第十八章 思惑

 赤煉瓦の屋根がならぶ街は壮観で、視線を奪われる。足を止めてしまったマリアを、カエサルは振り返って「珍しいかい」声をかけた。大きく頭を上下に振った。初めてのものに、青い瞳はかがやいている。


「ちょうど昼であるし、領主シニョーレの屋敷へ行く前に大衆食堂トラットリアに行こうか」


「よいのですか」


「かまわないさ。フロラリアを気に入ってもらいたいし」


 気を利かしてくれのだろう。感謝を述べてカエサルにうながされるまま、旧市街の道をすすんでいく。鐘楼から三十分ほど歩いた場所に、店はあった。なにを頼むかはカエサルにお願いすれば、コルネリアも一緒になってマリアたちの食事を選ぶ。

 やがて運ばれてきた料理は、パスタやリゾットなど五種類の料理が少しずつ味わえる小分けにされたものがきた。他にも、薄切りステーキや肉の煮込み料理。中央にはサラダが、どんと置かれた。空腹なのも手伝って、マリアは口に含むなり至福の表情をうかべる。

 栗毛色の瞳がきらめいた。どんな味付けであるか。どんな調理法であるか。ぜひ料理長に伺ってみたいとつぶやく。カエサルは料理長と知り合いだからと、呼んでくる。根掘り葉掘りエリスが尋ねれば、料理長はきちんと答えてくれているようだ。木版が文字で埋められてく。

 昼食を終えて次は屋敷へ向かうのかと思ったが、スカートをひらめかせてコルネリアが嬌笑をうかべる。


「せっかく来たのだから、菓子ドルチェも食べていかない」


「いいね。きっとお姫様レーギーナも気に入ると思うな」


 遅くなってしまわないかと、マリアだけが心配している。エリスも乗り気で、調理法を書き留める気満々だ。たしかに菓子ドルチェを食べたいし、おとなしく従うことにした。


「夏なら氷菓ジェラートが美味しいのだけれどね。食べさせてあげれなくて、残念だな」


 閣下がマリアの手を握りしめる。すかさずコルネリアが頭を小突いた。


「あなたのことだもの。文字通り『あーん』するつもりでしょう。そんなことさせないんだから」


 夫カエサルは肩をすくめる。


「店についたわよ。入りましょう」


 扉を開けると、かわいらしい空間が広がっていた。多くの童話があるベスビアナイト国には、メルヒェンな雰囲気がある店はあるがまた違う魅力がここにはあった。淡い緑色の壁に金の縁の額装がかけられ、窓枠では硝子細工が光を返している。幻想をにおわせる店だ。

 コルネリアに注文をまかせると、カスタードとオレンジクリームのケーキ。チョコレートクリームの乗ったケーキが運ばれてきた。どれも小さめで、軽く平らげることが出来そうだ。

 口をつけると、まろやかな味わいが意識を別世界へ連れて行く。ふわふわした感覚に、すっかりマリアは酔いしれてしまう。

 間を置かずに、エリスはカエサルをつれて厨房に消える。調理法を聞きに行っているのだろう。戻ってくれば、手に持っている木版の数が増えていた。どれほど書き込んだのだろうか。

 菓子ドルチェも食べ終えて、今度こそは宮殿に行くのかと思ったが。


「薬局へ行ってみないかい」


 おどろいた。薬局なんて言葉が出ないと、先入観を持っていたからだった。二の句が継げないマリアの代わりに、レジーが尋ねる。


「どうして薬局ですか」


「ここは別名“花の都”と呼ばれているよね。だから古くから、薬草を使った薬や香油の調合が行われていたんだ。お姫様レーギーナは好きなんじゃないかなと思って」


 自分をここまで調べられていると息苦しさを感じたが、有り難いので薬局へ寄らせてもらった。カエサルの案内で入ると、薬や香油が数百種類並んでいる。さらに化粧類まで置いてあるではないか。どれも初めて目にするから、あれもこれもと手にとって眺めてみる。好奇心が破裂しそうだ。

 コルネリアに「あっちでハーブティを飲んでるから、あとから来てね」と言われて、視線を向かわせると一角がティーサロンになっていた。なんとハーブティを飲めるのみならず、軽い菓子も食べれるらしい。

 ベスビアナイト国にも薬局はあるが、小さいし薬の数も多くはない。薬草を重んじていないわけではないが、発展としては乏しい。それだけで国力にどれほど差があるのか、想像するのはたやすかった。


「どうかしたの」


「なんでもないよ。せっかくここまで来たのだから、楽しまないと損だよね」


 心配するレジーに笑顔を向けた。我ながら心のない答えだと一番わかっている。表情も引きつっているだろう。それでも総督の目がとどくところでは、気丈に振る舞うべきだ。弱さを見せれば、つかれるのはわかりきっているのだから。

 感情をつぶしてマリアは瓶を手に取ると、店員に効能を尋ね始めた。


***


 ふすま雪の景色は圧巻だ。同時に外は、さむさが厳しいとつげている。つかの間、目を休めるために窓から眺めていたレイヴァンは、息を吐き出す。とうぶん、帰っては来ぬだろう女人ひとを想いながら。

 遠くへやったのは、他でもない自分だ。いまさら後悔など、する方がおかしい。何度目かのため息を吐けば、フランツが入ってきた。


「正騎士長様がおっしゃっていたとおり、ベルク閣下はフローライト公国の人間です」


 先祖を調べさせれば、予想通りの結果がかえってきた。


「間者の目星はついたか」


「おそらく情報が渡っていないと、気づいていると思われます。今夜、動かれるかと」


 今夜は月が満ちる。さらに雪もやむときた。この日を逃すはずがない。ちょうどヴァハも、翼をはためかせて戻ってきた。ジュリアからの報告だ。無事にフロラリアにも着いたという。


「姫様はあやしむ素振りもなく、画策したとおりにエピドートへ向かっているようだ」


「卿が情報を遮断し続けたからですか」


 フランツは言わずにはいられなかった。正騎士長の姫に対するやり方は、同調しかねる部分が多くあったからだ。

 城に閉じ込めていたころは、とにかく自分を隠して情報を耳に入らないよう徹底していた。コーラル国からの侵略に遭い、城を出てからは嫌でも国の惨状が目に入る。……この頃から少しずつ、姫の目隠しが外れ始めていた。それでも愛を注ぎ、口づけをすることによって思考力をうばっていた。

 完全に外れたのは、さいきんではないか。黒い騎士が間者としてカルセドニー国に潜り込んでいる間も、姿の見えない“まぼろし”にすがっていた。

 じっくりと時間をかけてすりこまれた“洗脳”ほど、解くのは難しい。王女は今ですら、気づいてはいないのだろう。専属護衛殿の“籠の中”にいることに。


「そうだとも。俺が長年かけてつくりあげた巨大な鳥籠は、やすやすと壊れやしない。姫様も、うたがいもしない」


 ぞっとした。凍えた黒曜石の瞳は、ひとつも間違っていないと信じていたのだ。


「気づいたのはジュリアだけだったな。ソロモンも、守人たちも、“籠の中”だと気づきやしない」


 おそろしい男だと、前に皇帝陛下からうかがっていた。予想をはるかに超えているとも。お仕えして明確に理解した。人も、国も、掌握する男だと。独裁者と言わずして、なんだというのだ。


「あなた様の望みは、変わらないのですか」


「変わりやしないさ」


 正騎士長の願望は、ひとつも揺るぎがなかった。なまりの空気がながれる中、ノック音がひびく。バルビナが入ってきた。


「少しいいかしら」


「何かあったのか」


 どうやらアレシアが居城に到着したらしい。ヴァハをフランツにあずけて、レイヴァンは玄関へむかう。金紅石の飾りがついた髪をゆらして、ツェーザルの娘らしくお辞儀をした。


「ヘルメスはどちらに」


 挨拶もそこそこに口にした。そうとう逢いたくてたまらなかったのだろう。白粉で隠してはいるが、目の下に“くま”ができている。じらしても仕方がないので、ヘルメスのもとへ案内した。思い出すきっかけとなればよいのだが。

 アレシアのかんばせを見ても、ヘルメスの態度は変わらない。愛する人の顔も忘れてしまったようだ。呼びかけても、ぽかんとしている。いつになったら、ベルクが真に欲していたものがわかるのやら。

 部屋を出てアレシアに口惜しい気持ちを伝えると、逆に微苦笑をされてしまった。


「また新たに恋できると思えれば、哀しくもなんともないですわ。いまの彼には、私のどんな言葉も通じないとしても、心恋うらごいが続いたとしても」


 たくましい言霊が辺りを支配する。かつてのアレシアよりも、強くなったとレイヴァンは実感した。秋風が立ってしまっても仕方がないほど、二人は離れている期間が長いのに。相語らうのをこいねがうとは、うらやましい限りだ。


「騎士様には心寄す方は、いらっしゃらないのですか」


 訊かれて心に乗る姿が、恋しさを増した。


「おりますよ。わたくしの瞳と心をうばってやまぬ女人ひとが」


「なら、そのお方とはじめて逢った時を思い出してください。それと変わりません。何度、私を忘れてしまっても愛を紡ぐことはできるのですから」


「そうですね」


 残念ながら、自分には出来ぬ。騎士は心の中で付け加えた。幾度も巡り会って、数えきれぬほどくゆらせても下恋したごいはかなうことはない。あきらめきれぬ自分も、未練がましいとわかっているのだが。


「いかがなさいましたか。顔色が悪いような」


「なんでもございません。今日はつかれたでしょう。部屋までご案内いたします」


 案内を終えて自室ではなく、マリアの部屋へむかう。消えないままの恋草こいぐさが、朝な夕な募っていく。いっそ王女の手で、殺してくれたらいいのにと考えていた。

 閉まっているはずのバルコニー側の扉が、「ぱっ」とひらく。凍風が流れ込み、銀花が舞う。守人ギルのしわざのようだ。洋琵琶リュートの調べをひびかせて、目の前にあらわれた。


「時雨る専属護衛殿を、口遊くちずさびにするのも楽しいのですが。今回はあなたの強い思いに引き寄せられましてね」


 よく見れば隣に、守人クライドも一緒だ。


「正騎士長殿は、いったいどうして姫様をあきらめていらっしゃるのですか」


 自分から発言する使職クライドではないのに、マリアがいないからか遠慮がない。違う。自分があまりに燃え焦がれていたからだ。守人をかるく見ていたのがいけなかった。レイヴァンはうちひしがれる。


「クライド、お前は俺が何者かわかっているだろう」


「はい、存じております。“王の忠臣”殿」


「だったら、だいたいはわかるんじゃないか。俺がどうしてあきらめているのか」


「初代女王時代にいた恋人が、姫様にはふさわしいと考えておられるからですか」


 わかっているじゃないか。黒い騎士は一笑する。


「そんな大昔のこと、気にしますかねえ」


 弦をはじいてギルが嗤う。


「残念ながら。幾度巡り会っても陛下のたましいは、俺を選んではくださらなかった」


 となりには、かならず別の男がいた。いまいましいほど、“我らが王”が選ぶのは“恋人”だけだ。不可解なことに、いつも二人は諸恋なのに引き裂かれる。


「だから二人が結ばれればよいと、思っている。邪魔するものがあれば、俺が道を切り開いてやればよいと」


 嗤笑が聞こえてきた。クライドは表情一つ変えていない。ギルがあざけったのだ。


「ずいぶん献身するのですね。好きな女を他の男にやるために、つくすだって? 莫迦ばからしい。自分が幸せになるために、うばってしまえばいいのに」


 姫君は騎士殿の幸せを願っているというのに。ギルはつまらないと、窓から去った。のこったクライドも、「正騎士長様がそう願うのなら、かまいませんが」と前置きして。


「姫様はあなたを選びます」


 と、持ち場へ戻っていった。ジュリアにも言われた。どいつもこいつも、わかっていない。“彼女”は一度だって、自分の手を取っていない。知らぬから言えるのだ。


「計画を実行した時点で、結果は目に見えている」


 窓に近づけば、伝書鳩が飛んでくるのが見える。外へ出てみると、フランツが受け取っていた。


「なにか動きがあったのか」


「南東の大国アゲートが動き始めたようです。いかがなさいますか」


 軍事国家アゲート王国。さいきん勢力を伸ばしはじめて、侵略戦争を繰り返している。エピドート帝国にも何度か進行し、総督カエサルが退けていた。今度はこちらを、標的にさだめたのだろう。


「兵にいつでも出陣できるよう言っておけ」


 フランツはうやうやしく頭を下げると、宿舎へと向かう。


「戦でもはじまるのかい」


 視線を向けると正騎士エイドリアンがいた。会話を聞いていたらしく、敵国名をつぶやく。


「おれの部隊だけで蹴散らしてこようか」


「いいえ。エイドリアン殿にはダミアンの教育も一任しておりますし、城が落とされては元も子もありません」


「城の守備に回れってか」


 肯定すれば、鎧がかさなって音をたてるほど哄笑する。


「若造のくせに背負い込みすぎだぞ。それにおれは戦場で武器を振り回している方が、性に合っている。それでも、いくのか」


「ええ。戦とは武力だけではないと、ベスビアナイトのやりかたをたたき込んで参ります」


 自信に満ちた言霊が染み渡る。ちょうどセシリーとグレンが、通りがかって声をかけてきた。張り詰めた空気を感じ取って、問いかけてくる。戦がはじまると、いつわりなく伝える。陛下にはこれから報告しに行くと、執務室へ足を向けた。回廊をすすんでいくと、本をかかえたソロモンとすれ違う。一笑して、扉をたたいた。

 陛下に報告を終えて自室へ戻る。冬営の時期に攻め込んでくるとは、アゲート国も阿呆ではないらしい。奇策にしては詰めが甘いが、悪くはない。冬に攻めるなんて、ざらにあるものだ。


「『地の利』はあきらか、こちらにある。さて、どうくるかな」


 極寒の季節に攻めるとは、考えていない。兵たちは弛緩し、守備を解く。と向こうは考えている。蹂躙するためにも、兵力もそろえてくるだろう。


「おろかなだけか、自然の驚異をなめているのか。自信があるのか」


 いずれにせよ、戦うときを知らなくてはなるまい。宿舎へ向かい、斥候兵をアゲートへ向かわせた。さすがに国境近くまで来てはいないだろう。今は兵力を集めたり、軍備を整えたりしているはずだ。否。さいきん吹雪いていたではないか。そのために情報が古い可能性がある。軍備を急いだ方がよいだろう。

 部屋へ戻り、地図を広げて書類を取り出す。見当をつけておいて、陛下に用意してもらう輜重を目算する。戦車や糧秣、被服、武器、荷役車輛も含めてペンを走らせた。

 だいたい終わるとペンを置き、ふっと息をつく。

 エピドートから、かつて聞いていた。騎馬民族で弓と馬の扱いに秀でいると。とくに馬上から後ろ向きに矢を放って後退する、一撃離脱戦法は有名だ。これがアゲート国を近隣諸国に知らしめた戦闘方法である。カエサルですら手を焼いて、負けはしなかったが引き分けとなってしまったらしい。

 原因としては他にもある。エピドートは歩兵を重んじる。対してアゲートは、騎兵に重きを置いた。それだけでどちらが有利か、誰が見ても明白だろう。

 かつてのベスビアナイトの馬は小さく、戦には向かなかった。場合によっては、人の走る速度よりも遅いからだ。なので、馬から下りて徒歩で戦うのが主流だった。いまでは大きくて筋肉のある馬を、オブシディアン経由で輸入しているから手に入る。

 昔べつの騎馬民に大敗を喫してからは、騎兵の重要性も認知していたからだ。そこがエピドートとは、違うところだろう。

 ベスビアナイト国という“防波堤”に守られたエピドートは、遊牧民族と戦う機会がなかった。アゲートに限って戦を繰り返しているのは、西方にアマゾナイト王国があるからだ。ちょうど二国に挟まれており、力関係でどちらの属国になるかを決められる。自国で王も選べない。右に左にふらふらしている国だ。

 こちらを巻き込んでほしくないのだが、向こうは矛を交えるつもりだ。ここを落とせば、エピドートを陥落するのも容易いと考えているのだろう。


「少しいいか」


 珍しい。ソロモンが部屋をたずねてきた。


「戦になるとはまことか」


「俺の“目と耳”が持ってきた情報だ。嘘ではござらんよ」


「守備はエイドリアン殿に任せたと聞いた。正騎士長がみずからおもむくつもりか」


「不満か」


 姫君が帰ってきたときに、お前がいなくては悲しむ。口にはしないが、翡翠の瞳がうったえていた。


「アゲート国をかるく見るつもりはないが、若造が部屋にこもっていては“おくびょう”などと古参の兵に思われてしまいますからね」


 全軍の士気に関わる。レイヴァンは、にがい表情で笑った。


「よしてくれ。お前のそういう顔に騙されてきたのだ」


「おや、気づかれましたか」


 かるい言辞とは裏腹に、黒い双眸がするどくひかる。どの手札を切るか、さだめているようだ。


「勝算があるのだろう」


 騎士はうなづく。


「当たり前でしょう。敵が来ないのを頼りとするのではなく、備えがこちらにあることを頼りにする。兵法の基本ですよ、策士殿」


 皮肉めいてかえされてしまい、策士は戸惑いをかくせない。専属護衛殿が途方もない考えを持っているに違いないと、答えをはじき出したのは倒れてから間もない時だ。レイヴァンのようすは変わりないが、ジュリアと旧知の仲であったのが意外であったし、おたがい隠している。こそこそと二人の行動をさぐった結果、ジュリアがレイヴァン麾下きかの者で間者だったらしいぐらいだ。

 いまなら、うなづける。ジュリアがなぜ、クサンサイトの城にいたのか。


「此度の戦、俺が同行することは可能か」


 かくされた仮面の下を見てみたい。俺たちには決して見せない。部下にだけ見せる本当の素顔を。その思いだけで、口にした。けれども、正騎士長はにっこりと笑みをうかべて拒絶した。


「冗談はやめてください。あなたに人員を割けるほど、人がおりませんし。あなたの好奇心を満たすための出陣なら、来ない方が御身のためだ」


 ごもっともだ。ソロモンは言葉を、うしなってしまった。


「あなたには生きていただかなくてはなりません。俺がいなくなったあとも、姫の側にいなくてはならないのですから」


 なんだか不吉だ。


「戦場で命を落とすつもりではなかろうな」


「まさか。まだ俺は望みをかなえていない」


 訊こうと口をひらいたとき、フランツがたずねてきた。どうやらアゲート国に潜伏中の間者かららしい。例のごとく、ふつくに教えてはくれないと部屋を出て行こうとした。


「待て、ソロモン。お前の考えを聞きたい」


 引き留められた。どのような心変わりだろう。


「お前にとって、俺も守人たちも、姫様も“人形”としか見ていなかったのではないのか」


 証拠にいままで、間者からの報告を教えてはくれなかった。訊いても、はぐらかされてしまう。情報の遮断によって、レイヴァンは“洗脳”を行ってきたのだ。警戒しないはずがない。


「鳥籠から抜け出したのだ。時が満ちたのだろう。ならば、ひとつも隠す必要などないと判断したまでだ」


 これは機だ。ようやく騎士の素顔を、あばけるかもしれない。おとなしくソロモンは、椅子に座った。


「報告を」


「アゲート国は決戦の日を、一ヶ月後に定めたようです」


 一ヶ月後か。軍備を整える時間は、ありそうだ。策士が息をついた。対して正騎士長は愁眉を開かない。


「フランツ、出来るだけはやく軍備を急ぐよう兵士に伝えておけ」


 承諾し、フランツは出て行く。


「策士殿、さきほどの情報からどれくらい読み取った」


 一ヶ月後に開戦する以外に、意味があるというのか。はっとする。吹雪によって情報が古いのを忘れていた。


「気づいたか。そうだ。なら、吹雪は何日続いた」


「もう一ヶ月はなるな」


「ああ。まだ経っていないにしても、開戦まで数日しかない。国境を越える前に食い止めるためにも、戦う場所に向かわなくてはならない」


 今夜にはとどけられるだろう。さいしんの情報が。レイヴァンは立ち上がると、カップにハーブティをそそいだ。たちのぼる湯気が、幻想的に端麗な横顔を演出する。おちつかぬのか。手の中でペンをもてあそぶ。さきに付着していたインクが、指先を黒く染めた。


「しかし鳥籠とは、また言い得て妙だな。もともと、姫様をかこう檻だったからか」


「むろん。居城がうばわれなければ、姫様は変わらぬまま“籠の鳥”でいられたんだ。あのとき、コーラル国に潜入させていた間者からの連絡が途絶えていた」


 何かあったのだろうと考えていたやさき。戦がはじまり、国をうばわれた。他の間者をつかって調べてみれば、殺されていた。周りには知らせるための紙が、血に汚れて散らばっていたらしい。


「話は変わるが、さいきん間者を探し出しては暗殺する組織もあるようだ。俺の間者は今のところなんともないようだが、気をつけるよう呼びかけている」


「他国の間者をつぶすなど、道理にかなっていると言えばかなってはいる。組織ぐるみとなると、国が金で雇っているのか」


 軍を持たぬ国が傭兵団を雇うのと同じ要領で、しているのかもしれない。自国の民をけがすこともないし、そちらに人を取られることもない。こんな利点があるのだから、雇うという発想もべつだんおかしくないだろう。


「それだけではない。フローライト公国が一枚かんでいると、俺はにらんでいる」


 証拠はないが。と、続けられた。ソロモンには、どうも騎士が確信しているようにしか見えなかった。



 六花がかすかに舞っていたが、月色が空でかがやけば消えてしまった。風はやまないが、凍てつく空気までも流してはくれない。フランツは身を縮こまらせながら、落ち着かぬヴァハをなだめる。好機は今夜なのだ。逃すわけにはいかない。情報を守るためのヴァハが、定常的に行えなくなってしまってはわれわれも困ってしまうのだ。


「平気だよ。正騎士長様は、間違えない。お前もよくわかっているだろう」


 ヴァハが頬ずりする。体温が伝わってきた。同時に、空へはばたいていく影を見つける。ヴァハをとばした。目標をにがさずにとらえて、地上へ落とす。足がけいれんを起こしている鳩の筒をひらいて中を見る。間違いない。フローライトへ向けたものだ。窓が開いている部屋へ向かってみると、黒い騎士が闇の中で浮かび上がり、剣が血を吸っていた。となりには、バルビナもいる。床には怪我を負いながらも、縄で縛られた女性。侍女として城にいた者だ。


「バルビナ殿がどうしてここに」


「俺が頼んであやしい者がいないか、調べてもらっていたんだ」


 汚い仕事をうけいれてくれたものだと、感心しているとバルビナは薄ら笑いをうかべていた。冷気だけではない。背筋を氷が伝う。


「マリア様のためでしたら、私はなんだっていたしますもの。元暗殺者を、かるくみるものではございませんよ」


 つくづく王女の側には“普通の人”がいないと、フランツは実感した。否、ビアンカがいたか。


「それで伝書鳩は」


「無事にとらえました」


 報告を聞きレイヴァンは、侍女に詰め寄る。


「お前の飼い主がフローライト公国だと知っている。吐け。公国側はなにをたくらんでいる」


 女は舌を噛もうとしたが、バルビナに布を詰められる。


「貴女の思い通りに、させるものですか」


 バルビナの目が変わった。暗殺者の目だ。空気すら張り詰めていくのを感じる。侍女の躰がふるえはじめた。


「ちがうのです、ちがうのです! わたくしは何も知らないのです。王都の情報を流せば、給金をくれると言われて」


 病床にいる母のために、金が必要だったのだとうったえかけてくる。妙な話だ。


「事実だったとしても親不孝な娘だな。なんど注意しても、街の賭博に入り浸り、あまつさえ“クスリ”の密売。借金も天文学的」


 女の目が絶望色に染め上げられる。調べられていたと、たった今知ったようだ。立ち上がると、レイヴァンに向かって突進する。逃げられるとでも思ったのか。違う。自ら剣にさされにいったのだ。女は勝ち誇った笑みをうかべて、こときれてしまった。同時に鷹バズヴが空を渡ってくるのが見える。庭へ出てうけとってみると、アゲート国にいる間者からだ。


「なんと書いてある」


 振り返って正騎士長とメイド長に告げた。


「アゲート国軍は、すでに軍備を終えて進軍中とのことです」


 出遅れた。口には出さずとも、言霊が胸中でとどろいていた。

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