも、セーラという人物、人間はが存在しない」


「馬鹿なッ! ある日突然現れて、学院に通い出したとでも言いたいのかお前は、幾ら何でもあり得ないだろう?」


「ええ、普通ではあり得ない事ですわ。もしかすると、真相はもっとシンプルなものかもしれません。――でも、貴男にだけはその可能性を覚えていて欲しかったの」


 寂しげに笑うカミラに困惑しつつ、ユリウスは取り敢えず納得する事に決めた。

 今真相にたどり着くのには、情報が足りなさすぎる。


「では次だ。さっきお前は“まず一つ”と言った。では最低もう一つ、ここに来た理由があるんだな。――それは、何だ」


 カミラは首からぶら下げていた『始祖』のネックレス、その模造品を指で摘むと。

 ボロボロの家屋の方へ微笑む。



「さて問題です。……私は何故『始祖』の聖女装束を着ているのでしょう。――お答え頂けませんか、お爺さん?」



「なッ――――!?」


 驚いたユリウスがそちらを向くと、立ち去った筈の老人がそこに居た。


「おやおや、気付かれてしまったわい。この分だと儂の正体にも気付いておるのかのう?」


「ご老人ッ! 何故そこに……? いやそもそもカミラ、お前は何を言っている?」


「ふふっ、貴男にしては勉強不足よユリウス。幾ら魔族避けの魔法結界があってもね、抜け穴はあるのよ」


「このご老人が魔族――――ッ!?」


「盗まれた筈の『始祖』の聖女装束、それを着て歩くのは国一番の魔法使い。なら盗んだ者はこう思わない?」


「盗んだ方は偽物で、本物はカミラが守っていると。では――――。来い、聖剣ランブッシュ」


 ユリウスは未だ、目の前の老人が魔族とは思えなかった。

 しかし鍛えられた第六感が、油断するなと伝えている。

 ――あれは、人類の敵である、と。

 故に、ユリウスは何時でも切りかかれる様に剣を構えた。


「ふぉっふぉっふぉ、老人相手にぶっそうな。だが、そこまで解っているなら話が早い」


 ぐらりと老人が倒れ、黒い靄の様な『何か』が立ち上がる。

 そして瞬き一つの時間もかからず、人の姿を象った『何か』は角の生えた異形へと変貌。



 次の瞬間――――、夜が訪れた。



「その異形ッ! 真昼に夜の帳ッ! 間違いない――魔族ッ!」


 カンカンカンと王都中に、けたたましく警報が鳴り響く。

 結界が魔族の進入を感知した証拠だ。


「ふむ。この結界魔法は我らの居場所まで知らせる機能まで付いているのか。大方、援軍を呼ぶモノでろう? ――わざわざ、犠牲者を増やすとは愚かな」


「魔族よ、王都の人々もカミラにも、手を出させはしないッ! 守ってみせる――――ッ!」


 ユリウスにとって、初めての魔族との戦いが始まった。

 なおカミラはユリウスの後ろで、愉しげに嗤いながら傍観を決め込んでいた。



「――うおおおおッ!」


「グオアッ! やるな貴様――」


 月のない真昼の夜の中、ユリウスの剣線が煌めき、魔族の攻撃をいなしていた。

 通常ならば実力者とはいえ、未だ騎士にも兵士にもなっていない学生が魔族に勝てる筈が無い。


 しかしカミラの見立てでは、魔族との実戦経験が乏しくとも、魔族では無くユリウスの優位。

 その要因は――――“聖剣ランブッシュ”

 経験や身体的な差を容易に覆す“聖剣”という存在は、魔族相手には非常に有利なのだ。


(悪くはないけれど、もしもの事を考えたら、ユリウスの実戦の機会を増やしておくべきかしら? ――何にせよ、まだ私の動く時ではない)


 魔族との戦闘、この状況すらもカミラの想定通りであり、今日最後の目的であった。


(もうすぐ、兵達が駆けつけるでしょう。そして彼らは知る事となるわ)


 王家に伝わる聖剣を振るう男。

 三十年前の勇者の面影を持ち、魔族を倒す実力者の存在を。

 ――おまけで、カミラの恋人(偽)であると言うことを。


 つまりこれは、ユリウスという名を王国に知らしめ、男としての居場所を作る。

 外堀を埋める一環なのだ。


(人間に憑依出来ていた辺り、そこそこの実力者なんでしょうけど…………、魔族の真の姿ってどれも似たり寄ったりで、判別しにくいわね。誰でしたっけ? 四天王とかの側近クラスは、あの時一緒に吹き飛ばしてしまったから違う筈だけど……?)


 カミラは魔族をしみじみと観察する。


 全身、黒よりの紫色の肌で筋骨隆々。

 大きな手には鋭い鉤爪。

 額から二対の角が生えている。

 ――前世の昔話であった『鬼』そのものだ。


(ゲームではありきたりなデザインだと思っていたけど、実際見てみると迫力あるものね。あの時はじっくり見てる暇なんて無かったし、前の魔王は線の細いイケメンだったし)


 そういえば、魔族は力が強いほどイケメンになるという設定があった。

 ならば精悍な顔立ちをしている、目の前の魔族は、相応な実力者。


(これは……、万が一があり得るかしら?)


 ユリウスの実力は把握している、だが相手の潜在的な強さは推し量れても、実力は未知数だ。

 ――カミラは迷ってる間にも、戦闘は続いている。


「――その腕、貰い受けるッ!」


「やらせるかよッ! オラァ! お返し、だッ!」


 右腕を狙ったユリウスの攻撃は弾かれ、代わりにボディへの一撃ではね飛ばされ、カミラの足下まで転がってくる。


「ふふっ、苦戦している様ねユリウス様。――手助けはご必要で?」


「――この性悪魔女め、何のために俺だけを戦わせているのか解らないが、今はお前の力が必要だ」


 カミラの差し出した手を無視し、自力で立ち上がったユリウスは、再び聖剣を構える。


「何が欲しいですか?」


「一瞬でいい、隙を作ってくれれば十分だ。――――いくぞッ!」


 魔族へ向かって駆け出すユリウス。

 その背をはすはすしながら見つめ、カミラは機を伺った。


「よう聖剣頼みの兄ちゃんッ! 遺言はすませてきたかいッ!」


「ほざけッ! 貴様こそ、辞世の句でも考えておくのだなッ!」


 激突する両者。

 激しい火花が飛び散り、一合二合と振るわれる度に、互い傷が増えていく。


(聖剣と接触しても大丈夫な魔族を褒めるべきか、聖剣の力を引き出せずとも互角に戦えているユリウス様を褒めるべきかしら?)


 ともあれ、そろそろ潮時だ。

 背後に聞こえる軍靴の足音を聞きながら、カミラはそっと右手を前に伸ばす。



「――止まりなさい」



 たった一言。

 魔法を使ったわけでもない、魔力を乗せたのでもない。

 ただの一言、それだけで魔族の体勢は崩れ、ガクッと片膝を着く。


 そして、それを見逃すユリウスではない。


「覚悟――――ッ!」


「ちぃいいいいいいッ――――!」


 ユリウスは斜め上から聖剣を振り下ろし、魔族の左腕と左足を切り落とす。

 そのまま左上へ振り上げ、必殺のV字切りが完成するかと思われた。

 だが――――。


「…………ああ、強えぇな、強えぇな兄ちゃん。オレはもう何も出来ねぇ。だから止めを刺す前に、ちょいと待っちゃくれないか」


 ギリギリの所でカミラの言葉の重圧から逃れた魔族は、あえて無事な右足を犠牲にすることで、ユリウスの間合いから逃れてみせた。


「――ふん、まだ右腕が残っているだろう。俺はその心臓を潰すまで油断しない」


 隙なく魔族に近づくユリウス、その顔に慈悲の光は無い。

 躊躇せずに聖剣を振り下ろそうとした瞬間、カミラは制止した。


「待ってくださいユリウス様。生け捕りにするのです!」


「了解した、『万物を統べる――』」


 拘束呪文を詠唱し始めたユリウスに気づき、魔族は顔色を変える。


「くッ、生け捕りになどされてたまるかッ――――!」


「――自害を禁ず」


「――馬鹿なッ!?」


 魔族の両目が驚愕に見開いた。

 種族特有の金色の目を揺らし、カミラを見つめる。


「嬢ちゃん、いや、貴女様は真逆――――ぐうッ!?」


 何かを言い掛けた直後、ユリウスの魔法発動し魔族は蓑虫みたいに転がった。

 自害を許さないように、口輪まで完備である。


「カミラ!? 何故ここに? それにユリウス殿!? この魔族は」


「あら、パパ様達が一番乗りですか? どうです見事なものでしょう。――ユリウス様が王都に進入した魔族を見事打ち倒し、生け捕りにしたのですわっ!」


「おおーー!」


「貴族の坊ちゃんみてぇだが、凄いじゃねぇか!」


「馬鹿お前っ! お貴族様だぞ、もうちょっと丁寧な言葉使いをせんかっ! ――ありがとうございます。お二人のお陰で、魔族の被害を事前にくい止める事が出来たようで」


「……見たかよ、あの剣。もしかして聖剣なんじゃ」


「いやでも、聖剣って言えば亡きカイス殿下の持ち物じゃなかったか?」


「じゃあ、あの銀髪の若いのはいったい……?」


 ユリウスが何か言う前に、先手を打ってカミラが賛辞すると。

 パパ様、もといクラウスと衛兵達がユリウスを取り囲み、褒め称え始める。


(ふふっ、この一件と後もう一押し、その後でユリシーヌ=ユリウスという事を世間に知らしめる。我ながら完璧な作戦だわ)


 人はそれを陰謀とか、卑怯な外堀埋めとか言います。

 ともあれカミラは、やんや、やんやと胴上げまでされ始めたユリウス放置して、魔族へ近づく。

 騒ぎに加わりたそうな見張り番を、変わるからと言って追い払い。

 カミラは魔族と二人きりになった。


「ふふっ、これなら誰にも聞かれずに話しが出来ますわね」


「…………」


「あら、折角お口を自由にして差し上げたのに黙りですの?」


 悔しさと怯え混じりにカミラを見ていた魔族は、怖々と話し始める。

 その顔には、縋り求める様な『何か』があった。


「何故こんな……いや、そもそも。貴女様は『何』だ?」


「ただの、人間。ですわ――――『魔王』という存在そのモノを奪った」


「――――ッ!? やはり、貴女は……、いや、何故だ? それは魔族にしか受け継がれない、受け継ぐことのできないもの。何故……。ああ、教えてください。貴女は我らの新しき王なのですか……」


 絞り出された言葉に、カミラは嗤った。



「はい、いいえ。私に魔族は必要ありませんから」



「そんな……、では我らはどうすれば……。いや、それならば何故前王を……、どうして人間なんかが……」


 カミラに拒否された魔族は、途端に青い顔となりぶつぶつと呟き項垂れる。

 それをカミラは、憐れみながら見下ろした。


「悲しいものね貴方達という存在は。……なまじ魔王への絶対服従がプログラムされているから。こんな不完全な私にでも反抗することが、憎み、恨み、怒る事すらできない」


「何故……、どうして……、我ら魔族は……、ああ、ああ、ディジーグリーは知っていたのか……」


「ディジーグリー……」


 やはり、とカミラは頷いた。

 原作では魔王復活を目論む黒幕ディジーグリー。

 学院長ディンに憑依して、善人のふりをしてセーラ達を誘導していた。

 カミラとしては、倒した所で死亡フラグが消えるわけではなかった為、すっかり失念していたのだった。


「成る程、いえ予想してしかるべきだったわね。――『命じる』私の事は話すな。ただしディジーグリーの事は聞かれたら話せ」


「――――くッ。わかった」


 先程とは違い、魔王権限を以てしっかりと命令する。

 続いて、カミラは慈愛の笑みを浮かべて言祝いだ。


「哀れなる者よ、操られし定めにある者よ。貴方の、今私の目の前にいる貴方にだけ、魔族の縛りから解放します。もう魔王に『服従しないでいい』わ、そして私を『恨んでいい』『怒っていい』『復讐を許します』だから、もし貴方が生きながらえたら――『自由に生きなさい』」


「…………は?」


 何を言われたかを即座には理解できず、ただ目をきょろきょろさせる魔族。

 カミラは用は終わったから、と立ち上がると。未だユリウスを囲み騒ぎ続ける兵達に声をかけた。


「はいはーーーーい! 注目っ! 注目っ! 撤収準備始めっ――――!」


 我に返ったクラウスと兵達は、直ちに魔族を護送する体勢を整え始めた。



(これは……予想外だったわね)


 カミラは少し冷や汗をかく。

 魔族を護送している馬車とは別に、カミラはユリウスと共にパパ様、もといクラウスと別の馬車に搭乗。

 しかし、何だろう、これ。


「いやぁ……流石、あの方のご子息だ。最後の一撃は私も見させて貰いましたが、見事な一撃でしたぞ! はっはっはっ!」


「えっと、あの。(カミラの)お、お父上?」


「誰が貴様のお義父さんじゃあああああああい! あの方の息子であっても、愛しいカミラちゃんは渡さんぞおおおおおおおおおおおおおっ!」


(褒めるか怒るかどちらかにしてください、パパ様――――!?)


 迂闊に口を出すと飛び火しかねない為、カミラは扇を開いて顔半分を隠している。

 この女、好きな相手を見捨てたぞおい。


(ユリウス様――、私は貴方ならパパ様をなんとかしてくれるって信じてる!)


 ばちこーん、とユリウスへウインクを投げるカミラ。

 だが、それを目聡く見つけたクラウスが、コワモテ顔で、ユリウスにプレッシャーをかける。


「ほうほう……、目と目で通じ合うか……ほーん。ウチのカミラちゃんと将来を約束した恋仲だと言っていたが、そういうのは、まだ早いんじゃないかなぁ…………」


「く、クラウス様は私とカミラの仲にご反対で?」


「――ふむ、よくぞ聞いた」


 先ほど魔族と戦った時より、重苦しい重圧。

 ユリウスは、言葉を選び選び、なるべく穏当に話しを運ぼうとしていた。

 残念ながら、無駄な努力だったが。


「カミラちゃんはな……、私達には過ぎた子なのだ。没落寸前の子爵だった家を持ち直したどころか、様々な発明品や芸術品、更には画期的な農法で領地のみならず王国の経済まで潤し、魔法の才すら王国一ときたものだ……使用人は言うまでもなく領民にも慕われ、学院にも数多くの友がいるという……、その上、毎年手作りの誕生日プレゼントを欠かさない、そんな出来た娘を! 愛する娘を、馬の骨じゃなくとも、お嫁に出すなんて……! くうううううううううぅっ!」


 一気にまくし立て、挙げ句に涙を流しながら悔しがるクラウスに、ユリウスは「あ、はい」と言うしかない。

 一方カミラは、感動で涙を流していた。


「パパ様、その様に思って頂けていたなんて……! 愛してますわパパ様~~~~!」


「おお、カミラ~~~~!」


 ガシッと堅く抱き合う父娘。

 急展開に、最早ユリウスは置いてけぼりだ。


(この子にしてこの親あり……か。今日はセレンディア一族に振り回される日なのか……?)


「パパ様!」


「カミラ!」


 このまま麗しい。麗しい? 親子愛の光景のまま城まで着いてくれれば、とユリウスは思ったが。

 そうは問屋が卸さない、カミラはカミラだからカミラなのだ。


「……私を愛するパパ様」


「何だい? 私の愛する娘よ」



「――ユリウスとの仲を、認めてくれませ「却下」



「……」


「……」



「――ユリウスとの仲を、認め「却下」



「――ユ「却下」



「せめて最後まで言わせてくれませんかパパ様!?」


「天丼は嫌われるぞ娘よ!」


 一歩も引かないと、ふんすっ、と鼻息荒いクラウスにカミラは問いかける。


「せめて理由を教えてはくださいませんか? ――嫁にやりたくない以外で」


「そんなの決まっておるっ! あんな如何わしい場所に行った挙げ句、カミラちゃんに迫られて逃げ出そうとする男など言語道断! カミラちゃんの誘いを断るなど…………ふんっ! 無論、手を出していたらその場で直々に殺しに行っていたがな!」


「私にどうしろというのだ貴方は!?」



「――――というか、見ていたのですかパパ様?」



「あ、ぐっ……それは……」


 氷点下まで下がった娘の視線に、クラウスは狼狽えた。


(成る程、セレンディア家は女性のほうが力関係が上なのだな)


 ユリウスがややズレた感想を抱く中、カミラの凍てつく微笑みに屈したクラウスが自白を始める。


「いや、後を付けて覗き見ていたのは謝るがな……」


「ほう、後を付けていた、と?」


「ぐうっ……、ううっ、すまぬ。だが聖女装束を奪った魔族を釣り出す為の囮をする、という事ではないかカミラがいくら強くても、その、心配だろう?」


「それならば、部下にやらせればいいではないですか。何故パパ様が直接出張ってきてるのです……。うちの執事や騎士団の者を何名か連れてきているのでしょう? 王との約束ですし、城の兵士を手配してもよかったのでは?」


(昨日は随分と陛下と共にはしゃいでいると思ったが、真逆、あんな馬鹿な話の裏で、そんな約束していたとは……)


「せめて、せめて一言でいいから言っておいてくれカミラ……」


 ユリウスは眉間を押さえてため息を一つ。

 カミラはその言葉をニッコリと笑って封殺する。


「ふふっ、嫌だわユリウス様。デートという名目は本当でしたのよ。それに――――敵を騙すには先ず味方からと申しましょう?」


「そう言う事にしておいてやる。…………クラウス様? そんな同情した様な顔で肩を叩かないでいただきたい!?」


「そうか…………恋人といえど、苦労しているのだな…………」


「クラウス様!?」


「パパ様、これも愛情ですわ。――そしてユリウス様、騙していた事は謝罪いたしますわ。ごめんなさい。でも王国筆頭魔法使いの座にいる者としては、陛下のご命令には逆らえませんでしたので」


 絶対嘘だ、と言う言葉をユリウスは賢明にも飲み込んだ。

 表向きは臣下の関係ではあるが、その裏でカミラとジッド王は対等な協力関係だ。

 カミラは魔王であるが、現在、魔族は統治していない。するつもりもない。


 これはジッド王にも通達している事である。

 なお、カミラが魔王の事を両親に何も言っていない事実を、どう受け取るかは難しい所。


 故に魔族の犯行は関知していないとはいえ、動かないのは余りにも無責任。

 今回のデートにかこつけ、あわよくば実行犯を捕まえるつもりだったが、代わりに有力な情報源が手に入ったので良しとする所である。


「おお、そうだユリウス殿。一つ、話しがあるのだ」


「話し、ですかクラウス様」


 義理は果たしたわね、とカミラが考える側で、クラウが世間話という口振りで話しをふる。

 目が笑ってないあたり、良い話しでは無いのは確かだ。


「私達が魔法体育祭を観戦する為に、王都に来ているのは話しているね」


「ええ、覚えています」


 口元だけを歪ませ、クラウスは笑った。



「――トーナメント、出ることにしたから」



「……は?」


「へぇ、トーナメントに出るんですねパパ様…………うん?」


 トーナメントとは魔法体育祭の最終種目、学生による一般種目が終わった後、次の日に行われる学院最強決定戦(飛び入り参加自由)である。


「確かにOBの方が観戦のついでに参加して行きますが、クラウス様も?」


「ああ、今年はタッグバトルだろう? セシリーと共に参加する予定だ」


「――はぁっ!? ママ様もですか!?」


 狭い馬車内で、思わずカミラが叫んだ。


「うむ、セシリーも学院の卒業生である事は知っているなカミラ。何を隠そう私達の出会いもトーナメントでな……」


 何だか長い惚気話になりそうなので、カミラは単刀直入に疑問を突きつける。


「その話しは後でも出来ますわパパ様。――何故トーナメント参加をユリウス様に話されたのです?」


 特に関係無いでしょう? とカミラは続け、ユリウスも頷いた。

 だがクラウスは、ユリウスに向けてギロリと目を光らせる。


「先に言っておこう。この話は陛下とゼロス殿下の許可を得てある」



「――――勝負だ、婿どの」



「貴様と『ユリウス』としてカミラと組んで出場し、見事我ら夫婦に打ち勝ってみせよ。……それがカミラとの仲を許す条件だ」


 ゴゴゴゴ、と威圧感を出すクラウスに、カミラとユリウスは動揺しながら、瞬時に目と目で会話した。


(どういう事だ性悪魔女ッ!?)


(違います誤解です、私だって知らなかったんです!)


(…………一応、今の俺達は恋人設定だ。――この貸し、高くつくぞ)


(ええ、倍にして返してあげますから、後生ですのでマジお願いします)


 ――この間、コンマ一秒である。


「解りました。それで許して貰えるなら、私は『ユリシーヌ』ではなく『ユリウス』として出場し、カミラと共に見事、勝利してみせましょう」


「無論、ハンデはあげますわパパ様。私は攻撃魔法は使いません。――だってユリウス様はお強いですから」


「――カミラッ!? 何故不利になる様な事を!? 驕りすぎだッ!」


「そうだぞ我が娘よ、国一番のお前程ではないが、我らも結構やるものだぞ、遠慮はいらん」


「ふふっ、驕りでも遠慮でもありませんわ。強いて言うなら、娘としての“矜持”ですわね」


 涼しい顔で言うカミラ。

 なお勿論の事、矜持などではない。

 ただ単に、まだ魔王の魔力を持て余しているだけなのだ。


(うっかり攻撃魔法を使ったら、王都を更地にしてしまいそう、だなんて言えませんしね……)


「……何か策があるんだな。信用しているぞカミラ」


「成る程、そう宣言する事ですら、もう策の内という事だな我が娘よ。……うう、成長したな!」


「うふふふふっ、ご自由にお取りくださいな(これで学院でもユリウスと正々堂々いられるやったー、パパ様大好き! 王様グッジョーブ!)」


 禄でもない勘違いを生みながら、馬車は城へと到着したのであった。




 かぽーん、と音がしそうな大浴場。

 本当に中世ヨーロッパ風なのか? 古代ローマか現代日本じゃねぇの、とツッコミが入りそうな大浴場にて。

 カミラとアメリは汗を流していた。


 なお、大浴場(温水シャワー・サウナ・ジャグジー・露天付き)は言うまでもなくカミラが現代知識と職人を活用して作ったものだ。


「ふふっ、やっぱり一日の終わりはお風呂よね」


「いやー、流石はカミラ様ですよね。わたしもお風呂と言えば、泡だらけの一人用だったのが、カミラ様がこんなの作ったお陰で、もう広くて暖かいお風呂以外は入りたくないですもの。ウチの両親だって、豪華なお風呂つくっちゃいましたし。最近では貴族だけでなく、一般庶民にも流行っているようですよ大浴場」


「お風呂は正義だと言う事よ……」


 カミラは湯船に肩まで浸かりながら、正面にいるアメリの胸を注視する。


(やはり、大きいわね……)


 カミラとて、水準以上はあると自負していた。

 しかし、目の前のアメリのそれは、大きいと噂されるヴァネッサ以上は確実。

 学院での隠し撮りブロマイド、男性売り上げナンバーワンは伊達ではない。

 何度も言うまでもないが、この元締めもカミラである。

 ――やっぱ黒幕じゃねぇかこの女。


(浮くのは知っていたけど、本当に大きい人のは、たぷんって浮くのねぇ……)


「……そーれ、それ、そーれ」


「カミラ様? 波なんか立てて何しているんです?」


「ある種の目の保養、というやつね」


「はぁ。わたしの胸が波で揺れるのに癒されるのなら、いくらでもしていいですが?」


 女に女が欲情するはずが無い、と信じているアメリにつけ込んで、カミラは波を起こしながら徐々に近づき、男子生徒垂涎のいかがわしい寸前を楽しんでいた。


 一応、弁明しておくと。

 カミラにも同性愛の趣味はない、が、自分に無いものは羨ましいし、何よりおっぱいは母性の塊である。


「あー、癒されるわぁ。…………ねぇ、触っちゃ駄目?」


「駄目です。そこまで許したら、カミラ様絶対暴走するでしょう? わたしは信じてますもの――カミラ様は楽しければ同性でもイケル口だって」


「ちょっとそれ酷くない!?」


 アメリの嫌な信頼に、アメリはガビビーン、とその場で沈み、口を湯船につけてぶくぶくとやり始めた。

 言い返せない自分に、ちょっと嫌悪である。


「髪、濡れちゃいますから。止めてくださいカミラ様。貴女の髪はわたしが乾かすんですからね」


「ぶくぶくぶくぶく」


「あー、もう。馬鹿なことしてないで、背中流しますから一旦上がりましょうカミラ様」


「ぶくぶくぶく、はーい」


 カミラは胸同様に大きい、アメリの桃尻を見ながら湯船から上がる。


(これで腰はきゅっとしてるし、服を着れば着やせするし、原作キャラ様は狡いわねぇ……)


 カミラとて、出るところは出て括れるところは括れている、良い感じのアレではあるが、それは努力の賜物だ。

 アメリの様な、特に何もしていない者とは違い、基本的なポテンシャルが違うのだ――モブとして。


 ワシャワシャとスポンジを泡立たせているアメリの前、シャワーの前の椅子にカミラは座る。


「カミラ様いききますよー」


「~~っ! ひゃん! くすぐったいわよアメリ」


「我慢してください、カミラ様は相変わらず背中が敏感ですねぇ……ごしごし、あ、そうだ。報告があったんでした」


「あ、いいわ。そこそこ……、で報告とは?」


 時折接触するアメリの、大きく柔らかな胸の感触に。

 ユリウスもこうすれば、堕ちてくれる? いやそれはだめだったじゃない、とぼんやり考えながら話を聞く。


「もー、ちゃんと聞いてくださいよカミラ様。カミラ様の派閥とヴァネッサ様の派閥だけじゃなく、全生徒に根回しはして起きました。これで魔法体育祭の間も、ユリシーヌ様がユリウス様として活動出来る様になりました」


「ご苦労様。感謝しているわ。…………ああ、いいわ……、所で何て説明を?」


「よいしょっと。前失礼しますね、……割とそのままですよ。カミラ様の縁談問題に立ち上がったユリシーヌ様が、男装して恋人のふりをする、と言う事になってます。みんな、好意的に協力を申し出てくれました」


「……それって、好意的と言うより面白がって、じゃないかしら?」


 詳しく描写するとアカン事になるが、きっと謎の光とか湯気で隠されて、もっと卑猥じゃね?

 みたいな状態で洗われながら、カミラはボヤく。

 詳しい描写をお届け出来ないのが残念無念である。

 続きを知りたければ、わっふるわっふると――。


 ともあれカミラの言葉に苦笑しながら、アメリはフォローした。


「ま、まぁ……なんだかんだ言って、学院は閉鎖環境的な所がありますし、みんな娯楽に飢えているんですよ」


「……。それで、納得しておきましょう」


 はぁ、と小さく漏らしたため息を、アメリは聞き逃さなかった。


「……ふむ、……ふむ。……ていっ」


「ふあっ! ああぁっ! あん! な、いきなり何するのよアメリ!」


「カミラ様、少し肌が荒れてますよ、それに肩とかお尻とかも、少し張ってます。もしかしてお疲れですか?」


 アメリの問いに、カミラは考え込んだ。

 思い当たる節は結構ある。


「ええ、まぁ。今日一日色々あって疲れているのかもしれません。それに……、いえ、何でもないわ」


 言いよどんだカミラを、アメリは優しく包容した。


「よろしければ、お話くださいカミラ様。わたしに解決出来ない事だったとしても、話すだけで楽になるでしょうから」


「アメリ……」


 カミラは感激して、アメリを抱きしめ返した。

 広い浴場の中で、裸の美少女が抱き合う。

 はて、ジャンルを間違えただろうか?


「そうね……、話すだけなら」


「ええ、それで、少しでもカミラ様が楽になるなら……」


 アメリの体温を心地よく思いながら、カミラはぽつりと吐露した。


「少し、ほんの少しだけ迷ったのよ。ユリウス様が自由で居られるように動いて、それはきっと成されるわ。――でも、私の心は、伝わっているのかしらって」


 今にも消え入りそうな言葉に、抱えた体の小ささに、その震える肩に。

 アメリは思い違いをしていた事を知った。


(ああ、この方は――)


 いつも見ている背中は、大きく揺るがず、自信満々に進む姿。

 けれど。


(カミラ様も、わたしと同じ、ううん。皆と同じ、ただの恋する乙女なんだ)


 いてもたっても居られなくなったアメリは、カミラをギューっと抱きしめる。

 自らも泡だらけになるが、そんな事はどうだっていいのだ!


「カミラ様~~~~っ! カ~ミ~ラ~さ~ま~~っ!」


「あ、アメリ!? 苦しっ! おっぱ大きっ! 息出来なっ…………!?」


「任せてくださいカミラ様っ! このアメリに良い案がありますっ! 必ずやっ、必ずや! お役に立ってみせま――――きゃうんっ!」


「――――ぷはっ! 気持ちは嬉しいけど、窒息死するわよこのお馬鹿っ! このっ! この~~っ!」


 カミラはアメリの気持ちに感激していたが、そこはそれ、おっぱいで窒息死寸前の状態は無視できるものでは無い。

 そこに照れ隠しが重なって、カミラの反撃が始まった――――!


「あうっ! ひゃん! も、申し訳っ! な、何するんですかカミラ様~~!」


「うふふふふふふふ、アメリもおっぱい大きくて肩がこっているでしょう? だから日頃の感謝も込めて揉みほぐしてあげようと思って」


 泡だらけの手をワキワキさせるカミラに、アメリは叫ぶ。


「光栄ですけど、それって絶対なんかイヤらしい感じのアレですよね!?」


「大丈夫よ、安心して力を抜いてね……、これはユリウス様を癒す為に、高級娼婦を呼んで学んだ技だけど、きっと女の貴女にも効果がある筈だから」


「それ確実にアウトなヤツじゃないですかイヤだ――――!」


「あっ! 逃がさないわよアメリっ!」


「ひーん、お助け~~!」


 結局、新たなる扉を開きかけた二人は、ヴァネッサと取り巻き三人の乱入で、正気を取り戻……してはなく。

 何故かヴァネッサの為に同じ技を学んでいた三人組と、お届けできないキャットバトルに発展。

 寮母が怒鳴り込んでくるまで、お届けできない狂瀾は続いたのだった。




 魔法体育祭、その朝。

 寄宿舎の食堂は、いつになく賑わっていた。


「当日ともなると、皆この時間にいるもんですねぇ……いつもは結構バラバラで、誰か一人いればいいものなのに」


「まあ、普段は派閥のみの食事が暗黙の了解となっていますからね。こういう時ならではの光景でしょう」


 カミラと空いている席を二人分確保し、アメリは朝食を取りに行く。

 貴族といえど、ここでは学び舎の生徒。

 無用な甘やかしはせず、自分で取りに行くのがルールだ。

 カミラはアメリに甘やかされているので、取りに行った事はないのだが。


「……あら、ユリシーヌ様も今からお食事なのね。アメリ、誘っておいてくれないかしら」


 ユリシーヌに挨拶するアメリを見ながら、カミラは待てをされた子犬の様にそわそわしながら待った。


 そして一方、ユリシーヌを見つけたアメリは、昨日の言の通り、カミラの為に一つの話を打ち明けようとしていた。


「おはようございますっ! ユリシーヌ様っ!」


「ええ、おはようございますアメリ様。今日も元気ですね」


「へへ~。それがわたしの取り柄ですからっ!」


 びしっと敬礼するアメリを、微笑ましい目で見ながらユリシーヌは共に朝食を受け取る列へと並ぶ。


「そうだっ! ユリシーヌ様、わたし達と一緒に食べませんか?」


「ああ、偶にはそれもいいですね」


「なら決まりですね。あ、そうそう。ユリシーヌ様に耳寄りな話を持ってきたんですよ」


「あら、何です? そんな悪い笑みを浮かべて……」


 悪戯そうな笑みを浮かべ、アメリはユリシーヌに顔を近づける。


「お耳を拝借――、実はですねぇ。カミラ様ってば男の方に迫られた経験ないんですよ。だからユリシーヌ様から迫ればもしかすると……」


「――へぇ、それは良いことを聞きました」


 この情報が真実か否か、そもそもカミラの仕掛けではないか、諸々と疑惑が浮かぶ。

 が、しかし――。


(その可能性は薄いと判断するか、……あの性悪魔女もアメリ嬢に対してはどこか神聖なものとして扱っているしな)


 以前カミラに対して調査を行った所、カミラ自身は調査不能な所が多々あったが、その腹心、右腕とも言えるアメリは綺麗なモノだった。

 汚職のおの字どころか、末端の不始末でさえ関わらせない有様。

 よほど大切にされているのだろう。


 そんなアメリが、カミラの弱みを言う意味とは。

 

(――表裏のない彼女の言う事だ。考えるより直接聞いた方が早いか)


 ユリシーヌは自分の分の朝食を受け取った後、アメリもそうするのを待った。


「それで、私にそんな事を聞かせて何が目的なのアメリ様」


「あちゃー、やっぱり解りますか……、あ、そのコーヒー二人分取ってください」


「はいどうぞ、カミラ様は朝はコーヒー派なのですね」


「ありがとうございます。――それですよユリシーヌ様」


「それ?」


 ユリシーヌは辺りを見渡した。

 しかし、アメリの言う“それ”は何処にも見つけられない。


「違いますよ、そうじゃありません。――さっきユリシーヌはカミラ様はコーヒー派だと知りましたよね。“それ”なんですよ」


 ユリシーヌは思案した。

 コーヒー派だという情報は初めて知った。

 だがこの場合コーヒー派そのものに意味はないだろう。

 つまり。


「……カミラ様を、知る?」


 アメリは微笑んだ。


「ええ、わたしはカミラ様がユリシーヌ様に、思いを告げられた事を知っています。そして、カミラ様が不気味なくらいにユリシーヌ様の事をご存じな事も」


「そうね。それに彼女は意味不明な事ばかり言うわ」


 苦笑するユリシーヌに、アメリはウインクした。


「だから“それ”なんです。カミラ様ばっかりユリシーヌ様の事を知っていて、その逆は全然です。それって恋愛としては不平等だと思いませんか?」


「恋愛は兎も角、人間関係という点においてはその通りかもしれません」


 成る程、とユリシーヌは頷いた。

 そう言えばデートの折り“何れ知る”と思ったばかりである。


「だから、知ってください。わたしの敬愛する素敵なカミラ様の事を、たまに意地悪なカミラ様の事を。――――さ、席に行きましょう。あははっ、カミラ様ったら焦れて、今にもこっちに来そうですよ」


「しようのない方。こんな可愛らしい忠臣がいると言うのに……」


「口説き文句は、カミラ様にお願いしますね」


「……違います」


 ぷくーっと頬を膨らませ始めたカミラに、慌てて朝食を持って行くアメリに、ユリシーヌも続いた。



 今日の朝食はスクランブルエッグにソーセージが二本。

 それに焼きたてのクロワッサン。

 デザートには季節の果実入りのヨーグルトである。

 女子の分量で渡される為、本当は男であるユリシーヌとしては足り苦しいのが、毎朝の悩みであった。


「そういえば、足りるんですか?」


 公衆の面前であるが故に、言葉を選んで問いかけるアメリに、ユリシーヌは苦笑して答える。


「実の所は足りませんわ。だからいつも東屋の所で多めにお茶菓子を食べているのです」


「へぇ~。苦労なさっているんですねぇ。あ、そうだっ! これからはカミラ様と一緒に差し入れに行きますよ」

 

 ね、ね。と同意を求めるアメリに、カミラは先程からふくれっ面のままだ。

 それを維持したまま食べているのも、こう、なんていうのだろうか。


(……何だこの気持ち。好ましい、とは少し違う気がする?)


 ユリシーヌが思い悩む隣で、仲の良い主従は微笑ましい茶番を繰り広げていた。


「ふんだ、アメリなんか知らないわ」


「もー。機嫌なおしてくださいよカミラ様、はい、ソーセージです。あーん」


「あーん。もぐもぐ、あら美味しい。外はパリっと、中はジューシー。どこ産かしらこれ?」


「たしかヴァネッサ様の所の特産品だった筈ですよ。次はクロワッサンです、あーん」


「あーん。もぐもぐ。やっぱりパンは出来立てに限るわね。でも許さないわよ、この私を差し置いてユリシーヌ様といちゃいちゃと……」


「もー。だから朝の挨拶をしてただけじゃないですかぁ。それよりユリシーヌ様を誘ったわたしを誉めてくれてもいいんですよ?」


「それは良くやったわ。5カミラポイントを贈呈しましょう。それより次はヨーグルトを頂戴」


「わーいやったー。ってカミラポイントって何ですか初耳ですよ。はいヨーグルトですあーん」


「あーん。あむあむ。流石我が領地で作った柘榴ね、ヨーグルトにも良く合うわ」


「カミラ様の発明した新しい肥料で、味も抜群によくなりましたし、収穫高も倍増ですものね。よっ! 流石カミラ様っ!」


「ふふふっ、そうでしょうそうでしょう! もっと誉めてもいいのよ? …………所でお話って何ですのユリシーヌ様」


「ああ、二人の世界に入ってしまったので、忘れ去られてしまったかと思いましたわ」


 コーヒーにミルクを入れてかき混ぜながら、ユリシーヌはため息をついた。


「えへへ~、いやぁ、カミラ様ってばわたしがいないと駄目駄目なんで、すみません」


「もうっ、何照れてるのよ馬鹿アメリ」


「駄目駄目と言う所は否定なさらないんですねカミラ様……」


「自分の事は、自分が一番解ってますわユリシーヌ様。事実、アメリがいないと私は駄目ですもの。――勿論言うまでも無く、貴女がいなくても駄目なのですよ」


「お気持ちは嬉しいですがカミラ様、スプーンを加えながら言わないで頂けますか? ええ、それに――」


 続けて淑女としての不作法を注意しようとしたユリシーヌであったが、言葉を止める。


「それに、何ですユリシーヌ様?」


「ああ、いえ……そう言えば、この様な貴女の姿は初めてだな、と」


「…………ユリシーヌ様が、ついにデレだ!?」


「違いますから席に座って、座れくださいカミラ様」


(おや、これは……)


 さっきの助言がさっそく生きた、と喜ぶアメリ。

 ならば陳腐だけれどもこの手ならばと、勢いよく挙手をする。


「はいっ! はーいっ! カミラ様っ! ユリシーヌ様っ! 僭越ながらわたしから提案がありまーすっ!」


「へぇ、言ってみなさいアメリ」


「聞いてから判断します。さ、何ですか?」



「それはですねぇ……、ななな、なーんとっ! お二人で勝負をしたらどうでしょうっ! ちょうど組み分けも違いますし、優勝したチームの方が負けた方に、望む言葉を囁いてもらって、あんま~~いキスをして貰うってのはどうでしょうっ!」


「乗ったわっ!」


 ノータイムで同意したカミラと違い、ユリシーヌは少し考えた。


 アメリの提案は、おそらく先程の“知る”事に起因しているのだろう。

 そしてキスと言っているが、場所を指定していない。

 相手が望む言葉とやらも、言うだけならただだし、第一勝てばいいのだ。


「――――ええ、受けましょう」


「やった! 流石ユリシーヌ様っ! 話が解るぅ~~っ!」


「ふふふ、これは私の風が吹いているわねっ!」


 ユリシーヌには負けても痛手が何ら無い、カミラにとっては絶対に負けられない勝負が始まった――――!



 食事が終わり、ユリシーヌと別れた後。

 カミラはアメリに、一つ指示を下していた。

 折角のアメリの好意だったが、カミラとしては譲れない所があったのだ。

 勝負の結果がどうであれ、それをユリウスに見せつけるのは丁度いい。


「…………本当にするんですかぁ? カミラ様」


「ええ。私達の勝負を全生徒に広めて頂戴。殿下とヴァネッサ様、その下の三人組達は本当の事を。それ以外には、勝ったら相手チームに何でも一つだけ命令できる、とでもしておいて」


「うう、また何か企んでいるんですね……」


「大丈夫よ。きっと、楽しい魔法体育祭になるわ」


 うふふと怪しげに笑うカミラに、アメリは盛大なため息を吐き出した。




 現在校庭にて、カミラは自チームである紅組の生徒達前で演説をしていた。

 

 魔法体育祭は現代日本の多くの学校でそうである様に、紅白に別れて競い合う。

 いやホント、中世ファンタジーどこいったよ。


 カミラの陣営にいる親しい者はアメリ一人。

 これは、カミラと言うバランスブレイカーを考慮した高度な政治的判断である。

 ――判断である!


「――今日は魔法体育祭です」


「皆様は今、様々な噂を聞いていると思います。――正解です。……また、ご両親や想い人に良い所を見せようと奮起している者も多くいると存じ上げております」


「その上で、言わせてもらいましょう――――」




「――――温い」




 カミラの言葉を静かに傾聴していた生徒達が、ざわめきだす。

 何が言いたいのだ、何を言い出すのだ。

 不安と期待が入り交じる中、カミラは魔力を全身から燃え上がらせながら言い放つ。

 誰が見ても魔王、贔屓目に見ても覇王である。



「――貴方達が見せるのは、日頃の成長でも、成果でもありません」



「しかしそれは、努力をするな、という事ではありません」



「我らの相手は、ゼロス殿下とヴァネッサ様、その懐刀の三人組、そしてなにより――――ユリシーヌ様がいらっしゃいます。

 ――――白組、まこと手強い相手です、彼ら相手なら、貴方達も負けても仕方ないと思われるでしょう……でも」


 紅組生徒の顔が、戦力格差を突きつけられて挫けそうになる。

 カミラは、放出している魔力を紅組全体を包み込むように操作した。




「――――勝利を」




 慈母の微笑みに、冷酷なる支配者の眼差しで。


 勇者を応援する乙女の様に、反逆の牙を剥く獣の如く。


 カミラは自身の感情を魔力に乗せて伝え、鼓舞し扇動する――――!

 人はそれを洗脳と言う――!



「……敗北は許しません」



「どんな手を使ってもいい、負けなければ、何をしてもいい」



 紅組生徒達の目が、獣のそれとなる。



「――力の足りぬ者は、力ある者の頭脳と成れるよう」



 魔力に自身のある者が、カミラの魔力に混ざるように、魔力を放出する。



「――力ある者は、力の足りぬ者の矛と成れるよう」



 身体能力に自身のある者が、だん、だんと足踏みで威嚇を始める。

 


「私は、皆の盾となり旗となり、剣となりましょう」



 そして、一際大きい怒号が上がった。

 戦力差がどうした、負けてなるものか。

 勝利の先には、約束のご褒美が待っている!




「――――我らに、勝利と栄光あれ!」




 学院どころか王都全体に響きわたる喊声が響きわたった。

 なお、白組はその光景にどん引きしていた。

 


 白組どころか、教職員と観戦にきた父母達全員をどん引きさせた後。

 カミラは悠々と紅組の席に戻り、アメリと歓談していた。


「いやー、カミラ様。少々やりすぎたんじゃないでしょうか」


「ふふっ、いいのよ。だって冷静に考えてみなさい」


「確かに、良くも悪くもカミラ様が突出している

せいで、こっちの戦力配分が不利になっているとはいえ、ちょっと士気が上がりすぎなんじゃ……」


「アメリ、これはユリシーヌ様との大切な勝負が懸かったものなの。手を抜くなんてありえない。これでも未だ不足なくらいよ」


 アメリは周囲を見渡した。

 成績で言うとやや下の方にいる紅組生徒達は、俄然張り切って準備運動を始めている。

 中には、勝利の為に裏工作までし始めている者もいるくらいだ。


「……これが?」


「アメリは……そうね、チェスは知っていて?」


「まぁ、駒の種類くらいは」


「チェスで例えると、白組はキングとクイーン、ルークとビショップナイトがわんさか居て。対してこちらは私というキングと残りはポーンのみ。アメリはルーク足り得るかもしれないけれど、残念ながらクイーンには足りないわ」


「つまりどう足掻いても、勝利は無理だと?」


「普通ならね」


 カミラの腹黒い笑みに、アメリはうへぇと漏らした。


「何いっているんですか。只でさえカミラ様お一人で白組の戦力の数倍はあるのに、こちらのポーンを、一回取られても無効、みたいな強化してどうするんですか……」


「ふふふっ、獅子は兎を狩るのにも全力を尽くすものよっ!」


「ああ、ユリシーヌ様お可愛そうに…………、その上明日は男としてタッグバトル。ああ、ご愁傷様です」


 白組の方を向いて敬礼するアメリに、カミラはデコピンした。


「マイナス5カミラポイント」


「あだっ! ……それまだ続いてんですか?」


「ええ、面白そうだから暫く続けるわ。――ああ、そろそろ時間じゃない? 貴女確か実況を任されたわね、行ってらっしゃいな。此方は大丈夫だから、タイタニックに乗った気でいらっしゃいな」


「タイタニックが何か知りませんが、とんだ泥船ぽいですよカミラ様!?」


 やりすぎない様にと釘を差すアメリを見送って、カミラも準備を始めた。


 最初にカミラが出る種目は――綱引きだ。


 綱引き。

 普通ならば、大縄を引っ張りあって勝ち負けを付け競技。

 しかし、この魔法体育祭では少々ルールが違っていた。


 魔法使用可、『直接』妨害可。

 使用される大縄は、魔法を受け付けない特別製。

 反則は、精神感応系の魔法の使用と、大怪我をもたらす行為、のみ。


 つまり――。



「実質的に、――何をしてもいいと言うことよっ!」



「カミラ様っ! 競技に参加する者全員に、対魔法ゼッケンと筋力強化薬の配布、完了しました!」


「ヌルヌルの特殊な水を出す魔法の呪文部隊、振り分け完了しています!」


「妨害防衛部隊は、全員軽量化のかかったフルプレートへの装備、終わりました!」


「応援団を買収し、イケメンの裸体と、際どい衣装のチアチームを準備、相手の気を逸らす様に配置完了しました! お役立てください!」


 次々と入る勝利の布石に、カミラは獰猛に笑って拳を振り上げた。



「我らに、勝利を――――っ!」



「「「「「「我らに、勝利を――――!」」」」」」



 紅組の、否、カミラの大人げない蹂躙劇が始まろうとしていた――――!




 それは、異様な光景だった。

 方や、ファンタジーに似つかわしくない体操着にゼッケン。

 対するは、重装備にゼッケンのファンタジー? な集団。


「さあっ! 始まりますは第一種目、綱引き! 司会はわたしっ、カミラ様の忠実なる第一の配下!アメリ・アキシアと!」


「……エミール・イローネン。よろ……しく……」


 アメリは兎も角、何故口が美味くないエミールが起用されたのか。

 全生徒の心が一致したのだが、それはあれ。

 婚約者のフランチェスカの、浮気に対するペナルティだ。

 彼女のはすはすしている姿を見て、事情を知る者はエミールに同情の視線を向け、知らない者も同情を視線を向ける。

 この学院は禄な女がいない。


「カミラ様見てますか聞いてますかーー! ばっちり応援するので、ご活躍を期待しておりますっ!」


「……公、私。混同は……よくない……」


「あははっ! めんごめんご。じゃあルールの説明しますよー!」


「見ての……通り、巨大な……縄を、引っ張る……」


「魔法使用は許可、妨害ありの何でもあり。制限時間内に真ん中の布を自陣に引き寄せた方が勝ち」


「命や、精神に……、関わる、危険行為、は……禁止」


「勿論、目印の布に直接、間接的に何かするのはダメですよー!」


 元気な声と、静かな声が交互の響く中。

 紅組と白組は、火花を散らしあう。

 正確に言えば、紅組が一方的に睨みつけ。

 白組は開始前なのに萎縮しきっている。

 然もあらん。


「で、どうですか。どっちが勝つと思いますかエミール様?」


「それは……、愚問、かと。アメリ嬢……」


「お、強気な発言ですねー。やはり、ご自分の白組が有利と?」


「本気……で、言ってます? 紅組は……、遣りすぎ……」


 エミールが何時も異常にどんよりした視線を向けた先には、待ちきれずに足を踏みならす紅組の生徒の姿が。

 その先頭には、仁王立ちしたカミラが怖いほど綺麗な微笑みを浮かべている。


「おいおいおい、あいつらガチじゃねぇか……馬鹿なんじゃねえの?」


「んだな、こんな子供のお遊びにムキになっちゃって……」


「ちょっと男子ー! アンタら足も声も手すら震えてるじゃん! しっかりしなさいよ!」


「……いや無理だって、あいつ等俺達より成績下の集団って話だけど、あそこまでされたら無理だって……だいたい何で、女子達はそんなにやる気なの?」


 原作のカミラぐらいモブな白組生徒が会話する。

 男子の士気はだだ下がりだが、一部の女子は奮起している様だ。


「何でって、アンタら知らないの? この魔法体育祭、勝ったら好きな人に何でも一つだけ命令できるって話だよ!」


「は? 何それ初耳なんだけど!?」


「あー、それなら俺もちらっと聞いた。ユリシーヌ様からキスして貰えるって話だろ?」


「それでアイツ等マジなのか……。でも無理じゃね? 見てみろよ……、というか、どっから持ってきたんだあの鎧……」


「くそっ……。そういう事情なら、綱引きは棄てるしかないな。でも……」


「ああ……、次の種目は……」


 紅組と戦う前から敗北を確信している中、白組首脳部――ゼロス王子の一味は、わりと冷静に作戦会議をしていた。


「申し訳ありません殿下、ボクが居ながら情報戦でも後手に回ってしまいました。――もうちょっと早く気づけたら、装備くらいは隠せたのですが……」


「愛しい私のリーベイきゅん……、貴方の所為では無いわ。勝負を持ちかけられて一時間もしないのに、あそこまで本気で準備するとは……」


「きゅん、って付けないでエリカ……」


「いやん拗ねてるエミールも可愛いっ!」


 いちゃつくカップルは放って、ユリシーヌは話を進める。


「いいえ、罪というなら彼女に勝負を挑んだ私が悪いのです。ですが今は、次からの挽回を考えましょう」


「ああ、このままではカミラ嬢に、総てを蹂躙されかねないからな……」


「カミラ様、敵に回すとこんなに恐ろしいなんて……」


 いったい誰が予見しただろうか?

 たかが魔法体育祭で、軍の装備を持ち出すなどと。


「ハンデとして、成績が平均以下の生徒をカミラ様につけたのは失敗でしたね。やるなら、カミラ様一人を紅組とするべきでした」


「いやはやユリシーヌ嬢、敵に不足なしではないかっ! こうなるのなら俺も綱引きでるんだったなっ! はっはっはーっ!」


「はいはい、脳味噌まで筋肉詰まってるウィルソン様は黙ってましょうね」


 ぴしっと鞭でウィルソンを叩くグヴィーネと、それをはうん、と喜んでいるウィルソン。

 大切な配下が、アブノーマルな方向に行っている事実から目を背けながら、ゼロス王子はユリシーヌ達に案を求めた。


「この綱引きは捨てるとして、次の徒競走からどうする?」


「不幸中の幸いですが、カミラ様には出場制限がかかっています。そこを付けば何とかなるのでは?」


「確か、団体競技と個人競技は一つのみでしたわね?」


「はいヴァネッサ様。ボクの情報では個人競技は借り物競走のみだったと」


「ふむ……、ならば、その方向でいこう。はっはっは。何だ、意外といけそうではないか!?」


「おお、そうですな殿下! このウィルソン、カミラ様と戦えぬのは残念ですが、紅組を蹴散らしてみせましょうぞっ!」


「…………本当に、そう上手くいくのでしょうか」


 一抹の不安を捨てきれないユリシーヌは、ウインクを寄越すカミラに、ぷいっと横を向いて見せながら、白組生徒を武装する算段を整えていた。



「はいはーい! そこっ! まだ魔法は使っちゃダメですからねー!」


「白組……、せめて、死な、ないで……」


 様々な思惑がある中、競技開始のカウントダウンが始まる。



「では行きますよーー3!」



「……2」



「1っ!」

「始め……!」



 ドーンと魔法で作りだした花火が上がり、同時に両陣営は綱を強く持ち、引っ張り始める。



「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおっ!」」」」



 オーエス、オーエスという掛け声と共に、引っ張り合いが始まる。

 カミラはまだ仁王立ちのままだ。


「急げっ! ハンデでカミラ様が持つまでの三十秒で勝負をつけるぞっ!」


「させるなっ! 自力ではあちらの方が上だっ! 妨害隊前へっ!」


 カミラの参加までの三十秒、それは紅組も考慮済みだ。

 その為の筋力増加の魔法薬である。

 拮抗どころか、開始直後から大幅なリードを勝ち取っている本隊。

 それに負けじと、フルプレートに身を包んだ妨害隊がヌルヌル魔法を詠唱しながら突撃。

 ――だが当然、相手もむざむざ見過ごしたりはしない。


「なめるなよ! エミール様によっておまえ達の作戦はお見通しだっ! ――白組妨害隊っ! 雷撃準備! 相手は抗魔法の鎧だっ! 遠慮はいらねぇぶちかませっ――――!」


 ヌルヌル魔法が白組本隊に降りかかる。

 可愛い女生徒が体操服ごとヌルヌルになる光景に、客席どころか、紅組にも手を止めてしまうものが出たが、そこはご愛敬。

 次の瞬間、雷鳴が轟き紅組の防衛隊がバタバタと倒れ出す。

 幾ら強い装備に身を包んでも、元が弱いのだ仕方あるまい。


「どうだ見たかっ! ――――なんだとっ!?」


 三十秒終了刻一刻と迫る中、紅組防衛隊指揮官の男子が僅かな希望を確信した瞬間、その顔は驚愕に染まる。


「……かはっ! あびびびびび! ざ、残念だった、なぁ! あびびびびびびっ!」


「馬鹿なっ! 我々の防衛隊にもそのヌルヌルの魔法をっ! ――はっ、俺だけ無事なのは真逆!」


「へへっ、残念だったな隊長さんよ……、そうさ、アンタは焦るあまり、自分の部下の事を良く見なかったのさ……」


「くっ、そうか。俺をあえて濡らさなかった事で、感電の可能性から目を逸らさせたのかっ! ――中々やるな……、この前のテスト、順位を馬鹿にして悪かっ――――ぐわっ、時間差で俺もだとっ、くぅヌルヌルして滑って動けない!」


「へっ、リベンジは果たしたさ…………あびびびびび」


 一つのドラマが生まれている中、遂に三十秒が経過する――――!



「――――待たせたわね、皆」



 本隊はどちらも、文字通り泥沼の戦いだった。


 白組はつるつる滑らせ、戦力の大幅なダウン。


 紅組は、雷撃の巻き添えや、魔法薬の効果が切れ、副作用による筋力の大幅な低下で、やはり戦力ダウン。


 更には、ヌルヌル魔法で地面が異様に滑る泥沼化していた。


 ――そんな中、最終兵器カミラが舞台に上がる。


「ち、ちくしょうっ! ここまでか!」


「馬鹿! あきらめないでっ!」


「やってください姐さんっ!」


「カミラ様! 我らに栄光を!」


 味方からは声援を、敵からは畏怖を。

 カミラは心地よい気分に浸りながら、大縄を持つ。



「――これは、魔力のほんの1%よ」



 瞬間、カミラの魔力が大縄全体に伝わる。


「ひぃっ! ありえないっ! これは特性の大縄なんだろ!? 魔力を通さないんじゃなかったのか!?」


「くそっ、こうなったらヤツの手足も同然だっ! 皆しがみつけっ、全員の体重でならカミラ様とはいえ――――」


 動ける白組の者達が、全員縄に群がる。

 本来なら防衛隊が縄に触っては駄目なのだが、余りに絶望的な状況におののき、審判も止めようとしない。



「その考えは良いわ。――相手が私じゃなかったらね」



 カミラは余裕の笑みで、人差し指と親指のみで大縄を掴む。


「ま、まさか…………」


「健闘は称えましょう、貴方達は良く戦いました――――」


「そんな……、ありえない――」




「――――では、ね。……さようなら」




 腕の一振り。

 たったそれだけ、それだけで白組全員が引きずられる所か、紅組の陣地まで吹き飛ぶ。

 一瞬の静けさの後、紅組の歓声が轟く。

 そして観客がざわめき、参加していない白組生徒が恐慌に陥った。



「――――勝者、カミラ様!」



 校庭にアメリの声が響く。

 だが、そこは紅組なんじゃないか、と言う者は誰もいなかった。





「まずいな……」


「ええ、皆、心が折れてしまってます」


 ゼロス王子と、ユリシーヌが深刻そうに顔を付き合わせている。

 綱引きが終わった後の白組は、目も当てられない有様であった。


「力を使い切ったとか、服が酷く汚れた程度なら、幾らでも何とかなるが、あの状態では……」


「こちらも、カミラ様の脅威を下に見過ぎていました……あれは、天災です」


 競技に参加した生徒を見れば、濡れた体操着を乾かそうともせず、ぐったりと座り、うなだれているのが大半だ。

 ヴァネッサ以下、他のメンバーがケアに当たっているが、彼らが心を取り戻すのに、今しばらく時間がかかるだろう。


「あちらは勝利に沸き立っているから、大惨事になっていないものの、これが続けばワンサイドゲームで色々と問題が起こりかねない」


 ユリシーヌが紅組の陣営を見ると、勝利に喜んではいるが、浮き足立っていない。

 カミラがよく統率しているのだろう。


(だが、あの纏まり具合はそれだけではない。……演説で言っていた生徒達に出回っている“噂”とやらも気になる。……装備の面では既に手を打ってある。――後一つ、向こうの結束を緩める事が出来れば――――)


 恐らく、カミラへのカウンターとなれるのは、自分だけだろう。

 ユリシーヌはそう決意すると、ゼロス王子へ奏上する。


「…………ゼロス王子、私に一つ案があります」


「良い手でも思いついたか? 言ってみろ」


「では耳を」


 王子の耳に口を寄せると、ユリシーヌは逆転の一手を打ち明ける。


「――――しましょう。それでその間に――――」


「……なっ!? …………ふむ。真正面からでは無いのが残念だが、それにかけるしかあるまい。――ただし“あれ”の原因がお前の想像通りでないのならば、策は中止せよ」


「ええ、偽りを暴くなら兎も角、陥れる様な事はしたくありませんから」


「…………、影失格だぞユリシーヌ」


「殿下こそ、王を継ぐものとして冷酷さが足りないのではないでしょうか」


 お互いに笑いあい、ゼロスとユリシーヌは拳を合わせた。


「白組に勝利を」


「あの魔女めを打ち倒す栄光を」


 白組の反撃が、始まろうとしていた――――!



「――と、いう次第ですカミラ様。残念ながら肝心の策の内容までは、手に入りませんでした。申し訳ありません」


 所変わって、紅組陣営。

 カミラは白組の鉢巻きを手にした“紅組”の女生徒から報告を受けていた。


「ありがとう。確か貴女は一年のミリアだったわね。汚れ仕事をさせてすまないわ」


「――――、カミラ先輩! 私の事をご存じだったのですね……嬉しいです!」


 名前を呼ばれた女生徒は、飛び上がらんばかりに歓喜した。

 なお実際の所は、ゲームで名前だけ出ていたモブがいたから、偶々使っただけの模様。

 慕われているのに、この女は酷いものである。


「大切な後輩ですもの……、名前くらいわね」


「カミラ先輩……いえ、カミラお姉さま……」


 瞳をうるうるさせたミリアの姿に、カミラは十二分に自尊心を満たし、更なる尊敬を得ようと口を滑らす。


「白組が何を企んでいようが、私達はそれを打ち破る矛と盾を持っている。それに――大丈夫、私もついているわ」


 にっこりと微笑み、ミリアの頭を撫でるカミラ。

 実際の所は全くのノープラン。出たとこ勝負である。

 そんなカミラの頭の中も知らず、うっかり納得してしまったミリアは、絶対なる信頼をカミラへ。


「ええ、ええそうでした。カミラお姉さまのハンデという事で、私達平均以下の学生が集められましたが、そんな私達でもやりかた次第で互角に戦えるって、さっき証明して貰えましたもんね」


「そうよ、貴女達は決して落第生じゃない。やり方次第で上と互角に戦える。それで勝利に足りなければ私が背中を押して上げるわ。――さ、行きましょう。次の玉入れが待っているわ」


「はいっ! カミラお姉さま!」


 アメリがいたら絶対阻止しそうな、百合の花を咲かせながら、カミラはミリアを引き連れ校庭へと向かった。



(不味いわね……、これはもしかすると、もしかするかもしれないわ)


 玉入れのスタート前。

 カミラの前には、臆することなく静かな戦意を燃やす白組の生徒達。

 不味いと感じている割には、カミラの表情は楽しげだ。

 否、本当に楽しんでいるのだ。



「さぁーて、先程の綱引きの時に水浸しになったグラウンドを直すのに、少しお待たせしてしまいましたがっ!」


「まも……なく。始まり……です……」


 アメリとエミールの放送が入る。


「さて、エミール様。こちらはまたカミラ様が出場しますが、ご勝算の程はいかに?」


「…………あえて、いいましょう」


 遠目からでも、エミールがにやりと笑うのがカミラには見えた。

 やはり、何か手を打ってきたのだろう。

 それをこの場で言うとは、どんな策なのか。


(ふふっ、聞かせて? どうやって対抗するのかしら? ふふふっ)


「な、な、なーーんとっ! あのカミラ様に対抗する策があるのですかっ! 言っちゃうのですか!? この場で!?」


 紅組にがやがやと動揺が走る中、エミールは告げた。


「……この玉入れ、白組、の……負け……」


「いきなりの敗北宣言んんんんん! これはいったいどうした事かあああああっ!」


「アメリ嬢……うる、さい……」


「おっと、これは失礼をば。――それで、その心は?」


「今回……は、勝ちを、譲ろう……、だが、覚えておくが、いい……。これは“布石”……、後の勝利の為の……“布石”」


 それを聞いた途端、不安そうにミリアがアメリを呼ぶ。


「カミラお姉さま……、これはいったい……」


「落ち着きなさいミリア――――、皆も聞きなさいっ!」


 カミラは声を張り上げた。


「今、貴方達の心は不安に満ちているでしょう……、しかし、それこそが白組の狙い! そして、心しなさい! 同時に彼らは勝利を捨てて、私達の消耗を狙っている、激しい妨害が予想されるわ」


「では、どうすればいいのですかカミラ様!」


 紅組の誰かが声を上げた。

 カミラは紅組の生徒達から背を向け、大声で叫んだ。



「――――戦いなさいっ!」



 白組に立ち向かう背中を見せつけて。



「貴方達の総てを使って! 貴方達の命を削って!」



 紅組の旗を魔法で呼び寄せ、高らかに掲げる。



「貴方達は強い! このカミラ・セレンディアが保証するわ! 私が出るまで持ちこたえろなんて言わない――命令は一つ! 勝利を!」



「――勝利を!」


「――勝利を!」


「――勝利を!」



 特に実のあることは言っていないのだが、そこはカミラのカリスマと作り上げられた雰囲気。

 仕込んでおいた手の者が、続いて叫んだことにより、紅組全員が、競技に参加していない者まで叫び始める。


 全員がドンドンと足踏みし、勝利、勝利と叫ぶ。

 空気に飲まれ、白組の戦意が揺らいだ瞬間。

 カミラは合図を出し、皆を止める。


 次の瞬間、はっと我に返ったアメリが、開戦を告げる。


「――――玉入れ開始いいいいいいいい!」


 魔法の花火が上がり爆音を轟かし、カミラは旗を振り下ろし叫んだ。




「――――蹂躙せよっ!」




「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおっ!」」」」


「「「「させるかよおおおおおおおおおおおっ!」」」」


 約束された混戦が、今始まった。


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