第二十八章 幌馬車のかしこい女

 気候がおだやかになって、冬のとげが消え去った。草原には花が芽吹いて、街道をいく商人や旅人に甘やかな香りを運ぶ。吹き抜ける風はあたたかで、服の下がじんわり汗ばむ。だが朝と夜は急速に冷え込むから、足早にすすんでいく。

 そんな道行く人を眺めながら、陽気にうたう少女が一人。幌馬車に座って、手持ちぶさたに足をぶらぶらさせている。


「東の国から騎士が馬でやってきました

 歌うたえキャザーの土手のうるわしのエニシダ

 騎士は行くさきざきで求愛しました

 若い娘はすぐだまされる」


 オーガストの子を名乗る少年クリストファーが統治するようになって、五ヶ月が過ぎ去った。気温は春でも、ひとびとの心には冷気が吹き込んでいる。妙に楽天家な娘が不思議に思えて、旅人は声をかけた。


「まるで春みたいなお嬢さんだ。さきの見えない治政になって、不安じゃないのかい」


「いいえ。いまがとんでもなく、楽しいですもの。不安なんて感じませんわ」


 あっけらかんと言い放つ。どこかうらやましくも感じて、旅人はさらに話をつづけた。


「りっぱな馬車だね。旅商人かい」


「はい。薬をなりわいとしています」


「こりゃ、たまげた。店をかまえている『かしこい女』は知っているが、旅商人とは」


 少女のとなりにいる御者に視線をうつした。ほどよく焼けた肌に、端正な顔立ち。王都へ行こうものなら、さぞ若い娘たちがさわぎたてるだろう。


「彼は御者ですが、護衛でもあるのです」


 かるく娘は説明した。女の一人旅など、夜盗のかっこうの餌食だ。財貨をうばわれるだけでなく、躰をもてあそばれる危険がある。彼がいるから、楽天家でいられるのか。


「彼を信頼していらっしゃるのですね」


「ええ」


 まぶしい笑顔を、少女はうかべた。


「旅人さんは急がなくてよいのですか。このままでは、街道を抜けられませんよ」


 少女にいわれて空を見やる。太陽が少しかたむいている。馬車にあわせてすすんでいては、夕刻に間に合わない。失礼するよと、旅人は馬を走らせた。


「われわれは抜けられそうにありませんね」


 御者エリスは小さく息を吐いた。


「のんびりいきましょう。急いでも、仕方がないわ」


 かしこい女マリアは、のんきに伸びをする。ディアンドルのエプロンが、ふわりと風でなびいた。


「そうですね」


 やわらかく笑んで、街道に視線を戻す。荷台から大きなあくびをうかばせて、クレアが顔を出した。エリスが小言を述べるが、どこ吹く風だ。まったく気にとめていない。

 ぐっと伸びをして進み具合を確認すると、荷台に戻っていった。数分後には寝息が聞こえてくる。夜遅くまで採取に付き合ってもらったからか。眠気がいまだ消えぬらしい。護衛の自覚が足りないと、エリスはつぶやいた。


「仕方がないわ。わたしに付き合ってもらったのだもの」


 にがい笑みを浮かべて、クレアに肩入れする。マリア様がそうおっしゃったとしても、護衛の意味を成していない。それがエリスの言い分だった。どうしたものかと考えながら、空を見上げる。太陽の香りが肌全体を、包み込んでいた。

 太陽がかたむきはじめて、クレアは目を覚ました。ちょうど夜の準備を開始する時間である。エリスは火をおこして、採取した木の実や葉菜で調理を終えた。昨日獲った鹿肉も入れて、スープが出来上がる。かぐわしい香りが鼻腔をくすぐれば、お腹が音を立ててしまう。


「薬草を見つけたよ!」


 森に入っていたクレアは、篭いっぱいに摘んできた。馬車へもどって、棚に薬草を仕分けする。二人の元へ戻ると、皿に盛り付けられていた。いそいで座って、スープをすくう。春とはいえ、夜は冷え込む。あたたかさが身にしみた。


「明日には街につけるでしょうから、スープより贅沢な食事を出来ますよ」


 エリス自身の声もはずんでいる。スープはもう、あきあきしているのだろう。


「薬をたっぷり売りつけて、美味な食事をしましょう」


 クレアはスープをたいらげて、楽しげにくるくると回った。スカートがふわりと広がる。そうね、と、マリアはほほえむ。街につくのは久方ぶりだ。すくなからず、はずむ胸をおさえられない。

 日付が変わって、昼下がりにザンサイト要塞にたどり着いた。市場は質素だが、商人の声がいきかっている。いますぐあの中に混ざりたいものだが、領主アルノルトをたずねなくてはなるまい。三人は城へ向かった。


「商売の許可をいただきたく、参上いたしました」


 庶民らしく領主を前に、マリアは頭をたれる。薬をなりわいとしていると、伝えると。領主アルノルトは椅子から降りた。


「おお、聞きおよんでおるぞ。そなたが王宮錬金術師セシリー殿の、弟子なのだな」


「知っていただけていたとは、光栄のきわみにございます」


 スカートの端をつまんで、うやうやしくお辞儀する。慣れたものだ。王女としての肩書きを捨てるならば、身につけなくてはならない作法がいくつもあった。旅をしながら、エリスとクレアがたたきこんでくれたのである。


「セシリー殿には、世話になっている。どうぞ、我が城にとまっていっておくれ。商売の方も、自由にしてくれてかまわない」


「よろしいのですか。では、お世話になります」


 とくべつな身分などない『かしこい女』にしては、ずいぶん豪華な部屋が用意された。寝台さえあれば文句などなかったのだが、シャンデリアがさがった天井。ほこりひとつない床。机と椅子まで、完備している。エリスとクレアにも、同等の部屋が用意されていたらしい。広すぎて落ち着かない、と、もらしたのはエリスだ。居城での暮らしにもなれていたはずなのだが、五ヶ月も行商人生活をつづけている。野宿と安宿が、板についたのだろう。


「さあさ、薬草を売りさばくわよ」


 広場で準備をととのえると、クレアは声を張り上げた。夕刻までさほど時間はないが、金を稼がなくてはならない。品物をひとびとの前に広げていた。珍しい薬草もとりあつかっているのもあって、とぶように売れる。夜の足音が近づけば、客入りも少なくなる。寝台にじっくり眠りたいのもあって、店じまいをすると城へいそいだ。ぜいたくな食事まで用意されていた。いたれりつくせりで、申し訳ないほどである。


「かしこい女でしかない身分には、もったいないきわみでございます」


「とんでもない。かしこい女は薬草にたけていて、ひとびとの病すらも治してしまうのだとか。国が大切にすべき、宝でございます」


 領主はおおげさに、かぶりを大きく振った。食事をありがたくいただくと、寝室へ入る。広い部屋は落ち着かぬと、エリスとクレアがたずねてきた。あきらかに建前で、目的は「護衛」だろう。心配性な騎士様からの命を、忠実に守っている。


「領主様の腹の内がわからない以上、姫様をひとりにさせるわけにいきませぬ」


 本当にエリスは、忠実である。

 行商人として旅をしながら、ベルク公に寝返ってはいないものを探している。王都が落ちた日。騎士レイヴァンは瞬時に、手を打った。みずからが這わせている間者の網に、ベルク公が弑逆した情報を流したのである。同時に諸侯らに表面ではベルク公にしたがっているふりをし、裏では間者を使って情報を流すように文を飛ばした。だが、本当にベルク公と手を組んでいる貴族がいてもおかしくはない。見極めるため、マリア達は旅を続けているのであった。


「そろそろ間者の方から、接触してきてもいいころあいなんだけれどね」


 クレアがもらしたとき。扉越しにおごそかな、声が聞こえてきた。


「ふるえて、ゆれて、小さな木

 わたしに金銀ふりかけて」


 間者のあいことばだ。エリスが扉を開けると、ひとりの侍女が入ってきた。


「お初にお目にかかります。ザンサイト要塞の間者です」


 うやうやしく頭をたれて、紙切れを渡してきた。フローライト公国軍が、国境を越えて近くの町や村を軍事力で支配しているという。


「ベルク公は、どう出たのですか」


「おそらく近日中にベルク公の息がかかったものが、演説をなさるでしょう」


 間者の予想は当たった。翌日の早朝。ひとびとを広間にあつめて、演説をはじめたのだ。


「フローライト公国軍が、すぐ側までせまっております。さらには国境付近の村を、乗っ取りました。しかし、安心してください。ベルク公はその地を手放し、穏便に運ぼうと考えておられます」


 あほうでもわかる。フローライト公国軍は、侵略者だ。やがてベスビアナイト国は、一方的にじゅうりんされるだろう。オブシディアン共和国が応援要請をしても、援軍は一兵も向かわなかった。ベルク公がすべて、はねのけているのだ。軍事力のとぼしい国ゆえに、数日で城は落ちたという。

 城へ戻って、ふたたび間者と接触した。領主の情報を欲したためである。


「領主様は全面的に、殿下を支援する所存とおっしゃっておりました」


 確認さえとれれば十分だ。かつてはベルク公を支援していた貴族達も、離反している動きがある。支城や街へおもむいたとき、ときどき貴族が声をかけてくれた。「どうか。あなた様にお力添えをさせていただきたく、参上いたしました」と。国民の不満も、いまにでもわき出しそうないきおいだ。


「マリア、ここを出ますか」


 エリスにうなづく。事態は一刻をあらそう。これ以上、ベルク公の好きにさせるわけにいかない。昼をむかえる前に、ザンサイト要塞を出た。街道をすすむと、街へたどりつく。要塞が近いからか。人も多く、にぎわっている。ここでは掲示板に、張り紙がなされていた。演説と同じ内容だ。ひとびとの不満がなまなましく、鼓膜をゆさぶる。


「新しい王様は、なにをやっているんだい。王女様は行方知れずだというじゃないか。いったい、どこにいらっしゃるのだろう」


 まさか聞いているなど、夢にも思うまい。けわしい表情をうかばせていると、エリスが肩をたたいてきた。手を引かれるままに群衆から離れると、一人の男が洋琵琶リュートをかきならしている。


「お久しぶりですね、姫様。いまは『かしこい女』でしたか」


「ギル! 大事なかったか」


 守人ギルはかたひざをついて、マリアにひざまづく。


「ええ。とどこおりなく、準備はととのいました」


 クレアは頬を紅潮させ、エリスは険しい色を瞳にやどした。マリアは三人を見回して、にっこりとほほえむ。


「行こうか。エイドス支城へ」


 ギルもくわわって、必要なものだけをそろえて出立した。遠くとも“皆”のいる街へ、向かわなくてはなるまい。この日は街へつく前に、夜をむかえてしまった。野宿にはなれたとはいえ、今宵はちがう。もうのんびりとした時間は出来ぬ。クレアは目がさえてしまった。マリアもエリスも、すでに夢の中だ。おこさぬよう立ち上がって、近くの川に指先を沈ませる。つめたさがよどんだ心を、流してくれるかもしれないと期待をこめた。


お嬢さんフロイライン、いかがなさいましたか」


 ギルのやさしい声色が、鼓膜をゆさぶった。微苦笑をうかべて、ふりかえる。うすい三日月のあかりが、彼の横顔をうつくしくいろどった。腹が立つほどに、絵になる男である。


「旅が終わってしまうのだと思うと、ねむれなくて」


「楽しかったのですか。かしこい女殿との旅は」


 ちいさく、うなづく。ギルはとなりにきて、そっと髪にふれた。


「俺はまったくもって、楽しくございませんでしたよ。騎士殿に伝書鳩のごとく、こき使われて」


 数回またたいたあと、吹き出してわらってしまった。ギルは不機嫌になって、むくれてしまう。あやまるけれども、そっぽを向いてすねた。子どもみたいな仕草に、妙な愛らしさを感じる。


「お願い、機嫌なおして」


「嫌ですよ」


 ふいに小さく笑うと、演劇しばいじみた動きでクレアの手を取った。


「次は俺と一緒に、旅をしましょう」


「もうしているじゃない?」


 小首をかしげると、ギルが頭をかかえた。天然もここまでくれば立派だとか、気づかないものかねとか、ぶつぶつぼやきはじめる。どういう意味なのか、と、クレアが詰め寄るとひざまづいた。


「これからのあなたの時間を、俺と共有していただけませんか。愛しております」


 左手薬指に指輪がはめられた。大きさが、ちょうどである。いつの間に、はかったのだろう。たずねると、「手を握ればわかる」とわらった。女好きは筋金入りである。


「返事はないのですか」


 指輪を用意していた事実におどろいて、わすれてしまっていた。にっこりと笑んで、だきつく。


「決まっているわ! 私だって、大好きよ」


 同時に疑問がわき上がる。いままで「人に愛される資格がない」と、特定の一人を選びはしなかった。どういう風の吹き回しだろう。隠しもせずに、問いかける。ギルは晴れ渡る表情をうかべた。


「エリスがレイヴァンに、言っていたんだ。関係ない話を持ち出して、『諦める口実』を見つけているだけだと」


 エリスはレイヴァンだけでなく、ギルすらも変えてしまったのだ。告白へ踏み切る勇気を、だらしのない人に与えた。


「エリスはいい男ね。ほれてしまうわ」


 なにげなくもらせば、ギルが苦笑する。


「返事の取り消しは、受け付けておりませんよ」


「あら、妬いてくれるの。大丈夫よ、取り消さないから」


 強く腕をつかむ。色を好むのに好きな相手には、素直になれない。不器用な男。選んでくれたのに、手放すものか。彼と一緒ならば、どんなに遠い未来も見通せる。眷属の声は聞こえずとも、ひとつもおそろしくない。少しずつ守人としての力が、うしなわれていっているのを感じる。誰に教えられたわけではない。微量ではあるが、消えていっている。三つの宝玉が壊れた日から。


「守人の役目は終わったのだろうな」


 ギルがつぶやく。


「でも私たちは変わらないわ。これからも、姫様をおそばでおささえしなくては」


 そうクレアは笑っていたが、ギルは勘づいていた。おそらく守人全員が、側に残るわけではない。誰かは旅立ってしまうだろうと。

 数十日、幌馬車を走らせてエイドス支城へ戻ってきた。城主アーロンはマリアたちをむかえいれると、うやうやしく頭をたれた。準備はすっかりととのっております、と。


「ありがとう、アーロン。ここから挙兵し、弑逆者ベルクを討つ。どうか力を貸してくれ」


 王子の表情になって、マリアは皆を見回す。騎士レイヴァンを筆頭に、全員がひざまづいた。その日のうちに準備を終えると、すぐ出立しようとした。刹那。正騎士フランツに助け出されていたビアンカが、駆け寄ってくる。


「殿下、ご武運を」


「ありがとう。どうか、この城で待っていて欲しい」


 王女マリアの合図で、兵は一斉にかけだした。めざすは王都ベスビアス。土埃が天高く、舞い上がっていた。


***


 空には暗雲がうずまき、王都を闇につつんでいる。国王となったクリストファーであったが、ベルクに対して疑念を抱きはじめていた。ディアナ嬢をうしなって、国を乗っ取った日からベルク公は気がふれてしまっている。なにより育ての親どうぜんであったディアナ嬢の子に、自分は手をかけていたのだと知って愕然としてしまった。


「あの、閣下。このままでは、国がほろんでしまいます」


 よわよわしい声色で忠言すると、ベルクが手に持っている鞭で机をたたいた。躰が震える。


「こんな国など、どうでもよいわ。そもそもフローライト公国に明け渡すために乗っ取ったのだ。なんら問題ない」


 おどろいてしまって、目を見開く。


「お前も炎にまかれてしまえばよかったのに。さすれば、真実も知らずに幸福なまま死ねただろう」


「どういう意味でしょうか」


 ベルクは鼻で笑った。莫迦ばかにするひびきが、こもっている。


「わからんか。捨て子は純粋で利用しやすいうえに、いくらでも過去をねつ造できる」


 利用されていたのかと、クリストファーは理解した。しかも王の子ですらなかったのか。真実は耳をつらぬき、内臓をえぐる。信じていたものが、壊れていく。声がふるえる。


「ベルク様は僕を、王の子だとおしゃっていたではございませぬか」


「王族の血など、お前に流れているわけないだろう。ディアナ嬢の娘であるマリア様を見たか。金の髪に、青い瞳。あれぞ、王族の証であるぞ」


 世界がゆがんでいく。色がうしなわれたように、鉛色に見えた。侍従メルヒオールがはいってきて、部屋から追い出される。力のない足取りでふらふらと、廊下をすすんでいた。


「クリス様!」


 臣下イザベッラが駆け寄ってくる。マーセルも一緒だ。姿が見えないから、心配して探していたらしい。


「僕は王の子ではないらしい。ならばいったい、なんのために……」


 左手のひらで顔を押さえる。両目からとめどなく、涙があふれた。幼子のように、泣き崩れる。イザベッラはそっと、クリストファーを抱きしめる。マーセルはただじっと、けわしい顔色で嘆きを聞いていた。

 一刻経って泣き疲れたクリストファーを、二人は部屋へ運ぶ。


「ベルク閣下はやはり、クリス様をだましておられたのか」


 やさしいイザベッラだ。心をいためているのだろう。マーセルは部屋を出て行こうとした。


「どこへ行く」


「ベルク公が味方ではないとわかった以上、クリス様に害をなす可能性が高い。俺はいま、俺の出来ることをするだけだよ」


 クリスの臣下の顔を脱ぎ捨てて、エーヴァルト卿麾下の間者になる。周りは敵しかいないが、逃げ道はつねに考えている。でなければ、命を落としかねない。ベルクの部屋の扉に、耳を貼り付けた。


「いまはまだ、殿下のゆくえはつかめておりません。支城もおどろくくらい、じっとしております」


「油断するなよ。どこに元正騎士長の間者が、うろついているかわかったものではない」


 うまく隠れているようだ。胸中だけで、息をつく。公邸に住んでいたものらは、内乱が起きる前から離宮に避難させている。マリア付きのメイドであるビアンカは、どうにか城から脱出させた。正騎士長麾下の者だと、本当の身分を教えるとおどろいていたが。おそらく正騎士フランツにひろってもらえただろう。こちらに急行していたようであったから。王妃様を逃がすのには失敗した。いまは牢獄に入れられている。隙を見て逃がしたいが、不用意に動けない。殿下やエーヴァルト卿は、国を取り戻すために動いているだろう。軍を動かしたときが、ねらい目だ。そちらに目が行っている間に、助け出すのは可能なはずだ。否。みずからが王妃を逃がさずとも、内側から門を開けてしまえば問題ない。手引きする手はずは、ととのっている。大切なのは、いつ殿下たちが動くか。戦う日がわかれば、よいのだが。残念ながら、殿下側の情報がわからない。文は途絶えている。間者の身を危惧して、わざと送ってこないのだろうか。たしかに居城には敵しかいない。


「マーセル殿、いかがなさいましたか。もしや、戦でもはじまるのですか」


 廊下をあるいていると、傭兵が声をかけてきた。けわしい顔をしてしまっていたか。


「いや、ただの考え事だ」


「王女様はまだ見つかっておられませんからね。挙兵してこないか、心配ですよね」


「そんなところだ。しっかり、城を守ってくれよ」


 傭兵は「任せてください」と、敬礼する。ふっとわらって、その場をはなれた。心配ではある。間違っていない。どうにかベルク公に、ばれないうちに挙兵してこないだろうか。いまばれれば、処刑されるのは目に見えている。


「いつになれば、かぼちゃの馬車をたずさえてお姫様はあらわれるのかね」


 深い息がくちびるからこぼれる。いまはベルク公の現在の情報を、あつめるほかない。外の情報が欲しいが、ぜいたくは言えない。こちらから発信すれば、ベルク公はめざとく見つけてくるだろう。大人しく情報収集だけに、つとめるしかない。一つでも多く、殿下にお伝えするために。


「ふるえて、ゆれて、小さな木

 わたしに金銀ふりかけて」


 誰にもとどかぬ呪文を、ひとりごちた。大切なものを守るために、命をかけている者だけが使う魔法。千里先を見通すための、正騎士長様の巨大な魔法。

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