第十五章 水の都

 いてついた冷気が街道をつつんでおり、人の気配すらたたない。旅人が通ったとしても、外套をつよく握り締めて街へと急いで行く。外は既に白く塗りつぶされているのを、窓から眺めてマリアは息をついた。

 エリスがいうには、クサンサイトでは無く王都にほど近い港からエピドートへと向かうようだ。そのため、方向も九十度違う。街道を抜けたら、すぐに港町らしい。途中、小さな町へ寄ることはあっても街らしい街も無かった。


「姫様、何か心配事でもございますか」


 ジュリアが尋ねたけれど、にがい表情で笑んで「なんでもない」と答えられてしまえば誰もなにもいいだせなくなってしまう。マリア自身も守人たちに気を遣われていることに気づいてはいるが、なんと言辞にすれば良いかわからないでいた。

 だれもが口をつぐみ、成り行きを見ているうちに港へ着いて船に乗り込む。波はおだやかで快適な航海となった。しかれども、マリアの青い瞳はうつろで内心ははかりしれない。

 露天甲板から海をながめるマリアを心配して、ジュリアがとなりにくる。潮の混じった風が二人の髪をゆらした。


「男性がいる前では話しづらいこともありますでしょう」


 朗笑をうかべてジュリアが尋ねると、マリアは吐露した。


「マーセルさんの言っていたことは、本当なのかわからなくて」


 自分は国王王妃から大切にされてきたと感じるから、憎まれたことなどひとつもないと思っている。しかし、本心はわからない。マーセルの言うとおりであるならば、うらまれているのだろうか。そうであるならば、見せかけなりとも親として演じていたのであろうか。

 口跡が止まると、ジュリアは寸刻まつげをふせた。


「姫様は国王陛下や王妃様の言葉と、出会って間もない男の言葉だったらどちらの言葉を信じられますか」


「父上と母上の言葉に決まっている」


「なら、疑念など抱く余地ございません」


 答えは出ているでは無いですかとジュリアに続かれて、はじめて気づく。いったい何を悩んでいたのかと思うほど、心は軽くなっていた。


「ありがとう、ジュリア。悩んでいたことが嘘みたいだ」


「なんてこと御座いません。エーヴァルト卿が申していた言葉です。『人はの奴隷である』と」


 大切なご主君がつまらないうわさに惑わされるのは、つらいのだと言辞がつむがれた。言い得て妙だと、胸の奥に刻んでおこうとマリアは考えていた。


「さあ、姫様。中へいきましょう。冬の海はこごえます」


 ジュリアにうながされて倉口から中甲板へむかう。レジーはこちらの姿を見つけてきて、「大丈夫?」と問いかけてきた。朗笑して「うん」とマリアが答えれば、頬を緩めた。馬車内では、変わらずとらえどころの無い表情をうかべていたが、気を張っていたらしい。あきらかに今と表情がちがう。

 レジーにも気を遣わせてしまったと肩を落とすと、肩に手を置かれて「臣下だからとうぜんだよ」と口跡が紡がれる。薄い金の髪が左右に揺れた。


「いや、当然のことなんて無い。国を追われたとき、わたしは痛いほど実感した」


 なんども思ったことであるけれど、口にしたくなってレジーとジュリアは笑んで「あなたが“あるじ”でよかった」とつぶやいた。


「ここにおられたのですか」


 声がきこえたのか、エリスもマリアの元へ来た。マリアの表情がほがらかであるのを見て、迷いは消えたのだと確信するとレイヴァンが心配していた旨を述べる。


「レイヴァンに話したのか」


「ええ。あなた様に関わることは、すべてつぶさに報告するよう言われておりますので」


「過保護だと思っていたけれど、それほどまでとは」


 微苦笑をうかべマリアが言うと、エリスは首を左右に振る。


「過保護ではございませぬ。姫様を守ることは、国の未来を守ること。御旗を守ることにもつながるのです」


 ひいては内乱が起き国王が崩御なされた場合、マリアを陣頭に立て王権の回復をすることができる。と、この言葉は飲み込んだ。内乱とまで大きくならぬうちに沈静させようと正騎士長が動いているからだ。マリアに不安を煽ることを言うべきではない。


「そうであったな。ごめん」


「いいえ。それとこれは、兵書に書かれていた言葉ですが、『戦って勝つのは易しいが、守って勝つのは難しい』。レイヴァン様は、ただこれを実行なさっているだけなのですよ」


 レイヴァンが武器を取るときは、いつも自分を守るときだけであったきがするとマリアは思う。もしくは、自分が命を下したときぐらいだ。たしかに、強いのに安易に武器を取ることも誇示することも無かった。


「そういえば、エーヴァルト卿から聞いた話ですが」


 ジュリアは、切り出してレイヴァンが正騎士となる要因を話し始めた。


「姫様も存じているとは思いますが、六年前にシトリン帝国がオブシディアン共和国に攻め入りました」


 とうぜん、ベスビアナイト国側からは援軍が出された。その中に当時、正騎士長配下の軍団長をしていたレイヴァンもいたという。


「オブシディアン側は、正攻法のみで戦おうとしました。ベスビアナイト軍をあわせても同等ぐらいの戦力しかこちらにはないため、運頼みをするべきでは無いとエーヴァルト卿は進言したのだそうです」


 たかだか軍団長が他国に進言するべきではない。当時のオブシディアンの総督は、レイヴァンを痛罵したそうだ。クリフォードがおさめてくれなければ、両国の間に亀裂が入ったかもしれないとレイヴァンは苦笑しながら話したらしい。


「エーヴァルト卿に発言を許し策を聞いたそうです。総督は渋ったらしいのですが、クリフォード殿の『こいつにやらせてみてください』の一言で引き下がったのだとか」


 上手くいくはず無いと総督は思ったらしいが、レイヴァンの策は功を奏でた。圧勝であったらしい。


「どのような策を講じたの?」


 船内にある部屋へ戻りながらマリアは尋ねる。謎めいた笑みをジュリアは浮かべた。


「兵を率いているのは、わかい軍団長で戦にも不慣れ。そのうえ軍の中でもおくびょう者だと、うわさを流させたのです」


 レイヴァンの名は、誰にも知られてはいなかったから出来た策だとも続かれる。ちょうど部屋について椅子に座った。エリスは、準備していたのか皆にお茶を配る。


「部下達には、敵が攻撃してきても決して反撃してはならぬといっておきました」


 かならず壕や柵の中に逃げ込むよう言ったようだ。いざ対峙すれば敵は、なんども徴発し矢や石をとばしてきたがレイヴァンは壕や柵の中に逃げ込ませて反撃させようとしない。日が傾いてきて敵が、陣営に戻る準備をはじめたとき突撃の合図をして一掃した。


「自軍の被害もほとんどなかったそうですよ。それが認められて正騎士になったぐらいなのですから、利害をよくわかったうえで行動している方なのでしょう」


 この言葉でジュリアの話はしめられた。


「どうしてレイヴァンは、わたしの前で策を話したりしないのだろうか」


 いつも策を話すのは、ソロモンだ。レイヴァンは、武器をあつかうことしかできないとでも言いたげにいつも黙っている。マリアは、すこし不思議になった。


「エーヴァルト卿はあなた様に嫌われることが、一番恐ろしいことなのですわ」


 策を話し始めると部下達に話すのと同じ調子で話してしまうから、マリアを怖がらせてしまうと思っているのだと紡いだ。ソロモンが話すから、自分が言う必要も無いとも考えているからと続かれる。

 ジュリアにだけは打ち明けていたのか、すらすらと流れるように唇から紡ぎだされる。かんがえていることを打ち明けてくれないレイヴァンに苛立ちを覚えたが、自分はまだ本心を話すことの出来る間柄では無いと報された気がしてやるせない哀しみが込み上がってくる。この感情とどう向き合えば良いのか、マリアは逡巡した。


「どうか彼を許して下さいませね。姫様」


 うれいを帯びた顔でジュリアが告げる。


「正騎士長様は、おくびょうですから。姫様の前では困惑したり、拙劣であったり大忙しの人ですのよ」


「いつも余裕の笑みをうかべているけれど」


 抗弁をマリアが紡ぐと、ジュリアはわらった。なぜ笑うのか問いかけると、謝りながら腹を抱える。


「失念しておりました。姫君は『いや』と答えることに必死で、エーヴァルト卿の顔を見る余裕などございませんでしたね」


 体中をあつい熱がかけめぐり、体温が上昇したのをマリアは感じる。


「ち、ちがう。わたしは、本当にレイヴァンのことなんて、なんともおもっていないんだから」


「あら、わたくしはただ答えるのに必死だと言っただけですのに、何を勘違いしておられるのですか」


 ジュリアがおかしげに言えば、マリアは「ギルみたい」と思わず声をはって言う。


「申し訳御座いません。姫様があまりに可愛らしくて」


 べつの意味で今度は、頬に朱がさせばマリアは「かわいいなんて、言わないで」と言いながらうつむく。あわててジュリアは、あやまりながらも笑みを消さずに「事実ですから」と付け加えた。耳まで染まってしまっていたたまれない。熱をさましに上甲板へあがろうとしとき、乗組員が来てマルガリートゥム共和国についたことを知らせてくれた。

 船を下りると宮殿からの迎えが来て、今度は小舟で宮殿まで向かうこととなった。ソロモンから聞いてはいたが、運河が縦横に走り小舟が幾つも行き交う。反対に街中に馬車が通る様子は見られない。人は皆、徒歩のみだ。


「聞いてはいたけれど、本当に船で移動するのですね」


「ええ。運河が縦横にあり、とくに大運河カナル・グランデが市街を二つにわけるように湾曲してながれているのです」


 案内人でもある船頭ゴンドリエーレがベスビアナイト国の言語で答えてくれた。別名“水の都”と呼ばれるのにふさわしく、水上に街が浮いているみたいだ。相応の女の子らしく、マリアは頬を紅潮させて辺りを見回した。

 しばし経って船が止まり、案内されるまま進むと中央に大鐘楼が建っている広場に着いた。うしろにある建物が、元首ドージェのいる宮殿と説明をしてくれる。案内人の後を追い、中へ入る。広い部屋へ通されると、中央の椅子に三十才後半頃の男がすわっていた。となりには、臣下らしき若い男が控えている。

 マリアは頭を下げて挨拶を行おうとしたけれど、元首ドージェは椅子から降りて肩を並べてきた。


「ベスビアナイト国の次期女王に頭を下げさせるなど、あってはなりません。顔をお上げ下さい」


 おどろいて元首ドージェを見てみれば、人の良い顔つきに見えた。


「おつかれでございましょう。おつきの方もどうぞ、おやすみになってください」


 元首ドージェはにこやかに、臣下に部屋を案内するよう命ずる。案内人は、「御意」と答えるとマリア達に「こちらへ」と告げて部屋をあとにする。言葉をかけることもなく無言で廊下を進んでいくものだから、愛想が無いなとマリアが考えたとき。かわいらしい薄紅色のドレスをひらめかせて、幼い少女がふくれっつらで駆けてきた。


「ディオニュシウス、今日はわたくしとお庭に行きましょうと約束したじゃない」


 若い臣下ディオニュシウスは、かるく頭を下げて謝罪をした後に公務が入って、出来なくなったとさきに告げたことを言った。少女の目がマリア達に向く。


「わたくしと公務のどちらが大事というの?」


「公務ですかね」


「ひどいわ!」


 泣き叫んで少女は、茶髪をひるがえし駆けていく。


「お見苦しいところをお目にかけて申し訳御座いません」


「それはかまわないけれど、あの子はいいのか」


 ええ、と返事が来る。どうやら、元首ドージェの愛娘で何かと話し掛けてくるらしい。


「わたくしと話しても、面白いことなど何も無いと思うのですけれど」


 あきらかに少女の方は、ディオニュシウスに好意があるとマリア達は思ったが、決して言辞にはしなかった。


「もしや、わたくしたちが来てしまったから骨休めができなかったのですか」


 ジュリアが問いかけると即座に「いいえ」とかえってくる。皆様方の来客は、以前から聞いていたことであるから気になさることは無いと言われ、深くは追及せずにジュリアは引き下がる。そのあとは、必要な言辞のみで部屋を各自案内された。つかの間マリアは、部屋に備えられていた椅子に座っていたけれど退屈に思い部屋を出た。せっかくマルガリートゥムに来たのに、通り過ぎるだけではもったないと考えたのだ。

 廊下をすすんでいくと、大きく開けた庭をみつけた。冬であるからか残念なことに花は開いていない。春には、おそらく花の香りで満ちるだろう。パーゴラドームも備えられていて貴族達が花を眺めながら、ここで談笑でもするのかもしれない。


「おや、冬の庭に儚げな花が一輪咲いている」


 おどろいてマリアが振り返ると、貴族らしい上品なたたずまいをした男が立っていた。勝手に入ってはいけなかったのだろうかと思い謝ると、男は困った顔をした。


「僕はこの城のものでは無いよ。用事が出来て急ぎ、ここへ来たんだ」


「そうだったのですか」


 肯定を示しながら男は近づくと、マリアの手を気品あるうごきでとる。


「お会いしとう御座いました、お姫様レーギーナ


 自分のことを知っているのかと思い、青い目を丸くする。


「僕は何でも知っているよ。君のこともね」


 続けてマリアの名を当てたものだから、驚きよりも警戒心を抱いてしまう。男は手をひらひらさせて「怖がらないで」とやわらかい口調で言った。


「あなたは何者なのですか」


「僕に興味を抱いてくれるのかい。嬉しいな」


 男はかるい身のこなしで、頭をたれると指先に口づけを落とす。


「君みたいな美しい花を摘み取って、手元にかざりたいと願う男かな」


 いっている意味がわからなくて、マリアは目をしばたたかせた。男の表情が一気に青くなる。やはり青くなる理由もわからなくて、何気なくマリアが問いかけると男は空笑いをしたあとに「手強いな」とつぶやいていた。


「姫様?」


 今度は廊下からジュリアが庭へ出てきていた。


「姫様、外へ出られるのでしたら一声かけてください」


「ごめんなさい。皆も疲れているのでは無いかと思って誘うのは憚られて」


「遠慮はなさらなくて佳いと申し上げておりますのに。姫様の善いところでもございますが、欠点でも御座いますわ」


「そのとおりです」


 とつぜん別の声が聞こえてきて視線を向ければ、エリスが庭へ出てきていた。長い説教が始まれば、途中でジュリアが「部屋に戻ってからにしたほうがが良いのでは無いか」と告げた。合点がいきエリスはマリアを連れて中へもどっていく。姿が見えなくなったのを確認してからジュリアは、男を振り返った。


「お手数をおかけしてしまって申し訳御座いません。カエサル閣下」


 男カエサルは髪の毛先をいじりながら、朗笑をうかべる。


「ぜんぜんかまわないんだよ。ただ彼女から目を離さない方が良いね。さいきん賊のうごきが過激化しているから」


「わかりました。肝に銘じておきます。ところで閣下は、なぜこちらにいらっしゃるのですか」


 ふだんは首都フォルム・ロマヌムにいるでしょう。ジュリアが問えば、「気になってね」と返ってきた。マリア達を無事に帝都まで送るのが自分の仕事と続かれた。


「勅命ですか」


「いや、独断」


 駄目では無いか。ジュリアがいったけれども、カエサルは聞き入れる素振りすらない。それどころか、だらしなく笑っている。


「平気だよ、僕とあいつの仲だし」


「よくありません。それで急遽、こちらにこられたのですか」


「うん。お姫様たちに何かあったら面目に関わるからねぇ」


 軽い男に見られがちだが、カエサルは政治家として『才』がある。女好きであるが、行動の仕方はどこかレイヴァンと似ているとジュリアは密かに思っていた。


「しかしながら閣下、我が主君にまで手を出すのはやめていただけませんか。そもそもあなたは妻帯者でしょう」


 加えてカエサルは、「生娘には興味が無い」と言っていた。だいたい口説くのは既婚の女性だ。カエサルの守備範囲以外であるし、マリアはまだ幼い。


「やだなあ、勘違いしないで欲しいな。女性はみんな好きだよ。たしかに生娘に手を出すと後が面倒だからしないけれど」


 ふだん感情を表に出さないジュリアが、露骨に嫌な表情を浮かべる。カエサルは肩をすくめた。


「ならば、なぜ姫様に」


「妻に似ているからかな」


 カエサル閣下の奥方は、どんな方だっただろうかとジュリアは記憶の糸を手繰っていった。



 エリスの説教をうけたあと、ベッドの上に沈み込んでいたマリアは侍女が夕食だと告げに来るまで眠ってしまっていた。廊下をすすみながら外を眺めていると、夕映えの世界が広がっている。ずいぶんと眠り込んでいたようだ。食卓へ着けば、豪勢な料理が立ち並びあつく歓迎されているのだとわかる。恐縮しながらも腹鼓を打った。

 部屋に戻るまでは守人たちが側にいたけれど、部屋ではゆるりとしたいのもあって下がらせる。椅子に座り部屋にあった本を開いた。ベスビアナイトの言語と通ずるものがあるのと、ソロモンにある程度教えてもらっていたのが幸いして読むことが出来た。


「そういえば、硝子工芸が有名だと言っていたな」


 見る間が無さそうだと思いながらページをめくる。読み終わったところで本を閉じ、伸びをすると風に当たりたいと思い部屋を出た。すっかり、夜のとばりが降りようとしている。部屋にいたほうが善かっただろうかと悩んでいると、どこからかささやき合う声が聞こえて来た。耳を傾け、そちらへ向かうと黒い影がふたつ揺れる。妙に思い目を細めると、袋の中から元首の娘と同じ茶髪がこぼれた。


「おぬしたち、何をしている」


 柄に手をかけて声をかけると、背後から頭に鈍い衝撃が走る。仲間がまだいたようだ。消えていく意識の中で守人達の名を呼んでいた。



 躰がゆれる感覚に違和感をおぼえてマリアは目を覚ます。上半身をあげようとすれば、頭ににぶい痛みが走る。殴られたことを思い出して後頭部をさすった。腰に手をあてれば、佩いていたはずの剣がうばわれている。周りに何か無いかと視線を上へあげたとき、鉄格子の中に入れられているとわかっておもわず揺らした。むろん、錠が着いていて外れるはずも無い。


「目を覚ましたのか」


 声が聞こえて来たと思えば、船乗りらしい風貌の男がこちらへ近づいてきていた。


「わるいな。あんたに怨みは無いが、目撃された以上放っておくわけにはいかぬ」


「わたしをどうするつもりなのだ」


「あんたもいいとこの金持ちみてぇだからな。あんたをつかって身代金を要求してやるだけさ」


 50タレント要求すると男は言った。エピドート帝国内で使われている通貨では無いものだから、高いのか安いのかもマリアにはわからない。なやんでいるうちに男はさってしまった。

 マリアはなんとか逃げ出す方法は無いかと考え、牢の中を見回す。簡素で物は置いていない。ならば、格子から手の届く範囲に無いか探した。縄があったけれど、今は役に立ちそうにないなと思いながらも手に取った。なにか小さなきらめきが視界に映る。手を伸ばし見てみると、針金のようだ。少しばかりしづらいけれど、穴にさしこんで適当にいじれば時間はかかったけれど錠を外すことが出来た。息をついたのもつかの間、足音がひびいてきて牢から離れた。

 物陰にひそみながらすすんでいると、背後から何者かに口を塞がれてしまう。牢に逆戻りだろうか、もしくは斬られでもするのだろうかと考えていると耳元で「しずかに」と涼しい女性の声が鼓膜を揺さぶった。ふりかえり何者であるかを尋ねると、とにかく助けに来たから安心して欲しいといわれる。


「そういえば、男達がだれかを袋につめていたと思うのですが」


「ええ、元首の娘よ。前々から企んでいたみたいだったから」


 さがしているけれど、見つからないのだと女は言った。肩を落としたマリアに女は、朗笑をうかべて肩に手を置いた。


「大丈夫、かならず私が見つけるわ」


 よかったと呟いた後でマリアは、名乗るのを忘れていたと簡単に自己紹介した。


「私はコルネリア。いまは、この海賊船に潜入しているのよ」


 床が揺れる感覚がするから妙だと思えば、船の中であったらしい。出航してしまっているのでは無いかとマリアが不安になれば、コルネリアは出ていないことを告げた。


「だから、はやく元首の娘を見つけ出さないと」


 肯定を示しマリアは、コルネリアの後ろについて行く。思い当たるところがあるのかを尋ねてみれば「ええ」と満面の笑みで返された。これならば、どうにか早々に宮殿へ戻れるかもしれないと希望を抱いた。


***


 空に暗雲がうずまき、人々は嵐になるかも知れないと早々に店じまいをはじめる。ようすを窓から眺めていたベルクであるけれど、手をうたねばならぬと思い起こして書面にペンを走らせる。

 マリアを手中に収めることが、出来なかったことが痛手だった。マリアがいない今のうちに王都を手中におさめるべきであろうか。否、レイヴァンが何かしら手を打っているに決まっている。それに自軍も一枚岩ではないのに武器を取るべきではない。自軍の結束が固くなっているのであれば、武力にうって出ても良いのだけれど。


「義父上、まだ兵を出すことはかなわないですか」


 クリスがいった。まったく目の前のことも見えてない義息子であるから、説明するのに骨が折れる。裏を返せば、思いのままにあやつれるからかまわないが。


「なんども言ったであろう。『機』を待てと」


 なおも何かいいつのろうとするものだから、するどい眼光を投げて黙らせる。否応なしにクリスは、部屋を出て行った。ひとりになった部屋で、ベルクは深い息を吐き出す。瞬間にインクが指にしみて、黒く染まってしまった。わずらわしげに布で指先を拭き取っていると、ノックされて返事をすればメルヒオールが入ってきた。


「閣下、お時間よろしいでしょうか」


 かまわないから教えろと伝えれば、メルヒオールは紙を手に読み上げる。


「どうやらエーヴェルト卿の政策によって、いまは国をささえている状況のようです」


 ベルク閣下の言うとおりだとも続かれる。


「さすが、クリフォード殿の義息子といったところか」


 ベルクのつぶやきにメルヒオールは、つぎは何をするのかを尋ねる。


「王女をこちら側に引き込めなかった以上、つぎは国王と接触する」


 最高学府アカデミーを卒業しているだけあってメルヒオールには、行動を解することが出来た。頭を下げて退室すると、王都へ向かう準備をする。終えると、二人は馬車に乗り込んだ。


「ファーレンハイト閣下には、やはり声をかけないのですね」


「言ったであろう。理想主義者はめんどうくさい。ちょくせつ国王をそそのかせば、内乱を起こさずとも国を手中におさめることが出来る」


 口で言いながらも接触するのすら、難しいことはわかっていた。正騎士長がいるからである。マリアをこちら側に引きこむことが出来たならば、こんなことをしなくてもすんだのだがと心の中だけで愚痴る。いまさら、つぶされた策に関して愚図っても仕方ないと自戒すると次なる最善の策を考えていた。


「メルヒオール、ディアナ嬢の動きはどうだ」


「どうやら一度領地にもどったあと、王都に向かっているようです」


「なるほど、おれの動きを封ずるための策か。あの若造め、ディアナ様まで巻き込もうとは」


 出来れば王都にいて欲しくない女人ひとであった。国を手中におさめたとき、妻に迎えたいと思っているからだ。王都にいては、内乱となったときに傷つけてしまう可能性がある。兵達には、「彼女だけは殺すな」と強く伝えてはあるけれど、不安な要素はすべて取り除きたい。けれど、やつは知った上で彼女を呼んでいる。安易に「内乱」を起こさせないためと考えるのが妥当だ。一杯食わされた気分である。


「クリフォードめ、とんでもないやつを後継者に選んだものだ」


 我知らずうちに唇からこぼれた。


「どうするおつもりですか」


「にくたらしい正騎士長を、どうにか国王から離すしかあるまい」


 賊をつかって城内で騒ぎを起こすのは、どうかとも考えを述べる。メルヒオールは、もし捕まってしまっても自軍の兵力が減りはしないだろう。入城させるときは、夜にこっそりと忍び込ませましょう。金さえ出せば、してくれることだろうとも続かれる。


「その策は二の次だ。なにもせずとも接触できるのが一番いい」


 メルヒオールも肯定する。横目でそれをながめつつベルクは、次はどんな手を正騎士長が打っているのか気がかりで仕方なかった。

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