三節「私の異世界ファンタジー」

 さて、三節でこのエッセイの本筋である「異世界ファンタジー」について語りましょう。一節と二節とはやや趣向を変えて。


 異世界ファンタジー。中々分かりやすいネーミングですよね。

 私もそう思います。これを聞いたらどんな“世界観”かすぐに分かります。

 私が異世界ファンタジーは何かと聞かれた時、聞いてきた人にこう言います。


 「ええ、喜んで話しましょう。して。それは異世界転生? それとも異世界転移? どっちの事を話したいですか?」


 と。


 私が言うであろうセリフを聞いて、読者の皆様はなんて言うでしょうか。


「両方について語りましょうよ」

「転生について議論がしたいのです」

「異世界転移って人間が耐えきれると思いますか?」


 まあ、色々あると思います。

 しかし、私は読者の方々に疑問に思っていただきたいことがあるのです。


「異世界ファンタジーと言ったのに、何故、異世界転生と異世界転移の二つなのか」


 と。


 もし、疑問に思われないのでしたら、「その程度しかジャンルというものを考えていないという事」と、私は考えています。

 実際、私はこのエッセイを書く前は、そうでしたから。

 正確には自分の知識と感覚と向き合ってなかっただけなのですが。


 さて、「何故、異世界転生と異世界転移の二つなのか」という疑問を覚えて欲しいと言ったのは、なぜか。


 簡単です。異世界ファンタジーとは「異世界転生」「異世界転移」だけを示す、


 “細分類ジャンル”


 だからです。

 これから、異世界ファンタジーとは何か、それについて語りましょう。

 まあ、それも私個人の見解なのですけどね。



     ◇



 異世界。

 それはどういったものを含めるのか、どういったものを指すのか。

 かなり曖昧です。

 一節のハイファンタジーの時に出した「世界観①」の例である、


「舞台は地球。架空の存在とされる魔法使いは、実は昔から現代に存在していた。しかし、その存在や魔法は表にも歴史に出ることは無い。」


 といったこの世界観はローファンタジーである。と言いました。


 でも、よくよく見てください。何度も読み直してください。


 はっきり言いますよ?


 めっちゃ異世界ですよね?

 異世界以外に言葉はありませんよね?


 なぜかって?


 歴史に関わっていなかろうが、


 我々の知る歴史が明確にあろうと、



 “魔法使い”って存在がいる時点で現代だろうが異世界ですよ!



 まあ、こんなものは揚げ足取りです。

 言うだけ野暮。というものです。

 そもそもハイファンタジーとローファンタジーのくくりがある以上、上記の言い訳なんて無効です。

 フィクションだから異世界ファンタジーだと言っているようなものです。

 可笑しい戯言です。


 ですが、言いたいことは分かりますよね?


 ここで言いたいのは“どんな架空の世界観”だからと言って異世界ファンタジーではないという事です。すみ分けというものです。

 現代を舞台に繰り広げられるファンタジーは確かに現実とは違うが、異世界などではなく、現実に寄ったローファンタジーであるものとする。という事です。


 では。


 一節のハイファンタジーの時に出した「世界観②」の例、


「舞台は地球。はるか昔から魔法使いは一般的なものとして存在しており、現代でもその存在は当たり前なモノとなっていた。魔法使いによる魔法は文化文明にまで関わっていた。」


 という世界観は異世界ファンタジーなのか?


 残念。これは「現代ファンタジー」に属します。異世界ファンタジーではありません。

 なにせ、舞台は現代な上に地球上の出来事なのですから。これは、一節で挙げられた『指輪物語』『境界線上のホライゾン』といった地球が舞台の作品にも言えます。

 異世界ではない。しかし、我々の知っている世界観とは大きく異なる。そんな世界観。それは一節のハイファンタジーの項で「ハイファンタジーは異世界でなくともよい」と言ったと思いますが、これの意味は「ハイファンタジー=異世界ファンタジー」という図式は当てはまらない。ということを表しています。


 では、何が「異世界ファンタジー」というか、です。


 冒頭で言ったような『異世界転生』?『異世界転移』?


 ここで読者の皆様の中には、


「架空の世界は異世界でしょ?」


 と言う人が居ることでしょう。


 いわゆる通常のファンタジー世界。剣と魔法の世界。

 それが「異世界ファンタジー」であると。


 違います。


「なぜ? 違う世界だから異世界じゃないの?」


 いいえ、その言い方だと「そうです」としか言えません。

 問題はそこではないのです。

 現実と異なる世界だから“異世界”。


 ええ当たり前です。


 ですが、その世界を舞台にしても“架空の世界を舞台にしたファンタジー”であって、「異世界ファンタジー」ではないのです。


 ここで、「ああそうか」となった方は勘がよろしいと思います。

 普通は首を傾げると思いますから説明しますよ。


 仕様がありません。

 そういった言い回ししか言えないので、申し訳ありません。


 では、何をもって「異世界ファンタジー」とするのか。


 これに関しては少し脱線させていただきます。




 ――――脱線始――――




 この「異世界ファンタジー」というジャンルは何時できたものなのか。


 私が近くの図書館に赴いて調べたらあら不思議。


 文献が本当にありません。


 何がって、「異世界ファンタジー」について書かれた文献が、です。


 家に帰って国立国会図書館で検索を掛けたら単純に引っかかったのは32件(2018年10月12日時点)。しかも、その中で「異世界ファンタジー」の起源に使用できるものはありませんでした。


 なにせ「異世界~へ行った」というあらすじのハイファンタジーモノが引っ掛かっただけなのですから。


 では、と私はネットの掲示板を漁りました。

 すると、2010年以前には、ハイファンタジーの紹介などで「異世界」という言葉が使われていたのが2010年から2011年辺りになると少しずつ出てきて、2013年以降は爆発的に多く用いられていました。


 なぜなのか。

 原因は「小説家になろう」でした。


 実は、2010年から2012年にかけて小説家になろうで少しずつ「異世界転生」「異世界転移」の人気を得る形が出来上がっていたからです。その形が2013年辺りで“大人気ジャンル”として爆発的に増えているように見えます。少なくとも、掲示板などでは2013年以降は当たり前のように「異世界ファンタジー」という字面が使われています。

 2010年以前にも小説家になろうには「異世界転生」「異世界転移」はありましたが、その時は「異世界転生」「異世界転移」はあくまでもタグの一つとして扱われていたのです。


 それがなにかを皮切りに人気が出ていったのです。

 そして、それの影響で「異世界ファンタジー」という言葉が形を持ったのです。


 なぜか?

 2010年から「異世界ファンタジー」という言葉が浸透していったであろう2013年以前の間を見てみると、

 なんと、小説家になろう原作の作品がドンドン書籍化されているではありませんか。

 しかもその多くが「異世界転生」「異世界転移」だったのです。


『ログ・ホライズン』

『地味な青年の異世界転生記』

『ウォルテニア戦記』

『攻撃魔法の使えない魔術師』

『脇役の分際』

『理想のヒモ生活』


 知っているタイトルが一つや二つありますよね。

 さらに、2013年末には『この素晴らしい世界に祝福を!』が書籍化してます。

 2014年には『Re:ゼロから始める異世界生活』が書籍化してます。


 完全に火の元ですね。


 これらの人気に差し掛かり、「異世界ファンタジー」というものが世に出てきたのならば、それは間違いなく「異世界ファンタジー=異世界転生or異世界転移」であると言えるでしょう。


 つまり「異世界ファンタジー」とは本来存在したジャンルなどではなく、こうしたWEB小説を示すジャンルとして誕生したとみるべきです。


 そして、私は、

 もしそうなら「異世界ファンタジー」と通常のファンタジーにおける“異世界”は違うものなのではないか?

 と考え、読み比べることにしたのでした。




 ――――脱線終――――




 さて。

 話を戻します。

 ここから語るのは「何をもって『異世界ファンタジー』とするのか」です。


 通常のファンタジーと「異世界ファンタジーと呼ばれるもの」を読み比べて見ると簡単な要素が見つかりました。

 “「異世界ファンタジー」たる要素”は以下の通りです。


①舞台が地球や宇宙では無い事。

②物語の本筋において架空の世界がメインの舞台になること。

③作中又は世界観において“


 この三つになります。

「①と③は同じじゃないの?」という方もいるでしょう。

 違います。似て非なるものです。


 ①は言わずもがな、架空の世界であると分かる世界観や物語を指します。

 通常のファンタジーであれば当たり前ですよね。


 では、③はなにか。

 作中で異世界と認識されている。または、世界観的に(作中における常識として)異世界と認識されていることです。

 どういう意味かというと、“異世界に対して異世界と呼べるものの有無”という事です。

 あれですよ。「地球人にとって地球外生命は宇宙人だけど、宇宙から来た奴から見れば地球人も宇宙人だ。」というやつです。

 異世界というものが作中ないし世界観で成り立っている物が「異世界ファンタジー」なのです。


 “異世界”と銘打つのであれば、そのほかに世界がある、または比較するものがある。無ければ異世界とは言い切れない。異世界という要素が形だけであって無い物になってしまう。一々言うだけ無駄な要素になってしまう。

 つまり“異世界という題に説得力がない”という事です。


 一節のハイファンタジーの時に『キノの旅』『アリソン』の二作品を挙げました。

 これらの作品は架空の世界が舞台です。しかし、これらの作品は魔法という概念がなく(ファンタジー作品よろしくな不思議な出来事は起きたりしますが)、基本的に地球上と相違ない世界の法則(いわゆる物理法則など)を世界観軸に置いています。

 架空の世界という事を除けば現実に限りなく近い世界観なのです。さらに作中において我々の地球世界の事なんて書いてません。

 これでは「異世界ファンタジー」とは言いにくいのです。

 言いにくいのです。(二回目)


 では①~③の要素を満たす作品は何か。

 有名な作品で「異世界ファンタジー」に分類されるのは一節のハイファンタジーの時に挙げた作品の『ナルニア国物語』でしょう。

『ナルニア国物語』は主人公である少年少女が架空の世界である「ナルニア国」に行き、冒険するという作品。WEB小説ジャンルに当てはめると「異世界転移」に該当します。

 他に挙げるとしたら『不思議の国のアリス』『オズの魔法使い』『ピーターパン』などが当てまはることでしょう。これらの作品は“不思議な世界”に迷い込み冒険をするという物語で描かれている作品であり、①~③の要素をすべて満たしています。


 ③の要素はジャンルの分類において大きな壁です。作品の趣旨に大きくかかわっているからです。


 架空の世界だけで完結しているもの。

 異世界という認識を持ってその“異なる世界”を描くもの。


 この二つは決して交わることのない、作品に内包されている意味の大きな違いを示しています。


 つまり「異世界ファンタジー」というものは、主軸世界観が異世界とされ、かつ、それに対する比較世界があるファンタジー作品の事を言うのです。(何回似たことを言っただろうか。)

 ただ単に架空の世界が主軸舞台なだけでは「異世界ファンタジー」とは言わない。


「異世界ファンタジー」とは「ハイファンタジー」の中で「異世界転生」「異世界転移」といったものだけをさす“細分類ジャンル”である。


 それが私の持論でございます。



 以上をもって、私の語りを終えさせていただきます。


 ここまで書いた時に文字数を見たら5000文字に届きそうで笑いました。

 読み直したら誰かが食いつきそうな下品な文になっていると分かったのですが、エッセイだし良いでしょう。と思う事にします。(書き直しが面倒だし。)


 さて、次は同じネットファンタジージャンルの「現代ファンタジー」について話しますよ!

 まあ、似たような内容ですけどね。


 それではまた、お暇なときに読んでいただけたらなと思います。

 ではでは。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る