第2章 小さな棘
第15話 髪は結びません
「花言葉は、『魔性の愛』とか『嘘』だってさ」
「そう……ですか」
週末、五月三日。和臣にとっては連休初日。
フラワーショップかぐらに出勤した和臣を出迎えたのは、細長いプランターにワラワラと並んだハエトリソウの無数の口だった。
冗談だと思っていたが、ハルカはどうやら本当にハエトリソウの事を調べ上げ、仕入れてきたらしい。
ハルカによればこの口のような部分は捕虫器といい、花ではなく発達した葉だという。捕食の決定的瞬間を是非とも見てみたいらしく、ウキウキと子供のようにはしゃぎながら「虫を見つけたら持ってきてね」と言ってきたが、和臣は全力で遠慮した。
花の写真も見せてもらったが、葉の不気味な外見とは裏腹に白く可愛らしい花だったのが和臣にはどうにも無性に気に入らなかった。
「あの姿してたら、花じゃなくて葉の妖精じゃん……」
ブツブツと文句を垂れる。確かに『嘘』である。
しかし、あのディオネアが今更可愛い花の妖精になってもそれはそれで心の底から嫌だったので、和臣はハエトリソウについて考えるのをやめた。
「そーいえば、こないだのスズランどうなったん?」
「あ、はい。よく育ってま……」
何の気なしに答えようとして和臣は硬直した。
あの日持ち帰ったのはスズランの実だ。苗でも株でもない。結果的にその日のうちに花は咲いたが、普通は一週間そこらでよく育つわけがないのだ。
「よ、よく育つ予定です!」
「あはっ、そりゃよかった」
フローのことは、大人は勿論、家族にも美咲以外の友人にも隠し通すつもりでいた。美咲やディオネアは首を傾げていたが、本来魔法少女はその正体を周囲には秘密にするものである。
マンドラゴラの事も、バグの事も、アースエナジーの事も、無闇に吹聴して回っていい情報ではないし、そもそも信じてもらえることが稀だろう。
仮に万が一信じてもらえたとしても、「お付きの妖精がいるけど男子だから魔法少女になれない」などという事実を知られるくらいなら虫に食われた方が万倍マシだ。先日の変身を試みた場面を見られるだけでも切腹ものの恥だった。
何としても、フローのことは誰にもバレてはならないのだ。
「くふふ、でも早乙女ちゃん、よっぽどスズランが気に入ったんだ」
「えっ?」
「ホラ、それ」
ハルカが和臣の右手首を指した。そこには、フローが変身した可愛らしい鈴飾りがついた白のヘアゴム……傍目に見れば「スズラングッズ」が付けてあった。
「はじめまして! フローの名前はフローといいますっ!」
「へぇー本物の鈴になってるんだ。おしゃれだね」
元気よく挨拶したフローの声は、和臣の耳にしか届いていない。ヘアゴム状態でのフローの声は、普通の人にはハルカの言っている通り鈴の音にしか聞こえないという事実は、つい昨日わかったことである。
フローの存在を隠し通すうえでは非常に都合がいい現象だが、両親に向かって自己紹介を始めた時は和臣も流石に肝を冷やした。生まれたばかりなのにきちんと挨拶ができるなんてフローは偉い子だ、程度で済んだのは僥倖であったと言えよう。
「超可愛い。ふくく、後で髪結んだとこも見せてよ」
「あー……はい」
歯切れ悪い生返事でもって応える。
再三に渡り断るが、早乙女和臣に女性化願望は無い。
制服は勿論のこと私服においても、あくまで男子の服装として相応しいラインを守っている。たとえ店長の力作エプロンが可愛くともエプロンは男性も着用するものだし、髪もショートでないとはいえまだまだ男性としては一般的な長さだ。
そして、可愛いヘアゴムで髪を結うのは彼にとってはもはや女装である。このあたりの線引きは完全に和臣の個人的な偏見によるものだ。
したがって、ハルカの言葉に返答を濁したのは、ヘアゴムを手首から移動させるつもりは初めから無かったからである。
「そだ、早乙女ちゃん。フミちゃんのこと聞いてるよね?」
「はい。明日までですよね」
フミちゃん、とは『かぐら』で共に働くパートの従業員、西原文華のことだ。
実は西原一家は前々から、この桜坂町を離れ遠くの町へ引っ越すことが決まっていた。そして明日が文華の最後の出勤日となる。
本来なら夫の転勤に合わせ四月からの予定だったらしいが、諸々の用意が立て込んでしまい一ヶ月遅れての出立になったと聞かされている。
「つーわけで明日、閉店した後お隣貸し切って送別会やるからさ。他に予定なければ是非おいで」
「わ、ホントですか。それじゃ、お邪魔させてもらいます」
バイトとしては一ヶ月そこらの付き合いとなってしまったが、それ以前から親子共々交流のある相手だ。遠慮を見せるのもかえって失礼だと快諾した。
「チカちゃんは中学卒業したらここでバイトしたいって言ってたけど、今は家族との時間を優先だってさ。ホントいい子だよね」
チカちゃん……
今年で中学二年生になった和臣の後輩であり、美咲の先輩にあたる。もっとも、部活もしていない美咲とは直接の面識は無いはずだが。
西原一家は家族揃って端正な顔立ちの持ち主であり、千華もその例に漏れずハルカ曰く「超絶美少女」である。同じ学校に通っていたのは一年間だが、友達が多い方とは言えない和臣と違い千華の周りにはいつも数人の友人が取り巻いていた印象がある。
加えて礼儀正しく人当たりも良く、つい先刻にも挙げられたエピソードのように家族想いな面もあり、外面にも内面にも非の打ち所が無い超人だった。
遠くへ引っ越してしまうとなれば、面と向かってゆっくり話せるのは明日が最後になるかもしれない。寂しくはあるが、新生活が不安にならないよう応援してあげなくては。
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