第二十一章 皇帝ティトゥス

 暮れなずむ夕日から、夜のとばりがすっかり下りている。ペンを動かしていると、おどろくばかりだ。公爵ベルクはいそいで、燭台に火をともした。部屋も冷え切っている。侍女を呼びつけて、暖炉の火を強めさせた。


「失礼いたします」


 従者メルヒオールだ。率爾に報せでも入ったのだろうか。


「侯爵ロイス様がお越しです」


 部屋を通させると、普段以上に青い表情のロイスがいた。頭をかかえる。不満でも垂れに来たのか。


「ベルク公。陛下を裏切る真似は、気が進まぬ。王女も悲しまれる。止めた方が……」


 予測通り。変わらないと不断の決心をしていながら、優柔不断であるから意見を求めて訪れてくる。面倒だが、引き込むのはたやすい。


「血迷ったか。弱い王は、この国には必要ない」


 するどい眼光を浴びせると、やせた肩が震え上がった。背がますます縮こまる。


「一時は悲しまれるだろうが、我らが成した偉功に気づかれるであろう。殿下は王と違い、さとい方だ」


 心配はないと、肩をたたいた。ロイスはふたたび気概をしめすと、頭を下げて出て行った。しきりに迷うのが欠点だ。城にまで押しかけてきたのは、何度目だろう。数えるのも、やめてしまった。気を遣ってか。ハーブティをそそいでくれた。湯気が鼻腔にあたる。


「すまないな」


「いえ」


 メルヒオールは突として窓に近寄った。蹴破ると、乾いた空気が吹き付けてくる。


「なんだ!」


 バルコニーにある手すりの上、顔を布で覆った「少年」がいた。なびく髪は、月色に溶けている。くるりと一回転して、逃げ去った。逃げ足が速い。


「追いますか」


「いや、深追いは危険だ」


 とくに深夜である。道を見うしなう危険性が高い。王女に似た髪を持つ少年。まさか王の“本当の息子”なのか。



 姿を影にやつして、少年は駆けていく。正騎士フランツのいる狼煙が見えてきた。夜中に中間地点で落ち合う段取りになっていた。


「見つかってしまいました」


「わかりました。しばらく私が城に向かいましょう。マリウス、あなたには連絡の任をお願いします」


 レイヴァン麾下、密偵マリウスは承認した。姿を見られた以上、続いて潜入するわけにいかない。


「どうかなさいましたか」


 フランツの視線が、髪にそそがれていた。


「いつ見ても王女の髪と、似ているなと」


「月光の下だからですよ」


 マリウスは、朗笑を浮かべた。


***


 光の粒が幾重にもかさなって空へとどく。〈眷属〉の光だ。空中にうかんだ光の城に、集まっていく。いつしか城は見えなくなって、溶けてしまった。


「いつまでそうしているの、ジュリア」


「陛下。起き上がっても、かまわないのですか」


「外を歩いた方が良いと、“彼”に言われてね」


 “忠臣殿”か。甘いわりに、進言もする男だ。打てばひびくから、未だに誰も逆らえない。賢者ですら、太刀打ちできない。


「なにを見ていたの」


「陛下が国を打ち立てた日、空に浮かんでいた城を思い出しておりました」


 ふたたび、あらわれる日が来るだろうか。期待を込めて、見上げていた。


「もしかしたら、あらわれるかもしれないわね」


 顔をくしゃりとさせて、ほほえんだ。しわがれた手で握りしめてくる。


「陛下はわたくしに、用向きがあられたのですか」


 悲しげな瞳で空を見上げた。名も知らぬ白い鳥が、空を渡っていく。


「ジュリア、お願いがあるの。ふたたび出会えたなら、素直になれない莫迦ばかな私を導いて欲しいの」


 “まつりごと”の道具としてではなく、愛からの結婚をするように。そう陛下は笑っていたが、どれほど心恋うらごいをつのらせてきたのだろう。二人が諸恋なのは、周知の事実だ。


「いまからでも、はじめられないのでしょうか。思いは伝えられるはずです」


 陛下のほほえみが、遠くへ行ってしまう。消えないように。忘れないように。つかんでおいたはずの記憶。我知らずうちに、涙をこぼした。


「ジュリア、うなされていたようだけれども」


 ぬぐってくれたのは、マリアだった。エリスとレジーも、顔をのぞき込んでいる。見上げると、夜半すぎだ。


「休めそうですか。飲み物をご用意いたします」


 エリスらしい気遣いだ。明日にはエピドート帝国につくのに、皆に迷惑をかけてしまった。ぬくめられたコップを持つと、いくらかさわぐ心がやわらいだ。


「大丈夫?」


 小首をかしげるレジーに「ええ」と、うなづいた。焚き火の音も、鳥や獣の鳴き声も、いやしを与えてくれる。カエサル夫妻は起きていないようだ。起こしてしまっていたら、申し訳なさがつのる。


「申し訳ございません。悪い夢を見てしまったようで」


「守人ですから。人に言えぬのでしょう」


 どこまでもエリスは、心ばえがやさしい子だ。黙ってはいるが、レジーも奥ゆかしい。尊敬してしまう。“忠臣”殿は叶わないと決めつけているが、率はあるのではないか。守人がふたたび、“王”の下へ集った。力だけに頼らない。おのれ自身の武器を持つ、屈強なる戦士となって。口角が自然と上がった。


「どうかしたの」


 愛しい主君の声が耳をゆさぶる。どれほど、このときを待ちわびたか。


「いえ。今度こそ“我らが王”の望みを、叶えられるかもしれないと感じまして」


 三人とも、わかっていない表情だ。ときは満ち始めている。遠からず、知るだろう。真実を。彼らが切り出す前に飲み干すと、馬車へ向かって歩き出した。遠く、声がする。笛の音をならせば、たがえずにヴァハが腕に止まった。「王女の旅路」を運ぶのは、今日で最後だ。明日には首都にたどり着く。


「お疲れ様、ヴァハ。最後だからと、気をゆるめてはいけないよ」


 筒に紙を入れると、月へ向かって飛ばした。


「ヴァハか。戦女神の一柱だね」


 元老院議員カエサルだ。起こしてしまったらしい。あやまると、毛先をいじりながら口角を上げた。


「鷹の名前は正騎士長様が決めたのかい」


 肯定すると、くすくす笑った。


「なかなかどうして面白い」


 戦いの女神でありながら、豊穣もつかさどっているという。烏の姿になって、戦場を駆けめぐるとも伝えられているらしい。正騎士長レイヴァンは他国では、裏で『烏』と呼ばれている。彼らしく、皮肉ったのだろう。


「なるほど、まったく気づきませんでした」


「国がうまれる前の、古い神話だからね。知らなくて当然だ」


 知っていたが、否定しなかった。ただでさえするどい閣下に、深く突っ込まれるのを恐れたのである。古き神話など上流階級の者ですら、知らないのに。気づく人がいると思えないが、十二分に注意しなくてはならない。いま、正体をあばかれるわけにいかない。ジュリアは笑顔を貼り付けた。


「閣下、皆のもとへもどりませんか」


 閣下は肩をすくめた。


「正騎士長殿といい、秘密をかざるのが好きみたいだね。いつか、あばいてみたいね」


 ジュリアは「秘密なんてありませんよ」と、妖艶に笑った。

 狭霧が消えぬから、さわやかと言いがたい朝だ。身にせまる冷ややかさに、青い瞳を開けた。躰を起こして見回すと、はやい時間なのか。誰も起きてはいない。マリアはそろりと剣を佩いて、馬車から抜け出した。山稜の向こうから、うっすら光がのぞいている。太陽がのぼろうとしていた。ただ待つだけもむなしい。近くの川で顔を洗う。春はまだ遠い。寒さが身にしみた。


「目と耳をふさいでいる手が離れた今、どんなことを望むのかな」


 政治家カエサルは、なにをさしていたのだろう。父上と母上だろうか。大切にされてきたと、自覚はある。父上は「クリストファー」と呼んで、王子あつかいしてきた。逆に母上は「マリア」と、王女あつかいをしてくれていた。国を取り戻してからは、父上も女性名で呼んでくれる。差し支えないと、判断したのだろう。ジュリアの言うとおり、疑念など抱く余地ない。言い聞かせても、不安が払拭されない。

 幼いころ、父上も母上も「仕事が忙しい」と滅多に顔を合わさなかった。ただひとり。老齢のメイドが、世話をしてくれた。幾度も困らせたものだ。毒で亡くなるまでは。実際、その場面を見たわけではない。聞かされただけだ。直後、レイヴァンとバルビナが来た。おかしいと、調べようにも二人の目がある。けっきょく、やさしかった“あの人”の真実を未だつかんでいない。

 レイヴァンもバルビナも、見張りとして側にいたのではないか。専属護衛とは名ばかりではないのか。コーラル国の戦のさいも、かり出されていたではないか。クリフォードが命じたから、レイヴァンは居城へ向かったと証言していた。今も専属護衛の任は解かれてないのに、側にいない。だんだんと、騎士の言葉が黒く染まっていく。嘘と、とらえてしまう。


「あの城は、本当にわたしの居場所なのだろうか」


 遠い世界に思えてくる。軽く頭を振った。痴れ言だ。一人だから、不安になっているだけに違いない。馬車へ戻ると、皆起きている。あいさつを交わして、朝食を終えると馬車に乗った。つくまでに雑念を取り払わなくては、皇帝に失礼だ。


お姫様レーギーナ、眉間にしわが寄っているよ」


 うつくしい顔が台無しだと、政治家カエサルは笑った。いけない。国の代表として、非礼があってはならない。


「緊張しておりまして」


「うんうん。緊張を感じるなら、君は信頼に値するね。甘く見ていないと、同義だから」


 釘を刺されて、背筋が伸びる。相手するのは大国エピドートの皇帝。矛を交える事態になっては、国の者に申し訳がたたない。非礼どころの話ではないのを、痛烈に感じた。信じて送り出してくれたものを、裏切る行為にもなる。


「閣下、あまり姫様をおどさないでくださいね」


「嫌だな、ジュリア。おどしていないよ」


 緊張とは不安からくる。不安は不測の事態も予想する。予想に対する策を練るようになる。いまはまだ練れなくても、思考力をつければ国はさらに強くなる。荒削りでも素質のあるお姫様レーギーナだと、エピドートの政治家はほほえんだ。的確な表現だ。マリアは感心させられてばかりである。


「大丈夫だよ、お姫様レーギーナ。僕の親友は、君を傷つけるつもりはない。仲良くしたいだけなんだよ」


 国としてと、手前につきそうだ。エピドート帝国としても、ベスビアナイト王国を敵には回したくないのだろう。この二国があらそう事態になった場合、諸外国はどう動くのだろうか。未だとぼしい知識を総動員させる。

 エピドートと敵対している国は、ベスビアナイトを味方につけるべく使者をよこすだろうか。小国であれば、どちらの味方につくか熟考する。強い方と、同盟を結ぶはずだ。中立の立場をつらぬく国も出てくるかもしれない。戦力が“あれば”の話だが。ともあれ、あらそう必要は現状ない。つくる訳にもいかない。国を守るのは、王族のつとめだ。


「ほら、見えてきたよ。首都フォルム・ロマヌムだ」


 カエサルにうながされて、窓からながめた。大理石でつくられた石柱が、多く見られる。屋根はベスビアナイト国ほどではないが、斜めになっている。地理上、エピドート帝国も北方に位置していた。

 馬車から降りて、大理石の門をくぐると庭園についた。春にはうつくしい花が、咲き誇るに違いない。城内へ入ると、石柱がならんだ回廊をすすんでいく。衛兵が並んだ扉を開けると、段差の上にある椅子に若い男が座っていた。マリアの姿を瞳にうつした瞬間、目が大きく開かれる。おどろいた表情だ。


「陛下。大国ベスビアナイトのお姫様レーギーナをお連れしました」


 貴族階級パトリキカエサルが一番に頭を垂れた。浮かしかけた腰を、皇帝はもどした。眉間に皺を寄せている。


「いつ私が、迎えに行けと命じた。元老院の職務を放っていいと、誰もゆるした覚えはないぞ」


「申し訳ございません。しかし君命にも受けざるところあります。陛下の許可をとっていては、遅くなってしまいますので」


 皇帝はあきらか、不機嫌そうだ。どうしたものかと、マリアは焦燥してしまう。命を救ってくれたカエサルが、処分をうける事態になっては気の毒だ。ジュリアは肩をたたいて「大丈夫ですわ」と、ささやいてくれた。


「いいからさっさと、議事堂クーリアへ戻れ。他の議員が首を長くして、お前の帰りを待っている」


「愛されていますね、僕」


 軽くため息ついて、皇帝は頭をかかえた。カエサルはへらへら笑って、謁見の間を出て行った。ようやく視線がマリアたちにそそがれる。


「申し訳ない。別の者を向かわせるつもりであったが、“あいつ”が先回りしていたようで」


 皇帝みずから頭をさげた。さすがに、いたたまれない。


「とんでもございません。海賊にとらわれたところを、救ってくださいました」


 マリアはあわてて、頭を下げた。おそるおそる顔を上げると、やさしい目つきをしている。


「コルネリア殿。申し訳ないがお姫様レーギーナを部屋へ案内してはくれないだろうか。あいにく、人が出払っていて」


「かしこまりました。では、参りましょう」


「ああ、待て。ジュリア殿、あなただけは残ってくれ」


 マリア達をともなってコルネリアが部屋を出ると、おもむろに口を開いた。


「いま、ベスビアナイト国は内乱のきざしでもあるのかい」


 ジュリアは要点を抜き出して伝えた。


「フランツから、とどいておられないのですか」


「ああ。あの“裏切り者”は、事後報告で済ませてくるからね」


 直接、間者から聞こうと考えたらしい。ジュリアは苦笑いをした。フランツは間者としてよりも、正騎士としての責務をまっとうしているようだ。


「皇帝陛下、うかがってもよろしいですか」


「いいよ、なんだい」


「何があったのですか」


 かつて総督をつとめたカエサルを待ってまで、会議をおくらせた。国内か諸外国にうごきがあったと、考えるのが至極当然だ。


「マルガリートゥム、フロラリア、ミディオラヌム。それぞれにフローライト公国から使者が来たらしい」


 要求がなにか、わかっていない。至急、使者を送ったが、まだとどいてはいない。議事堂クーリアには元老院議員がいるが、無能がいくら集まったところで打開策は見つけられはずがない。情勢を見極められるのは、カエサルだけだ。他の議員は実践に出ていない。安全な場所で、無駄な時間だけを浪費する富裕層ばかりだ。


「公国としてはエピドートの戦力を削ぎたいのだろう。ジュリア、君が軍師であればどうする」


「『利』つまりは、国としての『独立』をしめします」


「相手が野心家であれば有効だろうね」


 合理主義者にとっての『利』はあるだろうか。独立をしめした上で、有益な部分を強調しなくてはならない。公国が後ろ盾としてついたところで、『利』は小さい。軍事国家アゲートが後ろ盾となるのは大きい。ねらいは、そこであろうか。


「軍備を行っているようすが、見られるのですか」


「わからない。どちらの場合にも対応できるように、兵士達には伝えている。彼らはかしこい。私が命じなくても、次の行動を心得ているからね」


 とくにカエサルが鍛え上げた部隊は、どこを攻撃しても返り討ちにされる。頭をねらえば、尾が攻撃してくる。尾をねらえば、頭が攻撃してくる。腹をねらえば、頭と尾がいっぺんに攻撃してくる。まるで一匹の巨大な蛇のように、統率がとれている。同時にカエサルへの忠誠もあつい。


「軍の運営はカエサルに一任しているからね。議員どもは『危ない』と口にするが、私にはとても向かない」


 カエサルが反旗をひるがえした場合を、議員は危惧しているのだろう。いつの時代も、才能ある者は嫌われるようだ。


「では、姫をお連れしてきたのは失策でしょうか」


「かまわないよ。“あの男”はわざと、お姫様レーギーナを寄越してきたんだろう」


 ジュリアは目を丸くする。皇帝ティトゥスはみやぶった上で、うけいれているのだ。


「陛下、“我らが王”は……」


「わかっている。“彼女”が愛しているのは一人だけだ」


 皇帝はあらあらしく立ち上がると、王笏を手に取った。


「何年こじらせたら気が済むんだ」


 近くの侍女にジュリアを案内するよう命じて、謁見の間を出て行く。長すぎる諸恋を終わらせなくてはならない。嫌われるのを“あの男”が本望とするならば、“彼女”には高みに目覚めてもらわなくてはならない。まったく、面倒を増やす“男”だ。ティトゥスは議会へ顔を出すため、議事堂クーリアへ足を向けた。

 空気は冷たいが、よい日和だ。他国へおもむいたのに、こもっているのもつまらない。マリアは読んでいた本を閉じて、庭へ出た。ベスビアナイト国とも遠くはないから、気候に大差はない。少しエピドートは南よりぐらいだ。


「花が咲いている」


 めずらしい。冬に咲く種類だろうか。近くを通りがかった下女に、花についてたずねた。返事がすぐ返ってくる。


「くわしいんですね」


「花の管理を任されておりますので」


 なんと、世話をしている本人であったか。好都合と、話しかけた。


「おやおや、お姫様レーギーナ。庭に出ていたのかい」


 貴族階級パトリキカエサルだ。議員としての職務は終わったのだろうか。


「会議は終わったよ。あいかわらずの不毛な時間だけれどね」


 首をかしげると、戦場を知らぬ議員ばかりだから役に立たないと政治家は笑った。戦がはじまる事態にまでなっているのか。他国の王女には話してくれなさそうだ。マリアは口をつぐんだ。


「国を見て回りたいかい」


「はい」


 青い瞳をかがやかせたが、情勢はよろしくないらしい。ごめんねと、カエサルは謝った。期待した分、落胆も大きい。表情を沈ませた。まてよ、と。マリアは顔を上げる。


「もしかして、来てはいけない時期でしたか」


 皇帝陛下も、あいさつをそこそこに退室させた。いそがしくしていたのではないか。いけない時期はないよと、カエサルは髪をいじる。熟慮しているときのくせだろうか。


「内乱が起きるかもしれないからね。外に出て欲しくないんだ」


 意外と、理由を教えてくれた。ベスビアナイトも、まったくの無関係ではないからだろう。早めに国へ戻った方がよさそうだ。


「カエサル、お前に油を売る時間があったとはな。機は決して待ってはくれないぞ」


 皇帝陛下みずから、庭へ出てきた。おどろいてしまう。


「これはこれは陛下。人間的な忠臣でしょう」


 うやうやしく頭を垂れているのに、軽口をたたいている。仲が良いのだろうか。くるりと回ってマリアの手を取ると、カエサルは口づけを落としてさっていく。皇帝はこめかみをおさえながら、小さくうなった。疲れが見える。


「やはりいそがしい時期に、来てしまいましたか」


 申し訳ない気持ちがふくらむ。


「あなたが悪いわけではないよ。悪いのはすべて“あの男”だ。パーライト王朝の生き残りめ」


 日記帳で目にした家名だ。不思議そうに見つめていれば、皇帝は「ああ」と目を細めた。


「あなたの専属護衛殿は、話してはいないのですね」


「教えてくれませんか。パーライト王朝とは、何ですか。レイヴァンはいったい、何者なんですか」


 マリアは真摯な瞳で見つめたが、皇帝は苦笑いを浮かべただけだった。


「知りたいのなら、“彼”に直接聞くといい。もっとも、素直に教えてくれると限らないけどね」


 黒い騎士は隠していた。知られたくないのだろうか。ならば、わたしが聞いても無駄ではないか。ますます気は、沈んでしまう。


お姫様レーギーナはどうしたい。君の望みは何かな」


 政治家カエサルと同じ問いだ。


「人々が笑って暮らせる国にしたいです」


「違うよ。君自身の望みだ。立場をすべて捨て去ってしまってもかまわない。何を望むの」


 笑われるだろうか。もういい。気にしたって仕方がない。望んだのは、相手だ。


「ただ愛する人の側にいたいのです」


 失笑される。身構えたが、やさしい笑みを返された。


「よかった。君の望みは変わらないんだね」


 カエサルから聞いたのだろうか。首をかしげていると、皇帝はそっと手を握ってきた。


「私も望みを叶えるために、あなたのお手伝いをするよ」


「いいのですか」


「かまわないよ。運命は伝説の中にあるわけではないからね」


 いまの王女はいつわり。“彼”に植え付けられた幻想の中で生きている。洗脳を解いて、ティトゥスに好意を持つよう仕向ける。同時に自分を嫌えばいい。“あの男”らしい考え方だ。させるものか。大国エピドートの皇帝を、安く見られては困る。今度こそ、誓ったのだ。望みを叶えると。皇帝ティトゥスは声に導かれて、空を見上げた。鷹モリグーが渡ってくるのが見える。


「皇帝陛下。使者が戻られました」


 衛兵が駆け込んできた。


「何かあったのか」


 王女がいるからか。遠慮して口を開こうとしない。


「かまわない。話してくれ。お姫様レーギーナは部外者ではないからね」


「では、申し上げます。フローライト公国の使者が各従属国に、地図を広げて見せたと」


 衛兵から渡された紙を、ティトゥスは広げた。従属国が独立している。現実にはなされていない。空中楼閣の地図だ。フローライト公国のねらいがはっきりとした。内乱だ。


「要求をうけいれた地区はあるのか」


「ミディオラヌムの使者が、未だ戻られません」


 遅れているだけか。殺されたか。独立を目指すにしても、単独で戦う気か。後ろにフローライト、アゲートがつくとしても無謀ではないか。


「わかった。仕事に戻るとするよ」


 不安を宿した王女に笑顔を向けて、執務室へ戻った。やわらかい椅子の上には、カエサルが資料を広げて待っている。


「遅いじゃないですか、陛下」


「お前はずいぶん、くつろいでいるようだな」


「内乱が起きるかもしれないんですよ。いまのうちに、休まないと」


 彼らしい言い種である。


「お前はどう見る」


「ミディオラヌムだけなのが、気になるんでしょう。陛下」


 他の地区も内乱に参加するつもりではないのか。斥候が戻ってきたのは、わざとではないか。皇帝とカエサルの考えが一致した。


「今回の指揮、総督で平気だろうか」


「陛下、僕に指揮して欲しいんでしょう」


 王女を連れてと、ずばり、カエサルに当てられた。客将でもない王女を巻き込むべきではない。外交問題にも関わるからだ。


「あのお姫様レーギーナをどうなさりたいのですか」


「大国ベスビアナイトの女王として、ふさわしい女性へ成長させる」


 幻想を破壊する。真実のみをうつしだす。建前論に酔うべきではない。カエサルはけらけら笑った。


「ここに案内するまで、僕が何もしていないとお思いですか」


「思わない。だから、最後の仕上げだ」


 信頼されているねと、カエサルは資料に目を落とした。とまり木にいるモリグーが翼をはためかせる。近づいて「王女到着」の報せを筒に入れると、空へ飛ばした。


「“あの男”から、なんときた」


「冬営の間、とどめておいて欲しい。だったかな」


 王女はどうするだろう。思惑通り、とどまるだろうか。否。運命を切り開いてもらわなくては困る。“彼”の手のひらで転がされ、自分を棄てた“彼女”は見たくない。


「どうあってもお姫様レーギーナには、かわいい奴隷であって欲しいらしい」


 王女を思っているようでいて、一つも考えていない。“彼”もまた、周りが見えているようでいて“彼女”だけが見えていない。


「運も愛も大胆に振る舞う者の味方をする。最高司令官殿に、教えてあげましょう」


 本物の愛を、とカエサルは片目をつむった。


「カエサル、頼めるか」


「つつしんで承りますよ。皇帝陛下」


 翌日。副司令官として最高司令官カエサルに同行して欲しいと、朝食の席で皇帝が話した。いったい、何をたくらんでいるのか。間者ジュリアは不機嫌な表情をうかばせている。予定にはないのだから、当然の反応であった。


「お言葉ですが陛下。客将でもない姫を危険な目にあわせようと、おっしゃるのですか」


 いつになく、ジュリアが殺気をとばしている。マリアははらはらと、両者を見比べていた。


「我が国のもっともすぐれた戦上手から、戦法を学べるいい機会だと思うのだけれどね。お姫様レーギーナ、どうかな」


 朗笑を浮かべてはいるが、瞳の奥は真剣だ。マリアが不安げにジュリアを見上げると、皇帝はわざとらしく食器で音を立てた。誰かに考えをゆだねるな。暗に言われた気がして、肩をふるわせる。いけない。気丈さをうしなっては、つけこまれる。


「怖がらなくていい。私は君の意志を聞きたいだけだ」


 迷っていると、静かな声が室内にひびいた。


「陛下。姫の身になにかあれば、ただでは済まされないのですよ」


「ジュリア。君に発言をゆるした覚えはない」


 冷たい瞳で射貫かれて、ジュリアは押し黙る。


「戦場を知らぬ姫でもあるまい。カエサルもついている」


 レジーとエリスの視線が、王女マリアにあつまっている。皇帝陛下の思惑が見えない。他国の者に危害が加えられれば、戦になる可能性もはらんでいるのに。


「大丈夫。本当の戦場じゃないから」


 ふわっとほほえんで、皇帝がつけ加えた。マリアと守人は、ぽかんとして固まってしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る