第五章 秘めた胸懐

 煌々と照るあふれんばかりの光をうけて、はしゃぐ子どもたちの笑い声や商人の張った声が都を包んでいる。それらを眺めながら、マリアはスカートをひるがえし、幼子のように馳せ回っていた。


「ひめ……マリア様、あまり遠くへは行ってはいけませんよ」


「大丈夫、大丈夫。エリスは心配性なんだから」


 久々にレイヴァンとソロモンから「すこしであれば外出しても大丈夫」だとゆるしを得たので、こうして城下へと降りていた。もちろん、本来であれば外出許可証を王よりうけなければならないが、そんなもの、みな忘れているのは仕方ないことだとエリスは密かにおもう。

 マリアが城下へ降りるのは、半分あたりまえに感じてしまうところがあって、許可証がいることなんて記憶の彼方へ消えている。


「おや、マリアちゃん。今日はエリスくんと一緒なんだね」


 店先にいる肉屋のおやじさんが、マリアに声をかけた。


「うん、そうなの」


 元気よくマリアが答えると、おやじさんは歯茎を見せるほど声を上げてわらう。


「元気がいいねぇ、マリアちゃんは。とても貴族の子だとは思えないよ」


 身なりからなのか。城下の人たちからは、マリアは貴族の娘とみられている。まさか、王の娘など想像すら及ぶまい。


「どうだい、エリスくん。今日はいい肉、仕入れてるよ」


「本当ですね。脂ものって、美味なことまちがいありません」


 おやじさんにかえしたあと、エリスはしばし悩み込んでしまう。買うべきか、吟味しているらしい。


「そういえば、レジーくんの姿が見えないねえ。今日は一緒では無いのかい」


「はい。レジーは、別件で用事があるので」


 問いにマリアは答えた後、城で見たレジーを思い出す。どうやら、マリア付きの武官として報告書をいくつか王に提出せねばならぬらしい。その書類におわれ、部屋を尋ねたときは目の下が墨でぬったかのごとくなってしまっていた。これでは、つきそいは頼めないと思い困っていたところ、ちょうど、エリスが城下へ行く予定があったので護衛として来てもらうことになったのだ。


「見てください、マリア様。こちらに雑貨屋もございますよ」


 わずかに目を離した隙にエリスは、離れていて布をひろげて可愛い小物を売る女性のところへと来ていた。呼ばれてそこへ、マリアも向かえば、たしかに童話をモチーフにした小物が並んでいる。


「かわいい!」


 少女らしい声でマリアが口跡をつむぐと女性は、ほほえんで「どうぞ、持って行ってください」と告げられる。


「いいえ、とんでもございません。ちゃんとお金は払います」


 通貨を入れる小さめの麻袋を取りだしたけれど、ただの1ペニヒも入ってはいなかった。ふだん、買い物など行わないし、買うものがあれば王は何でもマリアに買い与えるし、外で買うにしてもソロモンが近くにいて彼が支払ってくれていたから当然である。いまさらになって、自分はお金の概念を理解できていないことを恥じ入った。


「お金なんて、いらないですよ。私が趣味で出店して貧しい子ども達にあげているだけですから」


 ならば、これは自分が受け取るべきではないとマリアは告げて、エリスと共に女性の元から離れた。


「よろしかったのですか、マリア様」


「うん。わたしがここにあるものを多く、受け取っては皆に申し訳ない」


 自分は王の娘なのだから。エリスは「そうでしょうか」とつぶやいて立ち止まる。マリアも足を止めてエリスを振り返った。


「格式の高いあなただからこそ、民と同じものをもつことによって人々は変わっていくのではないでしょうか」


 すとんと解することができたが「いいんだよ」とかえして、青い瞳をまっすぐにエリスへ向ける。


「わたしが受け取ったことによって、本来うけとるはずの子どもが受け取れなくなってしまうのはさびしいもの」


 もう何も言えなくなってしまって、エリスはマリアが進むままに護衛として供をした。

 あたりが薄明に覆われれば、城へ帰った。

 マリアは、エリスと別れた後、城内の書庫によって本を数冊かかえてから自室にもどった。旅をしている途中でソロモンから、いくつかこの国のことをならったが、それだけでは足りぬと思い、さいきん、書庫通いが続いている。

 いちばん身近である栄養学はもちろんのこと、ヘルメスからいくつか教えてもらった薬草学、また過去の戦について記された記録書。

 これらを読むことも大切だと感じ、誰に言われることも無く自主的に学んでいた。

 真新しいソロモンが持っている同じ大きさの黒板と白墨チョークを手にとって、考えを整理するために白墨を走らせる。読むだけではわからぬことも、こうすれば自然と理解できた。

 ふわりと欠伸を思いがけず、うかべてしまうけれど今までさぼってきたぶん、学ばなくてはならぬことが多くあると気合いを入れ直して机に向かう。口に出せば、いささか眠気も、とぶだろうと文章を口にする。


「できるだけ臆病という“うわさ”を流して……」


 とうとう睡魔に襲われてしまい、本の上で寝息を立て始める。頃合いを見計らったのか、窓の外にある惣闇色に染め上げられた木からバルコニーへ緑衣をまとう男が飛び移る。

 軽い物腰で降り立つと男は、鍵がかけられていない窓から室内へ潜入することに成功した。室内が月明かりでずいぶんと、明るくなったけれどマリアは気づかない。

 男は椅子に立てかけられていたブランケットを手に取り、マリアに近づくと静かにかけた。


「レジー?」


 青い瞳が男を映し出す。そこには、たしかに武官レジーがいるのだが、いつにも増して悩ましげな見たことの無い表情をうかべているものだから、マリアは飛び起きる。


「ごめん、マリア。起こしちゃった」


「そんなことはいいんだよ。それよりも、レジーどうかしたの? 悲哀の表情を浮かべて」


 淡い茶色の瞳が月に照らされ、さらに儚げにマリアにうつる。


「マリアがちゃんといると、確認しないとねむれない」


 だから、どんなに仕事が遅くなってもマリアが部屋でやすらかに寝ているのか毎日、確認しているだけだと答えが返ってきた。


「毎日、していたのか?」


「うん、毎日。マリアと出会ったときからずっと」


 少し遠くから見ていたときもあったという。


「そこまでせずとも」


 笑い飛ばそうとしたけれど、レジーが真剣であったからちいさく微笑むだけにとどめる。いくら、『我らが王』だからといっても、そこまでする必要は無いよとマリアが言えば「違う」と返されてしまう。


「そうじゃない。『我らが王』だからじゃない。マリアだから、そうするんだよ」


 少なからず驚いてマリアが、二の句を告げずにいるとレジーの手が伸びてきてやわらかい頬に触れる。


「オレだけじゃ無い。守人は皆、心をズタズタに引き裂かれた人たちばかり。そんな皆を包み込んでくれるマリアを大切にしたいのは当然だから」


 そんなことは無いとマリアが返した。レジーはひとつも気後れすることなく、真っ直ぐに青い瞳を見つめ返していた。


「マリアは“道”、皆の“道”……ねえ、マリアが持っている武器は何? マリアが征く道はどこ?」


「わからないよ。わたしはまだ未熟だから」


「違うよ、マリア。それは違う」


 マリア自身が持っている武器も道もすべて、気づいているはず。目をそらし続けているだけだといわれマリアは頓悟する。胸元の石を握り締めるとマリアは、品のある微苦笑をたたえた。


「もう一度、問うよ。マリアの思う己自身の武器って何?」


「わたし自身の志、そのものが武器なり得る」


「やっぱり、我が主。オレの主君」


 ゆるやかにひざまづき、レジーが頭を垂れる。


「もうひとつ、聞かせて。マリアはいったい、どこを目指す“道”を選ぶの」


「“道”というほどの大きなものをわたしは、のぞんではいないよ。ただね――」


 ちいさいけれど大切なマリアの願いは、レジーの鼓膜をかなしくゆさぶった。


「わかった。それがマリアの望む“道”なんだね」


「だから、“道”というほどでもないだろう。この望みは己自身で叶えなくては意味が無いから。他の皆にも内緒にはしてくれないだろうか」


 うなづいて「はい」と答えた後にレジーは、マリアに眠るよう告げる。まだ勉強すると返したけれど、大口を開けて欠伸を零してしまい、眠ることにするとつげた。

 マリアがベッドに潜ったのをみたあと、レジーは部屋を出た。廊下へ出れば、レイヴァンがちょうどマリアの部屋を訪れようとしているところであった。


「部屋の明かりがまだ付いているようだったから、様子を見に来たのだが」


 騎士の言葉に武官は、眠っていると告げた。


「そうか、では俺も部屋に戻るとしよう」


 背を向けて部屋へもどりかけたレイヴァンであったが、ぴたりと足を止めてレジーを振り返る。黒い双眸が、あやしげにゆらめいた。


「マリア様は、なにか言っていなかっただろうか」


 会話は交わしたけれど、それほど話はしていない旨を伝えれば「そうか」とだけ呟かれて考える素振りをする。


「なにか知りたいの?」


「いや、俺の口から告白をうけるのをおそれていたようであったのに、何も無いものだから妙に思えてな」


 さらりと言われて、聞き流しそうになった。


「告白したの?」


 口にした事柄にきづいて、黒い頬に朱がさした。


「実はな……」


「ちゃんと意味、理解してもらえてる?」


 驚くわけでもなく、そんな口舌をかえされて顔を引きつらせたが、正直に最初はわかってもらえなかったと答えた。レジーの表情があきらかに変わる。当惑した面持ちに問いかけると、レジーは別段とりたてて聞く必要も無いと言辞をつむいで自室へと帰っていった。気がかりではあったが、答えてくれそうに無いのを見て取ると書類を持ち直してソロモンの部屋を目指す。

 やがて、たどり着いてノックをし、中へ入ると……。


「おお、来たか」


 ふだんであれば、床全体に広がっているはずの積み上げられた本や書類。さらに室内をただようほこりっぽさ。そのすべてが消えていた。エリスや侍女が掃除をしているときもあるけれど、追いつかないほど汚い部屋であるのに、最近のソロモンの部屋は小綺麗で貴族らしい。それが逆に不気味に思われて、レイヴァンは妙な表情をうかべてしまう。


「ソロモン、なにか変なものでも食べたか」


「なぜ、そうなる? 俺はいたって正常だ」


 不愉快だともつづけて唇をすこし尖らせたけれど、すぐに策士の顔に変わる。


「それでベルク公爵のようすは、どうだ」


「いまのところ、目立つ動きは無いな。ギル達の報告次第でもあるが」


 ソロモンはしばし、考え込んでペンをもてあそんでいたが、雷鳴がごとくひらめきが来たのか、口許に頬笑みを浮かべた。いささかレイヴァンが、いぶかしげば口跡がつむがれる。


「ベルク公爵が自らが先頭に立ち、内乱を起こすとも考えにくい。陣頭に立たせる“誰かが”いるはずだ」


 それも心に大きな影を落とし、王に対して報復したいと強く願う人物が必要であると告げて風格を感じさせる視線をレイヴァンになげかけた。


「それは、俺たちの知っている人物なのか」


「そうだな、知っていると言えば知っている。知らぬと言えば、知らぬ」


 なんだそれはとレイヴァンは、つぶやいたあとで表情を青くした。


「ああ、やはり知っていたのか。レイヴァン。まさかとは思ったが……」


 ソロモンはかつて、マリアの出自について自身の憶測を告げたことがある。そのとき、レイヴァンは妙に落ち着いていたことを思い出しながら述べた。レイヴァンはと言えば、思いがけずに驚異の視線をソロモンにあびせてしまう。


「お前の鉄仮面には、俺もだまされた。レイヴァン、お前はどこまで知っている?」


 ひとつ大きく息を吐き出すと、口の中だけで「もう隠せないか」と呟き「話そう」とかえした。それから、マリアがディアナとニクラス公爵との間の子であること。先王が無理矢理に陛下と王妃の子をどこかへ隠し、マリアを王の子としたことを告げた。


「お前は、それをいつから知っていた?」


「五年前、ディアナ閣下と挨拶を交わしたといっただろう。そのときに偶然、保管されていた書き換えられる前のマリア様の戸籍を見てしまい聞いたんだ」


「ディアナ様は古い戸籍を保管なさっておられるのか」


 捨てるよう先王より言われたが、捨てることが出来なかったとディアナが言っていたと告げるとソロモンの表情が重く沈む。


「もし姫君が見てしまったらどうする?」


「俺は真実を告げる。そこから、マリア様がどうなさるかはマリア様自身に決めさせる。俺は臣下であって、導く側では無い」


 意外な返事にソロモンが戸惑う間にレイヴァンは、立ち上がった。


「ではな。お前がどこでマリア様の出自を知ったかは聞かぬが、マリア様に対して扱いが変わるようであれば、俺は黙ってはいない」


 マリア自身は、なにひとつ変わらないのだから。態度が変わるようなことなどないとソロモンは、ようやくかえした。


「ならば、よい。さすがに遅くなってしまったから、部屋に戻る。そうだ、ソロモン」


 振り返ったレイヴァンが、夜の闇のごとく凍えた視線をソロモンに向けていた。


「お前は、誰だ」


 ぞっとしてソロモンは、いつものおとぼけた表情を浮かべられずに硬直する。誤魔化す余暇すらあたえられない視線であった。


「逆に問おう。レイヴァン、お前はいったい何者だ」


 しぼりだされたかすれた声に、レイヴァンはふっと息を吐き出してわらう。


「俺は、姫様を愛してやまない正騎士長の何者でもござらぬ」


 レイヴァンが立ち去れば、ソロモンはぐったりとソファの上に沈み込んだ。それから、考え込んでしまい紙の上にペンでぐるぐると渦を書く。


「まさか、気づくことなどありはしない」


 自分を隠すことは、得意のはずだと言い聞かせてベッドの中へと入ったが、いっこうにまぶたが重くなることは無かった。

 一方、部屋へと戻ったレイヴァンはやらねばならぬ書類を終わらせてはいなかったので、書類に取りかかる。この調子では、眠れそうに無いと悟ると少しつらくなるのだった。



 日が開けるとマリアは、天蓋カーテンをつらぬく日差しに起こされた。ぐっと伸びをし、そろりと這い出すと白いワンピースに着替える。いつも着ている男物の服を着たいが、王からの命令であるから仕方あるまい。

 はやい時間であるのか。ビアンカがまだ来ないので、バルコニーへと出る。冷たい風がスカートをゆらした。


「マリア……」


 木の上にいた緑色の影が、バルコニーへ渡るとすっとマリアの前に降り立つ。


「レジー、こんな早くからいたんだね」


 武官レジーはあいまいな表情で頷いて、朝早くで無ければ夜は話が出来ない可能性が高いからとマリアと向き直る。


「ねえ、どうして、マリアはレイヴァンから告白されるのをおそれたの?」


 今の空と同じ青くみずみずしく感じる瞳が、わずか張ってレジーを瞳にうつしこむ。やがて一度とじられたあと、なにかを決めたらしく優美な雰囲気をまとい微苦笑を浮かべた。レジーはまっすぐ向けられる瞳に内心ひるみつつ、目を離せずに固まってしまう。


「わたしがただひとりのものになるときは、すべてを成し遂げたときと定めている」


 やわらかいけれど、固い決意をこめた言霊は朝の空へひびきわたる。ふだんであれば、気にもとめぬ草木のざわめきや鳥の羽ばたく音すら、言霊をいろどる背景音楽のようだとレジーは感じた。


「もしレイヴァンから“その言葉”を聞けば、ゆらいでしまうと思ったの。だから、“この思いも”心の奥に封じ込めて気づかぬふりをずっとしてきた」


 レイヴァンから戸惑う言葉をかけられると、何度も蓋をした感情がさわいだが、主従だと言い聞かせることによって心のゆらぎをおさえてきた。


「じゃあ、マリア。聞いて、どうだった。レイヴァンの口から聞かされて決意はゆらいだの?」


「いや、不思議と逆に決意が固くなった。レイヴァンにそれと知られぬよう」


 自分のすべきことを成さなければと口跡がつむがれると、光をあびた翠玉色の葉が、さらりと音を立てた。


***


 闇が濃い夜の底。眠る木々の下でギル達は天幕テントを張って、ねむりにつく街へ向かおうとしていた。


「じゃあ、行ってくる」


「気をつけて」


 ギルにセシリーがかえすと、クレアは暗然として瞳に影がさす。気遣ってグレンは、クレアに「ご武運を」と一言声をかけた。微苦笑をうかべて「ありがとう」だけかえすと、ギルと共に闇の中へ姿を消した。


「今思っても、すごいなあ。眷属の言葉で私たちの危機を気づいて、助けてくれたなんて」


「ええ、そうですね」


 冷淡に返したグレンは、「もう寝ますよ」と言うと早々に寝袋へ入っていった。



 そのころ、ギルとクレアは街へついており、張り付く冷気に顔をしかめながらすすんでいた。しばらく進むと、ベルク公爵の屋敷が見えてきた。

 どっしりとかまえたたたずまいは、闇の中でもおいそれと領主の家だと判別することができた。しかも、今日は月も星も出てはいない。天が我らを味方したとギルには感じられる。

 少し遠くから門番をみてみると、何度もあくびをしている。潜入することも容易に思われた。刺客を放っていたから、警戒されているのかと考えていたが、そうでもないようだ。

 ギルとクレアは、ソロモンから渡された見取り図を手に屋敷につながっている地下水路へ入る。水の流れる音と足跡だけがひびき、どこか不気味に思えてクレアはギルの腕を取った。


「女慣れしている男は、嫌いではなかったか」


 いたずら心を灯してギルが詞をつむぐと、どもらせながらクレアは朱のさした頬をかくすためにうつむかせる。


「こ、これとそれとは話がべつよ! こわいとか、そんなんでもないけれど」


 つよがるクレアも可愛いけれども、いつもの強気なクレアもいいなと考えてしまう。「なによ!」と真っ赤に染め上げられ上目遣いをしてにらむクレアを見てしまい、声をこぼしてわらってしまう。


「な、なんなのよ」


「なんでもない。ただクレアって、かわいいなと思っただけ」


 火が出るほど赤くなってクレアが「からかわないで」と返せば、「本心だよ」といわれてしまう。ますますいたたまれない。にらんでも、ギルにはちっとも効果が無かった。

 不機嫌なクレアを適当にあしらいながら、地下水路の先にある屋敷内へたどり着く。ソロモンが示した、ベルク公爵が持ち去っているのであればかくしているであろう「執務室」を訪れた。あさったとはばれぬよう、細心の注意をはらいながら本棚や机の引き出し。はたまた隠し扉がないか、金庫はないか。引き出しは二重底になってはいないかまで、しらべたが何も無い。


「ここではなく、別の場所という可能性は?」


「あるにはあるが、どこが適当であろうか」


 クレアの問いにギルは、見取り図をひらいてランタンで照らし出す。宝物庫も考えたが果たして、わかりやすく保管するであろうか。


「とりあえず、疑わしいところを探そう」


 ギルの決断に従いクレアは、彼の進む場所の部屋は調べ上げた。肝心の宝玉は見つかりやしない。


「家臣達が起き出す前に立ち去ろう」


 時間をかなり使ってしまっていて、夜明けが近いものだからギルがそっと告げた。ふたりは地下水路へと降りて、足早に天幕テントを張っている森へ向かおうとしていたが。


「こそこそと嗅ぎ回っているのは、お前等か」


 澆薄ぎょうはくであるけれども、大人の女性らしい声が静かな水音に混じってひびいた。


「おやおや、このような場所で美しいご婦人と出会えるとは、神も面白いことをしてくださいますね」


 諧謔かいぎゃくをふくんだ言辞が、ギルの唇からながれた。されど、クレアは気づく。ギルの目は、ひとつも笑っていない。


「戯れ言を」


 顔を覆った女は短剣をとりだして、ギルに斬りかかる。軽やかにギルは、クレアの前に立つと小刀ナイフで撃をうけとめる。二度、三度とくらわされるが、それらすべてを軽妙な動きでうけとめたうえに笑みすら浮かべていた。


「そのつら、気に入らぬ」


 どこか色香をまとった声が地下で反響すると同時に、刃の音がかさなりあう。


「残念。俺におとなしく追従するのであれば、見逃してやらんこともないぞ」


「ふざけるな!」


 女性にしては雄々しい声が発せられた。共に右、左、下と次々に撃を加えられる。


「この身を捧げるのは、クリス様のみ」


 凜然と女が言ったけれど、ギルは軽く鼻でわらう。


「そうか、なるほどね。あんたがつかえている主君が誰か、わかったよ」


 薄気味悪い笑みをギルがうかべると、女のうごきがにぶる。そこをついて、小刀に力を込めると女を水の中へ落とし込む。たちまち、あわだち水の柱が上がる。

 クレアの華奢な腕をとると、ギルは地下水路を抜けてセシリー達の元へかえった。

 残された女は、水をしたたらせながら立ち上がって奇妙な顔つきをする。


「ああ、してやられちゃったの?」


 湖でグレンやギルと剣を交えた男があらわれて、たわぶれな声色で女につげた。女は忌諱な感情をかくすことなく、ぺっと水を吐き出す。


「いやな思いをしたばかりだというのに、いやな顔を見てしまった」


「ひどいな、イザベッラ。女はみな、俺の顔を見ると頬をあからめ黄色い声をあげてくれるのに君ときたら」


 イザベッラと呼ばれた女は、うんざりした表情をうかべ水を吸った布を絞る。音を立てて水が流れると、男は愉快げに「ぜんぶ、ぬいじゃえば」と名案とでもいいたげにつげた。イザベッラは我慢できなくなって、男を軽くなぐりつける。


「いったいなあ、そんな暴力的だと男に嫌われちゃうぞ」


「よく回る舌を切り刻んでやろうか」


 短剣を手にとってわらうイザベッラに降参して、口を噤めば軽く品のある足音が場違いにもひびいてきた。馬車をおそい、グレンと剣を交えた少年であった。


「まったく、お前達はいったいぜんたいどうして、いつもばかりをするんだ」


 言葉とは裏腹に楽しげにつむがれた言辞に、男もイザベッラもわらって「すみません」とかえした。


「お前達といると退屈しないな。それで、マーセル。なにかわかったのか」


 男マーセルに向かって少年が問うと、騎士らしく跪いて頭を垂れた。


「はっ、やはり城の人間も王位継承者の証がどこへ消えたのか知らぬようでした」


「そうか、ならば城の人間よりもはやく見つけ出さなくてはなるまい。正当なる継承者は、僕なのだから」


 マーセルにくらべて一回りもちいさい手を、少年は握り締める。おさなさの残る顔立ちであるのに、重い何かを背負う表情は、子どものそれでは無かった。

 金色の髪はさらりとゆれ、青い瞳には影がたゆたっている。


「でも、残念だったなあ。最強の騎士とうたわれるレイヴァン殿と剣を交えてみたかったのに」


 残念がるマーセルに、少年は苦笑を浮かべる。


「そのうち、いやでも交えることになるだろう。心配するな」


「はは、そうですね。王子」


「まだ王子ではない。クリスと呼べ」


 マーセルは、たちあがると少年の髪をかき混ぜた。せっかくの美しい髪が、台無しである。


「はいはい、クリスさま」


「お前のそういう子どもあつかいをするところは、嫌いだ」


 言い合いをしながら、屋敷へ戻った。イザベッラは、侍女たちとともに浴室へ姿を消してしまう。背を追おうとするマーセルを少年は止めた。


「まさか、共に浴場へ行こうなどとしないよな?」


「え、まさか、しませんよ。クリスさま」


 冗談めかしてマーセルは、言ったけれど気を抜けない。この男は、なんどか女を部屋に連れ込んでいる。


「たのむから、僕の品格をおとすようなことはしないでくれ」


 マーセルは端麗な顔を少年に近づけて、女性を口説くかの素振りで顎を持ち上げる。


「なら、男同士で親睦を深めますか」


 ぞわりと少年の背を何かが走る。手をかるくはたいて「遠慮しておく」と背を向けて歩き出す。マーセルはついて行きつつ、何度も迫ったが、けっきょくは断られてしまうのだった。

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