第三話

「意外と普通だよな」

 夕食の後、用意された客室に戻ったシュルツは寝台に腰掛けて、イルレッガを見た。イルレッガにも客室を割り当てられているが、寝るにはまだ早いので話し相手になってもらうのだ。作戦会議、とも言う。

 イルレッガは窓の近くに置かれている椅子に腰を下ろしていた。深々と腰掛けて背もたれに全体重を預け、肘掛けに両腕を載せている。シュルツには疲れているように見えた。イルレッガは三十路に手が届いているが百戦錬磨の傭兵で、十近く年下のシュルツよりも体力があるのに、珍しい。

「何がだ?」

 シュルツが何を指して普通と言っているのか、伝わっていなかったらしい。頭をのけぞらせているイルレッガは、シュルツの顔さえ見ていない。彼の雇い主はシュルツの父親で、シュルツとの関係はほとんど対等なのだ。

 シュルツに護衛が付いたのは一年半前。長男である兄が病死して間もない頃だった。

 イルレッガの本業は傭兵で、どこかの戦場でシュルツの父と知り合ったらしい。長男を亡くして心配性になった父は、新たな跡継ぎの次男もまた病で失うかもしれず、三男は病か、戦で亡くすかもしれないと危惧し、イルレッガに護衛を頼んだのだ。

「ダレオナだよ。ここへ来る前は、いろいろとひどい噂を聞いたけど、普通の――むしろ愛らしい顔をした娘だ」

 ウォンサコールの跡継ぎ娘は魔女だ、というだけの噂はまだかわいらしい方だ。夜になるとコウモリに化けて荘園内を飛び回るだの、館の庭で怪しい植物を育てて怪しい薬を作って使用人に飲ませているだの、森の奥で魔物を飼っているだの、荘園内の若い娘を館へ連れ去ってはその生き血を飲んでいるだの、散々な言われようだった。

 ダレオナが魔術師というのは事実らしく、三年ほど前に大きな魔物を退治したのをきっかけに、様々な噂がウォンサコールの周辺地域にまで広がったらしい。

 ダレオナはいずれ村人たちの主になる娘だというのに、人目をはばかりながらもよそから来たシュルツたちにダレオナに関する噂をあれこれ聞かせてくれた。村人たちはイラバクト家を相当舐めているのかと思ったが、自分たちの領主であるという以上に、ダレオナへの畏怖が勝っているようだ。魔物を砕ける魔女が主になったら何が起こるか分からないと脅えているのだろう。

 だが、ダレオナは魔術で村人を虐げようとか考えている娘とは思えない。魔術師というが今のところ彼女がそれを使うところは一度も見ていない。それどころか、自分が魔術師であると口にすらしていない。当然シュルツたちは知っているだろうと思ってあえて言わないのかもしれないが、ならば彼女にとっては重要な事柄ではないということだ。ダレオナがそう考えているなら、触れるのはやめておいた方が無難だろう。

 荘園の跡継ぎが婿を探していると聞いた時、相手の容姿がどんなものであれ、領地持ちになれるなら気にしないと思った。いざ実際に来てみれば、荘園は広くはないが豊かそうだし、ダレオナの容姿は申し分ない。シュルツと同じような境遇の騎士はいくらでもいるのを知っているから、競争相手は多いと覚悟していたが、それも杞憂で終わった。

「ウォンサコールへ来る前と違って、余裕のありそうな顔だな」

「当たり前だろう。相手はガキなんだぞ」

 これはもう自分に決まったようなものだろう、とシュルツはダレオナと顔を合わせる前から思っていた。イルレッガも同じように考えているとばかり思っていたから、彼の言葉は意外だった。

「ガキだが、妙なガキじゃないか」

「妙? どこが」

「十歳になるかならないかのガキが、ほとんど従者を付けずに家を離れるのは妙だろう」

「確かに……」

 オディオンを最初に見た時、イラバクト家の小間使いの子供かと思った。しかも、シュルツでさえイルレッガという護衛がいるのに、オディオンは一人きりでいたのだ。従者はいるらしいが、それでも一人だけ。フティティス家の領地から従者の牽く馬に乗って来たらしい。その従者はどこへ行ったのやら、食事時にオディオンの世話をするでもない。ヒーダーがそれとなく聞いたら、厩で馬の世話をしていて、食事は自分で用意させるので構わないという(イルレッガは従者ではないから、ヒーダーの好意もあってシュルツたちと食卓を共にしている)。

 従者が一人しかいないのは、父親に許可さえもらっていない、いわば家出のような状態で来たからではないのだろうか。あの歳にして誰かの婿になろうと決め家出をするとは、敵ながら大したものである。

「でも、まあ大したもんだとは思うが、相手にはならないだろ」

 なんといってもダレオナと歳が近いのはシュルツだ。領主の次男以降という立場は同じでも、シュルツは騎士である。魔物討伐があればその先頭に立って構わないし、主君の要請にも代替に金を払うのではなく、自らの腕を持って応えようというものだ。

「決めるのはダレオナとヒーダーだろう」

 ところがイルレッガは、シュルツと同じ考えではないらしい。否定しているわけではないが、賛同しているわけでもない。

「なんだよ、イルレッガは俺の味方じゃないのか?」

「戦場では間違いなく味方だ。でも、こういうのは範疇外だな。護衛が口出すことじゃない」

 固まった筋を伸ばすようにのけぞらせていた頭を起こし、イルレッガは口の端を少しだけ持ち上げる。従者であれば、もちろんシュルツの味方だと言うような場面でも、イルレッガはそう言わない。彼の仕事はシュルツの身の安全を守ること、それのみ。戦場以外でシュルツを応援することはない。イルレッガは、そういう線引きのはっきりしている男だった。

 勤めとは言っても一年も一緒に旅をしてきたのだから少しは応援してほしいと思う。が、イルレッガは線引きのはっきりとした男だと知っているシュルツは、嘆息して肩をすくめるしかなかった。


     ●


 遠くに青くかすむ山から、太陽が昇ったばかりだった。イルレッガはあくびをかみ殺しながら、井戸へ向かう。朝を迎えたばかりの空気はまだ涼しくほんの少し湿り気を帯びている。井戸の近くには柵で囲まれた菜園があって、葉に付いた朝露が朝日を浴びて輝いていた。

 荘園領主の館といってもここには最低限の使用人しかいないらしい。昨日は、夜が明けたばかりでまだ誰も水をくみに来ていないのか、人手が足りないから来ていないだけなのか、誰にも会わなかった。しかし、今朝は先客がいる。

 確かアイトという使用人だ。足下に置いた二つの桶に、汲み上げた水を入れていた。

「おはようございます」 

 水くみの手を休め、アイトが会釈する。

「ああ」

「もうすぐ終わるから、すみませんが待ってもらっていいですか」

「ゆっくりやっていい。俺は急いでないから」

 アイトはありがとうございますと言って頭を下げると、水くみを再開した。

 イルレッガは、井戸から離れた場所で両腕を大きく回した。首や腰を反らせて寝ている間に固まった筋肉をほぐし、体を起こしていく。シュルツ以外の護衛をしたことはある。だが、婿選びに同行するのは初めてだ。そのせいで普段以上に疲れている気がした。

 そうやって体をほぐしている間に、アイトが水くみを終えた。イルレッガはまだ固まっているように感じる肩を回しながら、水をくむための桶を手に取った。

「あの」

 桶を井戸に投げ込んだ瞬間、背後から声がかかった。アイトはくんだ水を持って館へ戻るかと思いきや、桶を足下に置いてイルレッガを見ている。

「何か用か?」

「あの――シュルツ様は、本当にダレオナ様と結婚されたいのですか?」

 ここにはほかに誰もいないのに、アイトは声を潜めていた。好奇心から訊いているのではないと、彼女の表情で分かる。

「したいから、ここへ来たと俺は思っているが。オディオンも同じだろう」

「こんなことを言っては大変失礼なのですが――」

 声は潜めたまま、表情はいっそう深刻なものになる。

「ダレオナ様と結婚されるのは、やめた方がいいですよ」

 アイトの言葉に、しかしイルレッガはほとんど表情を変えなかった。それに気が付いているのかいないのか分からないが、彼女は更に続ける。

「ダレオナ様の噂をご存じですか?」

「ああ。シュルツは、いろんな噂を聞いた上で来ている。今更やめた方がいいと言われて、やめる男じゃないぞ」

「噂は誇張だと思っているのではないですか?」

 シュルツは、そう思っているだろう。イルレッガも同じだ。荒唐無稽と言っていい噂が大半で、それを信じろと言う方に無理がある。

「多少、大げさな噂もあるかもしれません。でもダレオナ様が、魔術で大きな魔物を砕いたのは本当なんです」

「……魔物討伐の担い手がいて、いいことじゃないか」

 うら若い娘――しかも荘園の相続権を持っている――がするようなことではないかもしれないが、魔物討伐するにも人手が足りないという話をしていた時、男手がなくてもダレオナがいればさほど問題ないだろうとイルレッガは思っていた。

「ダレオナ様は小さな頃から魔術を使えましたけど、感情が昂ぶると自分でも制御できないくらい強力な魔術を使うことがありました。三年前に魔物を砕いた時も、そうだったんです。妹のミセティア様が魔物に殺されて、それでかっとなって――」

 イルレッガに声をかけるまでは、いくらか躊躇する様子があったが、今はもう欠片もない。アイトの口は滑らかだ。

「魔術の向かった先は魔物だったけど、それはダレオナ様の狙い通りだったのか、たまたまだったのか分かりません。その場にいた村人たちは狙っていたと思うかもしれないけど、わたしは、たまたまだったのではないかと思っているんです。ダレオナ様の小さい頃も知っているから」

 と、何かを思い出してぞっとしたのか、アイトは自分で自分の体を抱き締める。

「三年前にミセティア様が亡くなった後、ダレオナ様は魔術を制御しきれず、部屋の花瓶とか、机とかを粉々にしてしまうことがありました。わたしが持っていた水差しを砕いたこともあります。次はわたしの体が粉々にされてしまうのではないかと思うと、恐ろしくて――」

 ダレオナには亡くなった妹がいるという話は、噂としてもちろん聞いていた。その時の詳しい状況もだ。聞いた話の大半はうそだろうが、魔物に殺されたのは、アイトも言っていたので事実のようだ。

「ダレオナ様と結婚された後、つまらないいさかいや、深刻なけんかをすることもあるでしょう、夫婦ですから。でも、その時にダレオナ様が魔術を制御しきれなかったら、命の保証はありません」

 だから、ダレオナと結婚するのはやめた方がいいという。大げさな話ではなく真面目に言っているのは、アイトの目や表情を見れば分かった。

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