第232話、わたくし、重要なのはこの世界が夢かも知れないことで、誰の夢かはどうでもいいですの。

 ……人は誰でも、下手したらこの瞬間にでも、この『現実世界という夢』から目覚めることによって、まったくの別人に──それこそ、『異世界の勇者』をも含む、ありとあらゆる存在になってしまう可能性が、常にあり得るのだからして、現代日本において、いわゆる『なろう系』という作品群の中で描かれてきた、いかにも荒唐無稽かつ非現実的で、口さがない『ネット民』たちからは、『現実逃避者で社会不適合者な、素人作家の自己満足マスターベーション』などと、散々叩かれてきた『異世界転生』イベントが、実際に十分実現可能であることが、完璧かつ理論的に証明されたですてえ⁉




「──いやいや、ちょっと待って! それって、前提条件から、おかしいから! そもそも現実世界そのものが、実は何者かが見ている夢であるなんてことが、あり得るわけがないじゃないの⁉」




 いかにももっともらしく述べられた、『詭弁と極論の集合体』みたいなご意見に、危うく乗せられそうになったものの、どうにかギリギリで理性を取り戻し、至極もっともな物言いを付ける、私こと『魔法令嬢育成学園』保健医のエアハルト=ミルクであったが、目の前の同じく育成学園初等部教師のミサト=アカギ嬢のほうは、むしろこちらをさも残念なものを見るかのように、深々と溜息をついた。


「……ったく、他ならぬ、あらゆる世界を自分の見ている夢ということにして、すべてを意のままにすることはおろか、すべてを喰らい尽くすことすらもできる、夢の世界においてのみは神にも等しき存在である、『夢魔サキュバス』にして最上級の聖獣『貘』の化身であるあなた自身が、何をすっとぼけたこと言っているのよ? それに、現在の『実験のための実験のための実験』編はともかくとして、そもそも本編においては、『ホワンロン王国』を主舞台メインステージにしていることが象徴しているように、さっき例に挙げた『胡蝶の夢』と同様に、中国神話においてとみに高名なる『ホワンロン』という、それこそあらゆる世界を夢として見ながら眠り続けている神様を、崇め奉っているくらいなんだしね」


 ──うっ。


「た、確かに私は夢魔サキュバスであり貘の化身だからして、『あらゆる世界を夢見ながら眠り続けている存在』──いわゆる『夢の主体』と同じようなものだけど、それに対して先ほどのあなたの発言は、原則的にSF小説やファンタジー小説のような非現実的なことが起こり得ない、いわゆる『完全なる現実世界』である現代日本において、『異世界転生』等の何らかの形での『世界間の移動』が、起こり得るかどうかといった話なのだからして、あくまでも現実的視点でもって考察すべきなのであり、そういう意味からも、『胡蝶の夢』で言うところの、『世界を夢見ている蝶』なんて、荘子の見た夢の産物に過ぎず、『あらゆる世界を夢見ている龍』についても、神話上の──つまりは、人間による想像上の産物に過ぎないんじゃないの?」


 そんな私の理路整然とした反論に対して、しかし目の前の、某世界的宗教団体所属の司教殿は、むしろいかにも我が意を得たりといった感じで、表情を綻ばせた。


「そう、そうなのよ! ホワンロンなんているとは決まっていないことこそ──すなわち、確かに現代日本のような『完全なる現実世界』すらも、夢かも知れないという可能性は否定できないものの、当然その一方で、間違いなく現実のものでもあり得るはずだという、存在可能性上の『二重性』こそが、あくまでも現代日本に存在している、異世界転生希望の夢見がちな単なるヒキニートのオタクの皆様にも、万物の無限の可能性そのものである集合的無意識へのアクセスを促して、ひいては異世界転生さえも実現させることになるのよ!」


「は、はあ?」


 自分で話題に上げたホワンロンの絶対性を、いきなり否定したかと思ったら、むしろそのいるかいないか確かではないあやふやさこそが、集合的無意識へのアクセスや異世界への転生を可能にするですって?


「ふふふ、【本編】やこの【魔法令嬢編】においては、いかにもファンタジーキャラな巨乳の夢魔サキュバスだけど、【現代日本編】では、主人公のうえゆうのクラスメイトの、陰キャな貧乳のSF小説マニアの文学少女、『ゆめひさ』嬢におかれては、こう言ったほうがわかりやすいかしら? 『実はこの世界そのものやその中に含まれている、我々人間を始めとする万物は、現実の存在であるとともに、夢の存在でもあり得る可能性を、常に同時に有している』──これって、何かを連想しない?」


 ──っ。まさか、それって⁉




「そう。マニアなSFファンならようく御存じの、現代物理学の根幹をなす量子論における基本的理論である、『我々人間を始めとする、この世のすべての物質の物理量の最小単位である量子というものは、粒子と波という、二つの性質を同時に有していて、形なき波の状態においては、次の瞬間に形ある粒子となる際には、どのような形態や位置をとるかには無限の可能性があり、そのため量子のほんの一瞬後の形態や位置を予測することすら、不可能なのである』そのまんまでしょう? つまり普通の人間には観測できないミクロレベルにおいて、形なき波の状態にある量子は、次の瞬間に形ある粒子としてとるべき、無数の形態や位置の可能性が、同時に重複している状態──いわゆるこれぞ量子論で言うところの、『重ね合わせ』状態にあるという、独特の性質を有しているとされているのだけど、あくまでも現実世界マクロレベルの存在である現代日本人たちには、このような微小世界ミクロレベルにおける量子ならではの特異な性質は適用されないというのが、これまでの量子論における主流的見解だったけど、人間も量子同様に、夢などの形なき世界の存在でもあるという、二重性を常に持ち得るとしたら、まさにその量子ならではの特異なる性質──すなわち、『形なき「夢の世界の自分」においては、夢から目覚めた後に無限に存在し得る、形ある「現実世界の自分」になり変わる可能性があり得る』という性質を有することになるの。確かに常識的に考えればあなたの言うように、現実世界で生きている現代日本の人々が、集合的無意識にアクセスしたり異世界に転生したりなんてできないでしょう。しかしもしもその現実世界そのものが、夢であったとしたら、ほんの一瞬後にことによって、たる別の世界の別の自分となる可能性があり、そしてその『世界』や『自分』は実際に目が覚めるまでは、どのようなものになるかは、けしてわからない──つまり、文字通り無限の可能性があるわけなのであって、まさにこれこそが、『自分や世界そのものにとっての未来には無限の可能性がある』ということなのであり、言わば現時点の自分を夢の存在として見なせば、ミクロレベルの量子同様に、どんな『目覚めた後の未来の自分』になるかの無限の可能性が、『重ね合わせ』状態に──すなわち、無限に存在し得る『未来の自分』のすべてと、状態にあるわけで、そして未来の無限の可能性とはまさに集合的無意識そのものであるからして、これこそは集合的無意識へのアクセスを実現していることにもなるといった次第なのよ」




 な、何と、現実世界そのものが夢でもあり得ることは、けして否定できないゆえに、現時点の自分を夢の存在と見なすことによって、量子論における『重ね合わせ現象』に則る形で、『完全なる現実世界』である現代日本に存在している、ごく普通の人たちさえも、集合的無意識にアクセスすることは、必ずしも不可能ではなくなるですって⁉


「……ああ、でも、だからといって、ホワンロンなぞといったわけのわからない生き物が、中国のどこぞの山奥の中において、黄色い龍や、どこかのビール会社のトレードマークのごとき龍と馬のあいの子のようなものとして、れっきとして存在しているなんて言っているわけではないからね。そもそもみんな勘違いしているようだけど、問題なのは、『もしかしたらこの世界は夢かも知れない』ということなのであって、『そんな大それた夢を見ているとんでもない存在とは、一体何者なのか⁉』なんて、考える必要は無いの。そもそもあくまでも『仮定の話』なのだから、現象自体が本当に起こり得るかどうかすらわからないのに、その担い手が誰なのかなんて、わかるわけがないでしょう? こういった場合普通に、『この世界の夢を見ているのは自分自身だ』とでも思っていればいいのであって、ただその『夢を見ている自分』が、実際に目覚めるまでは誰だかわからないからこそ、自分が存在する世界が夢であり得る可能性が否定されない限り、人は常にその瞬間にも、まったく『別の自分』となってしまう可能性があることになるっていう話なの」


 こ、この女、返す刀で、『あらゆる世界を夢見ながら眠り続けている存在』なんて、実際には存在しないことに、念を押しやがって!


 何で各方面に、ケンカを売るような真似ばかりするんだよ⁉




 ……とは言うものの、確かに夢魔サキュバスとして、完全に『ファンタジー脳』に成り切ってしまっている身としては、完璧に『非ファンタジー』な世界である現代日本において、「実は世界そのものが夢かも知れない可能性があるから、異世界転生だって実現できるのだ!」なる、いかにもトンデモ理論が、何とれっきとした量子論や集合的無意識論に則った、現実的な言説であることを突き付けらることによって、コペルニクス的転回そのままな価値観の崩壊に見舞われて、もはや言葉を失い目を白黒させていれば、




 ここぞとばかりに、更なる追撃の言葉を浴びせかせてくる、目の前の『すべての黒幕』の一味の女。




「──まあ、『多元的理論』による説明はこのくらいにしておいて、これ以降は『本論』へと戻って、この【魔法令嬢編】が、実はいくつもの世界の集合体であることを、『多元的論』に基づいて、簡潔明瞭に説明していくことといたしましょうか♡」

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