Chapter.1 一変する日常

人間は


何も変わらない、今までと同じところに


突然見慣れない〝モノ〟が入ってくると


自然と気になり、目で追ってしまう習性がある。


それは誰しもが持ち、無くす事はできないのだろう。


それが人間の、生物の持つ習性なのだから。


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彼女──綾瀬実栗が転校してきてから数日が経った今、


この学校で色々なことが変わった。



一つ目は生徒達の休み時間の過ごし方。


休み時間を告げるチャイムが鳴ると、


クラスや学年、性別に関係なく、彼女の周りに多くの人間が集まり、


彼女に話しかけたり、その容姿に見蕩れたりしている。


それは昼休みだけでなく、授業の合間というたったの数分間でも変わらない。



二つ目は、この学校で密かに行われているという〝人気投票〟の変化。


未來の話によると、


この学校の中で飛び抜けて派手な〝Star's〟と呼ばれるグループの人間が、


毎週水曜日に、この学校で〝一番人気な人〟を決めているらしい。


〝Star's〟なんて、派手なグループが付けそうな、ありきたり過ぎる名前で、正直、馬鹿馬鹿しい。


まあそれは置いておくとする。


そして今まではこの学校の生徒会長である、


倉渕羽津摩くらぶち はづま〟という人物が一位をキープし続けていたが、


今週、その連勝記録のようなものが、綾瀬実栗によって破られたらしい。


聞いただけの話なため、私にはよく分からないが、


生徒会長は、相当なショックを受けているという。



三つ目は、この変化の張本人、綾瀬実栗について。


初日、恐怖を覚える程の無表情だった彼女は、


日が経つにつれて、表情が一つひとつ増えているのだ。


本当に一日経つと一つ、また一日経つと一つ、という風に。


傍から見れば、この学校での生活に慣れてきて、緊張が解けたように思っているのかもしれないが、


私にはまるで、日を重ねる度に表情を一つずつ覚えていっているように見える。


杞憂……だろうか。


そうであってほしいと願っているが、その機械じみた彼女の言動に恐怖心が募るばかりである。



そして最後に、私が気がかりでもあること。


今まで人気投票の一位をキープし続けていたという倉渕羽津摩には、当然というか必然的に、ファンクラブというものが存在する。


そしてその中の、少なくとも数人は必ず、倉渕羽津摩を一位から蹴落とした綾瀬実栗に敵意を抱いているようだ。


現に彼女が転校してきた二日後には、そのファンクラブらしい女子生徒数人に、放課後呼び出されているところを目撃した。


警戒を緩めることができない私は、その日、彼女達を追跡することはしなかった。


しかし、集団リンチに遭い、明日は頬に傷でも付けて学校に来るのだろうと思っていたのだが、


その予想は打ち砕かれる。



翌日登校してきた彼女の顔や手などには、傷一つ付いていなかったのだ。


見えないところを負傷したかと考えもしたが、動きには何の不自然さも見受けられない。



そして更に、驚くべき事が起きた。


綾瀬実栗を呼び出した女子生徒数人は、呼び出したその日に校長の元へ行き、


自主退学をしたというのだ。



噂でしかないため、はっきりとしたことは分からないが、


いったい、綾瀬実栗と女子生徒達の間に何が起きたというのだろう。


彼女に対する謎が深まるばかりだ。



昼休み、そんな事を、頬杖をつきながら一人で黙々と考え続けていると、


ダンッ!


「ねぇ輝祈!」



未來が私の机に、勢いよく両手をついてからそう叫んだ。


机がガタッと音をたてて大きく揺れる。


その衝撃が腕を伝って顔を襲い、


不快感を顕にして眉間に皺を寄せ、未來を睨み上げると、


「あ、ごめん...」


未來はしゅん、となって小さく謝った。



「で、何?」


頬を擦(サス)りながら用件を聞く。


これでくだらない話だった時には指の一本や二本、へし折っても見逃してほしい。


……あくまでも冗談だが。



私の脳内など知る由もない未來は


「あ、うん! あのねっ!


……実栗ちゃんに話しかけてみない?」


興奮気味にそう言った。


突然な話に思わず片眉が上がる。



……綾瀬実栗に……話しかける...か。


人間と話すのはあまり好きではないが、


綾瀬実栗に話しかけるのならば、彼女の事が何か分かるかもしれない。


面白そうだ。


それに、もしかしたら、消えた女子生徒達の行方を掴める重要な糸口となるかもしれない。



「うん」


私はそう未來に返した。


未來からの問いへの答えは、いつもこうだ。


短く、一般的な人間が語尾などに付けるであろう何かしらの装飾も、抑揚も殆どない。


それは私の性格が、そういうサバサバしたものだからなのだが、


未來以外の人間に対しては、無理矢理にでも口角を上げ、笑顔を見せている。


この世界で暮らすために必要不可欠な、人間関係を築き上げるためにも。


けれど未來の前なら、自然体でいられるのだ。


自然体の淡白な私でも、優しく受け入れてくれる未來の前でなら……



中学校に入学当初、今と違い、誰とも関わろうとしなかった私に、


当然の如く、話しかけようとする人間はいなかった。


……ただ一人を除いて。


彼女は周りの人間に見せつけるかのように、


〝私、伊勢崎未來!! よろしくねっ!〟


そう大声で話しかけてきた。


初めは、こんな人間に話しかけて、何かに利用しようとしているのかと疑ったが、


未來にはそういった、下心のようなものが、全くと言っていいほど存在しない。


否、完全に存在しないのだ。


単純と言うべきか、素直と言うべきか、


彼女の傍にいた数年間、彼女が誰かを利用しようとした所など、微塵も見たことがない。



未來と話をしてからは、周りの人間も少しずつ、私に話しかけるようになっていった。


ありのままの私を見て、話しかけてくれた。


受け入れてくれた。


だから私は、自然体で未來と話をし、


時折、本当の笑顔も見せる。



〝あの事〟を除けば、何でも話して良いとさえ思っている。



「ほんと!? じゃあ行こ!」


未來のその声に、現実へ引き戻された。


懐かしい記憶だ。



ふと思った。


私はあと、どれほど未來の声を聞いていられるだろうか。


未來の傍に居られるだろうか、と。



……駄目だ駄目だ。


私が〝あれ〟である限り、出会いと別れは何度でも繰り返される。


偶々、この地が平和で、長く留まることができているだけ。


いつかはこの地の人間とも、別れる時が来るだろう。



〝その地の物に、人に、執着してはいけないよ〟


そう、〝あの人〟に言われたのだから。



そこまで考えて、今までの考えを全て振り払った。


「輝祈? 大丈夫?」


未來が心配そうな顔で、こちらを向いている。


「うん、大丈夫」


「そう? なら良いけど、すっごく暗い顔してたよ?

何かあった時は、いつでも相談に乗るからね?」


「…………ありがとう」



すぐには言葉を返せなかった。


〝あれ〟に関係する事は、絶対に、普通の人間には話してはならないのだから。



「うん! じゃ、改めてレッツゴー!!」


張り切る未來の後ろを無言でついて行く。


軽く涙腺が緩んでいる事を、彼女に悟られないように。


下を向けば零れ落ちてしまいそうな雫を、誰にも気付かれないように静かに拭った。



綾瀬実栗の周りには、彼女が来てから数日経つにも関わらず、


変わらぬ人数の、否、寧ろ増加しているようにも見える人数の人だかりがあった。



「どうやったら話せるかな」と未來が呟く。



……と、丁度その時チャイムが鳴り、


「やべぇ、俺達次体育だぜ!!」


「そうだった! やばっ、早く行こ!」


綾瀬実栗の周りにあった人だかりは、偶然か必然かは定かではないが、


ほぼ全員が同じ学級だったらしく、慌ただしく走り去って行った。


こんなことも、あるものなのだな、と一人静かに感心する。



私と未來はこの学級で、移動教室でもないため、


授業が始まる寸前まで、綾瀬実栗と話していても問題は無い。


綾瀬実栗の周りに誰も居なくなった後、


未來が拳に力を込めたのが見え、それと同時にごくり、と唾を呑む音が聞こえた。



誰とでも明るく接せる未來だが、初対面の人間や、初めて話す人間には緊張するのだ。


それは、中学校からの長い付き合いで理解している事。


きっと、私に話しかけてくれたあの時も、相当緊張していたのだろう。


握りしめていた両手が、僅かに震えていたことを今でも鮮明に覚えている。


頑張れ、未來……


心の中で声援を送る。


深呼吸をした未來は、意を決して口を開いた。



「……み、みく、実栗ちゃん!!」


吃りながら、彼女の名前を呼んでしまった事に、


〝失敗した……〟という未來の心の声が、聞こえた気がした。



名前を呼ばれた彼女がこちらを振り向く。


「……どうしたの?」


そう言って、首を少し傾げる彼女。


そしてその顔は……



完璧な笑顔だった。


その顔を見て、心臓から始まり、体の隅々まで、すぅ、と段々に冷えていくような、不気味な感覚に襲われた。


自然と体が小刻みに震え始めたのが、自分でも分かる。


寒さなど感じないほど、今は暖かい季節だというのにも関わらず、だ。


だからこそ、この震えが、気温の影響ではなく恐怖によるものだと理解できた。



彼女の完璧な笑顔には、喜怒哀楽、全ての感情が読み取れない。


どの感情も感じ取る事ができない。


唯一、感じ取れるものと言えば、それは感情ではなく、


彼女の美豹によって醸し出されている、気品くらいだ。



転校初日に見た、あの無表情よりも、


今、目の前で自分たちに向けられている、完璧な笑顔の方が、数段も増した恐怖を感じる。


〝完璧な笑顔ほど怖いものは無い〟


と、心にその思いが絡み付いて、離れなかった。



綾瀬実栗のその笑みから、何の感情も感じ取れないことには気付かず、


寧ろ、吃った事を馬鹿にされなかったことに、嬉しさと安堵の表情を浮かべた未來は、


緊張が解れ、一気に綾瀬実栗へ話しかけた。



「私っ、伊勢崎未來!


未來っていう字は〝未来〟の旧字を使っているんだよ!!


旧字なのは、お父さんとお母さんが〝人と人との繋がりを大切にしてほしい〟って考えたからなんだって!!


だから、実栗ちゃんとも仲良くしたいから、よろしくねっ!!」


興奮気味の未來は、息継ぎをする事も無く、一気に喋り切った。


そんな未來の様子に、驚くでもなく、呆れるでもなく、綾瀬実栗の完璧な笑顔は、全く崩れなかった。


〝こんな人間が本当に存在するのだろうか〟


目の前に実際に存在するというのに、信じる事ができない。



「...、...き? ……輝祈!!」


「……っ!!」


未來の声で我に返った。



「あ、ごめん……


雛桜輝祈、よろしく」


発したその声は、密かに震えていた。



私が初めて、恐怖という念を抱いた人間。


できることなら、彼女と関わることはなるべく避けたいと、私の本能が訴えている。


しかしそれ故、彼女には何かあると確信がある。


近々、〝あの人〟たちに話すことにしようと決意した。



彼女は未だに、完璧な笑顔を貼り付け続けている。


「綾瀬実栗です。


こちらこそ、どうぞよろしく」


そして少し笑みを深めた彼女。


私の震えた声に、未來と綾瀬実栗が気付いたのかは、分からなかった。

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