第20話 姿なき脅威
「ごめん、美咲。待たせちゃったね」
「ううん、全然! 今来たところ!」
集合場所である川縁の林の前に辿り着くと、明らかに暇を持て余していた美咲が嬉しそうにお決まりの台詞を返した。
この数日間、美咲は待ち合わせの度にこの台詞を口にしている。
どうも彼女の「人生で一度は言いたい台詞」の上位にランクインしているらしく、和臣の方が先に着いていると不機嫌そうな顔までされたほどだ。
「あー待った待った、ホント待たされたわ、クソが。ここ最近めっきりバグが出ねぇからって、たるんでんじゃねぇのか」
ディオネアはディオネアで、素直なものである。これでもかと嫌味をぶつけてくるヘアクリップには、今朝感じたような可愛げの欠片もない。やはり気のせいだったらしい。
「ディオネアには言ってないんだけど」
「やんのかコラ」
「ご主人様、お兄ちゃん! ケンカは駄目ですっ」
全くのいつも通りな流れに、美咲が苦笑しながら告げる。
「じゃあ、今日もパトロール始めよっか」
和臣が美咲に「守ってもらう」約束をしたあの日以降、バグが活性化するという夕暮れ時に町を見回るのが二人の日課となっていた。
ハエ男以降これといった成果は無いが、いつ次の刺客が現れるとも知れない。和臣も美咲も、決して気を抜いてはいなかった。特に今日はディオネアが『かぐら』の花からアースエナジーを吸収したことで、「蜜」としての誘引効果が向上しているため、特に警戒の必要があった。
――俺は常々思うんだ
ふと和臣は、初めて美咲と出会った日に紘明が語った持論を思い出していた。
――その大切な時間こそが魔法少女の強大な力の代償なんじゃないかと
美咲も年頃の中学生。遊びたい盛りの少女だ。なのに彼女は、こうして毎日「魔法少女活動」に勤しんでいる。それも、マンドラフレアと離れてから和臣と出会う前の二ヶ月間は、たった一人で。
そうまでして彼女には、マンドラヴィーナスには、守りたい大義があるのだ。
――町の人達を守るのも立派な魔法少女の仕事だよ
あの日聞いた美咲の言葉に嘘偽りは無い。彼女は行動でそれを示していた。
「それじゃ、今日は川沿いに歩――」
和臣が提案しつつ、美咲を向き直った時だった。
「え」
何の前触れもなかった。
きょとんとした美咲の背後、目と鼻の先の距離。
大型トラック程の巨体を持った明緑色の怪物が、双腕を鈍く光らせ彼女の首を狙っていた。
「それ」は、音も無く獲物に忍び寄る。
特別動きが素早いわけでもない。動体視力に優れるわけでもない。特徴的な前腕によるリーチの長さも、自然界においてはごく僅かな優位に過ぎない。
では一体何が、「その虫」を最強の捕食者の一角たらしめているのか。
答えは和臣のすぐ目前にあった。
「美咲‼」
反射的に叫ぶ。
音も気配もなく、これだけの距離まで接近されていたという事実。
その事実だけで、かの沈黙の処刑者の脅威を知るには十分だった。
ジリリリリリリリリ‼‼‼
和臣の声に少し遅れて、フローの『エマージェンシー・ベル』が鳴り響く。教えた通りにヘアゴムの鈴を指で軽くつまんだ瞬間にかき鳴らされた爆音は、ほんの一瞬だけ「敵」の動きを鈍らせていた。
振り抜かれた鎌は、果たして空を切った。
一瞬の出来事に目をしばたかせた次の瞬間、和臣の視界を染め上げたのは赤のタータンチェックだった。
「うぶっ⁉」
そのまま押し倒されるように仰向けにひっくり返る。衝撃を察してか、ベルはすぐに鳴り止んだ。
「チッ。オレとした事が和臣のヤツに先越されるとは情けねぇ! だがでかしたフロー、偉いぞ! フローはいい子だ! フローはな!」
「今のは危なかったね! 擬態と音消しの二段構えって、単純に速いだけより厄介かも!」
顔の上からディオネアと美咲の声がする。音源の位置関係からして、どうやら和臣の顔に乗っているのは彼女のお尻らしい。咄嗟に飛び退いて身をかわした美咲の着地点が偶然和臣の頭上だったようだ。
「ど、どいて、みふぁき……」
「また擬態しやがるぞ!」
「逃がさない! マジカルドリームッ、グロウアァァァップッ‼」
塞がれたままの視界が赤い光に包まれる。美咲が和臣の顔に尻餅をついたままの体勢で変身したらしい。柔らかかったお尻の感触が、ゴツゴツとしたトゲ満載の鎧のそれに変わる。
「痛たたたた⁉」
慌てて身を捩りながらトゲの暴力から逃れ、上体を起こした和臣の目に映ったのは、対峙する魔法少女と怪物の姿だった。
「悪を捕らえる女神の瞳! マンドラヴィーナス!」
ビシッ、とホームラン予告をするように、巨剣と化したディオネアを振り向けた先に佇む怪物。
逆三角形の頭部に複眼の双眸を携え、大木の幹のように後方に伸びた胴体からは、巨体を支える四つ脚と、最大の特徴とも言うべき鋭い鎌の形をした前腕が生え、静かに獲物に狙いを定めている。
「……カマキリ」
新たに現れたそのバグは、巨大なカマキリの姿をしていた。
「っ⁉」
広がる林に溶けるように、そのカタチを歪め、消えていくカマキリ。美咲が言っていた、擬態の能力だろうか。
「消えるぞヴィーナス!」
「逃がさないってば!」
ヴィーナスが巨剣を大上段に構え、飛びかかりながら一気に振り下ろす。
牙を持つ刃が轟音を上げながら破砕したのは、つい一瞬前までカマキリが立っていた地面だった。
「チッ! 殴り合いは不利とでも踏みやがったか? 存外頭の回る虫ケラだ!」
「早乙女くん! はぐれないでついてきて! どこに消えたかわからない以上、あんまり離れてると守れない!」
言いながら、ヴィーナスは林の奥へと駆け入っていった。
「ま、待って……!」
まだ若干チカチカとする目をしばたかせながら、和臣は彼女を追いかける。
駆け出しながら、和臣の頭にはある一抹の不安が去来していた。
現れた敵は、カマキリだった。
――「カマキリ男」ではなく。
「そんな……まさか……」
「その可能性」を必死に振り払うように、和臣は頭を振りながら走った。
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