第18話 マンドラフレア

「そいつは……マンドラフレアは、美咲よりもほんの少しだけ先輩のマンドラゴラだった」


 沈黙を破るように、ディオネアは話題を二人の思い出話へと持っていった。

 フレア。炎を印象付ける単語だ。


「二人は最強のコンビだったよ。勿論オレとマンドラヴィーナスの方が強かったがな。ヴィーナスは近距離、フレアは遠距離と互いの弱点を補い合った完璧なパートナーだった」


 初めてではないだろうか。人間にあまり関心のないディオネアが、美咲以外の人間のことをこんなにも自慢げに、どこか嬉しそうに話すのは。


「勝てる。そう思ってた。オレ達は向かう所敵無しだ。このまま行けばグラン・ペタルも必ず取り戻せる。そう信じてたんだ。オレも、美咲も、フレア達もみんな」


 続いた言葉は諦観か悔恨か、暗く虚ろな響きを纏っていた。


「ほんの一瞬だ。一瞬の不意を突かれたばかりに、信じていたものは一瞬で崩れちまった」


 思わずディオネアから目を逸らす。無論ヘアクリップに表情などない。いたたまれなくなって反射的にとった行動だった。


「二ヶ月前に少し厄介な虫と戦った、って言ったよな」


 返事は告げずに頷く。マスドでの会話。ディオネアにグラン・ペタルの現状を教えた……恐らくは挑発として言い放ったのであろうバグのことだ。

 話を聞いた時には気にも留めずにいたが、あの美咲とディオネアに「少し厄介」と言わしめるということは、つまり相当に厄介な相手だったのかもしれない。


「その日はたまたま、フレアの奴が家族旅行だかでこの町を離れててな。本当に一瞬の油断だ。変身せず一人でいたところを、掠めるように喰われた」


 花の妖精が持つアースエナジーには、バグを誘い出す効果がある。別々に行動していたということは、その誘引効果が半減していたということだ。

 その隙を意図的に突いたというなら、なるほど厄介な相手というのも頷ける。


「ああ誤解すんなよ、そいつはきっちり潰した。すぐに変身して、それ以上は傷を負うことなく勝ったさ。色々と気に食わねえ減らず口を、たっぷり聞かされはしたがな」


 それを聞いて、和臣は少しだけ安心した。無傷で勝てたとはいえ長期戦を強いられたのなら、やはり厄介な相手だったことに変わりはない。そんなバグを取り逃がさず仕留めた事実は、無力な和臣にとっては朗報だった。


「だがな、やられたらそれっきりだ。虫を潰しても、そいつに喰われた記憶は戻らない」

「……それは、何となくわかってた」


 わかりたくは、なかった。

 服を虫に食われたからといって、その虫を潰しても虫食い穴がひとりでに塞がるわけではない。そもそもバグは感情や記憶をエネルギーとして食らうのだし、一度腹に収まったそれが元の情報を保っているとは考えにくい。理由などいくらでも思い当たる。


「オレも最初は気づかなかった。勘違いじゃねぇかと思ってたんだ。……マンドラフレアがこの町に戻ってきた時、美咲はあいつのことを忘れていた」


 歯噛みしながら絞り出された声に微かに表れていた感情は、後悔か、憤りか。こんなにも弱々しげなディオネアを、和臣は彼と出会ってから初めて目にした。


「それっきり、フレアはオレ達の前から姿を消した。以来美咲は初めっからそうだったみてぇに、一人で戦い続けてきた。後はお前も知っての通りってとこか」


 ディオネアがこの話を美咲に聞かせたくなかった理由も、和臣の耳に入れておきたがった理由も、和臣には何となく理解できた。

 美咲の心にある、かつて仲間の存在で埋め尽くされていた部分。そこには今も、虫食いの大きな穴がぽっかり空いたままになっていて、それを埋めたくて、無意識に、理由もわからないまま、がむしゃらに、彼女は仲間を渇望しているのだ。

 ディオネアは美咲にそれを自覚させたくなかったに違いない。魔法少女である前に普通の少女であれば、いや魔法少女であるからこそ尚更、こんな事実を告げられれば心が壊れてしまう。


 そしてディオネアはこうも言っていた。「この話を聞いても、お前にできることは無い」と。

 和臣はマンドラフレアではない。たとえ自分が新たな仲間として名乗りを挙げたところで、かつての相棒の代わりにはなれないし、美咲の心に空いた穴を塞ぐことはできない。


 では何故、何もできないと知ってなお、ディオネアは和臣に打ち明けたのか。

 簡単なことだ。

 今までずっと誰にも言えなかったことを、誰にでもいいから吐き出したかった。ただそれだけだ。尋ねるまでもない。


「何だ、和臣。『戻ってきてくれるようマンドラフレアにお願いして、また二人で戦えばいい』とか言わねぇんだな」

「……言うわけないよ」


 あの気丈でふてぶてしいオレ様妖精のディオネアでさえ耐え難かった孤独だ。美咲とほど同じ年頃であろう女の子に、相棒と言うべき仲の相手に忘れられた悲しみを堪えながら再びゼロから関係を築き直すなどという真似が出来ようはずもない。それを理解していてディオネアの言うような残酷な提案をするほど、和臣は無神経ではなかった。


「……でも、嘘つきだね。ディオネアは」

「あ?」

「人間の感情は自分にはどうでもいいみたいに言ってたけど、全然そんなことないじゃん。本当に興味が無かったら、そこまで美咲を想えないよ」

「はっ。生意気言ってんじゃねぇよ」


 この返答が照れ隠しに見えてくると、なかなかどうして憎たらしかったヘアクリップにも一片の可愛げが汲み取れるではないか。弱味を握ったというほどでもないが、この話をディオネアから聞けて和臣は満足だった。


「話してくれてありがとう、ディオネア」

「……ふん。吐き出してスッキリしたかったのはコッチだってのに、何でテメェの方が清々しいツラしてやがんだ」


 吐き捨てるように、ディオネアは本音を口にしていた。


「ちょうどアースエナジーの移動も終わった。美咲のとこに連れてけ」

「はいはい」


 ちょうど手入れの終わった花壇からヘアクリップを拾い上げ、店の入り口を見やると、タイムリーにも美咲が紙袋を片手にほくほくとした笑顔でこちらに手を振っていた。


「ホントに買ったんだ、アレ……」


 紙袋の中にひしめくハエトリソウの姿を想像しないようにする。


 そういえば――。

 マンドラフレアも、ハエトリソウに負けず劣らずグロテスクな花(?)の魔法少女なのだろうか?

 そんなことを考えながら、和臣は彼女に手を振り返していた。

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