第三章 ちいさな芽生え

 かじかんだ指先をあたためるように、カップを覆って持つ。それでも、細い指先は陶器が音を立てるほど震えていた。


「大丈夫ですか」


 向かい合って座っているマリアがロイスに声をかければ、「ええ」と答えながらも震える。

 外はとうぜん、冷えるので城内の客室で11時頃のお茶時間イレブンジズを飲んでいたのだが、ロイスは部屋でも冷えるのだろうか。たしかに、朝晩は凍えるが昼間はあたたかい方であるはずだが。


「何か気になることでもございますか」


 めり込み気味にかさねられる問いにロイスは、あきらか動揺をみせる。同じく席に座り紅茶を飲んでいたソロモンがゆるりと微笑んでマリアをながめた。


「姫君、あまり尋ねるのはよろしくございませんよ」


 答えづらいでしょうとも紡がれて、マリアはかるくロイスに頭を下げる。


「申し訳ございません」


「いえ、姫に頭をさげさせてしまうなど、こちらこそ申し訳ございません」


 返してロイスは、以前に紅茶の中に毒が入っていたことがあり紅茶を飲めなくなってしまったのだという。それから、紅茶は口にしてはいなかったと答えたのでマリアは、近くで控えていたビアンカにハーブティを用意するよう告げた。ロイスは「わざわざ、申し訳が立たない」といったけれど、ロイスにも肩の力を抜いてもらわなくては話もろくに出来ぬと考えて用意させた。


「紅茶ばかりでなく、たまにはハーブティも良いですし」


 マリアがにこやかに綻ばせて告げると、ロイスの瞳にわずかな光が産まれる。その間にビアンカは、お茶の蒸らし時間になって紅茶を片付け始める。


「手間になってしまってごめんね」


 マリアが耳打ちするとビアンカは、花が咲くように笑み「とんでもございません」と答えた。やがて、五分ほどたつとビアンカはマリア、ロイス、ソロモン、レイヴァン、レジー、エリスの順にハーブティをカップにそそぐ。

 ふわりとたつ香りにエリスが頬をゆるめた。


「レモングラスですね。消化を助けてくれるだけでなく、抗菌作用や抗炎症作用があるといわれています」


 また檸檬れもんと同じ香味成分シトラールが含まれているため、さわやかな風味があるとも紡いでエリスは嬉しげに口に運ぶ。


「わあ、エリス様は本当に物知りですね!」


 素直におどろきビアンカがいえば、エリスは「いえいえ」とかえした。


「“あるじ”のためだと思えば、なんてことございません」


 と、続けたあとでエリスは「様はつけなくていいのですよ」とつむぐ。けれど、ビアンカはゆずらず「いいえ」とかえして、それが普通になってはいけないからと申し入れを拒絶する。意外にもかたくなな意志を読み取るともうなにもいわなかった。


「……おいしい」


 エリスのとなりでレジーがぼそりとつぶやく。ほとんど言葉を口にしない彼が言うのだから、間違いなさそうだ。


「エリスのいうとおり、檸檬れもんの香りがしてすっきりするね」


「はい! さらに抗うつ効果もございますので落ち込んだときに飲むのも良いとされていますよ」


 楽しげにエリスがいえば、ロイスも一口飲んでほっと息を吐き出す。


「いかがでしょう。お口にあいましたか」


 おずおずと尋ねるビアンカに、ロイスは「ええ」と短くこたえた。


「それは、よかったです」


 ロイスの瞳にまた光が戻り、一口また二口とすする。


「そんなに気に入られましたか、ロイス卿」


「ええ、とても。ハーブティはあまり好みではなかったのですが」


 ぽろりとこぼした言葉に、マリアが青い顔をして焦燥をうかべた。あわててロイスが弁解する。


「あ、あの、飲めないこともないのですが! 今日、こうして飲んでみて『おいしい』と感じました」


「無理していませんか?」


 マリアに「いいえ」と首を横に振り、「ビアンカがいれたからかもしれません」と瞳にビアンカをうつす。ビアンカは頬をうれしげにあからめ、「ありがとうございます!」といきおいよく頭を下げた。すると、がんっと音がしてテーブルが揺れる。


「わっ、ビアンカ、大丈夫?」


「だ、大丈夫れす……。それよりも、申し訳ございませっ……」


 マリアの問いに答えながら、またいきおいにまかせて頭をさげるものだから、頭をうちつける。次は足下がふらついてテーブルの脚にぶつけてしまう。ついには、少しずつ後ろに下がっていく。まずいと思い、マリアが立ち上がって手を伸ばしたけれど、すりぬけてビアンカの体が後ろにあった花瓶とぶつかろうかというとき。

 さすがに見てられないとレイヴァンとソロモンも立ち上がっていたけれど、彼らの出る幕はなかった。


「大丈夫ですか?」


 あたたかな体温を感じるとともに、ふってきたやわらかい声にビアンカは水宝玉アクアマリンの瞳を瞬かせて、視線を声の主へやれば白い頬に朱がさした。


「ふ、フランツさん!? もっ申し訳ございませんっ。すぐに退きます」


「あはは、大丈夫。あわてないで」


 声の主であるフランツは優しく告げて、ビアンカの体をやんわり離してマリア達に向き直る。


お茶時間ティータイム中に申し訳ございません」


 かるく頭を下げて切り出すフランツに、レイヴァンの双眸が険しげに揺れた。低い声で「なにかわかったのか」と尋ねれば「はい」と答えが返ってきた。


「ベルク公爵はどうやら、少しずつではありますが自身に味方する者らを集めているようです。それから、間者を王都へ送り込み、民をそそのかしたりもしているそうです」


 マリアの体中を痛憤がめぐる。おさえようとも固く閉ざされた拳が怒りで震え、隠しようもなかった。ソロモンはいやに冷静でちいさく鼻を鳴らした。


「どうやら、謀議をめぐらせているようですね。彼のねらいは、王位か」


「なぜ、王位にそこまで執着する?」


 マリアの唇からつぶやかれた。


「いつの世も、我こそはと王位をねらうものはいるものです。けれども、ベルク家は少し特殊なのです」


 不審げに尋ねるマリアに、ソロモンが口を開いた。


「ベルク家は執政官、つまり政治を執る役人の家系です。なので自分こそが、この国をおさめるべきだと言い出しはじめまして」


 貴族の称号の剥奪も安易にできず、まだ公爵として名を連ねているらしい。コーラル国に王都が乗っ取られたときは、早々に寝返っていたらしく国を取り戻すために兵を動かすこともしなかったらしい。

 なやましげにするマリアにレイヴァンが「いかがなさいましたか」と声をかける。


「いっそのことわたし自らが彼の領地へ赴いてみるのはどうだろうと思って」


 意味を理解するのに数分とかかってのち、慟哭に似た声がとどろいた。


「みずから敵の巣に飛び込もうなど、えさになるだけですぞ!」


「レイヴァン様のいうとおりです! あなたさまには、まだ自覚が足りないのですか!」


 真っ先にレイヴァンが、あとからたちあがってエリスが詰め寄る。


「いや、わたし自らが民と会話をすれば彼らの考えも変わるのではないかと思って」


 歯切れ悪いマリアにソロモンが声をあげてわらう。ロイスは呆然として、まだ幼い王女を見つめていた。


「おい、ソロモン。お前だってマリア様に外へ出るなと警告したばかりだろう」


 レイヴァンが苛立ちをそのままぶつければ、ソロモンは残りのハーブティを飲み込むとたちあがる。


「けれども姫様でしたら、おおかた言うだろうとは思っておりました」


 お前だって気づいていただろう。紡がれれば、レイヴァンは納得はしていない様子だ。いっても良いのだろうかとマリアは胸を弾ませるが、ソロモンも良い気はしないらしい。


「あのような地へ姫を送るなど、危険きわまりないですから」


 たしかに納得できるけれども、その程度で崩れるほどやわい気概でマリアは言っているのではない。


「わかっている。けれど、出来ればあらそいはさけたい」


「たしかに、内乱こそもっともちいさいうちに沈めた方がよいでしょう」


 賛同に似た意見をソロモンが出したものだから、マリアとレイヴァンはお互い別の意味で体を乗りだした。


「だから、エリス。ダミアンとともにベルク公爵が治める地へおもむき、できるだけ市民と関わってきてはくれないか?」


 むろん自身がマリアに仕える者だと強調することも忘れぬよう告げる。エリスはハーブティを飲み干して、部屋を出て行った。


「レジーには、エリスの代理として副監察官とするがいいか」


 ハーブティをすすっていたレジーは、「いいですよ」と即答した。


「それで、監察官ってなにすればいいの?」


「いつもどおり、周りでおかしいことがないか気をつけてくれればそれでいい」


 ちいさく笑ってソロモンが答えると、レジーは「わかった」といってマリアを見る。マリアの護衛について考えているのだろう。今までは、おもにレジーが木の上などからしていたが、側を離れることがあるかも知れないと疑惧しているようだ。


「ああ、姫様の護衛ならクライドとジュリアに頼むつもりだ」


 すると、聞いていたかのごとくクライドがノックをして部屋に入ってきた。


11時頃のお茶時間イレブンジズ中に申し訳ございません」


 かるく頭を下げて形式的にクライドは口にした後、ヘルメスが乗っていたと思われる馬車が傷だらけで見つかったことと、そこに紙切れが残されていたことを告げて泥がついた紙を広げてみせた。布で拭いた後もあったので、もとはさらに泥でまみれていたことだろう。

 マリアは近寄り、文字を読み上げる。


「ブラッドリーや他の研究者が欲していたバートの研究データの在処をついに見つけた」


 続きをと文字を追ったけれど、先はどろにまみれて読むことは出来ない。


「これ以上、この泥を落とすことは出来ないのだろうか」


「試みてみましたが、ここまでが限界でした」


 と肩を落としたマリアを見てクライドは、悲しげに目を細める。たまさか、クライドはマリアに手を伸ばしたけれど触れることもなくグッと握り締めて言葉で伝えた。


「尽力をつくして仲間をさがしだします。ですから、どうか信じて待っていてはくれませんか」


「もう助けにいくなんて、わがまま言わないよ。それは皆を困らせてしまうだけだから」


 マリアは頬笑みを浮かべて「信じるよ」と告げた。そこへ、ソロモンが割って入って「申し訳ないが」とつむいだ。


「クライド、ジュリアと共に姫様の護衛にまわってはくれないだろうか」


 簡単に説明をすれば、クライドは「了解しました」とかえしてマリアの手を取る。


「ヘルメス殿の情報もすぐ姫様にお伝えしますので」


「ありがとう。けれど、わたしの護衛もあるのに大変ではないか」


 とんでもない、姫様のお役にたてるならと告げた後でヘルメスの捜索は兵達が行っているからとも言ってうやうやしく頭を垂れる。


「我が君をお側でお守りする光栄をやつがれにあたえてくださったこと、うれしく思います」


 ギルといい度を超しているとマリアは思って、声をもらして笑う。


「それは言い過ぎだよ、クライド。わたしはまだ、なにも持たぬ愚かな娘のほかならない」


 それほど思われることは何もしていないと、悲しげにつぶやかれるとクライドが顔をぱっと上げて否定の言葉を口にしかけた。しかし、それよりも先にソロモンが立ち上がって言葉をつむぐ。


「では、姫君。なにを以てして何も持たぬと言う?」


 はかない笑みを携えてマリアは、「決まっている」と答えをかえした。


「わたしには何もない。皆からあたえてもらうばかりで、自身ではなにも出来ない」


 今ある身分は親からのものであって、自身の実力ではない。剣や弓の技倆うでは、レジーとレイヴァンに教えてもらったものであるし、戦の策においてはすべてソロモンにばかり頼っているからと続かれれば、ソロモンが口許をほころばせる。


「さすが……」


 つぶやかれた言葉はマリアには、とどかなかった。


「いえ、なんでもございません。しかし、人というものは初めは何も持たぬものです。だれかに教えられることによって得ていくものですよ」


 自身をそこまで卑下することはない。ソロモンにマリアは苦く笑う。なおも、卑下するマリアに「それでは」と凛とした声をひびかせてつげた。


「あなた様に準ずる我々も、“愚かな人間”ですな」


「何を言う! みなは、立派ではないか」


 武器もあつかえ、最善の策を弄してくれる。右に出る者がいないほど強いのだからと清廉とした瞳で言うとロイスは驚きと尊崇の瞳で王女を見つめていた。むろん他の皆は予想がついた言葉であったため、驚きはせずに微笑を浮かべる。


「けれど、姫君。あなた様があなた様を卑下すればあなた様と“道”を同じくしようという我々も愚かな人間となるのですよ」


 ソロモンの言辞がいたく胸にとどろいて、マリアは胸元の石をにぎりしめる。


「すまない、言動には気をつける」


「それでは、わたくしは問いましょう。あなた様が思われる“おのれ自身”の武器とはなんですか」


 いつだっただろうか、ソロモンは言った。守人達は、おのれ自身の武器で戦えると。ならば、わたし自身に武器などあるだろうかとマリアは、考えてなまりのように体が重くなった感覚に襲われる。


「武器……」


 わからない、というよりも“ない”とマリアには思われた。だから、こうして自身は何も持たぬ愚かな娘だと言ったのだ。


「自分自身で自分のことを客観的に見極めなければ、得られるものも得られません。当面、あなた様の課題は“おのれ自身”の武器を見つけることですね」


 ゆっくり考えて見つけてくださいとソロモンは告げると、部屋を去って行ってしまった。あきれさせてしまっただろうか、とマリアが落ち込んでいるとクライドが立ち上がり薄い金の髪を指で絡め取る。天上にかがやく光を反射する髪は、絹糸を連想させるほど細くしなやかであった。


「あなた様は、我々をここまで導いたのに自身の魅力は何一つわかっておられないのですね」


 クライドのくちびるから、旋律にも似た声でつむがれる。


「けれど、わたしには本当に何もない」


「そうかな? すくなくとも、オレはマリアに惹かれてついてきた」


 マリアにレジーが、告げる。マリアなら、何かが変わると信じてここまで付いてきたともつむぐ。ひょうひょうとした表情をほころばせて、マリアに熱い視線を送る。


「わたしは、まだ何も成し遂げてはいないよ」


「違うよ、マリア。マリアという“しるべ”がなければオレ達は動けない。マリアのどんな小さな願いもオレが叶えてあげる」


 レジーがマリアに近寄って手を取れば、レイヴァンがわずかに不快げに眉根を寄せた。


「マリアがオレを頼りにしてくれて、自分が自分にとってどれほど価値のあるものになったと思う?」


 室内の空気がふるえたと感じるほど、レジーの言霊が“風”を通してびりびりと心に伝わる。口跡が真剣そのもので、いままでうかがえなかった彼の心をすこしのぞいた気分になった。


「わたしもです!」


 ビアンカは声を張り上げたのち、皆の視線を一斉にうけてしまっておずおずと自分らしい言葉で表現した。


「わたしも、姫様に救われて、わたし自身の価値が変わったように思ったのです。手をさしのべてくれたのは、姫様だけでしたから」


 レイヴァンも「そうですね」とつぶやいて、微苦笑を浮かべる。自身が戦におもむくときに泣いてくれたことや仲間を守るために武器を持つと決めたこと。また自身もマリアによって命をすくわれたことを思いかえして「これほどのことを成し遂げていながら、なにもないとおっしゃるとは」とつげた。


「そうです! 姫様は、ここにいる誰にも持ってはいないものをもっているのですよ」


 嬉々としてビアンカはいい、周りに花が咲くのではないかと思われるほど笑んで「姫様は、きっと希望なのです」とさけんだ。


「希望……?」


「はい! お父さんがよく言ってました。希望とは、勇気であり意志であると」 


 見失わなければ道もまた開かれるとも紡がれて、マリアは目の前にひだまりに満ちた新たな道が広がっている感覚に襲われる。


「“道”……」


 つぶやいてマリアの瞳がわずか、闘志に揺れた。


「ありがとう、ビアンカ。クライドもレジーも、それからレイヴァンも。すこし、心の角度が変わったみたいだ」


 もう一度、石をにぎりしめて自身の心に問いかける。おのれ自身の武器とは、いったいなんであるのか。


「やはり、まだ自分の武器とは何かわからないけれど」


 城を追われたときから、何一つかわらずに持っているものならあるけれど、それはただの願いであって“おのれ自身”の武器とは言えないとマリアの口跡が紡がれる。


「じゃあ、マリア。その願いを聞かせて?」


 レジーに問われ、マリアはふんわりと笑んだ。


「もちろん、この目に映るすべてを守りたいというわがままな願いだよ」


 そうだ、このお方は口にはせずとも常にねがっているのはそれだけだった。レジーは同時に「欲はなく、自身を悪く俯瞰ふかんする」とつけくわえた。


「姫君、いまおっしゃったことは真ですか……?」


 いままで、黙って成り行きをみまもっていたロイスが口をはさむ。


「ええ、本当です。けれど、願ってもわたしはまだ成し遂げられるほどの“ちから”をもっておりませんから」


 うつろな目にひかりが戻り、ほそい手でマリアの手を取った。


「初代女王の生まれ変わりとのがありましたが、うわさも間違いではなかったということですね」


 おどろいて青い瞳が飛び出さんばかりに張る。


「そのようなうわさがあるのですか?」


 ええ、とかえして口許をほころばせると「なんたる光栄」とつぶやかれた。


「たとえ、あなたが初代女王の生まれ変わりでは無かったとしても、あなたのような考えを持った方と出会えたこと嬉しく思います」


 うれしげにディアナに似た青い金剛石ブルーダイヤモンドの瞳が細められれば、ロイスは息をつまらせてくるしげに一筋の汗を流した。



 あたたかな日差しが窓からさしこみ、思いがけずまどろんでしまい机上で眠り込んでしまってディアナは「ああ、寝ていたのね」とぼやいた。

 まだ報告書が書き終わっていないのに眠ってしまったことを悔いて、ペンをとって書面に向き合う。そのとき、扉がノックされて返事を返せばソロモンが入ってきた。


「あら、ソロモン。どうかしたの?」


 ちいさく笑んでソロモンは、マリアに自身の武器とはなにか考えてもらうよういったと告げた。それから、大切な主君であるから自身で自身のことをわかってもらわなくては。つむげば、ディアナはペンを置いて「ふふっ」とあでやかにわらう。


「ソロモンらしい問いね。はたして、お姫様はどんな答えを導き出すのかしら」


 言ってぐっと伸びをする。まだ眠たいのか青い瞳は、とろんとしていた。


「おつかれのようですね」


「そういうわけでもないのよ。いままでの報告書をまとめてしていただけだから」


 土嚢のように積み上げられた報告書の一枚を、ソロモンが手にとってながめる。


「ひとつ、聞いてもよろしいですか」


「ええ、もちろん」


「ディアナ様の思う、姫様の武器とはなんだと思われますか」


 ディアナは目を瞬いたものの、淑女の表情になって「決まっているわ」とかえして「あなたもわかっているでしょう」と告げた。ソロモンは「ええ」とこたえて「もちろんですとも」といった。


「だからこそ、姫様には“道”をしめしていただかなくては」


 ともに来たかいがないというものだとも、つづかれてディアナは微苦笑をうかべる。そして、立ち上がるとゲルトが用意してくれていたティーセットで自分の分とソロモンの紅茶をカップにそそぐ。

 ディアナよりさしだされたカップをとると、ふわりとたつ香りになつかしげに瞳を細めた。


「プリンス・オブ・ウェールズですか。ニクラス公爵閣下が好きでしたね」


「よく覚えているのね。そう、夫が好きな紅茶」


 いとおしげにカップの中をながめ、ディアナは表情をゆるませる。それが、ぱっと策士の表情にかわった。


「ところで、ソロモン。気になっているのだけれど」


 怪訝な顔つきになったソロモンをほうっておいて、ディアナは多量の紙の中からなにかをさがしあてようとひとつひとつ見ていくが、肝心の物は見つからないらしい。ひらかれていた窓から一陣の風が吹き込めば、たちまち花びらの如く紙が舞い上がる。さいわい窓の外へ出ることはなかったが、床が紙で埋め尽くされてしまう。


「ああっ……!」


 ソロモンも手伝って紙を拾い始めた。


「ありがとう、ソロモン。ごめんね」


 礼と謝罪を同時に言われて「あやまる必要は何一つございませんよ」とかえして、二十枚ほど紙が集まるとと机の上でまとめる。また散らばった紙を集め始める……といった作業を繰り返していると、あるひとつの紙に目をうばわれた。


「ディアナ様、これはいったいどういうことですか?」


 今度はディアナが不思議そうにしてソロモンの手に持つ、紙面に視線を走らせた。


「そう、これを探していたの」


 紙には、民に対等な立場で無ければならない神殿の祭司ドゥルイドがベルクから裏で金銭を受け取り、“クスリ”をうりさばいているようすをつぶさに記されていた。


「ゲルトにいって、秘密裏にさぐらせていたことのひとつなのだけれど、気になってね」


 神殿は古くからあるもので、初代女王ではなく妖精ファータをうやまう場所であった。そこには、祭司ドゥルイドとよばれる者がおり、初代女王がこの地を統治するまでは、この者が宗教的指導のみならず政治も彼らがおこなっていたという。また“ドゥルイド”とは、いにしえの言葉で“オークの賢者”という意味がある。それは、古くはオークに特別な力があると信じられてきたことに由来する。


「もし書かれていることが真実であれば、たいへんまずいことになりますね」


 神殿には、騎士であり修道士である神殿騎士というものもいる。つまり、武力をもって対抗する手段が神殿にはあるのだ。


祭司ドゥルイドは、王権をねらっているのでしょうか」


 つぶやきにディアナは目を伏せる。


「ありえなくは無いでしょう。ベルクがそそのかしたのならば」


 マリアに似た青い金剛石の瞳がするどく光る。視線をうけてソロモンは、眉根を寄せた。


「もしそうであるならば、国民が祭司ドゥルイドにしたがう可能性もある」


 なやましそうに告げるソロモンの瞳が、夜陰の如く暗くなってしまう。


「それとね、ソロモン。あなたにばかり重荷を背負わせてしまって悪いのだけれど……」


 おずおずとディアナは口をひらいて、「どこにあるかしら」とつぶやきながら紙をめくっていく。せっかく、なおした紙の山がまた床の上へ散らばった。


「……ディアナ様」


 怒気のこもった声色でよばれれば、さすがにディアナもまずいと思い、「ごめんね」とかえしながらも紙を散らかしてゆく。なかばあきらめて、ソロモンが紙をかたづけると共に資料の内容を確認していけば今度は奇妙な内容に目をとめる。


「夜空に三つの光が走った?」


「ソロモンは資料を見つける天才なのかしら? 私が見せようと思っていた資料はそれよ」


 周りに花を咲かせて素直に驚くディアナよりも、資料に気がいってしまってソロモンはつぶさに読み込む。資料には、正当王位継承の夜会が開かれる前に夜空に三つの光が居城から昇ったという民からの証言が書かれていた。日付は二日前で、三つの宝玉がぬすまれたとされる日。……その日の夜半すぎ、ベルクが王位継承の証が無事であるか確認すると保管してある部屋に入った日だ。

 夜空に白い光と蒼い光、それから濃い緑の光がみえたと夜に仕事をしていた者等が証言したそうだ。


「宝石と色が酷似しているのは、偶然でしょうか?」


「不思議よね。もしかして、あの宝石も初代女王ゆかりのものなのかしら?」


「しかし、守人達は何も知らぬと申しておりました」


 守人達も初代女王の当時を知っているわけでは無い、と言われればソロモンは押し黙る。


「そういえば、ソロモン。体は大丈夫なの? いまさらだけれど、たおれたと聞いて」


「ええ、ご心配をおかけしました」


 ソロモンの答えにしばし、ディアナはだまりこむ。少し考える素振りをしたあと、心の底まで見透かすような視線をソロモンにあびせた。


「ファーレンハイト家は公爵の中で、もっとも古くから王家につかえていると聞くわ。ねえ、ソロモン。もしかして、初代女王につかえていた家系ではないの?」


 翡翠の瞳がひややかにディアナをみつめた。けれども、それは刹那に似た時間ですぐに仮面を作り上げる。


「さあ、わたくしにはなんとも」


 聞いたこともございません。ディアナは「ごめんね」といって床に散らばった資料を集め始めた。

 数刻がたって、報告書が攻城櫓のように積み上げられれば、ソロモンは「失礼します」と部屋をあとにした。そのとき、部屋に入っていくゲルトとすれ違う。


「いったい、なにを隠されているのですか」


 すれ違いざまにゲルトの唇から疑問が発せられる。ソロモンはあっけらかんとして「なにも」とかえしたのだった。ゲルトは納得のいかない表情のまま、扉をノックしディアナの部屋へ入る。

 ソロモンは廊下を進みながら、うかんだ言葉を口にする。


「微妙、微妙、最高の境地は何の形も無い。神秘、神秘、最高の境地は何の音も無い」


 兵法の一部をつぶやいたのち、窓から空を見上げた。


「守るときは、地の底の底にひそみ隠れ……」


 まばゆいばかりの太陽は、ソロモンの心までもあかるく照らしだしたりはしなかった。


「攻撃するときは、天界の上の上で行動する」


 木霊が刃のようにひびいた。

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