第1章 時空の狭間


「此処は、お前のいた世界と別の世界とを繋ぐ時空の狭間だ。お前は地震というアクシデントにより、ぽっかり開いてしまった時空ポケットへ落ちたわけだ」


「そして、私はその時空の狭間に迷い込んだお前のような奴を保護し、帰してやるのが仕事の・・・まぁ、いわゆる番人とか管理人ってやつだ」


体ごと吸引されるかのように時空の狭間と呼ばれる空間へ転送され、そしてそのまま意識を失っていたようだ。

管理人と称する男は、半ば朦朧もうろうとしている俺の体を抱き起こしながら説明をしてくれた。


久我昇平くが しょうへい 30歳♂ 独身

自負できる物も無い自虐の器用貧乏さと、入社以来の営業畑で培った人当たりの良さだけが持ち味。

癒しの彼女がいるわけでもなく、のめり込める趣味もない・・・さりとて酒に救いを求めるわけでもない。

心にゆとりも張りも持てない、ただ殺伐とした日々の仕事に、そしてスパイスの欠けた生活にストレスだけを貯め続ける虚しいサラリーマン。


・・・・・・・・


・・・・・・・・


目の前にいる初老の紳士風に見える男には実は実体など無く、言葉も彼が発声した音を俺自身が自分で創造し脳内変換していることなど、この空間で起こっている特殊な事象について教えてくれた。

あまりにも突然過ぎた出来事に、また現実として起こっているこの現象に思考回路が追いつかない。

でも、俺は・・・一番気になっている肝心なことを訊ねないといけないと思った。


「それで・・・わたしは元の世界に帰れるのでしょうか?」


男は眉間に皺を寄せ、少し困ったような表情を浮かべた。

そして衝撃の内容を口にした。


「残念ながら、お前を元の世界に戻してやることはできない。お前が落ちた時空ポケットは震動のエネルギーにより歪みが生じ消滅してしまった」


「えっ?!」


「Aというポケットから入ったなら、Aというポケットを探し出し出口として使えば元の世界に戻れるのだが・・・今回のお前の場合は帰り道となるはずのポケットが消滅してしまっている。私にはお前を出口へと導いてやることができない。手の施しようがないんだよ~」


その説明に、何も言葉が探せなかった。

男は茫然としている俺を横目に言葉を続けた。


「お前はこの時空の狭間に留まることはできない。これはこの世界のコトワリだ」


「・・・・・」


「そうなれば・・・お前の選択肢はひとつしかない。別の出口を使ってこの狭間から抜け出ることだ」


未練が残る世界ではなかったが、戻れないとなると戻れないで、やるせない気持ちが余計に募りだす。

元の世界での自分という存在が消えてしまうと思うと涙が溢れてくる。


・・・・・・・


「お前さんに覚悟ができたなら、別の世界への出口に導いてやる。いつでも言いなさい」


管理人と称する男は感傷に耽る俺を気遣うように優しく言葉にした。


「あの・・・出口の先にある世界は、いったいどんな世界なんでしょうか?」


簡単に不安ややるせなさを払拭することはできない。

でも、戻れない道なら進むしか選択肢が無いことは自分なりに理解できていた。


「うむ、今開けてやれる扉は・・・お前が生きてきた世界とは似ても似つかぬすべてが異なる世界観で構成されている場所だと考えよ」


「例えば・・・どう違うのでしょか?」


「まずは世界を構成する種族が人間だけでは無いということだ。魔法もあればモンスターもいる。自己の成長は経験を積み重ねていくことで進化する世界と言えば想像できるか?」


男は少し笑みを浮かべなら俺の顔を覗っている。


「はい。わたしのいた世界でもそんな世界観のゲームがありました。現実として受け止めることはすぐには無理でしょうが、その世界観は何となくわかります」


遊び尽くしたことはないが、そんな世界観のゲームを暇つぶしにたしなんだ時期もあった。

でも、これはゲームじゃない。

右も左も、増して習慣も生活形態も何もかも違うであろうその未知の異世界を、俺は現実として受け入れて生きていけるのか・・・そんな思いが頭の中に渦巻いていく。


男はそんな俺の巡る思いを読み取ったのか、にこやかな笑みを浮かべ口を開いた。


「お前は時空ポケットに落ちた際、震動で捻じれ、そして歪んだトンネルを通った為か、かなり時間を遡っているようだ。簡単に言えば10歳ほどは若返っている」


目の前に自分を映し出す鏡でもない限り、事実確認などできるはずもないのに・・・俺はその言葉に自分の手足を幾度となく見回した。

男はそんな滑稽なる行動にククッと笑いを洩らした。


「まぁ、よい!今から扉を開けてやろう。この時空の扉はお前のいた世界とは違う、私が先ほど説明した世界へ通ずる扉だと刷り込んでおくことだ」


そう言うと、男は何もない空間へ両手を真っ直ぐ差し出した。

突然、その先に扉がひとつ出現した。

もう驚くことなど何ひとつない。

自分がこの超越した空間に存在しているという状況は何をもってしても変えられない事実でしかなかった。


「私は時空の管理人として、迷い人であるお前を元の世界に導いてやることができなかった。元の世界に戻れないというお前の無念さがわからないでもない」


「・・・・・はい」


「人生を新たに始めるお前に贈り物をひとつやろう。全くもって未知なる異世界へポンと放り出されてはお前も困るだろう。これは仕事を全うできなかった私からのプレゼントだと思え!何がよいかのぉ~ふははっは」


そういうと男は気分良さそうに声をだして笑った。

俺は彼の顔をただ黙ってじっと見つめた。


「・・・・・」


ひとしきり、男は何かを考えるかのように首を傾げ小声で唸っていたが、ようやく答えを導き出せたのか、手のひらを拳でポンっとひとつ叩いた。


「ハイヒューマン・・・お前は向こう側の世界でハイヒューマンとして生きなさい。人間の上位種と考えれば良い」


「ハイヒューマンですか?」


「そうだ。扉をくぐって次なる世界にたどり着いたなら、手のひらを開いたまま右手を軽く横に振りなさい。そうすれば自分が何者なのかわかるだろうよ。まぁ、くれぐれも、お前がハイヒューマンであることは悟られないようにせよ。何せ唯一無二の存在だからな~ふははっは」


満悦気味に高笑いする男の言葉の意味がよく呑み込めない。

がしかし、教えられた通りに扉をくぐったら試してみるしかない。

今はそう考えるしか術がなかった。

そして生きるために扉をくぐろうと腹を括った。

それしか選択肢は無いのだから・・・


「気持ちが決まったら扉へ進みなさい」


「はい。覚悟はできました」


そう男に向かって返事をし、扉の前へとゆっくり歩き始めた。

男はそんな俺の歩みを優しい表情で見つめていた。



「夢、夢、疑うこと無かれ~」


そのひと言をつぶやいた直後、管理人と称する男は俺の視界から完全に姿を消した。

俺はふと立ち止まり、男が消えた空間を見つめ、そして問いかけた。


「管理人さん、あなたは神さまなのですか?」


そこには静寂だけが漂っていた。

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