第五話

 イルレッガとはあまり話をしていないから、もう少し彼と話をしてみたいと思った。シュルツとは考え方が違うようだと分かり、どれくらい違うのか知りたかった。シュルツとオディオン、二人を比べてばかりの自分に嫌気が差していたし、婿選びと関係のない人と気楽に話をしたかった。

 だけど、そんなのんきなことを言っていられないことが起きた。

「ダレオナ様、大変です!」

 寝台の敷布の交換や掃除以外の用件では滅多にやって来なくなったアイトが、ヒーダーが倒れたと知らせに来たのは昼前だった。

「父様!」

 知らせを受けてすぐにヒーダーの部屋に向かったダレオナは、寝台で横になる父の姿に、顔を青ざめさせた。ぐったりとしていて顔色が悪い。苦しそうにぜえぜえと喘ぎ、額には脂汗がにじんでいる。

「……ダレオナ。大丈夫、すぐに、良くなるよ……」

 ヒーダーはうっすらと目を開けてそう言ったけれど、胸が痛くなるほど声も弱々しい。大丈夫だと思えるはずがなかった。

 狼狽しているアイトから聞き出した説明によると、ヒーダーはお茶を飲んでからほどなく倒れたらしい。お茶は、ヒーダーに頼まれてアイトが用意した。茶葉は菜園で採れたハーブを乾燥させたものを使ったという。

 ヒーダーもダレオナもそのハーブのお茶は日常的に飲んでいる。今までそれを飲んで倒れたことは一度もないから、原因は別のところにあるかもしれない。

 アイトが呼びに行った医者が来るまでの間、いても立ってもいられないダレオナは原因ではないはずだと思いながらも、茶器を改めた。ふたを開けて中に残っていた葉をかき出して、匂いをかぐ。かすかだけど、違うハーブの匂いがあった。

 まだ温かく湿っている葉を慎重に調べると、小さな、植物の実のようなものを見つけた。ほとんど緑色だけど、これから熟すところの実だったのか、一部がほんのりと赤い。

「これ……」

 実の正体を悟ったダレオナは息を飲んだ。それは、リアリアと呼ばれる毒のある植物の実だった。もちろん菜園では栽培していない。館の周辺にも生えていない。誰かが故意に入れなければ、入っているはずのないものだ。

 リアリアの毒は強く、小さな実一粒でも口にすると命が危うい。煎じたものを飲んだだけで、ヒーダーはこの状態である。

 アイトに呼ばれてやって来た医者には手早く状況を説明した。でも、

「毒の成分が体から排出されるのを待つしかありません」

 医者は困ったように首を振る。ヒーダーから毒がすべて排出されるのが先か、毒に犯されて命を落とすのが先か、ということらしい。

「解毒剤はないんですか」

「ないのです、ダレオナ様。ですが、下剤で排出を早める方法はあります。ありますが……」

 と、医者はヒーダーを見る。彼が言いたいことは分かった。ヒーダーは嘔吐を頻繁に繰り返しているのだ。たとえ下剤を飲ませても、効果の出る前に吐き出してしまう可能性が高かった。

「――コムニスなら強い下剤作用があるわ」

「確かにありますが、いちばん薬効があるのは実の部分です。今の季節、コムニスはまだ実をつけていません」

「でも葉をたくさん集めれば、実と同じだけの効果はあるはずでしょう」

「一抱えするほどの量が必要ですが、コムニスは群生はしないから集めるのが大変ですよ」

「それでも、効果があるのならわたしは集めてくるわ。父様をよろしく頼みます」

「ダレオナ様!」

 部屋を飛び出しように出たダレオナは、医者の声を背中で聞いた。

 リアリアの実を入れたのは誰なのか、犯人捜しは後回しでいい。今はコムニスの葉を集めるのが先決だった。

「ダレオナ」

 厩舎へ向かう途中、話を聞き付けたらしいシュルツに呼び止められた。イルレッガと、その後ろにはオディオンもいる。急いでいる今、詳しい状況を彼らに説明している時間も惜しかった。

「薬がいるの。今から集めてくる」

「手伝うよ」

 言い終わりもしないうちに歩き出したダレオナの横に、シュルツが並ぶ。イルレッガとオディオンも付いてきていた。人手はあった方がいい。

「……ありがとう」

 納屋から持ってきた籠をいくつも馬車に載せ、ダレオナたちは館を出発した。


     ●


 荷馬車は森の入り口に停め、籠だけ持って一行は森へ分け入った。

 ミセティアのむごたらしい最期を思い出してしまうから森には入りたくなかった。でも、今はそんなことを言っていられない。三年前はダレオナが動くのが遅すぎてミセティアを失った。同じ過ちはもう繰り返したくない。

 森の木々は、あの日の様子をじっと見ていた。濃緑色の葉の一枚一枚にあの日の光景が宿り、森を歩く者に幻を見せるのではないかという想像をついしてしまう。だけど、そんなことがあるはずもない。

 コムニスは日当たりが悪く湿度の多い場所を好む。森の奥の方がコムニスの好む環境が整っているので、自然奥へ向かうことになった。奥に行けば行くほど、獣や魔物に遭遇する危険性は高くなる。だけどダレオナは魔術を使えるし、シュルツとイルレッガもいる。三人いれば、自分自身と合わせてオディオンも守れるだろう。

「コムニスはどんな見た目なんだ?」

「わりと背の高い草だ。葉っぱは大人の手みたいで、茎が赤い。シュルツ、お前見たことがないのか」

 シュルツの問いに答えたのはイルレッガだった。どこにでも生えている植物というわけでもないので、ダレオナは密かに驚いた。

「イルレッガはどうして知っているんだよ」

 イルレッガの最後の一言が少し呆れ気味だったせいか、シュルツが口をとがらせる。ダレオナと話をする時はもっと大人びた雰囲気だったけれど、これがシュルツの素のしゃべり方なのかもしれない。

「長年傭兵をやってると、それなりに薬草の知識も身につく。コムニスの実から採れる油は下剤になるんだ。妙なもん食べた時なんかに飲むと良い、覚えとけ」

「へえ、なるほど」

 イルレッガはまるで弟子に教える師匠のような口調である。二人はきっといつもこういう調子なのだろう。護衛される側とする側と言いつつ、実のところは弟子と師匠。逼迫した時だというのに、ダレオナはほんのかすか、口元を綻ばせた。

「あれはコムニスではないですか?」

 遠慮がちにオディオンが声を上げ、遠い木と木の間に見える一本の草を指さす。周囲に緑色が多いから、その草の赤い茎は目立っていた。

「一本だけ?」

「種を遠くに飛ばすから、コムニスはあまり群生しないんだ。だが、一本見付かれば近くにほかにもあるはずだ」

「よし。じゃあ俺たちはほかのを探すよ」

「ありがとう」

 コムニスに詳しいらしいイルレッガを従え、シュルツは違う方向へ行く。ダレオナは、オディオンと一緒に彼の見つけたコムニスの葉の採取に向かった。

「シュルツ、イルレッガ。はぐれたからいけないから、あまり遠くへは行かないで」

 すでに小さくなっている男二人に大声で呼びかける。分かってるよとシュルツが振り返り、イルレッガは軽く手を挙げただけだった。

「オディオンはわたしから離れてはだめよ」

「はい」

 てくてくと隣をついてくるオディオンは素直な返事をする。あっちの二人は注意していなければはぐれてしまうのではないかという心配が胸をかすめたけれど、子供のオディオンはその心配がなさそうだ。

「葉を取れば良いのですか?」

 コムニスの背丈はオディオンの目線と同じくらい。大きな葉は、彼の顔と同じくらいはある。いくつかに枝分かれして全体的に大きく見えて、一枚ずつの葉も大きいように見えるけれど、一株についている葉は三十あるかないか。すべて取っても一抱えするほどの量にはほど遠い。十株近く見つけなければ、必要な量は集まらない。

 ダレオナが持ってきた籠に葉っぱを摘み取り入れていく。赤い見た目に違わず、ちぎると赤い液体が手に付いた。

「あら?」

 すべての葉を摘み取って辺りを見回すと、男二人の姿が見えず声も聞こえない。遠くへ行くなと言ったのに、これでは誰が大人か分からない。

 名前を呼ぼうとしたところで、遠くから切迫した声が聞こえた。

 二人が歩いていった方向からだ。ただ事ではないと、続いて聞こえた悲鳴のような声で確信した。シュルツ、と叫ぶイルレッガの声が続く。シュルツの身に何かあったのだ。

 ――魔物?

 それ以外の可能性を思い付かない。そして自分の想像で体がこわばる。まだ姿も形も見えないのに、足がすくみそうになっている。でも。

 シュルツの声は助けを求めているようで、その近くにいるはずのイルレッガの声はほとんど怒声だ。

「ダレオナ様……」

 オディオンがダレオナを見上げた。どうするのかと、目で問うている。

「――オディオンはここにいて。絶対に動いてはだめよ。それから、周囲には注意して、何かあればすぐに大声で呼んで。良いわね?」

 置いていくのは心配だけど、連れて行く方が危険だろう。オディオンは素直に頷いた。

 声をたどってすぐに二人の姿を見つけたダレオナは、息を飲んだ。

 シュルツが浮かんでいた。体中に絡み付くツタに持ち上げられて。薄茶色のツタは指よりも太く、植物のように見えるのにずるずると動いていた。強く締め付けられているのか、シュルツが苦悶の表情を浮かべている。そのそばではイルレッガが、どこからともなく伸びてくるツタを次々と斬っていく。でも、斬られたところからまたツタは伸びて、シュルツに絡み付こうとする。

「ダレオナ、近付くな!」

 イルレッガの大声に足が止まる。

「いったい何が起きているんですか」

 想定していたのとはまったく違う状況に戸惑った。ツタが普通の植物などでないのは分かる。でも、植物のような姿をした魔物を、ダレオナは聞いたことがなかった。

「見ての通りだ。いきなりこいつが伸びてきて襲われてる!」

 言いながら、イルレッガはツタを斬る手を休めない。ツタは更にシュルツに絡み付き、イルレッガも絡め取ろうとしている。

 活動範囲の外なのか、ダレオナのそばにはまだツタは見当たらない。

「折れる折れる折れるっ!」

「くそ!」

 イルレッガの刃をかわしてシュルツの右腕に巻き付いたツタがかなり強く締め付けているらしい。

「シュルツ!」

 思わず声を上げるが、ダレオナにはほかにどうしようもなかった。いや、どうしようもないことはない。ダレオナには魔術がある。あるにはあるけれど、それでどうやってシュルツを助けたら良いだろう。

「イルレッガ!」

 その頭上から延びてきたツタが利き腕に絡み付き、肩の関節を痛めつけるような方向に腕をねじる。イルレッガがうめき声を漏らし、剣を取り落とした。

「ダレオナ……燃やせ!」

「え」

 イルレッガはもう一方の腕の動きも封じようとするツタを払いのけながら、ダレオナを振り返った。

「こいつらを燃やせ! できるだろう」

「でも」

 火を灯す魔術は、使える。だけど森の中でうかつに火を使うのは危険だし、何よりツタに火をつけたらイルレッガやシュルツも無事では済まされないはず。

「俺たちのことは気にしなくていいから!」

「でも……」

 痛みに顔を歪ませるシュルツとイルレッガを目の前にしても、ダレオナは火をつける決心がつけられなかった。二人がやけどするかもしれないのに、燃やせるわけがない。

「ダレオナ様」

 呼ぶ声と草を踏む音に、必要以上に驚いた。

「オディオン、どうして来たの!」

「悲鳴しか聞こえないから、気になって――」

 オディオンが申し訳なさそうに言う間にもうめき声は上がる。

 腹の辺りを締め付けるツタの力がますます強くなっているのか、シュルツの顔が真っ赤だ。イルレッガが声を荒げ、ツタを振りほどこうとして暴れている。その彼の喉を背後から狙うツタに気付いてダレオナは声を上げた。

「イルレッガ、後ろ!」

 だけど忠告は遅すぎた。イルレッガの首にツタが巻き付く。

「イルレッガ!」

 このまま立ち尽くして何もしないままでいれば、三年前と同じだ。ダレオナは二人に絡まるツタを睨み付けた。自分の髪と同じようにあのツタを操ればいい。

 動け、と視線に魔力を込めて命じる。手応えはかなり悪い。だけど、ツタの意志を押さえ付けてダレオナの命令を優先するよう、更に強い魔力を込めた。

 イルレッガの首が絞められているのだから、火をつける方が絶対に早い。でも、助けるために怪我をさせるのは嫌だった。そして、何もしないでいるのも嫌だった。

 ――ほどけて、お願い!

 手応えがあった。自分の髪を操る時ほどではないにしろ、動けと命じたものが動く手応えが。

 首に巻き付いていたツタが緩み、イルレッガが激しく咳き込む。腕に絡まるツタも緩くなる。イルレッガは咳き込みながら、ツタを引きはがした。シュルツの体を宙づりにしていたツタからも力が抜けて彼の体重を支えきれなくなり、シュルツは地面に落ちてしまった。うめいたものの、シュルツはかなぐり捨てるようにツタをほどき、

「なんなんだよ、これは!」

 転がるようにダレオナの近くにやって来る。

「イルレッガ、大丈夫?」

 まだ咳き込んでいるイルレッガは剣を拾い、よろめいた足取りで逃げてきた。喉には締められた跡がついていて痛々しい。

「なんとかな。早く離れよう」

 二人が逃げたところで、ダレオナはツタを操るのをやめていた。獲物を探し求めるようにツタがずるずると動き始めている。

「あっちよ。森から出ましょう」

 ダレオナが指さすと、シュルツが真っ先にそちらへ駆け出した。イルレッガが喉をさすりながらそれに続き、ダレオナもついて行こうとして、オディオンを先に行かせようと傍らを見た。

「オディオン? 何をしてるの」

 少年は森の外へ向かう大人たちに背中を向け、蠢くツタをじっと見ているようだった。

「危ないから行きましょう」

 ダレオナは小さな腕を取った。だけど、オディオンは動かない。

「――逃げるのは頂けないなあ」

「え?」

 まるで別人のような、子供のものとは思えない低い声だった。それが本当にオディオンの声だったのかどうか確認する前に、背後からまた悲鳴が聞こえた。

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