第二十四章 うしなわれた王朝

 夜陰につつまれてしまえば、前と後ろとを見うしなった。ともした灯りは、とうに吹雪で消え去っている。王都へとつづくはずの道も、闇に飲まれた。運に見放されたか。宿はどこも満室で、夜通し歩かなくてはならなくなった。肌はすっかりあかぎれて、王女の甘やかさが抜けている。叙事詩に出てくる英雄のようだ。


「ご無事ですか、姫様」


 エリスのけわしい声が右耳をうった。からめた手からも、たしかな体温を感じるが心配して声をかけてくれる。


「大丈夫だよ、エリスは?」


 平気ですと、心地よく耳にとどいた。いまは見えないが、朗笑をうかべているかもしれない。前方にいるレジーにも声をかけた。


「王都は見えませんか」


「居城のあかりすら見えないよ」


 夜でも華やかで明るい居城すら見えないとなれば、街道を渡りきってはいないのだろう。国境は二日前に超えているはずなのに、いまだたどり着かない。船も使えず、馬車も使えない。徒歩ですすむ弊害を、実感した。覚悟していただろう守人たちには、尊敬の念を抱かずにいられない。凍死せずにいられるのも、彼らのおかげだ。握りしめる手に、力がこもる。


「見えた」


 吹き付けてくる風花の中で、地上の光を見つけた。残り数歩の街道を駆けて、王都ベスビアスへ到着した。最奥の城までたどり着くと、跳ね橋は引き上げられてはいなかった。変わりに落とし格子が、下ろされている。昼間であれば開かれているから、閉まっているのを初めて見た。夜は侵入を防ぐために、閉じていたのだろうか。否、堀に水がためられている。戦時にそなえているとしかとれない。

 城門塔から衛兵が降りてきた。誰が通ろうとしているか、確認のためだろう。王女と理解した瞬間、おどろいて中へ引っ込んだ。落とし格子が開いて、ようやく敷地内へ入る。夜遅い。暖と少しの食事さえ、もらえればいい。レイヴァンと会うのは、明日になるだろう。軽い気持ちで、居館の扉を開いた。軽装ではあるものの、剣と軍靴を手放さない正騎士長の姿が飛び込んできた。


「ビアンカに暖と軽い食事を用意させております。広間にお行きください」


 レジーとエリスは正騎士長のとなりを素通りしたが、ジュリアは引き留められた。三人の姿が見えなくなってから、騎士が口を開いた。目に見えないはずの声に、あきらかな怒りがにじんでいる。


「なぜお止めしなかった。吹雪の中を通る『害』もわからぬほど、もうろくしたのか」


「違いますでしょう。正騎士長様。あなたは思い通りに動かぬ姫が、気に入らぬのでしょう」


 主君は“我らが王”である王女マリアのみ。最高司令官エーヴァルト卿の命を、聞き入れなければならぬいわれはない。守人ジュリアの主張はただしかった。


「凍死する危険を背負ってまで、命を遂行したのか」


「ええ、主君が望みましたから」


 黒い瞳がけわしい色をやどした。


「忘れていた。お前は殿下の奴隷であったな」


「ええ。わたくしは姫様の奴隷ですもの」


 皮肉ってやったのに否定しない。簡単な思考回路の持ち主であれば、怒り狂う言辞であるのに。あきらめてレイヴァンは、広間に向かってすすみだした。


「つかれただろう。食事の用意が出来ているころだ」


 ジュリアは朗笑を浮かべて、広間の扉をくぐった。ちょうど、出来たての食事が運ばれてくるところだ。部屋もじゅうぶんに、あたためられている。戦場でもくぐりぬけたのかと感じるほど、疲労と空腹がかさなった。素朴であったが湯気の立つ食事に、心ごとすくわれる。王女マリアがあまりに至福の表情で食すものだから、皆がすっかりつられて数分でたいらげてしまった。

 気を遣ってくれているのか。食後にハーブティも出される。鼻にあたる独特のかおり。どこで嗅いだのだろうと、思考をめぐらせてマリアは気づいた。


「これはシナモン?」


「はい。吹雪の中にずっといただろうと、躰をあたためてくれるシナモンティーにいたしました」


 知らない間に学んでいたのか。マリアは「ありがとう」と、お茶をすすった。内側から体温が上昇していくのを感じる。とくにシナモンは風邪予防にもいい。考えてくれているのだと実感して、喜びが隠せなかった。心も胃も満たされると、正騎士長が切り込んできた。想定内であるから、王女は動じない。


「なぜお戻りになったのですか。凍死する危険を考えなかったのですか」


「危険を背負う価値があるから選んだ」


 わざとらしく音をたてて立ち上がると、黒い瞳を見つめ返した。


「答えてくれ、レイヴァン」


 専属護衛といいながら、側にいない。王女である自分に、一つも情勢を教えてくれない。吹雪で戻ってこないと践んで、他国に追いやる。のけ者にしているだけではないのか。戦がはじまるかもしれないときに、王女が王都にいないとなっては皆が不審がるではないか。マリアが思考をぶちまけると、騎士の瞳が鉛色にひかった。しんと静まった部屋で、暖炉の光が音とともにひらめく。


「気づいてしまわれたのですか、姫様」


 躰が冷えていく。近づいてくる軍靴に表情が消えていった。


「無知なままエピドートにとどまっておれば、よいものを」


 そうですよ、と、黒い騎士は肯定した。足手まといである王女が側にいると、職務がまっとうできない。邪魔だから皇帝陛下にたのんだ。冬営の間だけであるから、先方もこころよく引き受けてくれた。もともと次期国王がどんな方か、ぜひ来訪して欲しいと使者も来ていた。ちょうどよいと、時期を早めたらしい。


「わかった。明日にでも父上に『専属護衛の任』を解くようはからおう。それがいいのだろう」


 騎士は否定も肯定もしなかった。


「さいごに聞かせて欲しい。好きだと言ってくれたのも、嘘だったのか」


 一拍、間が開いた。


「ええ、そうですよ」


 マリアは「わかった」とうなづいて部屋を出た。足早に回廊を抜ける。自分の部屋へ戻ると、力が抜けて足から崩れ落ちる。外套をにぎりしめて、泣きじゃくった。涙を流したのは、久しぶりかもしれない。こらえていた感情が、せきをきってあふれた。望む言葉をくれる騎士は、もういなくなったのだ。自分の足でたたなくては、誰も手をさしのべてくれない。国を救った王女と、民はほめたたえる。間違いだ。ただやさしくあまい言葉に、酔いしれていただけだ。うごかしやすい「奴隷」でしかない。現状に違和感すら抱かずに。気づいた瞬間、おそろしくて身震いする。まぼろしを信じていたと、気づけただけ良かっただろう。人に期待するから、裏切られた気分におちいるのだ。


「そうだ。他人は変えられなくても、自分は変えられる」


 涙を強引にぬぐって、立ち上がる。鏡をのぞくと、泥と傷にまみれた少女がいた。瞳はいまにも泣きそうで、赤くはれあがっている。胸中でいいきかせた。時間は「いま」しかなく、思考を止めてはならない、と。

 寝台にもぐる。屋根のある部屋で眠るのも、久方ぶりな気がしてしまう。やわらかい布団の中は、安心してしまって思考を巡らせる時間もなく意識を手放した。

 太陽も昇らぬ時間から、目を覚ましてしまった。昨夜は遅い時間に帰ってきたはずなのに、つかれはすっかり取れている。朝早くから起きる習慣が、出来てしまったらしい。軽く伸びをして着替えると、部屋を出た。あれから、レジーたちはどうしたのだろう。レイヴァンと取っ組み合いになってはいなかっただろうか。感情をおさえるのに必死で、彼らを置いてきてしまったのは失態だ。もう主君と呼んではくれないかもしれない。否、仕方のない話だ。まわりにきらわれて、城を追い出されるのも一興。どうやら自分は王の子ではないらしい。あきらめて農民か、行商人をするのも悪くない。

 可能性をあれこれ考えていると、楽しくなってきた。マリアがはずむ足取りで、書庫へ向かっていると。


「姫様?」


 公爵ディアナがいた。


「いつお戻りになられたのですか」


「昨夜遅い時間に」


「そうだったのですね。そうだわ。朝食をご一緒しない? 渡すものもありますから」


 よろこんで受け入れて、一度部屋へ戻った。お湯を持ったビアンカが、おろおろしている。申し訳ない気持ちになりながら、顔を洗うとディアナのもとをたずねた。


「お姫様、そうとう過酷な旅だったのでしょう。ずいぶん泣きましたね」


「いや、これは……」


 言いよどんで視線を外した。あとで目元をあたためよう。かたく心にちかう。ソロモンや他の守人たちにいらぬ心配をかけたくない。軽く受け流して、ディアナはあかぎれまみれの手をにぎる。


「さあ、今日はゆったりと食事をしましょう。休めてはいないのでしょう」


 精神はかなり消耗している。ゆるやかな時間がほしいと、願っていたところだ。


「はい」


 自然と笑みがあふれて、うながされるまま椅子に座った。ならべられた食事からは、ほんのり湯気がたっている。かおりが鼻腔にあたった。そうとう空腹であったらしい。腹が音をかなでた。いささか羞恥にかられて、頬を赤らめる。


「ふふ、食事をはじめましょうか」


 キノコのサラダを最初に口にしてから、キャベツの漬け物ザワークラウトを食べた。酢の味わいをたんのうして、クレソンのスープをさじですくった。二口目はライ麦のパンをひたして食べる。公爵の前であるのもわすれて、好きな食べ方をしてしまった。はたと我に返る。


「す、すみません」


 はしたないと、顔をしかめているかもしれない。ぱっと顔を上げると、にこにこと朗笑していた。


「あやまらなくて、かまいませんよ。姫様のお好きなように食べてくだされば」


 王女としての立場をわすれてしまって、王族の名を汚してはいないか。嫌われても仕方ないとわりきっているとしても、さすがにまずい。軽く頭を下げてあやまると、逆におどろいた表情をされる。


「王女様なのですから、公爵に気をつかわなくていいのですよ」


 国をすくったのも、王女なのですから。頭が上がる人なんていません。公爵ディアナはやさしく、心をすくい上げてくれた。されどマリアの表情はうかない。手の中でさじをいじりながら、考え込む。やがて首を振った。


「どんな方に対してであっても、敬意をおこたってはいけませんから。お見苦しいところを、お目にかけて申し訳ございません」


 マリアに似た青い瞳が、大きく開かれる。


「ずいぶん、かしこくなったわね。国へ戻ってきたのも、真実をつかみたいからかしら」


 公爵ディアナの目はごまかせない。肯定した。優雅な貴族らしい笑みをうかべて、ちぎったライ麦のパンをスープにひたした。止める間もなく、口へ運ばれる。


「あら、本当に美味しいわね。スープにひたした方が、いい気がするわ」


 となりで執事ゲルトが「はしたない」と注意している。ライ麦でつくったパンは、小麦でつくったパンにくらべてかたい。寒い国であるベスビアナイトは、小麦は育ちにくい。たいはんは、ライ麦だ。スープにひたす行為によって、やわらかくなる。ぜひ国に広めたいと、ディアナは楽しげだ。やれやれと、ゲルトはこめかみを押さえる。つかれが、にじんでいた。

 食事をおえると、ディアナは古びた一冊の本をわたしてきた。アレシアからあずかったものらしい。開いてみると、レジーから聞いた話と少し違う建国神話が載っていた。


「どうするかは、姫様次第ですよ」


 うなづいて部屋を出た。かつての領土をとりもどしたいなどと、野心はいだかない。いまは別の国だ。ただアレシアはどんな思いで、本をたくしたのだろう。対立する危険をいだいたはずだ。本を握る手に力がこもる。なにを願ってたくしたのであれ、考えてすすむのは自分だ。

 さっそうと回廊をすすんでいると、公爵ソロモンがおどろいて近寄ってきた。まさか戻ってくると、想像すらしなかったみたいだ。


「お戻りになったのですか。猛吹雪の中をとおって?」


「うん。真実を知りたかったから」


「求めていた真実はわかりましたか」


 ひとつは答えがかえってきた。まだ他にも求めている真実がある。立ち止まってはいられない。鼓膜をゆさぶる主君の声に、涙がふくんでいる気がした。ソロモンは伸ばした手を止めた。同時にマリアの腕に巻き付けられた手ぬぐいに見覚えがあると、気づいた。見せてもらうと、父が唯一家を出るときに持ち出したものだ。


「姫様、これをどこで」


「ある宿に泊まったときに、ある人がくれたんだ。不要だからと」


 ようやく見つけた。ようやく出逢えたのだ。息子ソロモンは涙をこぼした。いままで影すらつかめなかった人物の欠片を、王女がつかみとってくれた。ありがとうございます、と、手をきつく握る。言葉にならない思いが、洪水となって理性を破壊した。


「城へまねいた方がよかっただろうか」


 いいえと、ソロモンは首を振った。


「姫様を通して、ふたたび会えました。じゅうぶんです」


 家ごとすてた貴族が、いまさら王につかえるなど無理な話だ。屋敷におらずとも、遠く離れていても、生きているとわかっただけ幸せである。はれわたる朗らかな笑みを、ソロモンはうかべた。


「なにか話しておりましたか」


 やさしい表情で、両親と似ている部分を教えてくれた。性格は母親似で、顔立ちは父親に似ていると。はじめていわれたからうれしかったと、心情まで語った。


「どうやら、わたしは国王陛下と妃殿下の娘ではないらしい」


 ソロモンが呼吸を止めた。一瞬であったが、はりつめたのを感じる。知らなかったのは、自分だけか。やや肩を落とした。


「そうか。おぬしは知っていたのか」


「申し訳ございません。いまは話すべきではないと、黙っておりました」


 自分でもわかるほど、かつては精神が不安定だった。決断がゆるぐ事態になっては、国をうしなってしまう危険がある。あえて黙っていたのだろう。頭を下げるソロモンに「あげてくれ」とお願いする。不安をにじませる策士の手を握った。


「大丈夫だよ。きっとわたしも同じ選択をした。側にいてくれて、ありがとう」


 真冬であるのに、心に春のいぶきが舞い込んできた。臣下であっても、対等に接する王女はうつくしい。エピドートから戻ってきて、芯の強さを感じる。あまやかさが抜けて、やさしさが前より強くなった。かりそめではなく、真実の姿があらわれたのだ。知らず知らずのうちに、片膝をついて頭をたれていた。


『違えません。我はもとより、我が王の臣下』


 知らぬはずの言語が唇からながれた。否、知っていた。遠い記憶の中で、埋もれていた古い言霊。ここちよく、辺りに満ちる。


「あらためまして、我らが王。わたくしは古の三賢者が一人。ずっとあなたを待っておりました」


「ソロモンが三賢者だったのか」


 ふに落ちて、マリアは笑みをこぼした。はじめから自分を、「我らが王」と認識していたか尋ねる。いいえ、と、ゆるやかに首を振った。


「記憶がよみがえったのは、最近です。クレアの言葉で、倒れたときがあったでしょう」


 正当王位継承者をたてる儀が、行われるはずだった日だ。あのときから、かつての記憶が戻っていたという。ソロモンのようすが、違い始めたのがどうしてか。いまになって、わかった。初代女王時代の人格が、混ざっていたからなのだろう。


「これからも、わたしの側にいてくれる?」


「ええ、もちろん。誠心誠意、つくさせていただきます」


 あなたとともに未来をつくりたい。理想をつかむお手伝いがしたい。三賢者ソロモンが真の意味で、臣下となった瞬間であった。まずはじめに、レイヴァンのたくらみがなにか。知りたいと、願った。

 一度わかれて、マリアは部屋へもどった。古びた本を、机上へ置く。ソロモンの部屋を訪ねると、ちょうどエリスがハーブティを準備してくれていた。


「レイヴァンはわたしが不在の間に、内乱にかたをつけたい。と、考えている。そうとって、間違いないんだよね」


「ええ。しかし、姫様が戻って参りましたから作戦は失敗です。彼にとっては、大きな誤算でしょう」


 レイヴァンにとって、あつかいやすい王女でしかなかったのだ。戻ってきてから、ひしひしと実感する。


「わたくしもレイヴァンがなんのために、作戦を企てたのか存じません」


 考えられるのは、自分が実権を握り王を操作する。政治に失敗しても、王の首一つをさしだせばいい。自分は被害をこうむらない。


「違います」


 ぶるりと躰をふるわせたマリアに、お茶を注ぎながらエリスがはんろんした。


「レイヴァン様を『害』と、眷属は判断しておりません。別のところに目的があるはずです」


 するりとバルコニーから、ギルが姿をあらわして洋琵琶リュートをかきならした。


「エリスが正解ですよ。レイヴァンの思いは、どこまでも純真できよらかだ。水もにごっていない」


「ならば、目的はなんだ」


 ソロモンが口にして、はっとする。額には脂汗が伝っていた。口許をおさえた指がふるえている。エリスが心配になって声をかけると、「ああ」とぼやいてお茶をすすった。体調が悪そうだ。出直すよと、マリアは部屋を出る。ちょうどレイヴァンも用があったのか。廊下で立っていた。内臓が凍えていく。いま笑顔を向けられるほど、強くはない。


「ソロモンなら、中にいるよ。それじゃあ」


 立ち去ろうとすれば、腕が目前をさえぎって行く手をはばむ。壁が音を立てた。


「あなたが聞きたかったのは、あれだけだったのですか」


「うん。あとは自分で調べるから」


 なかなか腕をのけないものだから、騎士を見上げる。久しぶりに直視した日に焼けた若い顔。顔立ちがよく、ととのっている。メイドたちがさわぐのも無理もない。失恋をのみこめていない。見つめられると、勘違いをしてしまう。どんなに瞳の奥がこごえていても。そうだ。忘れていた。自分の中ではじき出した答えを、きちんと口にしていない。自然と口角が上がった。


「伝えるのを忘れていた。わたしはあなたが好きだよ」


「……嘘だとお伝えしたはずですが」


 ゆるんだ腕からすり抜けて、のびた薄い金の髪をひるがえす。窓からこぼれる太陽光を反射してきらめいた。


「かまわない。わたしの中にある『答え』は、幾度繰り返しても変わらなかったから」


 あなたにだって、変えられない。言い残して、立ち去る。自分でもおどろくほど、晴れやかな気分だ。相手がどう思っていようと、「答え」はゆるぎはしなかった。心臓をえぐられたと感じるほど、痛みと悲しみにおそわれたとしても「答え」は変わらなかった。

 すずやかなマリアの後ろ姿をながめて、レイヴァンはたちつくす。嘘を信じたうえで、「好き」と口にしたのだ。おどろいた。洗脳がとけたうえで、わざわざ王都まで戻ってきた。うれしい反面、恐怖がすくっていた。どんな責め苦をかえされるだろう、と。予想はみごとに裏切られた。責められると思えば、ただうけとめられる。嫌われると思えば、好きと言われた。頭をかかえる。扉がひらいて、ソロモンが顔をのぞかせた。


「話は終わったか」


 用があったと気づいて部屋へ入ると、エリスもギルもほこらしげな表情だ。


「姫様の方がであったな」


 ソロモンの台詞で合点がいく。つつぬけだったか。


「姫様は依存から脱却しました。本来の強さを取り戻したのです。知った上で、レイヴァン様をお選びになりました」


 あなたともあろう方が、意味を解さないはずがない。エリスはするどい眼光を、レイヴァンになげつけた。


「あなたはどうしたいのですか。姫様と主従でありたいのですか。恋仲になりたいのですか」


 エリスから目をそらした。ギルまでも乗っかって、「ぜひ聞きたいね」と近づいてきた。


「いつまで目をそらしつづける気ですかね。正騎士長ともあろう者が」


 ギルのささやきに、いきどおって胸ぐらをつかんでいた。


「知らぬから、言えるのだ。俺がいままで、どんな想いで……!」


「ああ、知らないね。人生は一度きりなのに、複雑に考えて戦おうとしない人なんて」


 レイヴァンの手がゆるんだ。ギルがにやりと笑う。


「カエサル殿がおっしゃっておりました。自分の目が複雑に見ているだけで、世界は単純だと」


 姫様はあなたとの恋が困難であったとしても、乗り越える意志を固めました。あなたはどうですかと、エリスがつぶやいた。


「俺は『この恋』をかなえる気はない。大切な人を傷つけるくらいなら、一人でいる方がいい」


 ぽつりぽつりとレイヴァンは語った。躰に流れる忌まわしい血の話を。

 王の執務室を出て、マリアは息を吐き出す。レイヴァンの専属護衛の任を解くよう申し出てきたのだ。二つ返事で承諾がもらえた。もともと国王は、外したがっていたからだろう。あっけないなと感じながら、書庫へ向かう。パーライト王朝に関する本を数冊抜き取って、部屋へ戻った。

 まだオブシディアンの地が独立していないとき、かつて存在したベスビアナイトの王朝。一番の側近であった者が、当時の王を弑逆してつくられた。後、逃げ延びた先王の子が王都を奪還。アイドクレーズ王朝を再興。


「……パーライトの子が逃げ延びていると、されているが詳細は不明」


 レイヴァンが背負っているものに、胸を衝かれた。

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