第7話 フロー

「フローの名前は、フローといいます。よろしくお願いします、ご主人様っ」

「うん、よろしくねフロー。ふふっ、可愛いなぁ」


 和臣と美咲、そしてディオネアとフローと名乗った生まれたてのスズランの妖精は、暗くなった土手を連れ立って歩いていた。


「オイコラ、人間のクセに妖精にデレデレしてんじゃねぇぞ」

「ディオネアの方こそ。言っておくけど、フローに変な言葉遣い教えたら許さないからね」

「あぁ⁉ やんのかテメェ!」


 ヘアクリップが牙を剥く。恐ろしい剣の姿でならともかく、その姿で凄まれてもちっとも怖くない。


「もうっ! ご主人様、お兄ちゃん! ケンカは駄目ですっ!」


 頬をプクっと膨らませたフローに叱られた。ああ、可愛い。

 ちなみにディオネアは、花の妖精としては先輩ということでフローに自分のことを「お兄ちゃん」と呼ばせていた。職権濫用甚だしい。


「あはは、大変ねママ。……いやパパか」


 和臣の肩にちんまりと腰かけるフローの頭を指先で優しく撫でながら、美咲は苦笑した。


「しかしオレも驚いたぜ。まさか和臣、お前が男だったなんてな……」

「ホントだよ。最初に勘違いしたのは私たちだけど……なんていうか、もう反則」


 美咲のくしゃみを皮切りに、もう遅いから帰ろうという段になってようやく。

 和臣は二人……いやフローを含む三人に、自分が男だと説明できたのだ。


「しかも私と大して背も変わんないのに、三つも年上の先輩とか……」


 美咲がじろじろと和臣の身体のあちこちを見つめてくる。好奇の視線にはある程度慣れていたつもりだったが、やはり少しだけくすぐったい。


 聞けば、美咲は和臣がつい先日まで通っていた中学校にこの春入学したばかりの中学一年生だという。つまりまだ十二、三歳ということになる。

 が、数字が与える印象よりも彼女はいくらか大人びて見えた。運動神経は抜群そうだがガサツではなく、仕草のひとつひとつにどこか品がある。勝手な想像ではあるが、きっと育ちが良いのだろう。


「本当に男なの?」


 ただ、無遠慮だった。


「本当に男です。……とにかくそういうわけだから、僕は魔法少女にはなれないからね」


 何せ少年である。なりたいと思っても魔法少女にはなれないし、そもそもなりたいと思わない。


「でもでも、フローは困るのです。花の妖精は、花の魔法少女のパートナーになるんだと、お兄ちゃんも言ってました。フローはどうしたらいいのですか?」

「どうもしなくていいよ。フローは何も心配しないでいいからねー」


 不安に顔を曇らせるフローを安心させようと、根拠もなしに告げると。


「いや、良くねぇよ」


 過保護なお兄ちゃんと化した小五月蝿こうるさいヘアクリップがすかさず口を挟んだ。


「虫どもはアースエナジーの匂いに釣られてやってくるんだ。フローは奴らにとっちゃさしずめゴチソウだぜ。お前がマンドラゴラに変身できなかったら、誰がフローを守るんだよ」


 虫。

 その単語がちくりと和臣の恐怖心を突き刺すように煽る。


「……一体何なの? あのハエみたいな怪物も、アースエナジーも、今井さん……マンドラゴラも」


 正直言って、和臣は何ひとつ知れていない。

 マンドラゴラ――花の魔法少女が一体どういう存在なのか。一口に魔法少女と言われても、そんなもの実在すら信じていなかったこちらとしては、そうなんですかと納得するわけにもいかない。


 不明な点は他にもあった。

 かぐらで美咲が問いかけてきた言葉の意味、虫食いのように記憶を失うとは?

 友達のお見舞いに行くと言って花束を買っていったあの女の子は、あの後結局どうなった?

 ハエ男は、あの半人はんじん半蟲はんこの怪物は、まだ他にも存在しているのか?


「美咲でいいよ。……それを説明するには、ちょっと時間が足りないけどね」


 住宅街に入ってしばらく歩いたところで、美咲はポニーテール癖のわずかに残った髪を翻してこちらを向き直った。


「美咲ん家だ。今日も今日とて、門限までに戻れて良かったぜ」


 閑静な街並みの一角、少しばかり堂々とした門構えの一軒家。街灯に照らされた表札には「今井」の文字が見える。


「送ってくれてありがと。早乙女くん、明日の放課後は空いてる?」

「え、うん」


 突然「早乙女くん」と呼ばれたので少々面食らったが、明日は学校以外に予定がないことを告げると、美咲は爽やかに笑ってウィンクした。


「よし! それじゃ明日、学校終わったら桜坂駅前のマスドに集合ね! フローも見つからないように連れてくること!」


 マスド、とはハンバーガーとドーナツが夢のフュージョンを果たした全国的に大人気のファストフードチェーンだ。どうやら彼女は放課後に間食をつまみながらお喋りするつもりらしい。やぶさかではないが、そんなに目立つ場所にフローを連れて行って平気だろうか。


「マンドラゴラのこと、色々教えたげる。先輩としてねっ」

「だ、だから僕は……」


 魔法少女になるつもりはない、と言葉を続けようとしたが、美咲は遮るようにそそくさと門扉を開けて庭に入ってしまう。


「おやすみ、早乙女くん。また明日ね」

「じゃあなフロー、おやすみぃ。また明日なぁ、ふへへ」

「ディオネア……キモいわ」


 ディオネアがデレッとフローにだけ別れの言葉を告げ、美咲が淡々と罵倒した。


「おやすみなさい、お兄ちゃん、ミサキちゃん!」


 小さく手を振って、美咲の姿は今井家の玄関に消えた。パタン、と扉が閉まるまで見送ったあとで、溜め込みに溜め込んだ息を思いっきり吐き出す。

 今日は色々なことが一度に起こりすぎた。


「ご主人様?」


 俯いた顔を、フローが心配そうに覗き込んでくる。


「何でもないよ。帰ろうか」


「はいっ!」


 元気よく答えたフローに微笑みかけ、和臣は今井家を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る