第二十九章 二人の愛

 昼間は道行くひとびとにここちのよい眠気をもたらす大気が、小夜になれば牙をむいて鎧のすきまから熱をうばってゆく。いくらか明るいが、火を焚かねば野宿などできそうにない。広い草原に複数の天幕が張られ、いくつもの火が空へ向かってひらめいていた。

 ひときわ大きい天幕に、かつての上層部の人らが集まっている。マリアやレイヴァン、三賢者、守人たち、元正騎士といった顔ぶれであった。マリアの弟であるマリウスは、支城との連絡係として外で待機している。いつ鷹ヴァハがとんでくるか、わからないからだ。


「不和もなく、順調にすすんでおります」


 元最高司令官はよろこばしげに、元王女に報告した。共通の「敵」に向かっているからか。兵士たちの心はひとつになっている。


「そう、よかったわ」


「殿下がずっと、動いてくださっていたからですよ」


 ソロモンはそっと持ち上げたが、元王女は首を横に振る。皆を見回すと、ふかぶかと頭を下げた。


「みながいなければ、決してなし得なかった」


 ありがとう、と、いつくしみの表情を浮かべる。ふっと笑んでからレイヴァンは、予定の確認をする。前にも説明してあるが、念のためだ。新しい情報もないので、この日は散会となった。

 夜気に当たりたくなって、マリアは天幕を出る。あちこちに兵士の目がある。守人が側におらずとも、平気だろう。空を見上げると、上弦の月がきらめていた。


「眠らねば身が持ちませんでしょう。それに血がたぎっている兵士が、あなたを“しとね”に引っ張り込むかもしれませんよ。かしこい女殿」


 レイヴァンだ。よくもまあ、めざとく姿を見つけるものである。


「貧相なわたくしに、劣情を抱く方がいるとは思えませんわ」


「根拠がどこにあるのですか」


 納得を示して、天幕へ戻ろうとしたとき。腕をつかまれた。離して欲しいと頼むが、いっこうにほどかれない。甘やかなさえずりが、鼓膜をゆさぶる。今夜は同じ天幕で眠りませんか、と。期待が「わっ」とあふれ出して、一気にのぼせ上がる。


「……元とはいえ、あなたは正騎士長様。一夜限りであったとしても、ふさわしい女人がいますでしょう」


 わざわざ凡庸な「かしこい女」を選ばずとも、と、振り返らずに拒絶する。


「いいえ。あなただから、いいのです」


 あきらめるつもりは、さらさらないらしい。強い力で手を引かれ、元最高司令官の天幕につれさらわれた。押し倒されたと同時に、マリウスが駆け込んできた。


「アレシア様が臣下数名を連れて、我が陣におとずれました」


 腕をふりほどいて、天幕をあとにする。焚き火の側には、手当てを受けているアレシアの姿があった。こちらの姿を認めると、おぼつかない足取りで駆け寄ってきた。ふらついたところを、ささえる。まっすぐに顔を見ると、血と泥でよごれていた。現地での悲惨さを物語っている。


「ご無事で何よりです」


 マリウスもアレシアに手を貸して、ゆっくりと座らせる。かぼそい声で、ゆっくり話し始めた。とつぜん城をおそわれて、命からがら逃げてきた。父ツェーザルは逃亡せず、最後まで城に残った、と。


「あれから姿は見ておりませんが、とらえられて斬首されたとうわさでききました」


 アレシアの瞳からどっと、涙があふれる。場面を見ておらずとも、心の臓をえぐられた気分だ。


「友人として、皆様を保護いたします。よくぞ生きていてくださいました」


 マリアはそう元気づけて、すっと立ち上がる。周りに立ちこめる空気に、“怒り”がこもっていた。

 数十日かかって、王都ベスビアスの側までたどりついた。時刻は第一夜警時にさしかかろうとしている。街をおおっている幕壁は、落とし格子で堅く閉ざされていた。


「さすがに、王女と最強の騎士を逃がしたから警戒しているか」


 偵察で側まで来ていたギルがつぶやく。となりにいるレジーは、うなづくだけにとどめた。うしろにいたクレアは、二人の腕をぐいぐいと引っ張る。


「はやく、はなれましょうよ」


 三人はそっと陣営に戻った。報告を受け取ると、レイヴァンは深く思考の海に沈む。数秒後には「にやり」と、口角を上げた。方策が出来たのか、と、マリアがたずねる。


「心配にはおよびません。かしこい女殿は寝ながら待っていれば、勝手に城が落ちますよ」


 尾根に日差しがうっすらとかかりはじめると、城門の前で工兵が大きな声で呼び交わし始めた。攻城塔、破城槌、投石機などの攻城兵器が組み立てられ始めたのである。柵と壕も出来上がると、兵達はじっと身をひそめた。けっして攻めはしない。


「まだ攻めてこぬのか」


 いらだちをふくませて、ベルクは机をたたいた。従者メルヒオールはあくまで、たんたんと事実を述べる。


「ええ」


 城はすっかり守りを固めているから、ときどき挑発を行うが攻めてこない。矢を射かけてやると、いっせいに兵達はさがるのだ。野戦なら有効であろうが、攻城戦には向かぬ策だ。いったい、なにを待っているというのか。翌日も。その翌日も。陣を敷くが、いっこうに攻めてくる気配がない。ついには城内に、弛緩する兵があらわれている。

 その日の第一夜警時。城内の兵士が寝支度をしようとしたとき。ふだん商人だけ入れている門に、破城槌の衝角がぶつかる音がとどろいてきたのだ。あわただしく兵士たちが城壁に向かうと、四方を支城の兵に囲まれてしまっていた。応戦しようにも、もう遅い。門は破られ、いっきに兵士がなだれ込んできた。

 またたく間に城は制圧された。さわぎに紛れて逃げたのか。ベルク公の姿はどこにもない。代わりにとらえられたのは、実の王の子に仕立て上げられていたクリスとその臣下二人。玉座の間でマリアたちの前に、ひきずりだされる。


「どうかクリス様の命だけはとらないでください」


 イザベッラは必死になって、さけんだ。だまされていただけなのだ。わたしの命はさしあげますから、と。

 じっと黙っていたマーセルが、しばられた状態のままひざまづく。


「わたくしからもお願い申し上げます」


 レイヴァンがひややかな視線を、マーセルに浴びせかけた。


「それはクリスの臣下としての言葉か」


 最高司令官に、マーセルは首を横に振る。


「最高司令官麾下の間者としての申し入れです」


 クリスとイザベッラの視線が肌につきささるが、気にしているいとまはない。マーセルはしゃんとした瞳で、上官を見上げた。クリス様のお心はすでにわれわれと同じであるから、と、助命を願う。マリアは「三人を解放してやってくれ」と、ほがらかな表情でいった。わかっていたのか。レイヴァンはひとつため息を吐き出すと、剣を抜いて一閃する。マーセルを縛っていた縄がほどけた。クリスとイザベッラも、それぞれエリスとジュリアがほどく。


「ただし条件がある。妙な動きを見せれば、斬るからな」


 間者マーセルはしずかにうなづく。つぎは王妃アイリーンがあらわれた。母親の表情になって、マリアに駆け寄る。うしろにいるマリウスを見つけて、王妃はすべてを理解した。


「知られてしまったのね」


 十四年前。公爵ディアナと同じ時期に妊娠し、いまかいまかと産まれるのを待ち望んでいた。しかし産まれる翌晩、まじない師が当時の王に予言を託したという。産まれる子が男ならば問題ないが、女であるならば用心しろ。いずれ国を滅ぼすであろう、と。産まれた子は、女児であった。産声を上げて、時間のたたないうちに斬り殺された。むろん、当時の王の手によって……。


「そのまま子を産めぬ躰になってしまったわ。夫が他に女人をめとるつもりがないのを知っていたから、当時の王がディアナ嬢のお子をうばってしまった」


 瞳に涙をうかべ、マリアとマリウスを抱きしめた。


「私たちの自分勝手であなたたちは、姉弟でありながらも同じ時間を過ごすのがかなわなかった。ごめんなさい」


 マリアは背中に手を回すと、ゆっくりなでた。


「ありがとうございます。母上は本物の母ともおとらぬほどに、いつくしんでくださいました」


 青い瞳から涙が流れて、ほほを伝う。砂でよごれた王妃のドレスがぬれた。


「マリア。やらなければならぬことが、あるのよね」


「はい。友邦を救いに参ります」


「よく言ったわ。さすが私の娘」


 マリアは一年で国内を平定し、経済面でも軍事面でも豊かにした。その間。幾度となくフローライト公国軍が攻め込んできたが、だいたいが小競り合い程度の争いであった。大戦へと火ぶたが切って落とされたのは、オブシディアン領付近の街や村が占拠されはじめたからである。さらには本土からの増員も向かってきていると、間者からの知らせが入った。いよいよ本格的に、戦争へと舵を切っている。

 一人一人を見回して、女王となったマリアが部下の名前を呼んでいく。


「みなのおかげで、ここまでこられた。時間がかかってしまったが、我が友邦オブシディアンの地を救い出そう」


 兵士たちが歓声を上げる。最高司令官レイヴァンと軍師ソロモンが、うやうやしく頭をたれた。


「いってまいります」


「ええ。ご武運をお祈りします」


 護衛として側にいる令外官ギルに、レイヴァンは視線を投げた。


「ギル。俺の家名をおまえにやろう」


 妹イリスは部下と結婚しているし、いずれ自分は王配となる。エーヴァルトの名を継ぐものがいなくなるから、いまのうちに渡しておこう。


「それに陛下におつかえし続けるつもりなら、家名があった方が有利だろう」


「ありがたく頂戴しておきますよ」


 勝利の報せがとどいたのは、二ヶ月後だった。フローライト本土からの増援部隊は、カエサル率いるエピドートの船によってことごとくを沈められた。よってベスビアナイト軍は圧倒的戦力差で、オブシディアンの地から侵略者を追い出したのである。オブシディアンの政治家たちは、マリアに統治してもらうのを希望した。今回、自国を守れるほどの国力がないと自覚したためであった。好機と見たアレシアは居城にとどまり、ヘルメスの助手をしながら「錬金術は危険ではない」と政治家たちに力説。溝はまだまだ深いが、結婚するまでこぎつけた。

 守人たちは完全に眷属の声が、聞こえなくなっていた。力をうしないながらも、レジーは「守人は伝えるためにいるから」と居城を旅立ってしまった。しばらくは職務をこなしていたジュリアも、「わたくしも守人としての、最後の使命をまっとうします」と出て行く。感化されてか。ソロモンまでも、旅立つ準備をしていた。


「エリス、あとはたのんだぞ」


「閣下まで出て行かれずとも、よいではないですか」


 ソロモンは机上の書類を、つぎつぎと片付けていく。荒れ放題だった部屋も、いまは手入れがいきとどいている。


「父が見た世界を、見てみたくなっただけさ」


 エリスに家名を渡し、未練がないようにもしていた。仕事をすべて終えると、日もまたがずにソロモンは居城を出て行こうとする。


「あわてずとも、明日、旅立てばよいではありませんか」


 マリアがとめるも、首を横に振る。


「すこしでもとどまっていると、決意が揺らぎそうでしたから。皇帝陛下、遠くからずっと見守っておりますよ」


 それだけ言うと、居城の門をくぐった。

 ふたたびエリカの花が咲き誇る季節が巡ってきた。仕事も落ち着いて、ひさしぶりにマリアとレイヴァンがお忍びで花畑に足を踏み入れる。


「今年も満開ね」


「ええ」


 マリアが振り返ると同時に、花冠が乗せられた。白い花びらが空へ舞い上がる。


「陛下。いいえ、マリア様。わたくしと結婚していただけませんか」


「はい」


 ほがらかな表情で、マリアは喜びの涙を浮かべた。




 こうしてベスビアナイト国は、王政から帝政へと変化した。女帝マリアにつかえたものらを、国民は「マリアの騎士」と呼んでうやまった。しかしどのようにして、世に平穏をもたらしたのか。知るものは少ない。だからこそ両親から聞いた話を、書にしたためると決めたのである。聞いた話だけでは足りぬから、取材のため旅にも出かけた。

 実際の土地や空気に触れるたび、両親や守人たち。三賢者に思いを起こさずにはいられなかった。行くさきざきで温かい人情にも、たくさん触れた。両親たちが守るとさだめた地で、出会ったみなさまに謝辞を述べたい。

 また旅に同行してくれた護衛オリヴァー・ファーレンハイトにも、謝辞を述べよう。好奇心のまま行動する私を、いやな顔せずつきあってくれた。

 最後に、書物に書き残す許可をしてくださった両親。取材をこころよく受けてくださった両親のご友人に、感謝を記してしめさせてもらおう。

 読者のみなさまにも、こころよりの感謝を込めて……


マリアの騎士 著/ゼノビア・アイドクレーズ

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