第七章 ひなたの陰

 昼食を終えたばかりだというのに、ひとつも音が耳にとどかない。動物たちの駆けてゆく音も草木のゆれる音すらも聞こえず、沈静だけがあたりを満たしている。

 ゆったりとした部屋とは対照的にマリアは、困窮の表情で本を注意深く読みながら同じ文章を目で追っていた。とうとう匙を投げてしまい、本を閉じる。ふて腐れて本の上へ顎をおいた。


「姫様、いかがなさいましたか」


 いままで無かった気配がたち、マリアへ声をかける。ふりかえると案の定、クライドがたっていた。おそらく姿を見せずとも、側にはいたのだろう。


「読むだけでは、わからないことも多くて」


 微苦笑を浮かべて再度、本を開きページを示せばクライドは悩んだ後に「誰かに教えてもらうのはいけないのですか」と問いかけた。皆は忙しいだろうからとマリアが返したけれど、クライドは考えを曲げず「ソロモン殿に尋ねてみましょう」とつげたのだった。

 二人でソロモンの元へ行けば、久方ぶりの部屋だったのでマリアは驚いてしまう。あの部屋がきれいに片付いているではないか。


「エリスが片付けていった後か」


 聞かずにはいられなかった。


「姫君まで、ひどい言いようですね」


 自分だって片付けるときもあるのだと胸を張りソロモンはいったが、マリアは信じられず同じ問いを繰り返さずにいられなかった。その度にソロモンは、自分で片付けたという文句をひるがえすことはなかった。


「それよりも、姫君。なにか用があったのではございませんか」


 問われはっとし、今は部屋が誰のお陰で片付いているかよりも勉学を教えてくれるかどうかが大事であったのを思い出して思いの丈をあるがままに伝えた。


「そんなことでしたか。かまいませんよ」


 あっさりと返され呼吸を一瞬、わすれてしまう。


「いそがしいのではないのか」


「今日は最良の時、あなた様が言い出さなくては我々も気づきはしないのです」


 いまさら、遠慮などしなくていいのですよと優しい声色で言われれば、満面に笑顔をうかべて「ありがとう」とかえした。ちらりと隣にいるクライドを見れば、「言ったとおりでしょう」と表情だけで告げていた。


「どうせなら、守人やレイヴァンにもいいましょう。きっと、協力を惜しみませんよ」


 それなら、とマリアは嬉々として明るい声で「剣術や弓もしたい」というのだった。さすがにそれはレイヴァンが許可しないだろうと、ソロモンは苦い表情を浮かべる。


「とりあえず、今日はわからないところだけをお教えいたしましょう。どれですか」


 さっと本をひらき、いくつか指させばソロモンの口から淀みなく口跡がつむがれていく。おぼえられるだろうかとマリアが案じていると、「覚えるのですよ」と強調して告げられた。あとがこわいと思い、マリアは部屋を戻った後も何度もページをめくりながらソロモンの言葉を繰り返すのだった。

 日が開けてクライドと共にソロモンのもとへ向かってみると、すでに手はずが済んでいるらしく今日から日替わりで講師がついてくれるらしい。剣の稽古も最初こそ、レイヴァンや国王が渋ったらしいがソロモンの弁舌で叶うこととなったようだ。マリアは、飛び跳ねて喜んだ。


「本日は、僭越ながらわたくしめが講師をいたします」


 初日ですので、むずかしいことはいたしませんと続けて「問題を出します」と告げた。


「問題?」


 戦か政治に関するものかと思って身構えたけれど、まったく別だった。


「水平思考問題です」


 にやりと笑みソロモンは告げると、問題の前提として何度でも出題者に質問してもよいけれど「はい」か「いいえ」か「関係ない」しか答えないと説明をしてから口にした。


「我が国には『一日一個の林檎が医者を遠ざける』ということばがございますが、りんごにからんだ問題をいたしましょう」


 前置きをおいてから、問題がつむがれる。

 問題はこうだ。りんごが六つ入ったかごがあり、子どもが六人いて一人ずつりんごをとったが、かごにはりんごが一つ入っていたという。なぜであろうか、と問いを口にして柔らかく微笑んで「では、推理してみて下さい」と言った。


「だれかが一つを割ったのか」


「いいえ、一人一つずつ受け取りましたよ」


 りんごの数はかわらなかったか、と続いて質問すると「はい」とかえされる。次にかごの中にしかりんごは無かったかと問えば「はい」と答えた。瞬間ソロモンの瞳が、クライドをうつした。


「クライドも、参加してみるのはどうか」


 けれど、首を左右に振る。


「姫様の勉強ですし。やつがれには、答えがわかっております」


 有名なお話ですよねと告げてクライドが言えば、ソロモンは頷きつつ侍女が用意した紅茶をすする。


「クライドは知っているの?」


 肯定をしめして「難しく考える必要がございませぬよ」とつげられたが、マリアは首をひねる。


「どういうかごなんでしょう」


 ぽつりともらしたクライドの言葉にマリアは、「まさか、なにか仕掛けがあったのでは」とひらめきが走った如くいったが即座に「いいえ」とかえされてしまう。さらに木からりんごをもいできたのでは無いか、かごの中に実はもう一つりんごが紛れていたのでは無いか等々、問いを重ねたが「いいえ」で答えられてしまった。


「かごに何か特徴でもあったのだろうか」


「おや、いい質問ですね」


 うつむいて呟いた言葉にあかるくかえされて、少々おどろいたが、物語の核心を突く質問であったらしい。


「はい、特徴というのも少し違う気がしますが、一人だけかごに興味を持った子がいたようですよ」


 返事の他に答えへの足がかりも与えられ、マリアは胸を躍らせる。楽しくなってきたのだ。


「ならば、もしかしなくともりんごを取る順番にも意味があったのでは無いか」


「ええ、そうです。真実が見えて参りましたね」


 最後にりんごを取った子に何かがありそうですよと詞が添えられて、無邪気にマリアは笑みを浮かべる。


「わかった! 最後にりんごを取った子が“かご”ごと持って行ったんだ」


「正解です」


 楽しくて仕方が無いという表情をマリアだけで無く、ソロモンまでもうかべていた。


「先ほどのクライドのヒントは、その子にとって欲しいと思わせるデザインだったというわけです」


 解説まで終えてソロモンは、紅茶を一口ふくむ。マリアも謎が解けてすっきりとした表情でカップを傾けた。


「いまのでわかったと思いますが、この問題は逆転の発想が決め手になるのです」


 どんなときでも、必要になる考え方であるからもっと学びましょうと告げられてマリアも楽しくなる。たしかに、ひとりで学ぶには限界がある。誰かにこうして師を仰がなければ、得ることは無かったものだと実感した。


「では、次の問題です」


 ある女の子は両親からきつく言われていることがある。それは「地下室の扉を開けてはならない。もしも開けるとみてはいけないものを見てしまう」と。しかし、両親が出かけている間に女の子は地下室の扉をあけてしまった。そこでみたものとは、と言い終えるとクライドまでも考え込む。彼も答えを知らぬようだ。


「今回の物語は難しい。クライドも一緒に解いてみてはどうかな」


 ソロモンの一言にクライドも参加することになった。


「では、ソロモン殿。質問いきます」


「どうぞ」


「女の子が見たものは驚くものでしたか」


 策士の瞳があやしげにきらめいて「いいえ」と答えが来ると、マリアもクライドも目を丸くする。答えが逆に二人を混乱させたのだ。


「じゃあ、地下室でなにか育てているのか」


 日陰を好む植物かと思い、疑問をぶつけると「はい」と共に「大切に育てておりますよ」と真相にたどり着くための糸口を添えてくれた。

 されど、植物であるならば隠す必要がどこにあるのだろう。毒を含んでいるから開けてはいけないと告げたのだろうかとマリアが考え込んでおれば、となりで再びクライドが問いを重ねる。


「地下室は両親と女の子だけが知っているのですか」


 肯定しソロモンは、紅茶を飲んだ。中身が空になったのか、ティーポットでコップにそそぐ。マリアもあと少しとなった紅茶を飲み干し、コップにそそいだ。


「両親は、女の子になにか秘密にしていることがあるのですか」


「はい、そうです」


 クライドの問いにソロモンが答えたとき、マリアも言下に「地下室で育てているのは植物だろうか」といえば「いいえ」と返され、先ほどの考えはくつがえす。いったい、地下室になにがあるというのだ。


「女の子は、地下室へ入ったことはあるのでしょうか」


「ええ、ありますよ」


 クライドの問いに肯定でかえされ、回答者二人は同じように腕を組み首を傾げる。ではと切り出して、クライドは「地下室には人がいたのではないですか」と問うた。驚くものでは無いとさきほど、答えが確定しているはずでは無いか。人がいれば誰だって驚くはずであるのに、とマリアが考えていれば「はい」とにこやかにあやしく策士は答えた。

 物語の全容が、霧にまぎれてしまったかのようになってますます青い瞳に陰りがさす。わからなくて、むずがゆさを感じているらしい。


「女の子は地下室の扉をくぐったことはありますか」


「はい、生まれた頃に一度だけ」


 クライドにひらめきが走ったとき、扉をノックする音がおごそかにひびく。後に無遠慮にも扉を開けたのは、レイヴァンであった。


「もう勉強は終わった頃だと思ってました。申し訳ございません」


 告げて立ち去ろうとするレイヴァンを、ソロモンが引き留める。


「かまわぬ。たいした報せでも無かろう」


 見破られてレイヴァンは、やむなく部屋にとどまるとあさって貴族たちや官吏のものが集まって会議があることを告げる。大きくソロモンは、息を吐き出した。


「どうせ、つまらぬ罵り合いであろう」


 出席するだけ時間の無駄だろうから、姫君の講義をするとソロモンが言えば黒い騎士は軽くにらんだ。


「公爵であるお前が出ずしてどうする。それこそ、隙になるのではないか」


 マリア様の名を辱めることはやめろと言われ、若い策士は軽く肩をすくめる。騎士の言葉がただしいものであるから、反論も出来ぬらしい。


「わかった、出席しよう。ベルク公も出席なさるだろうからな」


 マリアは数回、まばたきをして舞踏会でロイス侯爵を陥れようとしたベルク公が何か企んでいるのだろうかと考え込み、変わらぬまま言葉にすれば重苦しい空気をレイヴァンが発する。知られたく無かったのであろうか。


「どうせ、わかってしまうことだろう。なにをそこまで隠す必要がある?」


 ソロモンがレイヴァンに問いかけると、険しい表情のまま視線をマリアに向けた。


「できれば、あなたに不安を持たせたくはなったので必要となる時までは言わぬつもりでした。申し訳ございません」


 あやまられて青い瞳が、ゆれたがしとやかな視線をレイヴァンに向けた後に近寄って無骨な手を取る。薄い金の髪が左右に揺れた。


「わたしを不安にさせまいとしたのだろう。ありがとう。おぬしの気遣いは身に余るほどだ」


 けれど、出来れば教えて欲しかった。つむがれると黒い騎士は、あなた様の心をわずらわせる必要などなく謀を討ち滅ぼすことが最上であるからと告げた。


「相手の出方がわかっているのか」


「ええ、だいたいはわかっているのです」


 だからこそ、今はまだ告げるときではないと思った旨を口にして頭を垂れた。しばし悩んでからマリアは、優美に言辞をつむぐ。


「ならば、なにも言うことは無い。お前の好きなようにやってくれ」


 黒い瞳がまぶしげにマリアをうつした。やがて細めると騎士らしくひざまづき、手を取れば口づけを落とす。服従、敬愛の接吻にソロモンとクライドは、やや驚いた。レイヴァンが、主君としてマリアを見ていると思ってはいなかったのだ。仕えているのは建前で、恋愛感情が本心であったのだとしかとらえていなかった。


「それでは、俺はもう行きます。勉強のお邪魔だったでしょうし」


 足が扉へ向かおうとすれば、ソロモンが「まあ、待て」と再び引き留めてマリア達に出した問題をつげる。レイヴァンは解を知っているのか、「それか」と呟いていた。


「わかるの?」


「ええ。水平思考問題は、逆転の発想が鍵になります。ソロモンより与えてもらった情報をよく考えてください」


 おのずと真実は見えて参りますよと言われたが、マリアは腕を組んで青い瞳をかげらせる。ソロモンは、ふいにクライドへ視線を投げかけて「わかったか」と問いかけた。


「ええ、おそらくわかりました」


 クライドの答えにわかっていないのは、自分だけだと知って軽く衝撃をうけてうなだれる。クライドは無表情で「好きな童話は何ですか」と問いかけた。彼の意図は読めないが「なんでも好きだけれど」とつぶやき、関連のある童話でもあっただろうかと肝脳を絞る。


「あら、姫様にレイヴァンまで。それにクライドもここにいたの?」


 楚々たる声が室内にながれた。ノックの音がしなかったものだから、まったく気配すら感じなかったがディアナが入ってきたようだ。


「ええ、今日から日替わりで姫様に講師が付いて勉学を教えているのです」


 簡単にディアナへソロモンが説明をすれば「まあ」と声をあげて、マリアへ視線をおくる。


「ほんとうに努力家なのね」


「いえ、そのようなことは……」


 かえしてマリアは、ゆくりなく船上でのディアナの言葉が脳裏をかすめる。


『王子様に似合うお話は“ラプンツェル”よ。高い高い塔に閉じこめられた女の子。魔女の畑を荒らしたあわれな母親。野萵苣ラプンツェルをぬすんだ罪はあまりに大きかった』


 ラプンツェルという物語は、子を孕んだ母親があまりのひもじさに魔女の畑の野萵苣をぬすんで食べてしまい魔女にばれて生まれてすぐ子は魔女に連れ去られてしまう所から始まる物語だ。魔女は子に“ラプンツェル”と名付け高い塔に閉じこめられてしまう。

 生まれた時は、塔の外にいたのならば生まれた頃に一度だけ扉をくぐることになる。そこまで思考して、ひらめきが走った。


「ああ、わかった。地下室の中にいたのは女の子の方で、女の子が見たのは“外の世界”なんだ」


 にっこりと策士は、頬笑み「さすがです」と答えた。ディアナがいささか困り顔をうかべていると、レイヴァンが耳打ちで説明する。なるほどとつぶやいてディアナは、マリアに視線を変えて「学ばれてどう思いましたか」と問いかける。


「楽しいです。自分では気づけないことや知らないことを知るのは」


「それはよかったです」


 母親の表情になってディアナがかなしげに微笑んでおれば、ソロモンが話題を変える。


「ディアナ様、なにか用向きがあったのではないですか」


 両の手の平をかさねてディアナは、数枚の羊皮紙をソロモンにわたして「陛下に報告するものだから、誤字の確認をして欲しいの」といったが、ソロモンはそんなことをあなたがするはず無いでしょうと拒絶の言葉を口にしつつ書類に目を通す。


「何もございませぬよ。これだけに本当に来たのですか?」


 疑問を持ったらしくソロモンが問えば、「ばれちゃったか」と舌をちろりと出してあさっての会議のことだと切り出した。


「会議が終わったら領地へ一度、戻ってリカルダとフィーネを孤児院にあずけてから王都へ戻ってこようと思っているの」


 国王からベルク公のあやしい行動をくい止めるために、王都にいて欲しいと言われたそうな。マリアが不思議がっていれば、ディアナは苦笑をうかべて「昔ね」と切り出す。


「私、ベルク閣下とロイス卿から同時に求婚されたことがあってね」


 二人とも本気で自分に対して好意を持ってくれているようであったけれど、どちらかを選ぶことが出来ずにぐずぐずしていたという。


「逃げ出したくて父様に無理言って学び舎へ通わせてもらって、当時はまだ学生だったニクラス公爵と出会ってね」


 少しずつ話すようになって、二人から求婚されていることを相談したという。


「そうしたらね、彼。なんと言ったと思う? 『ばかじゃないか』って。ひどいと思わない?」


 言葉とは反対にくすくすと笑いながら続けて、悩んでいると言うことはどちらも選べないということなのでは無いかと言われ、目が覚める思いでニクラスをながめたという。


「その時から、私の中でどこかすっきりした思いを抱いたの」


 同時にニクラスに今までには、無かった感情を抱いたのだと告げる。もし言葉で表すのであれば恋愛感情だとも。


「国へ戻って来て、ベルク閣下とロイス卿にあやまって求婚を断った後にニクラスに思いを告げようとしたのだけれど」


 国に戻っているにもかかわらず、社交の場にも出ずにファーレンハイト閣下の元へ入り浸って兵法の勉強ばかりに打ち込んでいたようだ。


「逢えないのなら逢いに行ってやろうと思っても、父上つまり先王陛下が許して下さらなかったの」


 どうしても逢いたくて城を抜け出そうとしても、衛兵に連れ戻されてしまったらしい。月日がたち一年たって、ようやく両親に引きずられて舞踏会に出席した彼と再会できたと語る。恋する乙女の表情で。


「もう逃がしてやるもんですか、なんて思いながら上段から降りて彼の元へ駆けていったら、驚いた表情で『王女だったのか』なんていうのよ」


 ぷんっと音が聞こえてきそうな雰囲気で力をこめ、ディアナは語った。


「だけど、彼は言ったわ。『あなたを守るために兵法を学んでいたんだよ』と」


 ニクラスもまた当時、王女だったディアナを好いていたらしい。


「『愛しています、結婚して下さい』と、彼は跪いて私に言ってくれた。本当は私が言うつもりだったのに」


 うれしげにディアナは、言い終わるとマリアの肩に手を置いた。


「姫様、待っているだけではだめよ。恋と戦争は手段を選ばないんだから!」


 ふだん、おしとやかな彼女からは想像できないほど力強い言霊があふれる。ソロモンは微かに笑い、レイヴァンはどこか分が悪げな表情を浮かべた。


「わかりました、ディアナさん。正攻法を以て相手と対峙し、奇策を以て敵を落とすですね」


 マリアも嬉々としてかえせば、レイヴァンが軽く頭を抱えた。


「マリア様もディアナ様も、そろそろお昼の支度が終わる頃ですよ。昼食に行かれてはいかがですか」


 いわれお腹が空いているのを感じてマリアは、クライドとディアナと共に部屋をあとにする。部屋にいるソロモンはくつくつと笑い、レイヴァンはあきれるのだった。


「まったく、ディアナ様にはひやひやしました」


 マリアに真実を告げてしまうのではないか、とレイヴァンは危惧していたのだ。ソロモンは、気にした様子無く紅茶をゆらしている。


「俺としては、いってしまってもかまわなかったが」


 きつめにレイヴァンが名を呼んだけれど、ソロモンにはこたえない。


「考えてもみろ。他の誰かから程度であったとしても、聞くのはつらくなかろうか」


 よい答えが浮かばず押し黙ったレイヴァンであったが、軽くソロモンを睨み付けた。


「そうだとしても、今はまだ知るべきでは無い」



 夜半過ぎ。梟や虫の鳴き声が、冷気を伝って闇の中を駆け巡る。


「けっきょく、この時間か」


 深い森の中でギルがぼやいた。あまりどうどうと王城へもどるわけにもいかず、城近くの森を通っているのだが、手と足のさきがこごえて氷になってしまいそうになっている。


「ギルがいったんじゃない。はやく、王都へ戻った方が良いって。それに夜の方が好都合でしょう」


 ギルの腰にしがみついているクレアが、怒気のこもった声色でつぶやきにこたえる。


「そうだが、もうすこし早い時間につくと思ったんだがなあ」


 憶測では日が落ちてすぐ、くらいには王都へつくとふんでいた。けれど、考えていた以上に夜がひえてきたのと闇が視界をうばってしまって見えにくいというのが盲点だった。まだそこまで視界を塞がれることはないだろう、などと軽く見積もっていたのである。


「ギル殿、あまいですね」


 併走しているグレンがいった。うしろには、セシリーが乗っている。


「まあいい。王城まであとすこしだ」


 おのれを奮い立たせて馬をたたき、疾駆させれば一啼きしてやみを切り裂いてすすんでいく。グレンも「やれやれ」とひとつ呟けば、ギルを追って馬をはしらせた。

 居城へとつくとフランツが待ち構えていて、入城することが出来た。


「お前、ずっと待っていたのか」


「ええ、いつお戻りになるのかわかりませんので」


 ギルの疑問にフランツが、どうということは無いといった感じで答える。すっかり感心してしまっていると、衛兵や侍女があらわれて馬をとり、四人を城内へいれた。休める用意はできているという。なにから何まで万全でやはり、おどろいていると王やレイヴァンが四人を迎え入れた。


「食事をしながらでいいから、報告をきかせてはくれないか」


 ギルがいままでのことを二人に聞かせる。ときおり、グレンも言葉をはさみながら。


「しかし、“クリス”とは何者でしょうか」


 なにげなくギルがいうと、王とレイヴァンはお互いの顔をみあわせてうなづきあう。


「ギル、クレア、セシリーさん、グレン。みんなには話しておこう」


 おごそかにつげてレイヴァンは、マリアの出自のことと“クリス”なる人物がなにものかを四人に聞かせた。


「えっと、つまり……姫様がディアナ様の娘でクリストファーという人が本当の陛下の子……?」


 セシリーが放心状態でつぶやく。


「ああ、そうだ。マリアとクリスの戸籍を入れ替えただけでなく、クリスは亡くなったことにしたんだ」


 もしあとから王の子だと知り、マリアを襲いに来かねないからこのようにしたと王は重々しく語る。アイリーンもクリスが生きていることは知らぬとまで告げて押し黙れば、食器のかさなる音すら止み沈黙が流れた。それをレイヴァンがやぶる。


「このことは、誰にも言わないで欲しい」


 今までディアナ様もいわずにいたのだからとつむがれると、セシリーが一番に「もちろん」と答えたが弟子はそうもいかぬらしい。


「なぜ、このようなことをしたのですか。はじめからしなければ、なにも問題にはならなかったのではございませんか」


 先王が強引にすすめた旨を痛々しげに王は語る。


「わたしも可愛い息子を手放したくはなかった」


 語尾を強く王が言う。


「マリアが初代女王と同じ遺伝子など持ってさえいなければ、息子と過ごすことが出来たのだ……」


 マリアをうらんでいるともとれる文言に、場にいた五人がさむけをおぼえた。それほど、気迫がすさまじかったのだ。


「それでも、マリアに“クリストファー”と名付ければ“息子”だと思える」


 王の言葉にいらだちがつのり、ギルがフォークを突き立てて大きな音をたてた。


「姫様はあなたの息子のかわりじゃない。ましてや、あなたが恨むべき対象でもない。あなたがうらむべきなのは、それをとめられなかった“おのれ”自身ではございませぬか」


 いつもの飄々として悠然とした彼ではない。あきらかに余裕なく怒っていた。


「失礼します」


 外套をひるがえしギルが出て行けば、クレアはあわてて背を追おうとする。それを、レイヴァンが止めた。


「俺が行く」


 レイヴァンは部屋をあとにしてギルを探す。それほど時間はたっていないはずであるが。駆け足ですすんでいくとベランダで空を見上げている。声をかけてちかよると、ギルが不審げな視線を浴びせかけた。


「あんな男に騎士様は、忠義をちかっているのかい?」


「俺が誓っているのは姫様だ。でも王に尽くしているのは、それでもこの城が姫様にとって安全だと思うからだ」


 黒い騎士の本音を聞いてギルは、すこし満足げだ。


「へえ、忠義のかたまりのような男だと思っていたのに意外ですね」


 レイヴァンは笑み息を少し吐き出す。


「お前は少し俺を勘違いしている節があるな」


 どこか愉快げに黒い騎士の口跡がつむがれたとき、侍女がギルへ麦酒を運んできた。


「頼んでいたのか」


「ええ、せっかくですし一緒に飲みますか」


「いや、待て。ギル、さきにお前に話さねばならぬことがある」


 侍女が去るとレイヴァンがはじめは、やや言いにくそうであったがギルに語って聞かせた。途中で二人して、麦酒をかたむけながら。


「それで、俺に三つの宝玉を探しに行けと」


「ああ、できるか」


 切実に騎士がといかけると、ギルはかるく太ももをたたいて「ええ」と答えた。


「俺を誰だと思っているのです? 姫様の忠実なる臣下ですぞ」


 酔いも入っているのか。レイヴァンが微苦笑すれば、ギルがふいにうやうやしく頭をたれた。


「前にいったことあやまります。“守る”以外のことはしないのか、なんと不躾なことをいったのか」


 あらためられてレイヴァンは、度肝を抜かれてしまう。狼狽する騎士を楽しげに眺め、ギルはいった。


「“守る”ことほど、難しいことはない。謹んで命をお受けいたしますよ。“王の忠臣”殿」


「調子の良い奴」


 いいながらレイヴァンは、嬉しい感情を隠せないまま麦酒を飲み干した。

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