第十六章 こいぐさ

 しののめ時に公爵ディアナの乗った馬車が、王都に到着した。誰も彼も眠っている時間帯であるからか、数人の衛兵と共にひねもす起きている正騎士長レイヴァンが迎えに出た。


「ごめんなさい。予定より遅くなってしまったわ」


「ぜんぜんかまいませんが、道中なにかございましたか」


 レイヴァンが尋ねてみれば、雪で車輪がうごかなくなることがしばしばあった。これではマリア達が帰ってくるときは、危ないのでは無いかと答えがきた。うれいげなディアナに対し、心配する風無く言辞を返す。


「皇帝陛下も寒空の下に、姫様を放り出すことはなさらないでしょう」


「はじめから、そのつもりだったの?」


 うつむきがちにディアナは疑問をぶつける。黒い騎士は、はぐらかしながら室内へ入るようすすめる。不満が残る表情でうなづきながら、ディアナ達は案内されるまま部屋へ入った。騎士がさったあとでゲルトは、ようやく口を開く。


「エーヴァルト卿は、姫様を春まで遠ざけておくつもりなのですね」


「さすがに私も、彼がそこまで考えていると思わなかったわ」


 マリアの居ぬ間にベルクと決着をつけようとしていることは、よめていたけれど、まさか春までとは考えが及んでいなかったのだ。


「少し考えれば気づくことよね。だって彼はマリアを守るためならば、狂奔し手段を選ばないんですもの」


 ゲルトはたまゆら黙り込み、主人を見つめる。


「嬉しく思わないのですか」


 うれいを帯びた表情でいる主人にうたがいを抱き、訊いてみれば意外な返答が来た。


「マリアを大切に思ってくれるのは嬉しいわ。けれど、正騎士様が心酔する理由が私にはわからないの」


 おさなき頃より側に仕えているからではないか。ディアナの表情は暗い。


「それだけではない気がするのよ。なにか途方もないことであるような」


 好意を寄せているからではないかと、ゲルトは次の考えを述べる。なるほど、一理あるとディアナも思ったけれど腑に落ちない。


「ディアナ様、考えるのは明日にしてゆるりとすることにしましょう。ここへ来るまで休めていないでしょう」


 ゲルトも休息が取れていないことに気づいて、謝ったのちに下がらせた。閑散とした部屋でディアナは、持っていた荷物を放り出すとベッドの上へ躰を沈めた。よほど疲れていたのだろう。一気に睡魔におそわれて寝息を立て始める。

 目を覚ませば、うっすらとしか滲んでいなかった陽光が燦々と輝いている。昼が近いようだ。いくらなんでも寝過ぎたと感じ、新しい服に着替えて軽く食事でもしようと調理場へと向かった。悪く思いながら余り物でも無いかと尋ねると、かしこまられて「やんごとなき貴女様が斯様な場所に足を運ばれるなどいけません」と食卓の椅子へ座らされた。どうやら自分がいることは、国王からうかがっているらしい。お口汚しですがと並べられた料理は、うんと豪勢だった。

 率爾であるから申し訳ない気持ちを伝えて口に運ぶ。王宮の調理人であるから、料理はことさら美味なものであった。

 食事を終えるとディアナは、中庭へと出る。張っていた緊張の糸がふいに切れた。幼い時分は、この城に住んでいたというのに城に居ることが重荷に感じてしまうと空を見やりながら考えてしまっていた。心の中であれば、思ってもかまわないだろうかと抱きしめることも出来ない我が子を想う。名を呼ぶことさえも、はばかられた。言えばきっと、いとおしさがこみ上げてくるとわかっているからだ。


「ディアナ閣下?」


 思いがけない呼びかけに一驚し、視線を向ければクライドがこちらに向かってきた。


「表情が優れませんね。どうぞ、ごゆるりとなさってください」


 国王陛下も休んで欲しいといっていると続かれた。


「そうね。いまのところ、公爵としての仕事も無さそうだものね」


 愁思げであるディアナを心配になって、自分に何か出来ることは無いかと尋ねた。


「やさしいのね。ただ我が子を想っていただけよ」


 かえす言葉がなくなってしまいクライドは、口を開いては閉じてを繰り返す。心咎めがつのって仕事に戻るようディアナは言った。気がかりながらもクライドは、声をかけてからさっていく。ひとりになれたと、ディアナは再度空を見上げた。

 いままでは、忙しくしていたから忘れていた。もどかしさと愛おしさが胸に迫ってくる。成長したマリアと再会したとき、この手で抱きしめたかった。自分が母だと言いたかった。けれども、口にすれば国が揺らいでしまう。


「叶うならば、もう一度だけ抱きしめたい」


 無自覚につぶやき、服を握り締めていた。スカートに丸い跡がつく。はじめは何かわからなかったけれど、自身の涙だと頬に触れてやっと気づく。誰かに見られるわけにはいかぬと裾で強引に拭おうとすれば、やわらかい布が頬に当てられた。


「表情が優れませんね。医務官をお呼びしましょうか」


 黒い騎士レイヴァンであった。繁忙であるはずなのに柔和な面持ちの彼を見ると、涙があふれてしまう。謝って「何でも無いのよ」と告げたら騎士は、手を引いて自身の部屋へ連れ込んだ。侍女にお茶の用意をさせると、話を聞きましょうと言われて素直に吐露した。


「一人になるとね。いつもああなってしまうのよ。堪えていたものがあふれて止まらなくなってしまうの」


 迷惑をかけてしまってごめんなさいとディアナが紡げば、騎士は首を横に振る。


「心が不健康であれば、それは健康とは言えません。クレアをあなたの側にお付けしましょうか」


 天真爛漫であるから幾らか貴女も救われましょうと言われたが、ディアナは断る。クレアもまたマリアの臣下であるからだ。マリアのために働かせる方が良いと言うのが閣下の考えだった。


「とどのつまり貴女は、マリア様の母なのですね」


 考え方がまるで一緒だとレイヴァンは言った。


「やめて。私はあの子の母親になんてなれないのに」


 苦しく思いディアナは胸をおさえる。


「口には出せずとも、心まで誰にも支配などされてはいけません。思ってもいいのですよ」


 俺が姫を思うように、と心中だけで騎士は付け加えた。ディアナは、一人の母親になって差し含む。


「だって、思えば思うほど胸がえぐられていく感覚がするのですもの。貴方ならわかるでしょう。報われない思いほど、つらくなっていく」


「されど思うことをやめることは、俺にはできません。苦しくても思ってしまうのですから」


 正騎士長の言葉は、言い得て妙だ。ディアナも痛いほどわかって落涙する。


「あなたは本当にマリアを思っているのね」


 あなたが臣下であって良かったと零せば、レイヴァンがにがい表情をうかべる。


「果たして俺は、臣下でしょうか」


 恋い焦がれることをやめられぬから出た言辞のようだ。かなしげにレイヴァンは、笑んでお茶をすする。


「貴方は臣下よ。恋心が混じっているとしても」


「閣下は、俺が姫様を好きと知ってどう感じられましたか」


 腰のひけた正騎士長の言辞にやや衝撃を受けたが、温和な声色でかえした。


「貴方ならば任せられる。今はだめでもお兄様もお許しになるわ」


 一度は王から要求を拒まれたことを知っている口ぶりであるから、感情をあらわにしない騎士が珍しく驚きの目つきをする。


「私だって優秀な部下がいるのよ」


 マリアのことなら詳細に知らせるよう告げてあることをいわれ、苦笑を黒い騎士は浮かべた。


「参りました。あなた様の情報網を侮っていた俺の落ち度ですね」


 嬌笑を浮かべてディアナが、淑女らしい仕草でカップをとった。湯気が鼻に当たる。


「あら、薔薇茶ローズティなのね」


「甘く上品な香りは貴女様に似合いますから」


 うまい言辞をつむぐ騎士であるが、薔薇茶ローズティには抗鬱作用がある。気を遣ってくれたのだろう。礼を言いお茶を飲み干した。


「話は変わるけれど、尋ねてもいいかしら?」


「ええ、何でもどうぞ」


 黙り込んでしまったけれど、つたない言辞で外へはき出した。マリアを守ってくれるのはなぜか。貴方が主君と仰ぐほど、まだ人として出来上がってはいないのに、大切に思ってくれるのは何故かと問いかけたのだ。騎士は黙った。なのに、口元に笑みが浮かんでいる。おそろしく思えて、ディアナは身震いした。


「『愛しているから』と言えば、貴女は信じますか」


「もちろんよ」


「では、数百年前から『次に出逢ったときには、かならず目と耳を塞いでしまおう』と考えていたと言えばどうですか」


 ディアナの唇からは返答の口跡は流れない。代わりに小刻みに震えている。


「本当に巡り会うことができて、目と耳を塞ぎ『誰のものでもない自分だけのもの』にしようとしたと言えばどうですか」


 繊細な指で持っているカップと皿が、幾度も微かにぶつかり合い音を立てる。心は大きな波がうねり、さわいで落ち着かないでいた。息をつき整えると、カップを机において青い金剛石の瞳をレイヴァンに向けた。


「貴方は何者なの」


「マリア様の専属護衛兼正騎士長ですよ」


 そういうことを問うているのではないとディアナが、詞を走らせようとしたとき。フランツがおっとり刀駆け込んできて、正騎士長に今し方とどいた文だと差し出した。紙面に目を走らせる騎士の眉間の皺が深く刻まれていく。ただならぬ空気にディアナが問いかけると、黒い騎士は一笑して見せて「閣下のお耳に入れるほどのことではございません」と言い、フランツには閣下の側に控えていろと命じて部屋を出て行った。不満が残る表情であるもののディアナは、黒い騎士を見つめるだけにとどめていた。

 回廊へと出たレイヴァンは、紙を握りつぶしながら庭へ出る。空を舞っているヴァハを腕に止まらせて、新たな紙に暗号で文字を走らせた。


『カエサル閣下がいるということは、エピドート帝国が動いてくれることだろう』


 筒に入れてヴァハを空へ飛ばす。ちょうどクライドが庭へ出てきた。心を読めるから、焦燥が伝わってしまったのかもしれない。


「姫様に何かあったのですか」


 隠しても無駄だと知って正直に、マルガリートゥム共和国でマリアがさらわれたのだと説明した。急行してしまいそうになるのか、手が剣の柄にのびた。


「信じよう。マリア様には、三人がついている」


「申し訳ございません。正騎士長様こそ、気が気ではありませんでしょうに」


 謝るとクライドは、持ち場に戻った。レイヴァンも、ここでの仕事は終わったと思い部屋へ戻った。しばし部屋でディアナと歓談をしていると、今度は一兵卒が駆けてきて「今日はよく皆が駆けてくるものだ」と思いながら話を聞けばギルたちが帰ってきたという。だいそれた報告ではないではないかと考えていると、ヘルメスも一緒であるが記憶を失っていると告げられた。いそいで玄関口へ出ると、疲れたようすのギルとイリス。それから、採取に出かけていたはずのセシリーとグレンまでもが一緒だった。兵に尋ねてみれば、ヘルメスは医務官に預けられたらしい。

 医務室へ向かってみると、ヘルメスは本当にわからないのか「だれ?」と問いかけてきた。旅をともにしてきたではないかと言ってみたけれど、首をかしげるだけだ。困惑色をうかべたが、アレシアに連絡してみるのも手かとさっそく王を通して書簡を送る。彼女が来れば、わずかであっても記憶が戻るかもしれないと希望を抱いたからだった。

 部屋に戻ってみると、夕方であるからディアナは自室に戻ったとフランツが言った。


「ディアナ閣下のうれいが、少しでも晴れたのであればよいが」


「姫様のことはよろしいのですか」


「ああ。これ以上、閣下を思い煩わせるようなことはしたくはない」


 ジュリアたちがいるから平気だろうとも紡いで、椅子に腰掛けるとノック音とともにギルが入ってきた。


「疲れているだろう。今日は休んだ方がいいのではないか」


 心惑う事柄があって休めないのだと言ってギルは、マリアがどこにいるのかと問うてきた。気づいてしまうだろうから、騎士は隠すことなく伝えた。


「なるほどね。正騎士長殿、もうひとつ伺いたいのですが」


 ギルはローレライでの件を話してから、宝玉や三賢者について尋ねた。黒曜石の瞳がややひらかれて、考える素振りをする。


「最初にいったとおり、宝玉のことを知っているのは俺とジュリアだけのはずだ。もしヘルメスが三賢者のひとりだとしても、記憶があると思えない」


 私意を述べたけれど、ギルは納得していない。


「わかりました。最後にもうひとつ、なぜジュリアは知っているのですか」


 気にはなっていたけれども、口にしなかった疑問が言霊となって外へはき出される。いままでジュリアだけは、守人としての“ちから”を示してなかった。関連があるに違いないとギルは、結論づけているらしかった。

 ジュリアにことわりなく、答えてしまってもよいのか。騎士は逡巡する。自分のことは話してしまっているし、かまわないかと一呼吸置いて告げた。ギルの表情が、驚きへと変わっていき硬直した。


「そうでしたか」


 しばらく経って月次な言辞を紡ぐと、ギルは礼をして部屋を出て行った。静寂がおとずれるとフランツは、「答えてしまったもかまわなかったのか」と正騎士長に問いかける。かまわないと答え、遠からず皆に知られることであるからと返した。違いないとフランツは感じ、仕事へ戻るために部屋を後にした。

 広い部屋にひとりになってレイヴァンは、心の中はマリアのことであふれかえってしまった。いますぐ城を飛び出して、助けにいきたい衝動に駆られてしまうが堪える。いま、城から自分が出るわけにはいかぬ。ベルクも王都へ向かっていると、情報はとうに入っていたのだ。

 気持ちを押しつぶして仕事に没頭した。やがて下女が夕食を運んできた。さいきん、仕事が増えたのもあって部屋で摂ることが多い。食事のときなどは特に、マリアを思ってしまいがちだ。国王と王妃がいそがしく一緒に食事ができないときなどは、マリアやバルビナとともに食事をしていたからだった。今は昔と違い、バルビナも忙しそうだ。とうてい誘えそうもない。

 食事を終えると再び机に向かう。数十分ほど経って下女が食器を下げに来た。不意に頭をあげて窓の外を見やれば、陽光が消えて夜のとばりが降りている。体を動かすべきだと感じ、部屋を出た。城内を回って異常がないかを確かめて仕事に戻ろうとしたとき。マリアの部屋の扉が視界に入った。隣であるから当然といえば当然だが、我知らずうちにドアノブに手をかけてひらく。室内は深閑としていて寂しさが募る。

 マリアが発つ前の晩、眠り込んでいる姿を見つけた椅子へ近寄る。毛布は片付けられることなく、きれいにたたまれていた。

 エピドート帝国から帰ってきたマリアの心に、自分はいないかもしれない。だから、「許してほしい」と呟きながら毛布をかけて頬に口づけを落としていた。マリアはひとつも覚えていない様子であったけれども、かえって好都合だ。


「わかっている。どんなに望んでも、彼女は俺のもとへなんてこない」


 万に一つでも奇跡が起きて自分のもとへ来てくれるのならば、他に望むものはないと騎士は毛布を握りしめた。


***


 陰鬱な空気が室内を満たしている。元首ドージェは、落ち着かないのか部屋をうろつく。マリアの臣下たる三人は、苛立ちを消さずに手が剣の柄にのびている。

 賊が元首の娘だけでなく、ベスビアナイト国の王女まで手をかけたのだ。落ち着いていられるはずがない。斥候も未だ戻ってこない。

 マリアがさらわれたとわかると、ジュリアたちは直ぐさま海賊船に乗り込もうとしたが、元首に止められた。いわく、客人でもあるお三方を危険な目に遭わせるわけにはいかぬ。また三人だけでは危ない。どうか無策で乗り込もうなどとはなさらないでくださいと言われたのだ。これには、三人も黙って従った。

 壁にもたれて成り行きを見守っていたカエサルであったが、緊張ばかりが走って膠着している部屋に用はないと出て行った。自身に割り当てられた部屋に入り地図を広げる。腹心の一人であるアルビーヌスが、どうするつもりなのかと問いかけた。


「もちろん、お姫様を救い出すよ。おそらく、身代金を要求するだろうから船を出航させることも、お姫様たちを殺すこともないと思うけれど」


「不安はある」


 アルビーヌスの言葉にカエサルはうなづいた。


「彼らは人を殺すなど何も考えずに行うから、身代金を受け取って身柄をかえさずに殺してしまうかもしれない」


 海賊の言うとおりにしたところで、無事に返してくれる保証はどこにもない。ならば、確実に救う策を練るのみだ。


元首ドージェの兵を借りるしかないね」


「しかし兵を動かせば、賊を刺激してしまうのでは」


 すかさずアルビーヌスが意見を述べた。


「アルビーヌス、僕と何年つきあっているのかな」


 正攻法で戦うわけがないだろと、言外にいわれて謝り頭を下げた。主君カエサルは、「わかればいい」と言いたげに頷いてジュリアたちにも協力を仰がないといけないとつぶやく。アルビーヌスは快く受け入れてくれるだろうと告げたが、カエサルの表情は暗い。


「彼らは、姫君が国を追われた際に側にいた者らだ。国内だけでなく、国外でも姫の忠臣とよばれる彼らが僕たちの策に乗ってくれるとはかぎらない」


 今は側にいないが、正騎士長レイヴァンは筆頭と呼ばれている。


「とにもかくにも僕から話してみるよ。ジュリアは顔見知りだし」


「お運びいただく必要はございませんわ」


 緑の黒髪をひらめかせて凜然とした女性の声が響いた。声の主をみれば、ジュリアがあとの二人もつれて部屋に入ってきていた。


「やあ、ジュリア。今日も夜の髪がうつくしいね」


「尾籠な話は結構ですわ」


「あいかわらず、つれないね」


 カエサルの言辞をさらりとかわして、策を練ってたのではないかとジュリアは問いかけた。


「お願いします。どうか閣下の知恵をお貸しください」


 カエサルは困り顔になって微苦笑をうかべる。


「うつくしい顔を僕に見せてほしいな」


 ジュリアは言われるまま顔を上げる。


「君たちが協力してくれるのであれば心強い。さっそく僕の策を聞いてくれるかな」


 カエサルは、自身の部下たちにも聞こえるよう考えを述べた。


元首ドージェにも話してくるよ。君たちは、さきに準備しててね」


 カエサルは告げて部屋を出て行き、元首ドージェの下へ行く。ちょうど、斥候が戻ってきて報告をしていた。


「なにか知らせがありましたか」


「おお、カエサル閣下。海賊船のある場所がわかりましてね」


 地名を元首ドージェは口にした。思っていた場所と一致して、口元に笑みを浮かべたのちにジュリアたちにも話した策を述べた。


「無論、兵はお貸しいたします。あなたは政治の才だけでなく、軍人としても才があると伺っております」


 元首ドージェに微笑み礼をいうと、自らも準備のために部屋を出て行く。まどろむ月光が、回廊にカエサルの陰を濃く映し出した。



 海賊の目をかわしつつマリアとコルネリアは、元首の娘をさがしていた。牢の中を調べ尽くしたけれど、いなかった。いったいどこにいるのかと、コルネリアは思案顔だ。船にはくわしくないので、マリアは黙っているしかない。


「50タレント要求するといわれたのですが、タレントというのはどこの通貨なのですか」


 今は倉庫に隠れているので誰も来ることもなければ、聞こえることもあるまいとマリアは問いかけた。


「都市国家サピロスよ。最高学府アカデミーがあるところ」


 わかっていないマリアにコルネリアは、国内で勉強を学んでから、さらに上の学問を修めるところだと説明する。礼を述べながらマリアは、ソロモンたちに詳細を尋ねてみようと考えていた。


「残念ながら私の夫は、アカデミーを卒業してはいないけどね」


「旦那さんがいるんですか」


「ええ、本当に困った人よ。女とみれば、すぐ口説くし。愛人を大っぴらにするのだから」


 男性は愛人の存在は隠すものでなかろうか。自分の認識がおかしいのかとマリアが思っていると、コルネリアも同じようだ。同じことをつぶやき、拳を作って怒りをあらわしていた。


「それでも愛していらっしゃるんですね」


 マリアが言えば、コルネリアの頬に朱がさした。


「ま、まあね。離婚を強要されても、決してしなかったもの」


 コルネリアが強要したのかと思ったが、違ったようだ。武力による独裁を強いた者がエピドート帝国にいたらしい。世の常というべき、反旗を翻した組織もあったらしい。その独裁者と敵対する勢力の中にいたのが、コルネリアの父であったようだ。


「『国家の敵』と認識された父たちは殺されたわ。夫は当時十八才であるから、政治を行える年ではない」


 それでもコルネリアを妻としているから、「処刑者名簿」に名を連ねられたらしい。


「周りの者たちが、政治も行っていないからと助命してほしいと言い始めてね。そこで独裁者が助命を認めるかわりに要求したのが私との離婚だったの」


 誰もが受け入れると思った。だが、予想に反して夫は断ったのだという。


「なぜ断ったの」


「私の夫はね、いつでも自分に忠実なの。自分の心までも誰にも独裁されてはならないと常に彼は言っているわ」


 答えのすべてがそこにあった。


「けれど妻である私を放っておいて、愛人と会話をするのはどうかと思うけどね」


 憤懣な声色であるものの、あたたかいことばであるからマリアは羨望のまなざしを向けてしまう。自分も未来の夫と、こんな関係であればよいなと感じのだ。言うまでもなく、愛人をつくることは許すつもりはないが。


「夫のことはどうでもいいのよ。元首の娘がどこにいるのか、つきとめないと」


 ここもいつ賊にばれるのか、わかったものじゃない。マリアは気を引き締めた。


「まだ探していない部屋があったわ」


 船長室は最初から外していたのだと、コルネリアは口跡を紡ぐ。ねらって船長室に隠しているであれば、海賊もなかなかの策士だ。


「上がらなくてならないわね」


 つぶやき視線をマリアへ投げる。危険な目に遭わせるかもしれないと、危惧しているのかもしれない。


「体術はできないけれど、剣と弓ならばある程度使えます」


「さすが国を取り戻しただけあるわね」


 コルネリアは感嘆の息とともに言辞を紡ぐと、佩いていた剣をマリアに渡した。


「コルネリアさんの武器がなくなってしまうのでは」


「平気よ。海賊の武器を使えばいいし、体術も使えるしね」


 心ばえがよいコルネリアに感謝の意を伝えながら、体術もいずれ誰かに教えてもらおうとマリアは密かに思う。

 階段を伝って上っていき、時には海賊と鉢合わせたがコルネリアが隠してくれたお陰で何度も難を逃れる。顔をまともに見られたこともあるけれど、皆が皆マリアの顔を知っているわけではないらしい。コルネリアのはったりで「妹」といえば、疑う者もいなかった。

 船尾楼にたどり着くとコルネリアは戸に耳を当てる。だれか中にいないか確認しているようだ。ならってマリアもしてみると、少女の声がとどいた。


「拘束を解きなさい!」


「だめに決まってるだろ。これから交渉の材料に使うんだからよ」


 おとなしく待っていろと続かれて、足音がひびく。まずいと感じコルネリアは、マリアを近くの荷に隠した。


「なんだ。コルネリアか」


「ひどいですね、船長。今回の策についてお聞きしたいことがありまして」


「わかった。いつものところに行こう」


 船長の視線が外された刹那に、コルネリアの視線が飛んできた。意をくみ取ると二人が去ってから、船長室へ入った。元首の娘が手足を縛られた状態で椅子に座らされていた。


「あなた、ベスビアナイト国の姫ではないの。なぜここに」


「話は後です。ここから逃げましょう」


 マリアは剣で縄を切ると、船尾楼を出て行く。コルネリアからは何も聞いてはいないが、上甲板を目指してすすむ。さすがに海賊の人数が多く、露天甲板に出るのは困難だと難色をマリアはうかべた。


「ここにいたのね」


 コルネリアが戻ってきた。元首の娘が警戒していたが、味方であると説明する。


「ここまで来ると、警備の人数が多くなるわね。なんとか出来ないかしら」


 悩みこんだコルネリアの視界に、マリアが持ってきていた縄が目に入る。どこで手に入れたのか問われたので、素直に「牢獄で」と答えた。


「なんとか出来るかもしれないわね」


 凜然とした視線を、海賊たちに注ぎながらコルネリアは呟いた。

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