同棲中であった妖精の彼女に別れ話を切り出して大変なことになった会社員ヨウイチの話【なずみのホラー便 第13弾】

なずみ智子

同棲中であった妖精の彼女に別れ話を切り出して大変なことになった会社員ヨウイチの話

 男女の別れ話というのは、双方の確固たる合意がない限りはこじれるものであるだろう。

 こじれ具合は各カップルにおいて度合いがあるも、会社員ヨウイチと妖精クレールの場合もなかなかにこじれてしまうことになった。



※※※



「嫌だよ! 私はヨウイチと別れたくなんかない!!」

 ヨウイチの机の上にチョコンと座っていたクレールが叫んだ。


「……俺はお前にもう気持ちがないんだ。こうなったら、別れるしかないだろ」

 ヨウイチはスーツのネクタイを外しながら、身長約20cm程度のクレールを見下ろし彼女を諭すように言った。


「そんなの絶対に嫌だよ……私に悪いところがあったなら直すから……! だからお願い!! 別れるなんて言わないで!!!」

 クレールは、妖精のくせに(?)人間の女と同じような言葉を吐きながら、ヨウイチの”手首に向かって”飛んできた。そして、その華奢な両腕で縋り付いてきた。



 付き合い始め――一緒に住むようになったばかりの頃なら、可愛くてたまらなかったクレールのこの縋り付きも、今のヨウイチにとってはうざったいとしか思えなかった。

 クレールがその愛らしい瞳からポロポロ流している大粒の涙も、今のヨウイチによっては単に厄介なものとしか思えなかった。


 正直に言うなら、クレールは妖精なだけあって(?)やはりその外見については美貌の粗など到底見つけられそうになく、幻想的な西洋画の中から抜け出てきたかのような超絶美少女であった。

 ヨウイチの二十ン年の今までの人生の中でクレール以上の美少女には出会ったことはないし、これから先の人生でも彼女以上の美少女に出会うことはないだろう。

 しかし、中身が問題なのだ。

 外見は”永遠の超絶美少女”のクレールであるも、祖国でナポレオンの戴冠式をリアルタイムで見たと話していたこともあり、どれほど少なく見積もっても、彼女はヨウイチの10倍近い時間を生きてきたに違いない。

 それなのにクレールは、その中身があまりにも幼い、いや幼すぎるのだ。彼女の外見だけは17才前後であるも、まるで小学校低学年の女の子を――それも少し我儘で構ってちゃん気質の女の子の相手にしているようなのだ。


 妖精とは得てしてこういうものなのかもしれない。

 それに人間と妖精という種族の違いはあっても、男と女としての”需要と供給”がそれぞれピッタリ合致していたなら、それほど問題はなかったのかもしれない。

 下品な例えであるも、美少女フィギュア好きの者にとって、このクレールはまさに夢のごとき存在であるだろう。

 でも、ヨウイチは違う。

 この妖精クレールと”一生をともにしたい”(そもそもヨウイチの寿命が尽きてもクレールは生き続けるだろうけど)とは思えなくなっていた。

 クレール(の外見)を可愛いと思えても、何でも自分の思い通りになっていると思っているあまりの幼さに”愛しい”とは到底思えなくなってきたのだ。

 


「どうして? ねえ、どうして? 私、ヨウイチに”いろいろしてあげた”じゃない!」

 幼子のように泣き喚いたクレールは、ヨウイチの心を”再び繋ぎ直す”には逆効果でしかない言葉を発した。


「……確かに、クレールは俺にいろいろしてくれたよ。でも、正直なところ、お前がしてくれたことは、俺の人生にとって、それほど”重大なこと”でも”影響のあること”でもないし。”物の色を変える”なんてことは……」


 摩訶不思議な妖精の例に漏れず、クレールも不思議な力を持っていた。

 彼女の力、もとい彼女が”唯一できること”は、”物の色を変える”ことであった。


 同棲生活の中でクレールがヨウイチにしてくれたことの例をあげるとすると以下となる。

 ヨウイチが3年前に購入したダウンコートの色をブラックからアッシュグレーへと変えてくれたことや、カーテンの色を薄いベージュから爽やかなスカイブルーへと変えてくれたこと。

 そして、”数か月の準備期間を保有している社運を賭けた重大なプロジェクトにかかわるプレゼンテーション資料作り”のため、ずっとパソコンと睨めっこしていたヨウイチが「目がつかれた」と言うと、クレールはヨウイチの寝室の壁紙も天井も、目に優しいうえに癒されるペールグリーンへと一瞬で変えてくれたのだ。マンションの管理人さんに見つかると、さすがにまずいので次の日には元へと戻させたが、この時ばかりは”クレールの力”は精神的にも肉体的にもありがたかった。


 クレール自身もヨウイチの役に立てたことがうれしかったのか、自身の唯一の担当分野&得意分野である色のことを喋り出すと止まらなくなっていたし、また色の種類に関してだけは相当な知識を持っているようであった。


 ヨウイチも、それぞれの色が周りに与える印象や効能というものについては、ふわっとした感じではあるが分かる気がする。

 けれども、ヨウイチはファッション関係の仕事についているわけでもないし、流行に敏感なタイプでもない。

 「非常識でなければいい」というのが彼が身にまとう服や小物の最低のボーダーラインだ。

 だから、カメリアピンクとチェリーピンク、ブリリアントブルーとオリエンタルブルー、ビリヤードグリーンとブリティッシュグリーンの違いについてクレールに目を輝かせて力説されても細かな違いなど分からないし、興味自体ない。



「……嫌だ。やだよぉ。ずっとヨウイチと一緒にいたいよう」

 泣きじゃくるクレールは、ヨウイチの手首になおも縋り付いた。

 そして、狙ってか狙わずかは分からないが、自身の乳房をヨウイチの手首にギュウウッと押し付ける。



 身長約173cmと身長約20cmという身長差のため、ヨウイチにとって今は”小さく感じられる”クレールのその双丘の膨らみであるが、仮にクレールが人間の女と同じ大きさであったなら、なかなかに見事な膨らみであったろうと推測された。

 ヨウイチがクレールに別れを切り出した理由は、彼女の精神的幼さが第一であるが、セックスができないことも実はそれにあげられる。


 こんなことを本人に言ったら、男としてというより人間としてお終いだからヨウイチは絶対に口には出さないが、恋人とセックスできないというのはやはりつらい。

 クレールが物の色を変える力の他にも、夜の営みの時には人間の女と同じ大きさになるという力を有していれば、違ったかもしれない。

 仮にクレールが、ヨウイチの男性器を充分に受け入れることができる大きさとなった場合、彼女の背中の六枚羽は正常位や後背位の時ですらとっても邪魔になるし、どこか昆虫を連想させるので外して欲しい(そもそも外せるものなのか?)と思わずにはいられなかっただろうけど。



 ヨウイチが口を開く。

「……俺はそうイケメンでもないし、金持ちでもないし、毎日会社員として必死で働いているだけのどこにでもいる男だ。クレールはそんなに可愛いんだし、俺以上のスペックで、俺以上にお前を可愛がってくれる男だってすぐに見つかるよ」

「やだやだやだやだ!!! 私はヨウイチがいいの!!! 私はヨウイチが大好きなの!!!」

「クレール……ごめん。じゃあ、はっきり言う」



 ヨウイチの”はっきり言う”という言葉に、クレールの駄々こねはピタリと止まった。


「物の色を変えるほかに、お前に何ができるんだ? 災害や事故を避けるために未来予知ができるわけでもない。人の心が読めるわけでもない。それにお前は座敷童みたいに幸運を運んできてくれるわけでもない……」

 さすがにヨウイチも”セックスをさせてくれるわけでもない”と心の中の最後の声は外には出さなかった。


 ヨウイチの言葉を黙って聞いていたクレールの愛らしい唇だけでなく、背中の羽根までもが震え始めた。


 そして――

「分かったよ……ヨウイチ」

 クレールは苦し気に涙声を絞り出した。


 何が”分かった”のかということには疑問は残るも、ヨウイチは彼女のその言葉を”別れを了承してくれた”という意味合いでとった。

 性格の不一致ならび、(セックスはしていないが)性の不一致による別れを。


「明日の朝にはここを出ていくよ。でも、今晩だけはここに……ヨウイチのお家にいさせて。もう外は暗いし、コウモリたちに誘拐されて弄ばれでもしたら怖いから」

 頬に残る涙をぬぐいながらクレールは続ける。

「ヨウイチ……明日の朝に、ずっと前からヨウイチが準備していた社運を賭けた重大なプロジェクトのプレゼンテーションがあるんでしょ? ヨウイチとはこんな最後になっちゃったけど、私……ヨウイチのこと応援してる! ”物の色を変えること以外、何もできない私だけど”ヨウイチのプレゼンテーションが大成功するように応援してる!」


 涙にぬれた顔のまま、精一杯の笑顔&元気な声を作っているクレールのその姿に、ヨウイチの胸も痛まないわけではなかった。

 しかし、ここは心を鬼にして別れなければならない。

 外見の可愛さと情にほだされて、ズルズル同棲生活を続けるわけにはいかないのだから。




 翌朝。

 目覚まし時計の音ともにヨウイチが目を覚ました時、家の中の妖精クレールの気配は消えていた。

 昨夜、あれだけ駄々をこねたものの、クレールは自分自身が言った通り、朝にはちゃんと――それもヨウイチが目を覚ます前に、この家を出ていったらしかった。

 精神的に幼いところがあった彼女であるも意外に聞き分けは良かったというか、思い通りにならないこと&元通りにはならないことがあると、今回のヨウイチとの別れ話で学んだのだろう。



 だが――

「!!!」

 ムクリと起き上ったヨウイチは気づいた。

 部屋着&パジャマとして着ているグレーのスウェットが、上も下も鮮やかなショッキングピンクへと変えられてしまっていることに!

 慌ててスウェットの上下を脱いで確認したヨウイチであるも、インナーシャツもトランクスも見事なまでに鮮やかなショッキングピンクと変えられてしまっていた。


――そうか……これがクレールのせめてもの仕返しってとこか。あいつらしいな……


 ヨウイチは、思わずクスリと笑いを漏らしてしまう。

 そして、自分から彼女に別れを切り出したのにツキンと胸が痛んでいることにも気づいてしまった。


 立ち上がったヨウイチは、クローゼットへと向かう。

 今日の午前中に――正確に言うと9時30分より、ヨウイチが数か月前より準備していたプレゼンテーションを予定している。

 社運をかけた重大なプロジェクトだ。

 それも、社内プレゼンではなく”社外プレゼン”だ。

 クリーニングに出して準備しておいた一張羅のスーツで、ヨウイチはそれに挑むつもりであった。


――さて、やるぞ! 俺は絶対にキメてやる! クレールも俺を応援してくれたんだ!


 ヨウイチは意気込んでクローゼットを開いた。


 しかし――


「え? ………ええええええええええ!!!!」


 衝撃的な光景、いやあまりにも衝撃的な色がヨウイチの視界に飛び込んできたかと思うと、瞬く間に彼の視界を埋め尽くした!

 なんと彼のクローゼットはショッキングピンク一色で埋め尽くされていたのだ!

 もちろん、会社員ヨウイチの一世一代の舞台における勝負スーツも!


「え……ちょ……ちょっ………!!!」


 ヨウイチの両腕がクローゼットを掻き回した。

 けれども、どこまでいってもピンク、ピンク……それもショッキングピンク尽くしであった。

 普段使いのスーツたちだけじゃない。

 ヨウイチの手持ちの服全てが、その色をショッキングピンクに変えられてしまっていた。もちろん、スーツに合わせるワイシャツやネクタイ、ベルト、靴下もだ。

 まさか、と慌てて玄関へと走ったヨウイチであったが、磨き抜いておいた革靴の色までもが、ブラックから忌々しいうえにあり得ないショッキングピンクへと変わり果てていた。



 一生分とも思われる冷や汗を滝のごとくかいているヨウイチ。

 だが、時計の針はそんなヨウイチなど全く意に介することなく、刻々と時間を刻み続けていた。

 出社の時間は――大切なプレゼンテーションの時間は、刻々と迫ってきている。


 だが、スーツを揃えようにも店の開店時間を待らなければならないし、ネットで注文したとしてもたった1時間かそこらで自分の手元にスーツが届くはずなどない。


 まさか、毒々しいうえにふざけているとしか思えない全身ショッキングピンクのスーツ姿で、社外プレゼンに挑まなければならないのか?!

 ヨウイチが常日頃から考えていた”身にまとう服や小物の最低のボーダーライン”である「非常識でなければいい」すら遥かに下回っており、”場違いにもほどがある笑いを取りに来た”としか思われないふざけたスーツ姿で……



※※※



 ヨウイチはクレールがしてくれたことを、つまりは彼女の力をそれほど”重大なこと”でも”影響のあること”でもないと言った。

 しかし、やはり色が周りに与える印象というものは大きい。


 別れ話がこじれた結果、妖精クレールは会社員ヨウイチの人生に負の意味での”重大な影響”を与えんと、彼に”非常識極まりない置き土産”を残したまま、太陽が昇ったばかりの青空へと飛び去って行ったのだ。




―――fin―――

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