第十四章 ローレライの遺跡
雪のまじった身を切る風に体をふるわせて、襟巻きを首元に寄せる。すっかり草や木々が冬の装いになってしまっていて、手綱を握る手がこごえてしまう。手袋はしていても、ここまで冷えていては防ぎようもない。街道をすすむギルとイリスは、そろってふるえた。
ここまで気候が寒くなってくると、旅を続けていくのは厳しい。ローレライで二つ目の宝玉を見つけたら、迅速に王都へ帰ろうと二人は考えていた。
「クサンサイトは、まだ遠いわね」
つかれた表情でイリスがつぶやく。街道を行くだけであるから、道を間違うことが無いだけよいとギルは穏やかな口調で述べた。舗装されていない道など多くあるし、他国へ行けば舗装されていないことが当たり前だ。道があるだけ、この国は恵まれているといえよう。
イリスもわかってはいるのか繰り言をはきながらも、蹄鉄の音を街道にひびかせていく。やがて、街らしい街が見えてきた。
「ここがカリフォルナイトね。半年ほど前に一度、焼けたと聞いたけれどずいぶんと復旧するのが早いのね」
ギルは当時のことを思いかえして、しみじみとしていたけれど間を与えてくれないくらいイリスが先に行ってしまった。追いかけてイリスと共に馬を預けると、街を眺めた。上から街を見下ろしたときは、前と変わりない街に思えたが、復旧作業は途中のようで鎚の音があちらこちらで鳴っている。真新しい木の匂いが街全体を包んでいた。民を見てみれば、
「令外官ギル様ですね」
屋敷からダークスーツに身を包んだ男があらわれて、礼儀正しく腰を折ると「お迎えにあがりました」といった。うたがわしげな視線をギルが投げると、男は正騎士長より書簡がとどいておりもてなすよう言われたことを説明した。わざわざ書簡を送ったことに疑問をいだけば、冬の寒さと復旧がまだ済んではいないことをふまえて城でやすむよう言われて合点がいく。
男がいったのも、間違いでは無いのだろうが騎士の思惑としては「お前も臣下なのだから、治めている者に挨拶ぐらいはしろ」という所だろう。地主が嘘をついて招こうとしているのであれば、逃げれば良いだけの話だ。
ギルが言葉にしたがい城へ足を向けるとイリスは、べつの方向へと歩き出そうとする。男はあわてて止めて「お連れ様もご一緒に」といったが、かたくなで首を縦に振らない。ギルの宿は無いかもしれないから、お言葉に甘えようの一言でようやく鼻先を変えた。
城門をくぐり抜け中へ入ると、玉座と見間違うほど豪華な椅子にすわって地主がふんぞり返っていた。なるほど、これでは貧富の差がひらくわけだ。
「お招きいただき、ありがとうございます」
笑顔を貼り付けてギルは、形式的な感情のない言葉を投げる。内心では、明日になれば街を立ち去ろうと考えていた。一通り、前口上がおわるとギルは地主の言辞を待つ。地主が、たっぷりと時間をおいて紡いだ言葉は次のとおりだった。
「これはこれは、令外官ギル様。よくぞ、このような辺境の地へお出でなすった」
拍子抜けた。てっきり、横柄な態度を取られると身構えていたから余計だ。否、王都へわるい評判を持ち帰られたら困るからだろう。ことばは丁寧だが、声色に蔑視がにじんでいる。でっぷりと肥えた躰から、贅沢の限りを尽くしていると見えた。正騎士長がなにかを期待しているのであれば、調べた方が良いだろうかとギルは考え始めていた。
「ディーター、彼らを案内しろ」
ダークスーツをまとった男ディーターは、頭を垂れて「はい」と答えるとギル達を部屋へ案内した。むろん、部屋は別々である。しばしベッドでじっとしていたギルであったけれど、起き上がって部屋を出た。見張りが付いていないか懸念したけれど、扉の前にはさいわい誰もいなかった。足音を立てぬよう警戒しながら、地主の執務室へ向かう。扉に耳を当てて会話を盗み聞く。さきほどのディーターでは無く、別の者と地主は話をしているようだ。けれど、あやしい会話では無くお茶をいただきながら談笑をしているようだ。
執務室をあとにして探れそうな部屋は無いか、うろうろとしているとディーターにばったり会ってしまう。やましいことはないから、普通にしていればよいものを妙にぎこちない挨拶をしてしまった。
「ギル様、こちらへ」
もしや怪しまれたのだろうかと思いながら、ディーターについていけば城の倉庫へと連れてこられてしまった。素直についてきてしまった己を呪いながら、「何かご用ですか」と平静を装って尋ねる。
「正騎士長様から何か聞いておられるのですか」
ギルは左右にかぶりを振る。ディーターは、考え込んでしまい指先で顎をつまんだ。何かあるのかと思いギルは、問いかけた。
「申し遅れました。わたくし、正騎士長エーヴァルト卿の命を受けて密偵をしております。ディーターと申します」
領主テオバルトには秘書として側にいることも告げ、深々とお辞儀をする。レイヴァンの下に密偵がいることにおどろいて、さらに深くまで尋ねてみれば密偵網なるものが張り巡らされていることを報される。専属護衛殿への見識を変えた方が良いかもしれない。
「では、ギル殿は何をなさっておられたのですか」
ギルはいつわらずに自身の考えを述べた。ディーターは、やや目を伏せて悩む。
「エーヴァルト卿からは、なにもうかがってはおりませんので」
領主へ挨拶をする習慣を、付けて欲しいだけなのでは無いかとディーターにいわれて微妙な表情をうかべてしまう。領主テオバルトの行いを見れば、とうぜんの反応であった。
「どうぞお気になさらずに。わたくしは密偵で御座いますが、テオバルト様が善き方向へと向かうよう改善していっているのです」
エーヴァルト卿から命ぜられたことでもあると言われれば、おとなしくしているしかない。
「じゃあ、いまのところ領主殿の不正はないんだな」
「ええ、豪遊はなかなかやめませんでしたが」
ディーターのことばにしたがい、豪遊をやめたのかとギルが尋ねると企みを含んだ笑みを密偵はうかべた。
「むろん口でいっても聞くわけが御座いませんから、少しばかりエーヴァルト卿の名を借りておどしただけですよ」
豪遊をつづけることは、王の名を辱めることになり謀反を働いたとみなす。自分を口封じしようものなら、主人である正騎士長が攻めてくることだろうと言辞を吐けば豪遊はやめたらしい。横柄な態度は直らないが。だとしても、さすがレイヴァンが選んだだけある。したたかな男だ。
「ですので、ギル様は安心してお休みください。あなた方を襲うなどということは、ございませんので」
あれば謀反とみなして伝書鳩を飛ばす準備は出来ていると、ディーターはいった。抜け目が無い。取り越し苦労だったみたいだとつげてギルは、出て行こうとするが呼び止められてしまう。
「ギル様の目から見て街はいかがでしたか」
「
それがすべてを物語っていると確言すれば、ディーターは一笑して「よかった」とつぶやいた。つられて笑みながら倉庫を出て行く。しばらく、回廊をすすんでいくとイリスとばったり会った。どうやら、城の広い部屋が慣れなくて出歩いていたらしい。とはいえ、城自体が広いので落ち着かないようである。
「ギルは慣れているのね」
「居城に住んでいるからな」
はじめは慣れなかったけれど、徐々に順応してきたと口跡をつづけた。
「兄貴といい、こんなだだっ広い所にいられるなんて変よね」
居城は、なおいっそう広いことをいえばイリスが頭を抱える。居城には入りたくないとつぶやくけれど、ギルが「駄目」と肯んじない。旅についてきたのだから、報告も共に来て欲しいと言えば割り切ったのか「仕方ないわね」とぼやいていた。
「ギル、なにか探ってたんでしょう」
イリスに問われディーターの話を包み隠さず告げた。
「とりあえず、いまのところは大丈夫ってこと?」
「そうなるね」
国王の甘さにかまけて蜜をすすっているだけのお貴族様であるから、内乱を起こすことも無いだろうと臆見をのべる。ベルクに荷担しているとしても、戦を仕掛けるほどあほうではないだろう。
「そうね。するなら、一気にたたかいを挑んだ方が良いだろうし。あたし達を襲えば、戦力をうしなうばかりで得することはないのだから」
いいながらも、武器は佩いておこうとなり部屋へ戻った。つづまるところ何事も無く翌日をむかえ、街を出るときも送り出してくれた。厩に預けていた馬を受け取り、街道へつくと跨がった。ちょうど車輪がレンガとあたる音が鳴動してきて、視線を向ければ見事な馬車が走っていた。馬車が二人の前でとまると、中からセシリーがあらわれて降りてくる。うしろでグレンがあきれ顔だ。笑顔をさかせてどこへ向かうのかとセシリーが尋ねてきたから、レイヴァンのことは話さずに王位継承者の証である宝玉を探しているといってからローレライへ向かうことを答えた。好奇心のかたまりであるセシリーは、稀少な植物でも生えていると思ったのか「ついて行く!」と元気よく告げる。グレンがとめたけれど、聞く耳を持とうとしない。頭をかるく抱えたあと、ギル達にお供してよいかを尋ねた。もちろん、ことわる理由も無いので承諾する。
「申し訳御座いません」
グレンに謝らなくて良いとイリスが言ったけれど、かぶりを左右に振って師が我が儘をいったことには変わりないからと言われ噤んでしまう。真面目だとギルは感じた。最初の印象はさいあくであったけれど、グレン自身はひたむきな性格なのだろう。
「馭者殿、申し訳御座いませんが」
グレンが馭者にはにかみながら、ローレライへ行き先を変更することを告げる。会話を聞いていた馭者であるから、機嫌良くうけいれてくれた。この寒さであるから、時を移さずにギル達は馬を走らせる。然うして古城のある町も越えて、クサンサイトにたどり着いた。ときに地主はどうなったのだろうとギルが城を訪ねてみれば、まだ決まってはいないらしく臣下が治めていた。つぎにローレライへの船は、出ているのかを訊いてみる。
「船は出ておりませんが、正騎士長様より書簡が届いておりますので出航の準備はしておりました」
どこまでも用意周到な男だと感じながら、港へ行ってみれば船と操舵手が待ち構えているではないか。やることにそつが無い。ローレライへ向かいたいと言えば、即察してくれて船へ乗せてくれた。馭者も乗るのかとギルは、思ったけれど街で待っているという。たしかに、遺跡へ行ったところですることは無いだろうなと結論に達して四人で船へ乗った。
「ローレライの近くは、流れが急ですので激しく揺れると思います」
操舵手に言われて返事を皆がかえす。しばらく、凪いでいて揺れもほとんどなかったものだから、今日はローレライ付近も平気なのでは無いかと誰もが考えたやさき。ローレライの近くに来たのか、船が大きく揺れた。
「ずいぶんと強引な誘惑だな」
ギルが軽快な言辞を紡ぐと、「こんな誘惑の仕方があるとお思いですか」とグレンが突っ込んだ。
「受け止め方だぞ。うるわしい乙女に誘い込まれているだと考えれば」
「さきにあるのは破滅ですね」
ギルとグレンが揺れの中、
ローレライを見渡してみれば、他にも一隻舫ってある船があり沈痛の表情をうかべてしまう。
「はやく
イリスにいわれて意識をとりもどすと首を縦に振る。セシリーやグレンは別行動かと思ったが、探すのを手伝ってくれるらしい。礼を言ってから、足を進めていく。正騎士長から深い木々の中と聞いたけれど、森にあった遺跡と同じくわかりやすい場所には無いようだ。長丁場を覚悟せねばなるまい。
「思ったんだけど、ギルの力でさがせないの」
「眷属の力というのは、そこまで万能では無いんでね」
イリスにいいながらもギルは、楽句を口にしてみる。ローレライであるからか、わずかな力で水が強まったのを感じた。しかれども、眷属の力が一カ所に集まる様子は無い。簡単にはいかぬようだ。
「奥までいってみましょう」
イリスにみなは異論をとなえることなく、うなづいて歩みを進める。深く深くなっていくほどに足場がなくなっていく。ずいぶんと人の手が入っていないようだ。足元にはびっしりと、棘のついた草の種子がくっついている。セシリーは一顧だにしないようだが、イリスは気になるのかふくれっ面だ。
そういえば、舫ってあるべつの船に乗っていた人はどこにいるのだろう。ここへ来るまで他の人を見なかったものだから疑問が膨れあがる。まさか、さきに古跡へ向かったものがいるというのか。ありえぬと自らの考えを切り捨てる。宝玉のことを知っているのは、“王の忠臣”とジュリアだけだと言っていたではないか。
「あれじゃないかしら」
イリスの指し示す方向には、古跡らしき建物があった。近づくほどに水の力が強くなっていく。崩れ落ちた入り口から中へ入ると同時に、大きな物音がとどろいてきた。駆け足で向かうと、クリスとよばれていた少年が手に
「きさま、我が主君に刃を向けるなど恥を知れ」
「おやおや、またお会いしましたね。おうつくしいご婦人」
流してたわぶれな言辞を返しながらも、表情は硬く逼迫しているのがうかがえた。
「宝玉はきさま等には過ぎたもの。返してもらおうか」
「抜かせ。本来、宝玉はクリス様の元にあるべきものだ!」
一度は離れた刀身が、二度三度とギルに撃を与えていく。かろやかに剣でうけながしながらも、押されていき宝玉から遠ざかっていってしまう。さっと後ろからグレンがあらわれて、女の撃を受け止めた。
「はやく宝玉を」
ギルはうなづいて女を通り過ぎれば、少年は足元に転がっていた傷だらけの男を盾にした。側まで来たというのに宝玉が手にとどかない。男の顔を眺めてみれば、錬金術師ヘルメスであった。多くの疑問がわきあがったが、いまはそれどころではないと思い直して柄を握る。
「王の血をひいているというわりに、随分と卑怯な手を使うんですね。姫様も、国王陛下もそのようなことはなさらなかったぞ」
「何とでもいえば良い。どんな手を使っても、僕はかならず成り上がってみせる」
子どもの戯れ言だとギルはわらった。少年の自尊心を傷つけるには、じゅうぶんだった。
ヘルメスを地面へ転がすと、剣を抜きはなってギルに斬撃したけれど軽くながされてしまう。ますます頭に血が上って撃を与えていくけれど、ギルにはまったくきかない。夢中になっている隙にギルの手が、少年のふところに忍び込んだ。指先が宝玉に触れ、あと少しで掴めそうだというのに撃がとんできて宝玉が地面へ転がった。ギルはいそいでひろい、ふところに入れる。
「お前たち、なぜ宝玉の在処を知っていた」
尋ねたかった疑問をギルは口にする。
「僕たちは“あれ”の在処さえわかれば善かったんだ。ヘルメスの言うとおりきたら、まさか宝玉があるとは思わなかったが」
「クリス様、それ以上はいけませぬ。こいつらに教えてやる義理はありませぬ」
女に制され喋りすぎたと感じたのか、耳まで赤くなっている。
「いいから、お前。宝玉をかえせ」
「何度も申しているとおり、これは我が主君のもの。端からお前のものでは無い」
答えながらギルは、ヘルメスを背負い古址の出口へ急いだ。少年は追ってきているが、鈍足であるので追いついてきそうに無い。女はグレンに足止めされているし、今のうちだと駆けていく。イリス、セシリーと共に船を目指していく。グレンも三人を追いながら、
「どこかで見た顔だとずっと、思っていたが。明るい茶髪の女、バッハシュタイン家の生き残りだろう」
セシリーが足を止めた。ともなってギル達も足を止めて、連れて行こうと必死になる。どんな言葉をかけても、すりぬけていくのか。セシリーは女に疑問をぶつけていた。
「バッハシュタインの家を知っているのですか。教えてください、私はなぜ捨てられたのか」
「ギル殿、さきにいってください」
グレンのことばに逡巡したが、イリスと共に足をすすめていく。ギル達が走って行くのを確認して、グレンはセシリーを背でかばう。
「はやくお逃げください。彼らは、我々を足止めしようとしているのです」
突き飛ばしてでも逃がしたい衝動をこらえ、グレンは師セシリーに放った。いらだちの籠もった声色であるからかセシリーは、我に返ってスカートをひるがえし駆ける。自分が止まっていたのでは、グレンが怪我を負う危険が増えるのだと気づいたからだった。
女は舌打ちをしてグレンを斬撃する。うしろに飛び退いて回避をしたのち、うしろを振り返ってみる。とうにギル達の姿は木々に紛れて見えなくなっていた。自身も急がねばなるまいと、距離をとると背を向けて駆け出す。
女も少年もあきらめないのか、追ってきている。先回りしないかと懸念しながら、二人を気にして時折ふりかえっては位置を確認していた。どれほど時間稼ぎができたかわからないことが、いちばんの憂い事だ。ギルの姿は、肉眼で確認できてはいない。
雑草が覆い茂っているので、少年たちも足をとられてわりあい思い通りに進めていない。こちらとしては、大きな助けだ。どうにか深い木々をぬけて海が視界に入るところまで来た。けれど、それは女や少年達も同じで手足が自由になると剣を振るってきた。二人同時に来られては、どう考えても分が悪い。逃げてしまう方が良いように思われた。
「グレン!」
おだやかな波の音に、するどいギルの声がまじった。剣を抜き少年に撃を与えている。グレンがヘルメスと宝玉をどうしたのか尋ねると、船に置いてきたことを告げた。どうやら、なんとか船までたどり着けていたようだ。出航する準備もできているといわれ、船へと急がねばなるまいと思うと柄を握る手に力がこもる。
逃げるために大きく間隔を開けたいが、彼らを足止めするのは何が有効だというのか。瞬間、風を切る音がして何事かと思えばイリスが少年と女に向かって矢を放っていた。
「今のうちにはやく!」
イリスの詞にギルとグレンは、船を目指して駆ける。うしろでは、イリスが矢をつがえては射っていた。なんとか船までたどり着くと、飛び乗って息をつく。少年達まで来ないか心配したが、操舵手が即出航してくれたから助かった。
ローレライでは、残された少年と女が残念がりながらも求めていたのは宝玉では無いからか落胆している様子では無かった。
「まさか、あいつらと会うとはな。それにヘルメスのこともおかしな話だ」
ギルの唇から、はからずも感嘆の息と疑問がこぼれた。
「あいつら、宝玉をもとめてここに来たんじゃ無いって言ってたわよね。なにを探していたのかしら」
「それは、ヘルメスが目覚めないことには何とも言えないな」
イリスの疑問に答えつつ、半年ぶりくらいにみたヘルメスを眺める。ずいぶんと痛めつけられたのか体中の傷が痛ましい。セシリーが手当をしてくれていたので、体中が布で覆われていた。
力が抜けたからか急激に宝玉からの“ちから”を敏感に感じ取り、唄が脳内にながれはじめる。瞳がうつろになっていくものだから、セシリーがあわててギルに駆け寄った。けれどセシリーも、何かを感じ取ったらしく頭をおさえた。
『かつて、古くから王に仕えた“王の忠臣”とよばれた者は四人いた
王のために死力を尽くし、最年少であった者だけを地上へ逃がした
三人は戦い傷つき、未来を若者と自らの子に託した
子等をあずかった若者は、彼らを“三賢者”と呼ばれるほどたくましく育て上げた』
ギルとセシリーは、意識を手放した。
ギルはしばしたって目を覚ましたけれど、セシリーは目覚めなかった。船が港について城へ向かうと、セシリーをすぐさまグレンが看てみる。別状は無いらしい。ソロモンも前に同じことがあったなと思う。よもや、二人は“三賢者”だとでもいうのだろうか。であるならば、あと一人は誰であろう。正騎士長殿は、多くを教えてはくれなかったから戻ったら聞こうとギルは考えていた。
夕食の時間になってセシリーは目を覚ました。別室で食事をとると誰もが思ったが、「平気だから」と答えたらしく一緒に食卓を囲む。されど、精彩を欠くのか表情はすぐれない。グレンは心配なのか、別状が無いのかしつこく訊いていた。その都度、セシリーは「大丈夫」と答えるのだった。
食事を終えると城の者が「ヘルメスが目覚めるまでいていい」と言ってくれたので、各々部屋が割り当てられた。どっと疲れたものだから、皆部屋で大人しくやすんでいる。
セシリーは部屋へつくなり、ベッドに倒れ込んで深く眠り込んだ。なれない船に乗ったからというのもあるが、目をそらしつづけていたバッハシュタイン家の名を女が口にしたからというのもある。なによりギルにふれた瞬間、頭に流れ込んできた唄と記憶が混迷をきたしていた。さまざまなことが幾重にも重なって、忽然と自分の前にあらわれたのだ。つかれるのも当然のことだった。
窓からこぼれる初更の月に照らされて、セシリーは目を覚ました。
「私、寝ていたのね」
眠っていたことにすら気づかないくらい、深く眠っていたらしい。宵闇に沈む部屋でひとり呟いた。
そろりとベッドから降りて部屋を出てみる。回廊から庭へ出てみれば、月がよく見えた。長いまつげを伏せていると、しずかな闇に
『あの街に行くのかい?
パセリ、セージ、ローズマリーにタイム
そこに住むあの人によろしく言っておくれ
彼女はかつて恋人だったから』
エイドスにいたころに、クレアが歌っていた歌だと思って振り返ればギルは喫驚した風でも無く告げる。
「やはり守人の唄が聞こえていたのですね」
クレアと仲が良いのも唄を解しているからかと尋ねると、セシリーはへらっとわらい答える。
「そうなの。私は当たり前に聞こえてたけれど、他の誰もわからないと知ったときはおどろいたんだ」
「聞こえるはずですよね。あなたが唄に出てくる“三賢者”であれば」
ギルの言葉にセシリーは、やや目を伏せた。
「たくさんの記憶や感情が、あふれて頭の中がごちゃごちゃなの」
自分のことですらなにひとつわかっては、いないのにと続かれるとギルはわらった。そんなことは当たり前だ。
「守人なんて存在そのものが謎でしょう。なんのためにいるのか、何のために伝えるのか。ひとつもわからぬまま過ごしている」
不安に思う気持ちは、もっともであるけれど割り切って笑顔でいた方が意外と答えは出てくるものだと言霊が鼓膜を揺さぶれば、セシリーは朗笑する。
「ありがとうございます。なんだか、今なら何でも出来そうな気がします」
大げさですよとギルが言ったけれど、セシリーは心意気を新たに入れ直した。いままで目をそらし続けていた“この血”のことを知ろうと考えていた。
日が開けて朝食を食べていると、ヘルメスが目を覚ましたと報せが来た。これで少しは姫様の憂いも晴れるとギルは、考えていたけれど新たな憂いが生まれていた。
「あんたたち、だれ?」
部屋へ踏み込んだとき、ヘルメスはまったく知らない人間を見るような視線をこちらへ投げてきていた。
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