第二章 籠の鳥
目には見えない重い枷で縛りつけられていると錯覚を起こすほどに、ソロモンは専断的であった。普段であれば、説き伏せるレイヴァンをソロモンがなだめる役割で、結局は自身の願いを聞いてくれる策士であるのに今回に限っては偏屈だ。
「しかし……」
伏せられていた空の瞳が、上を向き私見を口にしかけたが次の言葉にかき消された。
「王位継承者の証が破壊され、三つの宝玉が奪われておりました。あなたの命を狙っている者がいる可能性が高うございます」
城下へ出るのも控えてください。諫言されれば十四になったばかりの少女は、長いまつげを再び伏せて手や肩を震わせている。さすがにレイヴァンが何か言おうと口を開いたが、エリスに止められた。
そもそも“あるじ”が城の外へ出ること自体が許されない。いつもはおとぼけて、マリアが外へ出るのを見逃してきたソロモンが言うのだからよほどなのだ。エリスが目でうったえる。レイヴァンは言葉を失い、まだ幼い“あるじ”を黒い瞳にうつす。
青い瞳が湖のごとくたゆたい、迷っているのがうかがえる。その視線がわずかに動いた。
「わかった。しばらくは、控える」
ようやく絞り出された声にソロモンは、温かい吐息を零して「聡明で助かります」と告げられる。やがて「ヘルメスの捜索は続行します」と言って絹の外套をひるがえし、部屋をあとにしようとしたソロモンであったが、たった今、思い出したかのように「そうそう」とつぶやいた。
「“姫君”が城を出ないように見張るよう、兵士には言っておきましたが“少年”が出ないようにしろとはいっておりませんでした」
青い金剛石の瞳がきらめく。瞬間ばたんと扉が閉じられて、ソロモンが出てくとレイヴァンがその背を追う。
「驚いたぞ、お前が風切りをへし折るようなことを言うなんてな」
「お前にしては、
にがい感情をふくませたままソロモンが、レイヴァンに返すと「けれど」と続かれて「
「お前としては、不服であったか」
黒曜石の瞳が迷いを見せた。大切に守りたい気持ちと外へ出したい気持ちで揺れているのだろう。
「四方を檻で囲まずとも、風切りを切らずとも、姫君を傷つかせない。そのためにここにいる」
広い窓から大空を見上げてソロモンが言った。空では白い羽をはばたかせて、名前もわからぬ鳥が飛んでいく。
「なんのために、“姫”だと公表したと思っているのか」
“あるじ”に自覚をしてもらうためとレイヴァンは、つぶやいて押し黙る。もう一つの理由を、言葉にすることはためらわれた。
「“おとり”」
ソロモンの唇から、なめらかに言葉が発せられる。
「端からベルク公爵が何か企んでいることだろうとは、予想が付いていた」
黒い騎士は、ただ黙っている。
「暴動を起こしているのは、ベルク公爵がおさめている領土だ。それに昔からであるが、やつは王を失脚させるつもりだ」
領民には、いい顔をして王がどれほど
「ある意味、宗教みたいだな。耳障りの良い言葉を並び立てるのだから」
レイヴァンはじっと友の言明をきいていたが、黒い瞳をわずかにふせてつぶやいた。
「そのことを知れば、マリア様はどう思われるだろうか」
翡翠の原石をおもわせる瞳がきらめいた。
「おぬしが、一番わかっているのではないか。だが、ベルク公爵閣下に“王の器”など持ち合わせていない」
たとい王を失脚させてマリアを城から追い出すことに成功したとしても、すぐにそれはあらわれる。ソロモンが言えば、黒い瞳に光が宿る。
「そうだな、あの者に“王の器”があるとは思えぬ」
「けれど、姫様にも、はやく目覚めていただかなくてはなるまい」
ソロモンのつぶやきにレイヴァンが、眉をひそめて問いかけたが、かわされて立ち去ってしまう。そのため、言葉の真意を聞くことはかなわなかった。
「正騎士長殿!」
慣れぬ呼び方に反応が遅れたが、振り返ると衛兵の一人がひざまづいて
衛兵を下がらせたうえで、王の部屋へおもむき、衛兵が告げた内容をそのまま告げると王は頭をかかえる。
「先代もそうだった。ベルク家はいつも、
貴族の称号を剥奪できないのだろうかとレイヴァンは、口に仕掛けたが噤む。そんなことをすれば、領民が「やはり王は愚蒙なのだ」と暴動が大きくなりかねない。彼の手が及んでいない土地の者までも、騒ぎ出しかねない。人はいつも噂の奴隷なのだ。
「“継承者の証”もベルク公がおこなったことなのだろうか」
つぶやきともとれる王の言葉に、レイヴァンは首を振る。
「わかりかねます。証拠がございませぬ」
王は答えたわかい正騎士長に首飾りは、鍛冶屋に頼んで急ぎ新たに打っていることと、三つの宝玉を探し出すよう告げる。
「勅命、承りました」
「わかっていると思うが、今回はおぬしには城にいてもらいたい。おぬしがいなくては、国が傾きかねん」
王の言葉に「大言過ぎます」とかえしたけれど、王は真剣そのもので、ひとつも揺るぎが見られなかった。
「大言ではない。マリアもお前を必要としている。それは紛れもない事実であろう」
王がふいにひとりの人の顔になって、レイヴァンと視線をあわせる。
「近いうちに内戦が起こるやもしれん。覚悟はしておいてくれ。それと、おぬしの“欲しいもの”はまだ聞けずじまいだった」
レイヴァンが顔をあげたとき、王の瞳がうれいをおびた。
「マリアが欲しいのか」
王の口から滑り出た言葉に、多少なりともレイヴァンは驚いて胸が弾んだが、次に出た言葉に絶念してしまう。
「すまない、レイヴァン。おぬしにマリアを嫁にやるわけにはいかぬ」
正騎士長という身分を以てしても、けっきょくは受け入れられないのかとレイヴァンが喪心していると、王の口からは、まったく別の言葉が出てきた。
「決しておぬしを、信頼していないわけではない。ただ『パーライト』の枷を、マリアにはめるのが忍びなくてな」
黒い瞳にわずか驚きと悲憤とがまざってゆれ、感情が
「知っておられたのですか、わたくしの両親のことを。知っていてだまっておられたのですか」
「クリフォードがおぬしをあずかったときから、聞いていた。すまない」
問い詰めたくなる衝動をこらえ、レイヴァンは「失礼します」と言うと足早に部屋をあとにした。臣下としていただけない態度であることは、レイヴァン自身がわかっていたが、それ以上に感情があふれて止まらなかった。
部屋へ戻るとレイヴァンは、マリアから手渡されていた日記帳を強くにぎりしめる。
「けっきょく、この血は俺にとって“呪い”でしかない。命をねらわれ、愛する人とも結ばれない!」
さらに、“血筋”のせいで両親は死んだようなものだ。
「くそっ!」
ふだん、いさめる言葉を口にしたり、ソロモンやギルの軽口にも返せるおだやかな彼からは、想像も出来ないほど、きたない言葉がこぼれる。同時に日記帳が、床にたたきつけられた。
「レイヴァン……?」
最悪だ、とレイヴァンは思った。どうやらマリアが、レイヴァンのようすがおかしいと思い、部屋をなんどかノックしたが、答えが戻ってこずはいってきたらしい。
てっきり、部屋どころか城にはいないと践んでいたのに、ソロモンに注意されたばかりであったからか部屋にいたようだ。
「申し訳ございません、お見苦しいところをおみせしました」
形式的に口にすると、マリアは床に落ちた日記帳を拾い上げて、ほこりを軽く落とすと差し出す。
「いいや、そんなことは気にしていないよ。それより、これを粗末にあつかってはいけないよ」
「けれど俺には、あまりに重すぎる」
レイヴァンの言葉に青い瞳が、大きく見開かれる。
「そうだろうか、カバンにすっぽり入ったし、レイヴァンの持つ剣よりも軽いよ」
「いえ、物質的な量ではなく――」
騎士が発しようとした言葉は、マリアの一言に砕かれた。
「けれど、あたたかい。ひだまりみたいで、開くと太陽のかおりがする気がするんだ」
ようやく、無骨な手が日記帳を取る。青い金剛石の瞳が細められ、慈しみに満ちた微笑みを浮かべた。
「うん、この日記帳はレイヴァンの側が落ち着くって言ってる」
無骨な手が我知らずうちに、マリアへと伸ばされて抱きしめていた。マリアがちいさく、騎士の名をよべば、レイヴァンは胸中にあるものを、何一ついつわらずに言葉にした。
「俺はあなたの側が、なによりも落ち着きます」
「わたしも、レイヴァンの側は落ち着くよ。なにがあったのかは聞かないけれど、わたしはレイヴァンにあきらめないで欲しい」
レイヴァンが幸せでなければ、自分も幸せにはなれないからと唇から発せられれば、ほろ苦い表情を浮かべたままレイヴァンが首筋に鬱血痕をつける。再度、マリアが名を呼ぶと黒い騎士は、にやりとした。
「そうですね。こんなくだらないことで、あきらめたくない」
目を瞬いたマリアであったが、黒い瞳に光が宿ったのを見て愁眉を開く。
「よかった。いつものレイヴァンにもどって」
安らいだ吐息と共にマリアがつぶやけば、レイヴァンはふいに腕をほどくとうやうやしくかしづいた。
「マリア様、俺はあなたが――」
勇を鼓して自分の思いを告げようとしたとき、あわただしく兵が入ってきて「申し上げます」と口にした。憂鬱げにレイヴァンは、たちあがると兵の言葉に耳を貸した。
「カルセドニー国より捕らえた者達が来る予定でございましたが、捕虜が牢獄にて全員、自害をしたとの書簡がとどきました」
「なんだと」
書簡を手渡され開いてみると、カルセドニー国皇帝バハードゥルからのものだった。兵が告げた内容が書かれていた。
「下がれ」
兵に一言、告げれば足早に部屋を出て行く。ばたんと扉が閉じられると、けわしい表情を浮かべてレイヴァンは小さく毒づく。
「あと少しだったのに」
マリアもまつげを伏せて考え込んでしまう。
「しかし、“ティマイオス”はなぜ、そこまで隠そうとするのだろう。利用されただけなのではないのか」
“ティマイオス”が、あつめていたという資金も見つかっていない。
レイヴァンも気がかりなことであるのか、顔をふせて考え込む。けれど、それも一瞬で次に顔を上げたときには口元に笑みを浮かべていた。
「いま、考えても仕方ありますまい。王位継承者の証を壊した犯人をさがすのが先決です」
レイヴァンの言うことに賛同して、うなづくと「ヘルメスのことも」とつぶやいた。青い金剛石の瞳が、黒い騎士を見つめる。
「ヘルメスの行方もわからなくなってしまうし、なにか起こっているのだろうか」
不安要素を口にする“あるじ”にレイヴァンは、出来るだけやさしい声色で答える。
「できるだけ、兵をつかってヘルメスの行方も捜してはおります」
なにかあれば、すぐ報告するよう命じてあると答えればマリアは、ほろ苦い表情で息を吐き出した。
「そうか、ありがとう」
先ほど言いかけた言葉ですが、とレイヴァンは口にして言葉を紡ごうとしたが、
窓が外側からひらかれ、ワインレッドのカーテンが妖しくゆれる。
「何の真似だ、ギル」
しずかな
「『我らが王』に呼ばれている気がしてね」
ギルは鼻で息を吐き出すと、マリアにずいと近づいた。
「嘘をついてもわかりますよ、姫君。なにをためらわれたのですか」
すべてを見通され、マリアは返事に窮してしまう。顔は上気していて、朱がさしている。
「というのは、冗談なんですけどね」
知らぬ素振りをしてギルが告げれば、レイヴァンはあきれ、マリアは胸をなで下ろす。
「正騎士長殿、ソロモン殿に頼まれたとおり、一応ですが城内を探してみましたが、宝玉は見つかりませんでした」
城外へ持ち出されていると、ギルが報告すると「やはりな」とレイヴァンは、つぶやいて引き続き宝玉の在処を探して欲しい旨を伝える。
「では、早急に進発することにしますね」
答えてとおりすぎるギルを、マリアが思わずよびとめた。
「待て、ギル一人で行くのか?」
肯定を示すギルにマリアが「危ないのではないか」と言ったけれど、奇をてらわないようすで「大丈夫ですよ」とかえってきた。
「それに、大勢で行うことでもないですし。必ず探し出して来ますよ、“あるじ”」
心配性な『我らが王』を安心させるために、ギルが軽妙なうごきでかしづいて手を取る。
「かならずや、王位の証をあなたさまに」
「なら、せめて見送らせてくれ」
「ありがたき幸せ」
ギルの言辞がいささか度を超していると思ったけれど、彼なりに誠意をしめしているのだとわかると頬笑みを浮かべるだけにとどめる。
ギルは早々に部屋を出て行き、室内はまた二人きりになった。しばし寂寞が満ちていたけれど、マリアが「部屋に戻るね」と言い、出て行こうとしたが、レイヴァンが腕を取って引き留める。
「レイヴァン?」
振り返ったマリアは、動きをとめて息を飲む。それほどまでも、黒い瞳が一意で揺るぎがない。同時にマリアの体は硬変する。
「マリア様、あなたを……」
続きを聞くのがおそろしくて、青い瞳が伏せられてつむられる。無骨な手がマリアの輪郭をなぞった。
「いえ、なんでもありません」
胸をわしづかみされたかの痛みを感じながら、レイヴァンはつぶやき手を離した。青い瞳が悲壮を滲ませて黒い騎士を見つめる。
「なぜ、続きを言わない?」
「あなたに言ってしまおうかと思いましたけれど、それでは、あなたを苦しめてしまう」
返ってきた答えに、マリアはやや困惑した。けれども、ずっと確かめたかったものを聞いておきたくて口にした。
「レイヴァンが部屋に戻ってきたとき、『愛する人とも結ばれない』といったよな?」
どきりとして、レイヴァンは黒い瞳にわずかに焦燥を浮かばせたが「はい」とかえした。
「わたしは『パーライト』がどのような血筋かは、知らないのだけれど、それは“おぬし”を苦しめるものなのか」
「苦しいです、とても」
「じゃあ、わたしは“その苦み”すら忘れるほど、レイヴァンに“信頼”を寄せる。そんなもの、気にならなくなるほどに」
“依存”といっても、過言ではないほどに。マリアは、告げた。レイヴァンは、クライドから聞いた母やクリフォードの言葉ともかさなって聞こえて、胸がえぐられる感覚におそわれる。
はからずも、レイヴァンの口許に笑みが綻ぶ。不思議に思ってマリアが、首をかしげると無骨な手がやわい少女の頬を包み込む。
「本当にたまらない。……あなたが好きです、マリア様」
砂糖菓子よりも甘い表情で言われ、マリアの胸に何かがいっぱいに広がる。それなのに、マリアは感情を押しつぶしていった。
「わたしもレイヴァンが好きだよ。とても、わたしに尽くしてくれて」
レイヴァンの言う“好き”は、主従なのだと決めてかかって、マリアが口にしたけれど「いいえ」と返されてしまった。
「騎士としてではなく、“ひとりの男”としてあなたを愛しています」
「ま、待ってくれ。だって、レイヴァンはバルビナのことが好きなんだろう?」
「……俺はたった今、あなたにいくら好きの訴えをしても、かわされる理由を、理解しましたよ」
あぐねるマリアの肩をつかんで、得意げに微笑むとレイヴァンは唇から口跡を紡いだ。
「どこのだれに吹き込まれたかは存じませぬが、俺が恋心をそそぐ相手は“あなた”だけですよ」
恥じ入ってマリアは、頬どころか体中を上気させる。
「だ、だって、城を追われて間もないころ、バルビナがわたし達のところまで来てペンダントを届けてくれたことがあっただろう」
そのとき、レイヴァンがさみしげにしていたこと、じっとバルビナが去って行った方を見ていたことを話した。ほどなく、レイヴァンは頭をかかえる。
「あれは、姫様につけた鬱血痕を見られたので、考えあぐねていたのですよ。王妃様に言われるのではないかと思って」
「鬱血痕? ああ、レイヴァンが『お守り』だと言った」
ふと白いマリアの指が、先ほどついた鬱血痕に触れる。
「それは俺の独占欲のあらわれです。あなたを独占したいが為だけにつけました」
白い頬にさっと朱がさして、レイヴァンを真っ直ぐに見つめる。肩はわなわなと震えていた。
「さらに首筋へつけるものは、『執着』という意味があります。マリア様?」
さすがに隠していたことへの後ろめたさがあったのか、不安げに黒い双眸がマリアを見つめていた。
「お前はそれを知っていて、わたしに黙ってつけていたのか」
「それは申し訳ございません。陛下にご報告なさるのであれば、いくらでも罰をお受けいたします」
「し、しないよ、そんなこと! レイヴァンはわたしにとっても、国にとっても大切なんだから……っ!」
いいながらマリアの頬は、熟れた果実のように赤い。
「かっ、勘違いはしないでくれよ。別にわたしは、お前を許したわけじゃないんだからな」
言い残して去ろうとするマリアの手を、レイヴァンが取る。
「離してっ……!」
「お姫様。俺はまだ、あなたからの答えを聞いていないのですが」
いたずら心に火をともして、レイヴァンが問いかける。
「さ、さっき、答えただろう。わたしはお前のことが好き――」
「どういうふうに?」
おたがいの息がわかる距離まで顔を近づけて、再び問われれば青い瞳がおよぐ。
「そ、それは……」
視線があちこちへ飛んで、黒い瞳のもとへ戻ったかと思えば「うるさい」とさけんで足でレイヴァンの
「姫様、玻璃国ではこのような“ことわざ”があるそうですよ」
マリアの瞳がいぶかしげに細められ、黒い瞳は楽しげに細められる。
「『厭と頭を縦に振る』という言葉で意味は、口では厭といいながら心の中では承諾しているという意味だそうです」
紅の頬がますます、染め上げられて目を伏せる。
「姫様……?」
疑念を抱いて呼ぶと、がばりと薄い金の髪がゆれた。
「ち、違う! わ、わたしはお前なんか好きじゃないっ」
マリアのあわてぶりに精神を狂わされて、レイヴァンがにやりと笑む。
「ああ、本当に愛おしい」
「き、嫌いと言っているのに、おかしいんじゃないか」
くちびるを重ねようとして、レイヴァンが顔を近づけたけれど、ノックも無しに扉が開け放たれる。ギルやクレア、うしろにはセシリーとグレンがいる。さらに後ろには、ソロモンとエリス、レジーがおり、こちらを見て硬直していた。
「どうぞ、ごゆっくり」
ドアノブを持っていたギルが言って、扉を閉めようとしたけれど、マリアが「ま、待って!」とさけんでドアの隙間に手をいれて引っ張った。
「大丈夫だから。なにか用があるのではないか」
ようやくギルは閉めようとした手をとめて、珍しくはにかむ。
「俺一人で行くつもりだったのですが、クレアも行くと言い出したので一緒に行くことになりました」
さらに荷の支度をしていると、セシリーやグレンもついて行くと言い出したらしい。
「それで、ようやく準備も整ったので、姫様のもとへ参ったのですが、お邪魔でしたか」
「ぜ、ぜんぜん!」
「けれど、あなたの騎士は不満そうですな」
マリアはレイヴァンを振り返ろうともせずに、「そんなことない」と言い「ちゃんと見送るよ」と告げたのだった。もちろん、後ろにいる騎士は想いを中ぶらりにされたものだから、微妙な表情を浮かべている。
ソロモンはレイヴァンはながめて、小さく息をつくと「では、外へ出ましょう」と言った。
城の庭へ出ると、すでに馬車一台と馬が二頭、用意されていた。どうやら、馬車にはクレアとセシリーが乗り、馬にはギルとグレンが乗るらしい。
「ギル、気をつけて」
「ええ、あなたさまのお気をわずらわせはしませんよ」
ギルは馬をかるくたたいて、
「さて、中へ戻りましょう」
「……うん」
気遣わしげなマリアをながめてソロモンは、「なにか気になることでも」と問いかける。
「いや、不安なんだ。なにかが起こっている気がして」
「たとえ、なにかが起きたとしてもギル達の強さは我らが知るところ。危惧することもございますまい」
ソロモンに「そうだな」とかえすと、薄い金の髪をひるがえして城の中へもどれば、レイヴァンやソロモン達もそれにつづいた。そこに夜会でベルク公爵に税を着服していると、うったえをおこされたロイス侯爵がいた。
「これはこれは姫君。あなたさまの晴れ舞台を、台無しにしてしまって申し訳ございません」
こけた頬で言われ、こちらが申し訳ない気分になってしまい、マリアは「いいえ」と告げてロイスの細い手を取る。
「あなたが気になさることは、なにもないですから」
王女の言葉でロイスのくすんだ瞳に、光がもどり涙が浮かぶ。
「どうかしましたか」
「いえ、娘もいきていたら姫様ぐらいのお年ですから」
「たしか、娘様は三歳でなくなってしまわれたんですよね」
ロイスにソロモンが、紡いでいった。侯爵はうなづいて、乳母の乳から水銀が検出されたようで乳母がなくなるとともに娘もなくなったと告げる。
「なにが原因か、わかったのですか」
「それが今もわからないままなのです」
ロイスはかなしげに目を伏せる。水質検査も行ったけれど、異常は見られなかったという。
ソロモンはあいかわらず、感情の読めないやさしい笑みをたたえる。
「ロイス卿、しばらくはこちらに滞在なさるんですよね」
ソロモンの話が急に変わったことに、ややついていきかねたが、ロイスは肯定の意を示した。
「それでは、姫君とお話をされてはいかがでしょうか。いずれ、王となるお方がどのような方か知っておいたほうがよいでしょう」
提案をマリアは受け入れることにした。きっと、なにか考えがあってのことだろうと思ったのと、より多くの者から信頼を得ていた方が良いと考えたのである。
「ロイス卿、どうでしょうか。みじかい時間ではございますが」
マリアにロイスは笑みをうかべて「わかりました」と、貴族らしく頭を垂れた。
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