第151話、わたくし、ホワイトデーの日付は、あまり気にしてませんの。
「──魔王様、大変です、勇者がこの城に攻め込んできました!」
「何ですって⁉」
──その日の昼下がり、突然舞い込んできた急報に、私は取るものも取りあえず、魔王城の最高幹部会議室へと向かっていった。
「──状況はどうなっているのです⁉」
入室するとともに問いかければ、一斉に起立する幹部たち。
「──はっ、すでに正門を突破されてしまい、現在中庭で戦闘中です!」
……戦闘、ですって?
「──最高責任者である、魔王の私の許可無しにか⁉」
ついカッとなって、城内警備責任者の近衛師団長を怒鳴りつけたところ、最高首脳陣が取り囲んでいる円卓のあちこちから、彼を擁護する声が続く。
「し、しかし陛下!」
「相手は、勇者一人ではありませんぞ!」
「強力な魔導力を秘めた人外を、十数名も引き連れておるのですよ⁉」
「近衛のほうでも最初から、攻撃の意思ありと見なしても、とがめ立てはできないでしょう!」
……何ですって、十数名もの戦闘要員を引き連れた、勇者パーティですって⁉
あまりに予想外の報告に、愕然となる私を尻目に、分析官の声が響く。
「──魔導水晶による、ライブの立体映像、出ます!」
「「「なっ⁉」」」
魔王城手前の広大なる中庭を、聖剣どころか何ら武器らしきものを持たずに、悠々と歩いて行く、一人の少女。
ボーイッシュな短めの黒髪に縁取られた中性的に整った小顔に、ホワンロン王国の最高学府、王立
「……アイカ、お姉様」
そうそれは間違いなく、セイレーン転生教団が誇る神託の勇者、アイカ=エロイーズ男爵令嬢の姿であった。
──くっ。
……結局はお姉様も、他の勇者と同じだったのね。
ふふ、それはそうよね。
『魔王退治』の神託を受けたからこそ、勇者と見なされているのだから、いつかは魔王退治に踏み切るのも、変えようのない
今回はただ、それが少々早まっただけのこと。
──私も魔王であるのなら、黙ってその運命を受け容れるのみ!
そのようなことをつらつらと、思い巡らせていたら、再び響き渡る、分析官の叫び声。
「──こいつらです! こいつらが、我ら魔族側の攻撃を、完全に無効化しているのです!」
もちろんすでに周囲に殺到している近衛兵たちも、丸腰の勇者を何もせずに素通りさせているわけではなく、物理的か魔法的かにかかわらず、盛大に攻撃を繰り出していたのだが、それらはなぜか勇者に届くことなく、まるで見えない壁があるかのように、跳ね返されたり無効化されたりしていた。
いや、『あるかのよう』ではなく、実際に『ある』のだ、見えない壁が。
まるで
「……ちっちゃなおかっぱ頭の幼女に、極東の『シロショウゾク』に身を包んだ、黒髪ロングの美少女たち?」
「『
「……文字通り『死者に鞭打つ』ような、鬼畜なことを⁉」
「さしずめ、小さいのは『水子の霊』で、黒髪ロングは、『これまでに捨てた女』たちってところか……」
「……どこまで女性関係に爛れた、勇者なんだ⁉」
──いや、アイカお姉様の女性関係が爛れているのは同意ですが、『水子』て。お姉様はお姉様だから、一応女性ですよ?
「──静粛に! あれは
突然の魔王直々の下命の言葉に、一斉に視線をこちらへと向ける幹部たち。
「て、手出しをするなと言われましても……」
「まさかこのまま城内を、勇者どものなすがままに、蹂躙させるおつもりですか⁉」
「……それこそ、まさかでしょう?」
そこで一拍ためを置いてから、私は厳かに言い放つ。
「──すぐにでも、勇者に伝えなさい、私は謁見の間で待っていると」
☀ ◑ ☀ ◑ ☀ ◑
「……いやあ、大変だったよう、魔族の人たちったら、話を全然聞いてくれないんだからさあ」
こちらを油断させるためか、いかにも馴れ馴れしさを
──もちろん、文字通り一騎当千の強大なる魔導力を秘めた、十数名の『アニマ』たちを引き連れて。
……ついに、この日が来ましたか。
ふふっ、何を臆することがあるのです、クララ?
私はこのためにこそ、魔族の予言者たちに選ばれて、魔王として迎え入れられたのではないですか?
人として、女として、普通の暮らしの中で、他者と愛し合うことなんて、その日を境に捨てたはず。
──だから、未練を断ち切るためにも、私も最愛の相手に対して、わざと冷たく言い放つ。
「……何をおとぼけを、他ならぬ勇者であるあなたが、強大な魔導力を有する人外を十数名も引き連れて、魔王城に乗り込んできたのなら、攻撃の意思ありと見なされて、当然でしょう?」
そして私はその場に立ち上がり、身の内の魔導力を発動させて、臨戦態勢に移った。
「──うわっ、何その、いかにもな『魔王様オーラ』は⁉ 違う違う、誤解しないで! 私は別に、『魔王退治』とかにきたんじゃないから!」
それに対してこの期に及んでまで、とぼけたことを言って煙に巻こうとする、
「……白々しい、だったらその『アニマ』たちは、何だと言うのです?」
「この子たちは、私から魔導力の供給を受けないと存在を維持できなくなるから、ずっとくっついているだけだってば! しかも普段は姿も気配も隠しているというのに、そっちから問答無用で攻撃してきたから、仕方なく顕現して私の身を守ってくれていたんだよ!」
「勇者がいきなり魔王城に乗り込んできたのです、攻撃されても文句は言えないでしょう?」
あくまでも至極当然の
次なる彼女の言葉に、完全に虚を突かれてしまう。
「いきなりなんかじゃないよ、ずっと前から3月14日にクララちゃんに会いに行きたいって、申し込んでいたよ! でもなかなかお許しが出ないまま、とうとう昨日の14日に間に合わなかったから、今日はこうして無理やり押しかけてきたんじゃないか?」
………………………………………………は?
「え、ちょっと、お待ちになって、私そんなこと、全然聞いておりませんでしたけど?」
予想だにしなかった言葉を聞かされて、焦りながら問いただせば、むすっとした表情になって答えを返す、勇者様。
「
「……マクシミリアン?」
私の地の底を這うかのような昏く重い声音に、直立不動の体勢となる、傍らに控えていた宰相閣下。
「──はっ、
「貴様か、諸悪の根源は⁉」
しれっととんでもないことを言い出す補佐官に対して、飛びつかんばかりにまくし立てれば、今度は逆方向に控えていた、重臣中の重臣である元老院の長老がしゃしゃり出てきた。
「陛下、
「そうです、陛下はそこな勇者に誑かされておるだけなのです!」
「風の噂に聞くところによれば、あれなる者は、セイレーン転生教団の最新の
「そんな危険人物を、我らがアイドルクララ
口々にあることないこと言いはやす、最高幹部たち。
その結果、ついに私の堪忍袋の緒が切れた。
「人のことを、『アイドル』とか『クララ
「「「──ははあ、申し訳ございませんでした! すべてはクララ
だから、『クララ
いや、こんなアホ幹部どものことなど、どうでもいい!
それよりも、お姉様に謝るほうが先だ!
「……お、お姉様、このたびは幹部たちが独断専行いたしまして、大変申し訳ございません!」
「いいって、いいって、本来勇者と魔王との関係なんて、こんなものだよ」
「そ、そんな……」
もちろんそれは、私を思いやってのお言葉でしょうが、なぜかお姉様との間に、明確な『線引き』をされたみたいで、妙に哀しかった。
「……それで、今日は、一体どういった、御用向きでしょうか?」
そのようにようやく本題へと入ってみたところ、なぜだか急に歯切れが悪くなる、勇者様であった。
「ああ、うん、それがね、1日遅れてしまって、
「はい? 手作りって……」
その途端、こちらへと歩み寄ってくると同時に、例の紙袋を差し出す、年上の少女。
「これ、この前の、ヴァレンタインデーのチョコレートのお礼。あまり上手にできていなけど、気持ちだけ受け取ってよ」
え。
「……ヴァレンタインデーのお礼って、お姉様、これって、ひょっとして──」
「うん、『ホワイトデーのお返し』ってやつさ、……ごめんね? 昨日の3月14日に間に合わなくて」
「──そんなことありません! 私、すごく嬉しいです!」
「そう? 良かったあ、私も安心したよ!」
「今ここで、開けても構いませんか?」
「どうぞどうぞ、……でも、出来は期待しないでね?」
まるで久し振りに、『ただの幼子』に戻ったかのように、ほくほくとプレゼントの包みを開けていく魔王。
それをあたかも、『実の姉が妹に対するかのように』、優しげな笑みをたたえながら見守っている勇者。
そう、わかっているの、この人が私に向けているのはあくまでも、『妹』に対する親愛の情のようなものに過ぎないことを。
でも、別に私は、落胆したりはしない。
幼くして、魔王としての運命を義務づけられた私にとっては、ただの妹として、一方的に子供扱いされることなど、本来ならもはや手に入れることのできない、『奇跡』のようなものなのだから。
──そしてこの人はそれを十分わかっているからこそ、こうして『姉の役割』を演じてくれているのだから。
そう、
そんな想いをあれこれ巡らせながら口にした、愛する人の手作りクッキーは、甘さの中にどことなく、わずかな苦みを感じさせるものであった。
──私はこの日、ほんのちょっぴりとはいえ、大人になれた気がした。
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