第3話 スズランの実とハエトリソウの少女
「早乙女ちゃん、そろそろ上がっていいよー」
「はーい。ちょっとここ終わったら上がりますね」
時刻は午後六時二十六分。閉店時間の七時を前に、客の入りもほとんどゼロになってくる時間帯だ。ちなみに文華は夕飯の支度のため二時間ほど前に上がって今は和臣とハルカの二人である。和臣は、店先に出した鉢植えの花々の様子を確認して回っていた。
「ん……何だろこれ」
鉢植えのひとつに、土塊に紛れて硬い感触の小さな赤い玉が乗っているのが見つかった。
「何かの実かな」
色合いは鮮やかな赤。小ぶりなブルーベリーのような見た目だ。かぐらでは見慣れない実で和臣も何だったかわからなかったので、ハルカに尋ねたところすぐに答えが返ってきた。
「スズランの実じゃね?」
「スズラン……ですか。そういえばウチでは扱ってませんね」
可愛いのに。
「そらもう強いからね。たまに栄養独り占めして同じ花壇の花枯らしまくっちゃうくらい。毒もあるの知ってる?」
「あ、聞いたことあります……」
「毒草ですって注意すると敬遠しちゃったりするお客様も多いのよ。正しい栽培方法知ってればなーんてことないんだけど……ま色んな意味で扱いがムツカシイ花でさ」
だから取り扱わなくなっちゃった、と語るハルカの目は、どこか悲しい雰囲気を帯びていた。きっと同じ花なのだから分け隔てなく愛したいのだろう、と和臣は感じた。
「この実はどこから紛れ込んだかわかんないけど……早乙女ちゃん、よかったらお家で育ててみたら?」
「いいんですか?」
「あはは、ガワラくんにツケときゃいいよぉ」
けらけらと他人事のように笑いながらさらりと言ってのける。そもそも売り物でもないのに、商魂たくましいものだと和臣は感心し、ついでに普段の含み笑いよりこっちの方が可愛いとも思った。
「その方がお花も喜ぶと思うしね。頑張りたまえ、花を愛する少年よ」
「……はい。ありがとうございます!」
「っとお客さんだよー、早乙女ちゃんよろぴこ」
「あ! い、いらっしゃいませ!」
慌てて振り返ると、店の入り口に中学生くらいの女の子が立っていた。
「どういったお花をお探しですか?」
にこやかに語りかけながら、和臣はしっかりと彼女の脳内コーデを始めていた。
パチッとした大きな瞳とつり上がり気味の目尻。パーカーのポケットに手を突っ込んだ佇まい。動きやすそうなハーフパンツにハイソックス、スニーカー姿。いかにも気の強そうな印象を受けた。赤系で統一したい。
髪型はポニーテール。ヘアゴムやシュシュではなく、外側が黄緑で内側が赤のバナナクリップ一個でまとめている。ポニテ自体は似合ってるけど、そのヘアアクセはちょっと……黄緑の主張が強すぎて悪目立ち。逆のないのかな、表側が赤のやつ。いっそ内側が黄緑じゃなくても全然いい。
「アー……っと、買い物、じゃないです。事情聴取」
「へ?」
少女の発言に我に帰る。事情聴取?
「聞き込み調査って言った方がいいかな。でも冷やかしも良くないし、答えてくれたら何か買いますよ」
「あ、いえ。こちらに答えられることでしたら何なりと」
少し面食らいはしたが、立派なお客様だ。要求には最大限答えるのが、従業員の務めだった。
「じゃあまず質問その一。最近店員さんや他の誰かが、記憶が部分的に失われた……ちょうど虫食いの穴が空いたみたいに、何か大事なことを思い出せなくなったことはない?」
その一からいきなり、予想外で突飛な質問だった。
「えっと……ありません」
「些細なことでもいいの。何かを忘れたとは思うけど、何を忘れたのか思い出せない……とか、そういうことでも」
そう言われても、と和臣は困ってしまう。
どちらかといえば、記憶力には自信がある方だ。脳内コーデをした女の子のことは忘れないし、花の名前や種の形、ケーキの味や作り方などもよく覚えている。
「わかりました。じゃ、質問その二。最近あなたの周りで、夢に燃えてたりとか、とにかく張り切ってた誰かが、急に人が変わったみたいにそれを諦めて無気力人間になったことは?」
「それも、ありません」
むしろその逆。つい数時間前、夢に燃える熱血筋肉の親友を目の当たりにしたばかりだ。
「んー……アテが外れたかなぁ。それじゃ最後、質問その三。最近、妙に元気だなとか、育ちが早いなとか思った花はありますか?」
「それならあるよーん」
途中から興味津々で話を盗み聞いていたハルカが、和臣に先んじて嬉々として質問その三に答えた。
「ホント? それ、見せてもらってもいいですか?」
途端に顔色を変えた少女の願い出に、ハルカは罰が悪そうに苦笑しながら答えた。
「あー残念、さっき売れちゃったんだ。お友達のお見舞いに行くっていう女の子」
「ああ、あの子ですね」
和臣も目にしている。小学校高学年くらいの女の子だった。
見ているこっちまで幸せになるような笑顔を浮かべ、病気の友達のお見舞いに花束を持って行くんだと語っていた。縁起担ぎにいいとハルカが選んだのが「みるみる元気になった」その花だったのだ。
「そっ……か。何時頃の話ですか?」
「一、二時間くらい前かにゃ」
「それならギリ……。オッケー。ご協力感謝です」
何やら思案したあと、少女は爽やかな笑顔で敬礼のポーズを取った。何ともスポーティで可愛らしい。
「それじゃ、お礼にお花買わないと。そうね……んー、ハエトリソウ? って置いてます?」
「は、ハエトリソウですか?」
普通花屋に置いてあるものなの? と、和臣はハルカに視線で助けを求めた。
「んーごめん、無いわ」
「ですよね……?」
二人して少女の方を見やると、彼女は悪戯っぽい笑顔を浮かべてから店の入り口へと踵を返した。
「じゃあ、また今度来た時買うんで、それまでには仕入れといてください。最近、虫が鬱陶しいので」
「わ、わかりました! またお越しください」
ぱたぱたとこちらに向かって手を振ると、少女はパーカーのフードを軽く被って東……川のある方角へと駆け出して行った。
「ふっくく、ハエトリソウ。いいね、仕入れとこっか。ってか効き目あんのかな?」
「あっ、その店長、ごめんなさい。安請け合いしちゃって……そもそもあれって、花なんですか?」
ハエトリソウ。その名の通り、ハエを取って食べる草。それが和臣の認識だった。
小さい頃に、TVの特集か何かで目にしたことがある。口のようになっている部分に虫が止まると、すかさず口を閉じて虫を捕まえ、溶かして食べてしまう。植物のくせにまるで動物のように能動的に獲物を捕らえて食べる薄気味の悪い存在だと当時の和臣は恐怖したものだ。かぐらの店内に溢れる可愛らしい花々と同類だとは正直思いたくない。
「さぁ? 知らね。ふっくく、でもあたしちょっと興味出てきちゃったし、色々調べとくよ。とりあえず今日はお疲れー」
「は、はい……お疲れ様です」
花じゃないといいなぁ。そんなモヤモヤを抱えたまま、和臣は荷物の置いてある休憩室へと足を向けた。
その頃には少女の質問の真意など、とうに頭から消え失せていた。
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