第14話 これからよろしくね

「言ったろ、和臣。これはフローの魔法だ。ただデケェ音を出したわけじゃねぇ」

「ディオネア……」


 土手を降りて戻ってきた和臣と音を止め変身を解いたフローに、美咲の手の上のヘアクリップがこともなげに言った。


「犬笛みてぇなもんだろうな。フローが鳴らしたベルの音は、どうやら花の妖精とその主人にしか聞こえねぇ代物らしい」


 確かに、そう仮定すれば説明がつく。

 犬や猫の可聴限界は人間の可聴領域を遥かに上回る高さを持つ。すなわち、犬や猫の耳には聞こえるが人間には聞こえない音が存在する。犬笛はそのような高周波の音を吹き鳴らすことのできる、訓練用のホイッスルである。

 同じ人間同士の話にしても、加齢によって可聴領域が狭まることを利用した「若者にしか聞こえない」モスキート音というものが、素行不良の若者を追い払う目的などで利用されてもいる。

 フローが鳴らした魔法のベルもそれらと同様に、和臣と美咲とディオネア……つまり「花の妖精とそれを擁する者」以外には聞こえない音を発していた。原理は全くの不明だが、「そういう魔法」なのだと言われれば納得せざるを得ない。

 そして、仮にその通りの物であるのならば、この魔法は……、


「緊急連絡手段にできるな」「仲間探しに使えるね」


 ディオネアと美咲の声が、異なる内容を同時に唱えた。


 和臣が口に出そうとして二人に先んじられた言葉は、内容的にはディオネアの言う「緊急連絡手段」と同じだった。伝達距離の限界はまだ不明ではあるが、もしこの先和臣が孤立している状態でバグの襲撃を受けた時、この魔法のベルを鳴らすことで美咲だけに危険を伝えられる。

 和臣が魔法少女になれない以上、フローをバグから守るためには彼女の力を借りる他にない。和臣とディオネアはそれを理解していたからこそ、「緊急連絡手段」という同じ結論に到達した。

 だが、当の美咲の口から発せられた答えは二人のものと大きく違っていた。


「えっ? だ、だって魔法少女にしか聞こえない音ならさ、これが聞こえたらアタリだから仲間にできるってことじゃない?」

「まァ、そりゃそうだろうが……二の次だろ、それはよ。フローを守る作戦会議をしてんのに、守る対象増やしてどうする」


 随分と自信過剰な物言いである。まるでどんな魔法少女が見つかったとしても自分達の方が優れているとでも言いたげだ。

 だが、和臣は知っている。魔法少女と化した美咲は、化け物に泣いて命乞いをさせる程の圧倒的な強者であると。ディオネアの発言に顕れる自信は、傲りでも何でもない事実である。


「美咲は……昨日も僕に新しい仲間かもって言ってたよね。随分、仲間にこだわるんだね」


 だからこそ、和臣には彼女が執拗に仲間を求める理由が思い当たらなかった。

 一人でも十分に戦えるどころか、こと戦闘においては彼女より優れた魔法少女の姿が和臣にはイメージできない。足手まといにすらなりかねないというのに、それでも彼女が仲間を欲するのには何か深い理由がありそうだ。


「そう? 別にこだわってはないよ?」

「えっ……あ、そう、なんだ」


 虚を突かれ、つい間抜けな声で空返事をしてしまった。


「仲間が増えたら嬉しいけど、何としても欲しいってわけじゃないしね」


 まっとうな答えだが、和臣の胸に燻った違和感は消えなかった。

 今の美咲の返答は真実だろう。彼女は新しい仲間にこだわってはいない。

 ならば自ずと、「仲間を欲している自覚がない」という答えにたどり着く。美咲は無意識に、その理由だけをぽっかりと欠いたまま、心の奥深くでそれを求めているのだろう。でなければ先程の美咲の答えは、ディオネアの意見と一致していてもおかしくはなかった。


「仲間のことは増えたその時考えりゃいいだろが。今はフロー優先だ」


 目の前のフローをないがしろにされたと思ったのか、少し不機嫌そうにディオネアが口を挟んだ。


「まず和臣、今後は学校に行ったりバイトに行ったりする時も、常にフローをヘアゴムに変身させて肌身離さず一緒にいろ」

「わぁーい! ご主人様とずっと一緒です!」


 満面の笑顔で首筋に抱きついてきた天使の頭を、慈しむように優しく撫でる。


「んで、それ以外の時間は基本的に美咲と一緒にいろ」

「……へ?」


 今度は美咲が、間抜けな声を上げた。


「ほ、放課後? 毎日一緒に⁉」

「たりめぇだろが」

「そ、それじゃまるで……!」


 消え入るように小さくなった美咲の言葉。その先が、恥ずかしながら何となく和臣にはわかってしまった。


「あの、美咲が嫌なら僕は……」

「い、嫌とかじゃないけど!」


 紳士的に遠慮しようと試みたが、和臣には難しかった。


「ミサキちゃんとお兄ちゃんとも毎日会えるんですね! 嬉しいです!」

「そ……そうだね。フローのためだもんね、うん」


 強引に納得の境地に至り、美咲は呼吸を落ち着かせた。

 正直なところ、和臣自身も「男子」として扱われることは稀であり、美咲の初めて見る反応に当惑するばかりでフォローらしいフォローもできなかったため、今のフローの言葉はまさしく最良の助け船だった。


「美咲と一緒にいない時間帯にもしバグが現れたら、さっきのフローの魔法……そうだなオレが名付けてやる。『エマージェンシー・ベル』。それで美咲を呼べ」


 緊急連絡手段。まさに和臣が想定していた利用法そのものだ。

 美咲と同行中は言わずもがな。あまり考えたくはないが学校やバイト先でバグの襲撃に遭ったとしても、美咲を呼び出してからどうにかして時間を稼ぐことで彼女に守ってもらうことができる。

 この二段構えで、バグに狙われるフローの命と主人である和臣の記憶や感情の安全は保証される。


「けど、このやり方じゃ美咲たちの負担が大きすぎるよ。二人にメリットが無い」


 早乙女和臣は魔法少女に変身できない。いつまで待っても戦力にはならない足手まといだ。加えて、フローが頑張って習得してくれた固有魔法も、戦闘には向かず仲間を呼び出すだけのものだった。

 それなのに昼夜を問わずフローと和臣を単身で警護することは、美咲に負担しか与えないのではないか。


「そんなの気にすることないよ。私達もう仲間じゃん?」


 美咲は男前にも、爽やかスマイルを浮かべて親指を立てた。


「それに、メリットならあるぜ」


 ディオネアが得意気に言葉を継ぐ。


「マンドラゴラの成り立ちから察しは付いてると思うが、バグを能動的に探し出す手段ってのは無ぇ。アースエナジーを蜜にして誘き寄せる受け身の方法しか取れねぇんだ。だからフローという仲間が増えたことで、単純にその敵を誘い出す能力が二倍になった」

「……成る程。けど」


 確かに、大いに合点がいく話だ。だが、その計算には見落としがある。


「二倍の敵が襲ってくるなら……戦力も二倍になってないといけないんじゃないの?」

「バァーカ。オレ達を誰だと思ってる」


 パクパクと開閉するだけのヘアクリップに、不思議と和臣は不敵な笑みを見た気がした。


「グラン・ペタルの狂犬、ディオネア様と」

「悪を捕らえる女神の瞳、マンドラヴィーナスよ?」


 ご丁寧に先程実演された変身時の口上とポーズまで再現しながら、名乗りの後半を美咲が担った。

 大丈夫なのだ。この名コンビならば、どんなバグが訪れようと勝てる。二人の顕わにする自信が、その強さの絶対性を表明していた。


「お兄ちゃん、ミサキちゃん、カッコいいのです!」

「へへ、だろう? 千切っては投げ、千切っては投げってなぁ。そうしてアースエナジーを奪還し続ければ、必ずクソ虫どもからグラン・ペタルを取り戻す道が見えるはずだ。どうだ、見事な利害の一致じゃねぇか。オレ達がお前とフローを守ることに、何の不思議も無ぇだろ?」

「……うん。ありがとう、ディオネア。美咲も」

「和臣。オレは正直テメェなんていけ好かねぇし守りたくもねぇ」


 急に何てことを言うのだろう。台無しだ。


「だがな、フローを生まれさせてくれたことは感謝してる。変身もろくにできなかった無能だが、そこだけはテメェの功績だ。誇っていい」

「……複雑だけど、とりあえずありがとう」


 美咲の右手が和臣の前に差し出される。


「何だかおかしなことになっちゃったけど……これからよろしくね、早乙女くん」


 和臣も右手を差し出し返し、自分と同じくらい華奢なその手を握った。フローがそれを見て和臣の腕をピコピコと駆け降り、二人の手の上にしゃがみこんでにぱっと笑う。


「こちらこそ、よろしく」

「よろしくです、ミサキちゃん!」


 こうして、男子高校生の早乙女和臣は、三歳年下の女子中学生に守られることになったのであった。




「そう……あの子が、ね……」


 そんな和臣と美咲の固い握手を橋の上から見守る人影があったことに、誰も気づいてはいなかった。

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