第8話 あったかいお家!

 和臣の家はここから歩いて十分といった距離だ。中学校が同じなのだから自然なことだが、割とご近所だったことに不思議な感情を覚えつつ、帰途についた。

 人通りの極端に少ない住宅街を歩きながら、フローとたくさん話をした。

 自分のこと、家族のこと、友人のこと、かぐらのこと。フローは生まれたばかりで何もかもが興味深いらしく、どんな話でも楽しそうに聞いてくれる。家までの道はあっという間だった。

 ほんのちょっぴり高級な集合住宅の階段を上がり、三〇六号室の鍵を開ける。上着のポケットにいったんフローを隠してから、扉を引いた。


「ただいま」

「おかえりー」


 すぐに声が返ってくる。同時に、香ばしい揚げ物の匂いが鼻をくすぐり、食欲を刺激した。


「今日はちょっと遅かったのね。でもちょうど良かった、もうすぐ出来るわよ」


 キッチンに立って料理に勤しむ和臣の母親、早乙女紗和さわ。油鍋から目を離さないまま、揚げ立てが食べられる旨を報告してくれた。


「ありがとう。荷物置いてきたら手伝うよ」


 シンクの水道で手を洗い、うがいを済ます。


「いいわよ、ホントにすぐ出来るから」

「ごめん。ありがと」

「気にしないの。バイトの先輩と話してたの?」


 紗和はからからと笑って、帰りが遅れた理由を何気なしに尋ねた。

 和臣は一人っ子で、両親と三人で暮らしている。両親は共働きで、紗和は市役所勤めの公務員、父親の堅吾けんごはアパレルメーカーの社員という、ごくごく一般的な家庭である。

 家事当番制は厳密に設けてはいないが、和臣が高校に進学してバイトを始めてから、夕飯は基本的に和臣と紗和のどちらか、先に帰宅した方が作ることになっていた。


「……ううん、友達と。少し話し込んじゃって」


 まさか今日あったことをそのまま言うわけにもいかず、言葉を濁して伝える。


「ふふっ、そう。『ヒロと』って言わないってことはヒロ君以外の友達なのね」


 さすがに嘘は通用しないと知っていたので、告げた内容はあくまで嘘ではない。


「カワイイ子なら、今度紹介してね」


 しかし、女の子だとまでバレていたのは予想外だった。親とはかくも鋭いものである。

 話しながら紗和は油から取り上げたトンカツを包丁で切り分けていく。ザクザクと小気味の良い音がまた食欲をかき立てた。少し斜めに切るのがオシャレなのよねと、以前話していたのを覚えている。


「うん……そうだね、可愛いよ。そのうちね」


 再び言葉を濁しつつ、正直に述べるところは正直に述べて、和臣は自室へ足を向けた。

 早乙女家の間取りは3LDKだ。一室は紗和と堅吾の寝室。一室は和臣の部屋。もう一室は堅吾の仕事関係と和臣の趣味とであらゆる洋服が所狭しと収納されたウォークインクローゼットと化している。


「わぁ……! お花がいっぱいです!」


 ポケットから顔を出したフローが、色とりどりの花が飾られた和臣の部屋を眺めて感激の声をあげた。


「花の妖精……って、植木鉢でいいのかな?」


 ふと素朴な疑問を頭に浮かべながら、お気に入りの可愛いプランターのひとつに赤玉土と腐葉土を盛る。


「はい、フロー。今日からここが君のお家だよ」

「わぁーい!」


 歓喜の声をあげるなり、フローは頭からプランターの土にダイブし、ごそごそと掘り返して潜り始めた。


「そ、それでいいんだ?」

「あったかいです!」


 頭だけひょこっと出した生き埋め状態のフローが満面の笑みで元気に返事した。いつかの時代にこんな拷問があったと聞いたような……いや、フローが喜んでいるから何でもいいかと和臣は思考を遮断した。

 部屋に置いてあるウォーターサーバーで、一番小さいゾウさんジョウロに水を汲む。花の世話がしやすいようにと堅吾が作ってくれた自家製簡易サーバーで、プラスチック製のタンクに取り付けた蛇口のレバーを捻ると水が出る仕組みだ。当然和臣の手で可愛らしくデコ済みである。


「冷たかったら言ってね」


 既に気持ち良さそうにうとうとしているフローに直接水がかからないように、プランターの土を湿らせていく。


「気持ちいいです~……」

「よかった」


 頭から花でも生えていればもう少し分かりやすかったが、フローの頭にはスズランの形の帽子がちょこんと乗せられているくらいだ。手探りの対応がとりあえず功を奏したようで一安心した。


「ご主人様……ありがとうございます……むにゃ……」


 他のプランターの湿り具合を見ながら適量の水を与えていると、フローはすやすやと寝息を立て始めた。


「ふふ。おやすみ、フロー」


 花の妖精――そんな未知の存在であるフローに、他の花と同じかそれ以上の愛情を注ぐことに不思議と抵抗は無かった。物語の中の本物の魔法少女でも、迷わずそうしているはずだ。


「魔法少女、か……」


 ――お前がマンドラゴラに変身できなかったら、誰がフローを守るんだよ。


 もっと知らなくてはならない。

 魔法少女と、花の妖精、そして……虫のこと。

 もちろん気乗りはしない。昨日見たことも全て夢だったと片付けて、忘れて、最初から何もなかったように明日を迎えたい。

 だが、魔法少女とまではならずとも、フローのご主人様になったのだ。見て見ぬ振りはもうできない。

 元々は、ハルカ店長に託された小さなスズランの実。

 責任を持って育て、守り抜く。

 最初からずっとそのつもりだった。


「和臣ー! 冷めちゃうわよー!」

「はーい、今行くよ」


 そのためにも、まずは明日。

 もう一度美咲とディオネアに会って、聞かなきゃならないことを全部聞こう。

 決意を新たにし、和臣は部屋を出てダイニングに向かった。

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