第5話 今井美咲
「な……何、て?」
震える口で聞き直す。いや、正確には質問は聞こえてはいたが、その意味が理解できなかった。
「マンドラゴラだよ。花の魔法少女。アースエナジー、持ってるんでしょ?」
違う、と言ったらあっさり殺されるかもしれない。緊張を解かずに、質問を反芻する。
マンドラゴラ。イコール、花の魔法少女。知らない。
アースエナジー。知らないし、持ってない。
……やはり理解できなかった。
「やめとけよヴィーナス。今度もハズレだ。たまたま大量のエナジーを持ってたってだけだろ」
「もう、ディオネアは黙っててよー」
先程の地獄絵図から一転、呑気なやり取りだった。不機嫌そうに口を尖らせるこの少女が、つい先程ハエ男を残虐極まりない方法で殺害した化け物と同一人物だとはとても考えられない。
だが、今なら武器も彼女の手には無い。逃げるなら今しかない。徐々に血の気が戻ってきた脚に力を入れ、立ち上がる準備をする。
「オイお前、逃げんなよ。逃げたらバグの仲間と見なしてブッ潰す」
「……っ」
駄目だ。よりによって剣の方に見透かされている。
「ディオネアってば!」
「後ろめたいことが無きゃ逃げねぇだろ。大人しくヴィーナスの質問に答えりゃ何もしねぇよ」
もはや和臣に選択肢は残されていなかった。
ハエ男の死に様を思い出す。
脚と翅をもがれて逃げる手段を完全に奪われ、恐怖と絶望を押し付けられ極限まで苦しみ抜いた挙げ句、全身を潰されて死んでいった。
しかし、もしハエ男が殺された理由が「ハエ男だったから」ならば、人間の自分は見逃してもらえるかもしれない。
「に、逃げ……ないよ。けど、ごめん、し、質問の意味が……わからなくて」
喉と唇が乾ききっている。言葉を紡げたのが不思議なくらいだった。すぐそこを流れる川に、今すぐにでも飛び込みたい。
「うーん、ホントに知らない? またアテが外れたかなぁ……」
「毎度アテにならねぇんだよ、お前の勘はよ」
少女の背後で、巨剣がぶつくさと野次を入れる。慣れているのか、彼女は無視して言葉を続けた。
「でも、じゃあそれは何?」
「え……?」
指差されるままジーンズのポケットに視線を移し、和臣は驚愕に目を見開いた。
「な、何で⁉」
ポケットにはスズランが生えていた。
名前の通り鈴なりに白く小さな花が並び、どれもがお辞儀するように可愛らしく頭を垂れている。千切れてしまわないよう慎重に取り出すと、茎の先は先刻和臣がかぐらで見つけた赤いスズランの実に繋がっていた。
――最近、妙に元気だなとか、育ちが早いなと思った花はありますか?
和臣はかぐらでの少女の言葉、質問その三を思い出していた。
ついさっきまで実に包まれたままだった種が、ほんの数十分で急成長し花までつけることなど本来はあり得ない。
ここまで来れば確信できる。少女が投げ掛けた三つの質問は、全て『花の魔法少女マンドラゴラ』に関する話だったのだ。
そして恐らくは、この急成長こそが『アースエナジー』の影響。
「この、スズランは……店で偶然、種を拾ったんだ。だから、な、何も知らない……ご、ごめん」
正直に告げると、少女は残念そうに溜め息をついた。
「そっかぁ。んー、仲間が増えたかと思ったんだけどなぁ。でも良かった、敵の方じゃなくて」
「ひっ……!」
狂気すら覚える無邪気な笑顔に息を飲む。もし敵の方だったら、やはりハエ男のように殺すつもりだったとでも言うのだろうか。
だが、何とか話は通じた。生き延びることができた。そう安堵した瞬間、全身から嫌な汗がどっと噴き出した。
「イヤ、ヴィーナス。仲間の素質あるみたいだぜ。そいつ、ただのスズランじゃねえ、どうやらオレと同じ花の妖精だ」
「え、ホントにっ?」
少女は驚きと喜びに高揚していたが、和臣は別のことを気にしていた。
花の妖精⁉ あの剣が⁉ 妖怪の間違いじゃないの⁉
だいたい、どこが花なの⁉ 口と牙があって、虫を食べる花なんて、見たことも聞いたことも……、
「……あ」
あった。思い至る点が、ただひとつ。
「ハエトリソウ……」
店長と話した、食虫植物。思えばその名を口にしたのもまたこの少女だった。
赤い牙は睫毛のように生え並ぶトゲ。二つに割れる大口はそのまま虫を挟むあの口。ただ剣の形をした自称花の妖精は、実物のハエトリソウより数倍巨大で数倍不気味で数倍禍々しい見た目ではあったが。
よくよく見れば、少女の方の格好もところどころにハエトリソウと思われる意匠がちりばめられている。巨剣と同じく血濡れた獣の牙を彷彿とさせる、禍々しく凶暴な赤黒い鎧。魔法少女よりも悪の女幹部の方がしっくりくる。確かに赤が似合うとは思ったが、この刺々しい鎧は全く可愛くない。
「おう、そうだ。いかにもオレはハエトリソウの妖精……ディオネアだ」
「あっ、私は
正直、よろしくしたくなかった。
「
美咲がまた呪文と思しき単語を放つと、再び赤い光が彼女を包み込み、元の姿……店で出会った時のスポーティーなパーカー姿に戻っていた。髪の色も真紅から茶髪に戻り、剣……ディオネアの姿も跡形もなく消えている。
「しかしコッチで妖精が生まれるなんて、珍しいこともあるんだな」
「あっコラ、ヘアクリップの時に喋るなっていつも言ってるでしょ! 髪痛むんだから!」
美咲がポニーテールからヘアクリップを外すと、黄緑色の趣味の悪い――和臣はここでようやくハエトリソウをモチーフにしたアクセだったのだと気づいた――ヘアクリップがパクパクと動いて、先程の剣と同じ声で喋った。
「なら喋り終わってから変身解除しろや」
変身解除。おそらくはさっきの呪文だろう。
ここまで立て続けに超常現象を見せつけられては、もはや認めるしかなかった。彼女――今井美咲は、本物の『魔法少女』であるのだと。
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