第7話 白の剣士


――っ、情けない、なあ……。


 軋む体で立ち上がろうとするが、力が入らずにトラゲディは地面に腰を下ろす。こんなにも早く体力が尽きてしまうのも、それを仲間に助けられたのも、どうにも情けなく思えて心が沈む。心境に呼応して悲壮感を表に漂わせながら、トラゲディは騎馬の上の白いシルエットを捉える。

 視線の先、キラと呼ばれた騎士のような人物は、茶を基調とした長いコートをはためかせて、無表情のままに弓を絞る。やじりで狙うは地に座り込んでいたバレーナ。最初に体を貫いた矢はそのままに更なる追撃として静かに矢を放った。刹那、勢いよく放たれた矢が一直線にバレーナへ向かい、ローブに覆われた体を鋭く貫いた。


「……ぐっ!」


 深く刺さった矢が、肉を割く強烈な痛みを与える。堪えるような呻き声と共に再び地に伏したバレーナだったが、すぐさま体を起こし、青白い顔で後方に目を向けた。その先にあるのは、先の攻撃により負傷し蹲るクッシの姿だ。丈夫な矢は彼の細い体を貫き、彼に苦痛を与え、衣服に赤い染みを作る。

 その姿を目にしたバレーナは瞠目し、負傷により血の気が引いていた顔色を更に青く染めた。バレーナは、激痛など気にもとめず慌ててクッシの元へと駆け出す。


「おいクッシ! なぁ、大丈夫か!?」

「……っ、あ……バレ、ナ……?」

「せや。あぁよかった、生きとるな」

「うん、だいじょうぶ……へいき。いたそうにみえるけど、へいき……つっ……!」


 不安さを微塵も隠さないバレーナとは反対に、顔色は悪いが冷静なクッシは、傷口を押さえながら徐に立ち上がる。しかし貫かれたばかりの体は幼い体を苦しめその行動を阻害した。それでも呻き足を動かすクッシを前に、慌ててバレーナは引き止める。


「おい、下手に動くな!」

「だいじょうぶ、へいき。バレーナの方がひどいよ」

「いやいや、あんたも重傷やろ、落ち着け!」

「いいから、そっちがおちついて」

「……おいクッシ、なんや、どうした?」


 鋭い瞳をバレーナに向けて、クッシはバレーナの手を振り払った。狼狽する彼を尻目に、クッシは腰に提げたケースから取り出した抜き身のナイフを馬上に向けた。彼は、幼子とは思えぬほどに殺気立っており、丸い瞳には凍るような冷たい殺気が宿っていた。なにが彼の怒りに触れたのか、そう疑問を抱かせる程に打って変わった態度の彼に、トラゲディは驚く。

 片方の手で傷口を押さえながら、ゆっくりと深呼吸をして無言でナイフを構え直した。

 その態度に、キラはふむ、と一言零して目を眇める。


「なんだ、私とやり合う気か。別にいいぞ。私は貴様らを射ったからな、多少やり返されるのは覚悟の上だ」


 冷ややかな視線で口にしたキラは、馬の首をゆるりと撫で、降りた。地に足を着けたところで二人の目線や体格差は一目瞭然だ。平均的な成人男性以上に大柄なキラと、年齢相応の体格のクッシでは、明らかに後者が不利だろう。しかし、それをものともせずに敵意を見せるクッシは、深く眉間に皺を刻んでキラを見上げる。それを受けて、キラは短く息をつくと、背負った矢筒をトラゲディに預けた。


「キラ、君は本気でこの子と戦うのかい?」

「あぁ。……私は彼等に何発も矢を放った。ならば彼等がやり返そうとするのは当然だ。お前にとっては困るのか?」

「いや、別に困らないよ。そいつらはエーレンに危害を加えた。情けない僕の代わりに、死なない程度になら叩きのめしても構わないよ」

「……そうか、わかった」


 トラゲディの即答、及びその後に飛び出した『エーレン』という名にキラは一瞬目を瞠るが、特に深く聞くこともせず聞き流す。代わりに直後耳に届いた地面を蹴る短い音に、腰に下げた派手な意匠の剣を左手で抜いた。鋭く振り下ろされたクッシのナイフを受け止めると、キィン、と金属がぶつかり合うような音が響く。クッシが顔を顰めて後退したがすぐさま前身して刃を振り回す。

 出鱈目に振り回しているように見えて、確実に急所を狙うその刃を、キラはほぼ正確に弾いていく。頬に傷一つつけられないまま、クッシは一旦後退し短く息を吐いた。


「どうした。これでは傷もつかんぞ」

「……まだまだこれから」


 ザザ、と靴底を地面に擦らせて後退したクッシは、眉間に深く皺を刻んで不満げに零した。

 そんなクッシの後ろでは、バレーナが悩ましげな表情を浮かべている。その理由はクッシが心配だからというのもあるが、それ以上に引っかかる事があるためだ。

 バレーナは静かにキラの姿に――パーツにそれぞれ目を向ける。白い肌と髪、黒白目で中心に青が映える不気味な瞳、騎士のような出で立ちと高い背、髪から見え隠れする特徴ある尖った耳。バレーナはこの特徴に覚えがあった。初対面ではあるが、どこかでこの特徴をもつ者を知っている。そんな既視感が胸に燻っていた。

――クッシがあんなにも暴れ回っとる理由は、邪魔された怒りとかそんなんやろーけど、あの騎士っぽいやつはなんなんや? 初対面やのに、なんで知っとる気がするんや? ……そういえばさっきこいつ、なんて呼ばれとったっけ? えっと……。


 トラゲディが小さく口にしていた名前を思い出そうと頭を捻るバレーナの前では、クッシが怒りと共にナイフを握りしめ躍動する。広がりのある袖を靡かせ、何度も刃を交わし、時折姿を鳥に変えて移動しつつ隙を伺いくるくると攻撃方法を変えていく。

 切っ先を避けるキラの視界からクッシは姿を消し、背後に回った。気配を可能な限り薄め、背を向ける敵対者へやや高所からナイフを投擲する。

 クッシが所持するナイフは決して一本だけではなかった。ベスト状の上着の内側や腰に下げたケースなどから、数え切れない程にナイフが現れる。

 ナイフを持った子供を真正面から受け止めるだけならば、キラにとっては容易いものだろう。しかし、それが不意打ちで複数本ともなれば話は違う。安易に避けられぬように数多もの方向から投げられたナイフは、真っ直ぐにキラへ襲いかかる。それを何とか躱したが、対処しきれなかった刃が左腕に突き刺さった。


「ぐっ……!」

「やった……!」


 キラが顔顰め剣を落とし、クッシが口元を緩ませたその時、反射的に名を呼んだトラゲディの声が大きく響く。


「っ、キラ!」

「この程度大丈夫だトラゲディ! いちいち騒ぐな!」

「でも……!」


 動揺するトラゲディとそれを叱咤するキラの会話が繰り広げられたその傍らで、『キラ』という名を耳にしたバレーナは、思わず全身を震わせた。先程から自分の中にあった既視感の正体を漸く理解したからだ。それまで点として存在していた違和感が、線として繋がっていき、従って酷い焦燥感に駆られた。収まらない震えに目を見開き、慌ててバレーナはクッシに目を向ける。

 地に落ちたナイフの一本を拾い上げ、額に汗を浮かべる彼は、未だ警戒を解かず刃を向ける。一旦距離を置いて様子を伺っているようだが、口の端に浮かぶ笑みが戦闘続行の意志を表しているように映る。

――まずい、これは、このまま戦ったらあかん! 今すぐ止めさせやな!


「やめろクッシ!! あんたも、一旦やめろ!」


 衝動のままに吐き出された静止の言葉とジェスチャーに、クッシは不満そうに顔を顰めた。「どうして?」そう言葉が発せられる前に、バレーナはクッシの元へと足を運び荒っぽく言葉を続ける。


「クッシ止めえ! なんやら、こいつの名前はキラって言うらしい。流石にあんたも心当たりあるやろ!?」

「……? …………あっ!」


 強く吐き出されたバレーナの言葉に沈黙し頭を悩ませたクッシだったが、数秒後、意味に気づいたらしい彼の顔は一気に青ざめ、彼は手からナイフを滑らせてしまった。「思い出したか?」そう零したバレーナに対し、クッシは青白い顔でたどたどしく口にする。


「でも、でも! もしかしたら、おなじなまえってだけかも……!」

「あぁ、それもあるか! なら一応聞いとこか! えっと、キラ! あんたのフルネームはなんや!」

「……それが他者にものを訊ねる態度か?」


 突然戦いを妨害され、自分たちを置いて勝手に青ざめる二人の姿。それを困惑気味に見ていたキラとトラゲディだったが、突然強めの言葉がこちらへと向かい、ついキラは眉根を寄せた。予想外に冷たい声が発されバレーナは僅かにたじろぎ慌てて丁寧に言い直す。


「すみません……。では、その……よかったら、貴方のフルネームを教えてくれないですか」

「何故、フルネームなんか知る必要がある?」

「……貴方は、オレらが知る『キラ』に、よく似ている。もし、本当にその『キラ』だったら、オレらはあんたを殺せない」

「私は貴様達に心当たりなど――」

「いいから教えてください!」


 呆れを表に出しながら溜息を吐いたキラだったが、叫ぶように発せられた言葉に目を丸くする。何故そこまで、と疑問はあるようだが、諦めたように口を開く。


「……キラ・ピーテル・エトホーフトだ」


 その瞬間、息を呑むような音が小さく聞こえクッシが頭を抱えて蹲り始めた。「どうしよう」と怯えた声が小さく聞こえ、バレーナは瞠目した後宥めるようにその頭を撫でる。

 どうやらバレーナ達の予想は当たっていたようだがキラやトラゲディに真意は分からない。

 妙な空気が流れる中、バレーナは手になにも持たず、ゆっくりとキラに歩み寄り、謝罪した。

「すまんかった」「オレらは、あんたに刃を向けるべきじゃあなかった」――その言葉にキラだけでなくトラゲディも驚きを表情に浮かべる。


「あんたがさっき言いかけてたように、そっちはなんのことかわからんやろうな。オレらかて、いきなりこんなん言われても困やろうとは思っとる。……でも、オレらはあんたのこと殺したらあかん言われとんのよ」

「誰にだ?」

「それは言えへん。口封じされとるからな」


 眉を下げたバレーナは、もう一度謝罪を口にして、キラの足元に転がるナイフを回収し未だ蹲るクッシに手渡した。芳しくない顔色でそれを受け取ったクッシは安堵したように息を吐く。

 そんな彼等の様子を疑問を胸に眺めていたトラゲディとキラだったが、突如全身で別の魔力の気配を察知した。ぞわぞわと全身を駆け巡る冷たさに身を震わせながら、急いでその根源を探る。

――なんだこの気持ち悪い気配。とても、嫌に冷たい……。

 思わず息を飲んだトラゲディは、すぐに視線を動かしてその正体を捉えた。瞳を向けた先にいたのは、獅子ほどの大きさの猫だ。その猫は、辛うじて形を保つ小屋の上に座しており、アーモンド形の金の瞳でトラゲディとキラを一瞥し、硬い地面へと緩やかに着地する。


「あるじ、さま……」

「グルルゥ」

「すみません、アノニモさま……わざわざ迎えだなんて」

「グルゥ」


 赤茶色の毛色に覆われた猫――どうやらアノニモというらしい――は、返事をするように喉を鳴らして歩み寄った。クッシ、バレーナの順に謝辞を口にすると、アノニモは乗れと言わんばかりに頭を振り、己の背を指し示す。それに従いクッシは素直に背に乗ったが、バレーナは不安げに辺りを見回した後小さく零す。


「すみませんアノニモさま、ひとつお聞きしたいのですが……我が主は?」


 不安げなバレーナの声にアノニモはなにも喉を震わせることはなく、金の眼を瞬かせただけであったが、それで理解したバレーナは短く「そうですか」と返し背に乗った。

 そうして一言、トラゲディやキラに「じゃあな」と言葉を投げかけたかと思うと、それを合図にアノニモが走り出した。

 大きな手足で硬い地面を強く蹴って、本来は市場であった道を駆け出す。土埃を舞わせながらアノニモはどこかへ走り出し――ヤガて空間の歪みへと溶け込み消えていった。



 アノニモが走った影響だろうか、風の音が響いて地に落ちた緑葉が宙を舞った。しかし、風の音以外に耳を刺激するものは特になく、トラゲディとキラはぽつりと市場に取り残されていた。

 まるで何分もの間、この空間を静寂が支配していたような感覚に陥ったが、馬が徐に首を振ったことによりその静けさが破られる。

 

「おっと、放置してしまって済まないなアレックス。よく大人しくしてくれていた」


 馬の首を撫でながら優しく声を掛ける傍らで、トラゲディは腰を下ろしたまま周囲に目を向ける。周囲に生きた人の姿は見受けられないこの場所では、もう何も人の気配を感じ取ることは出来なかった。複数あった魔力の気配も一切消え失せ、眼前に広がるのは悲惨な光景だった。

 破壊された小屋に、散乱する様々な物品と、噛みちぎられた痕が強く残る遺体に、大小様々な血痕。

 これを、エーレンフリートに見られることがなくてよかったと心の底から思いながら、トラゲディは漸く徐に立ち上がり、キラに矢筒を返した。

 枯渇した体力も魔力もじわじわと回復の兆しを見せているが、まだ疲労感は凄まじい。ひとまずキラに肩を借りながら助けてもらった礼を口にした。


「助けてくれてありがとう、キラ」

「別にいい。戦いは私の方が向いているからな。その代わり質問に答えて欲しい。お前が戦うなんて何があった?」

「いやぁ、だって、エーレンを守らなきゃいけなかったからね」


 キラの疑問に、トラゲディはそう口にして、簡潔に説明を続けた。

 トラゲディがずっと会いたかったエーレンフリートを引き取ったこと。そして嘗ての彼の故郷に足を向け、その後市場にて買い物をする予定だった。しかし――突如現れた謎の存在により、その予定は崩れた。


「クッシ……あの、君を刺した子供。彼がいきなりエーレンの手を取って、あの子を殺そうとした。……だから、頭にきて、ぶっ殺してやろうと思ったんだけど……」

「……体力切れか。情けない」

「返す言葉もないよ」

「そのエーレンとやらが狙われた理由に心当たりは?」


 眉を下げたトラゲディは困ったように頬を掻き、キラが続けた言葉に目を瞬かせ、頭を悩ませる。


「……残念ながら、特にないんだ」

「本当か?」

「うん、本当。僕はエーレンのことは心底愛してるけど、彼の全てを把握してる訳では無いからね」

「……それもそうか」

「そうだよ。……じゃあ、僕もひとつ質問。君の名を聞いて彼等が撤退したけど、あの二人に対しては何も心当たりはないってことでいいんだよね?」


 荒らされた市場を観察しながらの言葉をキラは短く肯定する。どうやらいくら頭を捻ろうが、あの二人の姿も名前も思い当たる節はない。


「疑問点は多々あるが、心当たりがない以上今の私にはなんとも言えない。……悪いな」

「いいよ別に。じゃあ、帰ろうか」

「そうだな」


 市場全体に目を向けていたトラゲディが指先で宙に謎の図を記すと、市場全体を覆う球体が突如発生した。トラゲディ曰く後々のための目印だというそれを残して、移動手段である裂け目を作った。馬も通れるように大きめに生成されたそれの目的地は、もちろん屋敷であった。

 キラにもうこれといった用事はない。アレックスの手綱を引いて裂け目を通ろうとしたその時、トラゲディはふとこんなことを問うた。


「そういえばキラ。君は、今回生き別れの彼の手がかりは掴めたのかな」


 穏やかな表情で発せられたその問いに、キラは怒りも悲しみも表に出さず、あっさりと返した。


「掴めていたら、こんな落ち着いているわけないだろう」


 無表情で放たれたその言葉は、裂け目と共に消え失せていった。

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