第六章 Alptraum
「おお、王よ。ここにおられたか」
初めて聞いたはずの声であるのに、耳に馴染んだもののように思えてすかさず手を取った。相手の男は、うれしげに目を細めうやうやしく頭をたれる。マリアも何故か、知らぬ男であるのに当然だとうけいれていた。
「わたしは長い間、どこかをさまよっていたと思うのだけれど」
マリアが切り出すと男は、「そうですね」と肯定をした後、遠い遠い時間を旅してきたのだと言う。マリアが、オウム返しに問いかけると「ええ」とやさしい声色で返事が返ってきた。
「さて、王よ。こうしてあなたに逢えたことも、たいへん嬉しゅうございますが、この場所は王にはふさわしくない」
疑義の念を抱くマリアの肩を男が、
「苦悩と騒乱ばかりがうずまく場所にあなたがいてはいけません」
だんだんと男の姿が闇に包まれていく中、願いにも似た男の声がいつまでも反響していた。
「我らが王、どうかその御心を見失わぬよう。どうか、“誓い”を忘れぬよう。遠い国にて我らは祈る」
☆
我にもなく手を伸ばして、空気をないだ。むなしく伸ばした手を抱きしめて浅い呼吸を繰り返す。天蓋カーテンの隙間からは、月明かりがこぼれて白い手を蜂蜜色に染め上げた。今がまだ、半宵であることを告げている。
上半身を起こしたマリアは、ベッドの上で「夢」とつぶやいて、ようやく落ち着けば這い出して椅子へ座る。眠れないとさとり、本を読むためであった。かびの匂いが鼻をつくが、気にならないほど夢が気になってしまう。現実味を帯びた風景が脳裏に焼き付き、離れない。男の声もそうだ。しかし、男の顔はどうやっても霧がかかって思い出すことが出来ない。自分がよく知っている人物であるはずだからこそ、もどかしいと思ってしまう。
黒板と白墨をとりだしたけれど本の内容とは、かけ離れた落書きが仕上がる。夢で見た男の絵だ。けれど、顔は思い出せないが為にいい加減であるが。
ためいきを吐き出すと、声がけも無しに扉が開かれた。驚いてたちあがれば、いきおいで椅子がひっくり返ってしまい、入ってきた人物を確認する間もなく椅子を手に取る。
「大丈夫ですか、マリア様」
どうやら、肉眼で確認せずとも危なげないと思い、マリアは「平気だよ、レイヴァン」と答えた。黒い騎士は月光の下へ来ると、椅子を元の状態へもどしたマリアの白い指先をなぞる。
「夜のとばりに起きて、なにかしなくてはならないものがお有りなのですか」
さきほどまで眠っていたことを知っていることに衝撃を受けて、常闇の瞳を熟視する。一度、黒い瞳がとじられてマリアの姿をうつしたとき、何も知らぬ顔でおどけて見せた。
「明かりがすべて消えておられたので」
そういえば、灯りを付け忘れていたと思い出して微苦笑をうかべる。いくら明るい夜といえど、灯りも付けずに本を読むのはまずかったと軽く反省してランプに灯りをつけた。
「レイヴァンはどうしたの?」
まさか起きていることを予見して来たともとれず、問いかけると意外にも「顔を見たかっただけですよ」とかえってきてマリアの頬にさっと朱がさす。
「さいきん、公務続きで顔すら見られませんでしたから」
甘い声色がマリアの鼓膜をゆさぶったと思ったら、たくましい腕の中へ閉じこめられた。胸の鼓動に気づかぬふりをして「夢を見たんだ」と話をそらす。
夢での内容を変わらぬまま伝えると、黒い瞳の影が濃くなる。
「そうですか」
ひとこと呟くと腕をゆるめ「そろそろ眠りましょう」と告げた後、「おやすみなさいませ」と言葉を残して部屋を出て行こうとした。無骨な手をマリアが止める。
「待って、レイヴァン」
急いでマリアは、机上にあるディフューザーを手に取るとラベンダー精油二滴とベルガモット精油一滴をたらして手渡した。
「忙しそうだから、夜の寝付きも悪いのでは無いかと思って」
「俺よりもマリア様がお使いください」
「いや、レイヴァンに使って欲しい。いつもわたしのために動いてくれるから」
黒い瞳が儚げにゆれ、ためらいながらもディフューザーを手に取った。それから、レイヴァンは部屋へ戻ると使うのを惜しく思いながらもディフューザーを使ってみる。自身が思っているよりも疲労があったらしく、ことんと夢の世界へ急降下した。
けれど、マリアは未だに目を閉じることすら出来ずに朝を迎えてしまった。ビアンカが訪れる時間になって、ワンピースへ着替えていると時間通りノックがひびく。
「姫様、おはようございます。お湯とお茶をお持ちしました」
ふだんは、お湯だけであるのに不思議がると「お疲れのようすでしたから」とかえってきておどろく。まさか、気づいているとは思わなかったのだ。
「いま、入れますね」
言った後でカップを滑らせて割ってしまう。破片がビアンカの白い手を切ってしまったのか、血が滴り始めた。
「申し訳ございません。お怪我はありませんか」
「ビアンカの方こそ、大丈夫なの?」
はやく手当をしなくてはと思い、何か無いかと視線を走らせる。ふとティーポットにある花を見てビアンカに問いかけた。
「これは
「はい、そうです。女性の体に良いと伺いましたので」
したりと思いマリアは、ハンカチを手に取ってポットの中にあるお茶を染みこませると傷口に当てる。ビアンカは驚いてしまい、目を瞬かせた。
「
ただきちんとした手当をしてもらうよう告げれば、ビアンカは頭を今一度下げて部屋を出て行く。残されたマリアは、湯を張った洗面器で顔を洗い、昨夜使ったカップでお茶を飲む。
「きのう、あんな夢を見たのも疲れていたからなのかな」
たゆたう水面を見つめ、こぼした呟きに「お疲れなのですか」と問いが聞こえて来て一驚し、窓へ近寄ればクライドがバルコニーへ来ていた。守人というのは、なぜ扉からではなく窓からくるのだろうと密かに思いながら「少しだけ」と返す。
クライドは、しばし悩んだ後に
「疲れに効くといただいたものですが、姫様がおつかいください」
「そういえば、クライドをあまり見かけることが無いのだけれど、何をしているの」
問いかけるとクライドは、エリスの補佐をしているという。ひとりですべてを監察することは不可能であるので、マリアの周りをとくに行っているという。
「では、わたしが知らないだけで側にいるのか」
「はい、姫様の側で控えていてもよいのですが」
自由を奪うことをしたくはないからと、レイヴァンから言われたことをつげる。マリアはいささか驚いてしまう。彼は、逆に自由を縛ることをしてそうに思えたからだ。苦笑を浮かべ、クライドは「レイヴァン殿は、もっと様々なことを考えておられますよ」と口跡をつむいだ。疑念を抱いたマリアに薄い鉛色の瞳が細められる。
「あなた様をお守りするためにソロモン殿よりも、多くのことを見ておられます」
彼は決して口には出しませんがともつむがれて、青い金剛石の瞳が微かに伏せられた。
「わからない。レイヴァンは、わたしに何も教えてくれないから」
「それでは、知ればよいではございませんか」
唖然としてマリアがクライドを見つめるけれども、彼の瞳に揺らぎは一つも見えない。知るといってもどのようにして知れば良いのだろうとマリアが、疑問をぶつければ「直接、聞けば良いでは無いですか」と返事がきて固まってしまう。
「聞くとは、なんと」
「仕事の内容ですかね」
彼はおのれを隠すのが上手であるから、額面通りに聞いては答えてはくれないだろうとクライドは述べる。マリアが答えてくれるものなのだろうかと疑問をさらに重ねれば、クライドが「おそらく」と彼自身も不安げに応答したのだった。やがて、手当をほどこされたビアンカが戻ってくるとクライドとわかれて朝食を食べるために広間へいく。
国王はすでに席に座っており、クランベリージャムを頬張っていた。
「マリア、来たか。アイリーンは部屋で朝食を取るようだよ」
忙しいのだろうかと考えつつ、席に座りクレソンサラダを食べ、チャービルスープを飲み、ヴァイスブロートにクランベリージャムを塗りつけて頬張る。瞬間、扉がノックされてレイヴァンが入ってきた。
「お食事中に申し訳ございません。陛下、至急報告せねばならぬことがございまして」
「わかった。マリアは、いそがずに食事をするんだよ」
国王は、スープでパンを流し込んで立ち上がればレイヴァンの元へ行く。マリアは、自分にはやはり何も教えてはくれないのだと思って意気阻喪になる。だから、黒い騎士が近寄ってきたことになんて気づくはずが無かった。
「失礼」
白い布でレイヴァンが、マリアの口許に付いたジャムを拭き取った。布がマリアの太ももの上へ戻されると同時に声が降ってくる。
「あなた様のお陰できのうは、よく眠れましたよ」
マリアが顔を上げたときには、レイヴァンの姿は国王と共に扉の向こう側へ消えていた。
「クライド、いるだろうか」
誰もいないはずの空間に気配が立ち、「はい」と言霊がひびく。
「彼はわたしに教えてくれるだろうか」
「すぐには、無理でしょう。彼は用心深くていらっしゃいます」
うやうやしく傅いたクライドが、マリアの背に答える。薄い金の髪をひるがえし、青い瞳にクライドの姿をうつしてマリアは、微笑をたたえる。
「ねえ、クライド。わたしと一緒にレイヴァンの仮面を剥がしてみない」
きょう予定は、入っていなくて時間が余って仕方が無いからとつむがれるとクライドは、どこか愉快げに「かしこまりました」と答えるのだった。
行動が決まるとマリアは、早々に食べ終えてクライドが人を盗み見るときに使うという城内の木へ共に登る。
「守人というのは、どうして木の上が多いの?」
苦笑を浮かべついといった調子で問いかけると、クライドは「人の目がつきにくいから」とかえってくる。たしかに、高いところからの方が情報を集めやすそうだ。
「しかし、木に登るのはやつがれとエリス殿にレジー殿ぐらいですよ」
ジュリアもかつては、諜報活動を生業としていたが、屋根裏にひそむことが多かったらしい。ギルもたまに登るけれど、滅多に無いという。
「ずいぶんと詳しいね」
「やつがれは、人の心や記憶をのぞけます。こうして起きている時間も、寝ているときでも」
夢は大概が、誰かの記憶らしい。
「では、わたしが考えていることもすべてわかってしまうの?」
「すべてでは、ございません。やつがれ自身がのぞこうとすれば、わかりますが基本的にはのぞきませんし」
ただ思いが強ければ強いほど、近くにいるだけで記憶や心を感じてしまうのだという。無意識にマリアは、クライドの裾を握り締める。
「クライドに聞いて欲しいのだけれど、昨晩は不思議な夢を見たんだ」
口を切りクライドにも夢の話を、伝える。しずかに黙ってクライドは聞き、話が終われば一呼吸置いて口を開いた。
「そうですか、“彼”に逢ったのですね」
「知っているのか、クライド」
思わず興奮するマリアをいさめて、あぐねる。何と伝えればよいか、答えを見つけることが出来ずだまりこんで一言だけ告げた。
「やつがれには、答えることは出来ません」
なぜとマリアが問うたけれど、はぐらかされて「レイヴァン殿がどのような仕事をしているのか知るのでしょう」とかえされて何も言えなくなる。渋々、窓へ視線を投げるとレイヴァンは机にむかい、書面を作成していた。なにかの報告書なのだろうか。
「いつも何か書いているのか」
「大概はそうです」
いったとき、鳥の鳴き声がひびいてレイヴァンが窓を開ける。いつぞや言っていた通信手段に使っている鷹だ。笛の音が秋の空につたわれば、鷹はたがえることなく黒い騎士の腕に止まる。
「おかえり、ヴァハ。で、姫君はそのようなところでなにをしておられる?」
葉に隠れて見えぬと思ったが、お見通しらしい。仕方なく、クライドに手を借りながらおりようとしたが、足を滑らせてしまう。
クライドの手も遠く離れて、自分の指先が空気をつかむ。ただ表情を顔に出さないクライドが、焦燥を浮かべているのがうかがえた。
どうも自分では、怪我をしないための方法が思いつかないため、妙に冷静にそんなことを考えていれば、たくましい腕に抱き留められた。
「まったく、姫さんよ。あんたはお姫様らしく出来ないのか」
陽光浴びて光る赤茶色の髪から燃える紅玉の瞳へと視線をかえて、笑みをうかべた。続いて「ダミアン」と名を呼ぶ。
「姫様、お怪我はありませんか?」
軽妙な動きで地面へと降り立ったクライドが尋ねてくれば、マリアが「大丈夫」だと答えた。けれど、クライドは自分の責だと感じているらしく何度も謝る。そこへレイヴァンも来て、ちいさく息を吐き出すと「いけませんよ、姫君」とすこし突き放す声色で言葉を発した。
「あなたは、行動に責任を持たねばなりません。あなたの小さな行動一つが、どう影響するのか考えたことはございますか」
言霊が辺り一帯を凍りづけにしてしまったかのように感じて、マリアは意識ごとかたまってしまう。
「ご、ごめんなさい」
絞り出した声は、かすれており少女のそれでしか無かった。
「しかし姫君、なぜ木に登るなんてことをしたのですか」
最近はしていなかったでしょうと問われ、マリアは小動物のごとく体をちいさくふるわせて、もそっと自分の思いをつむいだ。
「レイヴァンは何も教えてはくれないから。せめて、普段どんな仕事をしているのか気になって」
黒い瞳がひらかれた後、いとおしげに小さな体を見つめる。
「レイヴァン殿、やつがれが言い出したことなんです。責めるのはやつがれだけに……」
お前にはあとでたっぷりと注意するさと告げた後で、黒い騎士は薄い金の髪にやさしくふれる。幼い少女の丸い肩がびくんとはねた。同時に反応して鷹が翼を二度三度とはためかせる。
「あなたが俺に興味を持ってくれるのは、たいへん嬉しゅうございますが、今はまだ話すときではございません」
今度はあたたかく言霊があたりに染み渡って、凍てついた視界を春の陽だまり色に染め上げられていく。
「でも、ヴァハには船上であったことありますよね」
モルダバイト軍が進軍してきていると、報せを運んでくれたのは鷹ヴァハであった。マリアは、頷いて肯定を示す。
「支城同士で連絡を取る際に用いるのは鳩ですが、遠く離れた場所へ用いているのは鷹なのです」
かつては鳩で連絡を取り合っていたのだが、他国で自国との連絡を取り合っている際、移動鳩が猛禽類に襲われてしまったので鷹を躾けて連絡用に用いているという。
「撫でてあげて下さい。マリア様ならば、いやがることはないでしょう」
レイヴァンが腕をさしだして、ヴァハをマリアに近づける。怖じ怖じとマリアが白い手を伸ばして頭部をなでれば、ヴァハは抵抗すること無くされるがままにじっとしている。
「反抗すると思ったのだけれど」
「ヴァハも人を選びますからね」
あなたを守るべき主君だと認識しておられるようですよ、とレイヴァンが冗談交じりに告げる。さすがにそれはないだろうとマリアは、かえしてほほえんだ。
「おい、俺をはさんで二人の世界へ行くのはやめてくれないか。ついでに、俺とクライドの存在を忘れてくれるな」
ダミアンに注意喚起されマリアは、抱えられたままであったのを思い出し、「すまない」とつげて地面へ降り立つ。
「正騎士長殿も姫さんを口説くのはいいが、時と場所を考えてくれ」
口説くという言葉に反応して、火を噴き出さんばかりにマリアの体がほてる。逆にレイヴァンは、悪びれる様子無く「善処する」と答えるのだった。
「ヴァハが来たと言うことは、なにか連絡が来たのですか」
クライドが、ずっとくすぶっていた問いかけを口にする。けれど黒い騎士は、たいした報せでは無いから気にするなとだけ告げて去って行く。薄い鉛色の瞳が、険しげに揺れた。
「クライド、どうかしたの」
「いえ、なんでもございません」
彼がなおも隠すのであれば、自身が“あるじ”の不信を煽るようなことをするべきでは無いと感じマリアには、何でも無いよう返して少しだけ笑みを浮かべて見せた。
*
黒橡にあたりがすっかり覆われて、月の明かりも地上へはとどかぬ夜。やみにまぎれ、全身を黒で覆い尽くし、なにかをじっと待つ男の姿があった。レイヴァン、その人である。となりには、ヴァハも毛繕いなんかしながら主人の命を待っていた。
幾分か時が流れて何か鳥が空をわたっておれば、黒い瞳はとらえてヴァハを飛ばした。ヴァハもたがうことなく、鳥をおそい地面へ落とす。おとされた鳥は、往復鳩のようであった。脚には小さな筒が付いている。開いてみれば、フローライト公国宛てに綴られたものであった。
「やはり、密偵か」
フローライト公国にこちらの動きが、漏れてしまっているのではないかと疑念を抱いていた。合理的にうごくフローライト国が、先の戦で戦争へと踏み切るのが早いと感じたのだ。いくらベスビアナイト国は立て直しをしている上、正騎士レイヴァンが行方知れずとしても、向こうは海を越えた先の大陸にある国家だ。いくらなんでも、伝わるのが早すぎる。そのため、夜な夜な城の周辺を見張り、伝書鳩が飛んでいないのか見張っていたのだ。
「エーヴァルト卿」
暗闇の中で気配がたち、騎士に声をかける。
「ジュリア殿、いかがなさいましたか」
つややかな髪を夜風にひらめかせ、うやうやしく頭をさげた気配の主ジュリアは、深刻な表情で口をひらく。
「鳩をとばした影を見つけましたが、残念なことに逃げられてしまいました」
兵か侍女かとレイヴァンが問うたけれど、髪を左右に揺らしてわからぬことを無言で告げる。けれど、しばらくすれば鳩の主は慌て出すだろうから様子を見ようということになって城内へと戻る。それから、黒い騎士は自室に入ると暗号で小さな羊皮紙に言葉をしるし、ヴァハを夜空へとばした。
城のごく一部の人間しか知らないがヴァハは、レイヴァンが各地へ放っている密偵との連絡手段であったのだ。他にも情報を得る手段として密偵には入城許可書を渡し、いつでも出入りできるようにしている。そのうえ、他国で密偵と接触する際には日常会話の中に密偵間しか伝わらぬ言葉を滑り込ませるなど徹底していた。こうして彼は、各国のことを知り得ていたのである。ソロモンも知っているが、レイヴァンは得た情報をすべては話さないため、ごく一部の情報しか知り得ない。
「失礼します」
静寂を壊さぬよう正騎士フランツが声をかけて、室内へ入って来た。
彼もまた密偵の一人であったが、レイヴァンが城を離れる際に王都へ呼び、兵として迎え入れた。城での状況を知るためである。いまは、正騎士としてレイヴァンが城に不在のさいに密偵の情報を受け取る任務も請け負っている。
「フランツ、今のところは膠着状態が続いているようだ。諸外国も攻め込んでくる気配は無い」
静かな声でレイヴァンが告げれば、フランツは「では」と瞳にひらめきがはしり、当面はベルク公の警戒をしておけばよいのですねとかえした。
「あと、城内にひそんでいる密偵にも気をつけていて欲しい」
フローライト公国への伝書鳩をとらえたことと、他にも密偵が潜り込んでいる可能性を示唆し、フランツを下がらせる。再度、室内に森閑が降りた。けれど、レイヴァンの耳には何かが届いているらしくぴくりと体をふるわせる。
「遺漏などございませんよ。かならず、刷新してごらんにいれましょう」
だれにもいない空間へ黒い騎士は、答えた。
「彼女がわすれていたとしても、一度交わした“誓い”をわたくしはたがえません」
深く息を吐き出し窓を閉めれば、痛いぐらいにここではない遠くの声が耳を責める。
「おそらく、これが最後になることでしょう」
今までなかったことが、起こり始めたのですからとレイヴァンは口跡をつむぐ。やはり、答えとなる言霊は室内にはひびかない。彼の耳にしかとどかない言葉があるようだ。
『遠い国にて我らは祈る』
つぶやいた瞬間、ノックの音が響いて答えるとジュリアが入ってきた。
「どうかされましたか」
本日はもう予定は無いと思っていたけれどと、レイヴァンが問いかけるとジュリアは「ええ」と答え、ひざまづく。
「ご主君、わたくしはあなたに伺いたいことがございます」
いぶかしげに思いながらも先を促せば、桜色の唇をふるわせてするどい視線をジュリアは投げかける。けれども、レイヴァンは微動だにしない。
「あなたは何者なのですか」
自分を国の密偵へとさそってくれた騎士をみつめ、まっすぐに問いかける。
「一番仲の良いソロモン閣下に尋ねても、わたくしが求めている答えは返ってきませんでした」
船上でのことを思いかえしながら言葉をつむげば、レイヴァンは息を吐き出してから口をひらく。
「知ってどうする」
今まで聞いたことが無いほど、低く冷たい声色だった。ぞくりとジュリアの背を何かが這う。
「いえ、ただの好奇心です」
「みずから
暗に知ってはただでは済まされない、と告げられてジュリアは体が冷えていくのを感じる。黒い騎士レイヴァンが何者かを知るのは、それほど危ないことなのであろうか。
「“我らが王”の一番側にいるあなたのことを守人として、知らなくてはなりません」
「ものは言いようだな。それで、まさかそれだけに尋ねてきたわけでは無いでしょう」
それとも、だれかに何か言われたのですかとも騎士がつむぐと、ジュリアは微かに逡巡を見せてから素直にソロモンがレイヴァンのかくしている何かを気にしていることを告げた。レイヴァンはわらい、あやしく口角を上げた。
「“あいつ”は、おそらく自らの手で真実をつかみ取るでしょう。“子等”の中でも我が強く、知らないことがあるのを嫌いますから」
ジュリアは言葉をうしない、騎士を凝視したまま固まってしまう。
「力を宿し“遠い友”よ、あなたが忠義を誓う相手は誰かわかっているでしょう」
自分のことを“ご主君”と呼ぶのは、もうこれきりにしてくださいと言われてジュリアは清々しい気持ちを抱えて「はい」と答えた。
「わかりました。あなた様をしばしの間、主君と仰げたこと光栄に存じます。“王の忠臣”殿」
「夢を見たそうだ」
とうとつに切り出された話題にジュリアは、ややついて行きかねたがうなづいて先をうながす。
「彼女が“彼”に夢の中で出逢ったらしい」
刹那に似た時間でも出逢えたことを“彼”は、この上なく喜んでいるとレイヴァンが告げるとジュリアもまた微笑を浮かべてみせる。
「思いを遂げることは出来るのでしょうか」
「彼女が求めない限り、それはありえないでしょう」
自嘲気味にいったレイヴァンにつややかな髪をひるがえし、ジュリアはそっと手を重ね合わせた。
「彼女は……我らが王は、きっとのぞみます」
“彼”の存在に気づき、共にいたいと願うでしょうと唇から続かれると、黒い瞳に光が宿った。けれど、小さく笑い飛ばして「気づくことは無いでしょう」と言ってから「彼女が望むのは、あの方だけです」と悲しげに呟くのだった。
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