雄狐~亜人陰陽

 亜熱帯の気候であるこの島は、一年を通して花が咲き乱れ温かい。それなのに屋敷の離れであるこの寺院に足を踏み入れると、冷たい空気が肌を刺してくる。

 まるで、人々を偽っている自分をこの空間そのものが拒絶しているようだ。ここの主であった亜人の母は、そんな拒絶の眼差しをいつもレーゲングスに送っていた。

 そんな母ももういない。レーゲングスは先ほど母の葬儀を終え、離れに引きこもった妹の様子を見にやってきたのだ。

 寺院を改築したこの離れは、父が愛人だった母を囲うために改築したものだ。

 石灰岩を積み上げられて作られた寺院の通路を抜けると、瓔珞樹の生える中庭に辿り着く。数百年の時を得た巨木の幹は歪に捻じれ、垂れ下がる枝から赤い花を咲かせていた。

 夕光に照らされるその樹に妹は登っている。赤い狐耳を力なくたらし、フクスは樹の上で身を丸めていた。

 妹とこの中庭で出会った頃のことを思い出す。

 母と引き離され、正妻の子として育てられていたレーゲングスは、この寺院の敷地に入ることすら許されなかった。そこにいた妹を見かけたのは、思春期に入って間もなくの頃だ。

 母屋の誰も使われなくなった書斎から、レーゲングスはこの寺院の中庭が見下ろせることに気がついた。生まれたときに一度だけ顔を合わせた妹のことが気になって、レーゲングスは書斎の窓からこの寺院の中庭を覗き見ていたのだ。

 そうして、レーゲングスはフクスと再会した。

 瓔珞樹に腰かけ、赤狐の少女の眼は愁いた眼差しを蒼い空に向けていた。自分と同じ新緑の色彩を持つその眼を見て、レーゲングスは確信したのだ。

 母と同じ赤い狐耳を持つその少女は、生まれたときに会った妹だと。自分の番になるために、父が母を孕ませて産ませた娘だと。

 「フクスっ」

 瓔珞樹の上のフクスに声をかける。

 初めて彼女に声をかけたときも、彼女はこうやって中庭の樹に登っていた。君がフクスなのという自分の問いかけに、彼女は笑顔で応えてくれた。

「兄さん……」

 弱々しいフクスの声が耳朶を叩く。俯いていた妹が顔をあげレーゲングスを見おろしていた。泣いていたのか翠色の眼が潤んでいる。

「おいで、フクスっ!」

 両手を広げレーゲングスはフクスを呼ぶ。彼女は眼を嬉しそうに細め、樹から跳び下りてみせた。フクスの体は宙を舞って、レーゲングスの腕の中に納まる。

 レーゲングスは妹を優しく抱きしめ、柔らかな狐耳をなでていた。フクスの体を抱き寄せて、レーゲングスはそっと眼を瞑る。

 あたたかな彼女の体温を感じていると、先ほどまでの騒ぎが嘘のようだ。

 借金取りに頭を下げていた自分と父を救うために、妹は凛とした声で告げたのだ。

 ――私が、父と兄の代わりにお金を返します。だから、今日は帰ってください。

 妹が何を言っているのかレーゲングスには分らなかった。驚く自分の眼の前で彼女は借金取りたちに質問したのだ。

 ――私は、いくらで売れますか?

「どうして、泣いてたんだ?」

 眼を開け、問いかける。フクスが、自分と同じ翠色の眼を悲しげにゆらしている。彼女は自分の肩に顔を埋めた。

「分らない。ただ、ここにいたら何だか凄く色んな事が頭に浮かんでね、涙がとまらないの……。母さんは私を抱きしめてなんてくれなかったのに……。母さんの笑う顔がね、頭から離れないの」

「母さんは、お前のことは可愛がってたから……」

 妹の小さな言葉にレーゲングスは苦笑していた。母は自分に笑顔を見せてくれたことはほとんどない。母恋しさに寺院を訪れた自分を、彼女は冷たい眼で見すえ追い返した。ここは、お前の来ていい場所でないと言いながら。

「母さんはいつも私に兄さんの話ばかりしてた……。私のことは、何にも話してくれないのに」

 妹の言葉にレーゲングスは大きく眼を見開く。そっと彼女は首を起こし、レーゲングスの顔を覗き込んできた。

「兄さんは『人間』だから私たちの側には来ちゃいけないって、母さんはいつも言ってた。だから、愛しちゃいけないんだって」 

 悲しげに狐耳を垂らしフクスはレーゲングスの頬をなでる。眼を伏せて彼女は告げた。

「愛していた人が、死を悲しんでくれないって寂しいね」

「あの人は俺が泣いたらきっと怒ったよ。そういう人だった」

 翠色の眼に自嘲が浮かぶ。何の感慨も浮かばなかった心に、寂しいという感情が芽生えつつあった。

 フクスのせいだ。

 フクスの言葉が、自分に応えてくれなかった母への想いを蘇らせた。

「兄さんは、母さんが愛してくれないから、代わりに私を愛したの?」

 フクスが耳元で囁く。そんな彼女の頭を優しくなでながら、レーゲングスは小さく笑った。

「そうかもしれないな。俺は母さんの代わりにフクスを愛したのかもしれない」

 そうっと彼女は小さく答えて、自分の両頬に手を添える。柔らかな唇の感触が自分のそれに広がって、レーゲングスは眼を見開いていた。

「じゃあ、兄さんはここで私を飼ってみたい? 父さんが母さんをそうしていたみたいに」

 誘うようにフクスが眼を細めてみせる。妖しく光るその眼にレーゲングスは魅入られていた。自分と同じ色彩の眼を見つめながら、華奢なその体を石畳の上に横たえてみせる。

 夕光に淡く光る石灰岩の上に、喪服の黒が広がる。その黒を広がるフクスの赤髪が彩っていく。

「兄さん……」

 赤い産毛の生えた手が、甘えるように自分に伸ばされる。夕陽の残滓の中で、翠色の眼が悲しげに自分を見あげていた。

 自分に伸ばされたその手を掴んで、レーゲングスは妹の唇に口づけを落とす。

「そうだね。俺はお前をここに閉じ込めておくべきだ。お前が誰のものにもならないように。俺だけのものでいるように」

 自分たちはずっと閉じられたこの寺院で過ごしてきた。フクスと過ごしているときだけレーゲングスは生きる喜びを感じられた。

 自分に笑いかけてくれたのは眼の前にいる少女だけ。血のつながった妹と分かっていながらも、自分の中の想いを止めることはできなかった。

 出来るなら、彼女と繋がることで自分は本当の自分になりたい。

 そのために父は彼女を母に産ませたのだと言いった。だから、自分たちのこの関係にも眼を瞑っていたのだと。

「駄目よ兄さん。私たちは一つにはなれない。なっちゃいけないの……」

 迷う思いは、妹の声によって遮られる。フクスは悲しげな眼で自分を見つめるばかりだ。そんな彼女の細い首に眼がいく。

 自分が本当の自分になるために生み出された少女。そんな自分の運命を受け入れ、自分を愛してくれた少女。彼女が自分の元から放れていく。誰ともしない男に囲われ、その身を蹂躙される。

 フクスの細い首に、レーゲングスは両手をのばしていた。ゆるくその首を絞めてみせると、彼女の唇から苦しそうな喘ぎ声が漏れる。

 そう、このまま壊してしまえばいい。彼女を壊して、殺して、冷たくなった彼女の横で自分も朽ち果てればいい。そうすれば、自分たちの閉じた世界は守られる。 フクスと過ごしてきた二人だけの世界は、永遠にここにあり続けるのだ。

「どうして泣いてるの、兄さん?」

 自分が泣いていると気がついたのは、フクスのその言葉がきっかけだった。フクスの頬が涙で濡れている。自分の眼から零れる涙は、彼女の頬を滑り落ちて地面へと消えていくのだ。

 静かにレーゲングスはフクスの首から手を離し、彼女を見つめる。何も言わない自分に彼女は微笑みかけた。

「兄さん、これで終わりにしましょう。私たちの恋はここでお終い。もう、私たちは二人きりではいられないの」

 フクスの優しい言葉が、耳朶に突き刺さる。聞きたくないその言葉を耳にしながら、レーゲングスは顔を歪めていた。そんな自分をフクスが抱き寄せてくる。

「だから私は金魚鉢に行く。兄さんが私を飼えないように。さようなら兄さん。兄さんとはもう、一緒にいられない」








 妹が告げた別れの言葉を思い出しながら、レーゲングスは回想をやめる。

 フクスが去った船上は静寂に包まれていた。

 川の上に吊るされた金魚の提灯が、朱の光を暗い船に投げかけている。レーゲングスはぼうっと焦点の合わない眼で、ゆれる提灯を見つめていた。

「いいのかい。お兄さん?」

 船頭の声が耳朶に聞こえるが、レーゲングスは構うことなく金魚の提灯をみつめるばかりだ。

「えぇ、引き戻すのが無理なら、無理やりにでも買い戻すだけですから……」

 自身の発言に苦笑を浮かべてしまう。自分で妹を売っておいて、自分の都合で買い戻す。その身勝手な言い分が何ともおかしく思えたのだ。

「嬢ちゃんの意見は無視か……。つーか、あんたら本当に兄妹かよ……」

 嘆息と共に船頭の呆れた声が聞こえる。レーゲングスは笑い声をあげながら、彼へと顔を向けていた。

「えぇ、兄妹ですよ。正真正銘血の繋がった、実の兄妹です。」

「だったら、なおさら妹さんは金魚鉢にいた方がいいんじゃないか?」

「金魚鉢ですらフクスを守ってはくれないかもしれないのに?」

 眼を鋭く細め船頭を睨みつける。船頭は瑠璃の眼を大きく見開き、息を呑んだ。

「やっぱり、ラタバイのじじいが掴んだ情報は確かなんだな?」

「えぇ、国連は金魚鉢の自治権を奪うつもりですよ。自堕落なソドムの都に彼らは鉄槌を下したいらしい」

 自身の頭を掻きながらレーゲングスは嗤いを深めてみせる。

 不健全な風俗を一新するため金魚鉢を臨時政府の管理下に置くという話が、密かに議論されているという。その実態は金魚鉢が抱える自治とその影響力を削ぐための口実に過ぎない。茶会で再開したラタバイは、それが真実であることをにこやかな声で伝えてきた。

 もともと金魚鉢のあった場所には、この島の女神を祀る神殿があった。そこには、聖娼たる亜人の少女たちが集められていたという。歴史を経ても金魚鉢は強い影響力を与える存在として後世に残り、亜人たちを守る自由の檻として成長していったのだ。それは金魚鉢に与えられた自治区という特権によって守られている。

 金魚鉢には金魚鉢の法があり、それは守り人と呼ばれる廓の主たちによって頑なに守られているのだ。その檻が、歴史の波によって壊されようとしている。

 金魚鉢が臨時政府のものになる。それが何を意味するのか、人ではないレーゲングスには嫌というほど分かる。

 春を売ることと引き換えに、金魚鉢の亜人たちは最低限の生活を保障される。

 金魚鉢に売られた子供たちは、読み書きができる。外の世界の亜人の子供たちに教育を施してくれる施設はない。

 金魚鉢の子供たちは、衣食住に困らない。外の世界の亜人の子供たちは虐待の末に餓死する子もいる。亜人として生まれたら最後、その子は人ではない存在として扱われ、一生を終えるのだ。

「だから、フクスを取り戻さなきゃならないのに……」

 焦りが、呟きになる。妹の言葉が耳朶を離れてくれず、レーゲングスは両耳に手を充てていた。

 ――私はあなたを愛せない。

 それは恋人でもあった妹が、自分との別れを決意した言葉に他ならない。自分の愛しい赤狐は、身も心も金魚鉢に囚われてしまった。

「仕方ないだろ? それがあの娘たちの意思だ。俺たちは、外の世界からあの娘たちを眺めることしかできないんだよ」

「ラタバイお爺さまの飼い猫がそんなことを言うんですね……。蒼猫のあなたが一番、この島の暗部を知っているのに」

「じじいとは腐れ縁だよ。迷信と、昔のよしみでな」

「だからあなたは、笠で頭を隠してる」

「兄ちゃんが俺の娘とヤらないのだって、おんなじ理由だろ?」

「やっぱり、猫の鼻は利くんですね」

「あんたら兄妹、嫌って言うほど狐臭いよ」

 自嘲が顔に浮かぶ。レーゲングスは嗤いに歪めた眼を船頭に向けていた。船頭は愉しげに眼を歪め、竹傘を脱いでみせる。

 鮮やかな青い髪に埋もれるように、蒼色キンギョを彷彿とさせる猫耳が彼には生えていた。

「リッター家が代々基督教徒なのもこれが理由だろ? 信仰のためと言い訳をしておけば、操を守りやすい」

 猫耳に生えた飾り毛を親指で弾き、船頭が快活な笑い声をあげてみせる。その声につられレーゲングスも嗤っていた。

「えぇ、だから俺は童貞のままなんです。大人になると狐の耳が生えてきますから」

 両手の人差し指を頭の横でたて、レーゲングスはそれを狐の耳に見立ててゆらしてみせた。どっと船頭の笑い声が耳朶に轟く。

 人の形をしたこの耳も、性行為をおこなえば獣のそれに変わる。男の亜人は不思議とそういった体の構造をしているのだ。生まれつき獣耳と体毛に覆われた女の亜人と違い、男の亜人の外見は人のそれと見分けがつかない。

 ただし、子供を作れる体になると話は別だ。性交を経験した亜人の男の外見は様変わりする。人に近いそれから、亜人に近いそれへと。

「リッター家の元家長様はよっぽど狐が好きらしいな」

「表向きには異母兄弟になっていますが、フクスとは母親が一緒なんですよ。俺の外見が人そのものだから、あのクソ親父は俺を正妻の子として育てた。あの男は、俺を亜人にするための相手として、フクスを母に生ませたんです。母の中に流れる亜人の血があの男にはよっぽど大切だったらしい」

 話せば、話すほど自分の身の上がおかしく思えて、レーゲングスは大きな笑い声をあげていた。さすがの船頭もぎょっと眼を見開いて、レーゲングスを見つめるばかりだ。

「迷信ってやつか?」

「そう、亜人は幸福をもたらす存在ですから。俺の祖父も亜人の血を引いていました。父は分家から迎えたられた養子なんです。そういうしきたりだそうです」

 リッター家には奇妙な風習がある。

 密かに続くその風習は、亜人の男子を家長として育てることで家の繁栄が約束されるというものだ。初代リッター家の家長は、寺院の巫女であった亜人の女と結ばれた。彼はこの島の女神を祀る一族と深く結びつくことで、この島の統治に深く関わっていったのだ。

 それから今に至るまで、リッター家はその巫女の血筋を絶やさぬよう近親相姦を繰り返してきた。島の因習によってレーゲングスはこの世に生を受けたのだ。

「よく、そのクソ親父さまが娘に手を出さなかったな?」

「クソ親父でも、子供に手を出すほど鬼畜じゃないですよ。借金のカタに俺も売り飛ばすつもりだったみたいですけどね……」

 アルプトラウムの嘲笑が脳裏に蘇り、レーゲングスは船の床を睨みつけていた。

 自分を落とすことをゲームだと言い放ったあの男は、出会った頃から自分に執着していた。

 何も知らない幼い自分を抱きしめて、あの男は自分に囁いた。

 ――君も俺と同じだね。だから、俺を裏切ってはいけないよ。

 自分と同じ身の上のはずの彼が、どうしてそんなことを囁くのかレーゲングスには理解できなかった。彼もまた自分じ存在であるはずなのに。

 そして彼のその姿は、自分を愛するフクスのそれと重なる。

「俺は、フクスに執着してたんだな……」

「金魚鉢の中にいるのを選んだのはあの娘たちだ。俺たちは、鉢の外からあの娘らを見守ることしかできねぇよ。あれも、ミーオもそうだった」

 大きなため息を吐いて、船頭が言葉を投げかけてくる。

「ミーオは、なんであんな場所に……?」

「俺がミーオを追いつめた。俺のせいで、あいつの母ちゃんは死んだんだ。俺たちの中に流れる女神の血のせいでな」

 船頭の瑠璃色の眼が、金魚の提灯へと向けられる。水路の上には金魚の提灯が鈴なりに吊るされていた。

 船頭の視線は川面へと移る。

 生暖かな風が提灯を煽るたびに、提灯は水影のような揺らめきを辺りに振りまいていく。そこに映る歪んだ彼の顔は寂しげな眼をこちらへと投げかけていた。

「なぁ、赤狐。俺たちを守るあんたはあの子をミーオに託したんだろ?」

 小さな彼の声がレーゲングスの耳朶に届く。川面を覗くレーゲングスは、そこに映り込む彼の眼を見つめながら口を開く。

「たしかに俺は赤狐ですが、ミーオを守るためにフクスをあそこに売ったんじゃない。フクスは、家族を守るために生前母から言われた遺言を行動に移したに過ぎません。俺は、そんなフクスの意思を尊重した。赤狐の血を引くフクスは、自分の使命を俺よりよく分かっていたのかもしれない」

 暗い川面を見つめるレーゲングスの視界に、提灯の鏡像が映り込む。漣にゆれる金魚の提灯を見ていると、あの夜市での出来事をレーゲングスは思いだすことができた。幼かった妹と一緒に泣いていた蒼猫の姿を思い出す。彼女はそのまま、駆けつけたオーアによって保護された。

 後になってレーゲングスは、その少女が蒼色キンギョになったことを知る。同じ使命を帯びる狐の一族がそれを教えてくれた。彼女は、何を思い川に身を投げ、何を思い金魚鉢に君臨するキンギョになったのだろうか。

「君は、何を考えているんだ?」

 問いかけても応えてくれる者はいない。そっとレーゲングスは眼を閉じて、遠方から聞こえる金魚鉢の音楽に耳を傾けていた。

 

 

 




 


 夜明け前の金魚鉢は静かだ。

 廓に戻ってから大分時間が経つのに、フクスは兄と別れた瞬間を忘れることができないでした。ほどまでミーオと肌を重ね合わせていたひとときが、夢のように感じられてしまう。

 本当に自分は、ミーオを共に金魚鉢にいるのだろうか。気になってフクスは窓の外へと視界を向けていた。

 窓の下をゆらゆらと金魚が泳いでいる。月光を浴びて金色に光るそれは、淡い水影を周囲に広げていた。窓辺に腰かけるフクスは、金魚たちの泳ぐ窓の下へと足を伸ばす。赤い産毛に覆われた足が水に浸かることはなく、硝子のアーケードを踏みしめた。

 冷たい硝子の感触が妙に心地よくて、フクスは顔を綻ばせる。

 生まれたままの姿でフクスはアーケードの上を歩いてみせた。気持ちのいい夜風がフクスの裸体に生える産毛をなでる。

 ミーオと肌を重ね合わせたのはいつごろぶりだろうか。先ほどまでの出来事を思い出し、フクスは自身の体を抱いていた。

 お互いにフクスとミーオは求め合い、何度も唇を重ねて高みへと上りつめた。

 自分は兄ではなくミーオを選んだ。そんな自分にミーオは応えてくれたのだ。

「裸で外になんか出たら、風邪ひいちゃうわよ……」

 後方から声をかけられ、フクスは背後へと振り向く。窓から身を乗り出したミーオが、笑顔を自分に向けてくれていた。彼女は窓枠に腰かけてみせる。

 蒼い産毛に覆われた細い肢体が、月光を浴びて夜闇に浮かびあがっていた。その肢体にミーオは白い布を巻きつけ、フクスのもとへと降りたつ。

 ミーオは布を広げフクスの体を包み込む。翻る布の中でフクスはミーオを抱きしめていた。

 初めて金魚鉢で過ごした夜の出来事をフクスは思いだす。

 美しい蒼色キンギョと肌を重ね合い、自分はこの夜の都市の住人となった。

 その時に現世とは決別したと思っていたのに。

「まだ、レーゲングスのことが気になる?」

 ミーオに声をかけられフクスは我に返る。瑠璃色の眼が月光を帯びて銀の輝きを放っていた。その眼を見て、兄の縋るような眼差しを思い出してしまう。

 フクスは顔を左右に振り、ミーオを見つめなおす。そっと彼女の両頬に手を添えて、フクスは彼女の唇に口づけをしていた。

「私はずっとここにいる。もう、兄さんのもとには戻らない」

 唇を放すと、涙を流すミーオと視線が合う。彼女はフクスの胸元に顔を埋め、静かに嗚咽を漏らし始めた。

 夜闇を一条の光が照らす。フクスが顔をあげると、瑠璃色の花火が闇色の空を鮮やかに照らしていた。夜空を彩る花火を眺めるフクスの耳には、花火の轟音が轟いている。

 その轟音に混じって、ミーオの微かな呟きがフクスの耳には届いていた。

 「お父さん花火ばっかり上げて、私には会いに来てくれないんだ……』

  腕の中のミーオは潤んだ眼に微笑みを浮かべていた。瑠璃の花火を見あげる彼女の眼は、花火の光を受けてゆらめいてみせる。

  この花火を上げている男は、ミーオの父親だ。金魚鉢に売った娘を慰めるために、彼はときおり夜空に花火を打ち上げるという。

 けれど、ミーオが見たいのはこんなものではない。

「どうして、来てくれないのかな?」

 レーゲングスは自分に会いに来てくれたのに、どうしてミーオの父親は彼女に会いに来ないのだろうか。ミーオが金魚鉢に囚われることを望んだのに、彼はそれを自分のせいだと思っているのだ。

 そんなことはないのに。ミーオは、自ら蒼色キンギョとなることを望んだのに。

 そっとフクスは思い返す。

 寝台でミーオが語ってくれた昔話を。

 蒼色キンギョが、金魚鉢に囚われた訳を。






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