第2話 甘々ハッピー系魔法少女

 二人の通う花ヶ丘はながおか高校には、十数個に及ぶサークルや研究会が存在している。十数年前の大々的な改装工事の際、当時の校長をはじめとしたお偉方が「趣があるから」と残した二棟の旧校舎がそのままサークル棟として利用されており、それだけの数の部室を確保できるからだ。

 校則では、あまりに常軌を逸した活動内容でさえなければ最低五人の会員で研究会を発足することができる。さらに活動実績が学校に認められれば部活動に昇格して部費をゲットできるのだが、そこまでのやる気を持った生徒は大概が最初から部活に入るため、ここ最近で部活にランクアップできたサークルや研究会は皆無である。

 少女漫画研究会もご多分に漏れず、正規の部活である漫画研究部に後塵を拝する形で細々と活動していた燻り者の集まりであった。


 そう、この男が入会するまでは。


「熱心だね、さすが期待のホープ。ヒロが頑張ってるのを見てると、何だか僕まで嬉しくなるよ」

「よせやい。中学の頃はこっ恥ずかしくて人に見せるなんて無理だったけど、こうして部活にまで入って漫画描けるのは誰でもないカズのおかげなんだからな」

「ふふっ。まだ研究会じゃなかった?」

「今年中には部活に昇格させてみせるからいいんだよ」


 自信たっぷりに紘明は豪語するが、何も途方のない夢物語を謳っているわけではない。

 彼は少女漫画研究会に所属するどの先輩よりも、漫画が上手いのだ。

 それは画力――絵の実力に限った話ではない。

 読者を引き込むストーリーの面白さ。女子のハートを鷲掴みにするシチュエーション。それぞれが個性に溢れ感情豊かな、まるで生きているかのように魅力的なキャラクター。全てが余すことなく詰め込まれた少女漫画を、紘明は作り上げることができるのだ。


 そして、それらは全て「心の底から少女を愛していないと」絶対に身につけられないスキルである。


 つまり、大親友にして最大の理解者である和臣と同じで。

 紘明もまた、可愛い女の子が大好きな一風変わった少年であった。


「それで、相談って?」

「おう、そうだそうだ。昨日、資料用に買った花なんだが。えー、ラ、ラララ……」


 紘明がこめかみに指を当てながら呟いたが、別に突然歌い出したわけではない。


「ライラック」

「それだ!」


 花の名前を思い出そうとしていただけだ。阿吽の呼吸で和臣が正解を言い渡す。


「花言葉ってやつを教えてほしいんだ。今度のヒロインのイメージに合いそうで選んだけど、花言葉までピッタリかわからんからな」


 紘明はフラワーショップかぐらのお得意様だ。連日のように訪れては、見た目の気に入った花やポプリを購入し、スケッチしたり漫画に登場させている。昨日は紫色のライラックをお買い上げいただいたのを、和臣は覚えていた。


「僕もあんまり詳しくないけど、確か……謙虚?」

「謙虚! 謙虚か~……うーむ、確かに謙虚というか奥ゆかしい感じではあるが!」


「他には友情、大切な思い出。紫のやつは特に初恋、恋心の芽生えって感じかにゃ」


 つらつらと言葉を紡いだのは和臣ではなく、裏口からひょこりと顔を出したハルカだった。


「店長、流石ですね」

「ふひ、それほどでも。でも花言葉なんて単なる暗示でしかねーんですから、言葉だけに引きずられない方がいいカモよ」

「なるほど、目からウロコっす! つまり深い意味はないんすね!」


 和臣と紘明が感嘆の声を浴びせる。花屋の店長の面目躍如といったところだ。当のハルカはひとしきり得意げにふんぞり返ってみせたあと、本来の用事を思い出して我に帰った。


「早乙女ちゃん、お隣からまたケーキいただいたから休憩中におあがり」

「わぁ、やった! ありがとうございます!」


 お隣、とは『かぐら』の隣にあるケーキショップ『Honey Sweet』。女子中高生を中心に地域の住民に幅広く愛される、可愛さ自慢の「町のケーキ屋さん」である。

 和臣も数え切れないほど利用し、かぐらの出張サービスの一環として店内の装飾を手伝ったりもした、馴染みのある店だ。経営する八樒やしきみ夫妻の一人娘、菓子かこが手作りのケーキやクッキーをよく差し入れてくれる。


「ガワラくんもせっかくだから一緒にどぞ」


 紘明は知った仲のハルカからガワラくんと呼ばれている。


「うはっ、いいんすか! あざっす店長!」

「お得意様だかんね、特別だよ? かわりに今日も何か買ってってね」


 ちゃっかりと商売上手ぶりを発揮して、ハルカは業務に戻って行った。


 和臣と紘明は連れ立って店内の休憩室に足を運び、向かい合わせの椅子に腰掛けた。

 テーブルの上に置いてあった小箱を手に取って丁寧に開けると、中には鮮やかなピンク色のフルーツがたっぷり載った、美味しそうなタルトが入っていた。


「さくらんぼのタルトだ! 可愛いなぁ」


 菓子のものと思われる字でケーキの説明が書かれたメッセージカードも添えてあった。どうやら今日の差し入れも、菓子が作ったもので間違いないらしい。


「いや~すげぇもんだな、菓子ちゃんはムグムグ」

「あっ、ヒロもう食べてる!」


 和臣がメッセージカードに目を通している隙に、紘明はタルトを半分もかじっていた。といっても、その半分は彼の巨大な口にとっては一口ぶんなのだが。


「さしずめ、『甘々ハッピー系魔法少女』だな」

「出た、魔法少女。毎回思うけど、何で魔法少女なの?」

「少女はみんな可愛いという名の魔法が使えるからに決まってんじゃねーか」


 深いようで、意味不明な供述が返ってくる。


 筋金入りの少女漫画マニアである紘明にとっては、休日の朝に放送している女児向け魔法少女番組も当然守備範囲だ。

 そして菓子を『甘々ハッピー系魔法少女』と称したように、道行く幼女や交流を持った少女に対し脳内で勝手に魔法少女としてプロファイリングし妄想に耽るのが彼の日々を潤す趣味のひとつである。

 和臣が戯れにやるのであれば可愛いは正義なので許されるのだが、筋肉ダルマの大男である紘明がやると世間一般的に見て非常に危険な趣味に映る。本人におかしな気が無くとも事案として立件されかねない。したがって、紘明は和臣といるときにしかこの話をしない。

 全くもって世の中とは度し難く不公平なものである。


「魔法少女はいいぞぉ。何せ可愛い。でもって強くてかっこいい。まさに無敵、憧れの存在だ!」


 もちろん、可愛いものなら何でも大好きな和臣は、魔法少女だって好きだ。

 だが、憧れたことはない。

 何故なら和臣は少年だからだ。少年はたとえなりたいと思っても魔法少女にはなれない。


「ただ悲しいかな、彼女たちはその強くてかっこいい無敵の力で悪と戦うために、自分が少女でいられる貴重な今を犠牲にしてるんだよ。俺は常々思うんだ、その大切な時間こそが魔法少女の強大な力の代償なんじゃないのかと」


 残りのタルトを一口でペロリと平らげながら、しみじみと紘明は語った。


「随分難しいことを考えながら見てるんだね」

「……おん? なんか今のでインスピレーション沸いてきたわ」

「えっ?」

「俺帰る! ケーキごっそさん!」


 パンッと両手を合わせ食後の挨拶を告げると、紘明は立ち上がりバタバタと帰り支度を始めた。


「ちょ、ヒロ⁉」

「あ、買いもん! カズ、花一本ツケといてくれ! 休み明けに学校で払う!」

「それはいいけど……」


 突然の事態にまごついている和臣を後目に、紘明は瞬く間に自転車に跨がり、景気づけとばかりに無駄にベルを鳴らす。


「じゃな! 店長と、あと菓子ちゃんにもよろしく!」


 軽快に漕ぎ出した逆三角形の肉ダルマが、みるみる遠ざかっていく。まるで嵐のようだった。


「紅茶、淹れようと思ったんだけど……」


 ぽつりと呟いた和臣はその後、仕方ないので紅茶を二人ぶん飲み干し、お腹の心配をしながら休憩を終えて仕事に戻った。

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