第979話、わたくし、むしろ前世の記憶に覚醒することによって、悪役令嬢を目指すのもアリと思いますの⁉

「──あんっ♡ ふ、フラン様、もうおやめください!」




「ふふふ、よいではないかよいではないか。──それにそちも、まんざらではあるまい、エーベルハルト伯爵令嬢?」




「そ、そんな! わたくしは伯爵家の娘として、こんな破廉恥なことなんてッ!」




「おやおや、それはこの王国の筆頭公爵家令嬢である、私への当てつけかい? そんな悪い子には、お仕置きをしなければね♡」


「──きゃん! そこは、だめえっ♡ ………………ど、どうして……どうしてなのですか?」




「うん? もっと下の部位のほうが、良かったかね?」




「──そうじゃ無くて! どうしてあれ程品行方正そのものだったフラン様が、このような誰彼構わず大勢の女子を身近に侍らすような、無体をなされるようになられたのですか⁉」




 もはや堪りかねたかのようにして、悲痛な表情で糾弾してくる、可憐なる伯爵令嬢。




 ──私の絶妙なる性技テクニックによって完全にノックアウトされて、この広大なる王国筆頭公爵家令嬢の寝室の至る所で、文字通り死屍累々と折り重なるように倒れ伏している、大勢の貴賤を問わぬうら若き乙女たちの気持ちを代弁するかのようにして。




「そりゃあ、せっかく『乙女ゲーム』の世界に転生したのだから、『悪役令嬢』として欲望の限りを尽くさないとね♡」




「………………………………………………はい?」




 私の堂々たる『意思表明』を耳にして、文字通り鳩が豆鉄砲を食ったように目を丸くする伯爵令嬢。




 その気持ち、よくわかる。




 いきなり『乙女ゲーム』とか『悪役令嬢』とか言われても、かつての私自身も、ちんぷんかんぷんだったしね。




 ──そう、『現代日本人』としての『前世』に目覚める以前の、私では。




   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑




「……どうしてわたくしは、こんなにも駄目なんだろう」




 その日もわたくしこと公爵令嬢フランドール=ハーメルン(略して『ふらはめ』)は、あたかもいつもの『日課』のようにして、自室の窓辺で深々とため息をついた。




 ……今頃、王子殿下と男爵令嬢は、お忍びの街遊びを楽しんでいるだろうか?


 こんなに晴れ渡った空のもと、春の昼下がりの散策は、さぞかし爽快であろう。


 それなのに、


 それなのに、


 ああ、それなのに、


 どうしてわたくしは、こんな薄暗い部屋の中で空を見上げながら、一人虚しくため息をついているのだろうか?




 ──王子殿下の正当なる婚約者である、このわたくしが。




 しかし、それも仕方ないことだった。


「……そうよ、こんな面白みの無い箱入り娘なんて、王子様だって願い下げよね」


 わたくしはこの国における貴族の最高位である筆頭公爵家の娘として生まれて、王家との取り決めで王太子の婚約者に選ばれるという、この上も無い幸運に恵まれながら、何事につけても『受動的』で、自ら率先して何かを掴み取ろうとはしなかった。


 ──いや、それならまだ、マシであったろう。


 本来ならこの国の誰よりも、己の地位を誇り、それを最大限に利用して、何でも好き勝手できたというのに、わたくしはどうしても『自分』というものに自信を持てず、常に己の恵まれた状況を『後ろめたく』思い、人と争うくらいならすべてにおいて妥協し、自分だけが不利益を被るうことさえも厭わない、『後ろ向き』な性格をしていたのだ。


 もちろん、こんな内向的で暗い性格の女なんて、つき合っていても面白いはずが無く、婚約者である王子からは早々に見放されて、公爵家に対する配慮として婚約破棄までは至らなかったものの、同じ学び舎に通っているわたくしの目前で平然と、多数の女生徒たちを侍らせていたのだ。


 ──王子も王子だが、女生徒たちも女生徒たちである。


 普通、筆頭公爵家の婚約者の目の届くところで、平気で王子にちょっかいを出すであろうか?


 結局わたくしは、舐められているのだ。


 それも、当然であった。


 わたくしが自分の家名を笠に着て、いくらでも裏から手を回せば、女生徒たち自身はもとより、それぞれの家そのものさえも、陥れることができたであろう。


 そこまで行かなくても、学園の中に自分の派閥をつくろうと思えば、喜んでわたくしの手足となる者はごまんとおり、王子に手を出す生徒なぞ、いびり倒して学園から追放することも造作も無かった。


 しかし、そんなことなんて、このわたくしにできようはずが無かった。


 もちろん、権力の甘い汁も吸わさずに、率先してわたくしに協力してくれる者もいなかった。


 それどころか今や、平民上がりの下級貴族の娘からも出し抜かれて、まんまと現在の王子にとっての『お気に入り』の座を奪われてしまっていたのだ。


 何せ、この王立の学問所においては、これまでに無い『変わり種』なのである。


 王子としても、俄然興味を惹かれるところであろう。


 もはや彼は男爵令嬢に首ったけで、わたくしのことなぞ、まったく眼中に無かった。




 ──その事実を目の当たりにして、最もショックを覚えたのは、何と私自身が、どこか『安堵』したことであった。




 むしろ、これで肩の荷が下りた──と。


 わたくしと変わらぬ上級貴族の娘ならともかく、男爵令嬢ごときでは、単なる『火遊び』に違いなかろう──と。




 ……何という、『浅ましさ』であろうか。




 逃げてばかりの自分こそが、『女』として最低だというのに。




 なぜ、闘わない。


 なぜ、奪い返さない。


 なぜ、王子の浮気を咎めない。




 なぜ王子に、自分の本当の想いを、伝えないのだ!




 ……ああ、変わりたい。


『真に理想的な自分自身』、に。


 この王国の貴族における最高位の、公爵家の娘であることを、最大限に利用して、


 王子の婚約者であることを、笠に着て、


 愛する王子のことを、独り占めにして、


 彼に色目を使う泥棒猫どもなぞ、すべて学園や貴族社会そのものから排除して、


 すべてを自分の思うがままに、押し通せばいいのに!




 そう、世に言う、『悪役令嬢』のように。







『──その願い、叶えてあげましょうか?』







 その時突然、頭の中で鳴り響く、聞き覚えの無い少女の声音。




「──だ、誰⁉」




『私は、現代日本から転生してきた、あなたのもう一つの「魂」よ』




「『ゲンダイニッポン』? それに、もう一つの魂、って……」




『ああ、説明してもちんぷんかんぷんだろうから、そこら辺は流しておいて。要は、この身体を私に明け渡せば、すべてはあなたの望み通りになるってことよ』


「身体を明け渡せ、ですって⁉」


『心配ご無用、明け渡せと言っても、さっきも言った通り、私も間違いなく「あなた」なんだし、あなた自身が「前世の記憶」に目覚めるだけだから』


「……前世の、記憶?」




『正確に言えば、「わたくし、悪役令嬢ですの!」と言う、乙女ゲームの「記憶と知識」のことなんだけどね』




「……ですの、って。つまりその記憶に目覚めれば、わたくしも悪役令嬢になれるわけですの⁉」


『モチのロン、このゲームは大学生時代に鬼のようにやりこなしているから、「悪役令嬢」そのままに行動ロープレしながらも、けして「破滅ルート」に突入すること無く、すべてを思いのままにすることができるわ☆』




 ……相変わらず、言っていることはさっぱりであったが、もはやそんなことは問題では無かった。


『悪役令嬢』になれるというのなら、何を拒絶する必要があろう。




 ──そしてわたくしは、まんまと悪魔の誘いに乗り、己の身も心も売り渡してしまったのだ。

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