回想~終末序曲


 ぴしゃんと金魚が跳ねる音が狐耳に響く。赤い狐耳を動かして、フクスは音のした足元を見つめた。

 自分の足元に広がる硝子のアーケードの中で、金魚たちがぐるぐると動き回っている。アーケードの中が水槽になっており、そこを金魚たちが泳いでいるのだ。

 フクスは遊郭都市 金魚鉢のアーケードの上に立っていた。金魚鉢の終わりを見届けるために、フクスは愛しい少女と共にここにいる。

 フクスは愛しい少女と死のうとしているのだ。

 すべての悲劇を終わらせるために、自分と愛しい蒼色キンギョはこの金魚鉢を壊し、そこに生きる人々と共に命を投げ出す決意した。

 硝子張りのアーケードの中で金魚たちが泳ぎ回る。アーケードの下にはアールヌーボーの遊郭が建ち並び、それが爆音をたてながら崩れていく。自分と愛しい少女が仕掛けた花火の爆弾が、この金魚鉢を壊しているのだ。

 爆音に怯え、金魚たちは激しく動き回す。泳ぎまわる金魚を見てフクスは懐かしさに微笑んでいた。金魚を見つめていると、幼い頃に兄と巡った夜市を思いだす。

 兄が内緒で連れてきてくれた夜市には、様々な色合いの金魚がまるい硝子容器に入れられ陳列されていた。提灯の灯りに照らされた金魚たちの鱗は、鮮やかな朱色や金色に輝いていたものだ。夜市で売られていた金魚は、この金魚鉢に閉じ込められていた亜人の少女たちに似ていた。

 金魚鉢は亜人として生を受けた少女たちが春を売る街だ。

 獣耳と産毛の生えた体を持つ変異種の人間のことを人々は亜人と呼ぶ。金魚鉢はそんな亜人の少女たちが遊女として暮らす場所だった。

 フクスは今でも、この金魚鉢に売られた日のことを鮮明に思いだすことができる。縦横無尽に水路が走る金魚鉢の上には、金魚たちが泳ぐ硝子のアーケードが張り巡ぐらされていた。下からアーケードを仰ぐと、星空を金魚たちが泳いでいる幻想的な光景を望むことができた。

 水路の脇に立つアールヌーボーの遊廓には飾り窓が取りつけられ、そこで亜人の少女たちが客引きのために踊っていた。

 少女たちの獣耳はまるで金魚の尾ひれのように動き回り、フクスを魅了した。その中でも蒼色キンギョの猫耳は、月光のように輝いて一際美しくガレのランプに照らされていたものだ。

金魚鉢の蒼色キンギョを知らないものはいない。

 金魚鉢では位の高い遊女をキンギョと呼ぶ。その中でも、蒼い猫耳を持つ蒼色キンギョは誰もが見惚れる美しさと気高さを兼ね備えていた。

 回想をやめ、フクスは顔をあげる。

 爆音と硝子の割れる音がフクスの狐耳に響き渡る。その音と呼応するように、蒼い猫耳が夜空を舞っていた。

 月光を浴びて、輝く猫耳。爆音を奏でる花火に照らされ、猫耳は蒼色めいた虹色の光彩を放つ。

 蒼い猫耳の少女が舞っている。長い髪を靡かせ、瑠璃色の眼に光を灯しながら。

 彼女の持つ鼈甲の扇はゆれ、赤いタイドレスの裾が紺青の夜空に翻る。

 少女が笑っている。

 花火と、吹き飛ぶ遊郭と、人々の悲鳴を背に彼女は微笑みながら歌を口ずさむ。

 それは、鎮魂の歌。壊れゆく遊郭都市に向けられた彼女からの手向け。

「あぁ、フクス……。みんな、みんな流れていくよ……」

 彼女がフクスを呼ぶ。足元に瑠璃色の眼を向け、蒼色キンギョと呼ばれた彼女は薄い微笑を唇に浮かべていた。

 フクスが足元へと視線を向けると、硝子のアーケードの中で暴れまわる金魚が泳ぎまわっている。その金魚の下で遊郭が爆音とともに崩れていく。遊廓の残骸は火花と共に水路へと投げ出されていく。

 水路には無数の人が溺れていた。否、それは獣耳を持つ亜人の少女たちだった。その少女たちが濁流に身を任せながら笑っている。笑いながら、フクスの視界を通り過ぎていく。

「私たちが殺すのね……」

 溺れる少女たちを見つめながら、フクスは呟いていた。じわりと視界が歪んで、フクスの頬を涙が流れる。

「泣かないで……」

 蒼色キンギョの、ミーオの声が狐耳に響き渡る。

 ふっと顔をあげると、ミーオが悲しげにフクスを見つめていた。彼女の眼の中でフクスは泣いている。自分を映したミーオの眼も涙を流していた。

 硝子を踏み、ミーオがこちらへと向かってくる。ミーオのタイドレスが花火に照らされ、赤く煌めく。

「フクス……」

 フクスの狐耳にミーオの指先が触れる。狐耳の輪郭をなぞるように彼女の指は下へと動いて、フクスの髪にふれた。

 緋色の髪を梳き、彼女はそこに飾られたセラドン陶器の髪飾りにふれる。

 ジャスミンを象った髪飾りを、ミーオは愛しげになでた。

「あの人は、笑ってくれるかしら……?」

 桜色の唇が、切なげに言葉を紡ぐ。ミーオの言葉にフクスは眼を見開いていた。

「ミーオ……」

「どうしてかな? 私の一番大切な人は決まっていたのに……。あの人の眼が、フクスと同じ緑色の眼が忘れられないの……」

 ミーオが静かに眼を伏せる。彼女は愛おしむように自身の腹部に手を添えていた。あぁとフクスは小さく息を吐いていた。ミーオはこのセラドン陶器を自分に贈ってくれた男性のことを想っているのだ。

 自分と同じ翠色の眼をした、兄のことを。

自分たちは亜人である故に、その運命に翻弄されてきた。

 亜人は人ではない。それ故に、フクスたちはその運命を弄ばれ、大切な人々を喪った。フクスの兄もそのせいで命を落としたのだ。

だからミーオは、金魚鉢の遊女たちに語りかけた。

金魚鉢を壊すことで、亜人の悲惨さを世界に伝えようと。亜人を人ではないものから、人にしようと。

フクスとミーオはこの金魚鉢と共に死のうとしている。

お互いの愛を貫くために。

「ミーオ……」

 兄と同じ翠色の眼を細め、フクスはミーオに微笑みかける。彼女の頬に両指を伸ばし、フクスはミーオの顔を覗き込んでいた。

「フクス……」

 可憐な桜色の唇を指でなで、彼女と唇を重ねる。

 彼女の眼から雫が落ちる。

 ほろほろと自身の顔を濡らす涙の感触に、フクスは眼を閉じていた。

 瞼裏に花火の残像が映り込む。赤黒い残像を網膜に焼きつけながら、フクスはこれまでの日々に思いを巡らせていた。

 記憶が遡る。

 赤い花火の残像のように、夜を照らしていた金魚の提灯。その提灯を自分は川を渡る船から眺めていた。

 そう、これはフクスが金魚鉢にやってきた日の記憶。自分とミーオが金魚鉢で巡り会い、大切なものを失い、金魚鉢を壊す決意をするまでの過去の記憶がフクスの脳裏を過っていく。

 そしてフクスは、ガレのランプに照らされていた蒼い猫耳に思いを馳せる。蒼色キンギョと出会った夜の出来事をフクスは思い返していた。

 

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