第八章 小さな庭

 書庫には小さな窓が開いているのみで、日が傾いていけばあきらかに何も見えなくなってしまう。闇が迫っているのにも気づかずに、微かな橙色の光だけをたより本を懸命に読んでいる影があった。マリアである。

 部屋へと運んで読むことの方が多いが、ページをめくる手を止められず書庫で読んでしまう時がままあった。おもに書庫で読んでしまう本は、運んでいるのを兵士に見つかるのも、気恥ずかしいと感じてしまう恋愛を主題に置いた本である。この手の本は書庫には数少ないものの置いてあって、年頃の娘であるマリアはつい手に取ってしまっていた。図書館の方が多く恋愛の本を置いてあるが、外出すると誰かを従者として連れて行かなくてはならない。誰かの前で手に取るのも何故だか嫌で、書庫でこっそり読んでいた。

 頬をわずかにあからめ感嘆の息を零しつつ、内心では主人公の相手役である男性のかっこよさに惚れて叫び声をあげる。ここがベッドの上であれば、ごろごろと転がっているかもしれない。


「ふあ……」


 男性の台詞である「一人で眠るのは恐いのか。添い寝してあげてもいいけれど、俺が狼になっても知らないよ?」に、はからずも声を漏らしてしまったときだった。台詞をなぞって言霊が、静かな書庫にひびいた。反射的に本をとじて振り返れば、レイヴァンが立っていた。


「夕暮れになってもお部屋へ戻られていないと、クライドが心配しておりましたよ」


 クライドには、必要な本さえ揃えればすぐに部屋へ戻るからついてこなくていいと伝えていたことをすっかり忘れてしまっていた。窓をみれば、日が傾いていることがうかがえる。


「すぐに戻る」


 クライドをこれ以上待たせるわけには行かぬと、本を棚へと戻してスカートをひるがえし勉強の本だけをかかえて書庫を飛び出す。されど、兵の浮評に足を止めてしまう。


「さいきん、レイヴァン様が妓楼へいっているらしい」


 少し離れた扉の前で警護をしている兵は、マリアに気づいてはいないのか話を続ける。


「お姫様が幼かった頃と違い、今は成長しているし平気だと思っているのでは無いか」


 いくら勇名をとどろかせている正騎士長といえど、男であるのだからかまわないのでは無いだろうかとも別の兵がかえした。


「そうだけどよ、堅物げな正騎士長なのに意外だなと思って」


 生真面目であるほど通うものだと兵が答えれば、浮薄な兵は大きく息をつき、ただの一端である俺等はお金が無いからつまらないと言った。兵は息を吐き出すと、視界の端にいるマリアの姿をとらえた。


「あーあ、俺も癒やされてえよ」


 浮薄な兵がなおも言い募れば、兵はなんどか口蓋をとじさせるために警告をしたがやめる気配が無いので持っている槍の柄で小突く。


「さっきからなんだよ」


 ようやく兵の様子に気づいて問えば、うながされるまま頭部をまわした。回廊で立ち尽くしているマリアを見つけた。


「ひ、姫様。申し訳ございません!」


 態度をがらりと変えて懸命に謝った。マリアは、うつむいて本をぎゅと握り締める。薄い金の髪をひらめかせて浮薄な兵に近寄れば、兵二人は斬られるのを想像してぞっとしたが、お姫様の唇から零れたのはまったく別の言葉だった。


「今の話は、本当なのか」


 先ほどまでの舌の回る兵とは、同じ兵とは思えないほど言葉がもれた。


「は、はい。なんどか、夜に出かけてゆくのをみた兵が何人もいるのです」


 うわさと言えど裏付けはあるようだから、マリアは胸に重い何かが落ちてくるのを感じる。そうかと呟くと「邪魔をして済まなかった」と部屋へ戻った。


「姫様、あまりお一人でいるのは控えてくださいね。次からはやつがれも一緒にいます……姫様?」


 もどるなり口をひらいたクライドであったが、マリアの様子に疑念を抱いた。


「レイヴァンが妓楼に行っていると、兵が話しているのを聞いたんだ」


 耳に届いたとたん、さして感情を示さない薄い鉛色の瞳に怒りが宿って部屋を出て行こうとした。彼の行動力におどろいたが、とめなくてはいけないと腕を取った。


「クライド、どこへいくの」


「兵達の元へです。彼らは王兵という自覚が無いから、うわさなんぞを気にしているのです」


 彼らの言葉や行動は、民に影響をあたえる。それに、王への評判にも関わる。なにより姫様がレイヴァンを疑うようなことになってはならないのに、とクライドは告げた。


「隙になってしまうから?」


「たしかに、それもあります。主君が臣下を信じられなくなり、国が瓦解することは多くございますから」


 それよりも、やつがれは二人が仲睦まじいのがうれしいのに、うわさに踊らされて悪くなってしまうのは悲しいとつむいだ。マリアはぎゅと、クライドの腕を抱きしめる。


「動揺してしまったけれど、クライドのお陰で自我を保つことが出来たよ。ありがとう」


 うわさに振り回されるのでは無く、振り回していかないといけない立場であるのにとマリアが微笑んだ。クライドは微苦笑をうかべた。


「とはいえ、兵がうわさを気にするようではいけませんね。ソロモン殿に言っておかないと」


 クライドがつげたとき、扉がひらかれてエリスが入ってきた。


「姫様、明日は僭越ながら僕が講師を務めさせていただくことになりました」


 森で行う予定ですのでと、用件だけを告げて去ろうとするエリスをクライドが呼び止めて兵が噂話をしていることを話した。


「困りましたね。信用問題に関わりますし、ソロモン様へ気にとめていただくよう言っておきます」


 エリスは、部屋を出て行く。


「何事も無ければよいのだけれど」


「レイヴァン殿もソロモン殿も、阿呆ではございません。策を弄してくれることでしょう」


 クライドはレイヴァンが“隙”を見せてしまっていることに疑問がわく。臣下として疑われるようなことはあってはならないと、存じているはずであるし今までも見せなかった。仲間内にすら、彼は多くを隠している。根底にあるものは、彼自身が言葉にしているとおり、マリアを守るためであるが。マリアが夢で“彼”にあったことも関係しているのだろうか。クライドが考え込んでいれば、マリアは上目遣いで鉛色の瞳を見つめていた。

 クライドは内心どきりとしつつ、何事もないかに装った。


「いかがなさいましたか」


「クライドが何か考えているようだったから」


 ぶれることなく青い瞳に見つめられ、心までものぞかれている気分になって顔をそらしながら「なんでもございませんよ」と返した。ほがらかに笑み「ならいいんだ」とマリアに言われれば、隠していることへの後ろめたさが募る。無知であることを嫌う姫君であるから、おそらく知りたいだろうが、人には触れられたくないこともある。だから、いさぎよく引き下がったのであろう。

 考えると同時にクライドは、マリアの白い頬を指先でなぞる。


「前にもいいましたが、いまは何も答えることが出来ません。しかし、姫様がいつか“彼”をさがしだすことが出来たなら、その時は……」


 “彼”の言葉ですべてを知ることができるでしょう。マリアは満面の笑みをたたえてみせた。

 ちょうど侍女が夕食を呼びに来たので食べ終えると、部屋で本を読んだ後にベッドの中へ潜り込んだ。



 以前見た夢とは違い褐返の迷宮でさまよっていれば、また“彼”に手を引かれて視界が開ける。


「王よ、今一度あなたに逢うことが出来てうれしくおもいます」


 愛おしげに見つめられマリアは、頬をあからめて視線をそらした。


「ここでしかあなたと逢うことはかないませんから、たったひとときの夢だとしても」


 逢瀬をかさねることが出来て幸せだと“彼”は言った。いぜん、夢で逢ったときよりも自身に執着を見せるものだから、火が噴き出さんばかりに体中が火照る。


「あれほど、“欲”をだすなと呼びかけたのに“あのやつ”めが出したせいで、俺まであなたを離したくは無いと思ってしまっている」


 マリアが“あのやつ”とは誰か、問いかけたけれど“彼”は、苦笑いを浮かべるばかりで答えようとしない。


「この思いは、決して伝えるはずでは無かった。あなたを困らせてしまうだけ」


 マリアの華奢な腰に手を回し、体をくっつける。


「もしも、あなたが俺を見つけてくれたならば、その時は……俺の言葉を以てして真相を伝えることにしましょう」


 “彼”の姿が、影にとらわれていく。消えてしまうのでは無いかと感じて、マリアの唇から“彼の名前”が飛び出した。


「ああ、あなたに名を呼んでもらうのはいつぶりでしょう。王、運がよければここでまたお会いいたしましょう」


 言霊に安堵してマリアは、ゆっくりと襲い来る睡魔に体をあずけた。



 夢を見たにもかかわらず、うなされることも汗をぐっしょりとかくこともなく朝に心地よく目覚めることが出来た。天蓋ベッドの上で伸びをしていれば、ビアンカがお湯を持って部屋を訪れる。

 着替えをして顔をあらうと、エリスがクライドと共に部屋へと来た。


「外套を羽織り下さい。外はさむいですから」


 外套をはおり、腰に矢籠をさげて剣を差す。旅をしていた頃みたいだと、楽しくなってくる。ただひとつ違うのは、女性の服を着ていることだ。

 おそくなるわけにはいかないからとエリスが、森へ向かおうとうながす。どうやら、クライドもついてくるようだ。森には賊がでるから、一人で守り切れるとはかぎらないのだという。それでは仕方ないかと、マリアは聞き入れることにした。それよりも、ひさかたぶりに森へ行けるのがとんでもなく嬉しかったのだ。

 徒歩で近郊にあるシュバルツの森へ入る。といっても、森の深くには入らず街の様子が目に届く範囲にいる。

 エリスは日のよく当たる場所を見つけ出して、マリアを手招きした。手には、葦であまれた籠を持っている。マリアとクライドが、草の香りがただよう草原に腰を下ろせば、エリスは籠を開いて見せた。たちまち朝の匂いにまじって、甘い香りが広がる。なかには、ツヴィーベルクーヘンが入っていた。


「さいきん料理を振る舞えなかったので、どうせなら野駆け振る舞いをしようと用意させていただきました」


 心があたたまるのをかんじながら食事をする。どうせなら皆で出来ればよかったけれども、さすがに大勢で行動するわけにはいかない。それにレイヴァンやソロモンにいたっては国の重役だ。城を出るわけには行かないだろう。


「またエリスの手料理を食べることが、出来るなんてうれしい!」


 エリスはうれしいらしく、かすかに顔をあからめて笑顔をうかべた。


「姫様に喜んでいただけるのであれば、いつでもお作りいたしますよ」


「エリスも忙しいのだから、無理をしない程度にお願いするよ」


 青い瞳に日差しがうつりこんできらめく。旅をしていた頃に戻ったみたいで、どこか浮き立ってしまう。同時にかなしいこともなだれてきて目を伏せる。心配げにクライドが、問いかけと共に顔を覗き込む。焦燥しつつマリアは感情をとりつくろう。


「いや、出会ったときのことを思い出したんだ。あのときは国を侵略されていたからつらいことばかりを思い出してしまうけれど、皆と出会えたことはとんでもなく喜ばしいことだなと」


 憂いの混じった表情でいったマリアにクライドとエリスは、顔を見合わせた後に微苦笑をうかべた。続いて二人して大切な主君の姿を瞳に宿した。


「とんでもございません、あなた様と出会えて忌み嫌われていた力をはじめて大切な力だと知ることが出来ました」


 クライドも感じているのか、うなづいていた。マリアは「ありがとう」と、ツヴィーベルクーヘンを口に放り込んだ。

 三人が食事を終えるとエリスは、ようやく今回なにを教えてくれるのかを告げた。


「投石器の作り方です」


 手元に何もないとき武器を持っていないと心許ないから、森や山の中にあるもので作れるように教えてくれるようだ。


「我が国から南西に位置するエピドート帝国では、投石兵がいるほど投石を重んじております」


 わざわざ投石器の扱いのうまい諸島から雇っているのだという。はじめて聞く国名だと感じ、ふつふつと好奇心がマリアの中で沸き上がってくる。エリスが「我が国の“友”ですよ」と答えてくれた。同盟国らしい。


「度々ですが、エピドート国の重鎮が我が国に訪れておりますよ」


 初めて知った事実に驚きを隠せない。マリアは、目を瞬かせた。


「さて、材料をさがしにまいりましょう」


 切り出してエリスがたちあがれば、マリアとクライドも立ち上がって後ろに続く。森の中でエリスは、何かをさがす。しばしさまよって、細めの木を見つけて折った。


「繊維の多い樹脂をもった樹です」


 折れた断面を見ればたしかに、繊維質で糸になりそうだ。マリアのおもったとおり、エリスは内皮を剥がし帯状にしていく。樹皮をねじりながら編み、途中で樹皮を追加しながら紐を作る。中間あたりだけ紐を三本になるようにし、両端を結ぶと今度は、三本の中を編み込んでいく。できあがれば最後に紐の両端を結ぶが、片方の先だけ指をいれるためにわっかを作った。


「出来上がりです」


 試し打ちしますねと、エリスは編み込まれたところに落ちている石を置き、勢いよくまわす。頃合いをとらえ手を離せば石は強い力をもって樹に当たった。


「最も古いとされる投擲器ですが、いまでもじゅうぶん有効なのですよ」


 感心してしまって、マリアが「すごい」と月並みに零せばエリスは笑む。


「これはエピドート国に残っている文献での資料ですが、外傷は特になく内臓をつぶすことができるからと投石は使われているのだとか」


 今の威力をみれば、そうかもしれない。とくに投石器をあつかうのが上手な部族であれば、なおさらだろう。

 今度はマリアが作って試し打ちをしようと、樹をさがしていると偶然にもセシリーと出会う。


「薬草摘みから帰ってきて間もないのでは」


「別の薬草が切れてて」


 と、へらっとわらう。今度は問われたので、日替わりで皆に講師をしてもらっていると告げた。セシリーも教えたいと言ってくれたので、マリアは新たな講師を得られた。


「そうだ! 午後からで良いので、薬草園にきませんか。城でどんなものを栽培しているのか教えたいのです」


 快く了承すると、マリアは樹を探しをセシリーは薬草を探しを再開する。ちょうどよい樹を見つけたが、きれいには編めなかった。それでも体をきたえているのが功を奏でて試し打ちでは、エリスほどでは無いにしても威力が出た。練習は必要だとひしひしとかんじたが。

 昼前になって城へ戻ると薬草園を見るのがたのしみで、食事をいちはやく食べてしまう。セシリーの部屋を尋ねると、グレンの姿しかない。疑問に思っているとグレンに案内されて薬草園へいった。弟子のいったとおり、そこにはセシリーの姿がある。


「姫様、来て下さったのですね!」


 元気よく言って、マリアに簡易型の薬草辞典をわたした。わかりやすくするための配慮だとわかってなんだか嬉しい。


「秋には、薬草も多く実るのですよ」


 いまはもうほとんど冬に近いですが、といってからしゃがみ込んで茎が紅赤色がかった薬草を摘んでみせる。


「これも採取できるのです。なにかわかりますか?」


 ヘルメスや本で学んだ知識を引っ張り出す。ひとつ名が浮かんだけれども、核心を持てなくて辞典で名をひいた。


花薄荷オレガノ、ですか?」


「わあ、私が教えなくても知識が身についていらっしゃるのですね」


 飾りの無い賛美に、マリアは照れわらいをする。ほめられて嬉しくないはずが無い。


「では、講義はもう一段階上のことをしましょう」


 マリアがやや身構えてしまったが、セシリーはにこりと微笑んで「実践です」とつげた。鍋で薬を作ってみるのです、とつづかれると青い瞳が好奇心で染まる。見ていてグレンが、セシリーと同じく錬金術師にふさわしい好奇心の旺盛な方だと感じた。

 一通り薬草園に生えている薬草の説明が終えれば、今回はこれでおしまいとなった。辞典を閉じてマリアはセシリーにさしだしたが、「それは姫様にさしあげますよ」とかえされ、ありがたくいただくことにした。

 辞典をだきしめ楽しげに回廊を通っていれば、うしろからついてきているクライドも笑みをうかべた。


「薬草の勉強はたのしいですか」


「うん、もちろん!」


 マリアははずむ足取りで部屋へと戻る。さっそく辞典を開いてみれば、見たことが無い薬草も載っている。知りたい欲求が高くなって、セシリーの講義がどうしようもなく楽しみになった。

 わずかに格子窓の影がのびてきて夜が近づいていると知った。マリアはいくばくか驚いた。体感では、数時間もたっていると思わなかったのだ。熱中して辞典を読み込んでいたことに気づく。まわりを見ればクライドも別の仕事があるからか姿が消えていた。日課として書庫へ向かおうと部屋を出る。城内であるし平気だろうという考えと、クライドが側にひかえているわけでもないから存分に恋愛の本を読めるという考えのもとであった。だがしかし、マリアの部屋はレイヴァンの部屋の側である。これからはじまる会議のため、部屋を出たレイヴァンと鉢合わせてしまった。


「なにお一人で勝手に、行動しようとしているのですか」


 見逃して欲しいとマリアが頼んだが、レイヴァンはいい顔をしない。いくらなんでも過保護すぎやしないだろうか。前よりさらに、拍車がかかっていると感じてしまう。


「なにも無いとは思いますが、せめて誰かを側に付けて下さい」


 不快な感情をかくさずにレイヴァンがつげたとき。


「では、わたくしがお供いたしましょう」


 つやのある闇夜の髪を舞わせて、あらわれたのはジュリアであった。


「それではジュリア殿、お願いしますね」


「ええ、もちろん」


 たくましい騎士と優美で色香のあるジュリアが並ぶと絵になるなとマリアは、ふいに考えてしまって心の中だけで自虐に走る。レイヴァンは自分を好きと言ってくれたけれど、おさない自身よりも大人な女性であるジュリアの方が似合いだとかなしいことに思ってしまうのだ。

 青い瞳にかげが揺れれば、ふたりして瞳をのぞきこむ。


「いかがなさいましたか」


 ジュリアにとわれ言葉に詰まる。ふたりとも顔立ちがよいものだから、視線を合わせることが出来なくて背を向けた。


「なんでもない」


 と、答えることが精一杯だった。美男美女の視線を浴びてしまって、すっかり逆上せてしまう。


「おや、姫君。いい男と女にせまられて、どちらも選べない状態ですか」


 男も女も侍らせる罪作りなご主君ですねと口跡を紡いだのは、ソロモンだった。にやにやと楽しげにこちらを階段の上からながめている。


「なぜそうなるんだ。ちがうよ」


 語尾を弱くマリアがかえすと、ソロモンはわらいながら階段を下ってきた。


「姫君が照れていらっしゃるのがあまりにもかわいらしくて」


 すみませんねとも告げてマリアの頭をなでる。頬に朱がさして何か言いたげにマリアは、ソロモンを上目遣いに見つめるけれど言葉は出てこないのと何を言っても悪戯な言辞を返されそうで、けっきょくは噤んでしまう。

 黒い騎士は、むすっとしてしまってソロモンに冷たい言霊を放った。


「そろそろ会議が始まる。行くぞ」


「はいはい、正騎士長殿」


 おどけて答えながらソロモンは、レイヴァンと共に階段の下へ消えた。


「ところで姫様は、どこへ向かおうとしていたのですか」


「書庫へ行こうとしただけだよ。城内であるし、なにも問題は無いと思うのだけれど」


 答えを聞いてジュリアは微苦笑する。過保護な“王の忠臣”にわらいすらこみ上げてきそうになるが、こらえて「そうでしたか」とだけかえした。二人で書庫へつくと、マリアははにかみながらジュリアに問う。


「ジュリアは、レイヴァンをどう思っているんだ?」


 慮外なことばにジュリアは、女性らしさをうしなって頓狂な声を出した。


「いきなり、いかがなされたのですか」


「レイヴァンも大人の男であるし、うつくしくて女性らしいジュリアのような女性にほれても不思議では無いなと思って」


 嫉妬をしているのだと、ジュリアにはわかった。自分など眼中に無いことを伝えようとするが、いっても主君にはとどかないだろう。しばしジュリアは考えて言辞を唇からもらした。


「それはわたくしでも、姫様でもわかりません。彼の中にしか、答えはございませんもの」


 そうだとも考え「すまなかった」といい本を数冊、棚より抜き取る。とりあえず、部屋で読むぶんはこれくらいだろうかと決めると続きの気になる“あの本”を持って行くべきかおのれだけで審議する。

 うなっていればジュリアが、不可解な表情を浮かべた。


「本はこれだけですか」


 再び思案顔になれば、ジュリアは艶のある顔をうかばせて「なるほど」とつぶやいた。


「だれかに恋愛の本を読んでいるのを見られるのは、はずかしいのですか」


 当てられてマリアは、体中に衝撃が走る。


「わかりますよ、これでも守人ですよ」


 本当は、レイヴァンから聞いて知っていたのだ。書庫へ向かうとき、守人だけでなく護衛の者を側から離すこと。何日もそれが続いたものだから、レイヴァンはいぶかしんで先日、ついに理由を突き止めることが出来た。偶然、資料をとりに書庫へ向かった際に見たのだ。年頃の少女らしく恋愛の物語を読んで、物語の中の男性に恋しているようすを。

 物語の中とはいえ、嫉妬してしまって青い瞳にうつっている文章を読み上げた。愛らしいマリアをおがむことができたのは、うれしいけれど自身に向けられていないことがくやしいと、レイヴァンが苛々と仕事に打ち込んでいたのをジュリアは知っている。

 彼の嫉妬もかわいいとジュリアは思ったが、それは内緒だ。


「少しなら書庫で読んだところで誰も咎めませんよ」


 やさしくいえばマリアの暗めだった表情が、ぱっと明るくなる。やはり、主君の笑顔が好きだと感じてレイヴァンが遂行している計画を成功させなくてはならないと決心をかたくした。



 会議のためふだんは、がらんとした部屋の席がうまっている。本来であれば、ここに官吏である守人達も来なくてはいけないのだが、国王の配慮だ。彼らを新参者とよびマリアの側近として側に控えさせているのをよく思わない者はどうしてもいる。だが、その配慮は国王をいっそう苦しめるものとなった。


「官吏が足りないとか思わないかね。殿下に仕えている彼らもここに来るべきでは無いのかな」


 ベルクの言辞に国王は冷や汗をながして、ことばをさがしているが見つかりそうも無い。あきれつつレイヴァンは、官吏といえど正式なものでは無いから大切な議会に出席させるわけにはいかぬと説明するが、聞く耳を持とうとしない。


「正騎士長殿では、話になりませんな」


 ベルクは、国王に説明をもとめたが同じ言葉がかえってきて苛立たしげに言葉を発する。


「仮とはいえ、官吏には違いないはずではないか。そもそも、正式では無いものを殿下の元へ置くなど浅慮ではございませぬか」


 ベルクを同朋とする貴族達も声を上げる。


「彼らには我々がここにいるぶん、王女の補佐として側にいてもらっているのです。会議の最中に何が起こるとも知れませんから」


 あなたこそ、物事を楽観視しているのでは無いかとすごみの利いた声が室内にとどろく。軽忽な貴族達をだまらせることはできたけれど、ベルクには効かなかった。


「そういえば、殿下もお呼びするべきではございませぬか。正式に王位継承者になったことなのですし」


 ぐにゃりと顔をゆがませてベルクは嗤う。


「ああ、そうでしたね。まだ王位継承の義を済ませておられないから正式では無いですね」


 対立姿勢をくずさない公爵にさすがにソロモンも黙ってはいられないのか、口を開きかけたがレイヴァンに制される。


「さいごまで義を終えることが出来なかったとしても、陛下が姫を次期国王とおたてになっていることは事実」


 騎士が怒気のこもった声色でつむいだが、ベルク公は鼻でわらう。


「であれば、殿下をここへ呼ぶべきではございませんか」


 ベルクがなにをたくらんでいるのか。手に取るようにわかって、レイヴァンとソロモンは不愉快な表情を浮かべた。

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