【完結】邪竜は人間の娘を育てることにしました
空廼紡
前編
その日は、とても晴れていた。晴れすぎていた。
ここ最近、この地域には雨が一滴も降っておらず、日照りが続いていた。夏を過ぎ、秋が差し掛かっているというのに、長い夏がまだ続いている。この時期には、木の実が実り、果実も熟してもおかしくないのだが、日照りの影響で実るどころか干からびる一方だ。草木も萎れていき、川には水が流れてこない。干からびて死んでしまった動物も、珍しくはない。
だが、己には関係ないことだ。ヴァルディアは、自分の住処付近の変わりように、ただただ無関心だった。
ヴィルディアは、漆黒の竜だ。身丈は大樹のように高く、狼を連想されるような剽悍な体格だったが、図体が大きいため、人間から見たら巨大なことには変わりない。鱗は鋼のように丈夫で、翼は蝙蝠のようだ。角はくねっと曲がっていて、尻尾は大蛇のようだった。瞳の色は、黄金のように輝いている。黄金の瞳は、竜である証だ。
(しかし、ここまで日照りが続くのは初めてだな)
そう思いながら、ヴィルディアは嘆息する。実りが少なかろうが、ヴィルディアには関係ない。竜は宙に漂う、魔素があれば生きていける。たまに嗜好品として肉を食べるが、肉を食べなくても問題ないのだ。
だから、魔素が多いこの山になんとなく棲み始め、なんとなく過ごしている。ここに棲むようになってから長いと感じている。長い寿命を持ち、時間感覚が鈍い竜が長いと感じているのだから、人間からしてみれば何百年経っているかもしれない。
それも、ヴィルディアには関係ないことだ。
(日照りと魔素は関係ないが、こうも日照りが続くとうんざりするな)
ヴィルディアは全身が黒いため、熱が籠もりやすい。暑さで死ぬことはないが、それでも暑いことには変わりない。
日が照っている中、住処を離れる気にはなれず、住処である大穴の底で惰眠を貪っていると、上から声がした。
ヴィルディアは、片目を開けて、その声に耳を傾けるが、すぐに止めた。
人間の声だ。祝詞といわれる言葉を並べているからみるに、おそらく生け贄だろう。
ここは人間にとって、神聖なものらしく、こういった凶事が続くと、生け贄をこの洞窟に捧げるのだ。
ただの体のいい口減らしだ。
ヴィルディアは生け贄になった人間を、今まで丸呑みした。ここに竜がいるとバレれば討伐隊が突撃してくる可能性がある。面倒なので、それは避けたかったのだ。人間が家畜として育てている牛と比べたら、味は劣るが不味くはないし、たまには肉を食べてもいいだろうと妥協している。
今回はどんな生け贄だろうか。この前は、年若い女子であった。だが、結局はどうでもいい。丸呑みするから、結局味は分からない。出来れば年寄りでないほうがいい。骨張った身体は、喉を痛める。
祝詞が聞こえなくなった。その後に、上から何かが転げ落ちる音がしてきた。
仰いでみると、小さな影が転がり落ちてきている。その影はやがて、ヴィルディアの足下まで転がった。
小さな影は、銀髪の少女だった。肌が白く、痩せ細っている。歳は分からない。人間の子供を見るのは、本当に久方ぶりで年齢を計れるほど詳しくはない。ただ、十も満たないだろう、とは思った。
少女の口から、呻き声が上がる。転がり落ちてもなお、生きているらしい。丈夫なことだ。頭を打って、打ち所が悪くすぐ死ぬ生け贄もいるというのに。
少女は気絶している。この姿を見て悲鳴を上げられるのは、面倒だ。気絶している間に丸呑みしようと、口を大きく開いた、その直後、前足に小さな温もりを感じ、ぴたっと止めた。
口を閉じ、下を見ると、少女の片手がヴィルディアの前足を握っていた。
ヴィルディアは戸惑う。気絶しているとはいえ、こんなことは初めてだ。いつも悲鳴上げられるか、恐怖で竦むかどちらかだ。
立ち往生していると、少女の口から嗚咽が漏れ出す。
「おか、あ、さん……」
呟かれた呼び名に、ヴィルディアは胸が締め付けられる。
少女が、母親が恋しくて泣いているのだと、理解した。その感情は、自分にも覚えがある。
ヴィルディアの母は、ヴィルディアが卵から孵ってから間もない頃、人間に討たれた。まだ甘えたがりの頃だったため、ヴィルディアは母を呼びながら泣いていた。寂しくて、恋しくて堪らなかった。
それから、ヴィルディアはずっと孤独だった。なんとか成体になり、人間に擬態して人間の生活を送ってみたりしてみたが、孤独さがさらに増すだけだった。
とある事件により、人間の世界から離れ、流れに流れ、ここに落ち着いてからは穏やかで退屈な日々を送っていた。
だから、温もりを感じたのは、本当に久しぶりで。母の舌触りが最後だったから、本当に昔のことで。
ヴィルディアは、少女に同情した。喰う気も伏せ、その場に蹲る。
少女の小さな手は、本当に小さくて温もりは微かなものだった。だが、ヴィルディアは何故か泣きたくなるほど、胸に暖かいものが宿ったのを感じた。
少女が目覚めたのは、しばらく経った後のことだった。
寝ぼけた顔をしながら、上半身を起こし、きょろきょろと辺りを見渡している。ヴィルディアは小さく呟いた。
「……起きたか」
大穴に低く響き渡る声に、少女は肩をびくっと震わせる。おそるおそるこちらに振り向くと、瞠目したと思ったら、呆けた顔でヴィルディアを仰ぎ見る。
大穴は暗いが、竜は夜目が効く。だから、少女の瞳の色が見える。目が瞑っていて分からなかったが、少女は大きな丸い瞳をしていて、色は紫色だった。
しばらく呆けたあと、少女は口を開く。
「あなた、だれ? 神様?」
「これが神に見えるか?」
「大きな目以外、見えないからわからない」
竜の瞳は暗闇でも、光る。たしかに人間の目からすると、この暗闇の中で己の全貌が見えないのは当然なのかもしれない。漆黒の身体をしているから、なおのことだ。
仕方ない、と溜め息をついて、ヴィルディアは己の身体を微かに発光する。これで、この少女に自分の姿が見えるだろう。
「私は竜だ」
「りゅう……?」
少女は目を瞬きながら、ヴィルディアの目をじっと見据える。
「竜が分からないのか?」
「わかるよ。わたし、竜、はじめて見た! かっこいいね!」
途端に目を輝かせて、少女はにぱっと笑う。ヴィルディアは、言葉を失った。
初めてだった。笑いかけられるのも、格好いいと言われるのも。
だが、そのあとに無垢な瞳に翳りが出る。
「あ……でも、わたし食べられるんだね」
「竜は人間を喰うが、別に必要なことではない」
「そうなの? おなかすかない?」
「すかんな。魔素がある限り、生きるから、食事は必要ない」
「だったら、なんで食べるの?」
「人間だって、別に必要無いのに甘いものを食べるだろう。それと一緒だ」
「でも、好きだから食べるんだよ?」
竜相手に物怖じしない子供だ、とヴィルディアは内心感心しながら少女の問いに答える。
「なんとなく食べることもあろう。私がまさにそれだ」
「じゃあ、やっぱりわたしを食べる?」
「最初はそのつもりだったが、喰う気が伏せた」
「ふーん?」
少女は不思議そうに首を傾げる。
「それはそうと、お前はこれからどうするつもりだ?」
「どうするって」
「私はお前を食べる気はない。ここを出て、家に帰る手もあるぞ」
「家……」
少女は悲しげに俯いて、弱々しく首を横に振った。
「わたし、家ないの」
「母親がいるだろうに」
「おかあさん、いない。死んじゃった。だから、帰るところも行くところもないの」
「父親は?」
「いるけど、いないの。わたしのこと、むすめじゃないって言っているから。わたし、いらない子なの」
「そうか……」
どうやら、複雑な家庭事情があるらしい。ヴィルディアには関係ないことだが。
「では、他の所に行くがいい。街に行けば、孤児院もあろう。そこで厄介になるのも、一つの手だ」
少女は浮かない顔をしている。そこまで辿り着く自信がないだろうか。たしかに、子供の足と頭では辿り着けない可能性が高いだろう。
「竜さん……」
「なんだ?」
「わたし、ここにいちゃだめ?」
少女の言葉に、ヴィルディアは固まった。どうして、そうなるのか分からない。
「ここにいても、不便なことばかりだろうて。人間は人間の社会で生きるのがいい」
かろうじて絞り出した言葉は、それだった。だが、少女は首を大きく横に振る。
「人間のところに戻るのいやっ! おかあさん以外、優しくないから!」
少女が頬を膨らませながら、強く言い放つ。
「だが、それはお前の周りだけのことだ。他の街に行けば、きっと優しくしてくれる人もいるだろうて」
「それでもいや!」
「いやって」
少女は頑なで、ヴィルディアは盛大に溜め息をついた。
なんかもう、説得するのが面倒になってきた。
「わかった。好きにしろ。ただし、不満があっても私は知らん。その時は他の街に行け」
投げやりな言葉に、少女は気にすることもなく、むしろ喜色を含んだ顔をして、両手を挙げた。
「やったー!」
嬉しそうな少女に、ヴィルディアは半眼になる。変わった子供だ。竜と一緒に暮らしたいなどと、奇特すぎるのも程がある。
「竜さん、名前はなんていうの?」
「私の名は、ヴィルディアだ」
久方ぶりに口にした己の名を聞いて、少女は口を動かした。
「ヴィー……レ?」
「ヴィルディアだ、ヴィルディア」
「びるれあ?」
「……」
どうやら、発音がしにくいらしい。ヴィルディアは大きく溜め息を吐いた。
「ああ、もう。好きに呼べ」
「好きに? いいの?」
「構わん」
少女はぱあ、と顔を輝かせて、無垢な笑顔を浮かべた。
「じゃあ、おとうさんって呼ぶ!」
「…………はぁ?」
素っ頓狂な声が漏れる。
今、なんて言った。己のことを、おとうさん、と呼ぶと言わなかったか。
「待て待て。なんで、おとうさんなんだ?」
「おとうさん呼びっていいなって」
「父親はいるだろう?」
「あの人のこと、おとうさんって呼べないから」
そう言って、少女は悲しげに眉を顰める。
「だからね、竜さんがわたしのおとうさんになってほしいなって」
「意味が分からん……」
ヴィルディアは項垂れた。だが、好きに呼べと言った以上、覆すのは少し大人げない気がする。それに、別に不愉快ではない。
「はぁ……分かった。そう呼べ」
「わーい!」
少女が嬉しそうに笑う。余程、お父さんに憧れていたのだろうか。竜は母親が子育てするもので、父親は基本放棄だ。稀に育児に没頭する個体がいるらしいが、ヴィルディアには分からないことだ。
「して、子供よ。お前はなんという名だ?」
「ないよ」
「ない、だと」
ヴィルディアは目を見開く。
「うん。名前はね、おとうさんが付けるって、ほーりつで決まっているんだって。わたしのおとうさんは、わたしのおとうさんじゃないから、名前付けてもらえなかったの」
どうやら父親に認知されないと、名前を貰えないみたいだ。人間には、面倒な決まり事があるらしい。ヴィルディアは呆れた。
「だからね、おとうさんが名前つけて!」
「わたし、がか?」
「うん!」
「しかし」
「おねがい!」
きらきらした瞳を向けられ、ヴィルディアはたじろぐ。なんだか、その瞳に逆らえない。
ヴィルディアは、少し考えて口にした。
「では、お前の名はリムだ」
「リム……」
少女は口の中で、その名を反芻し、やがて照れ臭そうに破顔した。
「へへへ……わたし、リムかぁ」
その顔を見て、ヴィルディアは何故か胸が暖かくなった。その暖かさが、胸に満ちていく。その正体は分からないが、くすぐったくて、心地悪くはなかった。
「これから、よろしくお願いします、おとうさん!」
「……ああ」
少女……リムの笑顔に、ヴィルディアは頷いた。
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