第二十三章 参謀

 雪がつぶてとなって行く手を阻む。視界は白い壁によって閉ざされる。ずいぶん長い間、吹雪の中をさまよっていた。馬車の車輪はエピドートを超えて間もなく、動かなくなってしまった。船で海を渡るのもかなわず、マリアたちは徒歩で王都ベスビアスを目指す。予測はしていたが、きびしい道のりとなりそうだ。守人レジーが力を使って、やわらげてくれているのが救いだ。

 地図上、ベスビアナイトとエピドートは陸続きだ。距離もさほど遠くはない。冬でさえなければ、馬車で街道をすすめる。さらに早く着きたくば、船で海上を渡っていける。いまは馬車で行くのも、渡航するのも不可能だ。

 手をかざして、前を見つめる。すっかり銀世界だ。街道はおろか。どこを進んでいるのか、わからなくなってしまう。レジーがしるべとなってくれているからか。マリアの不安がいくらかやわらいだ。見うしなわぬようエリスとジュリアが、左右でかたく手をつないでくれてもいる。大切な仲間がいるのに、自らが選んだ道を後悔などするはずがない。


「町がある」


 レジーが見つけてくれた。ほっと息を出す。屋根のある場所で、眠れる可能性が出てきたのだ。歩をすすめると、煙突から煙が吐き出される。人がいる証拠だ。人心地つけないかと、一軒一軒扉をたたいてまわった。小さいが宿があると教えてもられば、心底よろこんだ。短い時間でも屋根のある空間にいられるのである。宿代と食事代を払おうとすれば、女主人は「かまわないよ」とそっけない態度で麻袋をしまわせた。


「極寒の中だ。他にも入り用が出てくるだろう」


 感謝しながら暖炉の側で、スープとパンをたいらげた。さめきった心身には、ぬくもりがじわりと広がる。夕食を終えると、一つの部屋に案内された。うすい布が敷かれた寝台は一つ。あきらかに粗末だ。


「悪いね。もともと部屋数は少ないし、今日にかぎって他にも客がいるんだ」


 あとから人数分の毛布と、暖炉用に薪も運んできてくれた。無料でありながら、有り難い。感謝を述べると、寝台にもぐる。凍えた躰は、温度をなかなか上げてはくれない。皆で肩寄せ合って、朝を待った。

 寒さがつんと躰にささって、マリアは目を覚ました。暖炉にあった薪は、すっかり灰になっている。窓からこぼれる光が、ほのかにあたたかいぐらいだ。


「……マリア」


 もたれかかって眠っていたレジーが目を覚ました。エリスとジュリアは、姿がない。はやくから起きているのだろう。


「レジー、無理していない?」


「してないよ。マリアの側にいれば、回復なんてあっという間だから」


 つよく抱きしめてきた。寝ぼけているのかもしれない。かるく身をすり寄せる。ゆっくりとした時間はいつぶりだろう。


「ねえ、マリアは国に戻ってどうするの」


「つかみ損ねた真実をたしかめたい。いままで気づかなかった事実を、うけとめたい」


 正騎士長レイヴァンには見えているものが、一つも見えていないと自覚した。ならば行動に移すのみだ。


「レイヴァンが非難するかもしれないよ」


 ぶるりと、躰が震える。レイヴァンに嫌われるのが、一番つらい。言われるままエピドートにとどまっていれば、甘言と笑みを返してはくれるだろう。ただ、さきにあるのは「あやつり人形の女王」の未来だけだ。


「かまわないよ。行動が自分の意にそわないのであれば、奴隷と変わりない。理想をつかむためには、嫌われてもしかたがない」


 後戻りは出来ないし、しない。黒い騎士が両目をおおっていた。気づきもせずに、のうのうと平和を謳歌していた。すべて彼を中心にして、世界を見てしまっていた。幼いあのころには、戻るべきではない。いつから鳥籠の中にいたかは、考えなくとも明瞭だ。老齢のメイドが側にいたときからである。閉ざされた世界で育っていたから、洗脳するのもたやすかっただろう。内心ではほくそ笑んでいたかもしれない。


「つよいね、マリア。レイヴァンに聞かせてあげたいよ」


「レジーは知っていたのか」


 マリアが表情をくもらせる。


「気づかなかったよ。もともと遠方からの声も聞こえるから、隠し事してもわかる。でもね、一つだけ言えるのはレイヴァンの行動は純粋なものなんだよ」


 マリアと同じで、けがれがない。純粋な気持ちだけで動いている。だからこそ、〈眷属〉も危険と判断しない。害としたならば、側にいさせるはずがないでしょう。レジーはほほえんだ。


「側にいてくれてありがとう。不安がやわらいだ」


 さすがに下りていった方がいいと感じて、部屋を出た。同時に別の扉が開く。父である国王より年上くらいの男が出てきた。髪はくせっけであるが、顔立ちが誰かと似ている。考えている間に、声をかけてきた。


「やあ、おはよう。君もとまっていたのかい」


 あいさつをして、肯定した。朝食へ向かうための階段を下りながら、男はいろいろ話をしてくる。


「とんでもない猛吹雪だったからね。わらにもすがる思いだったよ」


 苦い笑いをかえしてうなづく。ふたたび吹雪の中をすすんでいくと、考えると苦い顔になってしまう。


「今日は泊まっていた方がよさそうだね」


 ちょうど足が最後の段を下りた。窓から見える景色は、氷に閉ざされてしまっている。ごうごうと風のひびきだけが、耳にとどいていた。


「姫様。本日はさすがに、旅をするのは困難かと」


 めざとく姿を見つけたエリスが歩み寄ってきた。ジュリアはカウンターで、女主人と話しに花を咲かせている。


「姫様? われわれの国は王政だが、まさか、マリア王女だなんて言い出さないよね」


 あだ名だろうなと、男は笑った。エリスは反応に困っている。王族を嫌う平民もいる。王女だとかるがるしく、肯定すべきではない。危害を加えない可能性に賭けるのは、危険すぎる。


「そうなんです。やめてと言っても、やめてくれなくて」


 すっとマリアがかるく返した。エリスはほっと息を出して、椅子を引いてくれた。


「申し訳ございません。油断していました」


「かまわないよ。むしろ、いつも助けられているのは、わたしだもの」


 この程度で報いたとは思えない。いのちを張ってくれてるのは、周りの皆だ。


「はいよ」


 女主人がスープとパンをくれた。有り難い恵みである。男が目の前に座った。さきほど別の机に向かっていたようだったが。


「考えているのだが、君が誰かに似ている気がするんだ」


 おたがいが、相手を誰かに似ていると感じていた。おどろきである。鍛錬がしみこまれた皮が分厚くなった手で、顔をはさまれた。翡翠の瞳が、まっすぐに見つめてくる。身近にいたはずなのに、わからなくてもどかしい。逆に男は合点がいったのか。声をもらした。


「まさか、本当に姫君なのか」


「王宮にいらしたのですか」


 エリスがささやく。暗い表情になって男が、うなづいた。しゃべりたくないのか。席を立ってしまう。ちょうど、レジーが起きてきた。あくびを浮かべているのを見ると、疲れは抜け切れていない。


「レジー、大丈夫ですか」


「うん、ずいぶん眠ったから」


 あくびを何度もしている。説得力がない。今日は旅立たないと知ると、そうそうに食事を終えて部屋へ戻った。無理をさせるべきではないから、異を唱える必要もありますまい。体力は戻ったマリアは、女主人に仕事はないかとたずねた。無料で一泊させてもらったうえに、食事までいただいたのである。手伝わないわけにはいかない。エリスとジュリアは、動転してしまって「代わりにします!」とゆずらなかった。けっきょく簡単であるが、宿の手伝いをさせてもらえた。出来てない方が多いが、見ているだけではわからない世界が見えてマリアは楽しい。バルビナやビアンカに、近づけた気がしたのだ。


「姫様が手伝わなくても、かまわないんですよ」


「感謝を伝えるためにも、行動を起こさなくてはいけない」


 迷惑をかけているのは承知しているが、と、ジュリアに笑った。苦笑して「おささえするのは、臣下のつとめですものね」と、洗い残しの食器をすすいだ。

 女主人が「仕事はいいから、休んでおき」とマリアだけでなく、エリスとジュリアにも伝えた。超えねばならないとうげは、いくつもあるのだから。はじめにも感じたが、やさしい女人である。

 椅子にすわれば、わざわざ湯も出してくれた。心ばえが佳い方だ。すすっていると、ふたたび男が近寄ってきた。


「あなた様は母親似なのですね」


 そうだろうか。小首をかしげる。


「いや、目元や顔立ちは父親似ですね」


 似ていると、言われたのは初めてだ。どこがどう似ているのか。うれしくてマリアは、根掘り葉掘りたずねた。男はやさしい笑みをたたえて、一つ一つ教えてあげた。きいたあとで、どれも特徴として国王とも王妃ともかさならない。


「君の本当の両親は別にいる」


 マーセルの声が、脳裏にひびく。たしかめたい。恐怖心を殺しながら、口を開いた。


「わたしの両親は、国王陛下と妃殿下ではないのですね」


 真実を知っているのか。男が息をのんだ。


「言いたくないのでしたら、かまいません」


 肯定ととって、マリアは微苦笑する。男は椅子から降りると、ひざをついた。


「申し訳ございません。わたくしの口からは、言えませぬ。あなた様の父は、大切な教え子でもございました」


 守ると誓いながら、陛下を止められなかった。後悔を幾度となく、くりかえした。息子にもうらまれているだろう。中途半端に国をすてた自分を……。深く頭をさげる男の手を握った。どれほどの悲しみを、味わってきたのだろう。どれほどの苦しみを、くりかえしてきたのだろう。どれほどの傷を、心にきざんできたのだろう。はかりしれない。ききたいが、口をわってはくれないらしい。


「顔をお上げください。知りたいですが、あなたからきくのは止めておきましょう」


 過去を思い出させるのは酷だろう。そもそも自分で調べると、決めたばかりだ。真実は自分の手でつかむほかない。


「ああ、あなた様は本当に彼女にそっくりだ」


 懐かしんで男が涙を流した。

 日が開けると、吹雪は止んでいた。男は紋の入った手ぬぐいを渡してきた。唯一、息子との接点をしめすものである。うけとれないとしぶったが、「家名をすてた者には不要です」と強引にマリアの腕に巻き付けた。王都とは逆の方向へ、男は足を向ける。

 背をじっとながめていた青い瞳に、ひらめきが走った。なぜ気づかなかったのだろう。わかっていれば、男を引き留めたのに。がっくりと肩を落とせば、エリスがとなりにたった。


「帰っても、国王様からご不興を買うだけです」


 はじめから、エリスにはわかっていたのだろう。彼が誰の父親なのか。


「それより、前へすすみましょう。はやく王都へ向かわなくては」


 にっこりと、エリスが笑顔をくれた。そうだ。立ち止まっている時間はない。外套をひるがえして、一歩を踏み出した。


***


 正騎士フランツにかわって、間者マリウスが入城した。いまは正騎士長レイヴァンへの連絡係である。密偵網の存在は口にはしないが、兵たちには知れ渡っている。許可証を見せれば、すぐに通してもらえた。門をくぐると、許可証をもてあそんでいる男が立っている。


「あんたも最高司令官麾下の間者かい」


 フローライト公国に、もぐりこんでいる密偵ヴィルと名乗った。敵国に潜入するとは、なかなかの技倆うでと見た。かくさずに、自らも所在を告げる。


「ややこしい事態になっているみたいだね」


「ええ」


 うなづいて正騎士長の元へ向かう。ヴィルとはべつべつに、報告をした。漏洩するのを防ぐためだろう。黒い瞳が髪にそそがれた。口にはしないが、王女に似ているから気になるらしい。会うたび、騎士の目線が髪に向かう。


「専属護衛殿も気になりますか」


「いいや。引き留めてわるかったな。明日でもかまわないから、持ち場に戻ってくれ」


 薄い金の髪をひるがえし、部屋をあとにする。外をながめれば、夕刻を過ぎている。いますぐにでも持ち場に戻りたいが、外を出歩くのは自殺行為だ。仕方がない。今宵は泊まっていこう。城の者には、きょくりょく会わないようにしなければならない。とくに王女がつれてきた“彼ら”には会いたくない。国王陛下も知らない秘密が暴かれる可能性があるからである。

 回廊をすすんでいると、赤茶色の髪を持つ男に出くわした。遠目からだが、レイヴァンから聞いている。王女が連れてきた一人、ダミアンだ。さい先が悪い。軽く頭を下げて、通り過ぎた。やりすごせたと、息をついたとき。


「お前、城の者ではないな」


 振り返れば紅玉ルビーの瞳が、じっと見つめてきている。うたがっているわけではないらしい。


「わたくしは最高司令官エーヴァルト卿麾下、密偵部の者にございます」


 存じなかったのか。武官ダミアンはたずねてきた。説明をすると、おどろきの吐息をこぼした。


「ただ者ではないと、にらんでいたが。まさか、そんな部署をつくっていたとはな」


 極秘であるし、“彼ら”には報せていなかったのかもしれない。城の者でも、ごく一部しか存在を知らないと聞いてはいた。王女にも、教えてはいないのだろうか。

 今度こそ会釈をして、通り過ぎる。せっかく城までおもむいたのだ。心地のよい寝台でねむりたい。あばら屋では、すきま風が多かった。とうてい、人心地つけない。今日にかぎっては馬で一走りしてきたから、眠気と疲れがどっと押し寄せてくる。あくびがこぼれた。


「おや……」


 声の方へ視線を向けると、ファーレンハイト公爵の姿があった。


「見ない顔だな」


 武官にもした説明をした。納得はしてくれたが、顔を覆っている布が気になるらしい。


「なぜ顔を隠しているんだ。髪も、姫様に似ている」


 王女を知るものは、そろって同じ疑問を持つらしい。妃殿下との約束もある。いま、明かすわけにはいかない。


「顔は昔、手ひどいやけどを負ったからです。髪は偶然ですよ」


 表情が相手に見えないのが幸いした。公爵は深くはたずねず、仕事へもどった。はやく寝台へ向かいたいのに、今宵はいろいろな人に出くわすものだ。ため息を吐くと、洋琵琶リュートの音が耳にとどいた。中庭で令外官ギルが弦を弾いている。


「おつかれのようですね、間者殿」


 姿を瞳にうつした瞬間。おどろいたようすで、歩み寄ってきた。


「あんた、何者だ。どうして姫様と同じ“水の流れ”を持っている」


 他の人と同じ“にごった水”だが、“流れ”が同じだ。にごった水でも、ディアナ閣下と一緒で清らかな方である。と、考え込んだ。さすが〈水の眷属〉の守人といったところか。


「いまはまだ知るときではございません」


 一笑して、立ち去った。はやく離れなくては、ばれてしまう。いままでの苦労が水の泡だ。わざわざ密偵部に入って、いまの地位まで上り詰めたのだ。

 部屋にたどりついて、かたく扉を閉めた。胸元にかがやく、宝石を握りしめる。いまは赤くゆらめいている。妃殿下からいただいた石。感情に合わせて、きらめきを変える。


「知りがたきこと、影のごとく。僕はまだ、あばかれるわけにはいかない」


 王女にも、守人にも、会うわけにはいかない。ばれてはいけない。とくにするどい最高司令官殿には、顔を見られるわけにいかない。布をとらずに、寝台へもぐる。任務中は外すわけにいかない。寝床をおそわれたら、顔を見られてしまう。

 刹那と間を置かずに、夢の世界へ落ちた。目を覚ましたときには、太陽も昇っていない早朝。食事の前にと、旅立つ準備をはじめた。荷をととのえていると、下女が朝食の報せを運んできた。妃殿下が一緒にと、ご所望らしい。最低限の準備を終えると、部屋をたずねた。


「お久しゅうございます、妃殿下」


「久しぶり、マリウス。ずいぶん背が伸びたわね」


 母親の表情に変わって、やさしく頬をなでた。


「顔を見せてくれないかしら」


 しぶったが、妃殿下がうわてだ。食事は下女に、すべて運ばせている。室内には二人しかいない。かなわないなと、布をとる。愛おしげな視線がまっすぐ、つきささる。


「ますますマリアに似てきたわね」


「もとから似ているだけですよ」


 鏡をのぞけば、王女の姿がある。ひとつ違うのは、性別のみだ。


「お腹が空いているでしょう。はやく食べましょう」


 談笑をしながら食事をした。会えない時間をうめるために、明るい話題だけを振る。はじめて出会ったときは、泣いてあやまるばかりの妃殿下。よわよわしく、悲哀な表情だった。かたられた真実に、嘘があると思えない。信じたからこそ、密偵部へ入った。涙を二度と見たくはなかったからだ。


「ありがとう、クリストファー。今日は楽しかったわ」


「妃殿下。いまは『マリウス』ですよ」


 顔を布で覆い隠して、部屋を出た。干し肉や水をもらいに厨房へ向かっていると、文官クレアと鉢合わせた。手には膨大な資料を持っている。会釈をして通り過ぎようとしたが、手伝いを頼まれてしまった。視界までふさがっている紙の束を、半分は持って資料室へ運んだ。


「ありがとう、助かったわ」


 いままで気づかなかったのだろう。急に顔をずいと近づけてきた。ファーレンハイト公爵と、同じ疑問をかさねられる。簡単に返して、立ち去った。今度こそ厨房をおとずれて、日持ちのする食料を手に入れる。あとは暖を取るための外套。武器も用意してもらえた。かばんにつめこむと、厩舎から馬をひっぱりだす。正騎士長エーヴァルトが、わざわざ見送りにきた。どういう風の吹き回しだろう。


「王妃様はどのようなようすであった」


 懸念があったのだろうか。明るい調子であったと、話した。


「引き留めてすまなかったな。道中、気をつけてくれ」


 気がかりながらも、馬を走らせる。目の前にある任務をおろそかにしては、国内があやうくなる。後ろ髪が引かれる思いで、王都をあとにした。

 王都を離れていくマリウスを、王妃が見つめていた。どんな目的かは知らぬが、密偵部にいるのは知っている。レイヴァンも有能と見なし、高い地位を与えている。入城許可証を与えているのは、一部だけだ。


「どうか二人があらそう事態にだけは、なりませぬように」


 願いをかける。ゆるしてくれとは、言わない。ただ二人の進む道が、途中でぶつからないよう祈るしかない。


「王妃様?」


 ビアンカが食器を下げに来てくれた。室内に満ちた不穏な空気を感じ取ったのか。張り詰めた顔だ。お茶を運んでくれるよう頼むと、無言で食器を持って立ち去った。かわいらしい娘だ。王室の事情を知れば、涙を流してマリアの味方でいてくれるだろう。話してしまおうか。いや、と、首を振る。背負わせるには、若すぎる。夫が存命の間は、自分だけが背負おうか。后アイリーンは真実を、閉じ込めた。

 窓をうちつける風が、いっそう強くなる。はわせた指先から、体温がきえていく。雪の中をマリウスがすすんでいるのを、想像して身震いした。手放した体温にいとおしさがつのる。


「おやすみ、いとし子。わたしはお前をいつくしむ……」


 想いを楽句に秘めて、一筋だけ涙をこぼした。

 国王オーガストはマリウスが王都を訪れていたのも知らずに、執務室で頭をもたげていた。間者がもたらしてくれた情報が、吉報ではなかったからだ。最悪の想定ばかりが頭をめぐって、不安にさいなまれる。考えなければならないのは二つ。間者ベルクの動向と敵国のうごき。行動がかみ合っていない。頭が思考を止めてしまう。

 軍と策だけでなく、政治も正騎士長に実権をわたしている現状。名ばかりの王様とは、自分だと嘲笑してしまう。つないでいる鎖の先を握っているのが、父からレイヴァンへ移っただけだ。奴隷根性から抜け出せずにいる。もがいても、外れない。当たり前だ。心では奴隷のままでいるのを、望んでしまっているのだから。


「まったくおそろしい男を、後継者に選んだものだ」


 かつてあこがれていた騎士とともに、己自身を深くにくんだ。ふいに前参謀が頭に浮かぶ。ひどく憤慨して、国をすて、せがれをすてた公爵。いまの居城を見れば、なげくだろう。ののしるだろう。なんとたよりのない王様だと。

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