第17話 美咲の過去

「お兄ちゃん! おはようございますっ」

「おう、おはようフロー」


 どこまでも天使なフローが微笑ましく挨拶すると、凶暴なクリップの険しさもなりを潜めた。


「っじゃなくて! ……な、何してんのディオネア。まさかとうとう美咲に捨てられた?」

「違ぇよ。つーかとうとうって何だとうとうって」

「だってそれ以外思いつかないし」

「良好な関係の相棒だわ。そうじゃなくて、ここの花からアースエナジーを回収してんだよ」


 アースエナジー。

 地球の植物を成長させるべく、花の妖精の女王様が作り出したエネルギー。

 ハエ男以来バグに遭遇することなく、しばらく戦いから遠ざかっていたからか、久しぶりにその単語を耳にした気がした。


「このまま無防備にここに蓄えてあってもバグの餌になるだけだからな。オレがこうして回収すりゃ、そのぶん連中を誘き寄せやすくなるってもんだ」

「……えっ、ちょっと待ってよ! アースエナジーを取ったら枯れちゃうんじゃないの⁉」


 ハエ男にアースエナジーを食い尽くされた花束が枯れていたことを思い出す。


「それは急に根こそぎ奪い取られた場合だけだ。役目を終えたアースエナジーは時間をかけて分離するシステムだって、こないだも話したろうが」

「ああ、そういえば……そうだよね、ディオネアが花を枯らすような真似するはずないよね。ごめん」


 冷静に考えてみればすぐに分かることだった。バグを何より憎むディオネアが、そのバグと同じ行為に走るはずもない。和臣は頭ごなしに責め立てようとしたことを詫びた。


「……買い被るなよ」

「えっ?」


 ディオネアにしては珍しく歯切れが悪い呟きだった。


「オレはテメェが思ってるほどお人好しじゃねぇってことだよ」

「そんなことないよ。動機がフローにいいカッコしたいからだとしても、僕たちを守ってくれるって約束してくれたじゃん」

「テメェ、そんな風に思っていやがったのか? 呆れたヤツだ」

「冗談だよ」

「けっ、どうだかな」


 手首の鈴が楽しそうにちりりんと笑う。


「ご主人様とお兄ちゃん、仲良しさんです!」


 和臣はあえて言葉を返さず、苦笑いでお茶を濁した。余計なことを言って気を遣わせるのもごめんだった。


「お前を呼び止めたのは何もこうして仲良くゴアイサツするためじゃねぇんだが」


 ディオネアの方も少し不機嫌そうに声のトーンを一段落としている。

 ……いや、違った。


「美咲抜きで話がしたいってこと?」

「よくわかったじゃねぇか。そうだ、美咲抜きでお前に話しておきてぇ事がある」


 それは真剣な話をしたい時のトーンだった。


「……どうして美咲に聞かれたら不味いのかだけ、先に教えてもらえない?」

「何だ、勘繰りやがって。別に大した理由じゃねぇよ。アイツは忘れちまってる話だが、お前には必要な知識ってだけだ。それに、お前自身も知りたがってただろ」

「何のこと?」

「美咲がちょっと異常なくらいに『仲間』にこだわる理由だよ」


 ディオネアの口から告げられた言葉は、和臣にとっては意外であり、同時に予想通りでもあった。

 美咲の言葉に違和感は覚えていた。新たな仲間にこだわりはない。だがディオネアはあっさりと「美咲が仲間にこだわる理由」と言い放った。

 和臣の中にも確信じみた予感はあった。美咲は無意識に仲間を欲している。恐らくはディオネアだけが知っている……否「覚えている」その理由は、美咲にとって良くない過去の出来事か、美咲に自覚させたくない感情に関わっているはずだ。少なくとも、「忘れちまった話」と軽々にいなせるような取るに足らない理由ではないと断言できる。

 だからこそディオネアは、その話を和臣の耳にだけ入れておこうと考えたのだ。


「……それなら、僕も聞きたい。教えてよ、ディオネア」


 サボっていると思われないよう、花壇の手入れを続けながら和臣は促した。


「最初に言っておくが。これを知ったところで、お前が美咲にしてやれる事は特にねぇからな?」

「っ!」


 見透かされた気分になって、思わず口を噤む。


「そんなの……聞いてみなくちゃわからない」

「まぁ好きにしろ。怪しまれるのも嫌だろ、一方的に喋っててやるから相槌打たずに黙って聞けよ」


 暗に口を挟ませないよう釘を刺してから、ディオネアは訥々と語り出した。


「まず、美咲がオレと出会ってマンドラゴラになったのは、去年の秋。木枯らしが吹き始める少し前の頃だったか。その頃からずっと美咲が今みたいに仲間を欲しがってたかと聞かれたら、そんなことはねぇ」


 十月か、十一月くらいの話だろうか。美咲はまだ小学生のはずだ。寂しくはなかったのだろうか。


「何故ならその頃、美咲には仲間がいたからだ。相棒とも呼ぶべき、心を通じ合わせたマンドラゴラの仲間がな」

「……!」


 驚愕の事実が、極めて淡白に告げられた。

 美咲には仲間が……彼女と同じく魔法少女、マンドラゴラの仲間がいた。


 そう――「いた」。

 無論、今はいない。


 和臣が美咲と行動を共にして一週間になる。その間他の魔法少女も、魔法少女としての美咲を知る存在さえ影も形も見ていない。

 つまり、いなくなった。

 それは何らかの理由で。遠くへ引っ越した? マンドラゴラをやめた? それともまさか、もう……。


「スゲェ顔してんな、おい。平気かよ」


 言われて気がつく。鏡など見なくてもわかる。和臣の顔からはすっかり血の気が引いていた。


「ご、ご主人様っ……」

「だ……大丈夫だよフロー」


 心配そうに声をかけてきたフローを安心させようと優しく撫でながら宥める。

 和臣がここまで動揺したのは、その「まさか」を本能の奥底で恐れたからだ。

 あの日、耳にこびりついたハエ男の断末魔。美咲が、彼女たちがやっているのは言葉を選ばずに言うなら殺し合いに他ならない。

 マンドラゴラとしてバグと戦うということはつまり「そういうこと」なのだと、邪推するには十分だった。


「和臣……安心しろ。そいつは別に死んでねぇ」


 ディオネアはそんな和臣の心にひしめく暗い不安を見抜き、言葉を紡いでいった。


「お前の考えはだいたいわかるぞ。別にデケェ怪我もしてねぇ。ビビってマンドラゴラやめちまったわけでもねぇ。妖精と揃って健在だ。何なら今でも、どっかその辺で元気にバグ退治してる」

「それなら何で……」

「何だ、ここまで言っても察しねぇのか」


 本当は、和臣はここまでのディオネアの言葉でおおよその事情を察していた。ただそれを確信するには、次の彼の言葉を待ってからでも遅くないと思っただけだ。

 だって、そんなこと信じたくはない。


「やられちまったのはそいつじゃねぇ。美咲の方だ。記憶を喰われたんだよ。たった一人の、大切な仲間に関する記憶をな」


 ヘアクリップが憎々しげに歯噛みする。


 ――ちょうど虫食いの穴が空いたみたいに、何かを思い出せなくなったことはない?


 それは他ならぬ美咲自身の言葉だった。

 ざぁ、と空虚な風が吹く。季節は春先。うららかなはずの春風は、どこか冷たい空気を運んできていた。

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