第181話、わたくし、エロスとタナトスは等価値だと思いますの。

 ──皆さんは、『明晰夢』という言葉を、ご存じであろうか?


 そう、夢の中で、それが夢であることに気づくという、特殊な夢のことである。




 ──だがしかし、そもそもそんなことが、本当に可能なのだろうか?




 ちなみに、自分を取り巻く世界が「夢である」と明確に認識できる、最も顕著な例としては、自分を取り巻く世界が「現実」と判断できた場合こそが、該当すると思われた。


 例えばこの作品をお読みの皆様のように、『現代日本』のようないわゆる『完全なる現実世界』でお暮らしになっていたら、夢の中で夢の非現実性に気づくことができるかも知れない。




 ──でも、まさにその現代日本人が、『異世界転生』してしまったらどうだろう?




 現代日本産のWeb小説のお約束として、いかにも非現実的な『中世ヨーロッパ風な剣と魔法のファンタジーワールド』に転生しがちなのはもちろん、そもそも『異世界転生』自体が、夢を見ているようなものと言えるのである。


 それに本作においては何度も何度も言うように、多世界解釈量子論や集合的無意識論に則れば、世界と世界の間を移動することは、いわゆる『夢と現実との逆転現象』によるもの以外は、原則的にあり得ず、新しい世界に転移した途端、それ以前の世界なんて、文字通り夢幻そのままに、その存在自体があやふやなものとなってしまうのだ。


 これについては、最近のWeb小説においては珍しい例とはいえ、ずっと異世界に行ったきりなパターンではなく、最後には現代日本に帰ってくるパターンを考えてもらえばいいであろう。


 いくら文庫版ラノベで言えば10巻以上の大冒険を行おうが、最終的に現代日本に帰ってきてしまえば、異世界における出来事なんてすべて、夢のようなものになってしまいかねないのだ。


 そう、異世界なんて存在そのものが『夢のようなもの』なのであって、果たして現代日本からの転生者が、異世界に居ながらにして夢を見た場合、それが夢だと気づくことなぞ、あり得るであろうか?


 どちらとも現代日本に比べて、あまりにも非現実的なファンタジーワールドであるからして、区別なぞまったくつかないのではないだろうか?


 ……もしかしたら、むしろホームシック的に、完全なる現実世界である現代日本の夢を見ることで、それが夢であることに気づいたりしてねw




 ──何でこんなことを、私こと、聖レーン転生教団によって『つくられた』魔法令嬢である、アグネス=チャネラー=サングリアが、突然言い出したかと言うと、




 まさに今現在自分が置かれている状況が、夢なのか現実なのか、まったくわからなくなってしまったからであった。




「──いたぞ!」




 その時突然、もはや廃墟にしか見えない、一面が不自然に崩れかけたビルばかりの世界に、とどろき渡る、幼い少女の怒声。


 ──っ。考え事に没頭していたら、すっかり取り囲まれてしまっていた!




「……もう、観念しいや?」


「そうよ、教団のスパイ風情が、ふてぶてしい」


「今なら、楽に死なせて、差し上げるわよ?」




 口々に物騒なことを言いながら、手にしているマジカルステッキで、魔法攻撃を容赦なく食らわせてくる、色とりどりの可憐でファンシーなバトルコスチュームに身を包んだ、魔法令嬢のクラスメイトたち。


 ──くっ、いくら何でも、この地区のトップチームである、『魔法令嬢、ちょい悪シスターズ』のメンバー四人を、一度に相手をするのは、荷が重すぎる!


 己の教団特製の強大なる超常の力を、『逃げの一手』に特化して、どうにかその場をやり過ごし、迷路のような路地裏へと駆け込んだ。




「──待て!」


「ホンマ、ちょこまかちょこまか、しおってからに!」


「卑怯よ、出て来なさい!」


「……駄目だわ、わたくし索敵サーチ能力よりも、相手の隠密ステルス能力のほうが、上回っているわ!」




 どうにかうまく撒けたようで、だんだんと少女たちの声が聞こえなくなっていった。


 ……それにしても、一体これって、夢なの? それとも、現実なの?


 いや、夢であることは、なんだけど。




 ──だって、魔法令嬢は、夢の世界こそを、バトルフィールドにしているのだしね。




 でも、だからこそ、わからなくなってしまうのだ。


 これが正式な、魔法令嬢としての、ガチの『バトルシーン』なのか。


 それとも、あくまでも私が個人的に見ている、『ただの夢』なのか。


 ──そんなことを胸中で巡らせているうちに、いきなり視界が開けた。


 どうやらいつの間にか、袋小路を抜けてしまったようだ。




「……待っていたわ、アグネス




 突然前方よりかけられる、涼やかなる声音。


 それが誰であるかを、肉眼で確認する必要は無かった。


 だって私のことを、許しも得ずに「ちゃん」付けで呼ぶのは、『彼女』だけだったのだから。




「……アルテミス=ツクヨミ=セレルーナ」




 崩壊した建築物の瓦礫の中から、天空の満月の光を一身に浴びて、ご自慢の長い銀髪をつややかに煌めかせながら、あたかも蛹が蝶へと羽化するように、私のほうに向かって、ふわりと立ち上がる、クラスメイトの年上の少女。




 人形そのものの端整なる小顔の中で蠱惑に輝いている、黄金きん色の瞳。




「──さあ、いらっしゃい」


 なぜかその双眸に見据えられた途端、自分の意思に反して、ふらふらと彼女のほうへと歩み寄ってしまった。


 すかさず私の矮躯を抱きしめる、華奢なる白磁の両腕。




「──おお、『タナトスの巫女姫』の儀式が始まるぞ!」


「あやつは、永劫の安らぎを給わるんや」


「巫女姫様、何とお美しいのでしょう♡」


「何せ彼女こそは、『愛と絶望の神の使徒』ですものね」




 気がつけば、四方八方をまたしても、魔法令嬢たちに取り囲まれていた。


 ──しかし今の私にとっては、そんなことはもはや、どうでも良かった。


 あたかも天空の満月が落下するかのように迫り来る、二つの黄玉トパーズ




 ──そして、唇が塞がれるとともに、




 心臓が、完全に停止し、私は暗闇の世界へと、堕ちていったのである。




   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑




「──はっ⁉」




 再び目を覚ませばそこは、すでに見慣れつつある、魔法令嬢育成学園に併設された、寄宿舎の自室のベッドの上であった。




「……え、まさか本当に、今のって、私が個人的に見ていた、夢に過ぎなかったわけ?」


 あまりに拍子抜けの『夢オチ』的展開に、どっと気が抜けるというか、ホッと一息つけたというかの、気分になりかけたところ──




「──いいえ、今のは単なる夢、なんかじゃないわ」




 唐突に鳴り響いた、『夢の中と同じ少女の声』に、思わず身を起こして振り向けば、そこにはやはり夢の中と同じ瞳が、いまだ夜明け前の薄闇の中で、異様な煌めきを宿していた。




 ──そう、けして人にはあらざる、黄金きん色の瞳が。




「ひっ⁉」


 夢の中の『死の女神タナトス』そのままの彼女の姿を思い出して、小さな悲鳴とともに後ずさってしまう。




 それを見て、悲しげな表情を浮かべながら、その巫女姫の少女は言った。




「そうよ、あれはけして単なる夢なんかじゃなく、『死の予言者』であるわたくしが見せた、あなた自身の『死の未来』なの」

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