哀切~蒼猫悲話

 

 

 

 桶に入った水をかけてやると、兎耳の少女はかすかに動いた。昨晩、フクスを虐めていた主犯格の少女は蒼色キンギョの眼前で倒れ、濡れたその肢体を惜しげもなく晒している。

「よかった。生きてて……」

 ほっと息を吐いて、ミーオは彼女を見おろしていた。

 人気のない離れの物置。埃が被ったその床に彼女は横たわっている。纏っている蒼いタイドレスは無残にも引き裂かれ、乾いた精液が彼女の体を汚していた。

 天井裏にいるフクスと一夜を共にした後、ミーオは罰を受けた彼女のもとへとやってきた。

 廓の規律を乱したものにはそれ相応の仕打ちが待っている。彼女はその仕打ちを受け、こうやって犯された体を力なく横たえているのだ。

 彼女をここまで壊したのは、フクスの兄であるレーゲングスだという。聞いた話によると、彼は何度もこの少女を蹴って、彼女が他の男に犯されている姿を黙って眺めていたというのだ。

 フクスがこの廓に戻って来たあと、彼はフクスに会わせてくれとオーアに掛け合ったという。オーアはそんな彼をフクスに会わせることはなかった。

 代わりにオーアはこの少女を彼に差し出したのだ。

 彼がこんなことをすると誰が思うだろう。けれど、ミーオはそんな彼の一面に驚くことはなかった。フクスを抱きたいのかというミーオの問いに、彼は暗い眼を向けてきたことがある。そして彼は嗤いながら、ミーオのことが嫌いだといった。

 男の亜人の中には獣性が眠っているという。その獣性を男たちは自分の番である女に向けるのだ。フクスを愛している彼は、フクスを傷つけた少女に己の欲望を向けた。

「男に支配される気分はどうだった? 何度も何度もしつこく吐き出されて、私は反吐がでそうだった。子供が出来なかったのがせめてもの救いよ」

 空になった桶を少女に投げつけてみせる。それでも少女はミーオに応えることはしない。

「喉、潰れちゃったのかな? まぁ、いいけど。フクスはもっと恐い眼にあったんだから」

 ミーオはしゃがみ込み、少女の顔を覗き込んでみせた。少女の髪を掻き分けると、焦点の合わない眼が自分を見つめてくる。

「私みたい……。昔の私……」

「ミーオ」

 女の声が自分を呼ぶ。そちらへと顔を向けると、物置の入り口にオーアが立っていた。彼女は戸口に背中を預け、ふうっと煙管の煙を口から吐いてみせる。

「殺すなよ。それでも商品になるんだ。家じゃあもう客は取らせないがな」

「奈落に落とすのね」

「まぁ、死ぬな。お前の息のかかった下僕がうじゃうじゃいるんだから。回されて確実に死ぬ」

 オーアのため息が聞こえる。彼女のため息を聞いて、ミーオはこの金魚鉢の先にある谷に思いを馳せていた。瑠璃湖の落ちる谷は峻厳とした崖で形作られ、その崖に穿たれた洞窟や壁龕の中に廓があるのだ。

 奈落と呼ばれるそこは、文字通り金魚鉢の底を意味する。行き場のない亜人たちが暮らすその場所は、この世の地獄といわれている。

「あそこは同じ金魚鉢でも、自治を任された私たち守り人の支配すら及ばない無法地帯だ。奈落の奴らの中で唯一の規律はお前たち蒼猫なのさ、ミーオ。さて、あのごみ貯でこいつは何年生きられるかな?」

 力なく床に倒れる少女を見つめ、オーアは色のない声で応える。オーアは手に持つ煙管を吸い、ミーオのもとへとやってきた。

 そっと彼女は片手でミーオを抱き寄せ、猫耳に唇を寄せてくる。

「お前はずっと私の主になると決まっていた。ラタバイじいがそう私に約束してくれたんだ。そしてお前は私の主になった。ただそれだけのことだよ、ミーオ」

 猫耳を甘噛みされ、ミーオは猫耳を震わせてみせる。オーアを睨みつけると、彼女は赤い眼に苦笑を描いた。

「昔はもっと可愛かったんだがなぁ。無垢なお前に芸を仕込むのは、それはそれは甘美な時間で……」

 オーアの手がミーオの小さな胸へと伸ばされる。その手を叩き、ミーオは顔を顰めてみせた。

「痛いな……。これでも私はお前の僕なんだぞミーオ。お前は、私の主だろうに」

「分かってるわよ、オーア。あなたがいたから私はここにいる。あなたがいたから蒼色キンギョは生まれたの」

「そうだ、蒼色キンギョ。私がお前を作った。犯されて泥にまみれていたお前を、気高い蒼猫に育て上げたのはこの私だ。私が私の主たるお前を創った」

 オーアの赤い眼がミーオの顔を覗き込んでくる。彼女はミーオを抱き寄せ、その顎を掬っていた。

「何のつもり? 金狐」

 瑠璃の眼を鋭く細め、ミーオは彼女を睨みつけてみせる。

「いや、その生意気そうな眼がなんとも魅力的だなっと思ってな。気高い蒼猫のお前には相応しい」

 厚いオーアの唇が自身のそれを覆う。ミーオは黙ってその口づけを受け止め、唇を離したオーアを睨みつけた。オーアは困ったような笑みを浮かべて、自分の猫耳をなでてくれる。

「煙草くさい」

「悪かったな……」

「でも、煙草くさいオーアは嫌いじゃない……」

 そっとオーアの腰に手を回し、ミーオは彼女の豊満な胸に自身の顔を埋めていた。

「まぁた、ママになれってか?」

「甘えちゃだめ……?」

「いいよ、お前は私の可愛い主だ。いくらでも甘えてくれていい」

 オーアの胸元からは煙草の匂いとは別に、花のように穏やかな香りが漂ってくる。ミーオはその香りが好きだった。鼻から息を吸って、その香りに酔いしれる。オーアを抱き寄せ、そっとミーオは眼を閉じた。

「そのぐらいしか、お前に出来る償いはないからな」

 オーアの悲しげな声が猫耳に響く。そっと眼を開けて、ミーオは彼女に言葉を返していた。

「オーアのせいじゃない。私がそうしたいって思ったから、私はここにいるの」

「そうすることしか、お前にはできなかったの間違いじゃないのか?」

「そうだとしても、それを選んだのは私だよ」

 オーアが自分を抱き寄せてくれる。ミーオは彼女を仰いでいた。愁いを帯びた赤い眼が自分を見おろしている。

 遠い昔に、彼女はこの眼を自分に送っていた。同情する憐憫の眼差しを。

 そっとミーオは眼を瞑る。

 暗い瞼裏にミーオは白いジャスミンの花を認めていた。それは、遠い昔に母に贈ろうとしたジャスミンの花だ。その白い花をじっと見つめながら、ミーオは幼い日々を思い出していた。


 




 白いジャスミンが咲く岸辺に蒼猫耳を持つミーオは立っていた。

 幼いミーオは、自分を睨みつけてくる人間の少女たちと対峙している。水汲みにやってきた自分に、少女たちはジャスミンの花を採るよう命令してきたのだ。用事があるからとミーオが断ると、彼女たちはミーオをいきなり怒鳴りつけてきた。

「亜人のくせに人間に逆らうって何様のつもりよっ?」

 逆上した少女の一人が、手に持った桶の水をミーオにぶちまける。

 少女たちに水をかけられ、ミーオは思わず猫耳を震わせる。生暖かい川の水が体を滑ってミーオは不快感に瑠璃の眼を歪めていた。

 その眼で、少女たちを睨みつける。村の少女たちは、小さな悲鳴をあげて桶を落とした。桶から零れ出た水が周囲に咲くジャスミンの花を濡らしていく。自分の元に転がってくるその桶を、ミーオは片足で踏みしめてみせた。

 両手に腰を当てて少女たちを見すえる。彼女たちはひっと声をあげて後ずさった。

「あんたが亜人の癖に生意気だからっ――」

 叫ぼうとした少女の一人に、ミーオは手に持ったジャスミンの花を投げつけていた。

「いらない。あんたたちのせいで、欲しくなくなった」

 醒めた眼で彼女たちを見すえる。彼女たちは悔しげに口を噤み、そんなミーオを睨みつけてきた。足元に落ちた花を拾い集め、彼女たちはその場を走り去っていく。

「なによ、人でなしの癖に!」

「悪魔の使いのくせに!」

 そう言い捨てて、彼女たちは高床式の住居が建ち並ぶ『人間の居住区』に向かっていった。彼女たちを見送りながら、ミーオはため息をついていた。

「人間が、こっちに来る方が悪いのよ……」

 ミーオは前方に広がる集落を見つめる。竹で編まれた高床式の住居は半ば水に沈み、その周囲を竹傘を被った船頭たちが操る船が行き交っていた。

 ミーオがその居住区に足を踏み入れることはない。

 人間の居住区を見つめるミーオの眼前には、高い竹柵が立ち塞がっていた。竹柵は人の居住区と亜人たちの棲む森の境に作られている。熱帯森の中にある亜人たちの棲家は木の上に作られ、人間たちを容易に近づけさせない。

 あの少女たちはこの岸辺に咲き乱れているジャスミンの花が欲しくて、立ち入りが禁止されている亜人地区へと侵入してきた。そして水汲みのため岸辺に寄ったミーオに、ジャスミンの花を摘むよう命令してきたのだ。ちょうどミーオも母親のためにジャスミンの花を採っていたところだった。

「亜人と口を聞くなんて、折檻されても知らないから」

 しゃがみ込み、ミーオは川縁に咲くジャスミンに鼻を近づける。甘やかな香りが鼻孔に広がり、ミーオはうっとりと眼を瞑っていた。

「ミーオっ」

 名前を呼ばれミーオははっと眼を開ける。顔を後方へと向けると、簡素な衣服に身を包んだ母がいた。頭に甕を乗せ彼女は自分に微笑みかけてみせる。 

 彼女にミーオと同じ猫耳はない。纏められた黒い濡れ羽の髪は夜空を想わせ、浅黒く日焼けした肌はあめ色に輝いている。

 彼女の顔は泥にまみれているけれど、優しさを宿した黒眼が見るものを安心させてくれる。ミーオはそんな母の眼が大好きだ。

 笑顔になり、ミーオは母の胸へと跳び込んでいた。ジャスミンに似た香りが母の体からして、ミーオは気持ちよさに眼を瞑る。

「もう、おっきいんだから甘えないの」

 困った母の声がする。けれど彼女は、片手でミーオの背中を抱き寄せてくれた。

「だって、お母さんはいい香りがする……」

 ぎゅっと母に抱きつき、ミーオは顔をあげてみせる。眼を開くと、不安そうに眼をゆらす母の顔が視界に映り込んだ。

「お母さん?」

「こんなに濡れて、大丈夫だった?」

「別に。それよりあの子たち平気かな? 亜人の私と仲良くしたって村の人間たちに怪しまれたりしないかな?」

 先ほどの少女たちのことを思い出し、ミーオは顔を曇らせる。

 この周辺に棲む亜人はとある理由から、総督府からも優遇されている。そのため亜人たちを妬む人間たちが多くいるのだ。亜人と口を聞こうものなら、人間の子であっても容赦なく折檻されることがあるという。

 戦争のために若者を兵にとられ、村の働き手は減るばかりだ。差別の対象である亜人への風当たりも強くなっている。

「ミーオ……」

 母が小さくミーオを呼ぶ。何事かと思って顔をあげると、母は柵の向こう側へと厳しい視線を投げかけていた。

 ミーオは後方の柵へと眼を向ける。柵の向こう側に先ほどの少女たちがいた。彼女たちの側には、村の男たちが付き添いこちらを見つめている。

 いやらしい笑みを浮かべ、男たちはミーオを見回している。彼らの視線はミーオの小さな胸や、形のよい尻を舐めまわすように眺めていた。

 ぎょっとミーオは眼を見開き、母の胸に顔を埋める。

 父から聞いたことがある。

 亜人を抱くと幸福になれるという俗説がある。特にこの島で特別な存在である自分は、その力が強いと思われているようなのだ。

 男たちはそんなミーオの体に興味がある。俺たちを傷つけるとどうなるか人間たちは知っているが、用心して近づくなと父は何度もミーオに注意していた。

「お母さん……」

「ミーオ……」

 母に呼ばれミーオは顔をあげていた。そっと母はミーオを体から放し、空いた手でミーオの手を握りしめる。

 踵を返し、母は足早に棲家のある森へと向かって行く。ミーオは半ば引っ張られるような形で、母の後を追うことになった。

 ミーオは後方へと顔を向ける。柵に手をかけ、男たちは食い入るようにミーオを見つめていた。






 母に手渡された甕を両手に抱え、ミーオは高い海漂林の枝を器用に登っていく。 蒼猫島の沿岸を取り囲む植物群は川を遡源しても広がり、蒼猫島最大の湖、瑠璃湖が近づくにつれその姿を密林へと変えていくのだ。

 ミーオたちの棲む亜人の集落は、そんな海票林と熱帯林の境にあった。低い海漂林の木々を跳び越え、ミーオは家のある高木を駆けあがる。

 高木の幹は中央で二股に分れ、上部でまた繋がる奇妙な形をしていた。そのため幹の中央には楕円の穴があき、その穴の中央にミーオの家はぶら下っている。瓔珞のように穴の中央でゆれる住居は乾燥したつる草で編まれており、丸い。

 その丸い我が家の中央に空を想わせる蒼い織物が下げられている。蒼地に白い猫の意匠が施された織物を潜り、ミーオは我が家へと跳び込んでいった。

 家に足を踏み入れると、弾力性のある床に足を弾かれミーオの体は浮き上がる。 ゆれる甕を抱え直し足元を見ると、葦で編まれた網目の荒い床が視界に跳び込んでくる。そっと前方へ歩みを進めると、それに応じて床も浮沈を繰り返した。

「おやおや、綺麗な蒼猫だね、こりゃ」

 突然、声をかけられる。驚いて、ミーオは前方へと顔を向けていた。

 部屋の中央には、椅子代わりに吊るされた布がいくつかある。いつもは父親が寝そべっているその布の一つに、亜人の女が座っていた。

 長身の女は黄土色の狐耳を優美にゆらし、切れ長の赤い眼をミーオに向けてくる。何だかその眼差しが恐くてミーオは猫耳を伏せていた。

「ありゃ……」

 ミーオの猫耳を見て、女は困惑した様子で眉根を寄せる。

「おい、あんまり俺の娘を睨みつけないでくれないか?」

 厳しい父の声がミーオの猫耳を打つ。女の反対側にある吊るされた布に父のファーゲアが腰かけていた。甕を両手で抱え、ミーオは女から隠れるように父の背後へと回る。

「あぁ……。そんなに嫌わなくてもよくないか……」

 黄土色の狐耳をがりがりと掻きながら、女が呻く。父は猫耳を呆れた様子で翻し、女に返す。

「この人見知りに金魚鉢のキンギョなんて務まる訳がないだろう? それに家は食いつめてる訳でも、こいつがキンギョになりたいって言ってる訳でもないんだ。帰ってくれないか?」

「女神さまの化身だってみんなが噂してる、一級品なのにね……」

 つまらなそうにため息をついて、女はミーオへと視線を向ける。じっとこちらを見つめる女の視線が何だか恐くて、ミーオはぎゅっと眼を瞑る。

「ミーオ……。んなに恐がることはないだろ……」

 ぽんっと頭を軽く叩かれ、ミーオは眼を開ける。父の苦笑が視界に映り込んで、ミーオは猫耳を伏せていた。

 恐いものは恐いのだ。村の男たちの視線も眼の前にいる亜人の女の視線も、ミーオの体を舐めまわすように見つめてくる。それがたまらく嫌なのだ。

「もうすぐ連れ合いも帰ってくる。苦界の住人は、苦界に帰ってくれないか?」

 ミーオの頭をぽんぽんと叩き、父は女へと顔を向けた。女は呆れた様子で肩を竦め、立ちあがる。床が激しくうねって、体制を崩したミーオは父の背中へとぶつかっていた。

 甕の水が父の体にかかり、ミーオは慌てて体制を立て直す。

「おいおい、もうちょい優雅に立てないのかい? あんた本当に金魚鉢のキンギョか?」

「いまは廓の主だ。それに、あんたはラタバイ爺に盾突く気か?」

「爺さんがこいつを欲しいと……?」

 父の声音が険吞さを帯びる。その声にミーオは思わず眼を見開いていた。父は吊るされた布から乱暴に立ちあがる。背後にいるミーオに振り向き、父はミーオの体を抱き寄せてきた。

「帰ってくれ。爺さんが俺の、蒼猫の娘を欲しがるならなおさらだっ」 

 父の低い声が部屋に響き渡る。怒りを含んだ父の言葉を受け、ミーオは彼の顔を見あげていた。父は瑠璃色の眼を鋭く細め、女を睨みつけている。

 はぁと女は盛大にため息をつき、狐耳を掻く。長い指で彼女は金糸の髪を掻き揚げ、言葉を返してきた。

「わかったよ。今日のところはひとまずお暇させて頂く。でも、その子の将来を考えるならこれ以上、良い働き口はないと思うけどね」

「下半身の面倒見る仕事のどこがいい働き口なんだよ……」

「何も知らないまま、こんな隔離された亜人の居住区で死ぬほうが不幸じゃないかね?」

 彼女の言葉に父は押し黙る。そんな父を見て、彼女は気まずそうに父から顔を逸らした。

「すまない。連れ合いも戻ってくる。帰ってくれないか……」

「あぁ、そうするよ……」

 そう言い捨てて、女は踵を返す。床が大きくゆれミーオは体の姿勢を大きく崩した。それを父の大きな手が支えてくれる

「もう二度とこないで欲しい。俺たちは蔑まれちゃいるが、これでも女神の子孫なんだよ。だから俺もこいつもここにいる。こいつは俺と同じ大切な蒼猫だからな。なおさら引き渡せねぇ」

「神話の時代の矜持にまだぶら下ろうってか? これだから老害は」

 くくっと女の唇に嘲笑が浮かぶ。父は眼を細め、彼女に返した。

「帰ってくれ。女狐に用はねぇんだ。だいたいあんたたち狐の役目は、俺たち蒼猫を守ることだろう? 俺たちには女神を祀る大切な役割がある。この森から出ることは出来ないんだよ」

「因習に娘を縛りつけるか? その因習を人間どもは嫌っているみたいだけどね……」

 吐き捨て、女は颯爽と自分たちの脇を通り過ぎていく。

「家からはしばらくでない方がいい。喰いつくされたくなければな」

 去り際に話しかけられ、ミーオは彼女へと顔を向けていた。悲しげな赤い眼と視線が合って、ミーオは大きく眼を見開く。

「こいつに手を出したら女神さまがお怒りになるぞ」

「そんな迷信、いつまで通用するか……」

 冷たい父の言葉を女狐が嗤う。そっと金魚の織物を潜り、彼女は家から出ていった。




 


 蒼猫は女神の化身だという。

 白人たちがこの島を支配する前、この島を治めていたのはミーオたち蒼猫の亜人だった。蒼猫はこの蒼猫島を創った女神の末裔であり、その女神は今でも瑠璃湖の底で眠りについている。

 そんな女神を守るためにミーオの一族は代々、瑠璃湖の側にあるこの森で暮らしていた。滝となって落ちる瑠璃湖の下には鬱蒼とした森が広がり、森は湖の水を受けて成長し続ける。その森の恵みを受け、この島の人々は生きてきたのだ。

 そんな人々を導き、湖の底に眠る女神を祀ることがミーオたち一族の役目だった。

 それはこの島に侵略者がやってくる前の話。泰王国の王族たちはこの島の神聖さを尊び、ミーオたち一族を何よりも重んじてくれた。けれど、肌の白い侵略者たちは、ミーオたちからこの島をとりあげ、亜人である自分たちを忌むべき存在にまで貶めたのだ。

 古来から亜人はその特異な外見から、アニメズム信仰が生きる新大陸や亜細亜圏ではシャーマンや支配階層を担う神聖な存在と見做されることが多かった。

 だが、人間を第一と重んじる西洋において亜人は堕天使の子孫。もしくは悪魔の使いなどと蔑まれる対象であった。

 白人がこの島の支配者になってからというもの、島に住む亜人たちの暮らしは一変したという。神聖なる森は切り開かれ、白人たちの居住区となった。改宗を迫られた島民たちは亜人の邪悪さを教え込まれ、人と変わらず接していた亜人を自分たちより劣るものとして見るようになった。

 亜人は森の奥へと追いやられ、人の居住区に住むものは奴隷と変わらない生活を送ることになる。

 そして白人たちは神聖な瑠璃湖の中心に、快楽の都を築き上げた。

「俺たちのご先祖様はな、この滝の上で暮らしてたんだ」

 父の声でミーオは我に返る。顔をあげると、高い崖を見あげる父の姿が視界に映る。彼はミーオの手をしっかりと繋ぎ、そっと眼を細める。

 悲しげな父の視線の先には、雨のように水を滴らせる苔むした崖がある。崖は夜空に聳え立ち、壁面に穿たれた横穴や壁龕から橙色の灯りが漏れていた。

 その明かりが灯る洞穴から、ときおり女の嬌声と悲鳴が聞こえてくる。

 ミーオは足元に視線をやる。

 蒼い風信子が咲く水辺に、黒い産毛に覆われた腕が流れ着いていた。腕からは、鮮血が流れ水面を汚してく。

「落ちたときに崖にぶつかって、外れたんだろうな……」

 父がミーオの手をほどきしゃがみ込む。彼の足元には豪奢な衣装を纏った亜人の少女が倒れていた。黒い狐耳を伏せ、彼女は虚ろな眼をミーオに向けてくる。

 少女の右肩は無残に引き千切られていた。眼を見開きミーオは足元の腕を見つめる。この腕は水に浮かぶ少女のものだ。彼女は、この崖の上にある金魚鉢から落ちてきたのだろう。

 かつてミーオたちの先祖が暮らしていた神聖なる場所は、今や人間たちの欲望を満たす快楽の園となり果てている。

 そっと父は指で少女の瞼に触れ、彼女の眼を閉じる。彼は少女の亡骸に手を合わせ、ミーオへと顔を向けた。父に促され、ミーオは遺体の側に近づき静かに手を合わせる。

 ここは金魚鉢で死んだ少女たちの墓場だ。遠い昔、瑠璃湖の水が流れ込むこの谷は島民たちの埋葬地だった。

 時が経ち先祖たちの墓に追害を受けた亜人たちが棲みつくようになる。彼らは白人たちが聖地で始めた商いを、自分たちの棲家でも営み始める。

 それが、蒼猫島の恥部とも言われる奈落の始まり。奈落には奈落の秩序があり、人の世で生きるよりもそこは極楽かもしれないとミーオは父に聞かされている。

「ミーオ……」

 父に促され、ミーオは岸から離れる。ぴんと蒼い猫耳を立ち上げ、父は静かに波立つ滝壺へと足を踏み入れていた。滝壺の中央には櫓が組まれており、父はそこへと登っていく。

 奈落の灯りに照らされる櫓には、花火を打ち上げる大筒がいくつも並んでいた。 その周囲に人影がある。彼らの持つ灯が滝壺に獣耳の水影を描いている。彼らは深々と父に首を垂れ、櫓を降りていった。水を掻き分けながら岸辺にやってきた彼らは、ミーオの周囲に集い片膝を折ってミーオに頭をさげる。

 ミーオはそんな彼らに苦笑を送ることしかできない。

 奈落は金魚鉢の一部とされている。だが、奈落の住人は金魚鉢の自治を司る守り人の命令に従うことはない。彼らはミーオたち蒼猫の一族に仕え、蒼猫の言葉にしか耳を貸さないのだ。

 彼らは蒼猫の一族の中でも女神と似た風貌を持つとされるミーオを、女神の生まれ変わりだと信じているらしい。彼らに会うたびに、ミーオは恭しく彼らに傅かれる。

 顔をあげた彼らは獣耳をゆらしながら、ミーオの周囲へと移動する。

 瞬間、奈落の灯りがいっせいに消えた。辺りは闇に包まれ星々だけが世界を照らす。その世界に一筋の光が走る。それは闇空に高く昇っていき、大きく花開いた。

 花火だ。

 櫓の上で瑠璃色の花火が打ち上げられ、周囲を明るい光で満たしていく。その光が段々と収まり辺りが闇に戻ると、花火の打ち上げ音が周囲に響き渡る。

 また、一条の光が櫓から放たれる。

 それは、女たちを弔う花火だと父は言っていた。

 花火の光は少女たちの命の煌めき。それが消えていく様は、少女たちの命の灯が尽きる姿だという。

 遠い昔、ミーオたちの一族はこの滝壺の周囲で哀悼の歌を死者たちに捧げていた。その歌も今は忘れ去られ、父は花火を上げることで死者の霊を慰める。

 これがお前の仕事だと父はミーオに言う。

 俺がいなくなったら代わりにお前が花火を上げろと。

 繰り返し打ち上げられる光を見つめながらミーオは思う。

 自分もいつかあの光を打ち上げてみたいと。父のように水底に眠る死者に、光りを送りたいと。





 いつものように奈落の住人たちに家まで送ってもらい、ミーオは母と一緒に外で父の帰りを待っていた。

 花火が撃ち終わったあとも、谷に眠る人々を慰める行為は続く。それが終わるまで父は家に帰ってこないのだ。

 星の光に照らされる母の髪は、真珠のような煌めきを纏っている。高木の根元に座り、ミーオは母の髪を櫛で梳く。櫛を滑らせるたびに、母の髪に飾られたジャスミンの花がゆらゆらとゆれた。

 櫛を髪に滑らせるたびに母は気持ちよさそうに足を伸ばし、木の根を呑みこむ川に足をつける。ふとミーオは母の耳を見つめる。濡れ羽色の髪から覗く耳は、人間のそれだ。

 亜人は突然人から生まれるのに、亜人の女は亜人の子しか産めない。だから亜人の子供はたいてい亜人の親を持つものだ。

 けれど、ミーオの母は人間だ。本来なら亜人の側にいるはずのない存在。そんな彼女がどうやって亜人である父と巡り逢い、自分を生んだのだろう。

 櫛を動かす手を止め、ミーオは母の耳を見つめる。

「お母さんに猫耳がないのが、そんなに不思議?」

 弾んだ母の声が猫耳に響き、ミーオは驚きのあまり櫛を手放してしまった。ぽしゃんと音がして櫛が暗い水の中へと沈んでいく。

「あ……」

 ミーオは立ちあがり、櫛の沈んだ川面を覗き込む。そんなミーオの手を母が握った。

「ミーオ、川に落ちちゃう……」

 振り向くと、柔らかな笑みを浮かべる母と眼が合う。そっと母は立ちあがり、ミーオを抱きしめてきた。

「お母さんはね、お父さんに救われたの……」

 母の言葉にミーオは顔をあげる。母は暗い川面を見つめていた。淀む眼をゆらしながら、彼女は言葉を続ける。

「金魚鉢には人間の女の子が働いている廓もあるの。亜人なんて抱けないっていう人間の男のためにね。母さんはそこに売られて、好きでもない人に体を弄ばれるのが嫌で、瑠璃湖の滝に身を投げた。そしたら、お父さんが助けてくれたの……」

 そっと母はミーオを見つめ微笑んでみせる。星のように瞬く母の眼から、ミーオは視線が逸らせなかった。

「だからミーオはお母さんの宝物。あの人がくれたたった一人の娘ですもの。それに、この花も……」

「お母さんは――」

 亜人の娘が嫌じゃないの。そう言いたかったミーオの口は閉ざされる。母が眼を瞑り、髪を飾るジャスミンにふれていた。ふんわりと母からジャスミンの香りがして、ミーオは眼を伏せる。

 母の髪を飾るジャスミンは、暗がりに白い色彩を浮かびあがらせている。

 その花は父がいつも母に贈っているものだ。船頭をやっている父は、この時期になると河の岸辺を彩るジャスミンを採ってきては、母の髪に飾る。

 いつも母からはジャスミンの香りがする。

 昼間は水汲みの最中に夢中になってジャスミンの花を採ってしまった。

 父のファーゲアのように、大好きな母にジャスミンの花を贈りたかったから。

「ミーオ、家に戻ってなさい」

 母の鋭い声がしてミーオは我に返る。母が自分の肩に手を置き、厳しい眼差しを向けていた。何事かと思っていると、川面から音が聞こえてくる。

 そちらに視線をやると、j暗い川を下る船がある。

 船に乗る男たちを認めミーオは息を呑んでいた。暗がりでよく分からないが、それは昼間の少女たちと共にいた男たちのようだ。

「お母さん……」

 男たちの嫌らしい眼差しが脳裏を過り、ミーオは母の服を掴んでいた。この亜人地区に人間が入ることは許されていないはずだ。この周囲は、この島の信仰を司る土地として庇護されてきたのだから。

「ミーオっ」

 母がミーオに言葉を送る。船を降り、男たちが川の浅瀬を渡ってくる。

 男たちの下卑た笑い声が猫耳に響いて、ミーオは弾かれるように家のある木へと昇っていた。幹を伝い、丸い我が家へとミーオは駆けあがっていく。

 その時だ。

 鈍い音がした。何かを叩くような、そんな音が。次に激しい水音がして、ミーオは木の下へと視線を走らせていた。

 先ほどまで母と二人でいた木の根元に、複数の人影がある。その人影に取り押さえられ、悲鳴をあげている母がいた。

 仰向けに倒れる母に、男の影が覆いかぶさっていく。そんな男たちの影のいくつかが、ミーオの登る木を見あげた。ぎらついた男たちの眼が暗闇の中で光っている。

 恐い。

 そう思ったとたん、ミーオはそこから動けなくなっていた。瑠璃色の眼を大きく見開き、ミーオは木へと登ってくる男たちを凝視することしかできない。

 木の下から母の悲鳴が聞こえてくる。

 逃げなさい。逃げなさい。

 そう、母は何度も自分に叫んでいる。

 逃げるって、どこに逃げればいいのだろう。だって男たちはミーオのすぐそばまで迫っているのだ。

 自失するミーオに男たちの手が伸びていく。ミーオはその手から、逃れることができなかった。






 下半身が痛い。

 歩くたびに体に激痛が走ったが、ミーオはかまうことなく河原の暗い路を歩き続ける。逃げなければあいつらに捕まってしまう。けれど、脚が痺れて言うことを聞いてくれない。

 立ちどまって自分の足を見おろす。鮮血と白濁とした液が糸を引いて自分の両脚から流れていた。

 男たちに捕まったあとの記憶は、おぼろげでしかない。木から引きずり降ろされて、母の隣で何度も男たちに体を穿たれた。抵抗すれば容赦なく髪を引っ張られ、頬を叩かれた。

 何度も、自分を励ます母の声が聞こえた。その声が、だんだんと小さくなっていくのだ。そして最後には、何も聞こえなくなった。

 母が動かなくなったあと、男たちは夜市が開かれている露店街にミーオを連れてきたのだ。ここでは露店で売られる金魚たちになぞらえて、亜人の少女たちも売買される。 

 男たちは瑠璃湖に浮かぶ金魚鉢へとミーオを売り払おうとしていた。

 そんな男たちの手から逃れて、ミーオはここまで逃げてきた。石灰岩で作られた船着き場が眼前に見えて、ミーオは誘われるようにそちらへと歩んでいく。

 川の対岸には深い闇に沈む森がある。その対岸を彩る白を見て、フクスは息を呑んだ。

 ジャスミンの花が咲いていた。

 夜闇すらも照らす白い花々は、暗い森を背景にその姿を浮かび上がらせている。 ふんわりとジャスミンの甘い香りがして、ミーオは誘われるようにそちらへと歩んでいた。

「お母さん……」

 瑠璃の眼からほろほろと涙が流れる。風が吹いて、ミーオの涙を対岸へと飛ばしていく。白い花びらがミーオの眼前を通り過ぎていく。

 あのジャスミンが生える岸辺に、母が待っているような気がする。いてもたってもいられなくなって、ミーオは川の中に跳び込んでいた。

 川面を突き破ると、生暖かい水の感触が体を覆う。瑠璃の眼を開くと、闇に閉ざされた川の中で白銀の闘魚たちが鱗を煌めかせていた。

 漆黒の中で輝く闘魚の鱗を見て、闇の中で光を帯びていた母の髪を思い出す。そこに飾られたジャスミンの花にふれる母は、とても幸せそうだった。

 桜色の唇を開いて、ミーオは母を呼ぶ。だが口からは気泡が零れるばかりだ。川面へと顔を向けると、ゆれる星空がミーオの視界いっぱいに広がった。

 その様は、星のように煌めいていていた母の眼のよう。夜闇に輝く綺羅星を見つめながら、ミーオはゆったりと眼を眼を閉じていく。

 川面に映る星空が激しくゆれた。猫耳に響く鈍い水音に驚いて、ミーオは閉じかけていた眼を見開いた。小さな気泡を纏った少女が自分の眼前にいる。

 赤い狐耳を悲しげに垂らし、彼女は緋色の髪を水中でゆらしている。翠色の眼を悲しげに伏せて、彼女はミーオへと近づいてくる。

 誰と、ミーオは少女に問うていた。ミーオの唇からは気泡が生まれ、それは少女の頬にあたって水上へとのぼっていく。

 少女が悲しげに眼を歪める。翠色の眼を瞑り、彼女はミーオを抱きしめていた。







 

 後になってミーオが知ったことがある。自分たちを襲った村の男たちは、宗主国である独逸が敗北することを予感し蛮行に走ったというのだ。

 白人たちは島を占領したあとも、島に古くから残る信仰を重んじ、ミーオたちの棲む森とミーオたち蒼猫の一族に手を出すことはなかった。蒼猫の一族に手を出せば島中の亜人たちが黙ってはいない。

 そして彼らは女神を祀った神殿を、密かに金魚鉢の地下に保管した。表向きは基督教を崇拝することを島民に薦めながらも、彼ら白人はこの島の信仰を密かに守ってきたのだ。その均衡が、宗主国の敗北によって破られようとしていた。

 それを予感した村の一部の者たちが、ミーオたち蒼猫の一族に蛮行を働いたのだ。亜人の尊厳が守られることなどあってはいけないと、彼らは本気で考えていたらしい。

 彼らを始末した奈落の者から伝え聞いた話だから確かだろう。ミーオは同じような主張を、自分の眼の前で殺された村人からも聞いたことがある。

 でも、このときのミーオはまだ何も知らない。彼女は男たちに蹂躙され、瑠璃湖の上流にある市場で密かに売買されようとしていた。

 ミーオは男たちから必死になって逃げた。そして川に身を投げたミーオは、赤狐の少女に命を救われるだ。そんなミーオを保護してくれたのは、ミーオの家を訪れていた狐耳の女だった。




「本当にいいのか?」

 困惑する女の声が聞こえる。

 モリス柄のソファに腰かける彼女の横にミーオはいた。ずぶ濡れのミーオが顔をあげると、彼女は困ったように黄土色の狐耳を垂らしてみせる。

 赤い眼を辛そうに歪め、彼女はミーオの濡れた猫耳を優しくなでてくれる。

 そんな彼女を見て、ミーオは瑠璃の眼に苦笑を滲ませていた。自分をキンギョにするために父のもとにやって来ていた女狐が何を言っているのだろうか。

 女の名前はオーアといった。ここは、オーアの経営する廓だという。

 赤狐の少女と共に泣いていた自分を彼女は保護し、金魚鉢にあるこの廓まで連れてきてくれたのだ。

 母の無事を尋ねても、彼女は暗い眼差しをミーオに送るだけだった。そんな彼女の様子が、母がどうなったかを教えてくれた。

 恐らく、母は生きていない。あの男たちに殺されたのだ。

 自分も、あの少女に出会わなければ母と同じ運命を辿っていただろう。

 男たちに囚われ、ミーオは金魚市の開かれている露店街に連れ去られていった。

 そんな男たちの手から逃れ、川に身を投げたミーオを赤い狐耳の少女が救ってくれたのだ。

 救われたときミーオは思った。

 この命を無駄にしてはいけない。あの男たちに負けてはいけないと。

 赤い眼を悲しげに細めるオーアを見つめ、ミーオは先ほどの言葉をもう一度口にしてみせる。

「私は、キンギョになる」

 凛とした声をはっし、小さな蒼猫は廓の主に告げた。

「けど――」

「私は女神の化身なのでしょう? そして私は、金狐であるあなたの主人」

 困惑するオーアの声をミーオは遮る。ソファから颯爽と立ちあがり、ミーオはオーアの正面に立った。

 ミーオの眼が強い光を帯びる。その眼をオーアに向けると、彼女は驚いた様子で息を呑んだ。

 蒼猫である父から聞かされた。

 オーアは代々蒼猫の信仰を守ってきた狐の一族の末裔だと。

 彼女の一族は金狐と呼ばれ、金魚鉢の自治を司る守り人として金魚鉢の底に眠る女神の聖所を守ってきた。父はミーオにこうも言った。何かあったら狐たちを頼れと。彼らはきっと主たるお前を救ってくれると。

「あいつらはこの島の主たる蒼猫の一族に手をだした。だったら、それ相応の報いを受けるべきだわ。命令よ金狐。蒼猫の名のもとに、奴らを罰しなさいっ」

 声を張り上げ、ミーオは自らの配下たる狐に命令する。オーアは赤い眼を愉しげに歪め、嗤ってみせた。

「なんて主だ。こりゃ大物になるぞ」

 くつくつと肩を震わせながら、彼女はミーオの前に跪いてみせる。ミーオに首を垂れ、彼女は言葉をはっした。

「承知いたしました、小さき主。この金狐がオーア、あなたを立派なキンギョに仕立ててみせましょう。その力を持って、あなたはあなたのなさりたいことをすればいい」

 顔をあげたオーアは眼に喜色の色を宿し、嗤っていた。その顔を見て、蒼猫は妖艶な笑みを浮かべてみせる。

「いいわ、キンギョになってあげる。金魚鉢で一番のキンギョになって、みんな私に従わせてやるわ」

 凛とした彼女の声が室内に響き渡る。ミーオの言葉を聞く金狐は愉しそうに眼を細めてみせた。

 この数年後、ミーオは蒼色キンギョとして金魚鉢に君臨することとなる。

 


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